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設立 | 1952年12月27日 | |||
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ハブ空港 | 東京国際空港 成田国際空港 |
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焦点空港 | 新千歳空港 中部国際空港 |
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マイレージサービス | ANA Mileage Club | |||
会員ラウンジ | signet Lounge ANA Lounge |
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航空連合 | スターアライアンス | |||
スローガン | Inspiration of JAPAN | |||
親会社 | ANAホールディングス | |||
本拠地 | 日本 東京都港区東新橋一丁目5番2号 | |||
代表者 | 篠辺 修(代表取締役社長) | |||
外部リンク | https://www.ana.co.jp |
全日本空輸本社が入居する汐留シティセンター
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種類 | 株式会社 | ||||||
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市場情報 |
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略称 | 全日空 ANA(エー・エヌ・エー) |
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本社所在地 | 日本 〒105-7133 |
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設立 | 2012年(平成24年)4月2日 (前会社については特記事項参照) |
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業種 | 空運業 | ||||||
事業内容 | 航空運送事業 旅行事業 |
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代表者 | 篠辺修(代表取締役社長) | ||||||
資本金 | 3187億89百万円 (2013年3月31日現在、前会社時代) |
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発行済株式総数 | 35億1,642万5,257株 (2013年3月31日現在、前会社時代) |
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売上高 | (連結:1兆4835億81百万円) (単独:1兆2936億06百万円) |
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営業利益 | (連結:1,038億27百万円) (単独:913億90百万円) |
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純利益 | (連結:431億40百万円) (単独:422億44百万円) |
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純資産 | (連結:7731億00百万円) (単独:7313億61百万円) |
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総資産 | (連結:2兆1372億42百万円 (単独:2兆622億15百万円) |
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従業員数 | (連結:32,634人、単独:13,731人) (2013年3月31日現在、前会社時代) |
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決算期 | 3月31日 | ||||||
主要株主 | ANAホールディングス株式会社 | ||||||
関係する人物 | 普勝清治、橋本登美三郎 | ||||||
外部リンク | https://www.ana.co.jp/ | ||||||
特記事項:前会社は、株式額面変更のため 1975年(昭和50年)4月1日に旧・全日本空輸株式会社を吸収合併し、旧会社は消滅した。旧会社の設立日は1952年(昭和27年)12月27日、前会社の設立日は1920年(大正9年)2月9日。 経営数値は持株会社化前の前会社時代のもの。 |
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全日本空輸株式会社(ぜんにっぽんくうゆ[1]、英称:All Nippon Airways Co., Ltd.)は、日本の航空会社である。略称は全日空(ぜんにっくう)、ANA(エイエヌエイ)。
イギリス・スカイトラックス社による航空会社の格付けで、実質最高評価の「ザ・ワールド・ファイブ・スター・エアラインズ(The World's 5-Star Airlines)」の認定を得ている[2]。
コーポレートスローガン(タグライン)は「Inspiration of JAPAN」[3][4]である。
国内線では最大の路線網を持ち、国内線乗客数では日本最大級の航空会社である[5]。国際線はアジア諸国とヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国に運航しており、日本航空と同等の規模である。航空会社連合「スターアライアンス」のメンバー。東証一部上場のANAホールディングス(ANAHD)傘下であり、ANAグループの中核事業会社。コーポレートカラーはトリトンブルー。2レターコード"NH"は、全日本空輸の前身の社名「日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter) 」に由来する。本社所在地は東京都港区東新橋 汐留シティセンター。日本では日本航空と並ぶ主要な航空会社である。
全日本空輸の前身は日本ヘリコプター輸送株式会社と極東航空株式会社である。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の命令によって、全ての日本国籍の航空機の運航を停止していたが、1952年(昭和27年)に運航禁止期間の解除の決定が下されたことを受けて同年に両社は設立された。
日本ヘリコプター輸送株式会社は、1952年12月27日に、東京を拠点にヘリコプターでの宣伝活動を目的として設立された会社で、通称は「日ペリ」、「日ペリ航空」であった。当初はヘリコプターによる宣伝事業のみを行っていたが、飛行機による事業にも参入し、1953年12月15日に貨物航空事業を開始し、1954年2月1日には旅客航空事業も開始した。
極東航空株式会社は、日ペリより1日早い1952年12月26日に、第二次世界大戦前に関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立。大阪を拠点として、大阪 - 四国・大阪 - 九州といった西日本方面の航空路線を運営していた。
その後国内航空輸送を一本化するという運輸省の方針などにより、両社は合併に向けて協議を開始する。合併比率でもめたものの、日本商工会議所会頭藤山愛一郎、日本航空協会会長郷古潔、日本航空社長柳田誠二郎らの斡旋により、合併手続きは進み、1958年(昭和33年)3月1日、合併登記が完了した。初代社長には、元朝日新聞社常務取締役で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任した。この合併により全日空は、ダグラスDC-3型機9機、デ・ハビランド DH.114 ヘロン3機、デ・ハビランド DH.104 ダブ4機、ベル47D-1ヘリコプター4機など、合計26機をもって、北は北海道から南は鹿児島までの日本全国19都市を結ぶ、日本国内最大のネットワークを誇る航空会社となった[6]。
全日空(ANA)の成長の過程で特徴的な事として、総代理店制度の採用が挙げられる。これは、航空輸送事業がまだ黎明期に、各就航地の有力企業と提携し、航空会社の業務のうち、市内業務(営業活動)と空港業務(ハンドリング業務)を委託するという画期的な制度であった。委託業務は市内では航空券販売・電話予約センター・また代理店販売促進活動や団体営業、空港では、旅客ハンドリング・貨物ハンドリングから、機側における各種業務や機内清掃まで、幅広い業務があった。 総代理店の主な会社は、今は路線廃止で業務を終了している会社もあるが、「北海道地区」で、三ツ輪運輸(釧路・女満別)、道北バス(旭川)、函館エアサービス(函館)、「東北地区」で日本通運(仙台・秋田)、庄内交通(庄内)、「中部地区」で名古屋鉄道(名古屋)、福井空港(福井)、北陸鉄道(小松)、富山地方鉄道(富山)、新潟交通(新潟)、「関西地区」で名古屋鉄道(南紀白浜)、「中国・四国地区」で両備バス(岡山)・中国航空ターミナル(広島)、サンデン交通(山口宇部)、日ノ丸自動車(鳥取・米子)、高松商運(高松)、伊予鉄道(松山)、土佐電気鉄道(高知)、「九州地区」で九州産業交通(熊本)、長崎空港ビル(長崎)、大分航空ターミナル(大分)、宮崎交通(宮崎)、南国交通(鹿児島)、福江空港ターミナルビル(五島福江)、奄美航空(奄美大島)等が挙げられる。総代理店は、大口の株主にもなり、名古屋鉄道は長らく全日空(ANA)の筆頭株主であった。その関係で名古屋鉄道と宮崎交通は全日空(ANA)の社外取締役を輩出、名鉄は現在まで継続している。全日空(ANA)と総代理店が共同で航空需要の開拓をしてきたが、昨今では予約のインターネットへの移行等で総代理店の業務も空港業務に絞られてきている。
合併から約5か月後の1958年8月、下田沖でダグラスDC-3の墜落事故が発生し、これによる旅客離れにより1958年度には資本金の約3分の1にあたる2億287万円もの損失を計上した。また、この事故の約2週間後の8月27日に同社のDC-3型機がエンジン不調による緊急着陸を行ったため、当局より臨時検査を受けることとなったが、2日後にはDC-3型機の安全性が確認され運行を再開した[7]。
DC-3は大戦をはさみ2万機以上が製造された大ヒット機であり、ライセンス生産も各国で行われたため、操縦席の計器類の配置、操作方法、整備作業手順や一部の部品などの仕様が統一されていなかった。この仕様不統一が事故の誘因となったという見方もあり、1960年(昭和35年)春までに仕様統一作業が行われた[8]。これにかかる費用は合併直後の全日空には重い負担となったが、この事故を契機に設立された航空安全対策懇談会の答申に基づき、国内航空に対しても国家的助成を行うべく、政府より助成された5,000万円により賄われた[9]。
下田沖事故を契機とした航空行政の転換に伴い、全日空は日本航空と業務提携を行うこととなり、まずは1958年(昭和33年)11月に「整備士査察業務等援助協定」を締結し、次いで1959年(昭和34年)4月には全日空の増資分のうち2億円を日本航空が引き受けることとし、日本航空からの役員の受け入れなどの業務提携を続けてゆくことになる[10]。なお、日本航空はもとより日本ヘリコプター輸送の創業当時から第2位の株主であり、1974年(昭和49年)まで株式保有率10位以内の大株主であった。
全日空は1959年(昭和34年)4月1日に東京 - 大阪直行便(毎日2便 DC-3)を開設したのに続き、10月10日には東京 - 札幌直行便を開設し、国内幹線への進出を果たす。
また、1960年(昭和35年)12月、韓国学生文化使節団一行の帰国便をコンベア440によりソウルへ運航し、国際チャーター便も開始した。1961年(昭和36年)9月23日には、当時まだ米軍施政下にあった沖縄への定期便、鹿児島 - 沖縄線の第一便がフォッカー F27により運航を開始した。この路線は1972年(昭和47年)の沖縄返還まで全日空で唯一の国際定期便であった。 1962年(昭和37年)10月には戦後初の国産旅客機であるYS-11の20機の予備契約を行い、同社初のローンチカスタマーとなった。正式契約は1964年(昭和39年)となり、同年9月9日に2号機をリースし、「オリンピア」の愛称で当時開催された東京オリンピックの聖火を日本全国に空輸した。
高度経済成長に伴う航空需要拡大を受けて、機材も大型化し、当時日本航空のDC-4より1・2割高速だった[11]コンベア440や、フォッカー F27、YS-11、ヴィッカース・バイカウントシリーズ、ボーイング727型機などの当時の最新鋭機を精力的に導入していった。
また、航空行政方針に従い、中小航空会社の合併・事業継承も行った。1964年(昭和39年)11月1日、藤田航空を吸収合併し、1965年(昭和40年)2月1日、中日本航空の定期航空部門を吸収、さらには1967年(昭和42年)12月1日、長崎航空の定期航空部門を継承した。
これらにより、1968年(昭和43年)には、世界民間航空旅客輸送実績ランキングで、日本航空を抜き第19位に浮上し、1979年(昭和54年)にはアメリカン航空に次ぐ、世界第6位の航空会社となった。
設立当初より国内線が主軸であったが、「45/47体制」と呼ばれる当時の運輸省の政策により、日本航空は国際線と国内線幹線を、全日空は国内線幹線とローカル線・国際線チャーターを、東亜国内航空は国内ローカル線の運航を担当し将来的には幹線に参入する、というように運航を制限されていた。この政策の転換を契機に、1986年(昭和61年)3月3日より国際線定期便の運航を開始した。最初の路線はL-1011トライスター機の運航による成田 - グアム線だった(その後撤退)。
同年にアメリカ本土への路線として成田 - ロサンゼルス線と成田 - ワシントンDC線をボーイング747-200B型機で就航させた。翌1987年(昭和62年)は中華人民共和国への路線として成田 - 北京線と成田 - 大連線、当時イギリスの植民地であった成田 - 香港線を開設、同年10月には成田 - シドニー線を開設した(その後撤退)。1988年(昭和63年)には大韓民国への路線として成田 - ソウル線を開設し、1989年(平成元年)には初のヨーロッパ進出となる成田 - ロンドン線を開設した。1990年11月には国際線のネットワーク拡張に合わせてボーイング747-400を導入した。
1994年の関西国際空港開港後は、中華人民共和国や北東アジア線だけでなく、デンパサール、ヤンゴン、ムンバイ、ホノルル、シドニー、ブリスベン、ローマなど関西国際空港からの中・長距離の路線の開設を積極的に行った。同時期には名古屋からホノルルへの路線や福岡からバンコクや上海、大連等への路線も開設していた。さらにアメリカ線の強化で成田からのシカゴやサンフランシスコ線を開設したほか、ジャカルタ、デンパサール、ムンバイ線を毎日運航で就航させたものの、その後の航空不況により撤退した路線もある。(シカゴ・デリー・ムンバイ・ミャンマー等は出発地は違うが2006年後半以降に路線を復活させた。) その後1999年10月に、航空連合の一つであるスターアライアンスに9番目の航空会社として加盟した。スターアライアンス加盟航空会社とのコードシェアによって国際線路線網の少なさをカバーするとともに、重複路線からは自社運航便を撤退したり、日本国外での知名度も向上させるなど、航空連合に加盟することで自社の弱点を補うという戦略への転換を図ることとなる。なお加盟後は機体に「STAR ALLIANCE」のマークとロゴタイプを追加している。
2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件による世界規模での航空需要の落ち込みを受けて業績が低迷し、国土交通省の助けを受けて日本航空や日本エアシステムとともに政府系金融機関の日本政策投資銀行から無利子融資を受け、経営の再建を図ることとなった[12]。しかし、2003年度と2004年度にもSARSの蔓延などにより再度世界規模での航空需要の落ち込みが起きたことで業績が低迷し、リストラを行うことを条件に日本政策投資銀行から合計500億円に上る無利子融資を受けた[13]。この結果2003年度は黒字を計上。悲願であった復配も達成した。併せて2004年4月26日にはボーイング社が開発しているボーイング787(開発名称7E7)を50機発注[14][15]し、同機のローンチカスタマーとなった。
2003年に、公式の呼称を慣れ親しまれてきた「全日空」から「ANA(エー・エヌ・エー)」へ変更・統一してイメージ転換を図り、ロゴも「全日空」や「All Nippon Airways」から「ANA」に変更し、[16]グループ航空会社運航機を含めて機体塗装もロゴ部分を変更している(一部の機材を除く)。機体への機種名表記はこの時に消滅したが、後に導入されたボーイング787などでは機種名を表記している。グループ会社についてもほとんどが社名の「全日空」を「ANA」に変更しており、2014年2月現在、社名に「全日空」と付く企業は全日空商事と全日空モーターサービスを残すのみとなっている。しかし、一般的には引き続き「全日空」と呼ばれることが多く、日本のマスメディア各社の報道などでは「全日空」の呼称が使われることが多い。また、同時期(2004年)にグループ航空会社(エアーニッポン・エアージャパン等)での運航便を「ANA」便名へ変更している。
2007年10月11日には、ボーイング787の開発スケジュールの遅れが発表され、初飛行は2008年第1四半期末、引渡しも当初の予定から6か月ほど遅れるとした[17]が、さらに2008年第4四半期へと初飛行の延期、引き渡しは2009年第3四半期への遅延が発表された[18]。ANAでは2008年6月に国内線に投入、同年8月の北京オリンピック開催時には羽田 - 北京間のチャーター便に使用すると発表していた[19]が、就航計画の変更を余儀なくされ、北京線のオリンピック開催に合わせた就航は不可能となった。その後もさらに開発遅延が重なり、結局2011年10月に営業運航開始となった(後述)。この2007年には、『エアー・トランスポート・ワールド』 (ATW) 誌上で「エアライン・オブ・ザ・イヤー」に初めて選ばれた。なお、日本の航空会社として選ばれたのは日本航空に次いで2社目となる[20]。2013年4月には、英国スカイトラックス社が運営する「エアライン・スター・ランキング」で日本の航空会社として初めて、アジアで6社目、世界で7社目として[21]5つ星を獲得した[22]。また、2013年7月には2006年4月に日本ユニシスと開発に合意していたAirCoreを採用した予約系システムを稼働し、大手ネットワークキャリアの中では世界で初めて予約系システムを汎用機からオープン系へと移行した[23]。
2014年5月には「旅客キロ」(RPK)と呼ばれる航空指標で初めてJALを上回ってANAが日本国籍航空会社のトップに立った、これにはJALの経営再建や2014年3月の羽田空港発着枠割当で大幅にANAに対して発着枠が割当られたことなどが影響しているが、ANAがJALを追い抜いたことは日本航空行政の歴史上大きな意味を持つといわれている。
ANAには787型機引渡遅延の補填として、ここ数年でボーイング社から複数の767-300ER新造機(航続距離約11000km)が破格の条件で引き渡されたといわれており、この減価償却の必要性が少ない機材を有効活用できる路線(高い需要を持ち日系航空会社による就航を求める意見が多い中部-米国西海岸線や新千歳-欧州線)など、中型機なら黒字化が十分可能だといわれている新規路線開拓も期待されている。これら787の補填で受領した長距離中型機材はANAの経営戦略にとって長期的な底上げを可能にしたといわれている。
さらに2014年に実施された羽田空港の国際線発着枠新規割当で5便にとどまったJALに対し、11便を獲得したANAは大幅に収益力が向上した。 羽田空港再国際化により大きな恩恵を受け急拡大したANAの国際路線網は、ANAHDグループが安定的な黒字決算に寄与し、2014年には追加発注となる777-300ER型機6機を含む多数の新規機材発注を行うなど、同社の中長期的な成長投資を支える原動力になっているといわれている。
2012年2月17日、全日本空輸は2013年4月1日を以て持株会社制へ移行する方針を発表した。持株会社の名称は「ANAホールディングス株式会社」、事業会社の名称は「全日本空輸株式会社」となり、会社分割の手法により持株会社となった。持株会社制移行に先立ち、2012年4月2日に事業の受け皿となる子会社としてANAホールディングス株式会社が設立され(事業譲り受け時に「全日本空輸株式会社」に社名変更)、持株会社移行の際に「全日本空輸株式会社」が「ANAホールディングス株式会社」に社名変更された[24][25]。また、2012年4月よりそれまで使われていたレオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターの絵をあしらった社章・社旗をANAロゴに変更した[26]。
2012年まで使用されていた社章は、ANAマイレージクラブ入会からの総飛行距離が一定数に達した際の記念品に用いられている[27]。
1982年より使用している現行のロゴは、「ANA」の文字の横に、機体塗装にも使用されているトリトンブルーとモヒカンブルーを組み合わせたラインが入っている。2013年にはタグラインとして「Inspiration of JAPAN」が設定されたことは前記したが、これは機体にも順次表記されている。
ANAの機材は以下の航空機で構成される。なお、この中にはグループ共用、グループ会社向け機材を含む。
なお、全日本空輸が発注したボーイング製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は81で[28]、航空機の型式名は747-481D、777-381ER、737-781、787-881などとなる。737-500の新造機は全日本空輸を通さずに当時子会社のエアーニッポンが直接ボーイングに発注したため、型式名は同社のカスタマーコードである4Kをつけた737-54Kとなる。
※2014年3月 現在
エアージャパンとの共用機
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ボーイング727-100
ボーイング727-200
ボーイング737-200
YS-11
ロッキードL-1011
ボーイング747-100SR
ボーイング747-200
フォッカー F27
ボーイング767-200
ボーイング747-400
ボーイング747-400D
エアバスA321
DHC-8-300(Q300)
2014年11月1日 現在。コードシェア便と貨物便による就航路線は含まれない。
自社国際線路線を開設している日本の空港は成田国際空港、東京国際空港(羽田空港)、中部国際空港、関西国際空港である。
台湾
韓国
中国
香港
フィリピン
ベトナム
タイ
マレーシア
インド
シンガポール
インドネシア
ミャンマー
イギリス
フランス
ドイツ
アメリカ合衆国
カナダ
グアム
2013年11月現在、アイベックスエアラインズ、AIRDO、スカイネットアジア航空、スターフライヤー、オリエンタルエアブリッジとのコードシェア(共同運航)を行っている。
コードシェア便による就航地を含む。
北海道
東北
関東
中部
近畿
中国
四国
九州・沖縄
朝食・昼食・夕食時間帯の便に提供される「Premium GOZEN」の一例(2012年10月14日、鹿児島→羽田便)
間食時間帯の便に提供される「Premium SABO」の一例(2012年8月4日、羽田→岡山便)
電源コネクタとUSBポート
航空券の発行を省略した電子航空券によるチケットレス搭乗サービスである。QRコードまたは、ANAマイレージクラブ会員の場合はIC付き会員カードかおサイフケータイ対応の携帯端末での利用が提供されている。
ローンチカスタマーとして発注したボーイング787を、2011年に世界で最初に導入した[48]。ボーイング767-300/300ERの後継に位置づけられる機種だが、230席 - 250席規模で767より航続距離が長いので、2011年時点でボーイング767-300ERを投入しているアジアへ向けた路線だけでなく、ボーイング767-300ERでは航続距離が足りない欧米線を787で新たに開設したり、777-200ER/300ERと平行して運用することでダブルデイリー化を進める見込みがある。 このうちボーイング787-3は元々国内線向け[49]であり、航続距離が5,000km以上あるため、国内線および短・中距離国際線の兼用になる公算が大きかったが、度重なる納入延期で開発も遅滞が続き、ANA・日本航空の両社ともにボーイング787-8に発注を変更し、キャンセルとなった[要出典]。 また、2010年9月には発注済み787-8(55機)のうち15機を787-9に変更[50]した。 そして、2011年10月26日に国際線の成田 - 香港線で、同年10月30日からの運航ダイヤにおいて11月1日から羽田 - 岡山、および羽田 - 広島の2路線において日本における国内線にそれぞれ初就航した[51]。この国内外の3路線が、世界初の定期路線におけるボーイング787の運用となる。当面は国際線用のボーイング767-300ERにおいて使用されている、ビジネス・エコノミークラスの座席を流用したキャビンが使用され、ビジネスクラス部分をプレミアムクラスとして設定している。さらに2012年1月21日からは長距離国際線仕様の機材が羽田 - フランクフルト線に就航した。2014年7月27日(日本時間 28日)に787-9を初受領[52]し、同年8月7日から羽田 - 福岡・大阪/伊丹・松山の3路線に投入されている[53][54]。
ANAカーゴ (ANA Cargo) はANAグループの航空貨物サービスのブランドである。2013年6月現在、旅客便のベリースペース(床下貨物室)と9機の貨物専用機を合わせて、国内線は114路線に1日あたり818便を運航する(旧エアーセントラルが貨物搭載を行っていなかったため、ANAウイングスがDHC-8-Q400で運行する便では貨物搭載ができない場合がある)[55]。国際線は33都市に週あたり972便を運航する[56]。
2014年8月31日現在、貨物専用機はANAが世界初受領となった[29]ボーイング767-300BCFを含むボーイング767-300Fを10機保有している[57]。2007年ごろにはABX Air社のボーイング767-200を2機ウェットリース利用していた[58]。
2014年4月、株式会社 ANA Cargoとして貨物事業を独立させることが明らかとなった[59]。
この他、航空業に付帯・関連する事業を中心に多くのグループ企業がある。 ※詳細はANAグループ一覧を参照。
スターアライアンスに加盟している会社が多い。以下、※印はスターアライアンスメンバー(2015年2月現在)[60]
全日空関連の事故・事件は以下の通り。
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Ana or ANA may refer to:
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リンク元 | 「原発性胆汁性胆管炎」「自己免疫性肝炎」「原発性硬化性胆管炎」「抗核抗体」「若年性特発性関節炎」 |
拡張検索 | 「AANAT」「LANA」 |
関連記事 | 「A」「AN」 |
Table 16-7. Main Features of Primary Biliary Cirrhosis and Primary Sclerosing Cholangitis | ||
Parameter | primary biliary cirrhosis | primary sclerosing cholangitis |
Age | Median age 50 years (30-70) | Median age 30 years |
Gender | 90% female | 70% male |
Clinical course | Progressive | Unpredictable but progressive |
Associated conditions | Sjogren syndrome (70%) | inflammatory bowel disease (70%) |
scleroderma (5%) | pancreatitis (≦25%) | |
thyroid disease (20%) | idiopathic fibrosing disease (retroperitoneal fibrosis) | |
Serology | 95% AMA positive | 0% to 5% AMA positive (low titer) |
20% ANA positive | 6% ANA positive | |
60% ANCA positive | 82% ANCA positive | |
Radiology | normal | strictures and beading of large bile ducts; pruning of smaller ducts |
duct lesion | florid duct lesion; loss of small ducts | concentric periductal fibrosis; loss of small ducts |
自己免疫性肝炎 | 原発性胆汁性肝硬変 | ||
AIH | PBC | ||
疫学 | 年齢 | 中年女性 | 中年女性 |
HLA | HLA-DR4 | HLA-DR8 | |
自己抗体 | 抗核抗体 ANA | 抗ミトコンドリア抗体 AMA | |
抗平滑筋抗体 ASMA | |||
検査 | ↑血清IgG | ↑血清IgM | |
胆道系酵素上昇 | |||
合併症 | 各種自己免疫疾患 | Sjogren症候群 | |
関節リウマチ | |||
慢性甲状腺炎 | |||
強皮症 | |||
治療 | ステロイド | ウルソデオキシコール酸 | |
肝移植 | |||
禁忌 | ステロイド |
AIH | 自己抗体 | HCV感染 | |||
抗核抗体 | 抗平滑筋抗体 | 抗LKM-1抗体 | 抗SLA抗体 | ||
ANA | ASMA | ||||
I型 | + | + | - | - | - |
IIa型 | - | - | + | - | - |
IIb型 | - | - | + | - | + |
III型 | - | - | - | + | - |
IV型 | - | + | - | - | - |
1. 血中自己抗体(特に抗核抗体、抗平滑筋抗体など)が陽性。 |
2. 血清γグロブリン値またはIgGの上昇 (2g/dl以上)。 |
3. 持続性または反復性の血清トランスアミナーゼ値の異常。 |
4. 肝炎ウィルスマーカーは原則として陰性。 |
5. 組織学的には肝細胞壊死所見およびpiecemeal necrosisに伴う慢性肝炎あるいは肝硬変であり、しばしば著明な形質細胞浸潤を認める。時に急性肝炎像を呈する。 |
註 * 本邦ではHLA-DR4陽性症例が多い ** 本邦ではC型肝炎ウィルス血症を伴う自己免疫性肝炎がある。 *** C型肝炎ウィルス感染が明らかな症例では、インターフェロン治療が奏功する例もある。 |
Table 16-7. Main Features of Primary Biliary Cirrhosis and Primary Sclerosing Cholangitis | ||
Parameter | primary biliary cirrhosis | primary sclerosing cholangitis |
Age | Median age 50 years (30-70) | Median age 30 years |
Gender | 90% female | 70% male |
Clinical course | Progressive | Unpredictable but progressive |
Associated conditions | Sjogren syndrome (70%) | inflammatory bowel disease (70%) |
scleroderma (5%) | pancreatitis (?25%) | |
thyroid disease (20%) | idiopathic fibrosing disease (retroperitoneal fibrosis) | |
Serology | 95% AMA positive | 0% to 5% AMA positive (low titer) |
20% ANA positive | 6% ANA positive | |
60% ANCA positive | 82% ANCA positive | |
Radiology | normal | strictures and beading of large bile ducts; pruning of smaller ducts |
duct lesion | florid duct lesion; loss of small ducts | concentric periductal fibrosis; loss of small ducts |
-primary sclerosing cholangitis
染色型 | 主な関連検査 | 主な関連疾患 |
Homogeneous型 (均質型) | 抗DNA抗体 | 全身性エリテマトーデス |
抗ss-DNA IgG抗体 | ||
抗ss-DNA IgM抗体 | ||
抗ds-DNA IgG抗体 | ||
抗ds-DNA IgM抗体 | ||
抗ヒストン抗体 | 全身性エリテマトーデス、薬剤性ループス | |
抗核抗体 | 全身性エリテマトーデス | |
Peripheral型 (辺縁型) | 抗DNA抗体 | 全身性エリテマトーデス |
抗ds-DNA IgG抗体 | ||
抗ds-DNA IgM抗体 | ||
Speckled型 (斑紋型) | 抗RNP抗体 | 混合性結合組織病、強皮症、全身性エリテマトーデス |
抗Sm抗体 | 全身性エリテマトーデス | |
抗SS-A/Ro抗体 | シェーグレン症候群、全身性エリテマトーデス、関節リウマチ | |
抗SS-B/La抗体 | シェーグレン症候群 | |
抗Ki抗体 | 全身性エリテマトーデス | |
抗Ku抗体 | 筋炎・強皮症重複症候群 | |
抗Scl-70抗体 | 強皮症 | |
Nucleolar型 (核小体型) | 抗U3RNP抗体 | 強皮症 |
抗7-2RNP抗体 | ||
抗RNAポリメラーゼIII抗体 | ||
抗PM-Scl抗体 | 筋炎・強皮症重複症候群 | |
抗リボゾームP抗体 | 全身性エリテマトーデス(CNSループス) | |
Discrete-Speckled型 (セントロメア型) | 抗セントロメア抗体 | 強皮症 (CREST症候群) 、原発性胆汁性肝硬変 |
Cytoplasmic型 (細胞質型) | 抗ミトコンドリア抗体 | 原発性胆汁性肝硬変 |
抗ミトコンドリアM2抗体 | ||
抗Jo-1抗体 | 多発性筋炎・皮膚筋炎 | |
抗SS-A/Ro抗体 | シェーグレン症候群、全身性エリテマトーデス、関節リウマチ | |
抗リボゾームP抗体 | 全身性エリテマトーデス (CNSループス) | |
抗平滑筋抗体 | 自己免疫性肝炎 | |
PCNA型 | 抗PCNA抗体 | 全身性エリテマトーデス |
PCNA様型 | 抗Na抗体 | 全身性エリテマトーデスなど |
核膜型 | 抗核膜ラミン抗体 | 原発性胆汁性肝硬変、自己免疫性肝炎など |
抗gp210抗体 | ||
Granular型 | 抗p80 coilin抗体 | 原発性胆汁性肝硬変、シェーグレン症候群など |
抗Sp-100抗体 | ||
紡錘体型 NuMa-1 | 抗NuMa-1抗体 | シェーグレン症候群など |
紡錘体型 NuMa-2 | 抗NuMa-2抗体 | 全身性エリテマトーデスなど |
中心体型 | 抗中心体抗体 | レイノー病、強皮症など |
ゴルジ体型 | 抗golgin-97抗体 | シェーグレン症候群、全身性エリテマトーデス、関節リウマチなど |
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