(医師の認定による人工妊娠中絶)
(届出)
(通知)
(秘密の保持)
(禁止)
出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2020/12/11 10:35:41」(JST)
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。Wikipedia:法律に関する免責事項もお読みください。 |
母体保護法 | |
---|---|
日本の法令 | |
法令番号 | 昭和23年法律第156号 |
種類 | 医事法 |
効力 | 現行法 |
主な内容 | 不妊手術や人工妊娠中絶に関する事項を定める |
条文リンク | e-Gov法令検索 |
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母体保護法(ぼたいほごほう、法令番号は昭和23年法律第156号)は、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する堕胎罪の例外事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする法律である(同法1条)。1948年(昭和23年)7月13日に公布された。
この法律によって、刑法の堕胎罪の規定は存置されているが、堕胎を罪に問わない例外が基本となり、堕胎罪は空文化になった。1996年に改定される以前は「優生保護法」であり旧優生保護法と呼ばれ、当時の不妊手術が親族など保護者の認可で許可されていたために、親族が希望・許諾したことで不妊手術を受けた人々[注釈 1]と訴訟となっている[1][2]。また強制不妊手術問題のために「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」が立法された。
本法によって母体保護法指定医師が指定される。また、本法では医薬品医療機器等法の規定に関わらず「ペッサリー等避妊具を販売できる」という特権を有する受胎調節実地指導員についても規定が置かれている。
1907年にアメリカ合衆国のインディアナ州で世界初の優生思想に基づく中絶・堕胎法が制定された。それ以降、1923年までに全米32州で制定された。カリフォルニア州などでは梅毒患者、性犯罪者なども対象となったこともあった[3]。優生学は20世紀には世界的に国民の保護や子孫のためとして大きな支持を集めていた。日本では戦後の当初は1948年(昭和23年)に優生保護法という名称で施行された。この法律は、戦前の1940年(昭和15年)の国民優生法と同様優生学的な色彩がある法律である。明治刑法第2編第29章で「墮胎の罪」を定めて中絶した者や中絶を介助した者には刑事罰を与えていた一方、国民優生法は、「国民素質ノ向上ヲ期スルコト」を目的とすることを謳って親の望まぬ不良な子孫の出生と流産の危険性のある母胎の道連れの抑制、多産による母体死亡阻止を目的とし、日本では中絶という行為が宗教的タブーであるとは見なされていなかったため、出産という女性への選択肢の位置づけがなされていた[4]。状況によっては家族や後見人が中央優生審査会、地方優生審査会に手術申請を行うことや、中絶や放射線照射の処置を可能としていた法律である[5]。なお当時存在した日本優生学会(1925年創立、阿部文夫、岡本利吉、他)では同法に併せて不妊手術の状況を報告し、また人口増加問題も論じている[6][7][8]。
しかし、戦後の優生保護法においては、戦後の治安組織の喪失・混乱や復員による過剰人口問題、強姦を含む望まぬ妊娠問題、堕胎は女性の権利との意識(プロチョイス)を背景にし、革新系の女性議員にとっては、妊娠中絶の完全な合法化させるための手段である側面があった。1946年(昭和21年)4月10日に行われた戦後初の選挙である第22回衆議院議員総選挙で日本初の女性国会議員として当選した革新系女性議員らは、第1回国会において国民優生法案を提出した。日本社会党の福田昌子、加藤シヅエといった革新系の政治家は母胎保護・女性の妊娠拒否権の観点から多産による女性への負担や母胎の死の危険もある流産の恐れがある胎児とされた時点、女性が出産を拒否できる堕胎の選択肢の合法化を求めた。彼女らは死ぬ危険のある、出産という行為は女性の負担だとして人工中絶の必要性と合法化を主張していた。加藤などは貧困の中で子供が多くの子供を育てている外国の貧民街の多産と貧困問題を目の当たりにして、帰国直後の1922年には社会運動に理解のあった夫と日本で産児調節運動を開始していた。石本静枝として産児制限運動を推進するなど母胎保護には望まぬ出産への中絶の権利や母胎への危険のある出産を阻止する方法が女性に必要だと訴えていた[9][10][11]。
性的暴行など性的加害者になった際に、再犯を繰り返す者でも心神喪失や責任能力欠如を理由に、罪に問われないことへの被害者側や世論からの批判、親族の目の離れたところで、妊娠や加害を繰り返すことへの、親族の負担・既に面倒を見ている親族による産まれた子供まで更に面倒を見られない負担増加拒否などを理由とした親族らが、障害者への人工妊娠中絶や不妊手術を可能にすることを希望した[1]。
親族の要望の後押しを受けたため、1948年に国会でも与野党全会一致で可決した。齋藤有紀子によると障害者の面倒を見ている親族が手術を希望したり、容認した場合にのみ手術が行われた。そのため、親族が希望しなかった場合は、手術は行われなかったことで、全障害者には手術は行われていない背景となっている。齋藤有紀子は、障害者に不妊手術を希望したり、許諾した親族らの考えは世界的に珍しくなく、中絶の合法化されている国家で障害を持つ子供を妊娠した時点で、中絶を選択する率がどこの国家も高いことから、障害者の要望とその面倒を見ている親族の要望では、親族の要望が優先されていると指摘している[1]。
1954年12月、厚生省が「不妊手術の件数が計画を下回っている」として、年度末に向けて計画通り手術を進めるよう求める通知を、都道府県宛に出していた。1957年4月にも「目標に達していない」として、手術の促進を求める通知を出していた。1955年には1362件で最多となった。1996年の法改正までに、少なくとも親族が希望した1万6,500人が手術を受けた[12]。
1949年(昭和24年)の法改正により、経済的な理由による中絶の道が開かれ、1952年(昭和27年)には中絶について地区優生保護審査会の認定を不要とした。
その後、高度成長により、経済団体の日本経営者団体連盟(日経連)などからは将来の優れた労働力の確保という観点から中絶の抑制が主張されるようになった。また、宗教団体からは、生長の家とカトリック教会が優生保護法改廃期成同盟を組織して中絶反対を訴えた。一方、羊水診断の発展により、障害を持つ胎児が早期に発見されるようになり、日本医師会は生長の家などの主張には反対しつつ、障害を持つ胎児の中絶を合法化するように提言した。こうした、思惑は違えど様々な改正案の動きがあった。これに対して、全国青い芝の会などの障害者団体は優生学的理由を前面に出した中絶の正当化に対して、中ピ連やリブ新宿センターなどの女性団体からはそれに加え、経済的な理由に基づく中絶の禁止に対する反発が広がるようになった。
1962年に社会民主党の前身である日本社会党当時の宮城県議が宮城県に不妊手術の強化を要求した。そのため、後身の社会民主党は関係者に謝罪する声明を発表している[13]。
1970年代から1980年代にかけて、両者の間で激しい議論がなされた。1972年5月26日、政府(第3次佐藤改造内閣)提案で優生保護法の一部改正案が提出された。改正案は経済団体や宗教団体などの意向を反映したもので、以下の3つの内容であった。
障害者団体からは主に2が、女性団体からは主に1と3が反対の理由となった。法案は一度廃案になったが、1973年に再提出され、継続審議となった。1974年、政府は障害者の反発に譲歩し、2の条項を削除した修正案を提出し、衆議院を通過させたが、参議院では審議未了で廃案となった。
胎児条項に反対する障害者と、経済条項削除に反対する女性が対立する構図ができたが、双方を持つ障害を持つ女性が双方の立場を理解して発言し始めたことにより、女性たちは優生保護法がはらむ問題に気づいた。80年代になると、堕胎罪と優生保護法の廃止に加え、「産む/産まないは女が決める」が「胎児の選別中絶は女性の権利には含まれない」と主張するようになった[14]。
宗教団体などによる、経済的理由による中絶禁止運動はその後も続いた。プロライフを支持するカトリック教徒のマザー・テレサは1981年、1982年と二度の来日で、中絶反対を訴えている。一方で日本母性保護医協会、日本家族計画連盟などが中絶を禁止するべきでは無いと主張し、地方議会でも優生保護法改正反対の請願が相次いで採択された。その結果、1981年(鈴木善幸内閣)から再度の改正案提出が検討されたが、1983年5月(第1次中曽根内閣)には、自民党政務調査会優生保護法等小委員会で時期尚早との結論を出し、国会提出は断念された。
1996年(平成8年)の法改正により、法律名が現在のものに変更されるとともに、人権上の問題のある規定で、優生学的思想に基づいて制定されていた、障害者の強制断種に係る条文が削除され、「優生手術」の文言も「不妊手術」に改められた。
なお、優生保護法、母体保護法ともに、議員立法によって制定・改正が行われてきている。ただし、行政実務上の主務官庁は厚生労働省(子ども家庭局母子保健課)となっている。
2018年(平成30年)2月22日、日本社会党の後継政党である社会民主党党首吉田忠智は、日本社会党の宮城県議会議員が、優生手術を推進したことについて謝罪した[15]。
2019年(平成31年)4月24日、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」が参議院にて全会一致で成立・施行された。被害者に対する「おわび」及び一時金の支給を定めた(法が施行されてから五年以内に審査を経る)[16]。内閣総理大臣安倍晋三が「日本国政府としても、旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くお詫び申し上げます」と内閣総理大臣談話を発表した[17]。
2019年4月25日時点で、各都道府県に、一時金支給に関する受付・相談窓口が設置されている[18]。
2019年(令和元年)5月、仙台地方裁判所において「旧優生保護法は違憲である」との判決が出ているが、国家賠償については認めていない[2]。
2019年6月19日、原告の一人がSTVに対し、記者の働きかけで弁護団から説明や援助を受ける機会を与えず、意に反して救済法に基づく一時金の申請をさせられ、名誉を傷つけられたとして、BPOに審理を申し立てている[19]。
2020年(令和2年)6月、衆参両院の厚生労働委員会が旧優生保護法の立法経緯や、被害状況の調査を開始する方針を固めた[20]。
旧法(優生保護法)時代には表記の不一致があった。
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