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人工妊娠中絶(じんこうにんしんちゅうぜつ、英: induced abortion)とは、人工的な手段(手術または薬品)を用いて意図的に妊娠を中絶させ、胎児を殺すことを指す、妊娠中絶の一分類を言う。刑法では堕胎と言う。俗語では「堕ろす(おろす)」とも。堕胎とは平安時代から用いられた漢語で、人工妊娠中絶は国内で合法的に「堕胎」が可能になった1940年の国民優生法からである。戦後、より中絶可能な範囲を拡大した1948年優生保護法に発展した。本稿では、人工妊娠中絶を簡単に中絶と表記する。
日本国において中絶は、刑法の規定上の犯罪行為である。自分や他人の中絶を行った者は、刑法の第二十九章(堕胎の罪)にある、いずれかの条の罪を犯した者として訴追され、懲役刑に処せられる可能性がある。一方、母体保護法(1996年以前の法律名は優生保護法)は、「母体の健康を著しく害するおそれのある」場合等に、特別な医師(指定医師)が本人等の同意を得た上で「中絶を行うことができる」と定めており、この規定に則った中絶は後法上位・特別法優先の原則から罰されることは無い。
後述するように、20世紀中盤以降の日本国においては、母体保護法が幅広く適用され、多数の中絶が公に行われてきた。また、法的にグレーな中絶も、公然の秘密として無数に行われているとされる。
厚生労働省の統計によれば、2008年に日本で行われた人工妊娠中絶は242,292件で、15~49歳女子人口に対する比率は0.88%、出生100に対する中絶数の比率は22.2件(全妊娠のおよそ5人に1人弱)である[1]。過去に遡ると、1955年に約117万件(全妊娠のおよそ2.5人に1人)、1965年に約84万件(全妊娠のおよそ3人に1人)、1980年に約60万件(全妊娠のおよそ3.5人に1人)、1990年に約46万件(全妊娠のおよそ3.5人に1人)、2000年に約34万件(全妊娠のおよそ4.5人に1人)となっている[2]。一般に中絶というと未婚若年者のイメージが強いが、妊娠者が中絶を実施する割合は10歳代と並んで40歳代が7割近くと極めて高い[3]。1975年頃には、10歳代の妊娠でも出産の割合が過半数なのに対し、40歳代では9割近くが中絶と、さらにその傾向が強かった[4]。ただし絶対数では、妊娠者自体の多さから20~30歳代が大半を占める。また、日本では他国に比べて中絶者に占める既婚者の割合が高い特徴があり[5]、主流な避妊方法の違いとも相まって産児調節の一端を担ってきたことが窺える。
日本における堕胎の起源は明らかでない。 近代医学の堕胎方法が確立する以前は、妊婦の腹を力任せに圧迫する(蹴る・踏み付ける等)、冷水や寒冷地方で冬の屋外の吹きさらしに長時間身を置いて早期陣痛を誘発する、劇薬・薄めた毒物や下剤・月経薬の多量服用で流産を誘発する、細い小枝や串を子宮内に挿入して妊娠組織を何回も刺す・掻き出す、などの様々な方法が行われ、母体の生命や健康に危険を伴うこともしばしばあった。 江戸時代は、正保年間までは、軒頭に公然、看板を掲出し、堕胎を本業とする者があった。正保3年、初めて「子をおろす術を禁ず」という布令が出され、寛文7年、看板の掲出が禁止された。 そのため堕胎を暗示する看板を掲出し、ひそかに業を営んだ。 本所回向院境内の水子塚の石碑は約1万の堕胎児を埋葬したものであるという。 堕胎業者の多くは中条流を称し、女医がこれを専門とした。 このほかにいわゆる間引きという堕胎を産婆が行った。 また、鍼灸においては、三陰交と合谷が堕胎の経穴とされている。
その後何度か堕胎禁止が進められたが、悪習がやむことはなく、中には看板を掲げて商売にする者すら出てきたため[1]、明治政府は1868年に堕胎薬の販売と堕胎施術を禁止する法令を発令[2]。しかしその後も隠れて行なわれており[3]、大正末期には、大阪で医院と製薬会社と旅館が結託し大規模な堕胎手術を行なっていたとして摘発された[4]。
戦後、レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行った二日市保養所がある。当時堕胎は違法行為(堕胎罪)であったが、二日市保養所の医師と看護師は、朝鮮人やソ連兵、中国人等による度重なる強姦を受けた女性に、堕胎手術や性病の治療を行った。優生保護法の施行に伴い、全国の指定医師が中絶手術を行えるようになったため、1947年(昭和22年)秋頃に閉鎖した。
現代の日本では母体保護法第2条第2項により、人工妊娠中絶を行う時期の基準は、「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」と定められており、厚生事務次官通知等([6][7])により、現在は妊娠22週未満[5]となっている(従って、人工妊娠中絶は人工流産とも呼ばれる)。なお、海外各国における法律上の中絶期限は、その地域ごとの文化背景や宗教観、福祉政策や経済的実情などを反映して大きく異なっている。
1980年代にフランスのルセル社で開発されたミフェプリストン(RU-486)という人工流産を引き起こす薬が急速に広まり、2002年にはWHOも推奨する初期(7週以下)中絶のファーストチョイスになっている。欧州では「ミフェジン」、米国では「ミフェプレックス」、中国では「息隠」の販売名で扱われている。ミフェプリストンが開発される以前は吸引術や掻破術が妊娠初期であっても行われていた。しかし日本ではミフェプリストンは未認可であり、頚管拡張後、掻爬術(独:Auskratzung)や産婦人科器具(胎盤鉗子やキュレット、吸引器など)で胎児を取り除く方法(英語で「拡張と掻爬」という意味で D&C(Dilation and Curettage)とも呼ばれる)といった中絶術が、いまだに施行されている。そのため海外よりRU-486を個人輸入する妊婦が後を絶たない。厚生労働省は2004年、自己判断での使用による副作用防止のため、RU-486の個人輸入に事実上禁止に近い制限を課したが[6]、徹底されておらず2000円前後で簡単に入手できる。最近では子宮外妊娠(頸管妊娠)の治療として、メソトレキセート(抗癌剤)の注入により妊娠組織を壊死・消失させる方法も行われている。ドイツ、フランス、イタリアなどのように、法定中絶期限または医学上の理由を除く任意の中絶期限を、この初期中絶相当の時期までに制限する国もある。
この時期は胎児がある程度の大きさとなるため、分娩という形に近づけないと摘出できない。そのためラミナリアやメトロイリンテルなどで子宮頚部を拡張させつつ、プロスタグランジン製剤(膣剤、静脈内点滴)により人工的に陣痛を誘発させる方法がある。また、海外では中期中絶にも器具を用いるD&E(Dilation and Evacuation ;「拡張と吸引」)と呼ばれる手法がしばしば行われ、WHOも陣痛誘発法より優先すべきことを推奨している。日本では妊娠12週以降は死産に関する届出によって死産届を妊婦は提出する必要もあり、人工妊娠中絶の約95%が妊娠11週以前に行われている。
妊婦側の申し出による中絶は法的に認められておらず、また医療上の理由で母体救命のため速やかな胎児除去の必要性が生じた場合でも、早産の新生児が母体外でも生存可能な時期以降は帝王切開など胎児の救出も可能な方法を優先すべきである。しかし、それが不可能な状況のとき又は他の方法を施しても胎児の生存の見込みが無いと判断されたとき、胎児の体を切断したり頭蓋骨を粉砕して産道から取り出す等の緊急措置が行われることも想定される。現代では必要性は少ないが、かつて医療水準が低かった時代には、分娩時に手足が引っ掛かった逆子や胎児の頭が大きすぎて骨盤を通過できず母体が体力消耗して生命の危機にさらされたとき、こうした救済措置がとられることがあった。あるいは、国の法律によっては胎児条項で致命的な先天異常児の後期中絶が行われるケースもある。胎児縮小術、回生術、部分出産中絶(partial-birth abortion)、D&X(dilation and extraction ;「拡張と牽出」)といった名称で呼ばれるが、法的な中絶期限を過ぎてからの潜脱手段に利用される例が横行しているとしてアメリカ合衆国で禁止法案が賛否両論の激しい議論を呼んだ。
レイプ被害や避妊具の破損などの不測事態が発生した際、望まない妊娠の成立を回避するため、緊急避妊薬(モーニング・アフター・ピル)やIUD(子宮内避妊具)の事後挿入等による緊急避妊が行われる場合がある。妊娠の成立は着床を以って定義されており、着床成立以前の回避措置は医学上の妊娠中絶には該たらないが、受精卵の成立を以って生命の発生と考える立場の人々からは、中絶の一種と看做されている[7]。
刑法第214条では、医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、6か月以上5年以下の懲役に処せられる(業務上堕胎罪)。
しかし、母体保護法14条1項により経済的事由による人工妊娠中絶の可能が規定されているため、拡大解釈により事実上無条件で中絶手術が行われている実態がある。
以前は、母体保護法の前身である優生保護法第14条によって、
の中絶も認められていた。
だが、これらの中には病気と遺伝との関係に対する誤解や偏見に基づく項目も混じっており、また、「障害者であればこの世に生まれてこないよう抹殺すべきである」といった差別的な考えを助長する虞があるとの障害者団体からの反発が根強かったことから、法改正に伴って削除された。胎児条項の有無は各国の中絶制度によって異なっており、日本でも胎児に重い遺伝性疾患や奇形がある場合を加えるべきかどうかは議論が分かれる。
但しこの条項は、あくまでも「できる」という選択肢を与えたオプション条項であり、障害の可能性のある胎児を強制的に堕胎せよという条項ではない。
一方で、出生前診断の発達により現代では先天的疾患の可能性を胎児の段階からある程度判別できるようになってきており、重篤な障害の可能性が高い場合には養育負担に係る「経済的事由」の名目で中絶が行われるケースもしばしばあって、経済条項は事実上の胎児条項としても機能しているのが実情である。
女性は性交によって妊娠する。上記の通り日本国においては、経済的事由により無条件で中絶が行われているが、この節では実際の理由を記述する。
母子健康管理研究機関アラン・グトマハー研究所による。95%が、近親相姦、強姦、胎児の状況ではなく、親の都合である[8]。他の調査結果も同様である[9]。
1949年の優生保護法の改正で「経済的理由」による中絶が認められるようになってから、日本の中絶が激増した。一説には、日本人はアメリカ軍や映画、テレビで見たアメリカ中産階級の豊かな生活を模倣するために、産むと生活水準が下がると考えた子どもを、経済を理由に中絶したとする指摘がある。[10]
胎児は死亡する。フィンランドとアメリカにおける記録によると、中絶した女性は心身に問題を起こし、中絶後に自殺率が増加するという調査結果がでている[11]。中絶擁護派のプロチョイスが中絶論争を有利に進めるために、女性は中絶の結果について話す事ができなかったと指摘されている[12]。
中絶胎児は移植や難病の治療薬のために利用される[13][14]こともあるが、12週未満の大部分の中絶胎児は医療廃棄物(感染性廃棄物)として廃棄される。
一方、12週以上の死胎は、墓地埋葬法に規定する「死体」として火葬・埋葬すべきことが定められている。
2004年、横浜市の産婦人科が一般廃棄物として中絶胎児を処分していた疑いで捜索されたことを受け、環境省および厚生労働省は法的な処理規定が曖昧だった12週未満の中絶胎児の取扱いについて各自治体へアンケートを実施し、「12週未満であっても生命の尊厳に係るものとして適切に取り扱うことが必要であり、火葬場や他の廃棄物とは区別して焼却場へ収集している自治体の事例を参考とするように」との見解を示した[15]。
人工中絶や嬰児殺については、さまざまなパラメーターが関係しており、それをめぐる倫理的立場もさまざまである。以下それらの中の主だったものを紹介する。
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進化生物学の観点からすれば、人間に限らず、動物における選択的な子殺しや選択的育児は、自身の遺伝子を残す上での最適な戦略の一部としてありえることになる。環境的な要因(特に限られた食糧など)により、生まれた子どもの全てが育つ見込みが薄い場合、貴重なリソースをより「強い子」に集中して投下するのは、遺伝子を残す上で合理的な行動となりうる。ただし人間の場合には、こうした判断を直接遺伝によってではなく、概ね学習によって行ってきたと考えられるため、人間の「本能」にこうした判断が直接刻まれているとは考えづらい。ただし人間も動物であるので、生存レベルぎりぎりで食糧調達・生産が行われてきたこれまでの人類史ほとんどの時期の文化が、上記の動物たちと同じような遺伝子保存戦略を許容する性格を持ってきたことは容易に推測できる。
国民国家時代、すなわち19世紀から20世紀中ごろにかけて流行した優生学の視点に立てば、中絶や嬰児殺害の是非は親の権利ではなく、国家の利益に属することがらである。これにしたがってハンセン病患者の強制中絶や嬰児殺が行われた。
パースン論の視点に立てば、自立した社会的人格を持っていない胎児や新生児、そして重度の知的障害者は、その扱いは社会的人格を持つ共同体のフルメンバーの裁量にゆだねられている。そのため、中絶や嬰児殺、重度の知的障害者の殺処分は、共同体がどれだけ彼女ら/彼らにリソースを裂くか、どこまでで人権を認められる『人間』と認め、どこから人間以外とするかということに帰着する。人権思想は社会的に人間と認められる存在には絶対に一定の尊厳を与えよという思想であって、人間の定義が生物学的ヒトと一致する義務はないので、人権思想とは形式上矛盾しない。
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理想主義者は、女性の選択の権利と児の命とフリーセックスを両立させ、すべての人々が安全で自由で楽しいセックスライフを送れることを目指している。そのために避妊と性教育を徹底することを目指しており、そして現行の自称先進国文明の体制(プロライフ・プロチョイス体制)と、それを利用する通常の男性(人工妊娠中絶肯定、男尊女卑)のすべてを打ち砕くことを主張している。そのために、理想主義者はまずキリスト教暦21世紀におけるローマ教皇庁や福音派などの避妊を否定しながら中絶や嬰児殺害を否定し、女性だけを責め立てる自称宗教勢力、自称保守のプロライフを撃滅し、避妊と女性のセックスの自己決定権を重視した性教育を徹底し、避妊具を安価でかつ確実に気軽に手に入れることのできる社会を実現し、また性の解放を進め、そして自称リベラルの主流フェミニズムを撃滅した上で、進化生物学的な男女の傾向的な差をしっかり踏まえた上で、それを規範とさせない(ジェンダーロールの撃滅)、一人ひとりがジェンダーに関係なく自身の人生を送れる社会を作ること(真のジェンダーフリー)を目指す。そのために、プロライフやプロチョイスを社会から一掃し、またプロライフやプロチョイスの嘘八百を暴き、進化生物学的に適応的で、実際の歴史でも主流だった男尊女卑、人工妊娠中絶肯定の真の保守をも打倒することを目指している。理想主義の立場からすれば、プロライフは胎児の命を盾に男が責任逃れをして偉そうに偽善者ぶる男性支配社会体制のイデオロギー(平和主義と同様)であり、プロチョイスは女性の選択の権利を盾に、胎児殺しや嬰児殺害の暴力性に目をつぶり、結局はやはり男性支配社会の別種の言い訳に過ぎない(当初のプロライフとプロチョイスがそれなりに真摯な思いを有していたとしても)からであり、両者とも極右である男尊女卑、中絶(嬰児殺)肯定の男性と同じ穴の狢だからである。理想主義者は、中絶と嬰児殺害について、それが望む妊娠であり、しかし医学的理由からどうしても殺さざるを得なかった場合を除いたすべての場合において、および望まない妊娠の結果の出産、育児について、女性に望まない妊娠をさせた(リプロダクティブ・レイプをした)男性のみに刑罰を課すことを主張する。理想主義者はプロライフもプロチョイスも真の保守も許容していない。
しかし同時にこの立場については、フェミニズムの立場からは、プロライフやプロチョイス同様、男性の女性支配のための狡猾な道具になるのではという批判がありえる。プロライフやプロチョイスは、児の命や女性の権利という一見誰も逆らえなさそうな錦の御旗を盾に、実際には男性支配社会の利益を推進する道具に成り下がったが、理想主義もそうなるのではないかという指摘である。
キリスト教会は、初代教会から一貫して中絶を殺人とみなし非難している[16][17]。ディダケーは、「中絶、殺害によって、子を殺してはならない」と述べる。バルナバの手紙も「堕胎によって子供を殺してはいけない、また生れた子供を殺してはいけない」[18]と述べ、中絶が殺人であると表明している[16]。アレクサンドリアのクレメンスは、胎内の子どもを人間とみなした[16]。テルトゥリアヌスは、ルカによる福音書1:41、46節、エレミヤ書1:5から、胎児が人間であることを証明し、未形成の胎児でも生きた存在として認めるべきだとした[16]。シリアの神学者エフライムは中絶の罪を犯した者に死刑を宣告した。314年のアンカラ会議は、形成された胎児と未形成の胎児と区別をしないと決定した。カイサリアのバシレイオスは、中絶した女は殺人の罪に問われなければならないとし、また胎児の発達段階に勝手に区別を設けて、妊娠初期などの段階に応じて中絶を認めるという中絶観は、キリストの愛と矛盾するとし、形成胎児と未形成の胎児を区別する議論を退けた[16]。
ただし、歴史的にはキリスト教圏でも、他の世界同様に世人たちの間で間引きや中絶は行われており、とりわけ生活苦や飢饉の場合は多かった。また教会法が中絶に厳しくなったのは近世から近代にかけてであり、世俗法の下ではより中絶や間引きに寛容であった。動機としては不道徳な性交を隠すため、自分の財産を贈与・相続させないため、生活のため、性的魅力の維持のため、母体の健康の保護のためなどであったとされる[16]。これら中絶を行った者に対するキリスト教会の対応として、カトリック教会では破門になり[19]、プロテスタントでは戒規の対象となる。
教派を超えた協力の動きとしては2009年11月、正教会、カトリック教会、福音派の指導者がアメリカ合衆国でマンハッタン宣言を発表し、人間の生命の神聖、結婚の尊厳、良心と信仰の自由を守り、信者に対してこれを圧迫する勢力を斥けることを求めている[20]。
1869年のピウス9世の勅書 Apostolicae Sedis は中絶を例外なく殺人と見なしている。これは胎児が受胎後直ちに〈人間になる〉存在であるとの見解を示したものであり、ローマ・カトリック教会は公式に他の主張を退けている。20世紀にはこの見解が公教会の教える所のものとなり、医療現場における中絶従事者の破門処分が教会法に明記されている。さらに21世紀に連なる教会の立場を示したのは1965年の第2バチカン公会議であり、ここでは生命をその胚胎から尊重する意味で中絶は罪であるとされ (Gaudium et Spes)、中絶を禁ずる根拠が姦淫の罪の隠蔽だけではなく生命の尊重へと深化した。また1968年にはパウロ6世が回勅『フマーネ・ヴィテ』(Humane Vitae) で同様に生命の尊重と人工的な産児制限への反対を表明した。これら以降の中絶の議論においては、胎児が中絶の時点で〈人間であるか否か〉という主張は退けられ、1970年代から21世紀まで続く生存権を背景にする反中絶の立場、すなわち胎児は受胎の瞬間から〈生命〉であるためその生存する権利を侵すことはできないとする立場を教会はとっており、これを受けて今日では多くのプロライフ団体が中絶の廃止に向けて活動している[21]。そして、カトリック系の大学である上智大学において、1991年4月にプロライフの立場から国際生命尊重会議が実施され1991年4月27日に胎児の人権宣言が宣言された[22]。
生殖と無関係な性交は常に断罪されてきた。ただし、妊娠初期の中絶についてはカトリック教会内ではかつて議論が存在した[21]。それは5世紀のアウグスティヌス、中世の神学者トマス・アクィナス、ヴィエンヌ公会議にあった議論である[21]。しかし、今日のローマ・カトリック教会においてこれらの主張は退けられている。1588年にローマの風紀の悪化を重く見たシクストゥス5世により中絶や避妊を殺人の罪に相当する「破門」に処すとの勅書 (Effraenatam) が発せられるが、3年後の1591年にグレゴリウス14世によって緩和された。この時に「殺人および魂を宿した胎児が関わっていない件については、教会法および市民法よりも厳しい罰は課さない」旨の勅書 (Sedes Apostolica) が発せられ、これは1869年まで効力をもった。17世紀においても胎児が受胎から期間を経て〈人間になる〉との見解を支持する立場があったが、教会は姦淫の罪を隠蔽するものとしての中絶には厳しい態度で臨み、インノケンティウス11世はたとえ妊娠した少女がこれを咎めた両親による殺害に直面したとしても中絶は容認されないとしている[21]。
プロテスタントはジャン・カルヴァンやマルティン・ルター以来、初代教会と同様に人工妊娠中絶を殺人の罪と見なしてきた。
1960年代の後半以降には中絶を容認するプロチョイス(選択派)の立場もあり、その見解を反映して様々な運動団体が組織されている [23] [24]。自由主義神学やフェミニスト神学はプロチョイスの立場をとるとされる[25]。
一方、保守的なプロテスタントは中絶に強く反対しており、その立場はプロライフ(生命尊重)と呼ばれ、日本にはプロライフ団体の小さないのちを守る会などがある[26]。また、20世紀後半のアメリカ合衆国における人工妊娠中絶の合法化を巡る議論では福音主義者・根本主義者などを中心にした保守的キリスト教の立場が、この論点を主要な課題として掲げ、プロライフ(生命尊重)を主張している [27]。
ユダヤ教は民族が経験した苦難の歴史から子供, および子孫繁栄に大きな価値をおく宗教となっているものの、胎児は完全な人間であるとはみなさないので妊娠初期の中絶には一定の理解を示す、しかしそれ以降は反対との立場をとる。[8]中絶を女性の選択肢として認める立場は主に、アメリカなどの改革派のユダヤ教徒の立場である。
イスラム教は他の宗教と同様に生殖を神聖視してはいるものの、過剰に増えることは神の意思ではないと理解されており、大半のイスラム教学者は中絶自体は一律に禁じられるものではないとの見解を示していると、無宗教で中絶容認派のTomEnrichがUSATodayで主張しているが、BBCなどの記述[9]では、イスラム教では中絶は母体を救うという目的以外はハラーム(禁止)であると記述されている。また一部の宗派においては胎児が受精120日以内では入魂していないので道義的には悪であることには変わりないが、宗教法で罰せられるハラーム(禁止)ではないとの立場を取ると記述されている。 [23] 。
中絶は仏教徒において最も重要な戒律である不殺生戒に触れるため、主要な世界の伝統仏教の宗派は殆どすべて中絶に反対している。[10]これの根拠は仏教宗派殆どすべての系列で受け入れられている上座部の経典において、中絶に僧が関与した7つの案件に関して、全て例外なく、釈迦がサンガから追放するべしとの結論をだしたとの記述が存在するからである。[11]さらに詳しく述べれば、生命の始まりは性行為、女性の生理、輪廻の魂の入魂が合致した時に成立するとされる。この文面から、受精し胚になった段階で生命とみなし、それを破壊することは殺生であるとの考え方が一般的である。[12]
南伝の経典を受け入れない、あるいは末法には戒律や仏法そのものが必ずしも適応されないと考える浄土宗、特に、僧そのものが戒律を実行しなくなった日本の仏教においては中絶について寛容である。[13][23]ただし、これは単に仏教倫理を放棄しているいい加減な立場であるとの批判は大きく、実際に中絶は認められると公言する宗派は日本でも殆ど見られない。あくまでも、在家の信者が行う中絶を黙認し、中絶された子供の供養を勧めているに過ぎない。
ただし、近代的倫理視点から、母体を救うための中絶、特に胎児に異常があり、出産後の生存が望めない場合などは例外的に中絶が認められるとする意見も存在する。
ヒンズー教は元来中絶を認められざる行為としていたが、その道徳律は様々な変化を経験しており、中絶に関しては容認される場合が多い。1971年にインドが人工妊娠中絶を合法化した際には、ヒンズー教の立場からの強い異議は聞かれなかったと、無宗教で中絶容認派のTom EhrichがUSATodayの記事に書いているが[23]、これは中絶容認派が殆ど何も調べずに勝手に書いたでっち上げである。ヒンズー教の主要経典では、中絶に関する直接の記述が存在する。中絶は、親や僧を殺すに当たる大罪であるや、中絶を行った女性はカーストを喪失するなど、中絶がヒンズー教の不殺生の重大な違反であるという立場を明確にしている。[14]
聖典アヴェスターの『ウィーデーウ・ダート』第十五章9-15では堕胎を行うこと、また家族が堕胎を行わせることを禁じている。妊娠した女性が相手の男性に妊娠を告げ、その後男性側が、老婆(流産をもたらす薬効に通じた人物)に堕胎させてもらえ、と女性に言い、女性が「老婆」に依頼し、堕胎が完了したとする。この場合、女性、男性、施術を行った人物は三人とも等しく罪をおかしたことになるとされる。たとえ妊娠させた相手が未婚だとしても男性側は子供が生まれるまで世話しなければならない[28]。
節制を伴う性交や性的な快楽を尊重する道教や儒教では、避妊に関して寛容な立場をとり、必要とされる場合は中絶についても容認されると考えられている [23]。
日本においては、間引きは「七歳までは神のうち」 [29] [出典無効] という考え方と結び[疑問点 – ノート]ついていた。
七五三の風習に見られるように、近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、数えで七歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない「あの世とこの世の境いに位置する存在」とされ、「いつでも神様の元へ帰りうる」魂と考えられた。[要出典]そのため、一定の成長が確認できるまでは人別帳にも記載せずに留め置かれ、七歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられた。また、胎児・乳幼児期に早世した子供は、境い目に出て来ていた命がまた神様の元に帰っただけで、ある程度の年数を生きた人間とは異なり現世へのしがらみが少なく速やかに再び次の姿に生まれ変わると考えられていて、転生の妨げにならぬよう、墓を建てたりする通常の人間の死亡時より扱いが簡素な独特の水子供養がなされたりした。
そうした生命観から、乳幼児の間引きとともに胎児の堕胎も、「いったん預かったが、うちでは育てられないので神様にお返しする」という感覚があった[30]。特に、飢饉時の農村部の間引きや堕胎は、多数の子供を抱えて一家が共倒れで飢えるのを回避するために、養う子供の数を絞るのはある程度やむを得ない選択という面もあった。
伝道者によると、キリシタン時代の宣教師たちは、間引きが殺人であるとして、強く非難した[31][32]。
フェミニズムでは中絶は女性の権利として主張される [33]。フェミニズムによって「女性の性欲の解放」と人工妊娠中絶の権利が主張され、結婚にとらわれない性行為が広まった[34]。
今後出生前診断が一般化した場合、先天的な異常を持つ児を中絶することが「生命の選択」にあたるのではないかという論議がある(障害者#日本参照)。また、不妊治療の副作用として増加している多胎妊娠において、一部の胎児のみを人工的に中絶する「減数手術」をどう考えるかも論議の対象になっている。
日本では、母体保護法の制度下に合法的に人工妊娠中絶が行われている。ただしミフェプリストン(RU486)による人工妊娠中絶は未認可であり実施できない。そのため母体に負担の大きな掻破術が未だにファーストチョイスとなっている。日本では経口避妊薬の認可もアメリカに比べ40年間も遅れた事例があり、避妊や中絶に関する議論や社会的要求も活発ではない[35][36]。化学学術誌Natureは、1996年に日本での中絶件数を年間41万件と報告されているが実際はその3倍程度の件数と推測される報告した[35]。
韓国では、儒教的観点(女児ならば中絶する。などの性別判別)から禁止されている。2005年度では34万件の人工妊娠中絶があり、これは韓国の新生児の78%にあたる。そのため、2009年10月に韓国の産婦人科医が違法手術を告発する会を結成し、韓国政府は中絶を通報するコールセンターを設置した。また大統領府の主宰する会議は出生率低下に対する対応策の一つとして堕胎を取り締まると発表した。 女性団体らはこれに反対している[37]。
中華人民共和国においてかつては儒教的価値観から人工妊娠中絶は事実上禁止されていたが、一人っ子政策の施行後は公的に認められている。これに伴い、跡継ぎの男児を希望する農村部を中心に、妊娠中の性別検査で女児と判明した胎児を中絶する事例が多発し、人口構成が偏る社会問題が起きている。
一方、地下教会である家の教会のクリスチャン達は現行の中絶に抵抗している [38]。
キリスト教暦21世紀初頭のモロッコでは、人工妊娠中絶はタブー視され違法行為でもあり、中絶した女性には2年以下の実刑を科している。しかし、一方で社会的には中絶や嬰児殺が必要とされている。強姦被害にあった女性は被害者として扱われず非難を受けて、両親にも相談することが出来ないのが現状である。また不倫や婚前セックスの結果の私生児を殺処分する必要もある。そういった社会情勢もあって毎年およそ80000件の違法中絶が行われている[39]。
共産主義時代の1966年にチャウシェスク政権が人口増加を狙って人工妊娠中絶を禁止したところ、育児放棄されストリートチルドレンとなる子供が急増した。
カトリック教徒が大多数を占めるアイルランドでは、母体を救う必要がある場合を除き、中絶は「中絶禁止法」という法律により禁止されている。
2012年10月21日、ヒンドゥー教の信者のインド人女性が痛みを訴え入院、中絶手術を受けたいと求めたが、医師たちは「胎児にまだ心拍がある」「ここはカトリック国家だ」として拒んだ。数日後、胎児の心拍停止が認められ、堕胎手術が行われたが、女性は10月28日、敗血症により死亡した。これはアイルランドで問題となり、数千人のデモが発生、中絶をめぐる法整備の議論に発展している[40][41]。
「ロー対ウェイド事件」も参照
ピューリタンの多いアメリカでは、堕胎はタブーであり、1900年まではケンタッキー州を除くすべての州で堕胎禁止法が施行されていた(実際には非合法な中絶や自身による自然堕胎は多数行なわれ、女性の健康被害が拡大した)[42]。 1973年、連邦最高裁のRoe v. Wade判決で中絶が合法化され、アメリカ人女性の3人に1人は生涯で1度は人工妊娠中絶を経験するとされるが、一方でキリスト教系宗教右派の活動家による根強い抵抗があり、妊娠中絶を行う医師を射殺したり[43]、病院に異臭物を投げ込んだり放火したり爆破するテロなども多発し[43]、殆どの病院で爆発物専門スタッフが雇用され郵便物の開封は慎重に行うことなどを強いられている[43]。医師の住所や電話番号、自動車ナンバーを記載した誹謗中傷ビラが配布されたり[43]、医師の家族や子供にまで脅迫され[43]、結果的に病院閉鎖に至るケースもある。そのため中絶を実施している施設数は減少傾向にあり、中絶を望む女性が中絶可能な環境にアクセスし難くなっている。
2013年3月26日、ノースダコタ州では、ジャック・ダルリンプル(英語版)知事が、中絶禁止法に署名、成立した。この新しい法律は、強姦や近親相姦による妊娠や、母体の健康に危険がある場合、胎児異常により結果的に胎児を失う恐れがある場合でも中絶を認めないとしており、アメリカで最も厳しい内容とされる[44]。
ブラジルでは現在、妊娠8週以内のレイプ被害者と命に危険のある母親のみに中絶が認められている[45]。人工妊娠中絶には殺人罪が適用される。2000年から2008年までの間に、中絶の犯罪で130人の女性が起訴された。カトリック教会の影響が強い[46]。
カトリック教徒の多いエルサルバドルでは、人工妊娠中絶は固く禁じられており、違反すると禁錮50年という厳しい罰則がある[47]。2013年5月29日、母子ともに病に冒され(母が全身性エリテマトーデス、子が無脳症)、子を生んでも、子は出産直後に死亡する可能性が高いと診断された女性が裁判所に中絶、および中絶を行った医師の刑事免責などの特別許可を求めていたが、裁判所はこの要請を不許可とし、中絶は認められないとした。この件では、エルサルバドルの閣僚も、中絶を許可するよう裁判所に要請していたが、裁判所は中絶厳禁の姿勢を変えなかった[48]。この女性は2013年6月3日に女児を帝王切開で出産、女児は数時間後に死亡した。母体は健康である[49]。
中絶に至る人の中には、妊娠したものの社会的なバックアップを得られず、子供を育てる自信を失って中絶に至るケースがある。1973年には、宮城県石巻市の菊田昇医師が中絶を希望してきた女性に出産を奨励し、子供のいない夫婦に斡旋していた事件が発覚したが、この赤ちゃん斡旋事件をきっかけに、生誕した赤ん坊を実親との親子関係を消滅させ(従来の普通養子縁組では縁組後も実親との親子関係が並行して継続)養親の戸籍に入れて実子同様に扱う特別養子縁組制度が設けられた。
中絶や新生児殺害をなくす他の動きには赤ちゃんポストの設置が挙げられる。2006年12月15日、カトリック系の医療法人「聖粒会」が経営する熊本県熊本市の慈恵病院が様々な事情のために育てることのできない新生児を引き取る為の設備「こうのとりのゆりかご」を計画した。こちらは2007年4月8日に熊本市から設置の許可を受け、2007年5月10日から運用を開始している。
中絶件数や虐待被害を減らすために、18歳までの子供を他の親に育てさせる事が出来る里親制度に関する条例を制定をしている自治体、しようとしている自治体がある。
条例化済み
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