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炭疽菌 | |||||||||||||||||||||
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炭疽菌の電子顕微鏡写真
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分類 | |||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||
Bacillus anthracis Cohn 1872 |
炭疽菌(たんそきん、Bacillus anthracis)は、炭疽(症)の病原体となる細菌。病気の原因になることが証明された最初の細菌であり、また弱毒性の菌を用いる弱毒生菌ワクチンが初めて開発された、細菌学上重要な細菌である。第二次世界大戦以降、生物兵器として各国の軍事機関に研究され、2001年にはアメリカ炭疽菌事件で殺人に利用された。
炭疽菌 (Bacillus anthracis) は、バシラス属に分類されるグラム陽性の芽胞形成桿菌である。種小名の anthracis は「炭疽 (anthrax)」を意味する。この語はギリシャ語の「炭 (ἄνθραξ)」に由来し、炭疽の病変部が炭のような黒色に変色することにちなんで付けられた。
大きさは約 1 - 1.2 µm × 5 - 10 µm で、病原性細菌の中では最大の部類である。顕微鏡で観察すると、個々の桿菌は円柱状で、竹の節を直角に切り落としたように見え、これが直線上に配列した連鎖桿菌として観察される。その周囲を莢膜(きょうまく)と呼ばれる構造が取り囲んでいる。炭疽菌の莢膜は、他の細菌が持つものと比較すると境界が鮮明である。鞭毛や線毛は持たない。
炭疽菌は芽胞形成菌で、生育環境が悪化すると菌体の中央付近に卵円形の芽胞を形成する。芽胞は熱や化学物質などに対して非常に高い耐久性を持つ構造体であり、このため炭疽菌が生息している環境から菌を除去することは極めて難しい。第二次世界大戦後に連合軍が行った炭疽菌爆弾の実験では、少なくとも投下後40年以上にわたって、多数の炭疽菌が土壌に残存しつづけるということが判明した。
2002年以降、細菌の種の分類にはDNA-DNA分子交雑法を用いた遺伝学的な方法が採用されているが、この方式に従うと、炭疽菌 (B. anthracis) とセレウス菌 (B. cereus)、卒倒病菌 (B. thuringiensis) の3種の遺伝子はそれぞれ70%以上の相同性を持つため同一の生物種という扱いになる。しかしながら医学的な観点からは、この3者が混同されたときの危険性が大きいため、医学における重要性を考慮してそれぞれ別々の種として命名・分類されている(危険名と呼ばれる)。
炭疽菌は土壌に生息、あるいは芽胞の形で存在し、またヒツジなどの動物の体毛にも土壌由来の菌や芽胞が付着して存在しており、世界中で分離される普遍的な自然環境の常在細菌である。ただし、特に炭疽の発生が多い地帯は世界に2カ所存在しており、この地帯では炭疽菌の生息密度が特に高いと考えられている。一つは、スペイン中部からギリシャ、地中海を挟んでトルコ、イラン、パキスタンに至る地帯であり、特にトルコからパキスタンにかけては炭疽ベルトと呼ばれることがある。もう一つは、赤道アフリカ地帯である。また、ジンバブエでは1979年に記録的な炭疽の地域的流行が発生して以降、高度に炭疽菌汚染した地域になっていると言われている。
1000種類以上ある[1]。
炭疽菌は土壌中の常在細菌であるが、家畜やヒトに感染して炭疽(症)を発症させる。そのもっとも多い例は、皮膚の傷口から侵入して皮膚で発症する皮膚炭疽である。この疾患は特に中世ヨーロッパでは、家畜の屠殺・解体・鞣革を行う者に多く見られた。また炭疽菌の芽胞が呼吸器を介して肺に到達すると、肺炭疽と呼ばれる極めて重篤な疾患を起こす。肺炭疽は羊毛を扱う者に見られた疾患である。また稀な例として、炭疽により死亡した動物の肉を食べたとき、腸管の傷口から侵入して起きる腸炭疽を起こす場合もある。いずれの場合もヒトからヒトへの伝染は起きない(言い換えれば、危険な感染症だが伝染病ではない)。炭疽は人獣共通感染症であり、日本では感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症新法)において、四類感染症に指定されている。
グラム陽性桿菌であり、多くの抗生物質に感受性があり(抗生物質による治療が有効)、薬剤耐性を自然に獲得したものは稀であると言われる。治療には感受性のある抗生物質がもちいられる。
動物とヒトにおいて、それぞれ有効なワクチンが開発されている。動物に対しては弱毒生菌ワクチンが用いられる。これはパスツールが開発したものをヒントに、スターンが1930年代に作り出したものである(細菌学における歴史的位置付け、莢膜の節を参照)。一方、ヒトに対しては成分ワクチンが用いられており、これは外毒素の一つである防御抗原 (PA) を用いたものである(防御抗原を参照)。しかし、いずれもヒトに対する副作用や有効性では問題が残っているため、新しいワクチン開発が続けられている。なお日本においては、ヒトに対する成分ワクチンが認可されていないため、生物テロに対する備えが不十分ではないかと指摘されている。
炭疽菌の病原性に関わる因子として、莢膜と3種類の外毒素が知られている。これらは、それぞれ莢膜プラスミド (pXO2)、毒素プラスミド (pXO1) と呼ばれる、炭疽菌ゲノムとは独立したプラスミド上に存在する遺伝子から作られる。
炭疽菌の莢膜は、ポリグルタミン酸ペプチドを主成分とする。バシラス属以外の細菌で莢膜を持つものには多糖類を主成分とするものが多く、この点は炭疽菌莢膜の特徴の一つであるといえる。またこの分子を構成するアミノ酸が、L体だけでなくD体の光学異性体(D-アミノ酸)を多く含んでいる点でも特徴的である。一般に莢膜は、細菌が動物の体内に侵入した際、白血球の貪食などから逃れる役割を担っており、炭疽菌の莢膜もこの役割を果たしている。莢膜によって宿主の免疫機構による排除を逃れて、生体内への定着が容易になると考えられている。
1930年代にスターンが開発して以来使用されている炭疽ワクチンは、培養を繰り返すうちに莢膜を失った弱毒生菌ワクチンであり、これは莢膜をコードしているプラスミド pXO2 が欠落したものである。莢膜を失った炭疽菌は白血球による貪食などを受けやすくなって弱毒性になるため、比較的安全に炭疽菌に対する免疫を獲得することが可能であるが、ヒトに対して十分安全とは言えないため、この炭疽ワクチンは動物にのみ用いられている。
炭疽菌は3種類の毒素タンパク質を菌体外に分泌しており、これが炭疽によって起こる諸症状の直接の原因になっている。外毒素はそれぞれ、防御抗原 (PA, protective antigen)、浮腫因子 (EF, edema factor)、致死因子 (LF, lethal factor) と呼ばれている。これらをコードする遺伝子はすべて毒素プラスミド pXO1 上に存在する。
防御抗原 (PA) は、標的になる細胞の細胞膜に存在する受容体タンパク質(炭疽毒素受容体、anthrax toxin receptor, ATR)と結合する性質を持つ。PA自身も神経などの機能を阻害する毒素としての働きを持つが、それ以上に、浮腫因子 (EF) と致死因子 (LF) を標的細胞内に送り込む役割が大きい。
PAは細胞膜上の受容体に結合した後、細胞膜表面にあるフリン (furin) と呼ばれるプロテアーゼによって切断を受けて活性型になる。活性型になったPAは、互いに相互作用して集まり、細胞膜上でPAが7つ集まった7量体を形成する。PAの7量体は、細胞膜上の脂質ラフト(細胞膜を構成する脂質分子のうち、ある種のものが集まった部分)に移動し、そこからエンドサイトーシスの機構によって、細胞の内部にエンドソーム小胞として取り込まれる。さらに7量体になったPAは、EFまたはLFと結合する活性を持っているため、PAが細胞内に取り込まれると同時にEFやLFが細胞内に取り込まれる。細胞内に取り込まれたエンドソームは、異物を分解する酵素などを含んだリソソームと融合するが、このとき小胞内のpHが酸性に変わる。この刺激によって、PA 7量体はエンドソーム膜に入り込み、イオンチャネル分子として働くようになり、細胞質にEFやLFが放出される。
すなわち、PAは炭疽菌によって毒性が現れる際、もっとも重要な役割を担う分子だと言える。このことは、逆に言えば、PAの働きを阻害することで炭疽菌による発病を治療、あるいは予防することが可能であるとも言える。そもそもPAは「防御抗原」の名が示すとおり、このPAに対する抗体が炭疽から宿主を防御することから名づけられたもので、唯一ヒトに対して用いることが可能な炭疽ワクチン(成分ワクチン)として利用されている。ただしPA自体にも弱い毒性があり、一過性に神経や心臓血管の機能障害が現れる。この理由はよく判っていないが、7量体PAがチャンネル型の分子として細胞膜の透過性を高めるためだという説がある。この毒性による副作用が現れること、また十分な免疫を獲得するには複数の接種が必要なこと、免疫の持続時間が比較的短いことなどから、より優れた代替ワクチンの開発が続けられている。
浮腫因子 (EF) は、カルモジュリン依存アデニレート・サイクラーゼ活性を持つ毒素である。細胞質にはカルモジュリンが存在するので、EFは上述したPAの働きによって細胞質内に取り込まれた後、アデニレートサイクラーゼとしてアデノシン三リン酸 (ATP) からサイクリックAMP (cAMP) を生成する。これによって、細胞質内のサイクリックAMP濃度が上昇すると、上皮細胞などでは細胞膜のイオンチャネルが活性化して細胞内からの電解質や水の分泌が起こり、その結果、組織レベルでは浮腫などの病変が現れる。
致死因子 (LF) は、メタロプロテアーゼ(金属プロテアーゼ)としての活性を持ち、亜鉛イオン (Zn+) を触媒として、特定の標的タンパク質を分解する。LFもまた、上述したPAの働きによって取り込まれた後、細胞質でプロテアーゼとして働くが、LFの標的分子はMAPKK(MAPキナーゼキナーゼ)と呼ばれる、重要な細胞内シグナル伝達(情報伝達)に関与しているタンパク質リン酸化酵素である。MAPKKは、MAPK(MAPキナーゼ)をリン酸化し、さらにMAPKが他の多様なタンパク質(c-Mycなど)をリン酸化することで、細胞の増殖や生存に必要なタンパク質の合成を制御している。LFはこのMAPKKを分解してしまうため、LFが作用した細胞は死んでしまい、その結果、組織レベルでは出血や壊死などの病変が現れる。炭疽症のときに見られる病巣部の黒変も、このLFの働きによって組織が出血性壊死を起こすためである。
炭疽菌は1876年にロベルト・コッホによって動物の炭疽症の病原体として発見された。当時は病気が発生する原因について、汚れた空気(瘴気)が原因であるとするミアズマ説と、伝染性の病原物質との接触が原因であるとするコンタギオン説の二つの学説で争われていた。コッホは今日「コッホの原則」として知られる考え方に則って、炭疽症の動物から炭疽菌を分離し、それが健康な動物に炭疽を発症させること、さらにその病変部から炭疽菌が再分離されることを示すことで、細菌などの微生物がコンタギオンとして病気を媒介することを証明した。これは、細菌が病原体であるということを示した最初の発見であり、その後医学分野において細菌学、感染症学が発展するきっかけとなった。
1881年にルイ・パスツールは、実験室で高温 (40 °C) 培養した炭疽菌を実験動物に接種すると炭疽を発症しないばかりか、その動物に後で新鮮な炭疽菌を接種しても炭疽を発症しないこと、すなわち炭疽菌に対する免疫が獲得されることを見出した。特定の病原体に対する免疫を、弱毒性の病原体を予め接種することで人工的に得るという考え、すなわちワクチンの概念は、すでにエドワード・ジェンナーが種痘で実用化していたが、ジェンナーが用いた手法は天然に存在する牛痘ウイルスをヒトに接種することで、ヒト痘瘡ウイルスへの免疫をつけるものであった。これに対してパスツールは、このような天然の弱毒病原体が存在しない場合でも、何らかの方法で病原体を弱毒化することでワクチンとして使えるということを発見したのであり、この手法は他のさまざまな病原体にも応用されていった。特にパスツールが開発した、生きた弱毒性細菌を接種する手法は「弱毒生菌ワクチン」と呼ばれる。パスツールの炭疽菌ワクチンは、外毒素をコードするプラスミドが欠落したものであった。このワクチンで得られる免疫はごく弱いものであり、今日では利用されなくなっている。
生物兵器への利用が可能な病原体には、
という性質が特に重要視される。これは兵器としての有効性と、使用した場所に後で自軍の兵士が入ったときの安全性の確保につながるからである。
炭疽菌は 1. - 3. の条件を満たしており、さらにその培養も比較的容易なので、第二次世界大戦の頃から各国の軍事機関によって生物兵器としての応用が考えられ、積極的に研究された細菌の一つであった。しかし国際法(生物兵器禁止条約)に基づいて生物兵器が禁止されたのに加えて、炭疽菌の特性が明らかになるにつれて、
などの欠点も明らかになったため、いわゆる「戦争」(国家間の大規模なものや内戦など)では、少なくとも「公式には」実戦への投入は行われなかった。しかし2001年のアメリカ同時多発テロで実際に用いられたのをきっかけに、特に生物テロに利用される危険性が注目され、重要視されている。
炭疽菌は生物兵器に使われる可能性がある病原体としては、
という特長を持つため、貧困国や比較的小規模なテロ集団によっても使用される危険性が指摘されている。ただし致命率の高い肺炭疽を発症させるために炭疽菌芽胞をエアロゾル化したり、治療薬が特定できないように薬剤耐性遺伝子を導入するなど、生物兵器としてより危険なものにするためには高度な科学技術が要求されると言われている。
日本ではバイオセーフティーレベル3 (BSL-3) の病原体として扱われ、また研究施設での使用、保管状況が厳重に監視されている。
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