出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/11/06 19:52:26」(JST)
明治期から大正期に日本海軍の准士官として置かれていた看護師については「日本軍の階級」をご覧ください。 |
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看護師(かんごし、英:Nurse)は、疾病者や褥婦(じょくふ、=出産後の女性)などの療養上の世話または診療の補助などをすることを業とする人のことである[1]。またその職業名(専門職名)、資格名のこと。
看護の仕事を行う人々の中には、看護師、准看護師の他にも保健師、助産師などがいる[2]。看護師は医療、保健、福祉などの場において、医師などが患者を診療する際の補助[注 1]、病気や障害を持つ人々の日常生活における援助、疾病の予防や健康の維持増進を目的とした教育を行う医療従事者である。
現代では、専門職である看護師の業務を行うためには、多くの国でその国が定めた看護専門学校や看護大学等の看護師養成課程における基礎看護教育を受けた上で国家試験などの資格試験に合格し、看護師免許を有している必要がある[要出典]。
日本においては、以前は女性を看護婦(かんごふ)、男性を看護士(かんごし)として区別していたが、2001年に「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に改定されたことにより、2002年3月から男女ともに「看護師」という名称に統一された[3]。詳細は、名称変更を参照。
国際看護師協会(ICN:International Council of Nurses)[注 2]は、「ICN看護師の倫理綱領」の中で看護師には以下の4つの基本的責任があるとしている。
看護師は、医師の指示のもとに、検査・治療・処置・与薬などの治療活動における患者援助にたずさわり、また様々なケア(患者の身の回りの世話をはじめとして生活へのさまざまな援助)にたずさわっている[2]。
看護が専門的職業として自覚的に成立したのは、ここ100年余りのことであり、イギリスのフローレンス・ナイチンゲールの活躍とともに始まったと言える[2]。
日本において看護師は、法的には「厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦(褥婦(じょくふ)=出産後の女性)に対する療養上の世話、又は診療の補助を行うことを業とする者」と保健師助産師看護師法[注 4]第5条に定められている。
同法第31条において、医師、歯科医師、看護師・准看護師以外の者が看護を行うことが禁止されており(業務独占)、同法第42条の3では「看護師」や紛らわしい名称を用いることが禁止されている。また同法第42条の2では「正当な理由がなく、その業務上知り得た人の秘密を漏らしてはならない。」と守秘義務が課せられている。
看護師の養成教育(看護教育)は、これまでは看護専門学校で中心的に行われてきたが、近年は医療の高度化や看護職の地位の向上などを背景に4年制大学での養成数が増加している。 2015年4月時点で、看護師養成教育機関の1学年定員の41.7%が4年制大学での教育を受けており[4]、2014年3月に行われた第103回看護師国家試験では、標準的な教育課程である高校卒業後3年以上の教育を受ける課程での新卒の合格者のうち大学を卒業した者が38.6%となっており[5]、今後はさらに大学を卒業した看護師が増えるものと考えられる。
看護教育を受けた後に看護師国家試験に合格した看護師は、病院などの医療機関に勤務することが多く、こうした実地のキャリアと継続的な卒後教育を経て、その後は、認定看護師や専門看護師といった専門分野に関する認定を受け看護の提供を行う、保健師や助産師など関連資格を取得する、看護管理者や訪問看護師、看護教員、看護研究者など職務内容や職場を変更する、など様々な様相で看護に関わっていくことが多い。
看護業務は所属する施設、部署、その日の受け持ちによっても異なり、多種多様である。
看護師 | |
---|---|
英名 | Nurse (Registered-Nurse) |
略称 | ナース、R.N、Ns. |
実施国 | 日本など |
資格種類 | 国家資格 |
分野 | 医療 |
認定団体 | 厚生労働省 |
等級・称号 | 看護師 |
根拠法令 | 保健師助産師看護師法 |
ウィキプロジェクト 資格 ウィキポータル 資格 |
|
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免許区分としては「看護師」と「准看護師」がある。
日本では、看護師は看護高等学校(看護科、専攻科の5年間)、看護専門学校、看護短期大学、大学(看護学部・医学部保健学科など)で合計3000時間以上の養成教育が行なわれ、卒業すると看護師国家試験の受験資格が得られる。実際には卒業見込みの段階で国家試験を受験できるが、最終的にその年度で卒業できなければ、試験で合格点以上を獲得しても不合格扱いになる。国家試験に合格すると、申請により厚生労働大臣から看護師免許が交付され、看護師としての活動が可能になる。准看護師に対して俗に「正看護師」(略して正看)と呼ばれることもある。
自衛隊では、災害派遣や有事の際に看護要員となる隊員の養成のため、看護師または准看護師を養成する施設を隊内に有している。
看護師としては自衛隊中央病院で看護学生として養成しているほか、後述の准看護師資格を持った隊員からの選抜、現に看護師資格を有する民間人を公募として採用している。自衛隊中央病院の高等看護学院生としての募集は既に終了しており、現在は防衛医科大学校看護学科学生となっている。
准看護師(略称「准看」)は准看護師学校(准看護師養成所)あるいは看護高等学校にて1890時間以上の教育を受け、卒業後、都道府県知事試験の受験資格が与えられる。この知事試験に合格すると都道府県知事から准看護師の免許が交付される。
准看護師が日本で設けられている背景には、戦後の看護師不足に対応するための暫定措置という性格がある。看護師には、ますます高度な専門的知識や技術が要求されるようになりつつあり、日本看護協会は、准看護師制度の廃止を希望しているが、幅広い労働条件の看護労働力を求める日本医師会などの要望もあり、検討段階にある。
厚生労働省の准看護婦問題調査検討会報告では、21世紀初頭の早い段階を目途に看護婦養成制度の統合に努めることを提言しているが[6]、直後に日本医師会は反対意見書を取りまとめている[7]。 現在、准看護師の養成校は徐々に減りつつあり、2004年から、10年以上の臨床経験のある准看護師を対象に看護師となるための通信制の移行教育が始まり、2006年にはこうした教育を受けた者が国家試験を受験している。なお、2013年度をもって神奈川県は准看護師の養成廃止を発した。
自衛隊では、衛生職種において看護要員を自ら養成する為、准看護師養成所施設を有している。
准看護師の養成は、陸上自衛隊においては札幌・仙台・阪神・福岡の各自衛隊病院で、海上自衛隊においては横須賀准看護学院で、航空自衛隊においては、岐阜基地に置かれた自衛隊岐阜病院で養成する。
養成後の准看護師は、陸上自衛隊においては三等陸曹、海上自衛隊においては海士長、航空自衛隊においては空士長として勤務する。
資格取得後、海上自衛隊では自衛艦への乗り組み、航空自衛隊では航空救難団や航空機動衛生隊に勤務する場合がある。救急救命士も養成取得しており、また救急救命士を取得しない場合、看護師資格を別途取得可能となっている(陸空は選抜あり、海は選抜なし。看護師の階級は二曹)。
法務省所管の医療刑務所などで、刑務官、法務教官に対し矯正施設での看護要員養成のため、准看護師養成施設を有している。
より専門的な能力を有し所定の審査を受けた看護師については、専門看護師、認定看護師として資格認定される。(詳細については、それぞれのページを参照のこと)
また2004年(平成16年)に医療機関の広告規制が緩和され、2007年(平成19年)4月から看護師の専門性についても広告ができるようになった。[8]
日本でもフローレンス・ナイチンゲールの影響を受け継いで、1887年ごろに桜井女子校、東京帝国大学病院、慈恵会医科大学病院、日本赤十字社に看護婦養成所が設立されたが[2]、実際に看護にたずさわる人の多くはこうした教育機関で教育・訓練されるのではなく、看護の実務の場で徒弟的に育てられるにとどまっていた[2]。日本で看護基礎教育が抜本的に改革されたのは、第二次世界大戦後のことで、これは米国の看護界影響を大きく受けつつ行われたものであり、主体的に看護活動をになうことのできる看護婦を養成することを目指すようになった[2]。
1989年の「保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則」の改正までは、看護士(現在で言う男性の看護師)に対しては精神科での勤務を想定した教育カリキュラムが組まれていたが、改正後は男女とも同一の教育カリキュラムとなっている。
1948年(昭和23年)公布の「保健婦助産婦看護婦法」においても、女子について「看護婦」として規定するとともに、男子である看護人については看護婦に関する規定を準用するとされていた(大正4年施行の看護婦規則でも、この点に関しては同様)。昭和43年法律第84号による改正で男子である看護人について「看護士」または「准看護士」と称することが規定された。
2002年3月からは、法律の題名が「保健師助産師看護師法」と改正されるとともに、男女関わりなく「看護師」または「准看護師」として規定されるように改正された[9]。
2002年3月の上記名称変更に伴い、医療施設にて「看護婦長(婦長と略称)」、「看護士長」などと称されていた職位は、「看護師長(師長と略称)」[10] 、「看護係長」[11]、「看護長」[12][13] などと称されるようになった。
2006年の保健師助産師看護師法改正により、業務独占規定に加え、名称独占規定が設けられた(保健師助産師看護師法 第四十二条の三)。
保助看法第31条第2項により保健師及び助産師は(たとえ看護師免許を有しない場合でも)看護師業務を行うことができるとされている。これにより、看護大学の卒業生や保健師または助産師統合カリキュラムを学んだ者が、看護師国家試験に不合格であったにも関わらず、保健師国家試験や助産師国家試験に合格し、看護師業務を実施可能なことは、医療安全上、患者に対する正しい情報提供の面でも問題視された。 これを受けて2006年6月の第164回国会(通常国会)において保健師助産師看護師法が改正され、法律が施行される2007年4月以降に、新たに保健師・助産師の各国家試験の免許を取得する者については、看護師国家試験合格が免許付与の要件となった(保助看法第7条)。
2006年の保健師助産師看護師法改正により、戒告、3年以上の業務停止、免許の取り消しの処分を受けた者、再免許を受けようとする者は、保健師等再教育研修受講が義務付けられた。
2008年 | 2010年 | 2012年 | 2014年 | |
---|---|---|---|---|
看護師 | 877,182 | 952,723 | 1,015,744 | 1,086,779 |
男性 | 44,884 | 53,748 | 63,321 | 73,968 |
女性 | 832,298 | 898,975 | 952,423 | 1,012,811 |
准看護師 | 375,042 | 368,148 | 357,777 | 340,153 |
男性 | 23,268 | 23,196 | 23,148 | 22,877 |
女性 | 351,774 | 344,952 | 334,629 | 317,276 |
日本国内で2014年(平成26年)末に就業している看護師数は約108万7千人で、2012年(平成24年)比で7万1千人(7.0%)増加した。准看護師数は約34万人で、2012年比で約1.7万人(4.8%)減少した。また男性の占める割合は看護師で6.8%、准看護師で6.7%と増加傾向にある[14]。こうした背景もあり、2014年4月1日に一般社団法人として日本男性看護師会が発足した[15]。
2010年現在でのOECD各国との比較では、日本では人口1000人あたり10.1人の看護職(准看護師を含む)が就業しており、2010年ないし直近のデータの平均の8.6人をやや上回り、オーストラリアと並び30か国中11位となっている[16](ただし、国により若干、数値に含まれる職種の範囲が異なる可能性がある。)
平成22年厚生労働省「賃金構造基本統計調査」による統計データによると、2011年度の看護師の平均年収は475万円。平均月収33万円に対してボーナスが83万円と、一般企業に比べて高い年収になっている。
また男性の平均年収が477万円、女性の平均年収が474万円とわずかながら男性の方が年収が高い。[17]
日本とフィリピンとの自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)の調印は、2006年(平成18年)9月9日に行われたが、フィリピン側の批准が遅れ、2008年(平成20年)12月11日に発効した。これによりフィリピン共和国国家資格を有する看護師を、国内での就労・研修の後に看護師・介護福祉士の国家試験により免許取得を目指すため日本の病院・介護施設へ受け入れることとなった。
フィリピン国籍の看護師を受け入れるに当り、日本語教育や日本語能力試験を受けている、日本語がある程度出来る等、日本の事情に精通する事を条件にし、また厚生労働省は受け入れ条件の1つとして、人数の上限を設けている。2009年(平成21年)は看護師候補者88人が来日しており、2010年(平成22年)は看護師307人、介護383人を上限として受け入れている[18]。
年 | インドネシア | フィリピン |
---|---|---|
2009年 | 0 | 0 |
2010年 | 2 | 1 |
2011年 | 15 | 1 |
2012年 | 33 | 13 |
2013年 | 20 | 10 |
2014年 | 12 | 16 |
日本とインドネシアとの経済連携協定(EPA)の調印が、2007年(平成19年)8月20日に行われ、日本の国家資格の取得のための必要な知識及び技術の習得を目的とした、インドネシアでの看護師国家資格を有する看護師候補者の受け入れ、資格取得後の就労が可能となった。2008年(平成20年)4月17日の衆議院本会議で可決。EPAを活用して外国人労働力を受け入れる初めての事例と考えられる[20]。人数枠は平成20年(2008年)度から2年間で合計1,000人(看護師候補者400人、介護福祉士候補者600人)と設定され、平成20年(2008年)度は、看護104名、介護104名が来日し、平成21年(2009年)度は看護173名、介護188名が来日している[21]。
来日したインドネシア人、フィリピン人看護師候補者の国家試験の合格状況は右表のとおりである。
なお、FTAやEPAが調印される以前の1990年代より、一部の病院が将来的な人手不足を見越して、ベトナムのハノイ市に、日本の看護師の免許を取得するための看護師養成学校を設立し、日本語教育を施したベトナムやタイ、フィリピン、インドネシア国籍の看護師が勤務している実例があるが[22]、極めて特異な事例である。
アメリカ合衆国では、ナース・プラクティショナーがある。
フィリピンでは、医師が看護師の資格を取り海外で出稼ぎする[23]。
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かつては、ナースキャップ、衣裳、靴、靴下、ストッキングなどはすべて白色のものを着用することが多かったため、「白衣の天使」と呼ばれた。
しかし、現在の女性の看護師は靴下で黒や紺のハイソックス、膝サポーター(ファッション用)も着用することもある。 施設によっては、緊張を緩和させるために小児病棟で子供に人気のキャラクター柄や、手術室などで花柄などのウェアを着ている場合もある。
また、ナースキャップはのり付けされているため、のりを栄養としてMRSAなど菌が繁殖しやすく、院内感染を防ぐために看護師にナースキャップを着用させる医療機関は少なくなった。[24]
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栄養サポートチーム(NST:Nutrition Support Team)とは、職種の壁を越え、栄養サポートを実施する多職種の集団(チーム)である。栄養サポートとは、基本的医療のひとつである栄養管理を、症例個々や各疾患治療に応じて適切に実施することである。<ref name=A>東口高志 『NST完全ガイド』照林社、2005年</ref>
NSTは1960年代の中心静脈栄養(TPN)の開発普及とともに誕生し、欧米を中心に世界各地に広がった。日本ではその普及が容易でなく、1998年のPPM方式の考案が契機となり、全国の医療施設に広がった。2006年4月の診療報酬改定により、多くの病院でNSTが立ち上がることとなった。<ref name=A>東口高志 『NST完全ガイド』照林社、2005年</ref>
この項では日本におけるNSTについて述べる。
1968年、米国のダドリック(Dudrick)らによって、中心静脈栄養法(Total Parenteral Nutrition)が開発され、全米に普及した。同時期に、医師・薬剤師・看護師などの栄養管理を専門とするメディカル・スタッフが各施設で求められるようになり、栄養管理チーム構築の始まりとされる。一方、同時期にブラックバーンにより栄養アセスメントが初めて体系化された。
1973年、米国ボストンシティ病院に初のNSTが本格的に誕生した。同時期に、マサチューセッツ総合病院ではフィッシャー教授がNSTをHyperalimentation Unitという名称で構築していた。
NSTは中心静脈栄養法の普及と相まって全米、ヨーロッパ諸国に広がった。 欧米ではNSTは診療部門の一つとして設立されていることが多い。施設内の全ての症例に対して提言・発言する権利を与えられ、中心静脈栄養法の施行にもNSTの承認を必要とするなどの規定が設けられたりしている。NSTが医療の質の向上や医療費の削減に貢献することを全ての医療従事者が認識している。<ref name=B>東口高志、『NSTの運営と栄養療法』医学芸術社、2006年</ref>
日本においても、中心静脈栄養法の普及と同時にNSTが導入されたが、数施設で単科・少数科での活動であったり、全科型でも中心静脈栄養法の管理が中心であった。<ref name=B>東口高志、『NSTの運営と栄養療法』医学芸術社、2006年</ref>栄養管理の有用性が認識されていなかった為、経費のかかる専属チームの設立は考えられていなかった。
全科型のNSTの発足は、PPM(Potluck Party Method)方式によるNSTが、1998年6月に鈴鹿中央総合病院に、2000年7月に尾鷲総合病院に設置されたものが日本初である。<ref name=B>東口高志、『NSTの運営と栄養療法』医学芸術社、2006年</ref>
現在日本でもNST活動の有用性は認識されており、2004年5月に病院機能評価項目Ver5.0の中にNSTの設立が取り上げられ、2005年末には全国で約700施設でNSTが設立されている。また、2006年4月の診療報酬改定に伴い、栄養管理実施加算が新設された。この加算が求めるものは、全科型のNST活動であり、全国の医療施設がNSTを積極的に設立するきっかけとなった。
NSTは職種の壁を越えたチーム医療であり、多職種のメンバーで組織される。主な職種は以下の通りである。
これらのチームによって、患者に対して栄養状態の評価・判定を行い、適正な栄養補給を実施し、さらに経緯を確認しながら栄養を改善することを目的に組織される。
適切な栄養療法を基盤として、より大きな治療効果や予防効果をもたらす補助組織(ワーキングチーム)やコラボレーション組織の育成が必要となる。
カテーテルの管理、栄養・食事のチェック、身体測定、NST診療録の管理などがあるが、中でも重要な役割は、①患者の身体状況を確認し、正確な情報をチームにアドバイスすること、②患者に栄養状態の実状を把握してもらい、協力してもらうことであろう。
第一に、輸液製剤の無菌的な調製があげられる。また、薬学的見地より栄養状態、処方内容を検討すること。特に輸液製剤、経腸栄養剤と薬剤との相互作用の検討、消毒剤と消毒方法の検討と医療従事者及び患者、患者家族への教育がある。<ref name=C>島田慈彦ら 『実践静脈栄養と経腸栄養』エルゼビア・ジャパン、2003年</ref>。
NSTにおいて管理栄養士は患者の食事摂取量や摂取状況など情報を元に食事量や食事形態の調節を行う
日本静脈経腸栄養学会(JSPEN)、日本病態栄養学会、日本栄養療法推進協議会などがNST認定施設、NST専門療法士などの認定を行っている。
テンプレート:脚注ヘルプ <references/>
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