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面積 | 1018万 km2 |
---|---|
人口 | 7億3100万人 (2009, 3位) |
人口密度 | 70人/km2 |
住民の呼称 | ヨーロッパ人 |
国数 | 50 |
標準時 | UTC ~ UTC+5 |
使用TLD | .eu (EU) |
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ヨーロッパ(欧羅巴、欧州、葡・蘭[1]: Europe)は、慣習的には地球上の七つの大州の一つ。地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡が、アジアと区分される東の境界となる[2][3]。
面積から見るとヨーロッパ大陸は世界で2番目に小さな大州であり、1018万km2は地球表面積の2%、陸地に限れば6.8%を占める。アジアに跨る領土を持つロシアは、ヨーロッパ50カ国の中で面積および人口第一位の国家である。対照的に最も小さな国家はバチカン市国である。総人口はアジア・アフリカに次ぐ7億3300万。これは地球総人口の11%である[4]。
ヨーロッパ、特に古代ギリシアは西洋文明発祥の地である[5]。これは、16世紀以降の植民地主義の始まりとともに世界中に拡散し、支配的な役割を果たした。16世紀から20世紀の間、ヨーロッパの国々はアメリカ、アフリカとオセアニアそしてアジアの大部分を支配下に置いた。2つの世界大戦はヨーロッパを戦火でくるみ、20世紀中頃の西ヨーロッパによる世界への影響力減衰に結びつき、その地位をアメリカ合衆国とソビエト連邦に奪われる結果となった[6]
用語「ヨーロッパ」は、歴史が展開する中で使われ方が様々に発展した[7][8]。初めてヨーロッパとアジアを区分したのはミレトスのヘカタイオスが作成した地図であった[9]。ギリシアの歴史家ヘロドトスは著書『歴史』第4章にて[9]、世界がヨーロッパ・アジア・リビア(アフリカ)の3箇所に分けられ、その境界はナイル川とリオニ川であることを示唆した。彼はさらに、ヨーロッパとアジアの境界はリオニ川ではなくドン川とする考えもあると述べた[10]。1世紀の地理学者ストラボンも東側の境をドン川と考えた[11]。フラヴィウス家(英語版)の人物や『ヨベル書』では、各大陸をノアから3人の息子たちへそれぞれ与えられたものと記している。そこでは、ヨーロッパはアフリカとの境となるジブラルタル海峡のヘラクレスの柱から、アジアとの境となるドン川までに広がる地域としている[12]。
ヨーロッパを文化的な定義で言及すると、8世紀に形成されたラテン語とキリスト教世界(英語版)が結合した地域となり、ゲルマン民族の伝統とラテン系キリスト教(ローマ・カトリック)文化の合流と表され、ビザンティン帝国(ヘレニズムとキリスト教・正教会文化)やイスラム圏と対比することもできる。地域はイベリア半島北部、ブリテン諸島、フランス、キリスト教化されたドイツ西部、アルプスそして北および中央イタリアが該当する(南イタリアは11世紀半ばまでビザンティン帝国領)[13]。この考えはカロリング朝ルネサンスの影響を受け継いだもので、カール大帝の文化相となったアルクィンの手紙の中に、しばしば Europa の単語が見られる[14]。このような文化的また地理的な区分は中世後期まで用いられたが、大航海時代にはそぐわなくなった[15][16]。ヨーロッパの再定義問題は最終的に、スウェーデンの地理学者兼地図製作者のフィリップ・ヨハン・フォン・シュトラーレンベルク(英語版)が提唱した、水域ではなくウラル山脈を最も重要な西の境とする1730年の案がロシア・ツァーリ国を皮切りにヨーロッパ各国の支持を集め、解決を見た[17]。
現代では、ヨーロッパとはユーラシア大陸の北西に位置する半島と認識され、北・西・南が大きな水域で区切られた陸地と認識される。東の境界は通常ウラル山脈からウラル川を経由してカスピ海に接続し、そこから南東にあるコーカサス山脈を通って黒海・ボスポラス海峡そして地中海まで繋がる[18]。
社会政治学的または文化的な側面を考慮すると、ヨーロッパの境界は様々な言及がなされる。例えば、キプロスは小アジアのアナトリア半島に近接しているが、ここはしばしばヨーロッパの一部とみなされ、現在ではEUの一員でもある。逆にマルタは長い間アフリカに属する島と受け止められていた[19]。
時に「ヨーロッパ」という単語は、欧州共同体 (European Union, EU) のみを指す地政学的な制限を加えて用いられる事もあり[20]、さらに排他的な用例や文化的な中心地と定義する場合もある。その一方で、欧州評議会には47ヶ国が参加しているのに対し、EU加盟国は27ヶ国に過ぎない[21]。
単語ヨーロッパの語源にはさまざまな説がある。古代のギリシア神話には、主神ゼウスが白い雄牛に変化して攫ったフェニキアの王女エウロペが登場する。ゼウスは彼女をクレタ島へ連れ出し、そこでミーノースら3人の子どもを得た[22]。このエウロペ Εὐρώπη がヨーロッパの語源という説がある[23]。
他に、「広い・幅広い」を意味するギリシア語の εὐρύς (eurus) [24]に「眼、顔、相貌」を意味する ὤψ/ὠπ-/ὀπτ- (ōps/ōp-/opt-), が付加され[25]、合わせた Eurṓpē は「広く熟視する」や「幅広い方角」という意味を持つという。初期インドヨーロッパ語族の信仰では、Broad(広い)とは地球そのものを指す形容詞句であった[26]。
他の説ではセム語派の言語に源流を求め、アッカド語の erebu (to go down, set, 「太陽が沈むところ」) が元だとも言い[27]、フェニキア語の ereb (evening; west, 「夕方、西」) [9]やアラビア語の Maghreb(マグリブ)やヘブライ語の ma'ariv と同根語だと言う。ただし、マーチン・リッチフィールド・ウエスト(英語版)は、Europa とセム語の単語との間には、音韻論的に合致する部分がほとんど無いと主張した[28]。
ヨーロッパの大半の言語で、発音こそ違えど綴りは Europa であるが、英語・フランス語では末尾音が脱落し、Europe となる。英語での発音は 発音: /ˈjʊərəp/ yewr-əp, /ˈjɜrəp/, yur-əp で、OED Onlineが示す"Europe"の発音は、イギリス英語[ˈjʊərəp], [ˈjɔːrəp], アメリカ英語[ˈjərəp], [ˈjurəp]。
日本語の「ヨーロッパ」は、何らかの外国語の発音を直接に音写したものではない。この語は、戦国時代末~江戸時代初期にポルトガル語の Europa(エウロパ)から借用され、「えうろつは」と表記され、「エウロッパ」と発音された。促音の挿入は、原音を反映したものではなく、当時の日本語では促音・撥音の後にのみ [p] 音が現れたためである(capa → かっぱ もその例)。その後、「エウ」が拗長音化規則により「ヨー」に遷移し、「ヨーロッパ」となった。
漢語では「欧羅巴(歐羅巴)」と音写されたため、中国語では漢字で「歐洲」と表される。日本語においても「欧州連合」のような漢字表記もあるが、カタカナ「ヨーロッパ」の方が一般的である。ちなみに、「欧(歐)」という漢字は、本来「体を曲げてかがむ」という意味であり、「吐く・もどす」「殴る」「うたう」の意味にも用いられたが、現在ではこれらの意味でよりも、当て字としての「ヨーロッパ」の意味で用いられている。
多くの主要言語では Europa から派生した単語が、大陸(もしくは半島)を指して使われる。
しかしトルコ語では、ペルシャ語を語源とする Frangistan (フランク人の土地)という単語が、正式名称の Avrupa や Evropa よりも多用される[29]。
ヨーロッパとは歴史や伝統、文化に共通する地域を類型化してできた地域名であり、地学上はユーラシア大陸西端の半島にすぎない。そのため、領域は観念的なものである。
ヨーロッパの衛星写真
現在ヨーロッパ各国の地図
国旗地図
詳細は「ヨーロッパ史」を参照
ヨーロッパ大陸の起源は、22億5000万年前のバルト盾状地(英語版)(フェノスカンディア)とサルマティア・クラトン(英語版)形成まで遡ることができる。その後、ヴォルガ-ウラリア盾状地も形成され、この3つが合わさり東ヨーロッパ・クラトン(バルティカ大陸)へ発達した。これはさらに集積し、超大陸であるコロンビア大陸の一部となった。約11億年前には、バルティカとローレンシア大陸の一部であったアークティカ大陸(英語版)が合わさりロディニア大陸となった。約5億5000万年前には孤立しふたたびバルティカ大陸となったが、約4億4000万年頃にまたローレンシア大陸と衝突してユーラメリカ大陸が形成、後にゴンドワナ大陸と合わさりパンゲア大陸へと成長した。1億9000万年前、大西洋へと成長する分断が始まり、パンゲア大陸はゴンドワナ大陸とローラシア大陸に別れ始め、じきにローラシア大陸もローレンシア(北アメリカ)とユーラシアに分裂した。ただしこの2大陸は長い間グリーンランドで繋がっており、動物の行き来があった。これも5000万年前頃から海面の起伏や低下活動を通じて現在に通じるヨーロッパの姿が形成され、アジアなどと接続した。現在のヨーロッパの形は500万年前頃の第三紀遅くに形成された[30]。
詳細は「先史ヨーロッパ」を参照
ヨーロッパに定住した初期のヒト科は、約180万年前にグルジアにいたホモ・ゲオルギクスである[31]。他にも、スペインのアタプエルカからは、約100万年前のヒト科の化石が発見された[32]。ドイツのネアンデル谷を名の由来とするネアンデルタール人がヨーロッパに現れたのは約15万年前であり、紀元前28,000年頃には気候変動などの要因から、ポルトガルに最後の足跡を残し絶滅した。彼らに取って代わったのがクロマニョン人であり、ヨーロッパには43万年前から40万年前頃に進出した[33]。
新石器時代には、作物の栽培や家畜飼育の開始、定住人口が著しく増え、土器の使用も広範囲に及んだ。これらは紀元前7000頃に、農業の先進地であるアナトリア半島や近東からの影響を受けたギリシアやバルカン半島で始まり、南東ヨーロッパからドナウ川やライン川の渓谷を伝って線形陶器文化(英語版)を形成し、地中海沿岸経由には紀元前4500年から前3000年頃に伝播した。これら新石器時代の文化は中央ヨーロッパから西や北端まで達し、さらに銅器の製法技術が伝わった。新石器時代の西ヨーロッパは、大規模な農耕集落ではなく土手道付き囲い地(英語版)やクルガンまたは巨石古墳(英語版)のような遺跡で特徴づけられる[34]。戦斧文化の隆盛がヨーロッパを石器時代から銅器時代へと転換させた。この期間、マルタの巨石神殿群やストーンヘンジなどの巨石遺跡が西または南ヨーロッパで建設された[35][36]。ヨーロッパの鉄器時代は紀元前800年頃に、ハルシュタット文化が担い始まった[37]。
歴史家ヘロドトスは『世界』にて、ヨーロッパが単に「西」の地を指すのみならず、アジアと異なる世界である事を記述した。彼は第7章にて、ペルシア戦争時のクセルクセス1世と亡命スパルタ人デマラトスとの会話を記しているが、ここでクセルクセス1世は統率者不在で自由放任にあるギリシア人がペルシアの大軍に反抗するとは思えないと語る。それに対しデマラトスは、ギリシアの自由民は自ら定めた法に忠実であり、降伏勧告を受諾する事はないであろうと返す[9]。ヘロドトスは、神聖的絶対君主に「隷属」するアジアと、国民たちによる規律ある「自由」のヨーロッパを対比させている[9]。
このような対比はアイスキュロスの『ペルシア人』にもあり、ペルシア人の合唱隊がクセルクセス1世の母アトッサを神の妃であり母と讃えるのに対し、決戦に向かうギリシア人が「祖国に自由を」と叫ぶ姿を描写した[9]。古代ギリシアでは、このように隷属を特徴とするアジアとは異なる社会形態を持つ地として、自らの社会を区分する概念を持っていた[9]。
以下は
「ヨーロッパ史」を参照
ヨーロッパは、ユーラシア大陸西の1/5を占める陸地であり[18]、アジアとの地形的に明瞭な区分を持っていない[2]。
ヨーロッパの主軸山系は西からピレネー山脈、アルプス山脈、カルパティア山脈・ディナル・アルプス山脈がある。これらは急峻ではあるが、古代からかなり高地にまで集落がつくられ交易が行われていたように、アジアのヒマラヤ山脈のような人跡未踏の地にはならず、山脈の両側にある程度の分岐を施しながらも断絶させるようなものではなかった[38]。
河川は、ヨーロッパ大陸が小さいため、アジアやアフリカ・アメリカのような大河が無い。アルプス山脈北側は北ヨーロッパ平野などの比較的広い平野をゆるやかな川が流れる。これらの水量は一年を通して変化が少なく、また分水嶺が低い事もあって運河建設が容易な特徴も持っており、水運を発達させやすい性質を持っている。例えばライン川は1000トンクラスの船がスイスまで曳航可能である[39]。これに対し、地中海に注ぐヨーロッパの河川は、源流となる山脈が海に近いため短く、かつ水量がポー川を除きおしなべて少ない[39]。
人文地理的な区分[39]をヨーロッパに施すと、3つの領域に分けることができる[40]。アフリカを含めた地中海沿岸は、ナイル川流域[39]やイベリア半島の一部を除き、およそ内陸と呼べる平野部分が狭い。そのため、各文明は海岸前沿岸部に形成され、そして発展は内陸よりも地中海へ漕ぎ出す志向を強めた[40]。これに対し、アルプス北部の西ヨーロッパには水運に適した河川が多く見られる[41]。そのため、この地域では港湾都市が海岸線よりも河川流域で発達し、ケルン、ブレーメン、ハンブルクそしてロンドンもこの例に当たる。海岸都市はオランダなど16世紀以降にしか見られない[39]。13世紀以降は開墾が盛んになり、河川地域や沼沢地の開墾が盛んになり、海岸線の開拓にも着手されるようになった[41]。残る東ヨーロッパは東ヨーロッパ平原の平坦で単調な地形が広がり、中央アジアの草原地帯へと続いている。そのため東方からの異民族侵入に弱く、結果的に何度も占拠を許した。ヨーロッパの防衛線は、事実上西ヨーロッパの東端となり、東ヨーロッパは都市化が遅れた[42]。
国名 | 漢字表記[43] | 原語(公用語)表記 | 首都 |
---|---|---|---|
アイスランド共和国 | 愛斯蘭/氷島/氷州/氷洲 | Ísland | レイキャヴィーク |
アイルランド共和国 | 愛蘭/愛爾蘭 | Éire/Ireland | ダブリン |
アルバニア共和国 | 阿爾巴尼亜 | Shqipërise | ティラナ |
アンドラ公国 | 安道爾 | Andorra | アンドラ・ラ・ヴェリャ |
イギリス[44] | 英吉利 | United Kingdom | ロンドン |
イタリア共和国 | 伊太利/伊太利亜/義大利/意大利 | Italia | ローマ |
ウクライナ | 烏克蘭/宇克蘭 | Україна | キエフ |
エストニア共和国 | 愛沙尼亜 | Eesti | タリン |
オーストリア共和国 | 墺太利/奥地利 | Österreich | ウィーン |
オランダ王国 | 和蘭/阿蘭陀/荷蘭/尼德蘭 | Nederland | アムステルダム |
ギリシャ共和国 | 希臘 | Ελλάδα | アテネ |
クロアチア共和国 | 克羅埃西亜/克羅地亜 | Hrvatska | ザグレブ |
サンマリノ共和国 | 聖馬力諾 | San Marino | サンマリノ |
スイス連邦 | 瑞西[45]/瑞士 | Helvetia/Schweiz/Suisse/Svizzera/Svizra | ベルン |
スウェーデン王国 | 瑞典[45] | Sverige | ストックホルム |
スペイン | 西班牙/日斯巴尼亜 | España/Espanya/España/Espainia | マドリード |
スロバキア共和国 | 斯洛伐克 | Slovensko | ブラチスラバ |
スロベニア共和国 | 斯洛文尼亜 | Slovenija | リュブリャナ |
セルビア共和国 | 塞爾維/塞爾維亜 | Србија/Srbija | ベオグラード |
チェコ共和国 | 捷克 | Česká Republika | プラハ |
デンマーク王国 | 丁抹/丹麥 | Danmark | コペンハーゲン |
ドイツ連邦共和国 | 独逸/徳意志 | Deutschland | ベルリン |
ノルウェー王国 | 諾威/挪威 | Norgе/Noreg | オスロ |
バチカン市国 | 和地関/梵蒂岡 | Stato della Città del Vaticano | バチカン |
ハンガリー共和国 | 洪牙利/匈牙利 | Magyarország | ブダペスト |
フィンランド共和国 | 芬蘭 | Suomi/Finland | ヘルシンキ |
フランス共和国 | 仏蘭西/法蘭西 | France | パリ |
ブルガリア共和国 | 勃牙利/保加利亜 | България/Bulgarija | ソフィア |
ベラルーシ共和国 | 白露西亜/白俄羅斯 | Беларусь/Белоруссия | ミンスク |
ベルギー王国 | 白耳義/比利時 | België/Belgique/Belgien | ブリュッセル |
ポーランド共和国 | 波蘭[46] | Rzeczpospolita Polska | ワルシャワ |
ボスニア・ヘルツェゴビナ | 波士尼亜赫塞哥維納 | Bosna i Hercegovina | サラエヴォ |
ポルトガル共和国 | 葡萄牙 | Portugal | リスボン |
マケドニア共和国 | 馬其頓 | Македонија | スコピエ |
マルタ共和国 | 馬耳他 | Malta | バレッタ |
モナコ公国 | 摩納哥 | Monaco | モナコ |
モルドバ共和国 | 摩爾多瓦 | Moldova | キシニョフ |
モンテネグロ共和国 | 黒山国 | Црна Гора/Crna Gora | ポドゴリツァ |
ラトビア共和国 | 拉脱維亜 | Latvija | リガ |
リトアニア共和国 | 立陶宛 | Lietuva | ヴィリニュス |
リヒテンシュタイン公国 | 列支敦士登 | Liechtenstein | ファドゥーツ |
ルーマニア | 羅馬尼亜[47] | România | ブカレスト |
ルクセンブルク大公国 | 盧森堡 | Luxembourg/Luxemburg/Lëtzebuerg | ルクセンブルク |
ロシア連邦 | 露西亜/俄羅斯/鄂羅斯/斡羅思 | Россия/Rossija | モスクワ |
以下に、場合によってはヨーロッパに分類されることがあるアジアの国々を示す。
国名 | 漢字表記 | 原語(公用語)表記 | 首都 | 備考 |
---|---|---|---|---|
アルメニア共和国 | 亜美尼亜 | Հայաստանի/Hayastani | エレバン | カフカス地方の国 |
アゼルバイジャン共和国 | 阿塞拜疆 | Azərbaycan | バクー | カフカス地方の国 |
イスラエル国 | 以色列 | מדינת ישראל | エルサレム | ヨーロッパオリンピック委員会・欧州サッカー連盟・欧州野球連盟に所属 |
カザフスタン共和国 | 香佐富斯坦/哈薩克斯坦 | Қазақстан/Qazaqstan) | アスタナ | 国土の西部がヨーロッパに属する。欧州サッカー連盟に所属 |
キプロス共和国 | 賽普勒斯/塞浦路斯 | Κύπρος/Kıbrıs | ニコシア | 南部はギリシャ系、北部はトルコ系が実効支配中。ヨーロッパ連合加盟国。国連はキプロスを西アジアに分類[48] |
グルジア | 具琉耳/格魯吉亜 | საქართველო/Sakartvelo | トビリシ | カフカス地方の国 |
トルコ共和国 | 土耳古/土耳其 | Türkiye | アンカラ | バルカン半島からアナトリア半島にまたがる。北大西洋条約機構加盟国。ヨーロッパオリンピック委員会・欧州サッカー連盟・欧州野球連盟に所属 |
以下に、事実上独立した地域(国家の承認を得る事が少ない、またはない国)を示す。
国名 | 漢字表記 | 原語(公用語)表記 | 首都 | 備考 |
---|---|---|---|---|
コソボ共和国 | 科索沃 | Republika e Kosovës | プリシュティナ | セルビアからの独立を主張 |
沿ドニエストル共和国 | 德涅斯特河沿岸 | Република Молдовеняскэ Нистрянэ | ティラスポリ | モルドバからの独立を主張 |
南オセチア共和国 | 南奥塞梯 | Хуссар Ирыстон | ツヒンヴァリ | グルジアからの独立を主張 |
アブハジア共和国 | 阿布哈茲 | Аҧсны | スフミ | グルジアからの独立を主張 |
北キプロス・トルコ共和国 | 北賽普勒斯 | Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti | レフコシャ | キプロスからの独立を主張 |
ナゴルノ・カラバフ共和国 | 納戈爾諾・卡拉巴赫 | Լեռնային Ղարաբաղի Հանրապետություն | ステパナケルト | アゼルバイジャンからの独立を主張 |
ル
ト
ヨーロッパは概して偏西風が吹き付ける温帯気候領域にある。メキシコ湾流が影響し、同緯度の他地域よりも温暖である[49]。このような条件が働き、ナポリの年間平均気温は16℃(60.8°F)であり、ほぼ同じ緯度にあるニューヨークの12℃(53.6°F)よりも高い。ドイツのベルリンは、カナダのカルガリーやロシアのアジア大陸部の都市イルクーツクとほぼ同じ緯度にあるが、1月の平均気温はカルガリーより約8℃(15°F)、イルクーツクより22℃(40°F)ちかく高い[49]。
細かな差異では、地中海沿岸は夏に亜熱帯気候的性格を現して雨量が極端に少なくなるのに対し、冬は温暖で雨も多い[40]。西ヨーロッパは海洋性気候の特徴を持ち、夏は涼しく冬は暖かい。季節による雨量の変化も少なくほぼ一定している[41]。これに対し東ヨーロッパは大陸性気候であり、夏は暑く冬は寒い。黒海沿岸を除き雨量は少なく、冬には多くの河川や湖沼が凍結する[42]。
かつて、おそらくヨーロッパの80-90%は森林で覆われていた[50]。その姿は今から1000年ほど前までは維持されていたと考えられる。花粉学研究結果によると、太古にはハシバミ類が主流であったが、時とともにナラ、ニレ、シナノキが繁り、5-6世紀頃にはブナ、ツノギ、モミ、ハリモミ類が優勢になった。10世紀末-11世紀頃にはこれらにシラカバやクリも加わり豊かな樹相を成していた。山岳地帯や北欧ではハリモミ類が、南ヨーロッパではマツ類も見られた[51]。ただし乾燥した地中海沿岸では、古くから森林の発達は限定的であった[41]。東ヨーロッパでは北部こそ針葉樹林が広がっていたが、東南部は乾燥したステップ地帯が広がり木々の生長はあまり見込めなかった。黒海沿岸は肥沃な黒土域であり、古代から豊かな穀物収穫があげられていた[42]。
これらに変化が見られたのは12世紀後半以降、盛んに広まった羊の放牧による森林伐採と牧草地化である[41]。イギリスおよびイベリア半島で盛んになった季節的移動牧畜、そして11-13世紀頃に人口が急激に増えた影響から開墾や住居地化が広がった。樹木の種類にも人間の活動による選別が加わり、ドングリなど家畜飼料に使える種実類をもたらすナラ・ブナ・クリ類は木材用としても珍重されたが、これらに適さないマツは多くが伐採され、南欧のステップ化を促進した[51]。現在ヨーロッパで多く見られるプラタナスやポプラ等は、近年になって人間が植栽したものである[51]。
大陸という単位で見れば、ヨーロッパの経済規模は最も大きく、2008年の資産データでは32.7兆ドルと、北アメリカの27.1兆ドルを上回る[52]。2009年においてもヨーロッパは、経済危機前の水準を上回る総資産総額37.1兆ドルという世界全資産の1/3を確保し、最も豊かな地域であり続けた[53]。
27ヶ国で構成される欧州連合のうち16ヶ国が共通通貨であるユーロに移行し、世界一の単一経済統合地域を創設した。国別GDP (PPP) 比較では、世界の上位10ヶ国中5ヶ国がヨーロッパ諸国で占められた。『ザ・ワールド・ファクトブック』によると、ドイツが5位、イギリスが6位、ロシアが7位、フランスが8位、イタリアが10位にランクインした[54]。
ヨーロッパ内部では、一人あたりの国民所得に大きなばらつきがある。最も高いモナコは172,676USドル(2009年)、最も低いモルドバは1,631USドルに過ぎない[55]。
歴史的に、ヨーロッパの宗教は西洋美術史、文化、西洋哲学、EU法などに影響を及ぼした。ヨーロッパ主要の宗教は、カトリック、正教会、プロテスタントの3様式に分かれたキリスト教である。これに続き、東南ヨーロッパ(ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニア、コソボ、カザフスタン、北キプロス・トルコ共和国、トルコ、アゼルバイジャン)で主に信仰されるイスラム教がある。その他、ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教などがあり、ロシアのカルムイク共和国ではチベット系仏教が主流である。一方で、ヨーロッパは比較的世俗的風潮が強いところでもあり、無宗教や不可知論、無神論を標榜する人々も西ヨーロッパを中心に増加傾向にあり、実際にチェコ、エストニア、スウェーデン、ドイツ(特に旧東ドイツ)、フランスなどで無宗教を表明している人の割合が高い[56]。
詳細は「欧州統合」を参照
11世紀以降、ヨーロッパは各都市間および農村との間を繋ぐ交通網と経済交流が盛んに行われ、日用品や生活必需品までもの需要供給関係が確立していた。そして共通のラテン語を基盤とする普遍的文化に覆われていた。この統一的な状態を破壊したものが、近代的な国民国家の成立と言える。それぞれの国が個別の言語や法律などを以って政治的支配を施し、内政的には都市と農村の対立、外交的には分断された主義を原因とする争いが激化し、ヨーロッパの近代を「戦争の世紀」に陥らせた[57]。
欧州統合は通貨・経済から、最終的には政治統合までを目指す活動であり、それは国民国家樹立以前の普遍的なヨーロッパを現代に復活させようという動きでもある。そして現代的視点からすれば、欧州統合は地方主義そして国民国家の緩やかな否定でもある。アメリカ合衆国と比肩する政治・経済共同体として国際的な立場を強化するという点もさる事ながら、思考的にも近代的な政治区画観念から脱却し、大陸主義に立脚したものへの転換を迫る意義を持つ[57]。
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k氏より
インスリンの抽出は大変意図的に行われたのに対し、スルフォニルウレア薬(SU)は偶然に見つかりました。で、1950年代にはじめに二型糖尿病の患者に使われるようになりました。いまでは20種類くらいのSUが広く世界で使われています。 1997にはメグリチニドが臨床適用されました。食後高血糖の治療薬としてはじめて使用された薬です。 メタフォルミンというビグアナイド薬(BG)は、ヨーロッパで広く使われていましたが、1995年にアメリカでも認可されました。 チアゾリジン1997年に市場導入され、二番目にメジャーなインスリン刺激薬として使用されています。この種類の薬には、広汎な肝障害を起こしにくく、世界中で使われています。
膵臓のβ細胞の刺激によって、インスリンを放出させ、血糖値を下げます。 治療が長引くと、インスリン分泌というSUのβ細胞刺激性の効果が薄れてきますが、β細胞上のSU受容体のダウンレギュレーションによるものです。また、SUはソマトスタチンの放出を刺激します。ソマトスタチンはグルカゴン分泌を抑制しているので、これも関係SUの糖を下げる効果と関係しています。 SUはATP感受性Kチャンネルを抑制します。Kレベルが下がると、まく表面における、脱分極を促し、電位依存性カルシウムチャンネルを通じたカルシウムイオンの流入を促進します。 SUには無視できない膵臓外作用があるという議論があります。確かにありうべきことですが、2型糖尿病の患者の治療においては、それほど重要なことではないようです。
SU薬はそれぞれが似たような作用スペクトラムを持っているので、薬物動態的な特性がここの薬を区別する手がかりです。腸管からのSU薬の吸収の割合は薬によって違いますが、食物や、高血糖は、この吸収を抑制します。高血糖はそれ自身、腸管の運動を抑制するので、ほかの薬の吸収も阻害します。血漿濃度が効果的な値にまで達する時間を考えると、半減期の短いSUは、食前三十分に投与するのが適切です。SU薬は90から99パーセントくらい血中たんぱく質と結合し、特にアルブミンと結合します。 第一世代のSUは半減期や分布において、大きく違っています。この半減期や作用時間の不一致の理由はいまだはっきりしていません。 SUはすべて肝臓で代謝を受け、尿中に排泄されます。なので、肝不全、腎不全患者には要注意で処方します。
めったにありませんが、第一世代服用患者では、4パーセントの割合でおきます。第二世代ではもっと少ないでしょう。低血糖による昏睡がしばしば問題になります。腎不全や肝不全がある高齢者の患者でおきやすいです。 重症の低血糖は脳血管障害も起こしうる。急性の神経障害が見つかった高齢患者では血中グルコースレベルを測るのが大事です。半減期の長いSUもあるので、24から48時間のグルコースを輸液します。 第一世代は多くの薬物と相互作用を持っています。 ほかに、吐き気嘔吐、胆汁うっ滞性黄疸、脱顆粒球症、再生不良性・溶血性貧血、全身性のアレルギー症状があります。 SUが心血管障害による死亡率を上げるのかについては議論の余地あり。
SUは、食事療法だけでは十分なコントロールを得られない2型糖尿病患者の血糖コントロールに用いられます。禁忌はtype 1 DM(diabetes mellitus:糖尿病)、妊婦、授乳中の患者、腎障害や肝障害の患者です。 普通の患者なら五割から八割くらい、経口の糖尿病治療薬が効きます。インスリン療法が必要になる患者もいます。 トルブタマイドの一日量は500ミリグラムで、3000ミリグラムが最大の許容量です。SUの治療成績の評価は患者の様子を頻繁に観察しながら、行います。 SUとインスリンの併用療法はtype 1, type 2 両方の糖尿病で用いられていますが、βセルの残存能力がないとうまくいきません。
レパグリニドはメグリチニドクラスの経口インスリン分泌促進物質です。化学構造上、SUとは異なっており、安息香酸から分離されたものです。 SU薬と同様にレパグリニドは膵臓βセルにおけるATP依存性Kチャンネルを閉じることによりインスリン分泌を促進します。AEもSU薬と同様、低血糖です。
Dふぇにるアラニンから分離された薬。レパグリニドよりもSEとして低血糖が認められづらいです。
メトフォルミンとフェノフォルミンは1957年に市場導入され、ブフォルミンが1958年に導入されました。ブフォルミンは使用が制限されていますが、前者二つは広く使われています。フェノフォルミンは1970年代に乳酸アシドーシスのAEによって市場から姿を消しました。メトフォルミンはそのようなAEは少なく、ヨーロッパカナダで広く使われています。アメリカでは1995年に使用可能に。メトフォルミンは単独かSUと併用して使われます。
ものの言い方によると、メトフォルミンは抗高血糖であって、血糖を下げる薬ではありません。膵臓からのインスリン放出は促さないので、どんな大容量でも低血糖は起こしません。グルカゴン・コルチゾール・成長ホルモン・ソマトスタチンにも影響なし。肝での糖新生を抑制したり、筋や脂肪におけるインスリンの働きを増すことで、血糖を押さえます。
小腸から吸収。安定な構造で、血中の蛋白と結合しないで、そのまま尿中に排泄。半減期は二時間。2.5グラムを食事と一緒に飲むのがアメリカで最もお勧めの最大用量。
メトフォルミンは腎不全の患者には投与しないこと。肝障害や、乳酸アシドーシスの既往、薬物治療中の心不全、低酸素性の慢性肺疾患なども合併症として挙げられる。乳酸アシドーシスはしかしながら、めちゃくちゃまれである。1000人年(たとえば100人いたら、10年のうちにという意味の単位。または1000人いたら1年につき、ということ。)につき0.1という割合。 メトフォルミンの急性のAEは患者の20パーセントに見られ、下痢、腹部不快感、吐き気、金属の味、食欲不振などです。メタフォルミンを飲んでいる間はビタミンB12や葉酸のきゅうしゅうが 落ちています。カルシウムをサプリで取ると、ビタミンB12の吸収が改善されます。 血中乳酸濃度が3ミリMに達するとか、腎不全・肝不全の兆候が見られたら、メタフォルミンは中止しましょう。
PPARγに効く。(ペルオキシソーム・プロライファレーター・アクチベイティッド・受容体、つまりペルオキシソーム増殖活性受容体みたいな。)PPARγに結合して、インスリン反応性をまして、炭水化物とか、脂質の代謝を調整します。
ロジグリタゾンとピオグリタゾンは一日一度。チアゾリジンは肝にて代謝され、腎不全のある患者にも投与できますが、活動性の肝疾患があるときや肝臓のトランスアミナーゼが上昇しているときは、使用しないこと。 ロジグリタゾンはCYP2C8で代謝されますがピオグリタゾンはCYP3A4とCYP2C8で代謝されます。ほかの薬との相互作用や、チアゾリジン同士の相互作用はいまだ報告されていませんが、研究中です。
ピオグリタゾンとロジグリタゾンは肝毒性とはめったに関係しませんが、肝機能をモニターする必要があります。心不全のある患者はまずそちらを治療してから。
αGIは小腸の刷子縁におけるαグルコシダーゼの働きを阻害することによって、でんぷん・デキストリン・ダイサッカリダーゼの吸収を抑制します。 インスリンを増やす作用はないので、低血糖もおきません。吸収がよくない薬なので、食事の開始と一緒に飲むとよいです。 アカルボースとミグリトールは食後高血糖の抑制に使われます。 αGIは用量依存性に、消化不良・ガス膨満・下痢などをきたします。αGIとインスリンを併用中に低血糖症状が出たら、、グルコースを補充します。
経口から、グルコースが静脈を通ると、インスリンが上がることがわかっていました。消化管の上部からはGIP、消化管下部からはGLP1というホルモンが出ていて、糖依存性のインスリン放出を促していることがわかりました。これらのホルモンはインクレチンといわれています。この二つのホルモンは別の働き方でインスリンの放出を促進します。GIPはtype 2 DMではインスリン分泌を促進する能力がほとんど失われています。一方でGLP1は糖依存性のインスリン分泌を強く促しています。つまりtype 2 DMの治療ではGIPをターゲットにすればよいということになります。GLPはグルカゴンを抑制し。空腹感を押さえ、食欲を抑えます。体重減少も実現できます。この長所を相殺するように、GLP1は迅速にDPPIV(ヂペプチジルペプチダーゼ4エンザイム)によって負活化されます。つまり、GLP1を治療に使うなら、連続的に体に入れなければなりません。GLP1受容体のアゴニストが研究され、これはDPPIVにたいして抵抗性があります。 そのほかのGLP1療法のアプローチに仕方としては、DPPIVプロテアーゼの不活性化で、それによってGLP1の循環量を増やそうとするものです。type 2 DM治療に新しい薬がでるかもしれないですね。
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