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製作(せいさく)は、機械や道具を使用して品物を作ること、映画や演劇、テレビ番組といったエンタテインメント作品をつくること[1]、とりわけ後者においては企画立案、製作者として出資することも含み日本の映像業界等ではプロデュース、エグゼクティブプロデューサー、製作総指揮ともいう[1]。
製造業においては、「製」の文字を使った単語に「製造」などがあるように、主に形のある物や消耗品を作るときに使われる。
一方、絵画や彫刻、インスタレーションもふくめた芸術作品、あるいは映画や演劇、テレビ番組といった作品については製造業での定義とは異なり、カメラ機材や照明機材等の機械は用いても、実際に手作業のレヴェルで作ることは「制作」である[2]。同音類義語であり、エンタテインメントビジネスの外側の一般ではなかなか区別がつきにくく、「製作」と「制作」の混同が頻出する。
エンタテインメントビジネスにおいて、なかでも映画においては、下請けの製作会社、製作プロダクション(制作会社、制作プロダクション)の仕事を指して「制作」とすることがある以外は、「製作」の表記を用いる。したがって、「制作」は「製作」の一部分であって、「製作」と「制作」は厳然と異なる。製作者、製作国、製作年、製作著作等、これを制作者、制作国、制作年、制作著作とは表記しない。テレビ番組に関しては、かつて「制作著作」と表記した時期は存在したが、2006年(平成18年)の著作権法の改正で第16条に「製作」と「制作」が厳然と区別されて明記[3]されて以来、これを踏まえた表記になっている。
日本の映像業界では、製作をプロデュース(produce(英))と言い換えるが、英語圏の英語ではproductionであり、製作会社を指すプロダクションに当たる語はproductionsあるいはproduction companyである。映画等の「製作中」をin production、絵画等の「制作中」は単にat workである[4]。芸術品は製造物ではないからである。
演劇においては、製作における事務的な業務を「制作」と呼び、そのパートを「制作部」と呼ぶ。
「製作」は企業名である場合は出資をともなうものであり、人名である場合は主に「映画プロデューサー」のことであり、監督その他とは厳然と異なるパートである。「演出」や「監督」、「撮影」などのスタッフとして、ときには「出演」にまで及んで広範囲に、映画などの作品に関わることを「製作」と混同して表現されることがあるが、これはまったくの誤用である。演出家は「演出」し、映画監督は「監督」あるいは「演出」し、脚本家は脚本を「執筆」し、撮影監督・撮影技師は「撮影」し、録音技師は「録音」し、編集技師は「編集」し、俳優は「出演」するのであって、ごく稀に彼らが「製作」するときには、「製作」を兼務し、製作あるいはプロデューサーとしてクレジットされる[5]。
映画は、大きく分けて、製作、配給、興行の3部門に分かれる。製作は、ゼロからの企画立案から出資、実際の撮影・編集・アフレコやダビング(ミキシング)、初号プリントの作成までを指す。配給はこの初号プリントをもとに、上映用プリントを量産し、上映劇場をブッキングし、宣伝を行う。興行は、映画料を支払って配給会社からプリントを預かり、自らの劇場にまつわるでの宣伝を行い、劇場の映写技師が映写を行い、接客、チケットと自らの劇場における興行収入の管理を行う。この3部門をすべて1社で行うことを垂直統合と呼ぶ。現在ではアウトソーシングが進み、製作・配給・興行のいずれにおいても、パートごとの下請け会社が多数存在する。
東宝、松竹、東映、角川映画の映画を製作する大手4社が構成する団体は、社団法人日本映画製作者連盟であり[6]、その前身で1945年(昭和20年)、松竹、東宝、大映、朝日映画社、電通映画社(現在の電通テック)、理研科学映画(理研グループ)、横浜シネマ(現在のヨコシネ ディー アイ エー[7])によって設立された任意団体「映画製作者連合会」、古くは1924年(大正13年)に日活、松竹、帝国キネマ演芸、マキノキネマが設立した日本映画製作者協会[8]と、日本では古くから「製作」の語が正式に用いられてきた。1995年(平成7年)に日本の独立系映画製作会社や、おもに下請け製作を行う製作プロダクションが設立した協同組合も日本映画製作者協会と名乗っている[9]。
日本の映画スタジオにおいては、映画プロデューサーの所属する部署は「企画部」、ライン・プロデューサー、製作担当、製作主任、製作進行、製作助手のラインが所属する部署は「製作部」である[10]。第二次世界大戦以前は、「製作部」に当たる部署は「撮影部」と呼ばれていた。例えば国際活映が1919年(大正8年)に設立した角筈撮影所に、日活向島撮影所から映画監督・脚本家の桝本清を引き抜き、同撮影所の所長および「撮影課長」に就任しており[11]、牧野省三没後の1929年(昭和4年)、新体制のマキノ・プロダクションでは、長男のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)は「撮影部長」を務め、「製作部長」は存在していない[12]。
撮影所と同等かそれ以上の会社組織等では、1921年(大正10年)設立の牧野教育映画製作所、1923年(大正12年)設立のマキノ映画製作所、1925年(大正14年)設立の東邦映画製作所やアシヤ映画製作所、1932年(昭和7年)設立のピー・シー・エル映画製作所、1937年(昭和12年)設立の東京発声映画製作所、1938年(昭和13年)設立の宝塚映画製作所(のちの宝塚映像)、1947年(昭和22年)設立の新東宝映画製作所(のちの新東宝)等があった。逆に「制作」の文字が初めて現れるのは、1965年(昭和40年)設立の東映東京制作所であるが、同社はテレビ局からの下請けでテレビ映画を「制作」する専門会社であった[13]。
日本のサイレント映画時代や1950年代ごろまでは「プロデューサー」のクレジットは、「指揮」あるいは「総指揮」であった[14]。現在、英語における「executive producer」を「製作総指揮」と訳すのはこれに由来する。
「音楽家#「制作」と「製作」について」を参照
著作権法では、「映画製作者」として映画の製作に発意と責任を有する者を指している。アニメーション作品、ゲームソフト、テレビ番組も同じである。
製作者は、映画配給会社、広告代理店、出版社、テレビ局などが相当し、作品の企画立案、製作費の出資などを行い、メディアミックスによる二次使用料を受け取る権利を有している。制作会社も出資して製作者になることがある。
映画やアニメーションでは、製作費を出資する側と作品を制作する側が明確に分かれているために、「製作」と「制作」の使い分けが厳格である。テレビ番組ではテレビ局自らが番組を作ることが多いせい[要出典]か、「製作」と「制作」の使い分けはさほど厳格ではなく、2007年8月現在、在京の主な局では、フジテレビ(「藍より青し」や「ミヨリの森」などの一部のアニメは「製作」)・テレビ朝日・NHKが「制作」表記を、日本テレビ(一時期の「進め電波少年」などの一部番組や系列局の一部は「制作」)・TBSテレビ・テレビ東京(以前はアニメのみ「制作」表記だったが、最近はほとんどの番組が「製作」表記を使用している)が「製作」表記を使用している[要出典]。
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