出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/08/04 05:23:05」(JST)
先延ばし(さきのばし、英: procrastination)とは、するべき行動を遅らせることで事態が悪くなると予想される場合ですら、合理的理由無く意図して遅らせる態度、振る舞いのことである。英訳のProcrastinationからPCN症候群と呼ばれる場合もある[1]。
この振る舞いは社会全体のどこにでも存在するもので、誰にでも問題の解決をある程度引き延ばすことはある。しかし慢性的にそうした行動を取ることにより顕著な遅延を示す人間がおり、心理学の解析対象となっている。先延ばしする人は、するべき行動に背を向け別のより愉快な活動を好むことが多い。
典型的な遅延は、期待される行動に苦痛あるいは不快、すなわちストレスが伴う場合引き起こされる。これは重労働や厳しい練習で経験されるような肉体的なストレスのこともあるし、フラストレーションや不安等の心理的ストレスのこともある。
取り組むべき課題自体やその課題の遂行を必要とする状況が、危険な苦痛な圧倒的な困難な不快な退屈なもの、すなわち不愉快であると感じられるとき、ストレスが大きいといえる。ひとたび習慣化すると、先延ばしはいつでも起こりうる。
さらに先延ばしはうつ病やADHD(注意欠陥多動性障害)のような精神疾患や発達障害の症状や原因の一つでもある。
先延ばしの特徴的な行動は、行うべきことを行わずに他の何かをすることであり、そこには行動の不足および行動の遅延という2つの面をみることができる。不足する行動とは宿題などの処理すべき課題か活動である。遅延には「順番を飛ばす」「最後に回す」「逃避する」の3つの方法がある。
このように、先延ばしは必ずしも単に何かをしていないことではなく、先延ばしする人にそれを行わせないようにしている何かである。 こう考えると、先延ばしとは、行動が終わっているかいないかではなく、それ自体の振る舞いである。 特徴ある振る舞いとして、先延ばしはいくつかの観点からとらえることができる。
先延ばしの本質には誤った意思決定がある。 そうした判断には、やるべき何かをしないという判断と、別のことをやろうという判断がある。 それらは誤った判断であって本人もそれに気づいているが、結局それに従ってしまう。 もし人がその結果に考えが至らず間違った判断をしたのであれば、考え無しに行動している事と同義である。
休息とリラックスすることは健康の維持のために重要である。また、解決すべき問題点をより明らかにするように、または違う観点から見えるように、時々仕事から離れて自分自身を眺めるためにも重要である。 しかしその状態があまりに長く続くならば、それは怠惰(たいだ)と呼ばれる。 健康を維持するのに必要を超えた休息が、自分の責任や人生の夢を妨害してしまうならば、それもまた誤判断の一つである。
多くの場合、先延ばしをする人はアクティブで生産的であろうと願っているが、最後までやりぬくための能力が不足していると考えられる。そのため怠惰については、先延ばしをする本人の責任か否かというような議論もある。
レジャーとレクリエーションは休息とリラックスにほぼついて回るもので、肉体や精神の回復に役立つと考えられるが、それが問題解決の妨げになるようでは得策とは言えない。 遊びは学習に役立ち、新しい経験を得る事によって健康な身体と精神を作る重要な作業でもあるが、必要以上の遊びは逃避となり、それが問題の解決に対して妨げになってしまう可能性もある。 先延ばしをする人は、問題の解決ではなく自分がしたいことを選んでしまう事で災難を招く結果に陥ってしまう事がある。 まず問題の解決(仕事をする、宿題を片付ける等)を図り、それから遊ぶようにするのが得策と考えられる。 だからといって、レジャーを完全に犠牲にする必要はない(楽しみのための休息をスケジュールに組み込むことについては後述)。
何か不愉快なことがあるときに、それを避けてしまうことはとても易しい。 こうして先延ばしをする者は、非難されるほか無い状態になってしまう事がある。 その人が注意散漫であればあるほど、より先延ばし主義に陥りやすい。
もし自分が注意散漫になるのを放置し、その注意散漫が正当でないならば(すなわち、本来しようとしたことよりも重要性が少ないことに注意が向いているならば)、彼は本来しようと思ったこと以外のことを選んでしまっているので、暗黙のうちに先延ばしをする決断をしているといえる。
選択した事柄に対する思考が少なければ少ないほど、それらを把握するのはより難しくなる。 注意を逸らす要因(人、おもちゃ、その他)がその人の今の環境中に多ければ多いほど、それらを選んでしまう可能性は高くなる。
何かに対する合理性を欠いた嫌悪感が恐怖症である。 恐怖症だけが先延ばし主義の原因ではないが、恐怖症は先延ばしの要因になりうる。 したがって、恐怖症であると気づかない場合がある。 何かに対して強力で合理性を欠いた恐怖感があるならば、通常それは恐怖症の兆候である。
意思決定とは、例え意識的に何かを決めたと思うこと無しに行動を取ったとしても、あらゆる行動に対して暗黙のうちに行われるものである。そして課題を避けようとする決断が、それが誤判断であるにもかかわらず繰り返しかつ自動的に行われるならば、その誤判断は習慣化していると考えられる。
習慣とは自ずから繰り返されるものであるから、一回の意思決定で習慣を塗り替えるのは不可能である。 習慣を変えるには新しい習慣を身に付けなければならない。 簡単な意思決定は、習慣の力で容易に曲げられてしまうから、古い習慣と競合できるようになるまでは、習慣として実行しなければならないかもしれない。 どんなことでも「旧習は死なず」などと言っていてはならない。
不運にも、先延ばしは単なる習慣ではなく、感情、思想そして行動を含む「繰り返す行い」の複合様式である。それらから抜け出すには、新しい習慣によってそれぞれを置き換え、妨げ、または効力を弱めなければならない。新旧の習慣がかならずしも一対一で対応するとは限らず、一つの習慣が複数の習慣と置き換わることもある。
先延ばし癖は、うつ病やADHDのような根本的な症状の結果である場合がある。またこの二つは併発する。
先延ばしは不健全な世界観に基づいている。 例えば、負の波及効果を軽視し、「目先の息抜きや喜びは長期的な報酬を得るための犠牲に勝る」と考えているなど。 先延ばし者は、ある種の注意散漫あるいは行動の不適切さのために、適切なアプローチを取ることに失敗している。 先延ばしを生み出す、さまざまな注意散漫と能力不足には以下のようなものがあるが、これに限定されない。
先延ばし(何かをやらないこと)に対する解決策は、その正反対であると思うかもしれない。 回避しているそれを実行することそのものが治療法であると。
確かにそれはそうなのだが、全てを解決するわけではない。 先延ばしが何かをしないことの原因である以上は、先延ばしを生み出している心理的障壁や技術的問題が取り除かれない限りは、先延ばしにしていることを実施することは、心理的に不可能なのだ。 また、上で説明したとおり、先延ばしは強力な心理的な力になっている。 したがって、先延ばしから脱出するためには、これらの心理的障壁を乗り越え、回避し、掻き分けて克服しなければならない。 これは先延ばしの本質次第であるが。
本質的に、先延ばしは能力不足の形を取る。 これを治療するには、能力不足を消すことである。 能力不足は能力の不足であるから、これを消すには能力で置き換えてやればよろしい。
人的能力とは、5つの要素から成る: 心の強さ、正しく方向付けられた思考、時間管理技術、習慣に対するコントロール、問題解決能力である。 したがって、先延ばしを克服する戦略とは、これら5つの技術を向上させることが基本となる。 感情のコントロールを向上すること、基礎をなしている態度を正しく直すこと、注意を集中させること、合理的に思考すること、自己管理の手順(プランニング、スケジューリング)を学ぶこと、習慣を変える方法を学ぶこと、および課題達成技能と問題解決技能を得ることがこれに含まれる。
先延ばしが感情の問題である範囲については、感情をコントロールする方法を身につけることが、問題をコントロールする方法を手に入れることである。 感情は知覚によって誘起され、逆に知覚は、態度、ストレスへの耐性、ムード(これらは感情そのものであるが)に依存している。 したがって、これらの要素を再構築または改善することによって、日々訪れる問題や好機を処理するための感情の強さを増やすことが出来る。 これをするためには、心理的方法と生理学的方法がある。
人の態度は個人の感情の基盤である。 もし世界が自分を受け入れないとか、人生で既に負けてしまっていると信じているならば、その人は自分自身を惨めだと思いながら不機嫌な顔で歩き回るか、さもなくば「とにかくやって見るなんて、そんなことどうでもいいじゃないか」と言いながら自分以外の誰もにいらだつのだろう。 しかし逆に、感謝したいことがたくさん有って、世界はすばらしい場所でチャンスに溢れていると信じているならば、自分自身と他人に良い感情を抱いているので、熱心に働き誰もを笑顔で迎える可能性は高くなる。
態度は、ある人がこれまでの人生で積み上げた個人の信条の静的なセットではない。 態度はアプローチである。 誰でもものの明るい側面を見ようと決めることが出来るし、見ないと決めることも出来る。 前者は希望、熱中、喜びを生み出す一方で、後者は恐怖感、嫌悪感、苦痛を招く。 世界をどう見るかの選択は、各個人に任されている。 以下は、ポジティブな態度が構成する知覚についてである。
先延ばしを打破するもう一つの方法は、健康なライフスタイルを取り入れることだ。 不健康なライフスタイルは人をストレスに敏感にし、そのために悩まされる感じを抱きやすく、先延ばしになる。運動をするなど、ライフスタイルにいくつかの修正を加えることにより、耐えられるストレスの量を大幅に増やすことが出来る。
他人よりもストレスに敏感な人がいる。言い換えると、ストレスに敏感な人よりもより多くのストレスに耐えられる人がいる。耐性が高ければ高いほど、より多くのストレスにも平気である。耐性限界を超えないストレスは「大したことではない」ので、容易にしのぐことができる。 多くの人が気づいていないが、この耐性レベルは変えられる。強化することができるのだ。
感情、気分は行いの動力源である。しかし、気分は自分自身の責任であり、ある感じ方をするかしないかを選ぶことの問題である。 かんしゃくを起こして投げ出してしまいたい気分になることもできるし、なにか役に立つことをしたい気分になることもできるのだ。
(例えばとても重要なプロジェクトを最後の瞬間まで引き伸ばしたり、勉強しなければならないときに遊んでいたり)何か本当に愚かなことをしてしまった後で「俺は何を考えていたんだ?!」と思ったことがあるならば、それはたぶん何も考えていなかったのだ。 さもなくば、十分に考えていなかったために判断があまりよろしくなかったのだろう。 これらの問題は、集中力の欠如に根底がある。 注意散漫、注意を逸らす原因の解決法には、集中力を増すことと、集中する方法の改善がある。これにも、心理学的アプローチと生理学的アプローチがある。
プロジェクトを先延ばしにする傾向は、大まかにいってプロジェクトの難しさに比例する。そして難しさはプロジェクトを扱う技能に関連しているから、自己管理技能と組織化技能を向上させることが、プロジェクトの相対的な難しさを減らすことになり、よって気後れして先延ばしする可能性を減らすことになる。率直に言えば、単純な仕事は怖くない。プロジェクトを扱う技能が増すほどに、仕事は簡単になっていくのだ。
自己管理システムは作業に集中する助けとなる簡単な手順を提供し、プロジェクトとあなたの状況を掌握する助けになるだろう。誰もわざわざ失敗するために計画する人はいないが、多くの人が計画を立てる段階で失敗している。自己管理システムは計画が明確な焦点から外れないように保つのを助ける。以下に、自己管理システムの典型的な要素を挙げる:
一般的なやることリストは、スケジュール化する準備が出来るまでタスクを置いておく場所である。 典型的には、タスクを考えるたびに、忘れることがなく後で容易に見ることができる中央リストに書き留めることができるように、手軽に記録できるようなメモパッド(またはいつも開いておける電子ファイル)である。 タスクは一般的なやることリストから定期的により詳細な日々のタスクリストに織り込む。(以下の節を見よ)
それぞれのタスクは相対的な重要性をもっている(草刈りは試験勉強よりも重要性が低い)。 タスクには所要時間がある(草刈りは試験勉強よりも所要時間が少ない)。 ほとんどのタスクは時間に敏感である(草刈りはする時間を変えても良いが、試験勉強は所定の時刻までに終わらなければならない)。 優先順位をつけるとは、しばしば互いに相反するこれらを調整し、どのタスクを最初にやらなければならないかを決める技能である。
複数のタスクを同時に行っていて、あるタスクを終わらせることが別のタスクを始めるための前提条件になっているような状況では、最優先のタスクから成るクリティカルパスができる。
一日の終わりの寝る前か、一日の始まりの起きた直後に、その日一日のやることリストを作る。 その日に必要なこと、やっておくべきことの全てを一覧にする。 そのタスクを優先度の順番に並べるか、左の欄に優先度を数字で記入する。 一日を通して、リストに載ったそれぞれのタスクを、一度にひとつずつ、優先順位の順番で、処理することに集中する。 リストのタスクの一つを終えたら、チェック印をつけるか、×印で消す。
伝統的な手法では、通常はメモパッドかクリップボードを使い、紙と鉛筆で書く。 リストをルーズリーフバインダーに綴じて記録を残せるように、穴の開いたルーズリーフ紙も使われる。 しかし、現在ではそれと同じことができるいろいろなソフトウェアが利用可能である。 普及している多くのメールソフトにもタスクリストのアプリケーションが入っている。 PDAも同様である。
何をしたかの記録をつけることは、自分の成果を評価することや自分の能力や行いの中の弱点(先延ばしにしているなど)を見つけ出す助けになる。 日々のタスクリストに完了した記録をつけているならば、それらが日誌として役立つ。 要するに、処理した問題、リストに載っていないタスクや主な活動の記録を残すことだ。
ある意味、先延ばしは物事を始められない習慣である。 それはアクションではなく、むしろアクションの欠如である。 そして習慣ではなく、むしろ物事を始めるという習慣の欠如である。 もし物事を始める習慣が身に付いたら、始められないということはもはや問題にはならない。 逃避ではなく正しいタスクについて適用する限り、始めるということは、先延ばしにすることの逆である。
同時に、先延ばしによる進行中の問題は、悪い習慣の複合である。 幸運にも、古い悪習は新しい良い習慣で置き換えることができる。 自己鍛錬を通じて新しい良い慣習を身に付けることは、物事をから逃避し先送りにする悪習を消し去る鍵である。
「21日の法則」に関するワークブックが市販されている。 一般的に、新しい習慣を21日間守れたら、その新しい日課を忘れてしまう確率は大きく下がる。 これはデトックスや薬物依存を治療する離脱法にも通ずる。
ここまでの戦略は先延ばしを消し去ることを狙ったものである。 しかし、陥落しない防御はない。 物事を先延ばしにするきっかけ、誘惑、傾向は、いつでも、どこでも現れるかもしれないからだ。 だから、問題を真っ向から処理するための、最前線を乗り切る問題解決の手法が必要になる。
先延ばしは、考えが狭くなっていることに他ならない。 自分のはまり込んだ小さな箱しか見えず、どうやって抜け出すかしか考えられない。 しかし、本当は既に自由なのである。 人生の夢のために動くのも自由、計画するのも自由、達成するのも自由だ。 先延ばしを克服するちょっとした技とは、人生の水平線(すなわち夢)に視線を向け、そこに向かって進み、またその旅路を楽しむことだ。 常にそれに焦点を合わせていれば、先延ばしは朝霧のように消えて失せるだろう。
いつかはやるとか、いつかはそうなる、というのではなく、今なにをしたいかの観点から夢を考えることは、 行動を呼び起こす呼び声である。 変化とはアクティブな過程である。 あなたはまさにこの瞬間にも何らかの旅路にあるのだが、問題は、正しい旅路であるのかどうか?である。 もしどこにも向かっていないとか、あるいは間違った方に向いている(物事を先送りするために失敗に向かっている)のであれば、ただ進路を正しく直し、生きたいような人生を生きればよい。 そしてもし、それが犠牲を払わなければならないということであれば、まさにそうするがよい! 何に向かって動いているのかを常に心にとどめつつ、既に習得した全ての手段を使い、必要とされる時間と労力を投下するのだ。 そして常に水平線に視線を向ける、すなわちあなたの夢とそれを実現する方法に焦点を合わせ、そして実際には一度にひとつの課題だけを実行すること。
しばしは人は、どこから始めたらいいか分からないという理由でタスクをためらったり回避したりする。 どうやってタスクを完了すればよいかが明瞭でないと、そのタスクはそのままの形では実行できない。 この場合の要点はタスクの選定である。 タスクの前提条件、すなわちあるタスクを始められる前に完了していなければならないような他のタスクへ切り替えることである。
もし何をしたらいいか、どのように実行したらいいかが分からない場合、デフォルトのタスクはそれを明らかにすることである。 もし問題を解くのに十分な知識が無いならば、必要な情報を探しだして学ぶことがデフォルトのタスクになる。
20時間かかる課題があるとして、しかもあまり好きでないとする。 これを大きな一つの塊と考えるならば、このつらい仕事は重くのしかかる。 そのようにアプローチするのではなく、5分間だけそれに従事してみるようにする。 すると、プレッシャーは無くなるだろう。 5分間ならばたやすい。 その5分間の間に、逃避は無意味だったこと、そして思っていたほどその活動がひどくはないことが実感できるだろう。 短時間でもひとたび課題と作業を始めたなら、最初にあったストレスは消えてしまい、課題を続けられそうな気分になるだろう。
ほとんどの人は通常の状況下では、作業1時間につき10分の休憩を取ったときに、最高の状態で作業ができる。
自分を動機付けるもう一つのやりかたは、自分に報酬を与えることである(心理学で言うreinforcementの手法)。 このアプローチでは、ほんのわずかな成果でも、完了すればそれにふさわしい報酬に値する(完了する前ではない)。 これには複数のアプローチがある:
報酬とそれ以外の受け取るべきこと(例えば食堂で食事をするとかテレビニュースを見るとか)の間には明確な区別をしなければならない。適切な報酬とは、何か楽しいことで、毎日することはできないようなものである。この境界線があいまいだと、報酬はもはや報酬ではなくなり、どちらにせよ「報酬」を受け取ることができるために結局先延ばしすることになりがちだ。
報酬システムをインチキ無しに厳密に運用するならば、先延ばしを克服する可能性は高い。 これは、仕事をすることに次第に慣れ、だんだんとより小さい報酬しか必要としなくなるためである。
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