テンプレート:redirect 政府開発援助(せいふかいはつえんじょ, 英語:Official Development Assistance, 略称:ODA)は、国際貢献のために先進工業国の政府及び政府機関が開発途上国に対して行う援助や出資のこと。
世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす。
オリバー・フランクスによって指摘された先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差が問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会項目名 (DAC) と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が国連総会演説で先進国の国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」を提唱する。
先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する。
日本政府は国連世界食糧計画 (WFP) 、国連開発計画 (UNDP) 、国連児童基金 (UNICEF) 、世界銀行 (IBRD) 、アジア開発銀行 (ADB) などの国際機関に資金を拠出して、多国間援助を行っている。
特に、アジア開発銀行に対する日本の出資比率は16パーセントで第1位であり、歴代総裁は日本の財務官僚が就任している。アジア開発銀行を経由した対中援助は、日本の対中ODAを強力に補完する関係になっていて、1986年から2007年までの間に2兆3000億円の資金援助が行われている。さらに2008年から2011年までの間に5000億円の資金援助が決定している[2]。
ODA大綱とは、政府開発援助(ODA)に関する基本理念や重点事項などを集大成したものである。
1992年、閣議によって決定された。2003年8月に、現在の大綱に改定される。
ODAが貧困な発展途上国であれば、どの国にでも援助できるかといえばそうではない。
援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則がある
国際連合憲章の諸原則(特に、主権、平等及び内政不干渉)及び以下の諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係などを総合的に判断の上、ODAを実施するものとする。
(以上、外務省のサイト『政府開発援助大綱』[3]から)
日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAが援助された。カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが援助された。1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設(1990年に完済)。こういった経験から、現在のダム建設などのインフラストラクチャー整備の日本の政策に重点を置いているとも言われる。
最近のODA実績の推移に関しては[4]参照。
日本がODA大国となった理由として、以下の事由が挙げられる。
日本のODAの問題点として、以下の点がしばしば指摘される。
タイド援助とは、援助国がインフラ整備などの開発プロジェクトなどのODA事業に関して、資材の調達先や服務などの工事事業を日本企業に限定することである。「ひも付き援助」とも言う。事業を請け負う企業(商社・ゼネコン等)と政治家の癒着が問題視されてきた。
1970年代頃、援助される国にはインフラなどが整備されるだけで、援助国(請負企業)の一方的な利益追求によって事業が推進される恐れがあると懸念されていた。 1980年代以降、これらの批判を受け、資材の調達先や工事事業の受注先などを特定しないアンタイド援助が増加していった。現在では、90%後半がアンタイド援助である。日本企業の受注率も、1993年には29%と減少続けている。
いずれも正常なコスト意識がないので、取引そのものが非常に利益率が高く設定され、仲介する個人・業者がいくらでもコミッションを取れる構造で政商、黒幕と呼ばれる人物や政治家が私服を肥やしてきており、それを税金で大盤振る舞いしているのが現状である。
日本のゼネコンや地元の政治家が私腹を肥やす目的でODAによって不必要な施設が作られ、それによって住民が援助ではなく被害を受ける事例が現在でも多々あるとされ、2002年にはインドネシアのコトパンジャンダムの建設によって住処を奪われた住民らが、その正当性を巡って受注したゼネコンと日本政府・JBIC・JICAを東京地裁に提訴するに至り、大きなニュースとなった。
中国やミャンマーなどの非民主的国家に対するODAは、大綱の「開発途上国における民主化の促進、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。」という項目に違反しているという批判がある。
特に中国に対する円借款は、同国の第6次五カ年計画(1981―85年)~第7次五カ年計画(1986―90年)の大きな財源となり、文化大革命で崩壊状態にあった中国のインフラ整備に多大の貢献をなし、当時の中国が目指していた“4つの現代化”の推進に大きな役割を果たした。
この借款供与の目的は、中ソ対立から米中国交正常化に至った中国を“日米中対ソ三角同盟”の一員として強化する事にあり、ロナルド・レーガン・マーガレット・サッチャー・中曽根康弘といった当時の先進国をリードした保守系政治家によって推進された。
円借款や技術供与など以外に、日本が提供できない軍事技術等は米・英・仏といった諸国が提供し、当時の中国は明瞭に西側諸国の同盟国として扱われ、米ソ冷戦が東側陣営の崩壊で終結するのに貢献した。
その後、中国が経済的・軍事的に台頭し、隣国である日本に対して恫喝的な行動(例: 東シナ海ガス田問題での強行採掘、沖ノ鳥島周辺EEZでの無断海洋調査、尖閣諸島領有権問題での領海侵犯)に出るケースが増え、更には日本が占めていた国際的地位を置換するような行動(中国の対外経済援助・軍事的支援を背景にした国連での途上国を中心とした多数派工作、日本が軽視していたアフリカ地域での資源の囲い込み)などを見せ始めた事を受けて、日本国内では斜陽化が顕著となった自国への不満から中国への警戒感が高まり、円借款供与への反対意見が増えるようになった。
特に、近年では西欧諸国の人権擁護系利権団体などが、中国の経済発展を活動規模拡大の好機と捉えて、中国国内の少数民族政策を槍玉に挙げる事が増えたため、これに便乗した右翼プロパガンダが増えるようになった。(日本文化チャンネル桜でのプロパガンダ例1 プロパガンダ例2)
こうした意見の趣旨は、日本が中国に供与する二国間援助やアジア開発銀行などを経由した多国間援助が西部大開発等のインフラ整備に使われるため、日本の援助が結果としてチベットや新疆ウイグル自治区に対する漢民族の入植を進めることになり、少数民族地域からの資源の収奪や文化的弾圧を促進している、といったものである。
この論旨では、中国国内での人口移動は内政問題である点を無視している点と、少数民族地域でのインフラを整備すべきでないとの主張には、該当の少数民族の人権や経済発展への参入機会を奪う側面と、未開地域をそのまま保存したいと願うだけの欧米先進国文化人の身勝手な発想の影響が伺える。なにより論旨の因果関係や収奪・弾圧といった事実関係の信憑性が極めて曖昧であり、都合よくつぎはぎされた右翼プロパガンダの域を出ていない。
こうした日本国民の感情に便乗して、ポピュリスティックな統治を特徴とした小泉政権は、2005年3月に有償資金協力(円借款)と無償資金協力に限り、2008年度の援助を最後に打ち切ることを明らかにしたため、日本政府の要望をくんで円借款を継続し続けて来た中国側は反発をみせた。
このため日本政府は、対中ODAを削減するかわりに、アジア開発銀行を経由した対中援助を増加させることで日本の対中ODAを強力に補完させる方針を打ち出している。アジア開発銀行を経由した対中援助は1986年から2007年までの間に2兆3000億円が行われてきたが、さらに2008年から2011年までの間にその金額を増加させた5000億円の資金援助が決定している。
ODAの委託費を巡る不正流用問題も発覚している。大阪市立環境科学研究所(大阪市天王寺区)に於いて、ODAによる開発途上国途上国からの技術研修員受け入れ事業を巡り、2000年-2003年の間に委託費274万円を不正流用していたことが判明している。また、同研究所が、不正流用に関わった職員に対して、厳重注意懲戒処分に留め、流用分の返還請求も行っていないことが、問題を大きくしている(ウィキニュース短信より)。
2007年9月26日、ベトナム南部のビンロン(Vinh Long)省で、日本の政府開発援助(ODA)約248億円をかけて建設中の橋が崩落し、作業員など少なくとも52人が死亡、100人以上が負傷する事故があった<ref>[5]</ref>が、日本国内ではほとんど報道されなかった。これに対して木村外務副大臣が現地を視察、被害者に遺憾の意を示している<ref>http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/h19/10/1175721_814.html</ref>。 邦人に犠牲者はなく、遺族には各75万円、重傷者に各57万円の一時金が支払われる事となった。
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出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/01/05 15:45:46」(JST)
「ODA」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ODA (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
政府開発援助(せいふかいはつえんじょ、英語:Official Development Assistance, 略称:ODA)とは、発展途上国の経済発展や福祉の向上のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。
世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす。
オリヴァー・フランクスによって指摘された、先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差の問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会 (DAC) と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのケネディ大統領が国連総会演説で、先進国の国民所得の1%の移転と途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」を提唱する。
DAC(開発援助委員会)諸国によるODAの実施状況を純額ベースでみると、長らくアメリカが世界の1位であったが、冷戦の終結を背景に、1989年に日本がアメリカを追い抜き、その後も1990年を除き、2000年までの10年間、世界最大の援助国となった。しかし、2001年には再びアメリカが首位に立ち、2006年にはイギリスが第2位となり、2007年には、ドイツが第3位、フランスが第4位となり、日本は2009年まで第5位の位置にある。この間、日本はODAの予算を削減し続けたが、欧米諸国は「貧困がテロの温床になっている」との認識に基づき、ODAの予算を増額させてきている。
ただし、単純にODAの純額だけをもって国際社会への貢献が評価されるわけではない。世界開発センター(CGD)のコミットメント指数では、ODAの対GNI比率に力点が置かれている。この対GNI比率でみると、2009年の第1位はスウェーデンで1.12%。日本は0.18%で第21位である。日本は純額ベースで世界第1位であった頃も、対GNI比ではDAC諸国の平均値を下回っていた。OECDによる国際目標では、各国ともGNI比で0.7%の数値が掲げられている[2][3]。
先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する。
日本は国際連合世界食糧計画 (WFP) 、国際連合開発計画 (UNDP) 、国際連合児童基金 (UNICEF) 、世界銀行 (IBRD) 、アジア開発銀行 (ADB) などの国際機関に資金を拠出して、多国間援助を行っている。
特にアジア開発銀行に対する日本の出資比率は15.7%で米国と並んで首位であり、歴代総裁は日本の財務官僚が就任している。このうち日本は1986年から2007年度までの間に2兆3000億円のアジア開発銀行経由の対中資金援助を行っており、対中円借款が終了した2008年以降はそれを埋め合わせるように対中資金援助が増額している。2008年から2011年までの間に5000億円のアジア開発銀行経由の対中資金援助が決定している[2]。
ODA大綱とは、政府開発援助(ODA)に関する基本理念や重点事項などを集大成したものである。
1992年、閣議によって決定された。2003年8月に、現在の大綱に改定される。
ODAが貧困な発展途上国であれば、どの国にでも援助できるかといえばそうではない。
援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則がある
国際連合憲章の諸原則(特に、主権、平等及び内政不干渉)及び以下の諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、2国間関係などを総合的に判断の上、ODAを実施するものとする。
(以上、外務省のサイト『政府開発援助大綱』[3]から)
日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAを受けた。カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが援助された。1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設(1990年に完済)。こういった経験から現在の日本の政策が、ダム建設などのインフラ整備に重点を置いているとも言われる。
最近のODA実績の推移に関しては[4]参照。
日本がODA大国となった理由として、以下の事由が挙げられる。
日本のODAの特徴としては、以下の点が挙げられる[10][11]。
日本のODAは、贈与ではなく、被支援国が返済を要する円借款の比率が高い。これは、日本がODAの被支援国から支援国へと移行していくに際し、贈与を行うだけの財源がなかったことに加え、ハードインフラの整備へ向けた低利融資によって日本の輸出市場を拡大していくという政策目的も背景にあったとされる。また有償の円借款協力は「借りたものは必ず返す」という意味で、日本の援助哲学でもある「自助努力」を促すことになり、途上国の自立の精神を涵養するという一面を持っている。欧米の原則無償の援助は、「人道」を前面に出しているものの、往々にして依存心を産んで、自立の精神を阻んでいるとも指摘されている[12]。
日本のODAは、道路、橋、鉄道、発電所などのハードインフラ整備の占める割合が大きい。多くの日本人がODAと聞いて連想するのもこういった支援形態である。このようなハードインフラ整備を巡っては、多額の受注費を巡って政治家と日系企業が癒着し、仲介業者が不当に多額の報酬を取得しているとの指摘がある。ただ、昨今では、請負企業を日系企業に限定するタイド(いわゆる紐付き援助)案件の割合は大幅に低下し、2001年時点で20%を下回っている上、日系企業の受注率も低下しているのが実情である。また、ハードインフラの整備自体は、被援助国の経済発展とそれに伴う貧困削減のために重要とされ、世界銀行や開発援助委員会(DAC:Development Assistance committee)もこういったハードインフラ整備支援という手法を評価している。
一方、昨今では、人材育成や法・制度構築などを中心にソフト面での支援に力を注いでいく考え方が強まっている。これは、ハードインフラに偏向しているとの批判を交わすという側面もあるものの、政府レベルではなく、各個人レベルに確実に援助を届けようという「人間の安全保障」や、被援助国に民主主義、法の支配、政府の透明性などが存在しなければ、経済成長、貧困削減なども十分に達成されないという「良い統治(good governance)」といった国際的な援助理念の登場も背景にある。ソフトインフラ整備支援の代表例としては、経済発展や民主主義の基盤となる基本法や経済法の起草支援、裁判所などでの法の運用・執行に関する支援を行う法整備支援が挙げられる。近年日本に限らず、世界各国が法整備支援に力を注いでいる。
日本のODAは、アジアに対するものが大きい。日本に限らず、どの援助国も、歴史的、地理的、経済的な理由で、援助対象国の地域的な偏りが見られ、日本の場合はアジアがそれに該当する。また、日本のODAが、アジアに対する戦後賠償に端を発しているという特殊要因も挙げられる。
昨今のアジアは、世界経済の牽引役と言われるほどに経済発展を遂げつつあるが、その要因としては、アジア各国の勤労意欲、文化などに加え、日本のODAによる経済インフラ整備も挙げられる。また、未だ貧困率の高いアフリカに対し、日本のアジアでの援助経験を活用していこうという考え方も強まっている。
日本のODAの問題点として、以下の点がしばしば指摘される。
毎年発展途上国の債務を免除し続けている事について、日本の国益を損ねているとの指摘されている[13]。また外交上、踏み倒せばよいと思われてしまう可能性がある。
タイド援助とは、援助国がインフラ整備などの開発プロジェクトなどのODA事業に関して、資材の調達先や服務などの工事事業を日本企業に限定することである。「ひも付き援助」とも言う。事業を請け負う企業(商社・ゼネコン等)と政治家の癒着が問題視されてきた。[独自研究?]1970年代頃、援助される国にはインフラなどが整備されるだけで、援助国(請負企業)の一方的な利益追求によって事業が推進される恐れがあると懸念されていた。いずれも正常なコスト意識がないので、取引そのものが非常に利益率が高く設定され、仲介する個人・業者がいくらでもコミッションを取れる構造で政商、黒幕と呼ばれる人物や政治家が私腹を肥やしてきており[要出典]、それを税金で大盤振る舞いしているとの見方[誰?]もあった。 こういった批判を受け、1980年代以降、資材の調達先や工事事業の受注先などを特定しないアンタイド援助が増加していった。現在では、90%後半がアンタイド援助である。日本企業の受注率も、1993年には29%と減少続けている。
ただ、日本のゼネコンや地元の政治家が私腹を肥やす目的でODAによって不必要な施設が作られ、それによって住民が援助ではなく被害を受ける事例が現在でもあるという意見もある[要出典]。2002年にはインドネシアのコトパンジャンダムの建設によって住処を奪われた住民らが、その正当性を巡って受注したゼネコンと日本政府・JBIC・JICAを東京地裁に提訴するに至り、大きなニュースとなった[要出典]。 一方、コトバンジャンダムなどODAを巡る批判的報道には、必ずしも事実関係を正確に伝えていなかったり、公平性に欠けるものがあるとの指摘もある[14]。
中国やミャンマーなどの非民主的国家に対するODAは、大綱の「開発途上国における民主化の促進、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。」という項目に違反しているという批判がある。
対中国へのODAは約3兆円と公表されていることがあるが、それは外務省関係の公的な援助額の数字であり、財務省など日本の他機関の援助額を総額すると、6兆円を上回る額となり批判がある[15]。
ODAの委託費を巡る不正流用問題も発覚している。大阪市立環境科学研究所(大阪市天王寺区)に於いて、ODAによる開発途上国からの技術研修員受け入れ事業を巡り、2000-2003年の間に委託費274万円を不正流用していたことが判明している。また、同研究所が、不正流用に関わった職員に対して、厳重注意処分に留め、流用分の返還請求も行っていないことが、問題を大きくしている(ウィキニュース短信より)。
2007年9月26日、ベトナム南部のビンロン(Vinh Long)省で、日本の政府開発援助(ODA)約248億円をかけて建設中の橋(カントー橋) が崩落し、作業員など少なくとも52人が死亡、100人以上が負傷する事故があった[16]が、日本国内ではほとんど報道されなかった。これに対して木村外務副大臣が現地を視察、被害者に遺憾の意を示している[17]。 日本人に犠牲者はなく、遺族には各75万円、重傷者に各57万円の一時金が支払われる事となった。
東日本大震災において、日本は先進国のみならず、開発途上国も含めた世界各国から多大な支援を受けた[19]。このことは、これまでの日本のODAの成果として受け止められ、ODAに対する肯定的な見直し・評価へとつながり[20][12]、2011年10月28日に発足した国家戦略会議でも、閣僚及び民間議員の双方からODAの重要性が指摘された[21]。同会議を踏まえて2011年12月24日に閣議決定された「日本再生の基本戦略」は、当面重点的に取り組む施策として、「ODA の戦略的・効果的な活用」を掲げ、具体的にも「強靭なインフラの整備」「途上国等の経済を支える人材の育成」「基礎教育支援を通じた人材基盤の拡大」「保健・医療・衛生の改善」「我が国の技術をいかした途上国の防災対策支援」「農業・食料分野での支援等」「インクルーシブな成長の基礎となる法制度整備支援の推進」を明示した[22]。ただ、「日本再生の基本戦略」は、成長著しいアジアの活力取込みという観点から、アジアを中心とした海外展開を想定している[22][21]が、国家戦略会議の議員でもある緒方貞子JICA理事長は、アジアからアフリカへシフトしていく方針を同会議内で説明しており[23]、「日本再生の基本戦略」の方針と一致していない。
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