川崎病。mucocutaneous lymphnode syndrome 粘膜皮膚リンパ節症候群
出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/01/06 06:26:27」(JST)
川崎病 | |
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分類及び外部参照情報 | |
ICD-10 | M30.3 |
ICD-9 | 446.1 |
OMIM | 611775 |
DiseasesDB | 7121 |
MedlinePlus | 000989 |
eMedicine | ped/1236 |
Patient UK | 川崎病 |
MeSH | D009080 |
川崎病(かわさきびょう、英: Kawasaki disease, KD)は、おもに乳幼児にかかる全身の血管炎症候群。主に中型の血管が全身性に炎症を起こすことで、発熱、発疹、冠動脈病変など様々な症状を惹き起こす。小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(英: MucoCutaneous Lymph-node Syndrome, MCLS)とも言われるが、世界的に川崎病 (KD) が一般的。
1961年に日本赤十字社の小児科医・川崎富作が患者を発見し、1967年に報告し名づけられた。病名は、発見者である川崎富作にちなむものであり、川崎市や川崎公害、川崎医科大学とは無関係である。
日本をはじめとするアジア諸国に多く、欧米では少ない。男女比は1.3~1.5:1でやや男児に多い。発症年齢は4歳以下が80%以上を占め、特に6ヶ月~1歳に多い。罹患患者の2~3%に再発がある。伝染性の病気ではないが、1~2%が兄弟で発症する。冠動脈径 8mm以上(通常 2mm以下)が約0.5%発生し、死亡率は約 0.05%程度。年齢により症状は異なる。
日本では1980年代後半から90年代は約6000人/年間が発症している。1999年は約7000人、2000年には8000人と増加傾向にある。日本では1982年16000人と1986年13000人の流行があった。2000年以降も患者の発生は続き、2004年には患者数10,000人を越え、2008年の患者数は11,756人が報告されている。また、2008年は、10万人当たりの罹患率(0~4歳児)も上昇傾向で、218.6人と史上最高を記録している[1]。
今のところはっきりとした原因は特定されていないが、夏と冬に多く地域流行性があることから何らかの感染が引き金となって起こる可能性が示唆されている。
以上のような感染等の何らかのきっかけにより、 全身の血管、中小動脈への自己免疫が誘発される。病理組織上は血管壁に、好中球や、マクロファージ、リンパ球を認める。これら炎症細胞が血管壁を破壊することにより、 冠動脈の拡張、 四肢末端の浮腫がひきおこされるのだろう。
初期は急性熱性疾患(急性期)として全身の血管壁に炎症が起き、多くは1~2週間で症状が治まるが、1ヶ月程度に長引くこともあり、炎症が強い時は脇や足の付け根の血管に瘤が出来る場合もある。心臓の血管での炎症により、冠動脈の起始部近くと左冠動脈の左前下行枝と左回旋枝の分岐付近に瘤が出来やすい。急性期の血管炎による瘤の半数は、2年以内に退縮(リグレッション)するが、冠動脈瘤などの後遺症を残す事がある。
主要症状は以下の6つである。
以上6つの主要症状のうち5つ以上を満たすものを本症と診断するが、5つに満たない非典型例も多い。発熱、発赤、リンパ節腫脹などは乳幼児期のウイルス感染症でも極一般的に認める症状であり、確定診断には困難を伴う。主要症状には含まれていないが、乾癬様皮疹[10]、麻痺性イレウス、低アルブミン血症、BCG接種部位の発赤・痂皮形成などは留意すべき所見とされる[11]。
川崎病治療の目的は、急性期の炎症反応を可能な限り早期に終息させることで、冠動脈瘤の形成を予防することである[12]。初期治療としては免疫グロブリンとアスピリンを併用される。この併用療法により48時間以内に解熱しない、または2週間以内に再燃が見られる場合を不応例とする[13]。 不応例には免疫グロブリンの再投与を行うか、ステロイドパルス療法が有用な例も報告されている。病初期から、免疫グロブリンとアスピリンに加え、プレドニゾロンを投与すると冠動脈瘤の抑制に有用であると言った臨床試験の報告もある。また冠動脈が拡張を来していないか心エコーによりフォローする必要がある。冠動脈病変が好発する第10病日で行い、異常が認められない場合には発病後6週で再検する。(実際は各施設により心エコーを行う時期はまちまちと思われる。)冠動脈病変が認められない場合、その時点でアスピリンを中止する。
5日以上持続する発熱が診断基準の1つとなっているものの、他の診断項目から明らかに川崎病と医師によって診断される場合には発熱5日まで治療開始を待つ必要はない。遅くとも発症7日以内に治療開始することが望ましいとされる。
冠動脈障害がない場合も成人後の遠隔期での心疾患リスクのコントロールに留意する必要がある。発症から1~3週間後ぐらいに10~20%の頻度で冠動脈に動脈瘤が認められ、まれに心筋梗塞により突然死に至ることがある。冠動脈瘤の約半数は、1〜2年程度で退縮(リグレッション)するが、残りの半数は退縮せず残る。冠動脈障害が治った場合でも、冠動脈の状態は成長と共に変化し心臓障害のリスクが高くなる。従って、定期的な検査が必要になる。巨大な瘤を発生した患者では、15年で約70%は冠動脈に狭窄や閉塞が見つかるが、60%程度は無症状で無症候性心筋梗塞と呼ばれる。
免疫グロブリン静注療法によって冠動脈瘤の頻度が低下していることが明らかになっている一方、依然として巨大冠状動脈瘤の頻度には大きな変化がなく、未だにより有効な治療法に向けて研究が進められている。
冠動脈障害(狭窄)により血行が十分に確保されない(心筋虚血)場合は、血行再建術(外科手術)により治療を行う。具体的には、カテーテルによる経皮的冠動脈形成術(PTCA)と冠動脈バイパス術(CABG)で、発症後2年以内に行うと治療効果が高い。一方、発症から10数年経過し、血管壁が厚く血管内部で石灰化している場合は、ロータブレーターにより内壁を削る。しかし、カテーテルやロータブレーターで治療では再び狭窄が進行することがある。根本治療は冠動脈バイパス手術で、心臓への血行が回復すると運動制限は無くなる。
心筋虚血がない場合は運動制限を行う必要はない。
発見者である川崎富作(かわさき とみさく、1925年2月7日 - )は医師。医学博士。専門は小児科臨床。
千葉医科大学臨時附属医学専門部(現千葉大学医学部)1948年卒業。日本赤十字社医療センター勤務中の1961年1月にその疾患に遭遇、翌年非猩紅熱性落屑症候群の名前で千葉県小児科学会で報告、自験50例をまとめて”指趾の特異的落屑を伴う小児の急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症症候群(自験例50例の臨床的観察)”を単著としてアレルギー誌に発表、注目を浴びた[14]。最初は単純な疾患と考えられたが、病理学的に冠状動脈に動脈瘤が見られ、死亡例も多かったので川崎病Kawasaki diseaseが定着した。1990年に日赤医療センターを定年退職。川崎病に関する情報を収集・発信する日本川崎病研究センター理事長。東京台東区に「川崎富作小児科診療室」を開く。久留米大学客員教授。1991年、第81回日本学士院賞[15]。2006年、第1回日本小児科学会賞を受賞[16]。
2013年に小児科外来医を引退。理由は90歳近くなり、足腰に衰えが出て来たためという。
2014年8月29日放送、NHK総合テレビ「総合診療医ドクターG」に、VTR出演。 現在、「日本川崎病研究センター」事務所にて、川崎病患者の電話相談を行っている、と語られた。
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