出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/06/19 11:25:33」(JST)
社会保障(しゃかいほしょう、英: Social security schemes)は、個人的リスクである、病気・けが・出産・障害・死亡・老化・失業などの生活上の問題について貧困を予防し、貧困者を救い、生活を安定させるために国家または社会が所得移転によって所得を保障し、医療や介護などの社会的サービス(Social benefits)を給付する制度を指す[2]。社会保障という言葉は社会福祉と同義で使われることも多いが、公的には、社会福祉の他に公衆衛生をも含む、より広い概念である。
社会保障の目的は多くの国で共通するが、言葉の意味するところは国によって異なる。たとえばイギリスでは、Social Security(社会保障)は経済的保障のみを指す。国際労働機関や欧州連合などではSocial Securityに代えてSocial Protection(社会保護、社会的保護)という言葉も用い、経済協力開発機構(OECD)の統計ではSocial Expenditure(社会支出)の概念を採用するなど[1]、国際比較や統計処理のために様々な分類を行っている。
人口一人あたり 支出(PPP米ドル) |
GDPに占める 割合(%) |
GNIに占める 割合(%) |
NNIに占める 割合(%) |
政府一般支出に 占める割合(%) |
|
---|---|---|---|---|---|
メキシコ | 1,260 | 7.7 | 7.8 | 8.8 | 32.9 |
チリ | 2,045 | 10.1 | 10.7 | 12.3 | .. |
韓国 | 2,611 | 9.0 | 9.0 | 10.3 | 29.8 |
イスラエル | 6,555 | 20.7 | 21.7 | 25.4 | 47.5 |
カナダ | 7,211 | 17.4 | 17.7 | 21.3 | 42.6 |
豪州 | 7,671 | 17.8 | 18.3 | 21.7 | 48.9 |
日本 | 7,981 | 23.1 | 22.4 | 28.2 | 55.1 |
OECD平均 | 7,981 | 21.4 | 22.4 | 26.7 | 47.9 |
英国 | 7,991 | 22.7 | 22.5 | 25.3 | 47.3 |
スペイン | 8,617 | 26.8 | 27.3 | 32.7 | 58.6 |
イタリア | 9,325 | 27.5 | 27.7 | 33.6 | 55.4 |
米国 | 9,375 | 19.0 | 18.6 | 22.1 | 45.5 |
アイルランド | 9,592 | 22.3 | 27.5 | 31.4 | 47.4 |
スイス | 9,961 | 19.3 | 19.1 | 23.3 | 57.4 |
オランダ | 10,133 | 23.5 | 23.4 | 27.5 | 47.1 |
ドイツ | 10,471 | 25.5 | 25.0 | 29.3 | 56.6 |
フィンランド | 10,934 | 28.3 | 28.2 | 33.6 | 51.4 |
スウェーデン | 11,363 | 27.2 | 26.6 | 30.5 | 52.8 |
フランス | 11,419 | 31.4 | 30.7 | 35.7 | 56.2 |
デンマーク | 12,578 | 30.1 | 29.3 | 34.9 | 52.1 |
ノルウェー | 13,506 | 21.8 | 21.6 | 25.0 | 49.7 |
社会保障給付と税・保険料負担の大きさを比較し、北欧諸国は「高福祉・高負担」、アメリカは「低福祉・低負担」の代表例と言われている(ただしアメリカは公的支出は小さいが私的支出はOECD各国で最大であり、慈善団体の果たす役割が大きい[1])。
制度財源は国によって様々であり、社会保障財政を政府一般会計から分離して運営する場合には社会保障基金(Social security Funds)と呼ばれる[3]。
日本の社会保障費はGDPの29%に過ぎず、欧州諸国と比較して規模がそれほど大きくない(OECD諸国中8番目に低い)[4]。また社会保障給付費に占める割合では、経済政策では代替できない高齢者関係給付が約4-5割を占め[4]、逆に児童家庭分野などの割合が相対的に低い。
財源を雇用者または雇用主(あるいはその両者)にて供出する場合は社会保険制度(Social insurance)と呼ばれる[5]。社会保険負担の総額を国民所得で割ったものを社会保障負担率という[6]。オーストラリアとニュージーランドは社会保険制度を採用していない[7]。
社会保障の歴史は、経済社会の動きと密接に関係しており、社会保障の仕組みは、各国が長い歴史の中で、相互に影響を与えながら積み重ねてきたものである。19世紀から20世紀にかけては、各国で失業問題が最大の課題であり、その中から社会保障が進展してきた。また、本来、福祉とは正反対の戦争が契機となって社会保障の基礎がスタートした。21世紀の先進各国では少子高齢化と財源確保が社会保障の大きな課題である。
社会保障には、1)イギリスのベヴァリッジ型、2)ドイツのビスマルク型、3)アメリカのルーズベルト型、の3つのタイプがある[8]。日本の制度は混合型である[9]。
大航海時代は、世界貿易を発展させ、商業の一大変革をもたらした。毛織物工場を刺激し、輸出を志向するエンクロージャー(囲い込み)政策により、イギリスの農業地帯はいっせいに羊牧場へ変わっていった。農地から追い出された農民たちは都市へ流れ込み無産者(貧民)となった。1601年、イギリスではこれまでの救貧施策をまとめた(エリザベス救貧法)、家族による支援が得られない貧困者を救済する法を制定した。この救貧法(Poor Law)は現在の公的扶助にいたる原形となるが、当時社会保障という言葉は生まれていなかった。1834年に救貧法の大改正が行われ、貧民処遇の一元化や中央集権化が図られた。新救貧法では、貧困者は救貧院に収容されて、そこで働かされることになった。救貧の水準について「自立して働いている人のうちのもっとも貧しい人の生活水準以下で救済する」という、劣等処遇の原則や院外救済の禁止、市民権の剥奪などが確立されていったが、その劣等処遇の過酷さに社会的批判が高まるようになる。
産業革命により資本主義が定着していくと、資本家から失業は個人の問題であり国による貧民救済は有害との主張がなされた。一方、工場労働者たちも防貧のために、自分たちの賃金の一部を出し合って助け合う共済組合を作っていった。共済組合はイギリスでは友愛組合、ドイツでは疾病金庫などの名前で親しまれ、主に疾病と失業による雇用の中断の際の経済的保障を提供していた。これらは、共済内メンバーの所得保障等に寄与したが、一方で共済外の高齢者(退職した労働者)の貧困問題には対処できなかった。また、小規模の助け合いの仕組みでは給付水準も限られ不安定であった。
1883年、ドイツで初めて疾病保険が制定された。1884年には労災保険、1889年には年金保険が制定された。このように、社会保険制度を創設しつつ社会主義運動を弾圧する鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクの政策は「飴とムチ」の政策と呼ばれる。疾病保険は、既存の共済組合を利用したもので、経費の公費負担はなかったが、労災保険の費用は全額事業主負担だった。年金保険は30年以上保険料を払い込んだ70歳以上の高齢者に給付を行うものであり、公費負担が3分の1だった。ドイツで始まった社会保険の仕組みは、その後世界各国で導入されるようになる。
1929年にウォール街での株の大暴落を契機として始まった世界大恐慌により、世界各国には大量の失業者があふれ、社会不安が増大した。アメリカでは、フランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策の一環として1935年に連邦社会保障法(Social Security Act)を制定した。社会保障という言葉はこのとき初めて使われたが、この連邦社会保障法は、老齢年金、失業保険、障害者扶助、母子衛生及び児童福祉事業等をその内容としており、必ずしも、今日使われているような社会保障を意味するものではなかった。
社会保障という言葉が、国際的に本格的に使われるようになったのは、ベヴァリッジ報告以後である。イギリスでは、戦時中の1942年にウィリアム・ベヴァリッジが「社会保険と関連サービス」と題したベヴァリッジ報告書を提言し、その後、多くの国の社会保障の発展に大きく影響を与えることになる。この報告では、社会保険制度を中心とし、公的扶助・関連諸サービスを総合し、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにした社会保障計画を提唱した。戦後の社会保障の理想的体系を示したものであり、社会保険制度については均一拠出と均一給付を採用していた。
第二次世界大戦後、貧困が社会不安と戦争の惨禍を生んだことから、世界人権宣言は前文で『恐怖と欠乏からの自由』その第22条で社会保障を人権の一つとして明記した。
「全て人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展に欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。」
この項目は、1961年に採択された欧州社会憲章と1966年に採択された「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」により基本的人権である社会権の一つとして法定拘束力を与えられた。
戦後期には、多くの先進国で社会保障が拡充された。その要因としては、
社会保障の充実は必ずしもプラスの効果ばかりをもたらすものではなく、社会保障制度が充実するにつれて、
というマイナスの効果も認識されるようになった[10]。
1970年代から社会保障の抑制の必要性が喧伝されるようになる。その要因としては、
その後、先進諸国における人口の急激な高齢化・少子化は社会保障の役割と規模の拡大を要請し続けている。
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