出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2017/10/25 17:14:35」(JST)
「マッチ」のその他の用法については「マッチ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
マッチ(英: match、燐寸)は細く短い軸の先端に、発火性のある混合物(頭薬)をつけた、火をつけるための道具である。
木や紙などでできた細く短い軸の先端に、発火性のある混合物(頭薬)をつけた形状をしている。リンの燃えやすい性質を利用している。19世紀半ばには側面に赤燐を使用し、発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが登場した。
発火点は約150度。マッチは一度濡れると頭薬の塩素酸カリウムが溶け出てしまうために、それを乾かしたとしても使えなくなってしまう[1]。そのため、防水マッチが考案されている。
現在日本で見られるマッチは、通常軸が木製で箱に収まっているものが一般的である。軸木にはポプラ、シナノキ、サワグルミ、エゾマツ、トドマツなどが使われるが、現在日本で製造されているマッチの軸木は殆どが中国やスウェーデンからの輸入品である。箱の大きさは携帯向けの小箱から、卓上用の大箱まで様々なものがある。また、軸が厚紙製で、折り畳んだ表紙に綴じられているブックマッチもある(木製のものと異なり、擦り付けて発火させる事は出来ない。軸を根元からちぎり取り、カバーに頭を挟んで、引き抜くように擦る)。
かつてはあらゆる着火に用いられたが、現在ではコンロやストーブなどの火を使う製品にはほぼもれなく着火装置が付き、タバコの着火用としてもライターが普及、さらに喫煙率の低下もあって、マッチの需要は大きく低下している。実際の用途としては、仏壇のある家庭でロウソクの着火用や、学校などで理科の授業にアルコールランプなどを点火するためというのが多い。なお喫煙器具の一種であるパイプは炎が横に噴き出る専用のライターもあるが流通が限定されるため、マッチが利用されている。
かつてはどこの家にもマッチがあったことから、大きさの比較対象として、マッチを被写体の横に並べて写真を撮影することは現在でも見られる。
マッチ箱自体に広告を印刷することが可能であるため、安価なライターが普及した現在でも、飲食店や宿泊施設等では自店の連絡先等を入れたマッチ(小箱のもの、またはブックマッチが多い)を、サービスで客に配ることが多い。このような様々なマッチ箱を収集の対象とする者もいる。
主な原料は頭薬・側薬になる薬品と、軸・箱になる木・紙である。[2]。
火は人間の生活に必要不可欠のものだが、木の摩擦熱や火打石による発火法は手間のかかる作業だった。 1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを考案した。形態的には現在のマッチとほぼ同じであったが、火付けが悪かった。
このため、1830年に、フランスのソーリアが黄燐マッチを発明した。これは頭薬をどんなものにこすりつけても発火するため普及したが、その分自然発火が起こりやすく、また黄燐がもつ毒性が問題となって、製造者の健康被害が社会問題化した。そのため、19世紀後半に黄燐マッチは禁止されてゆき、1906年、スイスのベルンで黄燐の使用禁止に関する国際会議(en)が開かれて、黄燐使用禁止の条約が採択され、欧米各国は批准した。しかし、マッチが有力輸出商品だった日本は加盟しなかった。結局、1921年(大正10年)になってようやく日本は黄燐マッチの製造が禁止されたが、日本における黄燐による健康被害の実態については、不透明な部分が多い。
その後、赤燐を頭薬に使用し、マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面をつけた赤燐マッチが登場。19世紀半ばには側面に赤燐を使用し、発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが登場した。 アメリカでは黄燐マッチ禁止後も摩擦のみで発火するマッチの需要があり、安全マッチの頭薬の上に硫化リンを使った発火薬を塗った硫化燐マッチが今日でも用いられている。この硫化燐マッチは強い摩擦を必要とするので、軸木が安全マッチより太く長い物が用いられるのが大半である。
(なお、硫化燐マッチは日本ではロウマッチという名でも知られるが、後述する防水マッチと混同しないように注意。名の由来は、どこですっても発火する黄燐マッチのマッチ棒に塗られた黄燐がロウと外見が似ていたことからであるとされ、黄燐マッチが製造禁止された後に発売された硫化燐マッチもその名で呼び続けられたとされる。なお、諸外国ではS.A.W. (STRIKE ANYWHERE MATCHES)(和訳 :どこで擦っても火がつくマッチ。)や、頭薬の先端部に白色の硫化燐を目玉状に塗布されている外見から、バードアイマッチという名で知られている。)[3][4]
マッチ製造の特徴は、製造工程の大部分が軽作業の手作業で可能で、必ずしも機械や大型設備を必要としないところにある。早くも19世紀後半に各工程の製造機械が発明され、完成度の高いものに結実したが、その普及は各国の賃金、政策、世論等の要因に左右された。19世紀から21世紀の現在に至るまで、手作業による製造と機械による製造が並行している。大規模・一貫工程の工場は機械を多用し、労働集約的なところはほとんどない。その対極が家内工業や内職だが、零細企業で生産が完結するのでなく、中規模の工場で中心工程を行い、手作業を低賃金の下請け、内職として出したり、工場内の低賃金部門にする形態が多い。
歴史的には、そして国によっては現在でも、女性労働・児童労働の比重が高い分野である[5]。薬品を作って軸木に付けるのが中心工程で、男が比較的高い賃金で行なうことが多い。軸並べと箱詰めは特別な訓練なしに始められる仕事で、低賃金・一時雇用の女性・児童が数多く雇われた。紙箱作りは貧しい家庭の内職で、ここでも女性と子供が働いた。
スウェーデンはマッチに適した軟かいアスペン材を産する19世紀からのマッチ生産大国である。19世紀まで、スウェーデンのマッチ工業の従事者の過半数は女性であり、児童労働が多く用いられていた。家内工業の比率が高く、箱の製作は内職に依存した。しかしスウェーデンは自国の工作機械工業に支えられた諸発明によって早くも1860年代から作業の機械化を進め、1892年には軸木から箱詰めまで一貫生産する連結式機械が登場した。児童労働は法規制により19世紀後半に抑制され、20世紀初めに家内工業的生産が衰退した。機械化に歩調をあわせてイーヴァル・クルーガーの手による企業の合同が進み、1917年に巨大なスウェーデン・マッチ(Svenska Tändsticka AB)社が誕生した[6]。
日本では、当初小箱一個が米4升と見合う高価な輸入品であった。1875年(明治8年)4月、フランスに学んだ金沢藩士の清水誠が、マッチ国産製造の提案者であり後援者でもある吉井友実の三田別邸に構えた仮工場でマッチの製造を開始、大きな成功を収めた。その後本所に新設した工場で本格的に生産を開始した。
19世紀末から神戸を中心にした兵庫県と大阪がある大阪府の生産が他地方を圧した。マッチは当時の日本が輸出競争力を持つ数少ない工業製品で、1880年代から中国やインドをはじめとするアジア地域に輸出された。最盛期である20世紀初めには、スウェーデン、アメリカと並び世界三大生産国となった。このときは生産量の約80パーセントが輸出にまわされた。日本では家内制手工業での生産が中心であったが、原料の一つである硫黄が大量安価に手に入ったので価格競争力があった。軸木は北海道で製造し[7]、これら原料が大都市に送られ、都市下層民の低賃金でマッチになった。マッチ工場の雇用と内職は大阪・神戸で貧民の生活を向上させたが[8]、その反面、マッチ工業は児童労働の集中業種でもあった[9]。当時のマッチ箱は経木を組み合わせるものであり、箱作り(箱張り)はもっぱら貧民家庭の内職に出された[10]。
20世紀に入ってしばらくすると、スウェーデンのマッチ製造会社が進出してきたため、零細企業が次々と廃業した。1916年(大正5年)施行の工場法により12歳未満の児童労働が禁止され[11]、徐々に機械の導入も進んだが、日本では工場・内職ともに低賃金女子労働力に頼る工程が長く残った。1920年代には企業統合が進展するとともに、兵庫県西部(姫路を中心にした播磨地方)に移転した。昭和になると、スウェーデン燐寸が主導する企業の再編が進み、一時的に日本の生産量の70%はスウェーデンの影響下の会社が製造するものとなった。しかし1932年にスウェーデン燐寸の総帥、イーヴァル・クルーガーが死去すると本国からの投資が滞るようになり、再び国内の企業による企業の再編が進んだ[12]。
本格的・全面的な機械化は20世紀後半に進み、昭和40年代にマッチ箱が経木製から紙製になると[13]箱張り内職は跡を絶った。ライターなどの普及、喫煙者の減少によりマッチ生産は減少傾向にある。現在では姫路市周辺で日本の生産量の80パーセントが生産されている。
サバイバルキットや救命ボートに入っているマッチには防水マッチが使われることがある。これは頭薬部分に蝋を塗って撥水効果をもたせたものである。また、嵐の中など過酷な状況でも確実に着火させるため、頭薬を多く(長く)使用しているものもある。
ストロンチウム・バリウム・銅などの塩を頭薬に配合し、炎が炎色反応を起こして着色するマッチがある。これはベンガルマッチ、着色マッチなどとよばれる。
アウトドア用品では、ファイアスターターあるいはメタルマッチと呼ばれる棒状もしくは板状のマグネシウムがある。これははめ込まれている火打石で火花を飛ばし点火するものだが、綿などの火口が必要となる。ナイフ等の金属片でマグネシウム部分を削って粉状にし、着火力を上げる事も可能ではあるが、マグネシウムだけでは一瞬派手に炎が上がって消え、着火剤にしかならない。現状で流通している商品の大半はマグネシウム本体と火打石部分が一体化しており、特に意識すること無く利用可能だが一部マグネシウム本体と火打石部分が完全に分離している物も存在する。
マグネシウム合金の燃焼温度は数千度にも達するため、降雨や湿気のある環境でも非常に容易に着火が可能なこと、繰り返し使用が可能なこと、メンテナンスフリー、なおかつ保存期間に事実上の制限が無いこともあり非常用やサバイバル用として利用されている。しかし、スムーズな着火には若干のコツが必要なため事前に練習や用途を確認を確認することが望ましい。(一部ではあるが、片手で棒を押しつけるだけで誰でも着火が可能、防水ケースが付いており、火口も同梱されているような高級品も存在する)
また、オイルライターに似たオイルマッチがある。これは綿芯が仕込まれた金属棒を本体横の石に擦り付けて発火させる。本体にはオイルを充填しておき、そこに金属棒を差し込むことで、綿芯にオイルが染み込む仕組みになっている。ちなみにパーマネントマッチやAQマッチ(AQは永久の語呂合わせ)とも呼ばれるが、オイルは消耗品であり、石や綿芯も交換が必要な場合もあるため、そのままの状態で永久に使えるというわけではない。
メタルマッチ、オイルマッチ共に基本的に出荷段階では火打石(フリント)の部分にコーティングが施されており、使用前にナイフや金属片などで火花が出ない程度に軽く擦り、コーティングを削る作業が必要。(確実に、安全に作業を行いたい場合は目の細かいサンドペーパーが推奨される。)特にオイルマッチに関してはオイルの充填前にフリント部分のコーティングを剥がすことが必須となり、これを怠った場合はオイル漏れや怪我のみならず、思わぬ事故や最悪の場合は火災などの重大な事故に至る恐れがあり、また事例も存在する。[14][注釈 1]オイルを含まないメタルマッチに関しても無理な力が掛かることによって破損や異常摩耗の原因となるため、使用前にコーティングを剥がす事が望ましい。コーティングを剥がした部分は放置することによって表面が酸化され、不動態皮膜が発生するため長期間保管していた場合などは使用前に軽く擦って被膜を剥がすことが推奨される。
このような製品については基本的に「ぶつかった、こすった」程度では着火せず、人の手によって意図的に着火を行わない限り、意図しない燃焼が発生する可能性は低い。前述のコーティングや酸化皮膜も相まり、通常保管や持ち歩く程度でこれ単体が事故の原因になる可能性は極めてゼロに等しい。しかしながら確実にゼロにすることはできない。本商品やマッチだけに限った話ではないが、「火を扱うこと、火を起こすための道具である」という認識を持って所持、利用すべきであろう。
ウィキメディア・コモンズには、マッチに関連するカテゴリがあります。 |
全文を閲覧するには購読必要です。 To read the full text you will need to subscribe.
リンク元 | 「一致」「対応」「匹敵」「調和」「整合」 |
拡張検索 | 「メチル依存性ミスマッチ修復機構」「マッチドペア分析」「リンパ球クロスマッチ試験」 |
-congruence
.