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この項目では、三浦綾子作の小説『氷点』とそれに基づく映画・テレビドラマ等について説明しています。
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『氷点』(ひょうてん)は、クリスチャン作家三浦綾子の小説。『朝日新聞』朝刊に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載され、続編の『続氷点』が1970年5月12日から1971年5月10日まで連載された。なお、挿絵は福田豊四郎が担当した。
1963年に朝日新聞社が、大阪本社創刊85年、東京本社創刊75周年を記念する事業として懸賞小説を募集した時の入選作品である。賞金は当時としては破格の1千万円であり、募集要領には「既成の作家、無名の新人を問わない」とあったが、実際に無名であった三浦の作品が入選したことは大きな話題となった。連載終了直後の1966年にテレビドラマ化および映画化され、以降繰り返し映像化されている。
なお、一千万円懸賞小説でこれ以外の入賞作品は「2席・山家慕情(志田石高)」、「2席・享保長崎記(山脇悌二郎)」「2席・異郷の人(高木俊朗)」などであった。
継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。続編のテーマは罪に対する「ゆるし」であり、これらのテーマには三浦の宗教的な立場が色濃く反映されている。
物語の舞台となった旭川市の外国樹種見本林には、三浦綾子記念文学館があり、本作の資料も数多く展示されている。
(『氷点』)昭和21年(1946年)、旭川市在住の医師辻口啓造は、妻の夏枝が村井靖夫と密会中に、佐石土雄によって3歳の娘ルリ子を殺される不幸に遭う。啓造は夏枝を詰問することもできず、内に妬心を秘める。ルリ子の代わりに女の子が欲しいとねだる夏枝に対し、啓造はそれとは知らせずに殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取る。女の子は陽子と名付けられ、夏枝の愛情を受けて明るく素直に育つ。
陽子が小学1年生になったある日、夏枝は書斎で啓造の書きかけの手紙を見付け、その内容から陽子が佐石の娘であることを知る。夏枝は陽子の首に手をかけるが、かろうじて思いとどまる。しかし、もはや陽子に素直な愛情を注ぐことが出来なくなり、給食費を渡さない、答辞を書いた奉書紙を白紙に擦り替えるなどの意地悪をするようになる。一方の陽子は、自分が辻口夫妻の実の娘ではないことを悟り、心に傷を負いながらも明るく生きようとする。
辻口夫妻の実の息子である徹は、常々父母の妹に対する態度を不審に思っていたところ、両親の言い争いから事の経緯を知る。両親に対するわだかまりを持ちつつ、徹は陽子を幸せにしたいと願う。その気持ちは次第に異性に対するそれへと膨らむが、陽子のために自分は兄であり続けるべきだという考えから、大学の友人である北原邦雄を陽子に紹介する。
陽子と北原は互いに好意を持ち、文通などで順調に交際を進める。しかし、陽子が高校2年生の冬、夏枝は陽子の出自を本人と北原に向かって暴露し、陽子は翌朝自殺を図る。その騒動の中、陽子の本当の出自が明らかになる。
表題の「氷点」は、何があっても前向きに生きようとする陽子の心がついに凍った瞬間を表している。その原因は、単に継母にひどい仕打ちを受けたという表面的なものではなく、人間が生まれながらにして持つ「原罪」に気付いたことであると解釈される。
(『続氷点』)一命を取り留めた陽子であったが、実の父親が佐石ではないと聞かされても心が晴れないばかりか、不倫の関係であった実の両親やその結果生まれた自分に対して複雑な感情を抱く。徹は陽子の実母三井恵子に会い、陽子の近況を告げる。動揺した恵子は車の運転を誤り、事故を起こす。その経緯に不審を抱いた恵子の次男達哉は、大学で母にそっくりな陽子に出会う。事の真相に近付いた達哉は冷静さを失い、無理に陽子を恵子に会わせようとするが、それを阻もうとする北原を車で轢いてしまう。作中最後の場面で陽子は、夕日に照らされた真赤な流氷を見ながら、人間の罪を真に「ゆるし」得る存在について思いを馳せる。
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7月12日 - 9月20日、「氷点2001」としてテレビ朝日系列の木曜ドラマ枠で放送。陽子役(8代目)は末永遥をオーディションで選出。
舞台は現代の鎌倉に変更。アイテムも手紙の代わりに電子メールを使用する。
各話 | 放送日 | サブタイトル | 脚本 | 演出 | 視聴率 |
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第1話 | 2001年7月12日 | 娘、陽子を私は憎んでいる!! | 中園ミホ | 阿部雄一 | 10.8% |
第2話 | 2001年7月19日 | 娘をいじめ始める母 | 9.5% | ||
第3話 | 2001年8月2日 | 殺意 | 相内美生 | 今井和久 | 8.5% |
第4話 | 2001年8月9日 | 15年間育ててくれてありがとう | 小野沢美暁 | 8.4% | |
第5話 | 2001年8月16日 | 母の浴衣が着たかった… | 相内美生 | 阿部雄一 | 8.2% |
第6話 | 2001年8月23日 | お兄ちゃんに抱きしめられた夜 | 今井和久 | 9.5% | |
第7話 | 2001年8月30日 | 涙をみせない怖い少女 | 相内美生 小野沢美暁 |
10.6% | |
第8話 | 2001年9月6日 | そんなにあの子が大切ですか | 相内美生 | 植田尚 | 9.7% |
第9話 | 2001年9月13日 | 涙の遺言 | 今井和久 | 10.1% | |
最終話 | 2001年9月20日 | お願い、死なないで | 阿部雄一 | 11.9% | |
平均視聴率9.7% (視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) |
※ 7月26日は『2001年世界水泳選手権』中継のため休止。
テレビ朝日、北海道テレビ放送、青森朝日放送、岩手朝日テレビ、東日本放送、秋田朝日放送、山形テレビ、福島放送、新潟テレビ21、北陸朝日放送、福井放送、長野朝日放送、山梨放送(日本テレビ系・時差ネット)、静岡朝日テレビ、名古屋テレビ放送、朝日放送、山陰放送(TBS系・時差ネット)、瀬戸内海放送、広島ホームテレビ、山口朝日放送、四国放送、愛媛朝日テレビ、高知放送、九州朝日放送、長崎文化放送、熊本朝日放送、大分朝日放送、鹿児島放送、琉球朝日放送、KIKU-TV(アメリカ・ハワイ州。2008年。全編英語字幕付)
テレビ朝日系列でスペシャルドラマとして11月25日・11月26日放送。主役の陽子役(9代目)に石原さとみ。徹役にNEWSの手越祐也。前編が「氷点」、後編が「続・氷点」の内容。
各話 | 放送日 | 視聴率 |
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前編 | 2006年11月25日 | 12.6% |
後編 | 2006年11月26日 | 17.3% |
韓国・MBCで連続ドラマ化(原題:빙점)。役名が全員韓国語に。2004年10月4日から2005年1月8日まで放映されたMBC朝ドラマで放映された、全89話。
NET系 日曜22時枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
21:30-新選組血風録
22:30-ペギー葉山ショー |
氷点
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嵐のなかでさよなら
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TBS系 花王 愛の劇場枠 | ||
智恵子抄
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氷点
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第二の結婚
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NET系 ポーラ名作劇場枠 | ||
じゅんさい物語
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続・氷点
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舞いの家
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毎日放送制作・TBS系 妻そして女シリーズ枠 | ||
三十八歳・未婚の母
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氷点
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愛の陽炎
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テレビ朝日系 木曜ドラマ枠 | ||
R-17
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氷点2001
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最後の家族
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テレビ朝日系 木曜20:54 - 21:00枠 | ||
R-17
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氷点2001
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ミニ番組
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拡張検索 | 「氷点降下」「氷点降下度法」「氷点降下度測定法」「結氷点測定法」 |
関連記事 | 「点」 |
華氏 | 摂氏 | |
氷点 | 32.0 F | 0.0 C |
平熱 | 98.6 F | 37 C |
発熱 | 100.0 F | 37.8 C |
沸点 | 212.0 F | 100.0 C |
華氏度(かしど)は、数種ある温度目盛のうちの1つであるファーレンハイト温度目盛(華氏温度目盛)によって計測した温度の単位である。ファーレンハイト度(ファーレンハイトど)とも言う。「華氏」は、考案者ファーレンハイト(Fahrenheit)の中国語における音訳「華倫海特」(普通話ではHualunhaite)によるものである。
ファーレンハイト温度目盛は、ドイツの物理学者ガブリエル・ファーレンハイトが1724年に提唱したもので、その名前を取って呼ばれる。ファーレンハイト度は、他の温度目盛と同様「度」(記号:°)の単位がつけられ、他の温度目盛による値と区別するためにファーレンハイトの頭文字を取って"°F"と書き表される。「32°F」は、日本語では「華氏32度」、英語では"32 degrees Fahrenheit"、または、"32 deg F"と表現される。
ファーレンハイト温度目盛では、水の氷点を1 E2 K(32°F)、沸点を212度(212°F)とする。水の氷点と沸点の間は180度に区切られる。よって、この温度目盛によって計った温度Fは、セルシウス温度目盛による値(セルシウス度、摂氏度)Cと、以下の関係にある。
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セルシウス度に対するケルビンに対応するものとして、絶対零度を0としてファーレンハイト度の目盛りを振ったランキン度がある。
ファーレンハイトがこの温度目盛を作った時の話には、いくつかの説がある。
日本では1.と2.を合わせたものがよく知られているが、アメリカでは3.が有名であるようである。
ファーレンハイトの計測は完全に正確ではなかった。彼が作ったオリジナルの目盛によって計った水の氷点・沸点は32度・212度とは異なっていた。彼の死後、その値が32度・212度となるように調整された。その結果、人の体温は96度ではなく98.6度となった。
1960年代まで、多くの英語圏の国でファーレンハイト度は気候・産業・医療における温度の基準となっていた。1960年代後半から1970年代にかけて、メートル法への切り換えの一環としてセルシウス度(摂氏度)の導入が政府によって行われた。しかし、切り換えのための努力にもかかわらず、現在でも多くの英語圏の国では非科学分野での温度計測にファーレンハイト度が広く使用されている。
ファーレンハイト度の支持者は、これがファーレンハイト度が利用者によって親しみやすいからだと主張している。地球上の居住可能地域の大部分で気温変化は0°Fから100°Fの範囲に収まり、ファーレンハイト度は生活感覚に直結した温度目盛であると主張している。
しかし、そのような温度と生活感覚の相互関係は、単に習慣から生まれるものである。日常摂氏を使用している人であれば、マイナスの温度では霜が降り、0-10℃は寒い、10-20℃は適温、20-30℃は暖かい、30-40℃は暑いということを知っている。
アメリカ合衆国・ジャマイカでは、メートル法への置き換えが生産者側・消費者側の両方で大きな抵抗に遭っているため、ファーレンハイト度は様々な分野で広く使われ続けている。同様にイギリスの一部では、低い温度はセルシウス度で表されるが、日常的に使われる温度はファーレンハイト度で測定されている。カナダではメディアはセルシウス度で温度が報じるが、年配のカナダ人は今でもファーレンハイト度で温度を表す。
また、ファーレンハイト度での人間の平熱が98.6度であることはよく知られていて、体温が華氏100度以上になると治療が必要とされる。
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