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覚醒剤(かくせいざい、Awakening Drug[1][2])とは、日本においてこの名前で知られ、1950年代より乱用が大きく問題となったアンフェタミン類の精神刺激薬である[3][4][1][2]。過去に覚醒アミンとして知られたアンフェタミン類である[3]。広義には、中枢神経刺激薬を指すことがあり[5]、これは脳神経系に作用して心身の働きを一時的に活性化する働きを持つ広義の向精神薬の一種で、ドーパミン作動性に作用するため、中毒症状の覚醒剤精神病は統合失調症に酷似しており、乱用・依存に誘発された精神病は、重篤になりやすい。日本において狭義には、覚せい剤取締法で定義されるように、この取締法で規制されているメタンフェタミンとすることもある[5]。しかしながらアンフェタミンも乱用が問題となった。
覚醒剤という名称は、元々は『除倦覚醒剤』などの名称で販売されていたものが略されたものである。この『除倦覚醒剤』という言葉は戦前戦中のヒロポンなどの雑誌広告などに見受けられる。健康面への問題が認識され社会問題化し法規制が敷かれる以前は、現在の覚せい剤として指定されている成分を含んだ薬品は、疲労倦怠の状態から回復させ眠気を覚ますための薬品として販売されていた。
覚せい剤取締法で規制されている薬物として、『フェニルアミノプロパン』すなわちアンフェタミン、『フェニルメチルアミノプロパン』すなわちメタンフェタミン、及びその塩類やそれらを含有するものがある。後述の法規制に詳しい。これらは、一般に、数度の使用によって強い嗜好性が生じ、習慣性の依存状態となりやすい。日本では他の麻薬と区別され、所持、製造、摂取が厳しく規制されている。フェニル酢酸から合成する手法が一般的であるが、アミノ酸のフェニルアラニンを出発物質として合成することもできる。
覚醒の「醒」が「せい」と表記されるのは、2010年まで常用漢字ではなかったためである[6]。
日本における乱用が問題となってくることによって取締法が制定される。
覚せい剤取締法を、法務省刑事局の『法律用語対訳集』では、Stimulant Control Law[7]としている。
しかし、国際連合薬物犯罪事務所(UNDOC)における厚生省麻薬課の報告は、「覚醒剤(awakening drugs)」として知られる「刺激薬(stimulant)」の乱用を規制する「アンフェタミン類取締法(Amphetamines Control Law)」と報告し[4][3]、UNDOCの他の外国の研究者やユネスコでの厚生省麻薬課の報告では「覚醒剤取締法(Awakening Drug Control Law)」である[1][2]。
日本では、第二次世界大戦後に、アンフェタミンと特にメタンフェタミンの注射剤の乱用が問題となった。このため、1951年(昭和26年)6月30日に覚せい剤取締法が公布される。「日本の法律上の覚醒剤」が規定されている。
第二条 この法律で「覚せい剤」とは、左に掲げる物をいう。
一 フエニルアミノプロパン、フエニルメチルアミノプロパン及び各その塩類
二 前号に掲げる物と同種の覚せい作用を有する物であつて政令で指定するもの
三 前二号に掲げる物のいずれかを含有する物— 覚せい剤取締法
第二条で指定されている薬物は、「フェニルアミノプロパン」すなわちアンフェタミン、「フェニルメチルアミノプロパン」すなわちメタンフェタミン、またその塩類である。第三条に規定されるように、医療および研究上の使用は認められている。
日本の法律における規制対象としての、麻薬及び向精神薬取締法(麻薬取締法)における法律上の麻薬とは異なる。法律に関しては後述の法規制の項にも詳しく記載する。
覚醒剤研究会による定義は、広義にはカフェインやコカインも含む脳内を刺激する中枢神経刺激薬であり、狭義には覚せい剤取締法の規制対象のアンフェタミンやメタンフェタミンなどである。しかし、アンフェタミンは日本ではあまり使用されていないため、日本における覚醒剤の歴史解説では便宜的に狭義の覚醒剤をメタンフェタミンに限定している[5]。
覚醒剤という名称は、元々は「除倦覚醒剤」などの名称で販売されていたものが略されたものである。この「除倦覚醒剤」という言葉は戦前戦中に、メタンフェタミン製剤であるヒロポンなどの医薬品の雑誌広告などに見受けられる。健康面への問題が認識され社会問題化し規制が敷かれる以前は、取締法において指定されている成分を含んだ薬品は、疲労倦怠の状態から回復させ眠気を覚ますための薬品として販売されていた。
覚醒剤(アンフェタミン、メタンフェタミン、また粗悪な闇流通品はカフェインなど他の成分が含まれる)の俗称は、日本では、「シャブ」、「スピード」、スピードの頭文字である「S」(エス)、「アイス」などがある。比較的大きい単一の結晶状のものは「ガンコロ」と呼ばれ、乱用者や密売人に特に好まれる。「シャブ」の由来は、「アンプルの水溶液を振るとシャブシャブという音がしたから」という説や、英語で「削る、薄くそぐ」を意味する「shave」を由来とする説、「骨までシャブる」を由来とする説や、「静脈内に投与すると冷感を覚え、寒い、しゃぶい、となることから」という説もある。「人生をしゃぶられてしまうからである」と発言した裁判官もいる[8]。
覚醒剤を小分けにするビニール製の小袋は「パケ(packet)」と呼ばれる。静脈注射で摂取する方法は「突き」などと呼ばれ、使用される注射器は「ポンプ」、「キー」などと呼ばれる。第二次覚せい剤乱用期までは「ガラポン」と呼ばれるガラス製注射器も多く使用されていたが、第三次覚せい剤乱用期の現在はインスリン注射用の使い捨てタイプを使用するのが主流となっている。覚醒剤をライターなどで炙って煙を吸引する摂取方法は「炙り」と呼ばれ、近年はこの摂取方法での乱用が増えている。乱用者はヒロポン中毒を意味する「ポン中」や「シャブ中」などと呼ばれる。
東アジアでは、「syabu (shabu)」(シャブ)、「speed」(スピード)、「ice」(アイス)などの俗称がある。中国では「冰毒」(ビンドゥ)、北朝鮮では「빙」(ピン)などとも呼ばれる。韓国では、大日本住友製薬の興奮剤・覚醒剤の商品名「ヒロポン」(히로뽕(필로폰))の名で知られる。
東南アジアのマレーシアでは「batu Kilat」(バトゥ・キラット)、フィリピンでは「batak」(バタク)、タイでは「yaaba (yama)」(ヤーバー、ヤーマ)などと呼ばれる。覚醒剤は、コカインよりも強い向精神作用が長時間続き末端価格も安いため、フィリピンなどでは「貧乏人のコカイン」という意味の「poor man's cocaine」との俗称もある。
「メス」、「アイス」、「ティナ」、「ガラス」などと呼ばれる。バイク乗りたちが覚醒剤の隠し場所にバイクのクランクケースを利用したことが由来とされる「crank」(クランク)や、結晶が鉱物のクリスタルと似ていることから「crystal」(クリスタル)との俗称もある。乱用者は「tweakers (tweekers)」(トゥイーカー)などと呼ばれる。
覚醒剤は粉末状では白色、結晶状では無色透明になるが、他の興奮・覚醒薬などを混ぜたことにより着色されたものも乱用されており、赤色は「strawberry quick」(ストロベリー・クイック)、ピンク色は「pink panther」(ピンクパンサー)などと呼ばれている。これらは、その色合いと名称から抵抗感が少なく、10代や20代の若い世代も遊び感覚で手を出しやすい。日本の乱用者は白色粉末や透明結晶状の高純度の覚醒剤を好むため、着色されたものが日本に密輸されることは少ないが、MDMAやカフェインなどと覚醒剤との混合錠剤(ヤーバーなど)の多くは着色されており、これらの日本への密輸は近年増加している。
不純物が取り除かれた高純度のものは「nazi dope」(ナチ・ドープ)と呼ばれる。これは、アンフェタミンがドイツの科学者によって開発され、第二次世界大戦時にナチス・ドイツの兵士が使用していたことに由来するもので、覚醒剤本来の形、非常に純粋で純度が高いという意味で使われる。
米国では、覚醒剤の原料になる鼻炎薬や風邪薬が薬局で手に入るため、自宅などで密造する乱用者が多いが、隣国メキシコの麻薬カルテルによって製造された覚醒剤も大量に密輸されており、これらは「メキシカン・アイス」(Mexican Ice) というブランド名で流通する。メキシコの麻薬カルテルは麻薬製造のために巨額の投資を行い、高度な技術と設備を有しているため、メキシコから密輸される覚醒剤は、個人や小規模の密造グループが製造するものよりも純度が高く乱用者の間で人気が高い。
原料になる鼻炎薬や風邪薬を買い集める犯罪者は「smurfers」(スマーファー)と呼ばれ、スマーファーが買い集めたこれらの薬は、「papa smurf」(パパスマーフ)と呼ばれる密造者の下に集められる。スマーファーは覚醒剤乱用者が多いため、報酬として覚醒剤を受け取るケースが多い。「パパスマーフ」との俗称は人気アニメ「スマーフ」が語源とされる。
アンフェタミン、メタンフェタミン、コカイン、メチルフェニデートなどは、脳内報酬系としても知られる、腹側被蓋野から大脳皮質と辺縁系に投射するドパミン作動性神経のシナプス前終末からのドパミン放出を促進しながら再取り込みを阻害することで、特に側座核内のA10神経付近にドパミンの過剰な充溢を起こし、当該部位のドパミン受容体に大量のドパミンが曝露することで覚醒作用や快の気分を生じさせる。
メチルフェニデートの塩酸塩にあたる塩酸メチルフェニデートは、注意欠陥多動性障害 (ADHD) やナルコレプシーに対して処方される。しかし作用機序がメタンフェタミンと類似しているものの、他の覚醒剤や麻薬と比較して規制が緩いため乱用目的で入手・使用する者もいる。
連用すると耐性を生じ、以前と同じ効果を得るためには摂取量の増量が必要になる。
血圧上昇、散瞳など交感神経刺激症状が出現する。発汗が活発になり、喉が異常に渇く。内臓の働きは不活発になり多くは便秘状態となる。性的気分は容易に増幅されるが、反面、男性の場合は薬効が強く作用している間は勃起不全となる。常同行為が見られ、不自然な筋肉の緊張、キョロキョロと落ち着きの無い動作を示すことが多い。更に、主に過剰摂取によってであるが、死亡することもある。食欲は低下し、過覚醒により不眠となるが、これらは往々にして使用目的でもある。
中脳辺縁系のドパミン過活動は、統合失調症において推定されている幻聴の発生機序とほぼ同じであるため、覚醒剤使用により幻聴などの症状が生じることがある。ごくまれであるが、長期連用の結果、覚醒剤後遺症として統合失調症と区別がつかないような、慢性の幻覚妄想状態や、意欲低下や引きこもりといった、統合失調症の陰性症状の様な症状を呈し、精神科病院への入院が必要となる場合もある。
静脈内注射に伴う合併症として、注射針の共用によるC型肝炎、HIVの感染、注射時の不衛生な操作による皮膚・血管の感染・炎症、敗血症などがあげられる。
加熱吸引の場合には、角膜潰瘍や鼻腔内の炎症や鼻出血、肺水腫がみられる。
アンフェタミン誘発性精神病は、統合失調症の精神障害のモデルであり、急性症状は区別がつかないが、アンフェタミンによるものは早く回復することで鑑別診断が可能である[9]。しかし、日本の研究者はこれに反して、精神病の軽快後の自発的な精神病の再発をフラッシュバックと呼んでいる[9]。
1885年、長井長義が麻黄からエフェドリンの抽出に成功。1887年にエフェドリンからドイツでアンフェタミンが合成され、1893年、長井と三浦謹之助によってエフェドリンからメタンフェタミンが合成された。1919年、緒方章がメタンフェタミン(ヒロポン)の結晶化に成功している。
覚醒剤として使われ始めたのは、アメリカで薬理学者ゴードン・アレスが、1933年、アンフェタミンから吸入式喘息薬を開発して、ベンゼドリン (Benzedrine®) として市販されたことがきっかけである。咳止めより疲労回復のために長距離トラック運転手が、スーパーマンになれる薬として学生の間で乱用され、また食欲減退効果があることから、ダイエット薬として販売する業者も現れた。こうした乱用の報告を受けてアメリカ食品医薬品局 (FDA) が、1959年に処方制限に踏み切った。
ドイツでは、1938年、アンフェタミンより数倍の強力な効果があるメタンフェタミンが、ペルビチン錠として市販されたが、早くも弊害に気づいて1941年に危険薬物に指定されていた。
日本では、1941年(昭和16年)、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)がメタンフェタミン製剤ヒロポン、武田薬品工業がアンフェタミン製剤をゼドリンとして市販されたが、ヒロポンの効果や売上げはゼドリンよりも大きかった。メタンフェタミン製剤は他に、ホスピタン、ネオアゴチンといった医薬品、アンフェタミン製剤は他に、アゴチンといった医薬品があった。このころはまだ精神科医がとりあげたりといった程度であった。
当時の軍部は生産性を上げるべく、軍需工場の作業員に錠剤を配布して10時間以上の労働を強制したり、夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に視力向上用に配布した[10]。これが、いわゆる「吶喊錠」・「突撃錠」・「猫目錠」である。
夜間戦闘機月光搭乗員として6機ものB-29を撃墜した旧帝国海軍のエース、少尉・黒鳥四朗と飛行兵曹長・倉本十三のペアが、戦後その副作用に苦しめられたのが有名な例である[11]。
やがて日本が敗戦すると同時に、軍部が所蔵していた注射用アンプルが流出し、戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたため、芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がり、乱用者が増加していった[12]。
またヒロポンは、薬局においてアンプルや錠剤と言う形で販売されており、1943年から1950年までは、印鑑さえ持っていけば誰でも購入できたため、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用され、その疲労回復力から大変重宝された。
しかし、即効性の高いアンプルは常に闇に流れ品不足が常態化しており、1949年の新聞で、薬局では錠剤しか入手できなかったと報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し、多数の依存症患者を生み出す事となった。蔓延が社会問題化したことを受けて、様々な措置が取られた。
1948年7月には薬事法における劇薬の指定。翌年3月には、厚生省から各都道府県知事に、国民保険上憂慮すべき事態の発生などを通達し、その後製造自粛などを通達し、1950年には医師の指示が必要な処方せん薬となった。
そして、遂に1951年に覚せい剤取締法が制定され、施行される。しかし、まだ密造の覚醒剤が流通した。1954年(昭和29年)には、覚せい剤取締法の罰則が、懲役3年以下から5年以下へと強化された。同年55664人の検挙を経て、医薬品の軍部からの流通から生じた第一次覚醒剤乱用期は終息を迎えた。
しかし、取引は地下に潜って暴力団などの主要な資金源となっていった。覚醒剤自体は非常に安価に製造できるが、取引が非合法化されているため闇ルートでの流通となり、末端価格(小売価格)は数百倍にも跳ね上がる。このため、密輸や密売があとを絶たない。
1970年(昭和45年)には再び検挙数が1000人を超え、韓国ルートのものが増える。1973年には罰則が懲役10年以下に強化される。第二次覚醒剤乱用期である。水商売回りに乱用が流行した。
近年では、北朝鮮・台湾・トルコなど大陸からの密輸も相当量あるといわれ、特に北朝鮮のそれは同国の主要な外貨獲得手段となっていると指摘されている。中学生・高校生が栄養剤感覚や痩せ薬感覚で手を出したり、主婦がセックスドラッグと騙されて服用するケースも増加し、薬物汚染として社会問題になっている。1980年代後半以降は芸能人・ミュージシャンなどの知名度や影響力の高い人物が覚醒剤使用で検挙されるケースも後を絶たず、繰り返しセンセーショナルな社会的話題となっている。2005年、覚醒剤所持で逮捕された衆議院議員・小林憲司(当時民主党)が、衆議院議員在職中にも覚醒剤を使用していたことが判明し、国民に大きな衝撃を与えた。
日本における薬物犯罪の相当部分が覚醒剤の濫用事犯であることなどに鑑み、覚せい剤取締法は麻薬及び向精神薬取締法とは別の単行法として制定され、覚醒剤の濫用事犯を、麻薬及び向精神薬の濫用事犯よりも重い刑罰をもって規制している。
覚せい剤取締法において「覚せい剤」とは次のものをいう。
対象物 | 違反態様 | 罰則(刑罰) | |
---|---|---|---|
覚せい剤 | 輸入、輸出、製造 | 単純 | 1年以上の有期懲役 |
営利 | 無期若しくは3年以上の懲役又は情状により1,000万円以下の罰金を併科 | ||
所持、譲渡、譲受、使用 | 単純 | 10年以下の懲役 | |
営利 | 1年以上の有期懲役又は情状により500万円以下の罰金を併科 | ||
覚せい剤原料 | 輸入、輸出、製造 | 単純 | 10年以下の懲役 |
営利 | 1年以上の有期懲役又は情状により500万円以下の罰金を併科 | ||
所持、譲渡、譲受、使用 | 単純 | 7年以下の懲役 | |
営利 | 10年以下の懲役又は情状により300万円以下の罰金を併科 |
麻薬特例法において「規制薬物」とは次のものをいう。
違反態様 | 罰則(刑罰) |
---|---|
業としての覚せい剤輸入、輸出、製造、譲渡、譲受 | 無期又は5年以上の懲役及び1,000万円以下の罰金 |
薬物犯罪収益等の取得・処分事実の仮装又は隠匿 | 5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はこの併科 |
薬物犯罪収益等の取得・処分事実の仮装又は隠匿を目的とする予備行為 | 2年以下の懲役又は50万円以下の罰金 |
薬物犯罪収益等の収受 | 3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金又はこの併科 |
規制薬物としての輸入、輸出 | 3年以下の懲役又は50万円以下の罰金 |
規制薬物としての譲渡、譲受、所持、受交付 | 2年以下の懲役又は30万円以下の罰金 |
薬物犯罪収益等の隠匿・収受の実行又は規制薬物の濫用の公然、あおり、唆し | 3年以下の懲役又は50万円以下の罰金 |
2006年の覚醒剤事犯の再犯率は41.6%で、これは窃盗罪の再犯率44.7%に次いで2番目に高い[13]。また、身柄釈放から28.1%が1年以内に、49.8%が2年以内に再び覚醒剤事犯で検挙されている。このように覚醒剤事犯の再犯率が高く、また、再犯までの期間が短い理由は、覚醒剤の依存性が強いことに加え、依存症に対する明確な治療法が存在しないこと、入手が極めて容易であることなどが挙げられる。
国内で不法に製造が行われた例としては、福岡県南部を本拠地とした暴力団・浜田会によるものがある。過去の大規模な密輸活動および本拠筑後地区内での製造活動が確認されたほか[14]、1996年の5月には同会の覚醒剤密造疑惑を内偵していた福岡・宮崎・熊本各県警が、400名以上の警察官を動員したうえで、同会会長の関連会社の所有する宮崎県内の山中の広大な土地と建物の捜査を実施。同会会長を含む複数の関係者を検挙している。
また、オウム真理教においても覚醒剤を製造したとして、教祖の麻原彰晃など関連する人物が起訴された[15]。
現在、日本国内で違法に流通する覚醒剤は、そのほとんどが国外の工場で製造され密輸されたものである。密輸の手口は、近年は大規模な密輸が減少し、航空機旅客の携帯品内や国際郵便物に隠匿した少量の覚醒剤を繰り返し密輸するなど、小口化、分散化が進んでいる。このため検挙件数、検挙人員は増加傾向にあり、手口も年々巧妙化している。密輸の小口化、分散化が進んでいる要因は、麻薬特例法による罰則の強化などで1度に大量輸送する大規模な密輸はリスクが大きくなったことや、末端価格の高騰により少量でも利益が見込めるようになったためとみられ、今後もこの傾向は続くと予想される[16]。
国内に入った覚醒剤は暴力団を元締めとする密売人たちによって、主に繁華街などで流通する。しかし近年、イラン人の薬物密売グループが住宅街を拠点にしているのを摘発されたこともあり、流通ルートの郊外への拡散やインターネット取引の増加、密売組織の国際化による言葉の壁など、取締りは困難さを増している。
2010年以降では、一度に大量の覚醒剤を密輸する手口が増えている。2012年に、日本の警察が押収した覚醒剤の総量は約330kgだが、2013年4月には横浜港で約240kg、2013年6月には神戸港で約200kgの覚醒剤が見つかる事件が起こった。それぞれ2012年の総量の半分以上の量が、一度に見つかった事件である[17]。
1988年度の警察白書によれば、その前年の大量押収例に係る最大の仕出元は台湾で、全体の8割近くを占めていた。この年には福岡県を本拠地とする暴力団・道仁会の傘下組織が、一度の押収量としては史上最高であった約253キログラム(末端価格は当時の価値でおよそ420億円)の摘発を受けている。これは台湾から密輸されたもので、未押収の約317キログラムがその時点で既に関東地方等にまで渡り密売済みであった[18]。この組織は総構成員数20名あまりの小規模な団体でありながら、台湾からの大規模な密輸を洋上取引によって行い、それを全国の暴力団に卸すことで長年にわたり巨額の利益を上げていたことが判明している[19]。
第三次覚せい剤乱用期が宣言された1998年以降、日本国内で違法に流通する覚醒剤は、中国、香港、北朝鮮が主な仕出地である。しかし密輸の小口化と分散化が進むにともなって密輸ルートが多様化しており、過去に摘発実績のない国・地域を仕出地とする密輸(後述)、過去に摘発の例がなく警戒の薄い日本の地方港・地方空港を狙った密輸が増えている[16]。また、日本人が運び屋に仕立てられるケースも増加している。中国からの密輸は日本人の困窮者を運び屋に仕立てる手口が横行しており、中国各地の空港で覚醒剤を日本に持ち出そうとした日本人が相次ぎ逮捕されている[20]。
1997年から2002年までの覚醒剤大量押収事件における総押収量の約4割を占める北朝鮮からの密輸は、北朝鮮船籍の入港規制や不審船取り締まり等により年々減少。アテネオリンピック終了後の2004年末頃からは北京オリンピックを控えた中国で覚醒剤の原料となる麻黄の製造や流通の管理が強化されたため、原料の入手が困難になった北朝鮮国内の薬物製造ラインは稼働率が低下。薬物製造拠点とみられる3工場のうち2工場が休止に追い込まれ、北朝鮮による覚醒剤の生産量は激減した可能性が高いことが国内外の捜査当局の調査で判明している[21]。
2007年はカナダからの密輸が急増した。カナダからの密輸が急増した原因について日本とカナダの捜査当局などは、カナダを仕出地とする大量密輸入事件の逮捕者がいずれの事件でも中国人だったことや、2004年以降、中国で覚醒剤原料の流通監視とともに密造工場の摘発も強化されたことなどから、中国国内の密造拠点を失った香港系犯罪組織が、1997年の香港返還を機にカナダへ移住した組織のメンバーと連携して、カナダルートでの密輸ビジネスに乗り出したためと推測している。また、カナダ側からの情報や押収した覚醒剤の鑑定結果などから、カナダ国内には複数の密造拠点が存在する疑いが強い[22]。また、同年から過去に摘発実績のない国・地域を仕出地とする密輸の増加が顕著になり、同年はメキシコ、アラブ首長国連邦、トルコからの密輸を初めて摘発した[16]。
2008年は減少傾向にあった中国からの密輸が増加した。また、南アフリカ、カンボジアからの密輸を初めて摘発した[16]。2009年は覚醒剤密輸事犯の摘発件数が過去最高を記録した。過去に摘発実績のない仕出地からの密輸も引き続き増加し、ベトナム、シンガポール、ロシアのほか、ナイジェリア、ウガンダ、ケニア、レソトといったアフリカ各国からの密輸を初めて摘発した[16]。増加が顕著なアフリカ各国からの密輸は、女性の恋愛感情を利用して麻薬の運び屋に仕立てる「ラブ・コネクション」と呼ばれる手口が多いため、騙された日本人女性が逮捕されるケースが増加しており、警察などは注意を呼びかけている。また、「ラブ・コネクション」は利用された女性が事情を知らないため捜査は容易ではなく、密売組織までたどり着くのは難しい。
2010年、海上保安庁などは覚醒剤密輸のロシアルートの存在を初めて確認した。同年2月には、日本に密輸するためにロシア国内の地下工場で覚醒剤を製造していた犯罪組織のメンバーが、ロシア連邦保安庁に身柄を拘束されている。北朝鮮や中国からの密輸が困難になった日本では覚醒剤の末端価格が高騰しており、他国よりも高値で取引されるため、ロシアの犯罪組織が日本の麻薬市場に目を向け始めた可能性があるとみて海上保安庁などが警戒を強めている[23]。
日本の警察が摘発した密輸事件の送り出し元の割合は、2009年まで中国が最大で、2番目がアジア各国であったが、2010年になってからは中国・アジア経由の割合は減少し、代わりにアフリカ諸国が急増して1位となっている。2012年時点で、日本への送り出し元の内訳は、1位がアフリカ、2位は中国となっており、3位のメキシコを始めとする中南米経由が中国に匹敵する量となっている[24]。過去にはほとんど見られなかったメキシコからの密輸は特に急増しており、メキシコ発の摘発量は4年で24倍に膨れ上がり、2012年には全体の2割近くを占めるようになっている[25]。
警察では1997年から2007年までの間に、北朝鮮を仕出地とする覚醒剤の大量密輸入等事件を水際において7件検挙しているが、これら北朝鮮ルートの密輸入等事件の特徴として、1回の押収量が大量であること、押収した覚醒剤の純度が高いこと、比較的整った規格の包装が行われていることなどが挙げられることから、高度の技術水準及び相当の資金を有する組織が事件に関与していたものと見られた[26]。
2010年現在、北朝鮮ルートによる密輸はほぼ壊滅状態にあるとみられるが、2004年以降に押収した覚醒剤の中に北朝鮮が仕出地であると疑われるものもあることから、警察では現在も北朝鮮ルートの覚醒剤密輸入に重大な関心をもち、対策の強化、情報収集等に努めている。また、関係各国の協力を呼び掛けるなど、北朝鮮を仕出地とする薬物密輸入事犯根絶のための国際社会への働き掛けも推進している[27]。
年 | 月 | 押収量 (kg) | 場所 |
---|---|---|---|
1997年(平成9年) | 4月 | 58.6 | 宮崎県細島港 |
1998年(平成10年) | 8月 | 202.6 | 高知県沖 |
1999年(平成11年) | 4月 | 100.0 | 鳥取県境港 |
10月 | 564.6 | 鹿児島県黒潮海岸 | |
2000年(平成12年) | 2月 | 249.3 | 島根県温泉津港 |
2002年(平成14年) | 1月 | 151.1 | 福岡県沖(玄界灘) |
6月 | 237.0 | 鳥取県豊成海岸など | |
10月 | |||
11月 |
年 | 粉末押収量 | 錠剤押収量 | 検挙件数 | 検挙人員 |
---|---|---|---|---|
1998年(平成10年) | 549.0 | - | 22,493 | 16,888 |
1999年(平成11年) | 1,975.9 | - | 24,167 | 18,285 |
2000年(平成12年) | 1,026.9 | - | 25,193 | 18,942 |
2001年(平成13年) | 406.1 | - | 24,791 | 17,912 |
2002年(平成14年) | 437.0 | 16,031 | 23,225 | 16,771 |
2003年(平成15年) | 486.8 | 70 | 20,129 | 14,624 |
2004年(平成16年) | 406.1 | 366 | 17,699 | 12,220 |
2005年(平成17年) | 118.9 | 26,402 | 19,999 | 13,346 |
2006年(平成18年) | 126.8 | 56,886 | 17,226 | 11,606 |
2007年(平成19年) | 339.3 | 4,914 | 16,929 | 12,009 |
2008年(平成20年) | 397.5 | 22,371 | 15,801 | 11,025 |
2009年(平成21年) | 356.3 | 12,799 | 16,208 | 11,655 |
注意
これら押収された覚醒剤は、実際に密輸されている覚醒剤の10分の1から20分の1に過ぎないとも言われている[28]。
日本では覚醒剤の乱用が大きな社会問題になっており、乱用防止のため様々な取り組みが行われている。
多くの国では、覚醒剤に関しては厳しく規制され、刑罰として死刑を科される国もある。大麻には寛容な国でも例外ではない。
シンガポールでの不法製造や、マレーシアでの50グラム以上の覚醒剤所持・密輸入では法定刑は死刑のみとなる[29]。タイ王国においては譲渡目的での製造・密輸は死刑となり、譲渡・所持でも死刑または無期刑となる[30]。
中国、韓国では、営利目的のケースでは最高刑が死刑である。欧米は、それほど厳しくないものの、イギリス、フランスが最高で無期懲役、アメリカが州毎に違い、最高で終身刑となる州もある[31]。
一方でメキシコでは2009年8月に少量の大麻・コカイン・覚醒剤の所持を合法化する法律が施行された。以前は覚醒剤所持が見つかっても少量なら逮捕の判断は現場の警察官が判断していたため賄賂の温床になっていた[32]。
2007年3月、メキシコのメキシコシティで、覚醒剤密輸組織を捜査していたメキシコシティ警察は、市内の高級住宅街の邸宅を捜索、現金約2億600万ドル(約237億円)を押収、7人を逮捕したと発表した。麻薬絡みの現金押収としてはメキシコ史上最高額とみられる。摘発された一味は、製薬会社の業務を偽って活動。インドから原料を輸入し、覚醒剤に用いられるメタンフェタミンを製造していた。
近年、麻薬取引の世界では、メキシコの犯罪組織が急速に台頭していて、米国麻薬取締局もメキシコの犯罪組織に対し、重大な懸念を表明している。世界中に10万人以上のメンバーがいると見られている、中南米系の犯罪組織であるMS-13も米国内で急速に勢力を拡大している。
2009年1月、中国で1998年から1999年までの間に12.36トンの覚醒剤を製造密売し、108.85キロのヘロインを密売していた”世界頭號冰毒大王(世界の覚醒剤王)”陳炳錫の死刑が広東省広州市で執行された[33]。
2013年11月、貿易業を営む愛知県稲沢市の市会議員が、中国で覚醒剤を密輸出しようとしたとして空港の出国直前に当局に逮捕された。本人は嫌疑を否定している[34]。
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