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サクラ | |||||||||||||||||||||||||||
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ソメイヨシノの花
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
サクラ(桜) | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Cherry blossom | |||||||||||||||||||||||||||
節 | |||||||||||||||||||||||||||
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サクラ(桜)は、バラ科モモ亜科スモモ属[1] (Prunus, Cerasus) の落葉樹の総称。
サクラの原産地はヒマラヤ近郊と考えられており、現在、ヨーロッパ・西シベリア・日本・中国・米国・カナダ[2]など、主に北半球の温帯に、広範囲に分布している[3][4]。
サクラは日本文化に馴染みの深い植物である(サクラ#日本人とサクラ)。また、日本において観賞用として植えられているサクラの多くはソメイヨシノという品種である。英語では桜の花のことをCherry blossomと呼ぶのが一般的であるが、日本文化の影響から、sakuraと呼ばれることも多くなってきている。
サクラの果実はサクランボまたはチェリーと呼ばれ、世界中で広く食用とされる。
サクラは、バラ科スモモ属サクラ亜属に分類される落葉広葉樹である。春に白色や淡紅色から濃紅色の花を咲かせる(桜色)。花は日本では鑑賞用途としては他の植物に比べ、特別な地位にある。果実を食用とするほか、花や葉の塩漬けも食品などに利用される。
園芸品種が多く、花弁の数や色、花のつけかたなどを改良しようと古く[いつ?]から多くの園芸品種が作られた。日本では固有種・交配種を含め600種以上の品種が確認されている[5]。とくに江戸末期に出現したソメイヨシノ(染井吉野)は、明治以降、日本全国各地に広まり、サクラの中で最も多く植えられた品種となった。
日本では平安時代の国風文化の影響以降、桜は花の代名詞のようになり、春の花の中でも特別な位置を占めるようになった。桜の花の下の宴会の花見は風物詩である。各地に桜の名所があり、有名な一本桜も数多く存在する。サクラの開花時期は関東以西の平地では3月下旬から4月半ば頃が多く、日本の年度は4月始まりであることや、学校に多くの場合サクラが植えられていることから、人生の転機を彩る花にもなっている。
日本においては、サクラは公式には国花ではないものの、国花の一つであるかのように扱われている。
スモモ属 Prunus は約400種からなるが、主に果実の特徴から5から7の亜属に分類される。サクラ亜属 subg. Cerasus はその1つである。これらの亜属を属とする説もあり、その場合、サクラ亜属はサクラ属 Cerasus となる。
サクラ亜属は節に分かれ、それらは非公式な8群に分かれる[要出典]。
サクラ亜属で日本に自生するものとしては5から7種類ほどが認められており、これらの変性や交雑などから数十種類の自生種が存在する。
サクラ属であり、やはり名前に「サクラ」と付くイヌザクラ、ウワミズザクラなどはウワミズザクラ亜属 subg. Padus(もしくはウワミズザクラ属 Padus )であり、サクラ亜属ではない。
かつてはニワザクラ、ユスラウメなどを含むユスラウメ節 sect. Microcerasus もサクラ亜属とされたが、Krüssmann (1978) によりニワウメ亜属 subg. Lithocerasus に分離された。分子系統からは、ニワウメ亜属はサクラ亜属とは別系統であり、しかもスモモ亜属/モモ亜属 Prunus/Amygdalus alliance 内に分散した多系統という結果が出ている[6]。ただし、サクラ亜属をサクラ節 sect. Cerasus(通常のサクラ亜属)とニワウメ節 sect. Lithocerasus(ニワウメ亜属とウワミズザクラ亜属?)に分ける資料もある[7]。
サクラは突然変異が多い植物として知られており、花弁や雄蕊の変化、花の大きさ、色の変化、実の増減などが多分に見られる。品種改良も多く行われ、また変化させるだけでなく、代を重ねることや接木によって、突然変異を固定化することも行われる。一方で、自家不和合性を持つものも多いため一代限りの突然変異も稀ではない。自家不和合性を持つ場合、次の代には同じ特徴が受け継がれないことが多いためである。
日本では主に花を変化させるために多くの努力が払われたのに対し、西欧では実をより有用な食品にするため、実を大きく、収穫量が多くなるような品種改良がおこなわれてきた。花が多かったり八重で豪勢であるなどの見栄えのよいものや花の変わったものに限らず、虫害への強さ、樹形、木の高さ、寒さや暖かさへの強さなども考慮された園芸品種が存在し、作られている。
桜の花は日本人に非常に親しまれ、多くの園芸品種が作られてきた。エドヒガンやヤマザクラ、オオシマザクラなどは比較的に変性を起こしやすい種であり、園芸技術の発達に伴ってこれらを用いた品種改良が多く行われた。ソメイヨシノは代表的である。のみならず、野生種、自生種だけで100種程度のサクラが存在し、各々の野生、自生種の特徴を継がせながらの配合も行われている。現在、固有種・交配種を含め600種以上の品種が存在するとされる[5]。園芸種をサトザクラとまとめて分類することもある。
既に植えられている株の品種を、観察から正確に同定するのは難しいが、現代では遺伝子情報が良くわかるようになり、品種の特定がよりしやすくなった[要出典]。人間が作った園芸品種をまとめてサトザクラと呼ぶことがある。八重咲きの品種はヤエザクラと総称される。
[8][9] [10] [11]
日本では、ほぼ全土で何らかの種類が生育可能である。さまざまな自然環境に合わせて多様な種類が生まれており、日本においてもいくつかの固有種が見られる。たとえばソメイヨシノの片親であるオオシマザクラは伊豆大島など、南部暖帯に自生する固有種とされる。日本では少なくとも数百万年前から自生しているとされ、鮮新世の地層とされる三朝層群からムカシヤマザクラの葉の化石が見つかっている[12]。
全てではないが、多くの種に共通して見られる特徴を挙げる。雌雄同株であり、中高木から低木程度の大きさである。樹皮はカバノキにも似た水平方向の皮目が出来る。葉の形は楕円形であり、枝に互生し、葉の端はぎざぎざ(鋸歯)になっている。葉に薄い細毛が生えるものも少なくない。葉は秋になると紅葉する。根から新たな茎(ひこばえ)がしばしば生え、不定根も良く発生する。
サクラは木を傷つけるとそこから腐りやすい性質を持つ。昔は剪定した部分の消毒も難しかったため、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺もある。このため、花見の宴会でサクラの木を折る観光客の被害によってサクラが弱ってしまうこともある。しかし適切な剪定は可能である。本来、特に自生種は病害にも害虫にもそれほど弱くはないが、人為的に集中して植えられている場合や人工的に作られた品種はこれらに弱くなる場合もある。
古木として知られる桜も多い。日本三大桜がいずれも樹齢千年を超える老古木となっているほか、五大桜も古木が多く、内神代桜は樹齢が1800年を超えているとされる。それ以外にも有名で長寿の一本桜が多く存在する[13]。
花を観賞する園芸品種として好まれたため、さまざまな姿の花が見られる。花びらは五枚から百数十枚までさまざまであり、多くのものが白から桃色である。サクラに限らないが用語を挙げる。花弁が五枚までのものを一重、五枚から十枚のものを半八重、十枚以上の花弁をもつものを八重と言う。また、花弁が非常に多く、一枚一枚が細長い場合、菊咲きと称する。さらに萼、花弁、雄蕊の中にさらに萼、花弁、雄蕊のある二重構造のものも見られ、これは段咲きと呼ばれる。花弁の枚数の増え方には雄蕊が花弁に変化するものと、花弁や雄蕊そのものが倍数加する変化が見られる[14]。同じサクラ属のモモやウメは花柄が短く枝に付くように咲くが、サクラはこれらと違って長い花柄をもっており、枝からはなれて咲く。
開花期間は、ソメイヨシノでは、満開から一週間程度で花が散る。またソメイヨシノはクローンであるために、株ごとのばらつきも小さく、一斉に咲く。しかし、ソメイヨシノが爆発的に植えられる以前の日本では、少しずつ別の株、別の種に移りながら、様々な桜が咲くというのが、普通の姿であった。温度や雨が散る散らないの原因になる。花が咲いた後に気温が下がる花冷えが起こると、花は長く持ち、花が盛りになった後に雨が降ると早く散る。
ソメイヨシノなどで良く知られている通り、葉が展開する前に花が咲くものも少くない。花が散り頃に葉が混ざって生えた状態から初夏過ぎまでを葉桜と呼ぶ。
開花期は種により、また地域によるばらつきも大きい。日本においては1月、沖縄のカンヒザクラを皮切りに、カンザクラが2月頃、ヤマザクラが3月下旬、ソメイヨシノが4月上旬、ヤエザクラが4月中旬くらいに見頃を迎え、カスミザクラは5月上旬くらいまで花を咲かす[どこ?]。北海道では7月頃まで咲くものもある。
サクラは花芽を作ると葉で休眠ホルモンを作り休眠する。一定の寒さに置かれることによって休眠が打破され、その後暖かくなり始めると開花を迎える。この工程は一般的には冬から春にかけて行われることが多いが、秋に何らかの影響で葉がなくなった場合休眠ホルモンが足りず、寒い日を2 - 3日経てその後小春日和になるとこの条件を満たしてしまい狂い咲きが起きる。
狂い咲きとは別に、春に加えて秋から冬にかけて花を咲かせる品種も存在する。たとえばジュウガツザクラやフユザクラなどである。
近年[いつ?]、サクラが以前に比べ若干早く咲く現象も見られている。これには温暖化の影響が見られ、また、都市部で開花が早まることはヒートアイランド現象も少なからず影響している。また、九州では桜前線が、普通とは逆に南下する例も現れた。これは、冬が暖かすぎると休眠打破が起こりにくいため、暖かい九州南部では開花が遅れるのだと考えられる[15]。これらは季節学的な自然環境の変化を端的に表す指標にもなっている。
日本においてはサクラは、関心の対象として特別な地位を占める花である。
桜は穀物の神が宿るとも、稲作神事に関連していたともされ、農業にとり昔から非常に大切なものであった[要出典]。また、桜の開花は、他の自然現象と並び、農業開始の指標とされた場合もあり、各地に「田植え桜」や「種まき桜」とよばれる木がある(あった)。これは桜の場合も多いが、「桜」と名がついていても桜以外の木の場合もある。
『万葉集』には色々な植物が登場するが、桜もその一つである。しかし、中国文化の影響が強かった奈良時代は和歌などで単に「花」といえば梅をさしていた。万葉集においては梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかった。その後平安時代に国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり、「花」とは桜を指すようになる。
古今和歌集仮名序にある王仁の歌とされる「難波津の咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の「花」は梅であるが、平安時代の歌人である紀友則の歌「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」の「花」は桜である。嵯峨天皇は桜を愛し、花見を開いたとされており[16]、左近の桜は、元は梅であったとされるが桜が好きであった仁明天皇が在位期間中に梅が枯れた後に桜に植え替えたとされている[17]。
歌人の中でも特に平安末期の西行法師が、「花」すなわち桜を愛したことは有名である。彼は吉野の桜を多く歌にしており、特に「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌は有名である。西行はこの歌に詠んだ通り、旧暦二月十六日に入寂したとされる。
豊臣秀吉は醍醐寺に700本の桜を植えさせ、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に近親の者や諸大名を従えて盛大な花見を催したとされる(醍醐の花見)。
江戸時代には河川の整備に伴って、護岸と美観の維持のために柳や桜が植えられた[16]。また園芸品種の開発も大いに進み、さまざまな種類の花を見ることが出来るようになる。江戸末期までには300を超える品種が存在するようになった[14]。江戸末期に出現したソメイヨシノを始め、明治以降には加速度的に多くの場所に桜が植えられていった。
明治維新後に大名屋敷の荒廃や文明開化・西洋化の名の下に多くの庭園が取り潰されると同時に、底に植えられていた数多くの品種の桜が切り倒され燃やされた。これを憂いた駒込の植木・庭園職人の高木孫右衛門は多くの園芸品種の枝を採取し自宅の庭で育てた。これに目を付けた江北地区戸長(後に江北村村長)の清水謙吾が村おこしとして荒川堤に多くの品種による桜並木を作り、これを嚆矢として多くの園芸品種が小石川植物園などに保存される事になり、その命脈を保った。
桜では開花のみならず、散って行く儚さや潔さも、愛玩の対象となっている。古くから桜は、諸行無常といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿ははかない人生を投影する対象となった[要出典]。
江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み、桜が「もののあはれ」などと基調とする日本人の精神具体的な例えとみなした。
平安時代や明治以降ではでは花のように散る人などのたとえにされてきた。ただし、江戸時代はそのようにすぐに花が散ってしまう様は、家が長続きしないという想像を抱かせたため、桜を家紋とした武家は少なく、桜は未だに時代に根付いてなかったとされる。桜は日本精神の象徴のようなものとしての例えとして用いられているが、この喩えが使われた時期は大正後期からである。帝国では、兵器の名称にも使われていた。(特攻機桜花など。同期の桜などといった、歌詞に散るという表現を反映した軍歌も作曲され、戦中歌われたといわれる。しかし厳密には桜が散るという表現は使われておらず、花が散るという表現であった。いずれにせよ、桜は日本精神に根ざしており影響力を持っているため、国花の代表例とされることがある。(正式には日本の国花は存在しない。ただし国花の代表例として桜と菊が使われることがある。)
桜は春を象徴する花として日本人にはなじみが深く、春本番を告げる役割を果たす。桜の開花予報、開花速報はメディアを賑わすなど、話題・関心の対象としては他の植物を圧倒する。入学式を演出する春の花として多くの学校に植えられている。
各種調査によると日本人の大多数の人たちが桜を好んでいる[18][19][20]。九州から関東での平地では、桜が咲く時期は年度の変わり目に近く、桜の人気は様々な生活の変化の時期である事とも関係する。
桜の人気は平安時代に始まるが、宮中の桜に魅了された藤原定家は、夜間に宮中に忍びこんで庭の桜を持ち帰り、翌朝発覚し天皇から咎めを受けた。また、沙石集によると、一条天皇の中宮、彰子が奈良の興福寺の東円堂にあった八重桜の評判を聞き、皇居の庭に植え替えようと桜を荷車で運び出そうとしたところ、興福寺の僧が「命にかけても運ばせぬ」と行く手をさえぎった。彰子は、僧たちの桜を愛でる心に感じ入って断念し、毎年春に「花の守」を遣わし、宿直をして桜を守るよう命じたという。
日本ではサクラは公式には国花ではないものの[21]、事実上、国花のように扱われている[22][16]。
日本では旧帝国海軍や警察官の徽章は、他国なら星形を使うべき所を桜花で表している。自衛隊においても、陸海空を問わず、階級章や旗で桜の花を使用した意匠は数多い。
1967年(昭和42年)以降、百円硬貨の表は桜のデザインである。
全米桜祭りで知られるアメリカ合衆国のポトマック河畔の桜は日米友好のために東京市長の尾崎行雄が寄贈したものであり、この返礼として日本にはハナミズキが贈られている[23]。その他の国との間でも友好のために贈ることがある[24][25]。
政府によるものではないが、ドイツ分断の象徴「ベルリンの壁」の跡地で、東西ドイツ統一後の1990年、テレビ朝日系列の呼び掛けで約1万本の桜が植えられ、4kmに及ぶ桜並木ができている。
日本では桜の開花予想(「桜」と表すが、殆どの予想はソメイヨシノを取り上げている)、いわゆる「桜前線」や、開花や満開の宣言が春に話題となる。開花予想は気象庁が1951年(昭和26年)に関東地方を対象に行なったのを始めとし、2009年(平成21年)まで行われた。2007年(平成19年)から独自の開花予想を行う民間の気象会社が出現し[26]、数社が予想を出すようになったため、2010年(平成22年)から気象庁は開花予想の業務を取りやめて民間に任せ、観測のみを行っている[27]。なお、桜の開花予想は気象業務法の定める予報業務ではなく、許可は要しない[28]。
気象庁では、桜の開花や満開を生物季節現象の1つとして、各地で特定の株を標本木として定めて職員の目視による観測を行っている[29]。標本木は南西諸島や北海道の大部分を除いてソメイヨシノであり[29]、東京都など一部を除いて地方気象台の近隣に存在する。標本木の蕾が5輪から6輪ほころびると、「開花」したと発表される[29]。これをマスコミでは「開花宣言」と呼ぶことがある。標本木全体の80%以上のつぼみが開くと、「満開」と発表される[29]。
2009年まで気象庁が行っていた予想方法は、各地点の冬期の気温経過や春期の気温予想等を考慮した各種計算を経て、標本木に対して開花予想日を決定していた。民間気象会社の予想方法も概ねこれに近いが、独自の手法を採り入れて行っているものもある。
気象庁が定める東京のサクラの標本木は、靖国神社境内にある特定のソメイヨシノである。本来標本木がどれであるかは非公開となっているが、東京の標本木については2012年にどの木が標本であるかを公開している。現代日本においてサクラの開花については特に衆目を集める傾向にあり、開花の時期になると、東京管区気象台の職員が観測する風景を、複数のマスコミが取材に訪れる様子がしばしば見られる。
樹木全体から見た開花具合によって咲き始め、三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開、散り始めなどと刻一刻と報道される。このように木々の様子を逐一報道することは、世界から見ても珍しい例である。
桜は春の象徴、花の代名詞として和歌、俳句をはじめ文学全般において非常に良く使われており、現代でも多くの音楽、文化作品が生み出されている。
伝統文化的作品の例では桜を人に見立てた能の西行桜などがある。江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉は、1688年(貞享5年)春、かつて奉公した頃のことなどを思って「さまざまの事おもひ出す桜哉」と句を詠んだ。
音楽においては江戸時代の箏曲や、地歌をはじめとする三味線音楽に多く取り上げられている。一般に「日本古謡」とされる『さくらさくら』は、実は幕末頃に箏の手ほどきとして作られたものである。明治時代以降では滝廉太郎の歌曲『花』などが有名である。長唄『元禄花見踊』も明治以降の作であるがよく知られている。
戯曲では義経千本桜は本来その話の中には桜が登場しないにもかかわらず題名に桜を関しており、現在[いつ?]では桜を背景にする例も多い。
現在[いつ?]でもポピュラー音楽、映画、ドラマ、ゲームなど様々な作品のモチーフや題材になっている。特に春に発表されるポピュラー音楽では他に比べて桜を扱ったものが多く、これらの歌は桜ソングとして知られている。
日本では桜は花見や観桜など、景観等の人気が高く多くの場所に植えられている。植栽の場合街路樹、公園、庭木、河川敷等に使われることが多い。近年では、サクラは街路樹に用いられている樹種としてイチョウについで2番目に多く、49万本が植えられている[30][31]。 道や線路・河川などに沿って植えられることが多く、このようなものを桜並木という。道などの両側に桜が並んでトンネルのような形状になっているものを桜のトンネル(桜トンネル)と呼ぶことがある[32][33]。このように、あたり一面が花景色になることも多い。また、学校の校庭には桜が植えられていることが多い。小学校などの校庭には、児童や生徒の入学時に桜の花が咲いているようにするため、ソメイヨシノに比べて開花期間が長い八重桜を混植することが多い[要出典]。また、古くから桜の花を育てている神社や寺も少なくない。しかし、害虫や病気など手入れが大変で、大きく育つためか、その人気の割には庭木にされることは少ない。
日本では、至るところで花見に使われる木として重要である。花見の習慣とともに、桜の名所も日本全国各地にある。また、神社や寺など桜を持っている団体や地域が「桜祭り」を開いている例も多い。夜の桜を楽しむために、桜のライトアップも各所で行われる。
果実を食用とする品種の3系統は、概ね甘果桜桃(セイヨウミザクラ, Prunus avium)、酸果桜桃(スミノミザクラ, Prunus cerasus)と中国桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)に分けることができる。
六月から七月にかけて実をつけるオウトウ(サクラの一種)の果実を日本では一般的にサクランボと呼び、栽培されている多くがヨーロッパの甘果桜桃(セイヨウミザクラ)系である。品種としては、佐藤錦の他に、紅秀峰、豊錦、ナポレオン、アメリカンチェリー等が有名である。佐藤錦は、明治より山形県東根市の佐藤栄助によって品種改良され、岡田東作が名づけて世に広めたものである。酸味が強い酸果桜桃(スミノミザクラ)は料理に利用される。中国桜桃(シナノミザクラ)は日本であまり栽培されていない。
桜漬けは、一般的に八重桜の花を梅酢と塩で漬けたものである。花(花弁)自体も塩漬けにすると独特のよい香りを放ち、和菓子・あんパンなどの香り付けに使われる他に、祝い事の席で桜湯として振舞われる。 桜湯は、花の塩漬け2から3輪に湯を注いだものである。茶碗の中で花びらが開く過程から、祝い事に使われる。婚礼や見合いなどの席では「お茶を濁す」ことを嫌い、お茶を用いずに桜湯を用いることが多い。結納には両家の縁を結ぶという縁起を表し椀あたり2輪が用いられる。
桜の葉は、塩漬けにすることで加水分解酵素が芳香成分(クマリン)に変化しよい香りを放つ。桜の葉の塩漬けには多くの場合オオシマザクラが用いられており、伊豆半島南部において生産が盛んであり、シロップ漬けにされることもある。桜餅は、一般的な和菓子のひとつであり、桜の葉の塩漬けで包まれた桜色の餅である。春にはこれらの風味を利用した食品なども見られる。
桜の樹液をガムのトラガカント(土台部分)の代わりに利用する例も存在する。
木自体は材木として使われる。材としては硬く冷たい部類で、湿気には比較的強い。木目には乏しいが、節の周囲にはメイプルや栃に似た杢目がでることもある。無垢テーブル板や比較的高級なフローリング材として使用される。彫刻にも用いられる。建築業界や家具業界において安価である樺を樺桜あるいは単に桜と称して一種として流通させることがある。これによる混同を避けるために本来の桜を地桜と呼ぶこともある。材としては樺と桜は全く別物である。
桜の樹皮は水平方向にはがれ、その表面は灰色を帯びてつやがあって美しいため、小物入れや茶筒などの細工物(樺細工)や版木に利用される。
オオシマザクラは別名をタキギザクラともいい、この名前からもわかるように以前は燃料用として植樹されており、房総半島や伊豆大島にもこの用途で広がったとされる。
焚いたときの香りが良いため燻製のスモークチップとしてよく用いられる。
樹皮は桜皮(おうひ)という生薬になり、鎮咳、去痰作用がある。また樹皮を薄いピンク色の染色に使用する事ができる。
桜は「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれるように、傷口が傷みやすい。実際、台風や人間により枝が折られるなどすると、傷口から腐って一気に枯れてしまうこともある。このため、しばしば剪定には不向きとされるが、適切な剪定は可能である[17]。
桜は水はけの良く、日当たりの良い場所を好み、根を浅く広く広げるため、土が固くない場所をより好む。また、毎年花を咲かせるためには多くの栄養を必要とするので、他の落葉樹と同じく、寒肥により花をより多く咲かせることが出来る。土壌が踏み固められていると根頭がんしゅ病やネコブセンチュウ病を誘発し、これらの病気は土壌を汚染する。早いうちであれば土壌改良によって病気を止める事が出来るが、これらで桜が枯れた場合、何度桜を植えても枯れる場合がある。このため、これらの病気にかかった土壌は加熱殺菌すること、石灰などで消毒すること、土そのものを入れ替えること、桜の枯れた後には数年の間樹木を植えないことなどで対策をとることが出来る。桜の周りをコンクリートやアスファルトなどで固めないことや、桜を離れた位置から眺めるようにすることで土を踏み固めることを避けることが出来る。
桜は水はけの良い土壌を好むが、乾燥には強くない。夏場などは地面の乾燥に気をつけることが大切である。
本来、特に自生種は病害にも害虫にもそれほど弱くはないが、人為的に集中して植えられている場合や人工的に作られた品種はこれらに弱くなる場合もある。病害虫は桜の密集地では互いに伝染し、集団発生する可能性がある。
桜が多くかかる病気としては根頭がんしゅ病、根瘤線虫病、てんぐ巣病、膏薬病、うどんこ病などがある。
根頭がんしゅ病、根瘤線虫病は根や根の付け根あたりで瘤が発生する病気である。根元の土が踏み固められていると促進される。病気にかかるとすぐ枯れるわけではないが徐々に樹勢がそがれ、桜が弱っていく。これらの病気は病変部位を切り取り、切り取った部分を殺菌し、表面を保護する塗布剤などで保護すること、土壌改良を行うことが有効である。対策を行えば少なくとも病気の進行は抑えられる。
てんぐ巣病は枝に発生し、枝が竹箒状になる病気である。この病変も徐々に桜が弱り、全ての枝に広がると手遅れになりかねない。発見したら、休眠期を待ち、消毒した鋏や鋸で病変部位を切り落とすことが望ましい。切り落とした後は癒合剤などで回復をうながし、剪定した枝は焼却、鋏や鋸も切った後すぐに消毒することが必要である。消毒の行われていないはさみを使うとそれを元に移る可能性もあるので気をつけるべきである。菌が原因であるので風通しを良くすることも対策になる。
膏薬病やうどんこ病については水気が多い場所や湿気の多い場所、あるいは病害虫が引き起こす。胴の部分に菌が入ったりキノコが出来ることによって病気になる。病害虫は菌が入るための傷口を作ったり、傷口を広げるのに加担することが多い。風通しを良くする事や水気がたまらないようにすること、病害虫を駆除することによって病気を抑えることが出来る。
桜に良く付く害虫としてはカイガラムシ、アブラムシ、ハダニ、それにケムシ・イモムシの類ではハマキムシ、コスカシバ、オビカレハ、アメリカシロヒトリ、サクラケンモン、モンクロシャチホコ(Phalera flavescens)などが挙げられる。
桜は街路樹として植えられることも多いことなどから、車などの排気ガスによっていためられることも多い。このような場合対策はとりづらいため、その他の要因で樹木が弱らないようにすることが大切である。山高神代桜では桜を守るために近くを通っていた道路に迂回路が作られた[34]。酸性雨も木を弱める要因になる。
花見客などによる枝折り、火気、ごみの放置、むやみに根元を踏みつけるなどの行為は桜をいためつける原因となる。
「サクラ」の語は有史以前からあり、「語源」があるのかどうかも不明である。以下の説はよく知られる:
サクラを意味する漢字『櫻』は元はユスラウメを意味する言葉だった[要出典]。『櫻』の字は「首飾りをつけた女性、もしくは首飾りそのもの」を意味する『嬰』に木偏を付けたものであり、ユスラウメの実が実っている様子を指した漢字である。日本にユスラウメが入ってきたのは江戸時代後期頃のため、日本では『櫻』の字はサクラに転用された。
財団法人日本さくらの会は1992年(平成4年)に、3月27日を「さくらの日」であるとした。
福島県三春町・三春滝桜
埼玉県北本市・石戸蒲ザクラ
山梨県北杜市・神代桜
岐阜県本巣市・淡墨桜
静岡県富士宮市・狩宿の下馬ザクラ
アメリカ合衆国ワシントンD.C.・タイダル・ベイスン
中国遼寧省大連市旅順口区・龍王塘桜花園
韓国慶尚南道昌原市鎮海区
台湾嘉義県・阿里山
オオシマザクラ
オオヤマザクラ
カンヒザクラ
スミミザクラ
セイヨウミザクラ
マメザクラ
ヤマザクラ
桜関連:
樹木ではない「さくら」を含む語:
桜井・桜田・桜川・桜町など、「桜」の語を含む地名は多く見られる。これらの地名は桜の名所や土地に関する由来があるもののほか、瑞祥地名としても見られる。
人名にも桜の付くものは少なくない。桜が入った苗字もそうであるが、近年[いつ?]は女性の名前として「さくら」の語が使われることが多い[35]。
ウィキメディア・コモンズには、サクラに関連するメディアおよびカテゴリがあります。 |
ウィキクォートに桜に関する引用句集があります。 |
ウィクショナリーに桜の項目があります。 |
ブロチンシロップ3.3%
急性気管支炎、肺炎、肺結核
なお、年齢、症状により適宜増減する。
また、作用機序は不明であるが、気道粘膜の分泌を高め、痰をうすめる作用もあるとされている2)。
リンク元 | 「コデイン」「濃厚ブロチンコデイン配合」「ブロチン」 |
拡張検索 | 「桜皮エキス」 |
[★] 桜皮エキス(桜皮)、コデインリン酸塩水和物(コデイン)
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