出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/11/26 21:39:17」(JST)
「国連」はこの項目へ転送されています。1920年から1946年まで存在した国連については「国際連盟」をご覧ください。 |
「UN」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「UN (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
国際連合 | |
---|---|
各国語表記
United Nations(英語) |
|
国際連合旗
|
|
概要 | 安全保障、経済・社会等の国際協力を目的とする国際組織 |
略称 | 国連 |
代表 | 国際連合事務総長 - 潘基文 |
状況 | 活動中 |
決議 | 国際連合憲章(1945年6月26日署名) |
活動開始 | 1945年10月24日 |
本部 | アメリカ合衆国 ニューヨーク市マンハッタン |
活動地域 | 加盟国:世界193か国 |
公式サイト | http://www.un.org/ |
母体組織 | 国際連盟 |
下部組織 | 国際連合総会 事務局 国際司法裁判所 安全保障理事会 経済社会理事会 信託統治理事会 など |
United Nations Portal:国際連合 |
|
テンプレートを表示 |
|
国際連合(こくさいれんごう、英語: United Nations、略称は国連(こくれん)、UN)は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織である。主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。なお、英語表記の「United Nations」は第二次世界大戦中の枢軸国に対していた連合国が自陣営を指す言葉として使用していたものが、継続して使用されたものであるが、日本語においては戦時中の連合国と区別して「国際連合」と呼ばれる。中国語では「聯合國」と訳されるが、「第二次世界大戦の連合国」については「同盟國」と訳されている。組織としては第二次世界大戦中の組織と同じであるが、第二次世界大戦後に敗戦国やその他の国々の参加により、一般的な組織へと変容している。しかし、日本を含む第二次世界大戦の敗戦国に対する敵国条項が存在するなどで第二次世界大戦の戦勝国の色が強く残り、国家の枠組みを超えた平等な組織にはなりきれていない。
2011年7月現在の加盟国は193か国であり[2]、現在国際社会に存在する国際組織の中では最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である[3]。
国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟(1919年-1946年)の反省を踏まえ、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国などの連合国(the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれたサンフランシスコ会議で国連憲章が署名され、同年10月24日に正式に発足した。
発足時の原加盟国はイギリス帝国やソビエト連邦の構成国であった一部の国を含めた51か国であった。2011年7月現在、国際連合の加盟国数は193か国で、世界のほとんどの全地域を網羅している。最も新しい加盟国は、南スーダン(2011年7月14日加盟)である[4]。
国連の目的は、次の三つである(国連憲章1条)。
これらの目的を達成するため、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの主要機関と、多くの付属機関・補助機関が置かれている。加えて、数多くの専門機関・関連機関が国連と連携して活動しており、全体として巨大かつ複雑な国連システム(国連ファミリー)を形成している。
国際連合の本部は、アメリカ合衆国のニューヨーク・マンハッタン島にある。本部ビルは、オスカー・ニーマイヤーを中心とした建築家国際委員会が設計したが、現在老朽化しており、新館を建築家・槇文彦が設計予定である(ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている)。そのほか、ジュネーヴなど世界各地に事務所が置かれている。
国際連盟との間には法的な継続性がないものの、国際司法裁判所や国際労働機関(ILO)等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて、部分的には継続した組織といえる。
公称では、国連の前身は国際連盟である[5]。国際連盟は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、第二次世界大戦を防ぐことができなかった[6]。
1941年8月、カナダ東海岸ニューファンドランド島沖のプリンス・オブ・ウェールズの艦上で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が会談し、大西洋憲章を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に国際連盟に代わる国際平和機構を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた[7]。
その後、コーデル・ハル国務長官率いるアメリカ国務省の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進んだ。サムナー・ウェルズ国務次官の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案 (英語: Draft Constitution of International Organization)」がほぼ完成していた。ハル長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章 (英語: The Charter of the United Nations) 草案」を完成させた。同年7月、イギリスもヨーロッパの安全保障に力点を置いた構想を策定してアメリカに提示したが、アメリカの案は、より世界的な機構とし、安全保障だけでなく経済社会問題も扱うべきだとの考えに基づいたものであった。そして、同年8月にケベックで米英首脳会談が開かれたが、その時点で、米英ソ中の4国が「すべての国の主権平等に基礎を置き、大国小国を問わずすべての国の加盟のために開放される、国際の平和と安全の維持のための一般的国際機構」を創設する必要があるとの、後のモスクワ宣言の草案が既に作成されていた[8]。
1943年10月にモスクワで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連による外相会議で「一般的安全保障に関する4か国宣言」が出され、ほぼ草案どおりの文言で、第二次世界大戦後に国際的な平和機構を再建する必要性が訴えられた。こうして、アメリカ案に沿った国際機構の創設が連合国側の構想として公式に示されることになった[9]。同年のカイロ宣言(米英中)、テヘラン宣言(米英ソ)でも、米英ソ中の4大国が「世界の警察官」(「四人の警察官」と呼ぶ事もある。)としての役割を果たすことが合意された[10]。
これを受けて、1944年8月〜10月、ワシントンD.C.のジョージタウンにあるダンバートン・オークス・ガーデンにおいて、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国の代表が会議を開き、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した(ダンバートン・オークス会議)。ここでは、加盟国全部を含む総会と、大国中心に構成される安全保障理事会の二つを主体とする普遍的国際機構を作ることが合意された[11]。
その後、安保理常任理事国の拒否権をどの範囲で認めるかについて、米英とソ連との交渉が続いたが、1945年2月に開催されたヤルタ会談において、大国の拒否権は実質事項のみで、手続事項には適用されないこと、紛争の平和的解決が試みられている間は当事国は表決に加わらないとの妥協が成立した[12]。すなわち、米英ソ中に、イギリスの希望によりフランスを加えた5か国が拒否権を有する安保理常任理事国となるという「5大国一致の原則」が合意された[13]。
1945年4月25日から6月26日にかけて、日本またはドイツ(なお同国は会議中の5月7日に降伏した)に宣戦している連合国50か国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開いた。ダンバートン・オークス会議で作成された憲章原案に基づき審議が行われ、6月26日、50か国が国際連合憲章に署名して会議は集結した。ポーランドは会議に代表を送っていなかったが、その後国連憲章に署名し、原加盟国51か国の一つとなった。そして、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国およびその他の署名国の過半数が批准した1945年10月24日に、国際連合が正式に発足した[14]。 10月24日は国連デーとして各国で記念されている[15]。
「the united nations」(連合国)という言葉が初めて用いられたのは、第二次世界大戦中、日独伊の枢軸国と対戦していた26か国がワシントンD.C.に集まり、1942年1月1日、枢軸国への対決を明らかにした「連合国共同宣言(ワシントン宣言)」においてである。この名称は、前日の1941年12月31日、ルーズベルト米大統領がチャーチル英首相に提案して同意を得たとされる[16]。戦後の国際的な平和組織の名称としては、前述のとおり1943年8月に作成されたアメリカ国務省の案の中で既に使用されていたが、その後、連合国側の構想の中で使用されるようになった。一方のソ連は「世界連邦」という名称を提案していた。
国際連合の設立に尽力したルーズベルト大統領は、サンフランシスコ会議開幕直前である1945年4月12日に死去した。会議では、「United Nations」という英語は複数形であり国際機構を意味するものとしては不適当ではないかとの意見もあったが、彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが合意された。しばらくは文法上の理由からUnited Nations Organization (UNO)という名称も使われたが、次第に使われなくなった[17]。
一方、フランス語では「機構」を示す「Organisation」を付してOrganisation des Nations uniesから、「ONU」との略称を用いている。スペイン語(Organización de las Naciones Unidas)、イタリア語(Organizzazione delle Nazioni Unite)も同様である。[18]。ドイツ語では「連合国」と直訳している。
日本においては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」、国際機構に対しては「国際連合」との訳語が一般に用いられてきた。後者を軍事同盟の連合国と区別するために「国際連合」と意訳したのは外務官僚であるとされる[19]。ただし、連合国側も日本の占領時には連合国について"the Allied Powers"と表記しており、"the United Nations"という用語を軍事的な意味で継続して使用する意思はなかった。1944年(昭和19年)10月にダンバートン・オークス会議で発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には、既に「国際連合」という訳語が用いられており[20]、その後も国際機構を指す言葉としては戦中[21]から戦後、現在に至るまで使用されている。朝日新聞は、駐英大使[疑問点 – ノート]の森治樹が名付け親だとする話を報じている[22]。
日本と同様に漢字を使用している中華民国や中華人民共和国では「聯合國/联合国」(戦前の諸国連合の名称としては「盟國」)が主に用いられている。大韓民国では、日本と同じく「國際聯合(국제연합)」であるが、英音短縮であるUN(「ユーエン」と発音、表記は「유엔」)が用いられる方が一般的である[23]。
1946年から1953年までの間、初代事務総長を務めたのはトリグブ・リー(ノルウェー出身)であった。その任期中にはパレスチナ問題が顕在化し、1947年11月29日の総会でパレスチナ分割決議がなされたが、翌1948年から第一次中東戦争に至った。国際連合休戦監視機構 (UNTSO) が派遣され、事実上初の国連平和維持活動 (PKO) となった。また1950年には朝鮮戦争が勃発し、安全保障理事会でのソ連不在の間に米国を中心に「国連軍」が派遣される事態となった[24]。国連の目指した集団安全保障は、東西冷戦のはざまで、機能不全に陥った[25]。一方、1948年に世界人権宣言が総会で採択され、1951年には難民条約が採択されて国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) が発足するなど、安全保障以外の面での活動も始まっていった。
1953年から1961年までの第2代事務総長ダグ・ハマーショルド(スウェーデン出身)の任期中にも、パレスチナ問題は再燃し、1956年の停戦違反を機にスエズ危機(第二次中東戦争)に至った。安保理は英仏の拒否権により機能停止に陥ったが、事務総長のリーダーシップにより、総会決議に基づいて第一次国連緊急軍 (UNEF I) が派遣され、これが初の正式なPKOとなった[26]。他方、1953年のアイゼンハワー米大統領による国連総会での平和のための原子力演説を契機として、1957年国際原子力機関 (IAEA) が発足した。1956年には、日本も国連加盟を果たした[27]。ハマーショルド事務総長の手腕はソ連圏を除く加盟国から絶大な信頼を得、1958年のレバノン事件、タイとカンボジアの紛争、ラオス問題などで緊張緩和に努め、「国連のプレゼンス」という言葉が国際外交で常用語となった。1960年のコンゴ動乱ではPKOとして国連コンゴ活動が展開され、事務総長も調停に努めたが、1961年9月、事務総長は任務遂行中に北ローデシア(現ザンビア)の飛行機事故で死亡した[28]。
1961年から1971年まで第3代事務総長を務めたのはウ・タント(ビルマ出身)である。これに先立つ1960年の植民地独立付与宣言(総会決議)に象徴されるように、1960年代には多くの植民地が独立を果たし、次々と国連に加盟した。1961年、第1回非同盟諸国会議が開かれ、米ソいずれの陣営にも属しない非同盟諸国が国連の多数派として出現し、1965年には加盟国の約7割に達した[29]。1964年、第1回国連貿易開発会議 (UNCTAD) が開かれ、そこで途上国による77ヶ国グループ (G77) が結成された。77ヶ国グループは、その後も構成国を増やし、国連での投票等で一致した行動をとることによって先進国に対抗する大きな力を有するに至っている[30]。ウ・タント事務総長も、非同盟主義に共鳴する立場から、冷戦下において東側と西側が持つイデオロギー性を批判し、ベトナム戦争をめぐってリンドン・ジョンソン米大統領と距離を置くとともに、途上国の開発の問題を訴えた[31]。なおベトナム戦争と中ソ対立のさなかで、常任理事国である中華民国が追放され、同国と対立する中華人民共和国が代わりに加盟する(アルバニア決議の採択)。彼の任期中には、1963年に初の核軍縮条約である部分的核実験禁止条約 (PTBT) が署名され(同年発効)、1968年に核不拡散条約 (NPT) が総会で採択される(1970年発効)など、核軍縮への取組みも始まった。また、彼は宇宙船地球号を掲げて[32]地球環境問題にも取り組み、アースデーの制定と後の国連人間環境会議の開催決定や国連環境計画 (UNEP) 設立決定に関わる[33][34][35]など国連は新しい任務を負うこととなった。
1972年から1981年までの第4代事務総長クルト・ヴァルトハイム(オーストリア出身)の任期中には、1973年の第四次中東戦争とそれに対する第二次国連緊急軍 (UNEF II) の派遣、キプロス問題の再燃などがあった[36]。また、社会経済開発分野では、南北問題も深刻化し、石油輸出国機構 (OPEC) による石油禁輸(オイルショック)、1974年の国連資源特別総会の開催に見られるように資源ナショナリズムが高揚した。1981年のカンクンでの南北サミットでは事務総長の努力にもかかわらず南北関係が好転しなかった[37]。
1982年から1991年までの第5代事務総長ハビエル・デクエヤル(ペルー出身)の任期中には、イラン・イラク戦争、アフガニスタン紛争、ナミビア内戦、アンゴラ内戦などがあり、国連のあっせん・仲介で停戦など一定の成果が上がった[38]。1990年代に入ると、冷戦の終結に伴って、安保理の平和維持機能が復活し、1991年の湾岸戦争では安保理の武力行使容認決議に基づき多国籍軍が派遣された[39]。
1992年から1996年までの第6代事務総長ブトロス・ガリ(エジプト出身)の任期中には、カンボジア、ソマリア、ルワンダ、ボスニア(旧ユーゴスラビア)、モザンビークなどに次々PKOが派遣され、ガリ事務総長が1992年の『平和への課題』と題する報告書で訴えたとおり、PKOに平和執行部隊としての機能も期待された。しかし、一定の成果を上げたカンボジアやモザンビークと異なり、ソマリア、ルワンダ、ボスニアではPKOは十分な役割を果たすことができなかった[40]。社会経済開発の分野では、1992年、リオデジャネイロで環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)が開かれ、「持続可能な開発」の理念が普及した。1994年、国連開発計画 (UNDP) が年次報告書で「人間の安全保障」という理念を提唱した。
1997年から2006年まで第7代事務総長を務めたコフィー・アナン(ガーナ出身)は、国連の行政改革に取り組み、縦割りを是正するため執行委員会の設置などを行った[41]。彼の任期中には、1998年に国際刑事裁判所 (ICC) 設立のためのローマ規程が採択されたり(2003年発足)、2000年のミレニアム記念総会で途上国の開発目標などを定める国連ミレニアム宣言が採択されたりした。2001年、国連はアナン事務総長とともにノーベル平和賞を受賞した[1]。もっとも、イラク民衆救済のための石油食料交換プログラム(1995年-2003年)に関し、国連事務局幹部の不祥事が後に発覚し、アナンの息子が勤めていた会社と国連との不透明な関係も指摘されるなど、事務総長自身の廉潔性も問われることとなった[42]。安全保障理事会の承認がない対外的な軍事力の行使は常に批判されるが、安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五大国の軍事力の行使は、国際社会や国際連合はそれを抑止する力がないので、だれにも抑止できない状態である。
2007年、第8代事務総長潘基文(韓国出身)が就任した。
国際連合は、6つの主要機関と、その下に置かれた付属機関・補助機関から成る。また、国際連合と連携関係を持ち、独立した専門機関、関連機関もある。こうした諸機関を総称して国連システム(国連ファミリー)という[43]。
国際連合の主要機関として、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局の6つの主要機関を設けている[44]。
総会は、全加盟国で構成され、国連の関与するすべての問題を討議する。各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制が取られている。総会の決議は加盟国または安全保障理事会に対する勧告をすることができるにとどまり、法的拘束力を持たない。しかし、重要な国際問題に対する世界の世論を示すものであり、国際社会の道徳的な権威を備えている[45]。
総会の通常会期は、毎年9月第3週目の火曜日に始まり、翌年の9月上旬まで続く。議長は、会期ごとに、5つの地域グループから持ち回りで選ばれる。会期の始めには、全体会議(プレナリー)が開かれ、そこで各国の国家元首・政府の長による一般討論が行われる。その後、ほとんどの議題は分野別に次の6つの主要委員会で審議される。全体会議は決議・決定を採択した後、12月に休会に入るが、主要委員会や他の下位機関での活動は様々な形で翌年の7月ころまで続く[46]。
|
|
安全保障理事会(安保理)は、国連において国際の平和と安全に主要な責任を負う機関である。15か国で構成され、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ロシア連邦(1991年まではソビエト連邦)、中華人民共和国(1971年までは中華民国)の5か国が常任理事国、それ以外の10か国は総会で2年の任期で選ばれる非常任理事国である[47]。
各理事国は1票を有し、手続事項に関する決定は15理事国のうち少なくとも9理事国の賛成投票によって行われるが、実質事項に関する決定は、5常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる(国連憲章27条)。すなわち、常任理事国の1か国でも反対投票を投じれば決議は否決されるため、常任理事国は拒否権を有していることになる。常任理事国の拒否権行使により、安全保障理事会は国際社会の平和の維持や回復のためには機能していない。すべての国連加盟国は、安保理の決定を受諾・履行することに同意しており(憲章25条)、国連の中でこのように履行義務を伴う決定をなし得るのは安保理のみである(総会等の決議は勧告的効力にとどまる)[48]。なお、安保理の構成や拒否権の扱いについては改革の議論がなされている(後出国際連合改革)。
平和への脅威が生じると、安保理は、通常、平和的手段による合意を当事者に勧告する。自ら調査・仲介を行ったり、使節団を派遣したり、特別代表を任命したり、事務総長にあっせんを要請したりすることもある。紛争が激化すると、戦闘の拡大を防ぐため停戦命令を発することがある。さらに、平和維持軍を派遣したり、国連憲章第7章に基づき、経済制裁、武器禁輸、渡航禁止、集団的軍事行動などの強制措置を発動することもあり、安保理の重要な権限の一つである(後出平和と安全の維持)[49]。
安全保障理事会の目的は国際社会の平和の維持と回復なのだが、国際連合設立後の現実としては、安全保障理事会の常任理事国である、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ロシア連邦、中華人民共和国の五大国と、アメリカ合衆国が常に擁護しているイスラエルの六国こそが、世界における軍事力行使の大部分を行っていて、安全の保障に反して軍事力が行使されている。
安保理の補助機関として、人道に対する罪を訴追するために設けられた旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)、またアメリカ同時多発テロ事件を受けて設けられた反テロリズム委員会がある[50]。
経済社会理事会(経社理、ECOSOC)は、経済・社会・文化・教育・保健の分野で、専門機関等を含む国連ファミリーの活動を調整するために設置された機関である。54か国で構成され、理事国は3年の任期で総会で選ばれる。各国が1票を有し、決定は過半数で行われる[51]。
経社理は、年間を通じて多くの準備会議、円卓会議、市民社会メンバーとのパネル・ディスカッションなどを開催するほか、毎年7月、ニューヨークとジュネーヴで交互に4週間の実質的な会期を開く。もっとも、経済社会分野の実質的な活動は、諸計画・基金、専門機関、関連機関によって担われており、これらの機関は経社理に報告を行ったり、勧告を行ったりする[52]。経社理のあり方については、形骸化しており決定に実効性がない、総会討議と重複している、世界銀行グループのような専門機関に対する指導力がないといった批判がある[53]。
また、経社理は、資格を有する非政府組織(NGO)と協議をすることができる(国連憲章71条)。2870以上のNGOが経社理と協議する地位を与えられている。NGOは特別の経験や専門知識を持ち、国連と市民社会とを結びつける貴重な存在であると考えられており、国連と提携NGOとの関係は、時代の進展とともに増大している[54]。
信託統治理事会は、未独立の信託統治地域が自治・独立に向けた準備をすることができるようにすることを目的に設立された。1994年までに、すべての信託統治地域が自治または独立を達成したことから、その任務をほぼ完了したとして活動を停止した[55]。
国際司法裁判所(ICJ)は、国連の主要な司法機関である(国連憲章92条)。所在地はオランダのハーグである。15名の裁判官で構成され、そのうちのいずれの2人も同一の国籍であってはならない(国際司法裁判所規程3条)。実際には、西欧・北米5名、東欧2名、中南米2名、アジア3名、アフリカ3名という地理的配分の原則がとられている。任期は9年で、3年ごとに5名が改選される(規程13条)[56]。
すべての国連加盟国は自動的に国際司法裁判所規程の当事国となり(憲章93条)、ICJは同規程当事国のすべてに開放されている。国際組織や個人は当事者となることができない。もっとも、ICJが事案を審理し、判決を下すのに必要な管轄権を有するためには、当事国の同意がなければならない(規程36条)。判決は、出席した裁判官の過半数により決定される(規程55条)。判決は、当該紛争の当事国間において、かつ当該事件についてのみ拘束力を持つ(規程59条)。当事国は判決に従う義務がある[57]。国際司法裁判所は判決を執行する能力が無いので、当事国の政府が判決に従わなければ、判決は履行されない。
そのほか、総会と安保理、また総会の許可を受けたその他の国連機関(経社理およびほとんどの専門機関など)は、いかなる法律問題についても、ICJに勧告的意見を求めることができる(憲章96条、規程65条)。国家は勧告的意見を求めることはできない。勧告的意見は、国連憲章の解釈や権限の行使の適法性などについて述べられるものが多い。勧告的意見は法的拘束力がないので、紛争を解決できた実績はない。
事務局は、国連の日常業務を遂行する機関であり、他の主要機関に役務を提供するとともに、それらの機関が決定した計画・政策を実施する。事務総長が統括する。1年以上の契約を持つ事務局職員は約2万5530人、短期契約職員は約3万0500人である。事務総長および事務局職員は、いかなる国の政府からも、国連以外のいかなる当局からも指示を受けない(国連憲章100条)[58]。
事務総長は、国連の行政職員の長であるとともに(国連憲章97条)、総会、安保理、経社理、信託統治理事会から委託される任務を遂行する(同98条)。また、国際の平和・安全の維持への脅威について、安保理の注意を促すことができる権限が与えられている(同99条)。事務総長が公的または私的に行う国際紛争の「あっせん」は、最も重要な役割の一つであり、キプロス、東ティモール、イラク、リビア、中東、ナイジェリア、西サハラなどの紛争に際して行われてきた。現在の事務総長は韓国出身の潘基文である[59]。
国連事務局には次のような部局が置かれている[60]。
|
|
|
国連の本部ビルはニューヨークにあるが、世界各地に事務所があり、その中で中心的な役割を担うのはジュネーヴ事務局(UNOG)、ウィーン事務局(UNOV)、ナイロビ事務局(UNON)である[61]。
国連システムには、次のような計画・基金が含まれる。これらは国連憲章7条2に基づいて設置された総会の補助機関であるが、それぞれ個別の予算を持っている[62]。1960年代から1970年代にかけて第三世界から多数加盟した国々が総会で多数派となった結果、総会決議によりUNDPをはじめとする開発関係の補助機関が設置された(そのうちUNIDOなど、いくつかは専門機関に移行した)。他の国連機関と活動内容が重複するものもあるが、統廃合は進んでいない[63]。
|
|
|
このほか、総会の補助機関として、いくつかの調査訓練機関や国連大学(UNU)などの機関がある。
専門機関は、政府間の協定によって設けられ、経済・社会等の各分野において国際的責任を有する国際組織で、かつ国連との間で連携協定を締結しているものをいう(国連憲章57条、63条)。国連ファミリーに含まれるが、国連とは別個の国際法主体性を有する、独立した国際組織である[64]。中でも、国際金融機関である世界銀行グループとIMFは最も独立色が強く、規模も国連本体に並び、次いでWHO、FAO、ILO、UNESCOの4機関の規模が大きい。これらの専門機関が力を持つ余り、経社理が形骸化して経済社会分野の国連改革が進まないとの批判もある[65]。
現在存在する専門機関は、次のとおりである[66]。
|
|
関連機関は、国連と関係を有するが、専門機関としての連携協定を結んでいない国際組織である。国連には次の関連機関がある[67]。
|
|
国連事務局の作業言語は、英語とフランス語である[68]。実質的には英語が使用されることが多い[69]。国連の公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の6言語[68]である。公式文書と公式会合での発言は、最小限これらの公用語に翻訳される。国連発足時からの公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語の5言語であった[70]。アラビア語が公用語に追加されたのは、1973年の第30回総会においてである[71]。
国際連合本部は米国ニューヨーク市に置かれているが、国際連合で用いられている英語はイギリス英語である。日付が「24 October 1945」と表記されたり(米英語では 「October 24, 1945」)、単語のつづりが「organisation」など英国式になったりする(アメリカ英語: organization)。
国 | 分担率 (%) | |
---|---|---|
1 | アメリカ合衆国 | 22.000 |
2 | 日本 | 10.833 |
3 | ドイツ | 7.141 |
4 | フランス | 5.593 |
5 | イギリス | 5.179 |
6 | 中国 | 5.148 |
7 | イタリア | 4.448 |
8 | カナダ | 2.984 |
9 | スペイン | 2.973 |
10 | ブラジル | 2.934 |
国連の予算は、主に通常予算とPKO予算に分かれている[73]。
通常予算は、2年が単位である。事務総長が提出し、専門家から成る行政予算問題諮問委員会が審査する。そして、総会で承認される(国連憲章17条)。2006年-07年の予算は38億ドルであった。通常予算の主な財源は加盟国からの分担金であり、分担率は専門家から成る分担金委員会の勧告に基づいて、総会が承認する。分担率は基本的に加盟国の支払能力(全世界のGNPに占める加盟国の割合等)を考慮して決められるが、2000年、いかなる国も分担率の上限を22%とすることが総会で決定された(なお、上限にかかるのはアメリカのみである)。2010年における上位10か国の分担率は右表のとおりである。しかし、多くの加盟国が分担金を滞納しており、国連の財政状況は不安定である。2006年末現在、財政的義務を負う191加盟国のうち分担金を全額支払った国は134か国にとどまり、滞納額は3億6200万ドルに達した[74]。例えば、アメリカは、国連の組織と業務に無駄が多いとして、分担金の支払を制限している[75]。
PKO予算は、毎年7月1日から1年間を単位とし、総会が承認する。これも加盟国の分担金によってまかなわれるが、通常予算よりも安保理常任理事国の分担率が高く設定されている[76]。額は1990年代以降増加傾向にあり、2009年7月から2010年6月までの1年間の平和維持活動予算は約79億ドルであった[77]。PKO予算の滞納額も、2006年末で19億ドルに達している[78]。
なお、国連児童基金(ユニセフ)、国連開発計画 (UNDP)、国連難民高等弁務官 (UNHCR) といった諸計画・基金や、専門機関は、それぞれ独立した予算を持っており、各国や個人からの拠出金によって財政をまかなっている[79]。
国際の平和と安全の維持は、国連の主要な目的の一つである。国連憲章は、国際の平和及び安全の維持に関する責任を安保理に負わせている(24条)。
国連は、ある国家が侵略等の重大な国際法違反を犯した場合に、国連加盟国が団結して終了させるという集団安全保障の理念の下に設立され、その手段として後述の国連軍を想定していた。しかし、米ソ冷戦の下、安保理常任理事国の拒否権に阻まれて国連軍の規定は発動されなかった。それに代わるものとして、北大西洋条約機構 (NATO) やワルシャワ条約機構という地域的防衛機構が、国連憲章51条により認められた集団的自衛権を行使するという集団防衛体制が生まれた。他方で、国連総会は、1950年11月3日、安保理が「その主要な責任」を果たせない場合に、総会が軍隊の使用を含む集団的措置を勧告でき、24時間以内に緊急特別総会を招集できるとする平和のための結集決議を採択した。総会決議には安保理決議と異なり法的拘束力はないものの、今まで度々同決議に基づいて紛争地域における平和維持活動 (PKO) が展開されてきた[80]。
冷戦が終結した1990年代以降は、後述のとおり、PKOの役割が拡大するとともに、安保理の武力行使容認決議により多国籍軍が結成されることも多く、近年では両者の役割分担・協力関係も見られる。
安保理は、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対し、経済制裁等の勧告をすることができるほか(39条)、国連憲章第7章の下における非軍事的強制措置として、包括的な経済制裁や禁輸措置(武器禁輸、渡航禁止、金融規制)、外交関係の断絶などの制裁をとることができる(41条)[81]。今まで、独立紛争に関する対南ローデシア輸出入禁止(1966年、1968年)、アパルトヘイトに関する対南アフリカ共和国武器禁輸(1977年)、クウェート侵攻に関する対イラク経済輸出入禁止(1990年)、内戦における非人道的行為に関する対ユーゴスラビア輸出入禁止(1992年)、テロ防止への非協力を理由とする対リビア航空機乗入れ禁止・武器禁輸(1992年)、民主政権移行の不履行を理由とする対ハイチ輸出入禁止(1993年)などが行われてきた[82]。もっとも、経済制裁は被制裁国の弱者に大きな経済的打撃を与えるという問題があることから、個人資産の凍結や政府関係者の入国禁止など、エリート層への打撃に的を絞った「スマートな制裁」が提唱されている[83]。
国連憲章第7章は、非軍事的強制措置では不十分である場合に、安保理は「必要な空軍、海軍または陸軍の行動」をとることができるとしている(42条)。すなわち、国連軍の名の下での軍事的行動をとることができる。国連軍は軍事参謀委員会の指揮下に置かれ(47条)、国連軍創設には、加盟国と国連との間に兵力提供に関する「特別協定」が締結されなければならない(43条)。しかし、現在まで特別協定が締結されたことはないため、本来の意味の国連軍が創設されたことはないといえる。朝鮮戦争の際、米国軍を中心とした「国連軍」が創設されたが、これは本来の意味の国連軍ではない[84]。
現在まで、国連軍が創設されなかった代わりに、安保理による武力行使容認決議が行われてきた。1990年11月、イラクのクウェート侵攻に対し、安保理は、国連憲章第7章の下、イラクが関連諸決議を完全に履行しない場合に「クウェート政府に協力している加盟国に対して……あらゆる必要な手段を行使することを容認する」とする決議(安保理決議678)を採択した。同決議に基づいて米国軍を中心に多国籍軍が編成され、1991年1月から戦闘に入った(湾岸戦争)。その後も、1994年にハイチ軍政問題に関して、1997年にアルバニア暴動問題に関して、1999年にコソボ紛争に、同年と2006年に東ティモール紛争に、それぞれ多国籍軍の派遣が認められた。一方、2003年3月のアメリカおよびイギリスを始めとする有志連合による対イラク武力行使(イラク戦争)については、一連の安保理決議によって正当化されるかどうかについて各国の意見が分かれた。なお、こうした軍事行動は、参加国の管理の下に置かれるものであり、安保理が設立し事務総長の指揮の下に置かれるPKOとは異なる[85]。
国連が行う平和維持活動 (PKO) は、地域的な紛争の悪化を防ぐため、国連の権威の下になされる軍事的活動である。主に安保理決議に基づいて行われるが、総会決議(平和のための結集決議)の勧告に基づいて行われることもある。国連憲章上、PKOについて明文の規定はないが、憲章に違反するものではなく、国際司法裁判所は、1962年の「ある種の経費に関する事件」勧告的意見において、第一次国連緊急軍 (UNEF I) および国連コンゴ活動 (ONUC) の活動経費を国連憲章17条2項にいう「この機構の経費」に該当すると判断した上で、両活動は憲章第7章の強制行動とは性格を異にするとした。PKOは「6章半」であるという言い方をされることもある[86]。
1948年、第一次中東戦争の際、パレスチナへ国連休戦監視機構 (UNTSO) が派遣されて国境や停戦ラインの監視を行い、これがPKOの先駆けとなった。続いて1956年、スエズ危機(第二次中東戦争)に際して、国連総会決議に基づいて第一次国連緊急軍 (UNEF I) が派遣されたのが、初の正式なPKOであった。その後もいくつものPKOが紛争地域に派遣されたが、1980年代までの冷戦下における伝統的なPKOは、軍人による軍事情勢の安定と停戦の監視を目的とするものであり、(1)当事者の合意により設立されること、(2)当事者に対して不偏性と中立を守ること、(3)武力の行使は自衛のために必要な最小限に留めること、というPKO3原則が守られてきた[87]。
1990年前後に米ソ冷戦が終わったころから、PKOは、和平合意が結ばれた後の暫定的期間に、治安の維持、選挙の組織・監視、難民の帰還、戦後の復旧・復興などを行うという新しい任務を負わされるようになった。軍人以外に、専門の異なる文民(軍事監視員、文民警察官、行政官、選挙専門家、難民担当官、人権専門家、復旧支援担当官、国連ボランティアなど)が多数参加するようになった。1992年-93年に派遣された国連カンボジア暫定統治機構 (UNTAC アンタック) や1992年-94年の国連モザンビーク活動(ONUMOZ) は、このような第二世代PKOの代表例であり、十分な成果を挙げた[88]。
ブトロス・ガリ事務総長は、1992年の『平和への課題』でPKOを「平和執行部隊」として事実上の軍事的強制措置を担わせようとする構想を提案した。これを受けて、1993年-95年の第二次国連ソマリア活動 (UNOSOM II)、1992年-95年旧ユーゴスラビアに展開した国連保護軍 (UNPROFOR)、1993年-96年の国連ルワンダ支援団 (UNAMIR) は、いずれも違法行為停止のため自衛を超えて武力行使を行う「戦うPKO」としての任務を負わされた(第三世代PKO)。しかし、任務に見合う予算や兵力が与えられず、また有力国の協力が得られなかった結果、ジェノサイドなどの人道的惨劇を前にしながら、実効的に対処することができなかった[89]。これに対して国連内部や加盟国からの反省があり、ガリ事務総長も、1995年の『平和への課題――追補』において、現状ではこうした平和執行型PKOを意図すべきではないと軌道修正した[90]。1990年代後半からは、PKOは紛争後の後始末という本来の任務を担当し、違法行為の停止は国連憲章第7章の下の多国籍軍が担当するという役割分担が行われるようになり、PKOと多国籍軍との間で協力や任務の引き継ぎなども行われている[91]。
その後もPKOのあり方については様々な改革が提案されている。事務総長特別代表のラフダール・ブラヒミは、2000年8月の報告において、PKOが十分な抑止能力を備えるために必要な予算・兵力・装備を承認すべきこと、紛争や戦争の後の平和構築活動のために、必要な予算が含まれるべきことなど、PKOの見直しを提言した(ブラヒミ報告)[92]。また、潘基文事務総長の改革提案により、2007年6月事務局にフィールド支援局 (DFS) が設置され、PKOミッションの策定、展開、持続に責任を持つこととなった。同じ事務局にある平和維持活動局 (DPKO) は、戦略的監視や作戦上の政治的指針のような問題に集中することとなった[93]。
国連は、設立当初は、集団安全保障体制の強化に重点を置いており、軍備管理と軍縮には消極的であった。しかし、核兵器の時代が国連創設とほぼ同時に到来したこと、集団安全保障体制が機能しなかったこともあって、否応なく対応を迫られてきた。実際、1946年に総会が最初に採択した決議は、核軍縮に関するものであった。国連憲章は、「軍備縮小及び軍備規制を律する原則」等を審議する主な責任を総会に与えている(11条)。毎年、総会の第一委員会においてすべての議題が審議され、数多くの決議が採択されているほか、その下部機関である国連軍縮委員会 (UNDC) が特定の問題を取り上げて審議している。多国間軍縮交渉の常設機関であり、後述のCWCやCTBTの交渉を成功に導いてきたジュネーブ軍縮会議 (CD) は、国連の枠組みの外にあるが、国連総会の勧告を考慮し、また毎年総会に報告を行う。このほか、国連事務局の軍縮部は、軍縮問題に関する総会の決定を実施する[94]。
国連が特に優先的な課題としてきたのは、大量破壊兵器の問題、すなわち(1)核兵器の削減と究極的な廃絶、(2)化学兵器の廃棄、(3)生物兵器禁止の強化であった[95]。(1)核兵器の封じ込めの努力は米ソの二国間条約でもある程度進展したが、1968年に核拡散防止条約 (NPT) が国連総会で採択され、最も普遍的な軍縮条約となった。締約国は、国連の関連機関である国際原子力機関 (IAEA) の保障措置を受け入れるよう求められる。しかし、非締約国であるイスラエル、インド、パキスタンによる核開発問題や、締約国でも核開発疑惑のあるイラン、脱退を表明した北朝鮮の問題など、条約の実効性が問題となっている。1996年には包括的核実験禁止条約 (CTBT) が加盟国の圧倒的多数により採択され、署名のために開放されたが、まだ発効の目処が立っていない[96]。(2)化学兵器に関しては、1997年に化学兵器禁止条約 (CWC) が発効し、国連の関連機関である化学兵器禁止機関 (OCPW) が査察を行っている。(3)生物兵器については、生物兵器禁止条約 (BWC) が1972年に署名され、1975年に発効した。同条約には検証機構についての規定がなく、検証や履行確保の方法が課題となっている。2006年の再検討会議で、実施支援班を設置することが決められた[97]。近年、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、大量破壊兵器が、テロリストなど非国家主体の手に落ちた場合の危険が認識されるようになり、総会は2002年、テロリストが大量破壊兵器とその運搬方法を取得することを防止する措置に関する決議を採択した。また、安保理は、2004年、大量破壊兵器を開発、所有、利用等しようとする非国家主体に対していかなる支援も控えることを全加盟国に義務付けた(安保理決議1540)[98]。
一方、通常兵器に関しては、特定通常兵器使用禁止制限条約(残忍兵器禁止条約)が国連で採択され1983年に発効したが[99]、さらに交渉が続けられた結果、対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約が1997年に採択され、1999年に発効した。これにより、対人地雷の破壊・除去が進んでいる。このほか、国連では、小型武器非合法取引の規制に向けた取組みや、国連通常兵器移転登録制度の設立を行っている[100]。
世界の人々の経済的・社会的福祉の実現は、国連の主要な目的の一つである。そのための開発の必要性、特に先進工業国と開発途上国との格差を埋めることの重要性は、1961年に始まった数次の国連開発の十年を機に強く表明されるようになった[101]。1995年にコペンハーゲンで行われた世界社会開発サミットで、国際社会が貧困、失業、社会の崩壊といった問題と戦う必要性が訴えられたのをはじめとして、1990年代には多くの開発関係の世界会議が開催された[102]。2000年9月の特別総会(ミレニアム・サミット)で採択された国連ミレニアム宣言は、開発の問題に重点を置き、具体的な開発目標を設定した。同宣言と、1990年代の国際会議やサミットで採択された国際開発目標とを統合し、2015年までに達成すべき目標としてまとめたのがミレニアム開発目標 (MDGs) である[103]。すなわち、(1)極度の貧困と飢餓を撲滅すること、(2)普遍的な初等教育を達成すること、(3)ジェンダーの平等を推進し、女性の地位向上を図ること、(4)乳幼児死亡率を下げること、(5)妊産婦の健康を改善すること、(6)HIV/エイズ、マラリア、その他の病気と戦うこと、(7)環境の持続可能性を確保すること、(8)開発のためのグローバル・パートナーシップを推進することが目標とされた[104]。
国連機関の経済社会活動を調整する主要な機関は経済社会理事会であり、その諮問機関として、専門家から成る開発政策委員会が置かれている。事務局では、経済社会局が経済社会政策の分析・調整等を行っている。国連開発計画 (UNDP) は、開発途上国の開発を担当する機関であり、2005年に国連システムが開発援助活動に費やした金額は137億ドルであった[105]。
人権の国際的な保障は、国連の主要な使命の一つである。国連憲章においては、前文で「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女……の同権とに関する信念」をうたっており、第1条でも「人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること」を国連の設立目的の一つとしている。この目的を達成するため、加盟国は国連と協力して「共同及び個別の行動をとることを誓約」するものとされた(55条c、56条)。また、経済社会理事会の補助機関として「人権の伸長に関する委員会」を設けることとされた(68条)。これは、ナチスドイツをはじめとする全体主義国家による人権弾圧を踏まえて、人権の国際的な保障が必要と考えられたことなどによる[109]。
1946年、国連憲章68条に基づいて、経社理の補助機関として国連人権委員会が設立され、憲章の人権規定を具体化する作業に着手した。その結果、1948年12月10日、国連総会は、「すべての人民にとって達成すべき共通の基準」として、世界人権宣言を採択した。同宣言は30条から成り、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である」と述べた上(1条)、各種の自由権、社会権について規定している。ただし、総会決議であるため、国家に対する法的拘束力を持たないことを前提としていたことから、国連人権委員会は続いて条約化の作業を進めた[110]。
1966年、総会は、社会権規約、自由権規約、自由権規約の選択議定書という三つの条約から成る国際人権規約を採択した。社会権規約は1976年に発効し、現在160か国が締約国となっている。自由権規約も同じ年に発効し、現在167か国が締約国となっている[111][112]。両規約は、民族自決権、天然の富及び資源に対する権利について規定しており(両規約1条1項、2項)、個人の人権だけを規定した世界人権宣言と異なる。また、個人の人権についても、世界人権宣言より詳細な規定を設けており、人権の国際的保障の仕組みにおいて、最も重要な役割を果たしている[113]。1989年には、自由権規約の第2選択議定書(死刑廃止条約)が採択され、73か国が締約国となっている[114]。
そのほか、国連の枠組みの中で、個別的な人権の保障を目的として、以下のものを含め約80件の条約・宣言が採択されている[115]。
1993年、ウィーンで開かれた世界人権会議が契機となって、長年提唱されていた国連人権高等弁務官の設置が実現した。その任務は、人権の促進・保護、助言的サービスの提供、人権侵害に対する緊急の対応、侵害予防など、広範にわたる[116]。人権高等弁務官事務所 (OHCHR) は、後述の人権理事会などの人権機関の事務局を務める[117]。
また、2006年、国連人権委員会を発展させる形で国連人権理事会が設置された。理事会は、総合的な政策ガイダンスを提供するとともに、人権問題に関する研究、新しい国際規範の発展、人権順守の監視などを行う[118]。
自然災害や、紛争を含む人為的災害により大規模な被害が生じた場合、国連機関は緊急援助や長期援助を提供してきた。
人道援助の主体となるのは、主に国連児童基金(ユニセフ)、世界食糧計画 (WFP)、国連難民高等弁務官 (UNHCR) の3機関である。ユニセフは、水と衛生施設のような基礎サービスの再建や、学校の再開を支援し、また予防接種・医薬品の提供などを行う。2006年にユニセフは53件の緊急事態に関して人道援助を行い、その額は5億300万ドルを超えた。WFPは、国内避難民、難民、エイズ孤児、紛争や自然災害(洪水、旱魃など)の犠牲者らに対して食糧等の援助を行っている。2006年には78か国で約8800万人に食糧援助を行った[119]。UNHCRは、難民の地位に関する条約(1951年)、同議定書(1967年)に基づき、難民の基本的人権が尊重されるようにし、いかなる者も強制的に送還されないようにする。また、大量の難民の移動に伴う緊急事態の際の援助や、教育・保健・住居の援助、帰還・統合・第三国での再定住などの支援を行う。さらに、近年は条約に定められた難民だけでなく、国内避難民、元難民、無国籍者、庇護請求者(難民の認定を申請したがまだ結論が出ていない人々)など、広義の難民に対する緊急人道支援も行っている[120]。なお、パレスチナ難民については国連パレスチナ救済事業機関 (UNRWA) が支援を行っている[121]。
このほか、国連食糧農業機関 (FAO) は、防災情報や世界の食料情勢に関する最新の情報を提供し、また、農業生産の回復と復興の支援を行う。世界保健機関 (WHO) は、栄養・伝染病の監視、エイズを含む感染症の予防、予防接種、薬品や医療器具の管理、性と生殖の健康、精神の健康など、被災者の保健に関する情報を収集・提供し、緊急援助計画を実施する。国連人口基金 (UNFPA) は、混乱時にしばしば発生する妊娠に関する死亡、性的暴力などに対応し、リプロダクティブ・ヘルスを保護する。国連開発計画 (UNDP) は、自然災害の緩和、予防、事前対策などの活動を調整するほか、元戦闘員の動員解除、地雷除去、難民・国内避難民の帰還と再統合、政府機関の復旧などの計画も支援する[122]。
複雑な緊急事態に対しては、政府や非政府組織 (NGO)、国連の諸機関が同時に対応を図ることから、これらの主体が行う援助活動を調整し、一貫した救援の仕組みを作るため、国連事務局に国連緊急援助調整官が率いる国連人道問題調整事務所 (OCHA) が置かれている。24時間の監視警戒態勢を有し、自然災害等の緊急事態が発生すると12時間から24時間以内に国連災害評価調整チームを派遣することができる。また、OCHAは2006年、緊急事態に対する融資機構として国連中央緊急対応基金(英語版)(CERF) を発足させた[123]。
国際連合は、国際法の発達への貢献という役割を果たしてきた。国際人権法、国際人道法、国際環境法、軍縮など様々な領域で多数国間条約の締結を手助けしており、国連の関与の下に成立した多数国間協定(批准する国家を法的に拘束するもの)は500件以上に上る[124]。また、紛争の司法的解決を担う機関もある。
国連憲章は、総会が「国際法の漸進的発達と法典化を奨励すること」などの目的のために研究を発議し、勧告をすることとしている(13条)。そのために1947年に総会の付属機関として設けられたのが国際法委員会である。同委員会は、各種条約の草案作成作業を行っており、今まで、国際水路の非航行利用に関する条約(1997年総会採択)、条約法に関するウィーン条約(1969年)、外交関係に関するウィーン条約(1961年)、領事関係に関するウィーン条約(1963年)などの草案作成を行ってきた。1966年に総会によって設置された国際連合国際商取引法委員会 (UNCITRAL) は、仲裁規則(1976年)、商事調停規則(1980年)、国際物品売買契約に関する国際連合条約(1980年)、各種のモデル法を作成してきた。また、「海の憲法」と呼ばれる海洋法に関する国際連合条約は、最も包括的な国際法の文書の一つである。そのほか、環境法、国際人道法、国際テロリズム対策の分野でも国連の条約が大きな役割を果たしている[125]。
また、紛争の司法的解決に関しては、主要機関である国際司法裁判所 (ICJ) が責任を負っている。1946年の設立から2007年10月までの間に、93件の判決と25件の勧告的意見を出した[126]。国際人道法の分野では、国際刑事裁判所は国連の組織ではないが、国際刑事裁判所ローマ規程(1998年)を採択したのは国連総会が開催した外交官会議であった。このほか、安保理の補助機関として旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(1993年-)、ルワンダ国際刑事裁判所(1994年-)が置かれている。シエラレオネ特別法廷(2002年-)はシエラレオネ政府と国連との協定に基づいて設置された独立の司法機関、カンボジア特別法廷(2006年-)はカンボジア国内裁判所に国連の関与の下置かれた特別法廷である[127]。
国連は、1945年の設立から半世紀を経過したころから、新たな時代状況に対応した国連組織の抜本的改革を求める動きが強まってきた。その中でも(1)安全保障理事会改革が最大の争点であり、そのほか(2)敵国条項の削除問題、(3)信託統治理事会の改編問題などがある[128]。さらに国連総会を含めた国家を単位としその利害に影響される現在の意思決定方法から脱却し、世界の市民、立法者の意思が直接反映される国際連合議会会議の創設が構想されている。これらの改革には国連憲章の改正が必要である。
安保理は、現在、常任理事国5か国、非常任理事国10か国(発足時は6か国、1965年に増加)の合計15か国から成り、常任理事国のみ拒否権を有する。しかし、国連加盟国数が設立時の51か国から190か国以上まで増大したこと、日本の国連分担率が常任理事国である英仏ロ中の4か国合計の分担率を上回るなど財政負担の偏りが生じていることから、安保理の拡大を求める声が高まった[129]。1995年、有識者から成る「グローバル・ガバナンス委員会」がダボス会議で国連改革の提言をまとめた報告書を発表した。そこでは、5か国(先進国から2か国、発展途上国から3か国)を拒否権なしの「常勤理事国」とし、非常任理事国を3か国程度増やし、合計23か国で安保理を構成するとの案が示された。
1997年3月、総会議長ラザリ・イスマイル(英語版)は、同委員会案を下敷きにしながら、常任理事国を5か国(先進国2か国、途上国3か国)、非常任理事国4か国増やし、新規の常任理事国には拒否権を与えない、敵国条項は廃棄するといった内容の改革案を各国に提示した(ラザリ案)。その新規常任理事国は、先進国からは日本とドイツ、途上国からはインド、ブラジル及びアフリカの1国となることが暗黙の了解であった。
しかし、イタリアのフルチ国連大使が、ドイツの常任理事国入りを阻止するため、韓国、パキスタン、インドネシア、メキシコ、アルゼンチンなどを集めて「フルチ・コーヒークラブ」と呼ばれるグループを結成し、これに非同盟諸国も加えて、1997年12月ラザリ案を棚上げに持ち込んだ[130]。2000年9月のミレニアム宣言では、安保理改革実現のための努力の強化が記されるにとどまった[131]。
その後、アナン事務総長が2003年9月に安保理改革の再開を提唱したことによりハイレベル委員会が設置された。同委員会が2004年12月に提出した報告書では、次の2案が提示された。
しかし、中国・韓国がモデルAに反対し、日本とアフリカ諸国との連携・調整も順調に進まなかった結果、2005年9月の総会では、安保理改革の具体案の決定は先送りされた[132]。敵国条項については、「国連憲章第53条、第77条および第107条における『敵国』への言及を削除することを決意する」との総会決議が採択された[133]。また、アナン事務総長は、そのほかに総会改革、人権委員会の人権理事会への格上げ、平和構築委員会(英語版) (PBC) の設置などの機構改革を提言していたが、そのうち人権委員会と平和構築委員会の設置が2005年の総会で決定された[134]。
国連への加盟は、国連憲章に掲げる義務を受諾し、かつ国連によってこの義務を履行する意思と能力があると認められるすべての平和愛好国に解放されている。加盟は、安保理の勧告に基づいて総会が承認する(憲章4条)。憲章には加盟国の資格停止・除名の規定があるが、これまでこれらが発動されたことはない[135]。
ほとんどの加盟国が、国連における意思決定に参加するため、ニューヨークに国連代表部を置いている。その長である外交官を常駐代表(英語版)といい、それに次ぐ者を次席代表という[136]。なお、国連大使は常駐代表と同義ではなく、次席代表を含め複数の外交官が大使として任命されている場合がある。アメリカは5名、日本・韓国は3名、イギリスは2名の国連大使を派遣している[137]。
2016年現在、国連加盟国は193か国である[2]。設立から現在までの加盟国は以下のとおりである(常任理事国は太字)[138]。
年 | 加盟国 | 備考 | 国数 |
---|---|---|---|
1945年 (原加盟国) |
アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、ベラルーシ(白ロシアSSR)、カナダ、チリ、中華民国、コロンビア、コスタリカ、キューバ、チェコスロバキア(1993年解体消滅)、デンマーク、ドミニカ共和国、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、エチオピア、フランス、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インド、イラク、イラン、レバノン、リベリア、ルクセンブルク、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、ポーランド、ロシア(ソビエト連邦)、サウジアラビア、南アフリカ、シリア、トルコ、ウクライナ(ウクライナSSR)、イギリス、アメリカ合衆国、ウルグアイ、ベネズエラ、ユーゴスラビア(2003年消滅) | 51 | |
1946年 | アフガニスタン、アイスランド、スウェーデン、タイ | 55 | |
1947年 | パキスタン、イエメン | 57 | |
1948年 | ミャンマー(当時の呼称はビルマ) | 58 | |
1949年 | イスラエル | 59 | |
1950年 | インドネシア | 60 | |
1955年 | アルバニア、オーストリア、ブルガリア、カンボジア、フィンランド、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ヨルダン、ラオス、リビア、ネパール、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、スリランカ | 76 | |
1956年 | 日本、モロッコ、スーダン、チュニジア | 80 | |
1957年 | ガーナ、マレーシア | 82 | |
1958年 | ギニア | シリアとエジプト合併。 | 82 |
1960年 | ベナン、ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ、チャド、コンゴ共和国、コートジボワール、キプロス、ガボン、マダガスカル、マリ、ニジェール、ナイジェリア、セネガル、ソマリア、トーゴ、コンゴ民主共和国 | 99 | |
1961年 | モーリタニア、モンゴル、シエラレオネ、タンザニア | シリア再び独立国に。 | 104 |
1962年 | アルジェリア、ブルンジ、ジャマイカ、ルワンダ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ | 110 | |
1963年 | ケニア、クウェート | 112 | |
1964年 | マラウイ、マルタ、ザンビア | 115 | |
1965年 | ガンビア、モルディブ、シンガポール | インドネシア脱退。 | 117 |
1966年 | バルバドス、ボツワナ、ガイアナ、レソト | インドネシア再加盟。 | 122 |
1967年 | 南イエメン(1990年消滅) | 123 | |
1968年 | 赤道ギニア、モーリシャス、スワジランド | 126 | |
1970年 | フィジー | 127 | |
1971年 | バーレーン、ブータン、オマーン、カタール、アラブ首長国連邦、中華人民共和国 | 中華民国脱退。 | 132 |
1973年 | バハマ、東ドイツ(1990年消滅)、ドイツ(当時は西ドイツ) | 135 | |
1974年 | バングラデシュ、グレナダ、ギニアビサウ | 138 | |
1975年 | カーボベルデ、コモロ、モザンビーク、パプアニューギニア、サントメ・プリンシペ、スリナム | 144 | |
1976年 | アンゴラ、サモア、セーシェル | 147 | |
1977年 | ジブチ、ベトナム | 149 | |
1978年 | ドミニカ国、ソロモン諸島 | 151 | |
1979年 | セントルシア | 152 | |
1980年 | セントビンセント・グレナディーン諸島、ジンバブエ | 154 | |
1981年 | アンティグア・バーブーダ、ベリーズ、バヌアツ | 157 | |
1983年 | セントクリストファー・ネイビス | 158 | |
1984年 | ブルネイ | 159 | |
1990年 | リヒテンシュタイン、ナミビア | 東西ドイツ統一。イエメン統合。 | 159 |
1991年 | エストニア、ラトビア、リトアニア、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、韓国、北朝鮮 | ソ連はロシアが、白ロシアSSRはベラルーシが、ウクライナSSRはウクライナが承継。 | 166 |
1992年 | アルメニア、アゼルバイジャン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ジョージア、カザフスタン、キルギス、モルドバ、サンマリノ、スロベニア、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン | 179 | |
1993年 | アンドラ、エリトリア、モナコ、チェコ、スロバキア(「ビロード離婚」により国家分立で単一加盟)、マケドニア | 184 | |
1994年 | パラオ | 185 | |
1999年 | キリバス、ナウル、トンガ | 188 | |
2000年 | ツバル、セルビア | 189 | |
2002年 | スイス、東ティモール | 191 | |
2006年 | モンテネグロ | 192 | |
2011年 | 南スーダン | 193 |
国連の招待を受けた国際連合総会オブザーバーは総会に参加することができる。
国際連合は元々、第二次世界大戦の連合国が母体となってスタートしたものである。そのため国連憲章の53条には、第二次世界大戦で枢軸国側に立った国(特にドイツと日本)が侵略行動を行った場合には、安全保障理事会の議決に基づかずに強制行動がとれるという規定があり、また107条では旧敵国に対する行動については国連憲章に拘束されないという規定がある。この2条と敵国という語を含む77条については、1995年には国際連合総会決議50/52において敵国条項はすでに「死文化(英語: become obsolete)」しているとされ、憲章改正の際には削除するという内容を含む決議案が三か国のみ棄権という圧倒的な賛成多数で採択されている[151]。また2005年9月15日には国連総会特別首脳会合で採択された「成果文書」には「敵国条項の削除を決意する」という決議が採択されている。ただし、国連憲章改正には総会での3分の2以上の賛成および、常任理事国すべてをふくむ安全保障理事会3分の2以上の賛成、そして3分の2以上の加盟国による批准措置が必要であり、また常任理事国の追加問題なども絡んでいるために削除には至っていない。
国際連合の採決には常任理事国5カ国と非常任理事国10カ国との合同での採択で決定するが、常任理事国が拒否権を発動した場合、採択は全て否決される。今まで、東西冷戦時代等を中心に採択で常任理事国が拒否権を発動し否決されたケースが数多くあり国連で拒否権の在り方が問題になっている。
2004年にはイラクに対する石油食料交換プログラムを利用したベノン・セバン事務次長やアナン事務総長・ガリ前事務総長の縁者が関与した大規模な不正事件が発覚した。
また2006年1月には国連調達をめぐる3億ドルにのぼる汚職事件が発生。国連は、関与したとされる8人の職員を勤務を一時停止にした。監査した国連内部監理室調達タスクフォースでは報告書において、「犯罪となるような誤った行動」はなかったが、「2000年にまでさかのぼり3件の調達の事例において、職権濫用と管理不行き届きがあった」としている。[152] また、2008年には東京にある国連広報センター(UNIC)が不正経理をしていたとして国連から内部監査を受けていたことが明らかになった。しかし、日本は国連大学の建物を無償で提供しているが、その建物に入っているUNIC東京の家賃を、日本政府が国民の税金を使い国連大学に払っていることが判明した。[153]
国際連合は1968年に国連人権賞を制定している。またそれ以外にも国連が制定した賞、顕彰は多く存在する。一例として国連平和賞(United Nations Peace Medal)は国連によって制定された賞であるが、類似した名称や訳でも国連が無関与の賞も存在する[154]。
[ヘルプ] |
ウィキペディアの姉妹プロジェクトで 「国際連合」に関する情報が検索できます。 |
|
ウィクショナリーの辞書項目 | |
ウィキブックスの教科書や解説書 |
|
ウィキクォートの引用句集 |
|
ウィキソースの原文 |
|
コモンズでメディア |
|
ウィキニュースのニュース |
|
ウィキバーシティの学習支援 |
ウィキソースに国際連合憲章の日本語訳があります。 |
ポータル 国際連合 |
|
|
|
United Nations
|
||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||
Map showing the member states of the United Nations[a]
|
||||||||||||
Headquarters | New York City (International territory) | |||||||||||
Official languages |
|
|||||||||||
Type | Intergovernmental organization | |||||||||||
Membership | 193 member states 2 observer states |
|||||||||||
Leaders | ||||||||||||
• | Secretary‑General | Ban Ki-Moon | ||||||||||
• | Deputy Secretary-General | Jan Eliasson | ||||||||||
• | General Assembly President | Peter Thomson (diplomat) | ||||||||||
• | Economic and Social Council President | Frederick Musiiwa Makamure Shava | ||||||||||
• | Security Council President | Vitaly Churkin | ||||||||||
Establishment | ||||||||||||
• | UN Charter signed | 26 June 1945 (1945-06-26) | ||||||||||
• | Charter entered into force | 24 October 1945 (1945-10-24) | ||||||||||
Website www |
This article contains Chinese text. Without proper rendering support, you may see question marks, boxes, or other symbols instead of Chinese characters. |
This article contains Arabic text. Without proper rendering support, you may see question marks, boxes, or other symbols. |
The United Nations (UN) is an intergovernmental organization to promote international co-operation. A replacement for the ineffective League of Nations, the organization was established on 24 October 1945 after World War II in order to prevent another such conflict. At its founding, the UN had 51 member states; there are now 193. The headquarters of the United Nations is in Manhattan, New York City, and experiences extraterritoriality. Further main offices are situated in Geneva, Nairobi, and Vienna. The organization is financed by assessed and voluntary contributions from its member states. Its objectives include maintaining international peace and security, promoting human rights, fostering social and economic development, protecting the environment, and providing humanitarian aid in cases of famine, natural disaster, and armed conflict.
The United Nations Charter was drafted at a conference in April–June 1945; this charter took effect 24 October 1945, and the UN began operation. The UN's mission to preserve world peace was complicated in its early decades by the Cold War between the US and Soviet Union and their respective allies. The organization participated in major actions in Korea and the Congo, as well as approving the creation of the state of Israel in 1947. The organization's membership grew significantly following widespread decolonization in the 1960s, and by the 1970s its budget for economic and social development programmes far outstripped its spending on peacekeeping. After the end of the Cold War, the UN took on major military and peacekeeping missions across the world with varying degrees of success.
The UN has six principal organs: the General Assembly (the main deliberative assembly); the Security Council (for deciding certain resolutions for peace and security); the Economic and Social Council (ECOSOC) (for promoting international economic and social co-operation and development); the Secretariat (for providing studies, information, and facilities needed by the UN); the International Court of Justice (the primary judicial organ); and the United Nations Trusteeship Council (inactive since 1994). UN System agencies include the World Bank Group, the World Health Organization, the World Food Programme, UNESCO, and UNICEF. The UN's most prominent officer is the Secretary-General, an office held by South Korean Ban Ki-moon since 2007. Non-governmental organizations may be granted consultative status with ECOSOC and other agencies to participate in the UN's work.
The organization won the Nobel Peace Prize in 2001, and a number of its officers and agencies have also been awarded the prize. Other evaluations of the UN's effectiveness have been mixed. Some commentators believe the organization to be an important force for peace and human development, while others have called the organization ineffective, corrupt, or biased.
In the century prior to the UN's creation, several international treaty organizations and conferences had been formed to regulate conflicts between nations, such as the International Committee of the Red Cross and the Hague Conventions of 1899 and 1907.[3] Following the catastrophic loss of life in the First World War, the Paris Peace Conference established the League of Nations to maintain harmony between countries.[4] This organization resolved some territorial disputes and created international structures for areas such as postal mail, aviation, and opium control, some of which would later be absorbed into the UN.[5] However, the League lacked representation for colonial peoples (then half the world's population) and significant participation from several major powers, including the US, USSR, Germany, and Japan; it failed to act against the Japanese invasion of Manchuria in 1931, the Second Italo-Ethiopian War in 1935, the Japanese invasion of China in 1937, and German expansions under Adolf Hitler that culminated in the Second World War.[6]
The earliest concrete plan for a new world organization began under the aegis of the US State Department in 1939.[7] The text of the "Declaration by United Nations" was drafted by President Franklin Roosevelt, British Prime Minister Winston Churchill, and Roosevelt aide Harry Hopkins, while meeting at the White House, 29 December 1941. It incorporated Soviet suggestions, but left no role for France. "Four Policemen" was coined to refer to four major Allied countries, United States, United Kingdom, Soviet Union, and China, which emerged in the Declaration by United Nations.[8] Roosevelt first coined the term United Nations to describe the Allied countries.[b] "On New Year's Day 1942, President Roosevelt, Prime Minister Churchill, Maxim Litvinov, of the USSR, and T. V. Soong, of China, signed a short document which later came to be known as the United Nations Declaration and the next day the representatives of twenty-two other nations added their signatures."[9] The term United Nations was first officially used when 26 governments signed this Declaration. One major change from the Atlantic Charter was the addition of a provision for religious freedom, which Stalin approved after Roosevelt insisted.[10][11] By 1 March 1945, 21 additional states had signed.[12]
A JOINT DECLARATION BY THE UNITED STATES OF AMERICA, THE UNITED KINGDOM OF GREAT BRITAIN AND NORTHERN IRELAND, THE UNION OF SOVIET SOCIALIST REPUBLICS, CHINA, AUSTRALIA, BELGIUM, CANADA, COSTA RICA, CUBA, CZECHOSLOVAKIA, DOMINICAN REPUBLIC, EL SALVADOR, GREECE, GUATEMALA, HAITI, HONDURAS, INDIA, LUXEMBOURG, NETHERLANDS, NEW ZEALAND, NICARAGUA, NORWAY, PANAMA, POLAND, SOUTH AFRICA, YUGOSLAVIA
The Governments signatory hereto,
Having subscribed to a common program of purposes and principles embodied in the Joint Declaration of the President of the United States of America and the Prime Minister of Great Britain dated August 14, 1941, known as the Atlantic Charter,
Being convinced that complete victory over their enemies is essential to defend life, liberty, independence and religious freedom, and to preserve human rights and justice in their own lands as well as in other lands, and that they are now engaged in a common struggle against savage and brutal forces seeking to subjugate the world,
DECLARE:
(1) Each Government pledges itself to employ its full resources, military or economic, against those members of the Tripartite Pact and its adherents with which such government is at war.
(2) Each Government pledges itself to cooperate with the Governments signatory hereto and not to make a separate armistice or peace with the enemies.
The foregoing declaration may be adhered to by other nations which are, or which may be, rendering material assistance and contributions in the struggle for victory over Hitlerism.[13]
During the war, the United Nations became the official term for the Allies. To join countries had to sign the Declaration and declare war on the Axis.[14]
The United Nations was formulated and negotiated among the delegations from the Allied Big Four (the Soviet Union, the UK, the US and China) at the Dumbarton Oaks Conference in 1944.[15][16] After months of planning, the UN Conference on International Organization opened in San Francisco, 25 April 1945, attended by 50 governments and a number of non-governmental organizations involved in drafting the United Nations Charter. "The heads of the delegations of the sponsoring countries took turns as chairman of the plenary meetings: Anthony Eden, of Britain, Edward Stettinius, of the United States, T. V. Soong, of China, and Vyacheslav Molotov, of the Soviet Union. At the later meetings, Lord Halifax deputized for Mr. Eden, Wellington Koo for T. V. Soong, and Mr Gromyko for Mr. Molotov."[17] The UN officially came into existence 24 October 1945, upon ratification of the Charter by the five permanent members of the Security Council—France, the Republic of China, the Soviet Union, the UK and the US—and by a majority of the other 46 signatories.[18]
The first meetings of the General Assembly, with 51 nations represented,[c] and the Security Council took place in London beginning 6 January 1946.[18] The General Assembly selected New York City as the site for the headquarters of the United Nations, and the facility was completed in 1952. Its site—like UN headquarters buildings in Geneva, Vienna, and Nairobi—is designated as international territory.[21] The Norwegian Foreign Minister, Trygve Lie, was elected as the first UN Secretary-General.[18]
Though the UN's primary mandate was peacekeeping, the division between the US and USSR often paralysed the organization, generally allowing it to intervene only in conflicts distant from the Cold War.[22] (A notable exception was a Security Council resolution in 1950 authorizing a US-led coalition to repel the North Korean invasion of South Korea, passed in the absence of the USSR.)[18][23] In 1947, the General Assembly approved a resolution to partition Palestine, approving the creation of the state of Israel. Two years later, Ralph Bunche, a UN official, negotiated an armistice to the resulting conflict.[24] In 1956, the first UN peacekeeping force was established to end the Suez Crisis;[18] however, the UN was unable to intervene against the USSR's simultaneous invasion of Hungary following that country's revolution.[25]
In 1960, the UN deployed United Nations Operation in the Congo (UNOC), the largest military force of its early decades, to bring order to the breakaway State of Katanga, restoring it to the control of the Democratic Republic of the Congo by 1964.[26] While travelling to meet with rebel leader Moise Tshombe during the conflict, Dag Hammarskjöld, often named as one of the UN's most effective Secretaries-General,[27] died in a plane crash; months later he was posthumously awarded the Nobel Peace Prize.[28] In 1964, Hammarskjöld's successor, U Thant, deployed the United Nations Peacekeeping Force in Cyprus, which would become one of the UN's longest-running peacekeeping missions.[29]
With the spread of decolonization in the 1960s, the organization's membership saw an influx of newly independent nations. In 1960 alone, 17 new states joined the UN, 16 of them from Africa.[18] On 25 October 1971, with opposition from the United States, but with the support of many Third World nations, the mainland, communist People's Republic of China was given the Chinese seat on the Security Council in place of the Republic of China that occupied Taiwan; the vote was widely seen as a sign of waning US influence in the organization.[30] Third World nations organized into the Group of 77 coalition under the leadership of Algeria, which briefly became a dominant power at the UN.[31] In 1975, a bloc comprising the USSR and Third World nations passed a resolution, over strenuous US and Israeli opposition, declaring Zionism to be racism; the resolution was repealed in 1991, shortly after the end of the Cold War.[32]
With an increasing Third World presence and the failure of UN mediation in conflicts in the Middle East, Vietnam, and Kashmir, the UN increasingly shifted its attention to its ostensibly secondary goals of economic development and cultural exchange.[33] By the 1970s, the UN budget for social and economic development was far greater than its peacekeeping budget.
After the Cold War, the UN saw a radical expansion in its peacekeeping duties, taking on more missions in ten years than it had in the previous four decades.[34] Between 1988 and 2000, the number of adopted Security Council resolutions more than doubled, and the peacekeeping budget increased more than tenfold.[35][36][37] The UN negotiated an end to the Salvadoran Civil War, launched a successful peacekeeping mission in Namibia, and oversaw democratic elections in post-apartheid South Africa and post-Khmer Rouge Cambodia.[38] In 1991, the UN authorized a US-led coalition that repulsed the Iraqi invasion of Kuwait.[39] Brian Urquhart, Under-Secretary-General from 1971 to 1985, later described the hopes raised by these successes as a "false renaissance" for the organization, given the more troubled missions that followed.[40]
Though the UN Charter had been written primarily to prevent aggression by one nation against another, in the early 1990s the UN faced a number of simultaneous, serious crises within nations such as Somalia, Haiti, Mozambique, and the former Yugoslavia.[41] The UN mission in Somalia was widely viewed as a failure after the US withdrawal following casualties in the Battle of Mogadishu, and the UN mission to Bosnia faced "worldwide ridicule" for its indecisive and confused mission in the face of ethnic cleansing.[42] In 1994, the United Nations Assistance Mission for Rwanda failed to intervene in the Rwandan Genocide amid indecision in the Security Council.[43]
Beginning in the last decades of the Cold War, American and European critics of the UN condemned the organization for perceived mismanagement and corruption.[44] In 1984, the US President, Ronald Reagan, withdrew his nation's funding from UNESCO (the United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, founded 1946) over allegations of mismanagement, followed by Britain and Singapore.[45][46] Boutros Boutros-Ghali, Secretary-General from 1992 to 1996, initiated a reform of the Secretariat, reducing the size of the organization somewhat.[47][48] His successor, Kofi Annan (1997–2006), initiated further management reforms in the face of threats from the United States to withhold its UN dues.[48]
In the late 1990s and 2000s, international interventions authorized by the UN took a wider variety of forms. The UN mission in the Sierra Leone Civil War of 1991–2002 was supplemented by British Royal Marines, and the invasion of Afghanistan in 2001 was overseen by NATO.[49]In 2003, the United States invaded Iraq despite failing to pass a UN Security Council resolution for authorization, prompting a new round of questioning of the organization's effectiveness.[50] Under the current Secretary-General, Ban Ki-moon, the UN has intervened with peacekeepers in crises including the War in Darfur in Sudan and the Kivu conflict in the Democratic Republic of Congo and sent observers and chemical weapons inspectors to the Syrian Civil War.[51] In 2013, an internal review of UN actions in the final battles of the Sri Lankan Civil War in 2009 concluded that the organization had suffered "systemic failure".[52] One hundred and one UN personnel died in the 2010 Haiti earthquake, the worst loss of life in the organization's history.[18]
The Millennium Summit was held in 2000 to discuss the U.N.'s role in the 21st century.[53] The three day meeting was the largest gathering of world leaders in history, and culminated in the adoption by all member states of the Millennium Development Goals (MDGs), a commitment to achieve international development in areas such as poverty reduction, gender equality, and public health. Progress towards these goals, which were to be met by 2015, was ultimately uneven. The 2005 World Summit reaffirmed the U.N.'s focus on promoting development, peacekeeping, human rights, and global security.[54] The Sustainable Development Goals were launched in 2015 to succeed the Millennium Development Goals.[55] In addition to addressing global challenges, the U.N. has sought to improve its accountability and democratic legitimacy by engaging more with civil society and fostering a global constituency.[56] In an effort to enhance transparency, in 2016 the organization held its first public debate between candidates for Secretary-General.[57]
The United Nations' system is based on five principal organs: the General Assembly, the Security Council, the Economic and Social Council (ECOSOC), the Secretariat, and the International Court of Justice.[58] A sixth principal organ, the Trusteeship Council, suspended operations in 1994, upon the independence of Palau, the last remaining UN trustee territory.[59]
Four of the five principal organs are located at the main UN Headquarters in New York City.[60] The International Court of Justice is located in The Hague, while other major agencies are based in the UN offices at Geneva,[61] Vienna,[62] and Nairobi.[63] Other UN institutions are located throughout the world. The six official languages of the United Nations, used in intergovernmental meetings and documents, are Arabic, Chinese, English, French, Russian, and Spanish.[64] On the basis of the Convention on the Privileges and Immunities of the United Nations, the UN and its agencies are immune from the laws of the countries where they operate, safeguarding the UN's impartiality with regard to the host and member countries.[65]
Below the six organs sit, in the words of the author Linda Fasulo, "an amazing collection of entities and organizations, some of which are actually older than the UN itself and operate with almost complete independence from it".[66] These include specialized agencies, research and training institutions, programmes and funds, and other UN entities.[67]
The United Nations obey the Noblemaire principle, which is binding on any organization that belongs to the united nations system. This principle calls for salaries that will draw and keep citizens of countries where salaries are highest, and also calls for equal pay for work of equal value independent of the employee's nationality.[68][69] Staff salaries are subject to an internal tax that is administered by the UN organizations.[68][70][71]
UN General Assembly — Deliberative assembly of all UN member states — |
UN Secretariat — Administrative organ of the UN — |
International Court of Justice — Universal court for international law — |
||||
|
|
|
||||
|
|
|
||||
UN Security Council — For international security issues — |
UN Economic and Social Council — For global economical and social affairs — |
UN Trusteeship Council — For administering trust territories (currently inactive) — |
||||
|
|
|
||||
|
|
|
The General Assembly is the main deliberative assembly of the United Nations. Composed of all United Nations member states, the assembly meets in regular yearly sessions, but emergency sessions can also be called.[73] The assembly is led by a president, elected from among the member states on a rotating regional basis, and 21 vice-presidents.[74] The first session convened 10 January 1946 in the Methodist Central Hall Westminster in London and included representatives of 51 nations.[18]
When the General Assembly votes on important questions, a two-thirds majority of those present and voting is required. Examples of important questions include recommendations on peace and security; election of members to organs; admission, suspension, and expulsion of members; and budgetary matters.[75] All other questions are decided by a majority vote. Each member country has one vote. Apart from approval of budgetary matters, resolutions are not binding on the members. The Assembly may make recommendations on any matters within the scope of the UN, except matters of peace and security that are under consideration by the Security Council.[73]
Draft resolutions can be forwarded to the General Assembly by eight committees:[76]
The Security Council is charged with maintaining peace and security among countries. While other organs of the United Nations can only make "recommendations" to member states, the Security Council has the power to make binding decisions that member states have agreed to carry out, under the terms of Charter Article 25.[77] The decisions of the Council are known as United Nations Security Council resolutions.[78]
The Security Council is made up of fifteen member states, consisting of five permanent members—China, France, Russia, the United Kingdom, and the United States—and ten non-permanent members—Angola (term ends 2016), Chad (2015), Chile (2015), Jordan (2015), Lithuania (2015), Malaysia (2016), New Zealand (2016), Nigeria (2015), Spain (2016), and Venezuela (2016).[79] The five permanent members hold veto power over UN resolutions, allowing a permanent member to block adoption of a resolution, though not debate. The ten temporary seats are held for two-year terms, with member states voted in by the General Assembly on a regional basis.[80] The presidency of the Security Council rotates alphabetically each month.[81]
The UN Secretariat is headed by the Secretary-General, assisted by a staff of international civil servants worldwide.[82] It provides studies, information, and facilities needed by United Nations bodies for their meetings. It also carries out tasks as directed by the Security Council, the General Assembly, the Economic and Social Council, and other UN bodies.[83]
The Secretary-General acts as the de facto spokesperson and leader of the UN. The position is defined in the UN Charter as the organization's "chief administrative officer".[84] Article 99 of the charter states that the Secretary-General can bring to the Security Council's attention "any matter which in his opinion may threaten the maintenance of international peace and security", a phrase that Secretaries-General since Trygve Lie have interpreted as giving the position broad scope for action on the world stage.[85] The office has evolved into a dual role of an administrator of the UN organization and a diplomat and mediator addressing disputes between member states and finding consensus to global issues.[86]
The Secretary-General is appointed by the General Assembly, after being recommended by the Security Council, where the permanent members have veto power.[87] There are no specific criteria for the post, but over the years it has become accepted that the post shall be held for one or two terms of five years, that the post shall be appointed on the basis of geographical rotation, and that the Secretary-General shall not originate from one of the five permanent Security Council member states.[88] The current Secretary-General is Ban Ki-moon, who replaced Kofi Annan in 2007 and was elected for a second term to conclude at the end of 2016.[89]
No. | Name | Country of origin | Took office | Left office | Note |
---|---|---|---|---|---|
1 | Trygve Lie | Norway | 2 February 1946 | 10 November 1952 | Resigned |
2 | Dag Hammarskjöld | Sweden | 10 April 1953 | 18 September 1961 | Died in office |
3 | U Thant | Burma | 30 November 1961 | 31 December 1971 | |
4 | Kurt Waldheim | Austria | 1 January 1972 | 31 December 1981 | |
5 | Javier Pérez de Cuéllar | Peru | 1 January 1982 | 31 December 1991 | |
6 | Boutros Boutros-Ghali | Egypt | 1 January 1992 | 31 December 1996 | |
7 | Kofi Annan | Ghana | 1 January 1997 | 31 December 2006 | |
8 | Ban Ki-moon | South Korea | 1 January 2007 | 31 December 2016 | |
9 | António Guterres | Portugal | 1 January 2017 | - |
The International Court of Justice (ICJ), located in The Hague, in the Netherlands, is the primary judicial organ of the UN. Established in 1945 by the UN Charter, the Court began work in 1946 as the successor to the Permanent Court of International Justice. The ICJ is composed of 15 judges who serve 9-year terms and are appointed by the General Assembly; every sitting judge must be from a different nation.[91][92]
It is based in the Peace Palace in The Hague, sharing the building with the Hague Academy of International Law, a private centre for the study of international law. The ICJ's primary purpose is to adjudicate disputes among states. The court has heard cases related to war crimes, illegal state interference, ethnic cleansing, and other issues.[93] The ICJ can also be called upon by other UN organs to provide advisory opinions.[91]
The Economic and Social Council (ECOSOC) assists the General Assembly in promoting international economic and social co-operation and development. ECOSOC has 54 members, which are elected by the General Assembly for a three-year term. The president is elected for a one-year term and chosen amongst the small or middle powers represented on ECOSOC. The council has one annual meeting in July, held in either New York or Geneva. Viewed as separate from the specialized bodies it co-ordinates, ECOSOC's functions include information gathering, advising member nations, and making recommendations.[94][95] Owing to its broad mandate of co-ordinating many agencies, ECOSOC has at times been criticized as unfocused or irrelevant.[94][96]
ECOSOC's subsidiary bodies include the United Nations Permanent Forum on Indigenous Issues, which advises UN agencies on issues relating to indigenous peoples; the United Nations Forum on Forests, which co-ordinates and promotes sustainable forest management; the United Nations Statistical Commission, which co-ordinates information-gathering efforts between agencies; and the Commission on Sustainable Development, which co-ordinates efforts between UN agencies and NGOs working towards sustainable development. ECOSOC may also grant consultative status to non-governmental organizations;[94] by 2004, more than 2,200 organizations had received this status.[97]
The UN Charter stipulates that each primary organ of the UN can establish various specialized agencies to fulfil its duties.[98] Some best-known agencies are the International Atomic Energy Agency, the Food and Agriculture Organization, UNESCO (United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization), the World Bank, and the World Health Organization (WHO). The UN performs most of its humanitarian work through these agencies. Examples include mass vaccination programmes (through WHO), the avoidance of famine and malnutrition (through the work of the WFP), and the protection of vulnerable and displaced people (for example, by UNHCR).[99]
No. | Acronym | Agency | Headquarters | Head[d] | Established in |
---|---|---|---|---|---|
1 | FAO | Food and Agriculture Organization | Rome, Italy | José Graziano da Silva | 1945 |
2 | IAEA | International Atomic Energy Agency | Vienna, Austria | Yukiya Amano | 1957 |
3 | ICAO | International Civil Aviation Organization | Montreal, Canada | Fang Liu | 1947 |
4 | IFAD | International Fund for Agricultural Development | Rome, Italy | Kanayo F. Nwanze | 1977 |
5 | ILO | International Labour Organization | Geneva, Switzerland | Guy Ryder | 1946 (1919) |
6 | IMO | International Maritime Organization | London, United Kingdom | Koji Sekimizu | 1948 |
7 | IMF | International Monetary Fund | Washington, D.C., United States | Christine Lagarde | 1945 (1944) |
8 | ITU | International Telecommunication Union | Geneva, Switzerland | Houlin Zhao | 1947 (1865) |
9 | UNESCO | United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization | Paris, France | Irina Bokova | 1946 |
10 | UNIDO | United Nations Industrial Development Organization | Vienna, Austria | Li Yong | 1967 |
11 | UNWTO | World Tourism Organization | Madrid, Spain | Taleb Rifai | 1974 |
12 | UPU | Universal Postal Union | Bern, Switzerland | Bishar Abdirahman Hussein | 1947 (1874) |
13 | WBG | World Bank Group | Washington, D.C., United States | Jim Y. Kim | 1945 (1944) |
14 | WFP | World Food Programme | Rome, Italy | Ertharin Cousin | 1963 |
15 | WHO | World Health Organization | Geneva, Switzerland | Margaret Chan | 1948 |
16 | WIPO | World Intellectual Property Organization | Geneva, Switzerland | Francis Gurry | 1974 |
17 | WMO | World Meteorological Organization | Geneva, Switzerland | David Grimes / Michel Jarraud | 1950 (1873) |
With the addition of South Sudan 14 July 2011,[100] there are 193 United Nations member states, including all undisputed independent states apart from Vatican City.[101][e] The UN Charter outlines the rules for membership:
- Membership in the United Nations is open to all other peace-loving states that accept the obligations contained in the present Charter and, in the judgment of the Organization, are able and willing to carry out these obligations.
- The admission of any such state to membership in the United Nations will be effected by a decision of the General Assembly upon the recommendation of the Security Council. Chapter II, Article 4[102]
In addition, there are two non-member observer states of the United Nations General Assembly: the Holy See (which holds sovereignty over Vatican City) and the State of Palestine.[103] The Cook Islands and Niue, both states in free association with New Zealand, are full members of several UN specialized agencies and have had their "full treaty-making capacity" recognized by the Secretariat.[104]
The Group of 77 at the UN is a loose coalition of developing nations, designed to promote its members' collective economic interests and create an enhanced joint negotiating capacity in the United Nations. Seventy-seven nations founded the organization, but by November 2013 the organization had since expanded to 133 member countries.[105] The group was founded 15 June 1964 by the "Joint Declaration of the Seventy-Seven Countries" issued at the United Nations Conference on Trade and Development (UNCTAD). The group held its first major meeting in Algiers in 1967, where it adopted the Charter of Algiers and established the basis for permanent institutional structures.[106]
The UN, after approval by the Security Council, sends peacekeepers to regions where armed conflict has recently ceased or paused to enforce the terms of peace agreements and to discourage combatants from resuming hostilities. Since the UN does not maintain its own military, peacekeeping forces are voluntarily provided by member states. These soldiers are sometimes nicknamed "Blue Helmets" for their distinctive gear.[107][108] The peacekeeping force as a whole received the Nobel Peace Prize in 1988.[109]
In September 2013, the UN had peacekeeping soldiers deployed on 15 missions. The largest was the United Nations Organization Stabilization Mission in the Democratic Republic of the Congo (MONUSCO), which included 20,688 uniformed personnel. The smallest, United Nations Military Observer Group in India and Pakistan (UNMOGIP), included 42 uniformed personnel responsible for monitoring the ceasefire in Jammu and Kashmir. UN peacekeepers with the United Nations Truce Supervision Organization (UNTSO) have been stationed in the Middle East since 1948, the longest-running active peacekeeping mission.[110]
A study by the RAND Corporation in 2005 found the UN to be successful in two out of three peacekeeping efforts. It compared efforts at nation-building by the United Nations to those of the United States, and found that seven out of eight UN cases are at peace, as compared with four out of eight US cases at peace.[111] Also in 2005, the Human Security Report documented a decline in the number of wars, genocides, and human rights abuses since the end of the Cold War, and presented evidence, albeit circumstantial, that international activism—mostly spearheaded by the UN—has been the main cause of the decline in armed conflict in that period.[112] Situations in which the UN has not only acted to keep the peace but also intervened include the Korean War (1950–53) and the authorization of intervention in Iraq after the Gulf War (1990–91).[113]
The UN has also drawn criticism for perceived failures. In many cases, member states have shown reluctance to achieve or enforce Security Council resolutions. Disagreements in the Security Council about military action and intervention are seen as having failed to prevent the Bangladesh genocide in 1971,[114] the Cambodian genocide in the 1970s,[115] and the Rwandan genocide in 1994.[116] Similarly, UN inaction is blamed for failing to either prevent the Srebrenica massacre in 1995 or complete the peacekeeping operations in 1992–93 during the Somali Civil War.[117] UN peacekeepers have also been accused of child rape, soliciting prostitutes, and sexual abuse during various peacekeeping missions in the Democratic Republic of the Congo,[118] Haiti,[119] Liberia,[120] Sudan and what is now South Sudan,[121] Burundi, and Ivory Coast.[122] Scientists cited UN peacekeepers from Nepal as the likely source of the 2010–13 Haiti cholera outbreak, which killed more than 8,000 Haitians following the 2010 Haiti earthquake.[123]
In addition to peacekeeping, the UN is also active in encouraging disarmament. Regulation of armaments was included in the writing of the UN Charter in 1945 and was envisioned as a way of limiting the use of human and economic resources for their creation.[77] The advent of nuclear weapons came only weeks after the signing of the charter, resulting in the first resolution of the first General Assembly meeting calling for specific proposals for "the elimination from national armaments of atomic weapons and of all other major weapons adaptable to mass destruction".[124] The UN has been involved with arms-limitation treaties, such as the Outer Space Treaty (1967), the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (1968), the Seabed Arms Control Treaty (1971), the Biological Weapons Convention (1972), the Chemical Weapons Convention (1992), and the Ottawa Treaty (1997), which prohibits landmines.[125] Three UN bodies oversee arms proliferation issues: the International Atomic Energy Agency, the Organization for the Prohibition of Chemical Weapons, and the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization Preparatory Commission.[126]
One of the UN's primary purposes is "promoting and encouraging respect for human rights and for fundamental freedoms for all without distinction as to race, sex, language, or religion", and member states pledge to undertake "joint and separate action" to protect these rights.[98][127]
In 1948, the General Assembly adopted a Universal Declaration of Human Rights, drafted by a committee headed by Franklin D. Roosevelt's widow, Eleanor, and including the French lawyer René Cassin. The document proclaims basic civil, political, and economic rights common to all human beings, though its effectiveness towards achieving these ends has been disputed since its drafting.[128] The Declaration serves as a "common standard of achievement for all peoples and all nations" rather than a legally binding document, but it has become the basis of two binding treaties, the 1966 International Covenant on Civil and Political Rights and International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights.[129] In practice, the UN is unable to take significant action against human rights abuses without a Security Council resolution, though it does substantial work in investigating and reporting abuses.[130]
In 1979, the General Assembly adopted the Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination against Women, followed by the Convention on the Rights of the Child in 1989.[131] With the end of the Cold War, the push for human rights action took on new impetus.[132] The United Nations Commission on Human Rights was formed in 1993 to oversee human rights issues for the UN, following the recommendation of that year's World Conference on Human Rights. Jacques Fomerand, a scholar of the UN, describes this organization's mandate as "broad and vague", with only "meagre" resources to carry it out.[133] In 2006, it was replaced by a Human Rights Council consisting of 47 nations.[134] Also in 2006, the General Assembly passed a Declaration on the Rights of Indigenous Peoples,[135] and in 2011 it passed its first resolution recognizing the rights of LGBT people.[136]
Other UN bodies responsible for women's rights issues include United Nations Commission on the Status of Women, a commission of ECOSOC founded in 1946; the United Nations Development Fund for Women, created in 1976; and the United Nations International Research and Training Institute for the Advancement of Women, founded in 1979.[137] The United Nations Permanent Forum on Indigenous Issues, one of three bodies with a mandate to oversee issues related to indigenous peoples, held its first session in 2002.[138]
Millennium Development Goals[139] |
|
|
Another primary purpose of the UN is "to achieve international co-operation in solving international problems of an economic, social, cultural, or humanitarian character".[127] Numerous bodies have been created to work towards this goal, primarily under the authority of the General Assembly and ECOSOC.[140] In 2000, the 192 United Nations member states agreed to achieve eight Millennium Development Goals by 2015.[141]
The UN Development Programme (UNDP), an organization for grant-based technical assistance founded in 1945, is one of the leading bodies in the field of international development. The organization also publishes the UN Human Development Index, a comparative measure ranking countries by poverty, literacy, education, life expectancy, and other factors.[142][143] The Food and Agriculture Organization (FAO), also founded in 1945, promotes agricultural development and food security.[144] UNICEF (the United Nations Children's Fund) was created in 1946 to aid European children after the Second World War and expanded its mission to provide aid around the world and to uphold the Convention on the Rights of the Child.[145][146]
The World Bank Group and International Monetary Fund (IMF) are independent, specialized agencies and observers within the UN framework, according to a 1947 agreement. They were initially formed separately from the UN through the Bretton Woods Agreement in 1944.[147] The World Bank provides loans for international development, while the IMF promotes international economic co-operation and gives emergency loans to indebted countries.[148]
The World Health Organization (WHO), which focuses on international health issues and disease eradication, is another of the UN's largest agencies. In 1980, the agency announced that the eradication of smallpox had been completed. In subsequent decades, WHO largely eradicated polio, river blindness, and leprosy.[149] The Joint United Nations Programme on HIV/AIDS (UNAIDS), begun in 1996, co-ordinates the organization's response to the AIDS epidemic.[150] The UN Population Fund, which also dedicates part of its resources to combating HIV, is the world's largest source of funding for reproductive health and family planning services.[151]
Along with the International Red Cross and Red Crescent Movement, the UN often takes a leading role in co-ordinating emergency relief.[152] The World Food Programme (WFP), created in 1961, provides food aid in response to famine, natural disasters, and armed conflict. The organization reports that it feeds an average of 90 million people in 80 nations each year.[152][153] The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees (UNHCR), established in 1950, works to protect the rights of refugees, asylum seekers, and stateless people.[154] UNHCR and WFP programmes are funded by voluntary contributions from governments, corporations, and individuals, though the UNHCR's administrative costs are paid for by the UN's primary budget.[155]
Since the UN's creation, over 80 colonies have attained independence. The General Assembly adopted the Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples in 1960 with no votes against but abstentions from all major colonial powers. The UN works towards decolonization through groups including the UN Committee on Decolonization, created in 1962.[156] The committee lists seventeen remaining "Non-Self-Governing Territories", the largest and most populous of which is Western Sahara.[157]
Beginning with the formation of the UN Environmental Programme (UNEP) in 1972, the UN has made environmental issues a prominent part of its agenda. A lack of success in the first two decades of UN work in this area led to the 1992 Earth Summit in Rio de Janeiro, Brazil, which sought to give new impetus to these efforts.[158] In 1988, the UNEP and the World Meteorological Organization (WMO), another UN organization, established the Intergovernmental Panel on Climate Change, which assesses and reports on research on global warming.[159] The UN-sponsored Kyoto Protocol, signed in 1997, set legally binding emissions reduction targets for ratifying states.[160]
The UN also declares and co-ordinates international observances, periods of time to observe issues of international interest or concern. Examples include World Tuberculosis Day, Earth Day, and the International Year of Deserts and Desertification.[161]
Member state | Contribution (% of UN budget) |
---|---|
United States |
22.000
|
Japan |
9.680
|
China |
7.921
|
Germany |
6.389
|
France |
4.859
|
United Kingdom |
4.463
|
Brazil |
3.823
|
Italy |
3.748
|
Russia |
3.088
|
Canada |
2.921
|
Spain |
2.443
|
Australia |
2.337
|
South Korea |
2.039
|
Netherlands |
1.482
|
Mexico |
1.435
|
Saudi Arabia |
1.146
|
Switzerland |
1.140
|
Other member states |
19.086
|
The UN is financed from assessed and voluntary contributions from member states. The General Assembly approves the regular budget and determines the assessment for each member. This is broadly based on the relative capacity of each country to pay, as measured by its gross national income (GNI), with adjustments for external debt and low per capita income.[163] The two-year budget for 2012–13 was $5.512 billion in total.[164]
The Assembly has established the principle that the UN should not be unduly dependent on any one member to finance its operations. Thus, there is a "ceiling" rate, setting the maximum amount that any member can be assessed for the regular budget. In December 2000, the Assembly revised the scale of assessments in response to pressure from the United States. As part of that revision, the regular budget ceiling was reduced from 25% to 22%.[165] For the least developed countries (LDCs), a ceiling rate of 0.01% is applied.[163] In addition to the ceiling rates, the minimum amount assessed to any member nation (or "floor" rate) is set at 0.001% of the UN budget ($55,120 for the two year budget 2013-2014).[166]
A large share of the UN's expenditure addresses its core mission of peace and security, and this budget is assessed separately from the main organizational budget.[167] The peacekeeping budget for the 2015–16 fiscal year was $8.27 billion, supporting 82,318 troops deployed in 15 missions around the world.[110] UN peace operations are funded by assessments, using a formula derived from the regular funding scale that includes a weighted surcharge for the five permanent Security Council members, who must approve all peacekeeping operations. This surcharge serves to offset discounted peacekeeping assessment rates for less developed countries. In 2013, the top 10 providers of assessed financial contributions to United Nations peacekeeping operations were the United States (28.38%), Japan (10.83%), France (7.22%), Germany (7.14%), the United Kingdom (6.68%), China (6.64%), Italy (4.45%), the Russian Federation (3.15%), Canada (2.98%), and Spain (2.97%).[168]
Special UN programmes not included in the regular budget, such as UNICEF and the World Food Programme, are financed by voluntary contributions from member governments, corporations, and private individuals.[169][170]
A number of agencies and individuals associated with the UN have won the Nobel Peace Prize in recognition of their work. Two Secretaries-General, Dag Hammarskjöld and Kofi Annan, were each awarded the prize (in 1961 and 2001, respectively), as were Ralph Bunche (1950), a UN negotiator, René Cassin (1968), a contributor to the Universal Declaration of Human Rights, and the US Secretary of State Cordell Hull (1945), the latter for his role in the organization's founding. Lester B. Pearson, the Canadian Secretary of State for External Affairs, was awarded the prize in 1957 for his role in organizing the UN's first peacekeeping force to resolve the Suez Crisis. UNICEF won the prize in 1965, the International Labour Organization in 1969, the UN Peace-Keeping Forces in 1988, the International Atomic Energy Agency (which reports to the UN) in 2005, and the UN-supported Organization for the Prohibition of Chemical Weapons in 2013. The United Nations High Commissioner for Refugees was awarded in 1954 and 1981, becoming one of only two recipients to win the prize twice. The UN as a whole was awarded the prize in 2001, sharing it with Annan.[171]
Since its founding, there have been many calls for reform of the United Nations but little consensus on how to do so. Some want the UN to play a greater or more effective role in world affairs, while others want its role reduced to humanitarian work. There have also been numerous calls for the UN Security Council's membership to be increased, for different ways of electing the UN's Secretary-General, and for a United Nations Parliamentary Assembly. Jacques Fomerand states the most enduring divide in views of the UN is "the North–South split" between richer Northern nations and developing Southern nations. Southern nations tend to favour a more empowered UN with a stronger General Assembly, allowing them a greater voice in world affairs, while Northern nations prefer an economically laissez-faire UN that focuses on transnational threats such as terrorism.[172]
After World War II, the French Committee of National Liberation was late to be recognized by the US as the government of France, and so the country was initially excluded from the conferences that created the new organization. The future French president Charles de Gaulle criticized the UN, famously calling it a machin ("contraption"), and was not convinced that a global security alliance would help maintain world peace, preferring direct defence treaties between countries.[173] Throughout the Cold War, both the US and USSR repeatedly accused the UN of favouring the other. In 1953, the USSR effectively forced the resignation of Trygve Lie, the Secretary-General, through its refusal to deal with him, while in the 1950s and 1960s, a popular US bumper sticker read, "You can't spell communism without U.N."[174] In a sometimes-misquoted statement, President George W. Bush stated in February 2003 (referring to UN uncertainty towards Iraqi provocations under the Saddam Hussein regime) that "free nations will not allow the United Nations to fade into history as an ineffective, irrelevant debating society."[175][176][177] In contrast, the French President, François Hollande, stated in 2012 that "France trusts the United Nations. She knows that no state, no matter how powerful, can solve urgent problems, fight for development and bring an end to all crises... France wants the UN to be the centre of global governance."[178] Critics such as Dore Gold, an Israeli diplomat, Robert S. Wistrich, a British scholar, Alan Dershowitz, an American legal scholar, Mark Dreyfus, an Australian politician, and the Anti-Defamation League consider UN attention to Israel's treatment of Palestinians to be excessive.[179] In September 2015, Saudi Arabia's Faisal bin Hassan Trad has been elected Chair of the United Nations Human Rights Council panel that appoints independent experts,[180] a move criticized by human rights groups.[181][182]
Critics have also accused the UN of bureaucratic inefficiency, waste, and corruption. In 1976, the General Assembly established the Joint Inspection Unit to seek out inefficiencies within the UN system. During the 1990s, the US withheld dues citing inefficiency and only started repayment on the condition that a major reforms initiative was introduced. In 1994, the Office of Internal Oversight Services (OIOS) was established by the General Assembly to serve as an efficiency watchdog.[183] In 1994, former Special Representative of the Secretary-General of the UN to Somalia Mohamed Sahnoun published "Somalia: The Missed Opportunities",[184] a book in which he analyses the reasons for the failure of the 1992 UN intervention in Somalia, showing that, between the start of the Somali civil war in 1988 and the fall of the Siad Barre regime in January 1991, the UN missed at least three opportunities to prevent major human tragedies; when the UN tried to provide humanitarian assistance, they were totally outperformed by NGOs, whose competence and dedication sharply contrasted with the UN's excessive caution and bureaucratic inefficiencies. If radical reform was not undertaken, warned Mohamed Sahnoun, then the UN would continue to respond to such crisis with inept improvisation.[185] In 2004, the UN faced accusations that its recently ended Oil-for-Food Programme—in which Iraq had been allowed to trade oil for basic needs to relieve the pressure of sanctions—had suffered from widespread corruption, including billions of dollars of kickbacks. An independent inquiry created by the UN found that many of its officials had been involved, as well as raising "significant" questions about the role of Kojo Annan, the son of Kofi Annan.[186]
In evaluating the UN as a whole, Jacques Fomerand writes that the "accomplishments of the United Nations in the last 60 years are impressive in their own terms. Progress in human development during the 20th century has been dramatic and the UN and its agencies have certainly helped the world become a more hospitable and livable place for millions."[187] Evaluating the first 50 years of the UN's history, the author Stanley Meisler writes that "the United Nations never fulfilled the hopes of its founders, but it accomplished a great deal nevertheless", citing its role in decolonization and its many successful peacekeeping efforts.[188] The British historian Paul Kennedy states that while the organization has suffered some major setbacks, "when all its aspects are considered, the UN has brought great benefits to our generation and ... will bring benefits to our children's and grandchildren's generations as well."[189]
The designations employed and the presentation of material on this map do not imply the expression of any opinion whatsoever on the part of the Secretariat of the United Nations concerning the legal status of any country
|access-date=
requires |url=
(help)Decisions of the General Assembly on important questions shall be made by a two-thirds majority of the members present and voting. These questions shall include: recommendations with respect to the maintenance of international peace and security, the election of the non-permanent members of the Security Council, the election of the members of the Economic and Social Council, the election of members of the Trusteeship Council in accordance with paragraph 1 c of Article 86 of the Charter, the admission of new Members to the United Nations, the suspension of the rights and privileges of membership, the expulsion of Members, questions relating to the operation of the trusteeship system, and budgetary questions.
Official websites
Other
United Nations
|
|||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||||||||||
United Nations System |
|
||||||||||||||
Members / Observers |
|
||||||||||||||
History |
|
||||||||||||||
Resolutions |
|
||||||||||||||
Elections |
|
||||||||||||||
Related |
|
||||||||||||||
Other |
|
Relations of the United Nations with its member states
|
|
---|---|
Americas |
|
Asia |
|
Europe |
|
Oceania |
|
Others |
|
Former members |
|
Secretaries-General of the League of Nations and the United Nations
|
||
---|---|---|
League of Nations
(1919–1945) |
|
|
United Nations
(since 1945) |
|
|
Related |
|
|
1 Provisional Secretary-General prior to the election of Trygve Lie. • 2 Secretary-General designate, due to take office in 2017.
|
Links to related articles
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
Authority control |
|
---|
全文を閲覧するには購読必要です。 To read the full text you will need to subscribe.
リンク元 | 「国際連合」「UN」 |
国際連合は、国際連盟の反省をふまえて第二次世界大戦時の戦勝国である連合国 (第二次世界大戦) (United Nations) が中心となる。1945年10月24日に、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンフランシスコで発足した。最初の加盟国(原加盟国)は51ヵ国であった。
日本はテンプレート:和暦12月18日に80番目の加盟国となった。2006年6月末現在、国際連合の加盟国数は192ヵ国。最も新しい加盟国は、モンテネグロ(2006年6月28日加盟)である。国際連合の本部は、アメリカ合衆国のニューヨーク市マンハッタン島にある。
国際連合本部ビル(オスカー・ニーマイヤーを中心とした建築家国際委員会が設計)は老朽化しており、新館を建築家・槇文彦が設計予定。ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている。
…
国連児童基金, UNICEF 国連パレスチナ難民救済事業機関, UNRWA 国連難民高等弁務官事務所, UNHCR 世界食糧計画, WFP 国連訓練調査研究所, UNITAR 国連貿易開発会議, UNCTAD 国連開発計画, UNDP 国連人口基金, UNFPA 国連環境計画, UNEP 国連大学, UNU 婦人の向上のための国際訓練研究所, INSTRAW 国連人間居住センター, UNCHS
.