出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/12/26 04:47:05」(JST)
一次救命処置(いちじきゅうめいしょち BLS:Basic Life Support)とは、呼吸が止まり、心臓も動いていないと見られる人の救命へのチャンスを維持するため、特殊な器具や医薬品を用いずに行う救命処置であり、胸骨圧迫と人工呼吸からなる心肺蘇生法(CPR)、そしてAEDの使用を主な内容とする。以下は基本的にJRC(日本語版)ガイドライン2010 第1章 一次救命処置(BLS)に基づき、必要に応じて他の章、他のガイドラインも参照した。ガイドライン2010成人向BLSの主要なポイントは迅速な胸骨圧迫の開始と、その中断を最小限にすることである。一方、小児用BLSや溺水で、特に熟練救助者の場合はガイドライン2005との差はさほどない。
突然倒れた人や、あるいは倒れている人が居たら、まず心停止を疑う。 脳自体には酸素を蓄える能力がなく、心臓が止まってから短時間で低酸素による不可逆的な状態に陥る。 BLSはそれへの対処であり、脳への酸素供給維持を目的とする。
人間の脳は2分以内に心肺蘇生が開始された場合の救命率は90%程度であるが、4分では50%、5分では25%程度と一般にいわれる(カーラーの救命曲線参照)。 病院外での心停止の過半数、約6割はいわゆる心臓マヒなどの心原性心肺停止である。助かる確率が高いのもこの心臓マヒで、対処さえ早ければ多くは現場で心拍を再開する。
より詳しく見ると、(1)まだ死戦期呼吸がある、(2)心室細動/無脈性心室頻拍がある段階なら助かる確率は高い[1]。 心室細動は代表的には中年・老人などの心臓マヒだが、しかし心臓震盪(しんぞうしんとう)という心室細動もある。野球やサッカーなどのスポーツを行っている最中にボールが胸に当たってというものであり18歳以下の子供に多い。
このうち(1)死戦期呼吸は心停止の40%にみられ、心室細動(VF)に多い。持続時間は中央値4分、20%ぐらいは7分。9分以上でも7.4%に見られる。これがあるうちは救命できる可能性が高い。しかし、この死戦期呼吸は「呼吸有り」とみなされがちで、そうなると救命のチャンスを逃す。またCPRの最中に無呼吸から死戦期呼吸に変わることがある。これも蘇生したと安心してCPRを止めるとやはり救命のチャンスを逃す。(2)の心室細動/無脈性心室頻拍はAEDが動作する条件である。AEDは正常な心拍がある場合には通電しないが、心臓が完全に停止している場合も通電しない。この心室細動はCPRによってしばらく維持されるが、それが行われないと完全に止まってしまう。
以上から、心原性心肺停止であり、かつ目の前で倒れた場合には、救急隊到着までの数分の間に「現場に居合わせた人」(これを「バイスタンダー」「市民救助者」と呼ぶ)によるBLSが行われるかどうかが救命率を大きく左右する。
一方で心原性心肺停止でも心停止してから10分以上経過して発見された場合、及び窒息により心停止(窒息から数えれば既に数分経過)に至った場合の蘇生は楽観出来ない。原因を問わず、病院への搬送開始前までに一度も脈拍の再開がなく、搬送中にCPRを必要とする患者は、生存率も、後遺症なく社会復帰出来る確率も少ない。CoSTRガイドラインによれば「電気ショックの適応のない心電図リズム、かつ救急隊員の非目撃心停止で自己心拍再開のない場合」の生存率は0.5%しかない[2]。 これらのこともあり、例えばアメリカ心臓協会(AHA)のガイドラインは「心肺蘇生と救急心血管治療のためのガイドライン」であるなど、BLSは心原性心肺停止にまず焦点を合わせている。
駆けつけた救急車の救急救命士や病院内でも、BLSがまず行われる。 BLSのみでは心拍が再開しない場合に、救急車内や病院などで救急救命士や医師が、気管挿入や高濃度酸素など医療機器や薬剤も用いて行う救命処置を二次救命処置(Advanced Life Support; ALS)と呼ぶ。 またBLSの範囲でも救急車内や病院などで行うものと市民救助者が行うものは異なる。訓練を受けていない市民救助者と訓練をうけている市民救助者でも内容が一部ことなる。 また、成人の場合と小児・乳児の場合でも一部異なる部分があるし、成人でも溺水の場合は通常の手順とは異なる。
訓練を受けていない市民救助者が行うBLSは胸骨圧迫だけのCPR(ハンズオンリーCPR)が推奨され、心肺蘇生法でまとめているので、これまでCPRの訓練を受けたことのない人はまずそちらを参照されたい。ここでは訓練をうけた救助者が行うべきBLSを中心に述べる。
周囲の状況を確認する。
近くによって両肩を叩きながら相手の耳元で「大丈夫ですか?」などと大きな声で呼びかける。
呼びかけに反応がなければ大声で叫んで助けを呼び、周囲の人に119番通報とAEDの手配を頼む。
呼吸確認は以前の「見て・聞いて・感じて」ではなく目視だけで迅速に行う。ガイドライン2010からこのように改訂されている。
胸の真ん中に手の付け根を置き、肘を真っ直ぐ伸ばし上半身の動きで、少なくとも5cm程度沈むように、少なくとも100回/分の速さで圧迫を30回繰り返す。
訓練を受けていない市民救助者は、救急隊が来るまで胸骨圧迫のみのCPR を行うべきである。訓練を受けた市民救助者であっても、気道を確保し人工呼吸をする意思または十分な技術をもたない場合には、胸骨圧迫のみのCPR(ハンズオンリーCPR)を実施する。
訓練をうけた救助者が人工呼吸を行う場合は、最初の人工呼吸の前に気道確保を行う。
額に当てている手の親指と人差し指とで鼻をつまみ空気が漏れないようにしてから胸部がかるく膨らむことを確認しながら約1秒かけて息を吹き込む。これを2回繰り返し、すぐに胸骨圧迫を再開する。
AEDが手に入った場合は即座に使用する。
正常な呼吸や目的のある仕草などで明らかに心拍再開と判断できる反応がない限り、CPRを中断してはならない。
成人(および1歳以上の小児)の気道異物による窒息では、応援と救急通報依頼を行った後にまず腹部突き上げを試みる。それで解消しなければ背部叩打、胸部突き上げなどを用いて異物除去を試みる。閉塞が解除されるまですばやく反復実施する。(1歳未満の乳児は「小児のBLS(PBLS)」を参照)
腹部突き上げの方法は、患者の後ろに回り、一方の手で「へそ」の位置を確認。もう一方の手で握りこぶしを作って、親指側を「へそ」の上方、みぞおちより十分下に当てる。「へそ」を確認した手でその握りこぶしを握り、手前上方に向かって圧迫するように突き上げる。
腹部突き上げ法は内臓を傷める可能性もあるため、その場で窒息を解除できても、すみやかに医師の診察を受けさせる。救急車が到着した場合は救急隊員にその旨を伝える。
意識がない場合は、口腔内に視認できる固形物は指でつまみ出してもよい。 気道異物による窒息により反応がなくなった場合には、ただちにCPRを開始する。 市民救助者は成人BLSに従い胸骨圧迫からCPRを開始してもよいが、熟練救助者は人工呼吸から開始する。
小児の範囲は広くは出生後から中学生までを呼び、狭くは1歳未満を乳児、1歳以上中学生までを小児とする。 小児・乳児の場合は成人とは異なり、心原性心肺停止、つまり心停止が心肺停止の一時的原因となることは少なく、多くは呼吸原性心肺停止つまり窒息によるものが多い。 呼吸停止の状態で発見され、心停止となる前に治療が開始された場合の救命率は70%以上であるが、心停止にまでなってしまった場合の救命率は低い。 その点が成人の平均的な心停止とは異なる点である。 小児の窒息で多いのは異物誤飲と溺水である。溺水は自宅浴槽の残り湯が多い。
成人であっても窒息に起因する心停止の場合は人工呼吸の重要度が高が、小児の心停止はその場では原因不明であっても、確率的に呼吸原性心肺停止(窒息)である可能性が多いことから成人の心停止と比べて人工呼吸の重要度が高い[8]。 もちろん野球のボールが胸に当たったなど、心臓震盪(しんぞうしんとう)という種類の心室細動による心原性心肺停止の場合は別である。これは衝撃の強さよりも心臓の動きとのわずかなタイミングによるので、幼児や小学校低学年の場合ではフリスビーで遊んでいる最中とか、プラスチック製のバットが当たって起きたという報告もある。
以下は2011年6月30日公表のJRC(日本語版)ガイドライン2010(確定版)第3章「小児の蘇生」に基づき、成人用のBLSと異なる部分のみをあげる。かつ新生児は対象としない。 市民救助者が小児を救助する場合は成人と共通のBLSガイドラインに従う。ただし医療従事者が小児を救助する場合は本PBLS(Pediatric Basic Life Support)に従う。 医療従事者でなくとも小児にかかわることが多い人、保護者、保育士、幼稚園・小学校・中学校教職員、ライフセーバー、スポーツ指導者などもPBLSを学ぶことが奨励される。
訓練をうけていない市民救助者は、119番通報でその状況とその小児のおおよその年齢(幼児、小学校前、小学生低学年ぐらい、中学生ぐらいの程度)を伝え、119番の通信指導員が指示する範囲で行えば良い。
「状況の確認」「意識の確認」「応援を呼ぶ」は成人のBLSと同様であるが、「意識の確認」について、乳児の場合には足底を刺激して顔をしかめたり泣いたりするかで評価してもよい。
1歳以上の小児の異物除去は「窒息のBLS」を参照。
1歳未満の乳児では、有効な強い咳ができず、いまだ反応のある場合には、頭部を下げて背部叩打と胸部突き上げを行う。 意識のない窒息の小児・乳児では、口腔内に視認できる固形物は指でつまみ出してもよい。 気道異物による窒息により反応がなくなった場合には、ただちにCPRを開始する。 市民救助者は成人BLSに従い胸骨圧迫からCPRを開始してもよいが、熟練救助者は人工呼吸から開始する。
傷病者に普段どおりの呼吸を認めるときは、気道確保を行い救急隊の到着を待つ。 CPRに熟練していない救助者は例え医療従事者であっても、心停止確認のために脈拍の触知を行わなくてもよい。
熟練救助者は患者の呼吸を観察しながら、同時に脈拍の有無を確認する。ただし10秒以内である。医療従事者でも10秒以内に脈拍があることを確認出来る者は少ないが、まれに傷病者に呼吸はないが脈拍を触知できる場合がある。このような場合は気道確保して人工呼吸を行う。脈拍が60 回/分以上で自発呼吸がないか呼吸が不十分である場合は、自発呼吸が再開するまで 1分間に 12~20回の回数で人工呼吸を行う(3~5秒に1回)。その後、救急車、またはPALSチームの到着までときおり脈拍確認を行い、心停止となった場合に胸骨圧迫の開始が遅れないようにする。
呼吸がない場合、熟練救助者が脈拍の確認が出来た場合を除き、胸骨圧迫を行う。小児でも体格が成人とさほど変わらなければ成人同様に「少なくとも5cm」の圧迫でよいが、小児・乳児で体格が明らかに成人より小さい場合もあるので、圧迫は胸の厚さの約1/3とする[9]。 1分間当たりのテンポは成人のBLSと同じく1分間当たり少なくとも100 回である。小児に対して胸骨圧迫を行う場合には、片手か両手の手技のどちらを使用してもよい。
市民救助者が乳児を救助する場合、及び医療従事者でも1人で救助にあたる場合は、胸の真ん中に指を2本当て胸骨を圧迫する二本指圧迫法で行う。
PBLSを学んだ者が2人以上で救助にあたる場合は胸郭包み込み両母指圧迫法が推奨される。胸郭包み込み両母指圧迫法は、冠動脈により高い灌流圧がかかり、適切な深度・強度の圧迫が一定して行え、またより高い収縮期圧と拡張期圧を発生させることが可能であるため二本指による圧迫より好ましい。
PBLSを習得した者は人工呼吸の準備ができるまでは胸骨圧迫を行い、準備ができしだい気道確保ののち2回の人工呼吸を行う。人工呼吸は約1秒かけて行う。送気量は傷病者の胸が上がることが確認できる程度とする。胸骨圧迫と人工呼吸の比は成人のBLSと同じである。
小児の心肺停止では呼吸原性である可能性が高いので、できるだけすみやかに気道確保と 人工呼吸を開始することが重要である。病院内はもちろん、PBLSが必要なケースが想定されるような学校などでは、ただちに人工呼吸が開始できる準備を整えておくことが望まれる。
エネルギー減衰機能付き小児用パッドあるいは小児用モードの使用年齢は、これまで1~8歳がめどとされてきたが、今回の国際ガイドライン(CoSTR)2010 では適応年齢が拡大し、乳児にも用いるようになった。
2011年6月末時点では薬事法未承認であったが、2011年10月31日付で厚生労働省[10]は「1歳未満の乳児」(使用禁止)を削除している。 乳児に対するAEDを用いた院外心停止の症例報告がいくつかなされており、成人のエネルギー量を用いても心筋の障害は少なく、よい結果をもたらしている。
一方で、日本では小児の年齢の区切りが8歳まででは、親以外には区別が付きにくく混乱もあったため、日本版のガイドラインでは使用年齢の区切りを未就学児(およそ6歳)とした。
これによって小学校入学以降の6~8歳児に対しては国際ガイドライン(CoSTR)2010 と異なり成人用パッドが使用されることとなるが、CoSTRにおいても2005段階から小児用パッドがない場合は成人用パッドを用いるとされており、かつ、日本のこの年齢層の体重から想定する単位ジュール数についても多くの研究から安全性が担保されている。
小児用パッドがない場合、成人用パッドを代用することはいままで通りである。 貼り付け位置は、成人用と同様の位置、体格によっては胸部前面と背面に貼付する。やむを得ず成人用パッドを使用するさいには、パッド同士が重なり合わないように注意する。
ライフセーバー、ライフガードなどの熟練救助者を除き、深みで溺れている傷病者に対し、水中に踏み入っての救助は非常に難しいばかりでなく救助者と溺水者のどちらにとっても危険であり行ってはならない。救助者の安全が最優先されるべきである。JRC2010ガイドラインではこの点を以前より強く強調している。
病院や救急車内などのでの医師や救命救急士らによる救命措置は一般に二次救命措置とされるが、その端緒としてもBLSが行われる。その場合のBLSは前述の市民によるBLSと基本は同じであるが、救助者の熟練度、使用出来る機材などが大幅に異なり、それを前提とした手順がJRC2010ガイドラインに定められている[17]。 なお、下記は市民救助者のBLSとの違いを示すだけの範囲で要約している。
以下の流れを「人工呼吸不要説」というのは正確ではない。人工呼吸は必要である。ただし、救急車が到着するまでの数分間の間、居合わせた市民が人工呼吸を行わずに胸骨圧迫だけの心臓マッサージ(AHAはハンズオンリーCPRと呼ぶ)を行うことは従来のCPRと同等か、状況によってはより良い結果をもたらすことがある。この認識は、現在では国際的にコンセンサスが得られ、BLSに組み込まれている。
国際的に人工呼吸は必要なものとして認識されていたが、2004年に石見拓が大阪での調査から、その場にいた人が心肺蘇生(CPR)を行わない場合は1年後の生存率が2.4%であるのに対して、人工呼吸なしの心マッサージでは4.6%、人工呼吸+心マッサージでは5%と、救急隊到着までの間なら心マッサージだけでも、人工呼吸を行う場合に近い救命率を確保できると発表した[18]。
JRCの日本版救急蘇生ガイドラインやAHAのガイドライン2005でも、救急に119通報してきた市民に対してCPRが出来るかどうかを訪ね、出来ないようであれば人工呼吸を除いた胸骨圧迫だけのCPR(compression-only CPR)を口頭で指導するとしている[19]。
日本大駿河台病院救命救急センターの長尾建は国立循環器病センターと合同で、2002~2003年の関東各地の58病院と救急隊の情報から目撃者がいた院外心停止患者4,068人の情報を分析し、人工呼吸を行わなくても蘇生率は同じかむしろ高いという研究結果を、2007年に海外でも報告[20]している。人工呼吸を行わなくても脳に酸素が届く要因としては、
が挙げられている 。 またその年には第一回・日本循環器学会プレスセミナーが開催され、長尾建も前記とほぼ同様の発表[21]を行い、その中で心停止4分以内にCPRが開始された患者の30日神経学的予後では、人工呼吸併用のCPRを受けた患者群は6.1%で良好であったにに対し、胸骨圧迫のみCPRの患者群では10.1%が良好であったと発表した。なお救急隊到着時点で無呼吸であった患者群では、30日生存率では7.6%対8.5%とさほど変わらないが、30日神経学的予後では3.1%対6.2%と胸骨圧迫のみCPRの方が倍も良好であったという。 他の講演者もAEDの効果[22]とともにAEDの実施まで胸骨圧迫心臓マッサージを継続し心室細動の状態を維持することが重要[23]であると訴えた。
この石見の大阪での調査、長尾の関東での調査の2つの報告論文[24]と、海外の1つの論文をエビデンスとして、2008年3月末にはアメリカ心臓協会(AHA)が「ハンズオンリーCPRに関するAHA勧告声明」を出す[25]。ハンズオンリーCPR(Hands-Only CPR)とは胸骨圧迫だけのCPRのことであり、このAHA勧告声明から用いられたAHAの登録商標である。
ただしハンズオンリーCPRが従来のCPRと同等の効果をもつのは、血中酸素濃度がまだ低下していない間であり、心原性心肺停止で倒れた直後の場合である。つまり成人の突然の心停止に対する最初の10分間である。呼吸原性心肺停止、つまり溺水など窒息による場合はそうではない。特に子供の場合には心臓の問題よりも物や液体が詰まることの方が多く、その対処と人工呼吸が重要である[26]。従って胸部圧迫の最小限の中断で人工呼吸が出来るのなら、どのような場合も従来の胸部圧迫30回ごとに人工呼吸2回のCPRを行うべきである[27]。
しかしそれを正しく行うことは「比較的複雑なスキル[28]」であり、かつ心原性心肺停止の場合は胸部圧迫の中断が10秒以上となると人工呼吸の効果を消し去ってしまう。また十分なトレーニングを受けていない人にとってはCPRを忌避する原因にもなっており救命の妨げになっている。 従って従来のCPRを自信をもって行えないならハンズオンリーCPRをやって欲しい。 ともかく躊躇せずに早くCPRを行うことが大切。どのような方法であれ、全く訓練を受けていない人であれ、全く救助を試みないより有益[29]、というのがAHAのスタンスである。
しかし2008年3月末のAHA勧告声明はILCOR(International Liaison Committee On Resuscitation:国際蘇生連絡協議会)での合意は得られていなかった。ILCORでは2008年5月に行われたエビデンス(根拠となる調査報告)評価会議で検討されたが、まだエビデンスが十分ではなく、2010年に予定されている国際ガイドライン(CoSTR)改定までの間のエビデンス収集を待つべきであるとの合意がなされた[30]。 そして2010年には問題となっていたエビデンスもそろい、10月の国際ガイドライン(CoSTR[31])2010の合意によって、この人工呼吸の省略をその場に居合わせた市民救助者には消極的にではなく積極的に勧めることが世界的なコンセンサスとなった。
JRC ガイドライン2010でも「通信指導員[32]は、訓練を受けていない救助者に対して電話で胸部圧迫のみのCPRを指導すべきである[33]」「訓練を受けた市民救助者であっても、気道を確保し、人工呼吸をする意思または技術をもたない場合には胸部圧迫のみのCPRを実施[34]」としている。
アメリカとカナダでは「善きサマリア人の法」が制定されている。これは緊急に救助を行う人が報酬を期待せずに誠実に行った場合は責任を問わないという趣旨の法で、バイスタンダーによる傷病者の救護を促進する意図があり、人命救助の行為のみに適用される。(詳細は「善きサマリア人の法」参照)
しかし日本には「善きサマリア人の法」に一致する法律はない。
一般には、民法698 条の「緊急事務管理」の項、刑法37 条の「緊急避難」により、市民が救急蘇生を行っても違法性が阻却される可能性は高いとされる。実際にこれまで市民救助者が訴えられたケースはない。しかし、自治省消防庁救急救助課[35]ですら、
民法の事務管理制度は・・・第三者が救命手当を実施した場合は注意義務が軽減されるという消極的な意味合いがあるに過ぎない。 また、万一、重篤化等により責任を追及されることがあった場合、実施者において緊急事務管理であることを立証しなければならない負担を負っていることも課題である。・・・
しかし、現状においては、現行法の緊急事務管理によってほとんどのケースをカバーでき、免責の範囲はかなり広いので、上記のような指摘は、将来的な課題として・・・現行法における免責制度を周知させることに力点が置かれる必要がある。
としており、法的に完全に保護されている訳ではない。
AEDは医療機器と定義されており、AEDの使用は、医学的知識をもって行うのでなければ傷病者の生命身体に危険を及ぼすおそれのある行為、つまり「医療行為」である。「医療行為」は医師法第17条「医師でなければ、医業をなしてはならない」により医師以外には禁止されている。つまり元々はAEDは医師または看護師しか使えなかった。救急隊員も使えなかった。
そこで2004年に厚生労働省[36]は、「医業」とは、(1)当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為(「医行為」)を、(2)反復継続する意思をもって行うこと」と解し、 「たまたま心室細動や無脈性心室頻拍の者に遭遇した一般市民がAEDを使用することについては、一般的には、反復継続性が認められないため、医業には該当せず、医師法違反とはならないものと考えられる」とした[37]。
ところが、救急隊員や消防隊員、警察官、警備員などは「反復継続性」があり「業」としてそれを行うことになる。現に救急救命士でない救急隊員や消防隊員はAEDは使えない。救急救命士の資格はそのためにあるし、実際には救急車にはたいてい救急救命士が同乗しているから問題は少ないとしても、警察官、警備員、航空機の客室乗務員、更には学校の先生、保母さんなど「業務の内容や活動領域の性格から一定の頻度で心停止者に対し応急の対応を行うことがあらかじめ想定される者」となるので、その「医行為」は本来は医師法第17条違反である。つまり非常事態に遭遇する可能性が一般市民より高く、見殺しにした場合には非難の的になるような人達のAED使用は現行法では認められないことになる。
そこで、政府・構造改革特別区域推進本部の決定を受けて、 心室細動を起こした者の救命処置には迅速なAEDの使用が必要であること、AEDは自動化されており危険性は比較的低いこと、AEDの使用は突発的な緊急時に限定されることなど[38]から、少なくとも次の4つの条件を満たす場合には、医療従事者ではない「AEDを使用することがあらかじめ想定されている者」がAEDを用いても、医師法違反とならないものとするとの方針を明らかにした[39]。
しかしこれは行政の見解であって、法律そのものや司法の判例によって保護されたものではない。
前述の民法698条は「義務なく事務管理を行うこと」が前提(697条)である。しかし、医師法19 条には「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」とされ、医師が緊急の救助者である場合必ずしも「義務のない管理者」としない解釈がある。また刑法37 条の「緊急避難」の項には「業務上特別の義務がある者には適用しない」とあり、道端や航空機内であっても傷病者に手当てを始めた場合には、傷病者と医師との間に契約が成立し、債務不履行の責任を問うことが可能となるとの解釈も存在する。
また、「緊急事務管理」による免責成立のためには「重大な過失」がないことが前提であるが、これは救助者となった医師に立証責任が課せられることとなる。以上、現時点では医師の民法上の責任および刑法上の責任を阻却できるとは限らない。阻却が認められなければ、業務上過失致死傷罪、過失致死傷罪、重過失致死傷罪などが成立し得る。
現に67名の医師へのアンケートで、「ドクターコールに対して医師が援助を申し出ないことがあるのはなぜだと思いますか?」との複数回答可の問いに「病状がアナウンスされず自分の専門領域の範囲か否かわからない」(74.6%)に次いで2番目が「法的責任問題を問われたくない」(68.7%)をあげている[40]。
日本の消防署独自の救命法として長らく「倒れている人から出血があるかどうか確認する。出血がない場合に限り、次に続く意識、呼吸の確認に移る。」という基準が採用されてきていたが、現在は消防署の普通救命講習の中でも「出血の確認について」という項目そのものが存在しない。
前胸部叩打は目撃のない病院外心停止患者に対しては用いるべきではない。また訓練を受けた医療従事者のみが行う[41]。
欧米では一般市民によるBLS(バイスタンダーCPR)が広く普及し、救命に一定の効果を上げているが、日本での一般市民によるBLS施行率はまだ低い。BLSのさらなる普及を目指して公的団体では消防・日本赤十字社、その他アメリカ心臓協会の公式トレーニングセンターとして日本ACLS協会、日本医療教授システム学会、日本循環器学会、日本BLS協会、そしてメディックファーストエイド(MFA)などが各種の認定講習を行っている。
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