出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2019/05/12 18:36:53」(JST)
運転(うんてん)とは、
運転とは、自動車や列車、大型機械、組織、団体などをあやつること、動かすことをいう。四輪自動車や二輪自動車(オートバイ)をあやつることは、日本の道路交通法や警察などの用語では「運転」という。ただし、商業的・日常的にはカタカナ(や英語)を用いて「ドライビング (driving)」といったり、オートバイの場合は日本でも英語で「ライディング (riding)」といわれることもある。また、列車をあやつることも基本的に運転と言う[注 1]。
安全に留意した運転を行うことを安全運転[4]と言う。
反対に、事故を引き起こす可能性が高いような危険な運転を危険運転という。
乗り物や機械が完成したときに、一般の人々を乗せたり一般に使用する前に、運転の状態(正しく動くかどうか)を試すことを試運転と言う。
ほとんどの国や地域で、自動車を運転することは禁止されている。運転するには自動車の種類に合わせた運転免許を取得することが必要である。免許が必要な自動車をそれに対応した免許を持たずに運転することを無免許運転という。
運転をする人や、運転することを職業とする人を運転手と言う。
不注意な運転や無謀な運転は交通事故を引き起こす。被害者を生まないため、また運転者を加害者にしてしまわないため、安全運転の教育が行われている。
近年の日本の自動車教習所では、楽観的な予測にもとづいて運転することを「だろう運転」と呼んで、そうした運転を行わないように指導しており、不都合なことも起きるかも知れないと予測しつつ、余裕を持ちすぐに対処できる心の準備をした運転をすることを「かもしれない運転」と呼び、「かもしれない運転」を奨励している。
酒を飲んで運転することを飲酒運転といい、多くの国ではこれを法律で禁止している。飲酒をすると人は判断力が極端に低下する。日本では東名高速飲酒運転事故や福岡飲酒運転事故など飲酒運転に起因する死亡事故がマスメディアで大きく取り上げられ、従来の法律による処罰では不十分とされ、2007年9月19日には道路交通法が改正され、飲酒運転に対する罰則が厳罰化され、酒を飲んで車両を運転した者の罰則が強化されただけでなく、飲酒運転をすると知りつつ酒を提供した者、車両を提供した者、同乗した者に対する罰則も設けられた。飲酒をして自分の車を運転することが出来なくなった人の代わりにその車を運転すること、代理で運転する人を派遣する業務を運転代行という。
運転中に運転以外の行動を同時に行いながら運転することをながら運転という。交通事故の原因になるとされる。米国道路安全保険協会の調査では、運転中に携帯電話で通話をすると、負傷で病院へ運ばれるほどの衝突事故を起こす確率が4倍に高まるといい[5]、その危険性は、携帯電話を手に持たずに話すハンズフリー通話にしていても変わらないという[5]。日本では運転中に携帯電話を片手に持ち通話する行為や、運転中に携帯メールを操作する行為は交通違反とされ、法律で禁止されている。
四輪自動車(いわゆる「自動車」)の運転の基本は一般に自動車教習所(一般に「自動車学校」や「ドライビングスクール」等と呼ばれているところ)で習得することができる。
教習の方法は国ごとに異なる。たとえば、ヨーロッパでは自動車教習所は一般的に練習用コースを備えておらず、入学の初日に座学を少しした後いきなり実車で公道に出て走り、数週間ほど座学と実技を並行的に行う、といった教習方法がごく一般的に行われている。
日本の教習所の場合、まず座学にある程度の日数をかけ、道路交通法に関する知識、不注意な運転や無謀な運転が引き起こす交通事故やその悲惨な結果に関する情報、安全運転のために必要な考え方、自動車の機械的な構造と操作の原理 等々を学び、やがて実技を開始し、教習所内の練習コースで実際の自動車の運転席に座って、助手席に教官が乗った状態で安全確認のしかたや、交通信号や道路標識の見方、正しい発進・停止方法や進路変更の方法、状況ごとのペダルやステアリング(ハンドル)等の使い方、等々の訓練を行っている。
教習所内のコースでの操作では、一般に、S字・クランク・縦列駐車・坂道発進などを特に難しいと感じる人が多い。教習所内で一定のレベルの運転ができるようになると、日本の場合は仮運転免許が交付され、公道に出ての教習を行う。そして検定試験に合格することで、公道を運転するのに必要な運転免許が与えられる。
免許取得後に公道で実際に走行するようになった段階で重要になるのは、ステアリングやペダルの操作よりも、むしろ安全確認であり、それが運転する時に意識することの中心となってゆく。
運転席の床にはマニュアルトランスミッション(MT)車の場合、右からスロットル(アクセル)ペダル、ブレーキペダル、クラッチペダルの順で配置されている。これらを合わせて「ABCペダル」とも呼ぶ。状況に応じて適切なギヤ比を選択するためのシフトレバーは、ほとんどの車種で車体中心線付近(助手席との間)にあり、結果として右ハンドル車の場合は運転席の左側にシフトレバーがあり、左ハンドル車の場合は運転席の右側にある。ステアリング・ホイールは運転者の正面にあり、ステアリング・ホイールの前方(運転者視点では奥)には、速度計などが配置されたインストゥルメント・パネル(ダッシュボード)がある。
運転者が行っている操作について解説すると、エンジンの回転数は、アクセルペダルを右足のつま先、親指あたりでそっと押すことで調整する[注 2]。スロットルペダルを操作しない状態では、エンジンはアイドリング状態で回転しており、アクセルペダルを踏み込んでいる間はその量(スロットル開度)に応じて回転数が上がり、ペダルを戻すと回転は下がり、完全に離すとアイドリング状態となる。
マニュアルトランスミッション(MT車)では、運転者自身がトランスミッションの操作をしてエンジンから車輪に伝わるトルクを調整する。左足裏でクラッチペダルを踏むと、エンジンのトルクがトランスミッションから先に伝わらない状態になる(「クラッチを切る」などとも表現する)。この状態はまたトランスミッションのギヤ比を選択(変更)できる状態になっている。ギヤ比の選択はシフトレバーで行う。
走行中の車の制動は、車輪に備えられたブレーキやエンジンブレーキを用いて行う。ブレーキは床のブレーキペダルを踏むことで操作し、踏む強さに応じてブレーキが作動し、車輪の回転を止めようとする摩擦力がはたらく。エンジンブレーキとは、トランスミッションがつながった状態でスロットルペダルを踏む量を減らすと、ギヤ比に応じて車体を減速させる力が働く、というものである。
オートマチックトランスミッション車(AT車)では、アクセルペダルの踏み込み量(エンジンの回転数)や車速[6]に応じ、加速や惰行、あるいはエンジンブレーキの状態となるよう、自動的にトランスミッションのギヤ比が選択される。運転者は基本的にアクセルペダルとブレーキペダルで速度を調整することになる。
自動車の進行方向の調整は、運転者の正面にあるステアリング・ホイール(単に「ステアリング」や「ハンドル」とも呼ぶ)を左右に回転させて前輪を操舵することで行う。進路変更や右左折の場合は操舵の前に周囲へ知らせる必要があり、事前に方向指示器(ターンランプ、ウィンカーとも呼ぶ)を操作する。方向指示器のレバーは一般的にはステアリングコラムにある。
ほかに、雨や雪が降り前方が見にくいときに窓を常時拭くワイパーや、夜間・トンネル内など周囲が暗いときに前方を照らす前照灯(ヘッドライト)の操作スイッチもステアリングホイール付近など運転中に操作しやすい場所に配置されている。
駐車して車を離れるなど、車を長時間完全に停止させておきたい場合はパーキングブレーキを用いる。また、坂道などで一時的に停止する場合でも、通常のブレーキに加えてパーキングブレーキを併用することがある。
オートバイの運転の基本も一般に自動車教習所で習得することができる。日本の場合、座学で、道路交通法に関する知識、無謀な運転が引き起こす事故やその悲惨な結果に関する情報、安全運転のために必要な考え方、オートバイの機械的な構造と操作の原理 等々を学び、実技で実際のオートバイを利用して安全確認のしかたや、正しい発進・停止方法や進路変更の方法、状況ごとのハンドルやペダル等の使い方、オートバイが倒れた時の起こし方 等々の訓練を行っている。そして検定試験に合格することで、公道を運転するのに必要な運転免許が与えられる。 (一部の人ではあるが)教習所に通わず、自力で学習したり、検定所のコースを借りて走行練習を行い、検定試験を受けて免許を取得する人もいる。
オートバイは、四輪自動車とはかなり異なった運動特性を持っており、また操作レバーやペダルの配置も独特であるので[注 3]、それらを習得する必要がでてくる。
オートバイの場合、自身の身体の左右のバランスを利用しつつ(体重移動を行いつつ)、ひざの内側を用いて燃料タンクなどを左右に押して車体を傾けることで、それと連動して自然と前輪の回転軸が左右にずれること(これをセルフステアと言う)などを利用して、運動方向を変えてゆく[7]。体重移動も行わないでただハンドルに腕で力を入れて強引に左右に操作しようとしても、かえってセルフステアの邪魔をして、左右のバランスが崩れ不安定になるばかりで、なかなか運動方向は変わらない[7]。
自動車や二輪車のいわゆる「運転」は、人の体の「延長化」(=まるで自身の「身体」の領域を広げて、自動車の車体や、出力を生むエンジンや、地面をとらえるタイヤや、それを止めるブレーキを、あたかも自分の身体の一部のように感じられるようにしてゆくプロセス)であり、神経系の上に乗っかるものに体をなじませて行く行為であり、(もともと自分の身体ではないはずの)義手や義足を使いこなしたり、長いトレーニング期間を経てキーボードをブラインドタッチできる感覚に似ており、考えながら運転しているような状況では事故を起こしやすい(教習所で学び始めたばかりの教習生のように、たとえば前進・後進を切り変えるたびに、いちいちハンドルを回すべき向きについて考えこまなければならないような状態だったり、止まりたい時にブレーキペダルの位置を眼で探すなどしているようでは、事故を起こす。)。トレーニングを積んだ経た結果、まるで自分の身体を動かすように「考えなくとも」、自分の身体のように自車を操れる状態になることが「運転できる」状態である[8]。
ただし、漫然と運転するようになってはいけない[9]。 「漫然運転」はしてはいけないのである。
ただの「運転できる」状態と「安全運転」の状態では、必要な意識の状態が異なる。 教習所でのトレーニング後に、考えなくなって良いのは、あくまで自車のハンドル操作やペダル操作の部分であって、安全運転を行うためには、どれだけ経験を積んでも、かなり意識的に、常に周囲の歩行者の動きや周囲の車の動きを確認し、かなり意識的に歩行者や他の運転者が考えていることを推し量ったりしなければならない。経験数十年のベテラン運転者になると、実際の道路上で注意すべきポイントはどこなのかわかってきているので、比較的スムーズに安全運転ができるようになる。だが、それでもかなり意識的に行って 安全運転というのは可能になる。ベテランドライバーであっても漫然と運転しては事故を起こす。 「まったく考えない」とか、まるで自宅の自分の部屋の中で独りでいるときに自分の身体を動かしているだけのような、「考えず」(無意識に近いような、ただリラックスしきった感覚で)自車を動かすと、交差点での左折時に自転車や歩行者を巻き込む事故を起こしたり、右折時に対向車を見落としてしまって正面衝突したり、右折時に(首を、かなり意識的に右後方に向けてまわさないと、運転者には見えない右後方から)横断歩道上に走りこんできた自転車と接触する、などといった事故を起こしてしまう。周囲の歩行者や周囲の自動車は、あくまで他者であり、それぞれの意志や事情で動いており、自分の身体や自車のように「延長化」はできない。たとえば、後方の視野の外から飛びこむように走りこんでくる自転車や歩行者がいるかも知れないわけなので、かなり意識的に頭部を後ろにまわして見る、とか、たとえば子供が歩道上を歩いていたら「子供は、思いつきで突発的に走り出すかも知れないから、要注意だ」とか「あの子は手にサッカーボールを持っていて、おまけに、それを「もて遊んで」いる。ボールを落とす可能性はかなりあるし、それを追いかけて車道に突っ込んでくるかも知れないから、要注意だ」と考える(判断する)、等々、常に注意すべきポイントに注意を向け、気をひきしめて、意識的に運転をする必要があるのである。
この節の加筆が望まれています。 |
団体や組織を活動させることも(まれに)「運転」と言うことがある。「運転資金」などといった表現で用いられている。
ウィキメディア・コモンズには、運転に関連するメディアがあります。 |
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