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左右(さゆう、ひだりみぎ)とは、六方位(六方)の名称の一つで、横・幅を指す方位の総称。絶対的な方向ではなく、おのおのの観測者にとって、上(同時に下)と前(同時に後)の方向が定まった時に、そしてその時初めて、その観測者にとっての左と右の方向が決まる。前後、上下とは直角に交差し、左と右は互いに正反対である。
アナログ時計に向かって、7 から 11 までの文字盤がある方向を左(ひだり)、1 から 5 までの文字盤がある方向を右(みぎ)という。あるいは地を下、北を前とした時、東の方向が右、西の方向が左となる。
左右の概念は、また鏡像関係にある二つの存在を区別するためにも援用される。
どちらが右で他方が左となるかは、人間の取り決めによってのみ区別できる。外見的には人体はほぼ左右相称だが、実際には心臓の位置や利き手などの非相称性があり、社会として、つまり多数派・少数派の違いとしてそれが確定できるため、左右の区別は一般的通念として世界で広く使われるが、それすら往々にして混乱を生じる(「どっちだっけ?」「お箸を持つ方だよ」というよくあるやり取りがそれを示している)。
人間にとって、上下は重力の方向を、前後は自己の進行方向を示すというようにはっきりと異なる意味を持つのに対して、左右にはそのような判然とした価値の差が存在しないために、混乱が生じやすい。左右という概念・単語を持たない民族・言語もある。
左右は幾何学からは定義できない。互いに直角に交わる3つの軸は、任意に前後の軸、上下の軸、左右の軸と定められる。前(または後)および上(または下)が定まったときに残る方が左右の軸であるが、どちらが右でどちらが左であるかは、右と左をそれぞれ図で示したり、何か実物の例を使うことでしか説明できない。
なお、これは幾何学において左右が特別な訳ではない。たとえば直交する3つの軸に、左右、上下をこの順に定めても、どちらが前でどちらが後かは、純粋に幾何学的には任意性が残る。
たとえばすべての辺の長さの異なる不等辺三角形は三角形の頂点ABCを右回りに振った場合と左回りに振った場合の二通りが書け、両者は同一平面上ではどのようにしても重ね合わすことができない。しかし、ユークリッド幾何学では三辺の長さが等しい三角形は合同であるとして、幾何学的にはこの二つを区別しない。
このように、平面図形では形としては同じでも、平面上ではどのように移動しても絶対に重ね合わせられない形が存在し、それはいわゆる鏡像である。ただし、我々の空間の中ではこのような図形は持ち上げて引っ繰り返せば重ね合わせられるので、これらを合同と見なす。それに対して、空間図形の場合、我々の空間の中ではこれを引っ繰り返すことはできないから、絶対に重ね合わせられず、これらを区別せざるを得ない。それに対する名に右と左を使う場合もある。これについては鏡像の項目も参照のこと。
人体がほぼ左右対称なことから、左右の概念は、様々な幾何学的な鏡像関係を区別するために持ち出される。たとえば回転の方向を指す「右回り」や螺旋などの「右巻き」である。これは日常会話だけではなく、数学における右手系や化学におけるキラル、物理学におけるヘリシティなど、科学の様々な分野においてもそうである。
しかし純粋に幾何学的には、左右は本来六方の一つであり、その立場からすると、これらの左右は援用である。たとえば螺旋において、「右巻き」があるからと言って、「上巻き」や「後巻き」といった概念があるかというと、そうではない。従って、鏡像関係にある二つの螺旋のうち、片方が絶対的に「右巻き」という訳ではない。しばしば右ねじと同じ螺旋を「右巻き」と呼ぶが、それは人為的な約束事である。
一方で、巻き貝では、その巻く方向は、身体の左右と密接に結びついている。#軟体動物の場合で後述する。
分野によっては、どちらの螺旋が「右巻き」と呼ぶ慣例であるかが決まっている。
たとえば人間が向き合った状態では、自分の右手側は相手の左手側になるなど、左右は誰から見たかに依る。そこで、ある方向を定め、そちらを向いた時の左右で指定する方法がある。これを向かってという。(何々に)向かって右側、などと言う。
自然現象においても、しばしば左右対称性、正確には鏡像対称性が見られる。つまり、鏡に映った像と実際の姿を区別することはできない。ところが、いくつかの重要な事例において、左右が対称でない場合、あるいは左右対称であっても同一でないと見なさねばならない場合がある。しかしながら、それにより左右を絶対的に定義できるかと言うと、#左右の定義と宇宙人の節で後述する通り単純ではない。
前述のように、自然現象のほとんどは左右対称に現れる。しかしながら、若干の、しかし重要な左右不相称の現象が存在する。代表的なのは以下のようなものである。
左右の区別を純粋に論理的に区別することの困難さについては、後述の「左右の定義と宇宙人」節も参照。
人間には一般的に日常生活において、左右いずれかの手のほうが器用に動かしやすいことから、これを利き手として用いることが多い。それぞれ右利き・左利きと呼ばれ、世界的にみて右利きの人間が多数だがその理由ははっきりとわかっていない。
足にも手と同様に利き足が存在する。利き手のように目立つことはないが、利き足の方がそうでない足より蹴る力が強い。 そのため、砂漠などの広い土地で目印を定めず直進しようとすると、直進することができず、利き足とは逆回り(右利きの場合左回り)の巨大な円を描いてしまうことがある(リングワンダリング)。運動生理学も参照。
生物の内臓は、左右に非対称性が見られ、例えば人間の場合、通常は自分から見て、肺は左右にあるが右側の方が大きい。また肝臓は右側に大きく偏り、胃は左、盲腸は右、ついでに腸の配置は対称性がない。この状態は「正位」と呼ばれる。しかし、稀には臓器が左右逆の位置にある者もあり、これは「逆位」と呼ばれている。全て逆の人もいれば特定の臓器のみ逆転している人もいる。全臓器反転症も参照。
動物の脳はほぼ左右対称な形状をしており、大脳および小脳は左右の半球に分かれて存在している。大脳は反対側の半身の、小脳は同じ側の半身の運動・感覚を担当しているが、それぞれの半球の役割は同等ではない。その差は特に大脳で著しく、優位半球と呼ばれる側の大脳が論理思考、言語など主要な精神機能を司る。逆の劣位半球と呼ばれる側は空間認識に関わっているなどが明らかになっているが、まだ十分に解明されてはいない。また、両側大脳にあって短期記憶を司る海馬も優位側は言語的記憶、劣位側は非言語的記憶に関わることが知られる。右利きの人間のほとんど(約95%)で優位半球は左、劣位半球は右である。左利きの人間の場合にはあまり一定していないうえ、優位半球と劣位半球の区別が明確になっていないことも多い。
脳の左右に関しては俗説も多く見られる。脳機能局在論#右脳・左脳論を見よ。
生物一般の場合も、左右の対称性と非対称性が入り混じる。
動物の場合、上下は重力から自然に定まり、また前後は、多くはほぼ水平方向であるが、主に進む方向であり、これらの二つはきわめて重要である。左右は、その残りから生ずる。
個体としては外部形態においては左右対称性が見られるものがほとんどである。内部形態では左右対称性と非対称性が混ざる。ヒトの場合の主な非対称は心臓と肝臓の位置、及び消化管の配置である。しかし、これらも本来は左右対称な形である。心臓もその発生からは体の中央にあるべきものである。消化管も口から肛門までの長さであれば真っすぐに配置するはずで、他の動物群においても体長より長い消化管を持つ場合、その配置は非対称である例が多い[要出典]。
もともと左右対称だったのが、左右どちらかが退化することで左右非対称となる例もある。たとえばオタマジャクシの内鰓の出入り口は左側だけにある。
よりはっきりした非対称が見られるものもある。たとえばヒラメやカレイでは体側面を下にし、反対側に両眼が移動している。他の魚の鱗を食ういわゆるスケールイーターでは獲物をねらう向きによって顔が歪んでいる種がある。カタツムリを専食するイワサキセダカヘビの仲間では、多数派である右巻きのカタツムリ捕食に特殊化して、下顎の歯の本数に著しい左右差が進化している。化石動物のホマロゾアは体が全体に左右非対称となっていた。
植物の場合には、移動方向としての前後が無い為、左右も無い。とはいえ、形態によっては鏡像対称に近くなることもあり、またたとえば葉など、部分的にはほぼ鏡像対称になる事もある。たとえば双子葉植物では、発芽から間もない頃はほぼ鏡像対称である。
藻類や菌類についても似た事が言える。
さらに左右非対称がある例に軟体動物の腹足類がある。この類では、殻が螺旋状に巻いているので、左右が非対称になっている。それだけでなく、その進化の初期に体がねじれたと言われており、内臓や神経系の配置に独特のねじれが見られる。なお、そのねじれが戻ったと見られるものもある。
また、これらの動物では殻の巻き方に左右両側のものがあり、それぞれ群によっておおよそ決まっているほかに、その中でも種によって異なっている。たとえば陸産貝類ではカタツムリは右巻きで、キセルガイは左巻きである。そしてカタツムリ類にも左巻きの種が散見される。
この巻き方の差異は生殖隔離の仕組みとしても働いている。カタツムリ類の生殖器は体の片方によっており、二頭が行き違う形で交尾が行われるが、巻きが逆のものでは生殖器のある側が反対になるため、交尾が成立しない。このことから、巻きが反対になる突然変異が起きれば、それが種分化の機会になる可能性も指摘される。なお、巻き貝全般では同種内で両方の巻き方がある種もある。
道具や機械によっては、急須などのように右利き用に作られているものも多い。これについては利き手を参照されたい。
冷蔵庫では、1989年から左右どちらからでも開くドアを有するものが発売されている[要出典]。
陸上のトラック競技は、左回りで行われる。これは利き足が右である人間が多く、その場合右足の方が左足と比べて地面を蹴る力が強いので、左回りの方が速く走れるためである。競馬のレースは、左回りのものと右回りのものの双方がある。
政治的・思想的な立場を表すために右と左の語が用いられる場合がある。右(右翼・右派)は保守的・国粋的な立場を、左(左翼・左派)は急進的・革新的な立場をそれぞれ意味することが一般的である。この由来は、フランス革命時の国民議会で、議長席から見て、右に保守派、左に急進派のジャコバン党が座ったことである。右翼思想・左翼思想も参照。
文化によっては、左と右に優劣や貴賎の意味を持たすことがある。
中国では「吉事尚左、凶事右」として左を貴ぶ老子や道教の影響で主に左が貴ばれたが、時代によって左右の貴賎が変わり、時代順に周は左を貴び、戦国・秦・漢は右を、六朝・隋・唐・宋は左を、元は右を、明・清は左を貴んだ。これについて、左を賎しめ右を貴んだ時代は荒れ乱れた世が多く、「君子、居れば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ」という老子の言葉の通りである、とする見方がある[要出典]。
奈良時代から平安時代にかけての日本は、中国の歴代王朝の中でも特に左を貴んだとされる唐の影響を強く受けていたため、当時の日本では右大臣よりも左大臣が貴い地位であった。
漢の時代の中国では、官吏を賎い地位に下げることを「左遷」と表現していた(『漢書』周昌伝)。現在の日本でも、会社員や公務員の地位を下げたり条件の悪い勤務地へ強制的に転勤させることを「左遷」(させん)と言うが、この言葉は現在の中国ではあまり使われない。
日本の国会議事堂は、建物は左右対称だが、建物の正面から見て左側が衆議院、右側が参議院である。
日本では、襖や障子は通常右側が手前になるようにはめ込む。引き戸やアルミサッシなどでも同様である。
劇場の舞台では、演者と観客が対面する形での上演が多く、左右で方向を表すと混乱しやすい。
日本では、観客から舞台に向かって見たときの右側を上手(かみて)、左側を下手(しもて)と呼び、左右の語は使わない。
英語の表現では、この二つを"stage left"(上手)、"stage right"(下手)と呼ぶ。舞台上の演者から観客に向かって見る立場である。実際には、やはり混乱しやすいので、プロンプターが通常上手にいることから、"prompt"(上手)、"opposite prompt"(下手)という語も使われる。
日本の着物は、現代では通常、男性用、女性用ともにその着物を着る者からみて右側の部分が手前となるように着付ける。これを、「右前(みぎまえ)」という。例外的に、死者に着せる和服のみは「左前(ひだりまえ)」に着せる。
これに対して、洋服では、男性用は「右前」、女性用では「左前」のものが一般的である。
日本の和食において、飯茶碗と汁茶碗は、食事をする者から見てそれぞれ左、右に配膳することとされる。また、焼き魚を皿に盛り付ける場合には、食事をする者からみて左側に頭を据えるものとされている。
洋食のテーブルセットは、通常、客からみて右側にナイフ、左側にフォークがセットされている。これはナイフは右手で、フォークが左手で用いるのが一応のマナーとされるからであるが、ナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて食べることをアメリカン・スタイルと呼びマナー上も許容されている。
アラブなどイスラム教を信仰する地域や、インドなどヒンドゥー教を信仰する地域ではフォークやスプーンを用いず、直接食べ物を指で口に運ぶことが多いが、左手は不浄の手(用便の際に使用)とされ、食事の際には用いられない。
平城京や平安京では、東側は左京、西側は右京と呼ばれる。これは、北部にある御所において天皇は南むきに玉座に座るために、街の東側は左側に、街の西側は右側にみえることに由来する。現代の地図上の左右、つまり地図の北を上にしたときの左右ではない。現代の京都市の左京区、右京区は、平安京とは地域的にずれるがこれに倣ったものである。
しかしながら、京都の五山送り火には西と東に二つの「大文字」があるが、こちらは西側の大文字が「左大文字」と呼ばれる。
占いや順位においては、左右に優劣をつけることが、様々な文化に見られる。
英語で「凶運な」を意味する“sinister”は、ラテン語の「左」sinistraに由来する。対義語は "dexter" である。 一方、中国では陰陽五行思想では左が陽とされ、太極拳や気功は左から始まる。
川下に向かって川を見た時、左側の岸を左岸、右側の岸を右岸と呼ぶ。今日ではこの慣例が定着している。
漢字の部首において偏(へん)は左に、旁(つくり)は右に位置する。
日本語の表記方法としては、縦書きと横書きがあるが、縦書きの場合には、右列から左列に、横書きの場合には、左から右へと文字が綴られるのが標準である。戦前までは横書きを右から読むことが多かったが、これは1行1文字の縦書きであるとみることができる。また、縦書きを左から書くこともある。
世界には、横書きでも右から左に書く文字体系も、左から右に書く体系もある。
複式簿記の仕訳の表記においては借方を左側に、貸方を右側に書くように定められている。借方貸方の用語が類似していて混乱しやすく、また歴史的な語義が失われていることから、借方貸方という用語は単に左側右側を意味しているに過ぎない。
日本の道路においては歩行者は原則として右側通行である。これは道路交通法第10条第1項に定められている。
道路交通法制定前は歩行者は左側通行が一般的だった。これは武士が道の左側を通行していた[いつ?]ことの名残であった。日本刀は左腰に装備したときに外側になる面が「表」であるため左腰に装備していた。このため右側通行にすると武士同士がすれ違う時に刀がぶつかってしまうため、それを避ける意味があった[要出典]。この習慣に合わせて車両も左側通行になったが、歩行者も左側のままでは危険であるため、道路交通法の制定によって歩行者を右側通行に改め、対面交通を導入することになった[要出典]。
東京では、エスカレーターは左に立ち止まり、歩く者は右側を行く。しかし、大阪のエスカレーターでは、右に立つ。東京は自然発生的に左となった。
大阪での慣習の由来については、いくつかの説がある。そのひとつに、1970年代に、阪急電車の梅田駅で、右に立つことが推奨されたため、右側に立つことが定着したというものがある[1]。
なお、エスカレーターの製造者や設置者としては、安全上の観点から、地域や左右に関わらずエスカレーター上で歩行すること自体及び過重が左右のどちらかに大きく偏った状態が続くような利用法を推奨していないのがほとんどである。また当然のことながら歩行することや過重が左右のどちらかに大きく偏る利用法は社会的にも法規で定められたものでもなくマナーで推奨されたものではない。
世界には、車両が右側通行の国と左側通行の国がある。 日本は、左側通行であり、これは道路交通法第17条第4項に定められている。ただし、例外として地形の制約などにより上下線の配列が左右逆になっている箇所(東名高速道路の大井松田インターチェンジ~御殿場インターチェンジ間の一部、首都高速中央環状線の大橋ジャンクション~大井ジャンクション間など)が存在する。
日本以外の左側通行の国や地域の多くは、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、タイ王国、マレーシアなど、旧大英帝国・イギリスの旧植民地であるところが大部分である。対面交通を参照。
左側通行では右ハンドル、右側通行では左ハンドルの車の使用が標準となる。右ハンドル左ハンドルどちらの場合もクラッチ・ブレーキ・アクセルの並びは左からこの順で変わりはない。ヘッドライトのロービームも、左側通行用の車と右側通行用の車で配光が異なる。つまり、ロービームは前面を満遍なく照らすのではなく、対向車を幻惑させないように配光がされている。日本や英国などでは、右ハンドル、左ハンドルどちらの仕様の車両であっても国内の法制に従って車両を登録し、公道上を運行させることができる。また、ヨーロッパ連合においては左側通行である英国やアイルランドとその他の右側通行国との間、タイとラオスの両国間、また中国の国内において香港やマカオと他地域との間[2]などでは自動車による往来が可能であるため、必然的に右ハンドル仕様車と左ハンドル仕様車が同一の交通の中で混在する。
船舶は右側航行が原則である。海上衝突予防法第14条では、2隻の動力船が正面から行き会う場合には、原則的に、それぞれ針路を右に転じなければならないとされている。海上衝突防止国際規定に関する条約(COLREGS、英語版)も見よ。
また、かつての船には舵取り板が右側に付いており、英語でのsteering boardが訛って、現代でも右舷は「スターボードサイド」と呼ばれている。逆に、舵のない左舷を港に付けたことから、左舷は「ポートサイド」と呼ばれており、舵が左右対称になった後も左舷を接岸する船が多い[3]。
航空機は、船舶の慣習を多く引き継いでおり、右側航行が原則とされる。2機の航空機が、互いに正面から接近しつつある場合には、互に進路を右に変えなければならないこととされる。これは、航空法施行規則第182条に規定されている。また、ポートサイド・スターボードサイドの呼び名や左側から乗降することが多いのも、船舶と同様である[4]。
日本においては鉄道は左側通行である。日本統治時代に鉄道が建設された韓国や台湾も同様である。しかしどちらも最近(いつ?)建設された地下鉄などは右側通行である。(ただし、韓国の場合はソウルメトロ1号線と韓国鉄道公社の一部区間は左側通行である。韓国の地下鉄参照。)
例外として地形の制約により上下線の配列が左右逆になっている箇所(東海道本線の南荒尾信号場~関ヶ原駅間、北陸本線の新疋田駅~敦賀駅間など)が存在する。それ以外では、三重交通神都線が複線区間で右側通行だった。但し、単線区間においてホームに進入する際には、線路の構造や、閉塞取扱(の名残)、ワンマン運転における乗客の取り扱いの利便性から、右側通行になる場合がある。
宇宙人に写真や模型などの実物を送らずに、言葉や論理だけを通信して左右を伝えることができるか、というポピュラーサイエンス上の問い掛けがある(オズマ問題)。相手が宇宙人であるので、ヒト同士のように、心臓のあるほうが左、といった定義が使えない。
上と下は重力に対して定義し、上下軸に直交する1本の軸を前後軸として定義する。その2本と直交する最後の軸が左右軸であるが、どちらが右でどちらが左であると、伝える事ができるだろうか。
このように、実物なしに、言語等論理のみで左右を伝えることは、極めて難しいことがわかる。
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