出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/06/12 19:32:51」(JST)
この項目では、事実とはことなる言葉、などの一般的な概念について説明しています。その他の作品名などについては「嘘 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
ウィクショナリーにうそ、嘘の項目があります。 |
嘘(うそ)とは、事実ではないこと[1]。人をだますために言う、事実とはことなる言葉[1]。いつわり、とも。
「嘘」は拡張新字体であり、正字体は「噓」である。
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嘘とは事実に反する事柄の表明であり、特に故意に表明されたものを言う。
嘘の歴史について語るとき、欧米圏では、旧約聖書に登場する話、カインが弟アベルを殺した後、アベルの行方を問われたカインが「知りません。私は永遠に弟の監視者なのですか?」と答えたことに言及され、それが「人類の最初の嘘」などと語られることが多い。(カインとアベルも参照)
多くの文化に於いて、基本的に、嘘は悪いこと、とされる。嘘をつくことは信用、信頼を失う。だが、嘘の中には文化的に許容されるものがある。どのような嘘が文化的に許容されるかは、その文化ごとに異なる。どこの文化でも我欲や虚栄心によってつく嘘は悪いものとされている。
人を救うため、人を傷つけないためにつく嘘もある。仏教では、人を救うため、人を悟りへと導くために当面の嘘をつく、という方法がある。仏教国である日本では「嘘も方便」ということわざもあり、人を救うためということならばおおらかに許そうとすることがある。 イギリス等では、他人を喜ばせるための嘘は「white lie(良い嘘)」とする 。 相手に気に入られようとして、自分が本当に思っているよりも相手を良いと思っているかのように言うことをお世辞と言うが、お世辞を許容する文化もあるが、そういうことは極力言うべきではない、とする文化もある。
嘘をつかず本当のことだけを話してもコミュニケーションは可能ではあるが、まったく嘘をつかない、という制約があると、人間関係はむしろギクシャクする。こうして嘘は人間関係の維持に役立つ面がありはするが、やはり、人に対して悪意のある嘘が頻繁に語られるような状況では、嘘をつかれた人は疑心暗鬼になり、一般的に人間関係は悪化する傾向がある。
大多数の人は、ある程度の言い訳や責任転嫁などの嘘は無意識的、日常的に行っているので、こうした行為は(道義的、モラル的にはともかくとしても)一応、学問的・精神医学的に言えば「正常」の範囲内である(学問的には、あるべき姿やモラルは脇に置いて、統計的に数が多ければ「正常」、少なければ「異常」と分類することが多いのである)。ただしそれも常識的な範囲を超えたり、統計的に見て一般的な範囲を逸脱するような程度になると、心理学・精神医学的には「虚言癖」や「作話症」などに分類されるようになる [注 1]嘘は他者もしくは自分を欺くために用いられる。 [注 2]
嘘をつく動機や技術、事実との関係などによって、嘘は正負、両方の効果を及ぼしうる。
得をしようとして数字をごまかすことを「サバを読む」と言う[2]。 自分の年齢について嘘を言うことは「年齢詐称」と言う。 財務諸表に嘘の数字を記載することは粉飾決算と言う。
欧米の大人では、聞き手が聞いたとたんに明らかに本当ではないと判ること、つまり明らかな嘘を聞かせて、それが嘘だと互いに十分に知っていることを確認しあって楽しむことがある。一緒に笑うために、ユーモアとして嘘を話すことが多々あるのである。日本の会話では、欧米に比べると、こうした話し方は少ないようである。
嘘の中には規模の大きな集団が組織的に行うものもあり、内容次第では社会に大きな影響を与える。
嘘の意を含む「ガセ」とは、一部の業界で使用されていた元隠語が一般に普及したものであり、もともとは「偽物」のことである。
男性は嘘をつくときに眼をあわせられなくなる人が多いのに対して、女性の場合は、その反対に、嘘をつく時ほど相手の眼をじっと見る人が多い、とする調査がある。
嘘をつく時に表情にそれが出る人も多い。逆に上手な嘘つきは表情にそれを出さないために見抜くのがむずかしく、これをポーカーフェイスという。人によるが、嘘をつくと無意識に斜め上を見てしまう人も多い。これを俗に「目が泳ぐ」などといい、これも嘘をついていることのしるし・証拠と見なされている。
嘘をつく時に身体が硬直する人もいるが、逆に身振り手振りが大げさになったりする人もいる。
他人を嘘を用いて欺き錯誤に陥れることを詐欺といい、財産上不法の利益を得ることは詐欺罪である。悪徳マルチ商法や悪徳キャッチセールスなどの詐欺で使われる嘘、また交通事故の被害者を装う当たり屋なども悪質であり、利己的な利益のための嘘(虚偽)により他人に不利益をもたらすことは、法律において罰せられる。また、法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をした場合は、偽証罪とされる。
年少者、とくに幼児における嘘は大人の嘘とは事情を異にしており、その多くは誤認、追想錯誤、空想と現実との混同、ないしは言語遊戯としての作話であって、成人の嘘とは質的に相違する。
世界的には、ひとりひとりの人が自分自身の生き方を選ぶ権利(残された時間をどのようにつかうか選ぶ権利、自分が思うように生きる権利)が重視されており、病名は正直に伝えられている。1960年代、米国ではの患者へのガン告知率は12%であったが、政治運動及び訴訟の増加に伴い告知率は増加した。フランス、スペイン、イタリア、ギリシアなど南欧、また東欧では、社会通念や宗教的事由から概ね50%台の告知率とされている。かつて日本でも社会通念から末期ガン等の病気の本当の名前が告知されず、医師から患者へ嘘の病名が告知されることが多かったが、2009年のガン告知率は90%台に達している。親族などは「本人に真実を伝えることが辛過ぎるため」と(自分にも一種の嘘をつきつつ)、患者に対して嘘をつくことが多かった[注 3][注 4]。だが日本でもインフォームド・コンセントや、自己決定権という概念が理解されるようなって、嘘はつかずに真実が伝えられることが次第に増えてきていて、すでに事実を伝える人々の割合が8~9割ほどになっている。
嘘は心理学的、社会学的、精神医学的に研究されることが多かった[3] だが、最近になって、嘘の研究に神経科学的研究も加わり、京都大学の研究グループは世界で初めて、側坐核が活発に活動する人ほど嘘をつく割合が高いことを発見した。京都大学の阿部修士特定准教授[1]らは、アメリカ人男女28人にコインの表裏を予想させ、「予想が当った」と自己申告すれば報酬がもらえるゲームを行い脳の活動を測定、その結果、側坐核が活発に活動する人ほど嘘の申告をする割合が高いことを突き止め、2014年8月7日、アメリカの科学誌ジャーナル・オブ・ニューロサイエンス(英語版)(電子版)に発表された[4]。またこの研究では、嘘をつかなかった人は、理性的な判断や行動をつかさどる脳の領域である背外側前頭前野が活発に活動していた[5]。
フィクション作品では、読者や観客を楽しませるために作品に嘘が混ぜられている。事実ばかりを組みあわせて作り上げた作品では、読者や観客になかなか楽しんでもらえないので、一般的に、登場人物の人物像あるいはストーリー展開についてなにがしかの嘘を混ぜて作品に仕上げてゆく、ということが行われている。例えばNHKの大河ドラマなどでも、一応は登場人物は歴史上の人物で、大枠では史実から離れないように制作しようとしてはいるが、事実だけでドラマ作品を作っても全然面白くなくなってしまうので、台詞や殺陣や効果音等々等々、なにがしかの嘘をまぜて事実より強調したほうがかえって「リアル」に感じられる作品になるという。一般に、フィクション作品では事実と嘘の配分、「本当」と「嘘」の混ぜ加減が作家やクリエイターらの腕の見せ所である。
ほらは嘘であるけれど、往々に非常に大げさであり、大げさの程度が高ければ、常識的に嘘であると判断できる。 『ほら男爵の冒険』などはそれだけで文学作品となっている。
ヒト以外の動物が嘘をつく場合もある。
いわゆる擬態は他のもののふりをして他の生き物をだますことである。その意味では植物にも例がある。より嘘に近いものは鳥類における擬傷行動という例もある。
もっともこれらは本能行動や習性と考えられ、ヒトの付く嘘とは根本的に異なるものと見た方がよい。しかしヒトと同じ意味の嘘をつくものもあり、ほ乳類ではいくつかの例が知られる。コンラート・ローレンツはその著書『人イヌにあう』(en)の中で、一章を費やしてこれに触れている。たとえば帰ってきた飼い主に対して、誤って吠えついてしまった犬が、主人の顔を認めた後に、隣家の犬に吠えかかった例があり、これは「飼い主に吠えていたんじゃなく、隣のイヌに吠えていたんだ」というポーズを取ることで、寸前の自分の行動を説明しようとする嘘であるという。また、ネコは嘘をつかないと言い、これはむしろネコの方がイヌより知能が低いためとの判断を示した。さらに、霊長類での例を挙げ、彼らは嘘をつくだけでなく、それが嘘であることを自覚していること、また人の嘘に騙されたり、それを見抜いて怒ったりすることを述べている。
人間だれしも多少は嘘をつくものであり、嘘をつかない人間などいない、という判断がある。それを元に、『私は嘘をついたことがない』が最大の嘘であるという説がある。
政治家は嘘をつくものとの定見があるが、同時に嘘をついてはいけない職業であるというのが建前でもある。日本の総理大臣であった中曽根康弘は消費税導入の可能性を問われたときに、その可能性を否定した上で、『この顔が嘘をつく顔に見えますか』とやって物議を醸した。
嘘をつく人の言うことが信用できるかどうかは、ややこしい問題(パラドックス)を生む。
同様な例は他にも数多く。たとえば以下のようなクイズがある。そのバリエーションも幾つか存在する。
また、フレドリック・ブラウンの『火星人ゴーホーム』では、火星人への対応に苦慮した学者が、ふと「彼らは嘘をつけないのではないか」という仮定を思いつくが、途端に出てきた火星人が言う。『俺たちは嘘がつける。さあ、これをどう考える?』
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