出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2019/12/18 20:26:55」(JST)
対人恐怖症(たいじんきょうふしょう、英語: Taijin kyofusho, taijin kyofusho symptoms ; TKS)は、対人場面で不当な不安や緊張が生じて、嫌がられるのでは、不快感を与えるのではと考え、対人関係から身を引こうとする神経症の一種であるとされる[1]。『精神障害の診断と統計マニュアル』第4版には、診断基準ではないが、特徴が記され、外見、臭い、表情、しぐさなどが他人を不快にするのではという恐怖であり、社交不安と似ているとしている。
あがり症とも呼ばれる。例えば、他人の前での失敗経験などをきっかけに、人前で症状が出ることを極度に恐れ、他者の目の前で極度の緊張にさいなまれる。思春期にはよく見られ、軽いものは自然に治ってしまう。一方で、社会生活に支障をきたすほど不安が高まってしまう場合、神経症として治療が必要である。軽度のものをあがり症や舞台恐怖と呼び、ひきこもりを伴うなど社会的生活に支障をきたすほど重度のものを「対人恐怖症」と呼ぶ傾向があるが、厳密に区別する定義はなく、その根本は同じと考えられる。よって本記事では同様の症状として扱う。
恥の文化を持つ日本において群を抜いて多く、日本に顕著な文化依存症候群とされ、海外においてもそのまま「Taijin kyofusho」と呼称されている。ただし、社交不安障害(社交恐怖)そのものは世界中で広く見られる。
1975年の『精神医学事典』によれば、対人恐怖とは、対人場面で不当な不安や緊張が生じて、嫌がられるとか、不快感を与えるのではと考え、対人関係から身を引こうとする神経症の一種であるとされる[1]。
アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』第4版(DSM-IV)に、対人恐怖症が日本における特異的な恐怖症として挙げられている。DSM-IVの「付録I 文化に結びついた症候群の文化的定式化と用語集の概説」に記されている。
日本における文化特異的な恐怖症であり、DSM-IVの社交不安とある意味で類似している。この症候群は、その人物の身体、その一部またはその機能が、外見、臭い、表情、しぐさなどによって、他の人を不快にさせ、当惑させ攻撃的になるという強い恐怖のことである。この症候群は、公的な日本の精神疾患の診断システムに取り入れられている。[2]
- taijin kyofusho 対人恐怖症
個々の症例により、以下の通りさまざまに呼称されるが、それを包括するものである。症状も下記の通り分類すれば多岐にわたるが、どれも本質的には人前で症状が出ることを恥じ、不安に思うあまり、意識がその一点に集中し、逆に症状が悪化してしまうという仕組みにおいて同質である(神経症であるため身体には異常は無い)。中でも赤面症、表情恐怖症、視線恐怖症はよく見られる。
患者は、症状が嫌で治そうと意識すればするほど、症状が悪化してしまうという悪循環に苦しめられることになる。症状自体も恥ずかしいものであったり、「症状によって周囲の人に迷惑を掛けているのではないか」という罪悪感、思い込みから周囲の人に悩みを打ち明けられない人が多い。しかし、症状の克服にはその症状を受け止めてしまうこと、開き直ってしまうことが効果的である。治療は、精神療法では認知行動療法が中心である(社交不安障害も参照)。また、国内において、森田療法はこの分野の草分けとして知られている。
西洋社会において一般的な他人を傷つけるか、迷惑をかける、怒らせてしまう自分自身に対する自律的な恐怖より、むしろ、自身に対する攻撃や、社会的な不器用さのため他人によって非難されるといった他律的な恐怖という症状が見られる。ルース・ベネディクト的な、「罪の文化(guilty culture)」に対する、「恥の文化(shame culture)」の表出とも解される。
対人恐怖症についての理解のしかたはいくつかある。対人恐怖症は「対人場面で不必要なほど強い不安や緊張を生じ、その結果人からいやがられたり、変に思われることを恐れて、対人関係を避けようとする神経症である」ともされる[3][4]。対人恐怖症の中でも、妄想的確信を抱く恐怖症を「重症対人恐怖症」もしくは「思春期妄想症」と呼ぶ人もいる。ただ、このような恐怖症は妄想を伴っているので、対人恐怖症には含めず、別のカテゴリーで扱ったほうがよいと考える人もいる[5]。
対人恐怖症の起きるしくみについて、西園昌久は、恥の心理と関係あるのか、恐れの心理と関係があるのかについて調べている。西園の研究によると、男子の場合は、周囲から圧迫を感じる漠然とした対人恐怖、あるいは視線恐怖がほとんどで、他者と対立する自己への不安がみられるという。それに対して女子の場合は、対人恐怖は視線恐怖、醜貌恐怖、赤面恐怖と関連しており、他人の目にさらされる自己の身体像へのこだわりがあるという[6]。
鍋田恭孝の分析では、自意識過剰を「私的自己意識」と「公的自己意識」という用語によって分けている。私的自己意識とは、内面、感情、気分などの他人から直接観察されない自己側面に注意を向けることである。公的自己意識とは、服装、容姿、言動など、他人に観察される側面にこだわることである。対人過敏性が正常範囲内であれば、周りからの評価や視線への(過剰な)気づかいは、公的自己意識が高まることによって生まれ、年齢が高まるとともに消失してゆく。それに対して、対人恐怖症患者は、自己評価のほうを低めて自己嫌悪感を抱いているにもかかわらず、こうあるべきだという高い自我理想を無理に示そうとして公的自我意識を強めることで、それらの乖離に悩んでいるのだという[7][8]。
対人恐怖の治療には、認知行動療法が有効であるとされる。そこではまず、個々の患者の対人恐怖モデルが作成され、治療が開始される[9]。
具体的な治療技法としては、他者から見える自己像を修正するため、不安感を感じる場面における患者自身を撮影した動画(ビデオ)を見せ、実際には不安に思っていること(手が震えているかもしれないということなど)は他者からは見えない・気づかれないということを把握できるよう支援する場合がある[10]。また、他者とのやり取りをしている場面を撮影することで、自分だけが過剰にやっていると思っていたことを、他者も同程度にやっているということに気付くことができるようサポートする場合もある[11]。
また、特定の予測(「~したら(~のとき)、・・・と思われるだろう(・・・という気持ちにさせるだろう)」など)を検証するため、患者が「~したら(~のとき)、他者はどのようにとらえるのか」を実際に確認することを支援する、行動実験も非常に有効である[12]。たとえば、「頭に浮かんだことをそのまま話したら、馬鹿だと思われるだろう」という予測を持った患者が、頭に浮かんだことをそのまま話した際に、他者がその話題に関心を持って楽しそうに会話に参加をしたことを確認することを通じて、予測の妥当性を検証した事例が報告されている[13]。治療者はこのような行動実験を通じて、患者が「自分自身にとって大きな心配事でも、他者はそのことをまったく気にしていない[14]」・「実際には他者は、自分が不安に思っている事柄に全く気づいていない[15]」・「ありのままでいても、大丈夫である(他者に受け入れてもらえる)[16]」・「他者は決して、自分(私)を否定的にとらえていない[17]」ということに気づけるようサポートを行う[18]。さらに、他者からどう思われるかは気にせず(いったん後回しにして)、会話の内容そのものや色・音などの外的なものに注意を向けることができるよう患者をサポートする、注意トレーニングの技法も有効である[19]。
さらに、「(気にしていること・悩んでいる症状は)客観的にはほとんど気づかれない程度で、まして、人に不快感を与えるということはまずないものです[20]」・「(他人の言動は、自身の症状とは)全く無関係な偶然的出来事にすぎないのです[21]」と述べられており、このようなことに気づくことができるよう患者をサポートしていくことも必要である[22]。
認知行動療法において、認知再構成法と曝露療法の組み合わせも非常に有効である[23]。まず、認知再構成法を用いて、症状の原因となっている様々な認知(例:自己関連付け=実際には無関係な他者の言動などを、自分に対するもの・関係のあるものだと捉えること)を見つけ、治療者と共にそのような認知の根拠・現実性を考え直したり治療者が客観的に新たな捉え方を提示したりして、現実に即した機能的な認知を身につけられるようサポートする[24]。次に、曝露療法を用いて、不安を感じる場面や状況に身をおくことをサポートし、何度も不安場面に身をおくことで慣れが生じ不安感が減少してくる・不安に思っていたことや心配していたことが実際には起こらない、といったことを体感できるよう支援する[25]。
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国試過去問 | 「077B027」 |
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