-血族結婚
出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/09/04 06:12:02」(JST)
近親婚(きんしんこん)は、近い親族関係にある者同士が婚姻関係を結ぶことである。親子婚、兄弟姉妹婚、叔姪婚やいとこ婚等が例として挙げられるが、近親の定義は社会によって様々である。近親者同士の性行為そのものを意味する近親相姦との相違に注意。
中国においては周代以降の慣習で同姓不婚の原則がある[1]ことにより同姓婚自体を避けるので同姓間の近親婚は避けられる。
朝鮮では、李氏朝鮮が建国理念である性理学的イデオロギーを基盤に同姓同本不婚制を一貫して堅持した。この制度は20世紀にも韓国で引き続き施行されており、1997年に8親等以内に縮小された。[2]
カトリックでは、教会法によって教会式親等計算で当初は4親等以内、最終的には7親等以内(時代によってはさらに広範囲)の近親婚を禁止していた。日本の法律で一般的に用いられるローマ式親等換算では当初は5親等以内、最終的には8親等以内の近親婚を禁止していたことになる。又従姉ベルト・ド・ブルゴーニュとの再婚が原因で破門を受けたフランス王ロベール2世のような例もある。しかしヨーロッパの王族、貴族は同ランクの者との婚姻を繰り返したため、近親婚を避けることは事実上不可能になり、気付かなかったことにしたり教会に特別免除をもらうことによって、有名無実なものとなった。そのように事実上容認された近親婚の範囲は地域によって異なるが、スペイン・ポルトガルの王族やドイツ諸侯の間では叔姪婚がしばしば行われた(顕著な例としてスペイン・オーストリアのハプスブルク家が挙げられる)。フランスでも、カペー朝後期以降はロベール2世の子孫の間で又いとこ婚やいとこ婚が一般化している。ただし、離婚(婚姻の無効)や他人の結婚に異議を申し立てる時には、近親婚であることが理由として利用された。
グルジア人の間では慣習上、結婚対象者との間には、7代遡っても共通の祖先がいないことが条件となっている。同時に、キリスト教会での「洗礼親」(実の親が友人に頼むことが多い)も「親」と見なされるので、小さな街では結婚対象者が限られてしまうことになる(現実的ではないので、この点については目をつぶることもある)。また、仮に縁戚関係がなくても同姓の異性との婚姻は避けられる。これらの事情から、いとこ婚などはもってのほかとされている。
世界各国の神話の天地創造では、神々や創造直後の人間が近親婚を行い、神や人口を増やす描写があることが多い。
古代エジプトなどにおいては、近親婚が容認されたり、むしろ奨励されたりしていたケースもある。権力者が長い世代にわたって同族による主権を維持すると、血統の純潔性を保とうとする意味から近親婚が多くなる。ただし、山内昶はエジプトの近親婚について、2世紀の記録で113例の婚姻のうち20%に当たる23例がキョウダイ婚であったとされる話を挙げ、特に王族に限った話ではなかったと指摘している[3]。
古代エジプトの王家では父と娘の婚姻例もあり、エジプト第19王朝のファラオであるラムセス2世は自分の娘達と結婚した。さらに、パルティア史の記録文献においては母と息子の婚姻例も存在し、元々は古代ローマの女奴隷であったムサが国王フラーテス4世との間にフラーテス5世をもうけた後、息子と謀って夫を殺害し国王となった息子と結婚したと伝えられている。だが、この結婚が一因で周囲に反発されフラーテス5世は廃されたという。
イラン発祥の宗教ゾロアスター教では、父と娘、母親と息子、兄妹・姉弟間の結婚をフヴァエトヴァダタと呼び最大の善行とする[4]。
ヨーロッパの多くの国では、王族の結婚による領地拡大政策を行った結果として近親婚が増え、遺伝性の病気が王族の一部に見られることもある。
イスラム文化圏では、血縁の濃さを喜ぶ傾向、またムハンマドの第7夫人ザイナブがムハンマドの従妹であったことから、いとこ婚が多い。クルアーンに記述された、婚姻が禁じられた近親者の一覧の中にも、いとこは書かれていない。
タイの国王であるラーマ5世は数人の異母妹と結婚しているが、ラーマ5世の場合は迎えた妻の数がかなり多く、数人程度では子孫の多様性の妨害にはならないという事情もあった。
中国では同姓不婚の原則に基づいて異姓間の近親婚が行われる例が見られる。前漢で恵帝が同母姉・魯元公主の娘である張氏を皇后に、武帝が父の同母姉・館陶長公主の娘である陳氏を皇后に、また三国時代の呉で大帝が父方の従兄・徐琨の娘である徐氏を夫人に、景帝が異母姉・孫魯育の娘である朱氏を皇后にしていた例がある。南朝宋の前廃帝が父方の叔母・新蔡公主を貴嬪にしていた同姓の近親婚の例も見える。漢風の習俗の浸透度が弱かった匈奴、北朝、遼、元の皇帝にも、いとこ婚などの例が見られる。
朝鮮では、新羅で骨品制の考えから神聖なる天降種族の血の純潔性を尊ぶため王族間の通婚が行われた他、高麗時代初めにも光宗の王后が異母妹の大穆王后皇甫氏といった具合に 王室では近親婚が盛んに行われて異母兄弟姉妹婚も行われた。[2]
日本においても、奈良時代以前、すなわち『古事記』・『日本書紀』には王族・皇族において異母兄弟姉妹婚や叔姪婚やいとこ婚などといった近親婚の例が数多く記載されている。だが、中には景行天皇が息子の倭建命の曾孫の迦具漏比売命を妻にし大江王をもうけたという『古事記』の記録に対して、倭建命という伝説的な人物を実在の人物として組み込んだために系譜に混乱が発生したのではないかと指摘された事例もある[5]。ただし、血の純潔さを尊重する立場から近親婚が好んで行われたことは確かなものと考えられる。また、『日本書紀』の仁賢天皇紀には天皇家と全く関係がないようなただの一般人女性が異母のキョウダイ(双方の母親が母娘の関係のためオジでもある男性)と結婚している逸話も挙げられている。古代の大王家と蘇我氏、及び平安時代以降に続けられた皇室と藤原氏との婚姻も、同姓間ならぬ近親婚の累積である。
中世以降、武家社会においても、例えば足利将軍家には日野家、紀州徳川家には伏見宮家、井伊家(彦根藩)には蜂須賀家(阿波藩)、蜂須賀家には小笠原家というように、支配層上層での正妻の生家の固定が見られ、母親と同じ家の出でかつ同世代の娘との婚姻が推奨されることにより、結果的にいとこ婚、またいとこ婚などが推奨されることが多くあった。中世から近代にいたるまで同族内での婚姻がしばしば行われた島津家や日向伊東家、佐竹家のような例もある。
かつて、日本において農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われていたことは公知の事実であり、地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに、おじと姪との間の内縁も散見され、そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例も存在した[6]。現代の日本社会においては近親婚は全体的な傾向としては比較的減少気味であるが地域による差が大きく、1983年の報告で福江市ではより近親婚の比率が高く、旭川市ではより近親婚の比率が低かったという研究もある[7]。
また、現実問題として双方が恋愛関係にある場合は、たとえ刑法で近親相姦罪を設けていたとしても取り締まりが困難である。スウェーデンでは近親相姦罪が適用されながらも子供を2人もうけた異父兄妹がいたことから、この事件後に婚姻法改正の動きが起こり、1973年の法改正で異父もしくは異母の関係ならば兄弟姉妹であっても、政府機関の特別な許可を得た上であれば婚姻を許すということになった[8]。
日本国憲法第24条では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』とあり、近親者間の性交自体を法律上禁止しておらず、また近親者間の事実婚認定も阻害されないが、日本国憲法第24条に基づき制定される法令により、近親者間の婚姻に係る婚姻届は受理されず、誤って受理されても後に取り消し得る。
日本において婚姻届が受理されない近親婚は以下の通りである。
この他にも特別養子と実方との親族関係が終了した場合にも、婚姻における近親婚制限が適用される。
近親者である事実を知らず婚姻関係が成立し、その後で認知等で近親者である事実が判明した場合、婚姻の無効原因となる。無効主張をすることができる者は各当事者・親族・検察官である。
近親者間で婚姻が禁止されるのは、社会倫理的配慮及び優生学的配慮という公益的要請を理由とする。近親者間における内縁関係は、一般的に反倫理性、反公益性の大きい関係というべきである。特に直系血族間、2親等の傍系血族(兄弟姉妹)間の内縁関係は、現在の婚姻法秩序又は社会通念を前提とする限り、反倫理性、反公益性が極めて大きいと考えられる[6]。
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