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性的指向 |
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指向 |
異性愛 · 同性愛 · 両性愛 · 無性愛 · 多性愛(英語版) · 全性愛 · 対物性愛[要出典] |
性の他の概念 |
女性の性的能力(英語版) 男性の性的能力(英語版) · |
研究 |
生物学と性的指向(英語版) · 性的指向の人口統計(英語版) · |
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同性愛(どうせいあい)、ホモセクシュアリティ(英: homosexuality)[注 1]は、男性同士または女性同士の間での性愛や、同性への性的指向を指す。同性愛の性質を持っている人のことを同性愛者(どうせいあいしゃ)、ホモセクシュアル(英: homosexual)[注 2]という。
本項では同性愛の一般概要について記す。「日本における同性愛」は同項を参照。
かつて同性愛は違法または異端視されることが多かったが、近年は普遍的な人権として尊重されるべきだという風潮が欧米などにおいては見られている。2006年、カナダで開催されたLGBTの競技大会「ワールドアウトゲームズ」の第1回大会の場で宣言された「モントリオール宣言」、2006年に採択され2007年に国連人権理事会で承認された「ジョグジャカルタ原則」、2008年に国連に提出された「性的指向と性自認に関する声明」などは、同性愛者やLGBTなど性的少数者の権利を高らかに謳い、差別の撤廃を求めている。2011年12月には世界人権デーに合わせてジュネーブの欧州国連本部で米国クリントン国務長官が演説し、「同性愛者の権利は人権であり、人権は同性愛者の権利だ」と述べた[1]。
ゲイという単語は、男性だけでなく女性の同性愛者も含んだ「同性愛者一般」という意味で用いられることもあり、さらに性的少数者一般を指すこともある。しかし近年は性的少数者一般を指す頭字語として、LGBTやGLBTが推奨されている(詳しくは下節参照)。
ホモセクシャルとは、同性愛者のことである。男性が男性に対して、女性が女性に対して性的指向を持っていることを同性愛といい、同性愛的指向を持った人を同性愛者、英語でホモセクシャルという。語源は「同じ」という意味のギリシャ語起源の接頭辞「homo-」に性を意味する英単語「sexual」を付属したもの。日本ではこの言葉の本来の意味が十分に認知されておらず、男性同性愛者をホモセクシュアル、女性同性愛者をレズビアンと呼んできた歴史があり、男性同性愛者(ゲイ)の意味で用いられることが今も多い。それゆえにホモセクシャルが男性同性者のみを指す言葉であるとの誤解も存在するが、実際は同性愛者全般を指す言葉である。
男性同性愛者のことを特にゲイと呼ぶ。クィアなどの言葉が侮蔑的な意味を持つというので、英語圏の男性同性愛者らが自分たちを肯定的に再定義するために、「陽気な」「派手な」などの意味を持つ英単語の「gay」を使い始めた。ただホモやクィアほどでないにせよ、この言葉には差別的な意味の内包される場合があり、しばしばそうした使い方をされる。広義には性別を問わず同性愛者全てを含むが、日本語社会では単にゲイという場合は、後述のレズビアンと区別し、男性同性愛者のみを指すことがほとんどである。ただし、アメリカ合衆国などの英語圏ではゲイは男性同性愛者を指す場合が多いものの、レズビアンも含め全同性愛者を指す場合もある。
この単語(名詞)の英語の文献における初出は、オックスフォード英語辞典によれば1935年である。ヴィクトリア朝のイギリスでは、売春婦・男娼が「gay(ゲイ)」と呼ばれていた(これは彼らが「gaily」、つまり「派手に」「華やかに」着飾っていたからである)。それが語源となり男性の同性愛者を指して用いられるようになった。 90年代以降、海外ではLGBTが一般認識として広まり、「ゲイ」を男性同性愛者を差す言葉という認識が世界的にも標準化されつつある。
女性同性愛者のことをレズビアンと呼ぶ。
日本では「レズ」という略語がよく用いられるが、歴史的に含まれてしまった侮蔑的ニュアンスを嫌い、フランス語の「bien(ビアン)」が「素敵」の意味することから、意図的に「ビアン」と略す者もいる。
語源はギリシアのレスボス島に因む。古代ギリシア時代にこの島に住んでいた詩人のサッポーが、少女の教育を担っていたと考えられる宗教的女性結社の指導者で、アプロディタ女神への讃歌や官能的な恋愛の詩を多数作り、古代において恋愛詩の閨秀詩人として著名だったためである。サッポーは1度男性と結婚し1女を儲けているが、彼女が女性に宛てた恋愛詩は男性へのそれより多い。
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米国心理学会、米国精神医学協会(英語版)は 次のように同性愛を定義する。
同性愛は性的指向の一種で、先天的に同性(男性、女性)間に性的、愛情的、ロマンチックな魅力の経験の持続的なパターンを意味する。これは性的行動だけでなく、パートナー共有の目標と価値、相互支援、持続的な努力、非セクシャル物理的な愛情を含む。そして同性愛者らが共有するコミュニティメンバーシップと同性愛を表現する行動と魅力を根幹とする社会的アイデンティティを意味する。
性的志向(異性愛、同性愛、両性愛)は 非常に初期の幼児期の時期に決定される。
同性愛感情を有している、もしくは有していた人のことを同性愛者と定義する考え方もある。
同性愛に抑圧的な文化においては、調査の回答者が同性愛感情の経験を隠そうとする可能性も高い。この意味での同性愛者の割合は実は安定しており、それを公にする人の割合が異なるだけではないかという指摘もある。
唯一確実だと見なされていることは、この定義のもとで、同性愛者が人口の100パーセントを占める文化や、0パーセントの文化は知られていないということである。
ウェリングスが1994年のイギリスで行った調査によれば、この意味での同性愛者は人口の約6パーセントだった。両性愛者を除く狭い意味での同性愛者は男性の約1パーセント、女性の約0.5パーセントだった。また、欧米にて2006年の匿名下における研究では母数の20%の人がいくぶんかの同性愛感情を抱いたことを報告しているが、自身を同性愛者としてラベリングしている人はごくわずかだったとされる[2]。
「生育環境が同性愛感情を育む要因を持っており、よい出会いに恵まれたならば、異性愛感情を抱いた可能性がある人」を同性愛者と定義する考え方がある。言い換えるなら、「生物学的にどうしても異性愛感情を抱き得ないというわけではない人」である。
フロイトの考えによれば全ての人間はこの意味での同性愛者である。これは、彼が「先天的にはいかなる対象とも不可逆的に結びついているわけではない幼児性欲が、後天的にいかなる対象に結びつけられるか」が同性愛/異性愛を決定すると考えていたことによる。ただし、フロイト自身はこの意味で同性愛者という言葉を使ったことはない。
より穏当な意見の人々からも、同性愛に抑圧的でない文化においては同性愛感情を経験したことがある人が多く見られることから、この意味での同性愛者の割合は極めて高いと見積もられている。
ただし、この定義における「同性愛者(ホモセクシャル)」は「異性愛者(ヘテロセクシャル)」と背反な概念ではないため、その大部分は「両性愛者(バイセクシャル)」とみなすこともできる。「両性愛者」を除く狭い意味での「同性愛者」、すなわち「生物学的にどうしても同性以外に恋愛感情を抱き得ない人」はより少ない。厳密なパーセンテージについては諸説あるが、人口の10パーセントを超えるとする報告は最近では見られない。
同性間の性行為、すなわち同性同士での性的な接触を取り上げて、その経験の有無によって同性愛であるか否かを区別しようとする考え方もある。ただし、この場合日本語においては同性「愛」となっているので言語上の問題がある。また、異性愛者に関しては、性行為がなくても異性愛者と呼ぶことを(異性愛者とも呼ばないほど自然に)受け入れるのに対し、同性愛者を性行為の経験の有無によって定義するのは非対称であり、整合性はないといえ、同性愛をもっぱら性行為のみに限定しようとする多数派意識の反映という指摘もある。
この定義を、感情経験といった主観的なものに比べて科学的な優れた尺度であると考える人もいる。しかし、幾つかの点で問題もある。
そのため、同性愛の生物学的な側面を検討する上ではこの定義は役に立たないと考える人もいる。
また、同性愛感情が無くても同性間の性交行為をすることは可能であるので、このことが統計的なズレをもたらしている可能性もあると指摘される。単なる興味本位や、制度的な強制、売春、強姦、刑務所や寄宿舎などで異性と接する機会がない場合など、そのような事態は実際に知られている(参考:機会的同性愛)。
これは定義とは言いがたいものではあるが、これは同性愛であるとする/ないとするで意見が分かれがちである。いわゆる同性の画像・映像に性欲を抱く人、同性の身体やその一部に性欲を抱く人のことである。
多くの場合、(同性に対して恋愛感情を持つ)同性愛者から見ると、「これは同性愛には含めない」と考える人が多く、(同性には一切性欲を感じない)異性愛者から見ると、「これは同性愛の一種である」と考える人が多いようである。
近年の多くの英米の調査では人口の2-13%(50人に1人から8人に1人)の割合で同性愛者が存在していると言われている[出典一覧 1]。
現在、WHO(世界保健機関)の疾病分類「ICD-10」、米国精神医学会「DSM」等では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から外されている。そして同性愛などの性的指向については、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。
かつて「DSM-Ⅰ」で同性愛は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていたが、1973年12月、アメリカ精神医学会の理事会が同性愛自体は精神障害として扱わないと決議した。それにより「DSM-Ⅱ」の第7刷以降「同性愛」という診断名は削除され、代わって「性的指向障害」という診断名になった[いつ?]。1980年の「DSM-Ⅲ」では「自我異和的同性愛」という診断名が登場した。「自我異和的同性愛」とは、自らの性的指向で悩み、それを変えたいという持続的願望を持つ場合の診断名である(同性愛者であることを自ら肯定できている場合は病気ではない)。しかし、この診断名も同性愛自体が障害と考えられているとの誤解を生んだことや、自らの性的指向で悩むのは本人に問題があるからではなく、社会の偏見に起因するという問題意識などから、1987年のDSM-Ⅲの修正版「DSM-Ⅲ-R」ではこれも性障害から除外された。そして1990年の「DSM-Ⅳ」で精神疾患リストから同性愛は完全に消えた[3]。
またWHOのICD国際疾病分類の第9版「ICD-9」(1975年)では「性的逸脱及び障害」の項の1つに「同性愛」という分類名が挙げられていたが、1979年には「精神障害と考えられるべきか否かにかかわらず、同性愛をここに分類」との注釈がついた。そして1990年採択の「ICD-10」では「同性愛」の分類名は廃止され、「自我異和的性的定位」という分類名が用いられたが、「性的指向自体は、障害と考えられるべきではない。」と注釈がついた。これにより同性愛自体は障害とされなくなった。1993年、WHOは再び「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならない」と宣言した。
日本の厚生省は1994年にWHOの見解を踏襲し、日本精神神経学会も1995年にWHOなどの見解を尊重すると表明し、「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」と宣言している。文部省も1994年に指導書の「性非行」の項目から同性愛を除外した。
このように、現在は同性愛そのものは疾患とはされない。ただ同性愛である事によって差別されたり、一般社会規範との適合性等から思い悩み、鬱病などの精神疾患を発症するケースがある(後述も参照)。その場合は同性愛者を差別するなどの社会病理に根ざした鬱病として捉えられる。
同性愛者は異性装(女装、男装)をする人がいる。一般的には、性同一性障害(持って生まれた身体に違和感があり、異性になりたい人。例:はるな愛)、異性装をする同性愛者(異性装はするが身体は元の性でいたい同性愛者。例:ミッツ・マングローブ)、異性装をする異性愛者、そして同性愛者の違いが分からないという人が多く、ニューハーフやMtF-GIDや女装家とゲイを混同している場合、ゲイの多くが女装をしているように見えてしまうことがある。
しかし、実際には大部分の同性愛者は異性装をしない。異性装をするのは異性装癖がある極少数の同性愛者だけであり、中でも性同一性障害の人の日本での推定人口は約4.6万人で、日本の総人口の約0.038%(約2800人に1人)[4][出典無効]、同性愛者(人口の5%、20人に1人)全体の約0.77%しかいない。また異性装者の全てが同性愛者とは限らず、異性愛者や両性愛者もいる。
特にレズビアンに対し、男性恐怖症ではないかという誤解が見受けられる。『ゲイ 新しき隣人たち』(モートン・ハント著、窪田高明訳、河出書房新社)では、男性同性愛者の場合、約半数はいずれかの時点で女性との性交を経験しており、女性に関心も性的感情も過去に1度も抱いたことのないゲイ男性は、全体の4分の1としている。
イェール大学のQ Magazineは、「ゲイ男性はタチ(Top)とネコ(Bottom)に分かれる」、「同性間のリレーションシップは片方が女性的な役割でもう一方が男性的役割である」といった異性愛社会の通念や慣習をLGBTに当てはめる考えは、彼らの実態に則していないとしている[5]。それでも敢えてその無意味な性役割の概念を同性愛者に適用していうならば、そのような状態に近いカップルと、そうでないカップルが存在するということになる。
自分が同性愛者と自覚しはじめた初期段階において、少なからずの者が自己嫌悪や自己否定の感情に苛まれることがあるとされる。アクセプタンス[6]はゲイやレズビアンであることを受け容れ、自己承認すること[7]。カミングアウトの一つ前の段階で、セクシュアル・アイデンティティを自己肯定するための大切な過程とされる。一方のカミングアウトは自らが同性愛者であることを確認した上で、それを自分や周囲に隠さず素直に生きることを指す[7]。カナダのモントリオール大学系のラ・フォンテーヌ病院のチームは、カミングアウトした同性愛者は、それをしていない同性愛者よりもストレスが少なく、異性愛者よりもリラックスしていることがあるとする研究結果を発表した[8]。
1989年のアメリカ保健社会福祉省調査によれば思春期の自殺者のうち約30%が同性愛者を中心にしたセクシャルマイノリティである。
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古代ギリシャのアテナイなどにおいて、男色(少年愛)は公然と行われており、プラトンの著作(『プロタゴラス』『饗宴』『パイドロス』など)でも、頻繁に描かれている。
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同性愛に対する文化・宗教の態度は様々である。文化・宗教で同性愛に言及する場合、そのほとんどは男性同性愛への言及であり、女性同性愛についての記述は非常に限られている。
同性愛に対する宗教上の解釈も人や宗派によりさまざまであるが、同性愛をさほどタブー視しない仏教に比べ、概ね欧米の伝統的な文化では同性愛は否定的に評価されている。同性愛を表向き禁止している文化・宗教は幾つか存在し、例えば、アブラハムの宗教の中の少なからぬ宗派は同性愛を禁じている。欧米の否定的評価は、この宗教的倫理によるものである。[要検証 – ノート]
キリスト教の中でも比較的保守的な宗派においては、『レビ記』で不倫や刺青を入れること、豚肉を食べること等と並んで男性間の性行為を死刑と定めている(20章13節)ことなどを根拠に同性愛を禁じている場合が多い。そのためヨーロッパでは中世・近世を経て近代に至るまで、同性愛者に対する厳しい迫害が行われ、多数の者が処刑された。現代では、同性愛は異性愛と同様に神の意思に従った自然な存在であると考える進歩的な宗派もある。同性間の性的行為についても、容認している教派と許されないとする教派に分かれる。[9]
また、イスラム教も教義上は同性愛については否定的な見解を示している信者が少なくない。『クルアーン』の7章80節~81節と26章162節~166節には、預言者ルート(聖書ではロト)が男性に性欲を抱く人々を非難する記述がある。これを受けてイスラーム教国では同性愛が犯罪として処罰の対象となり、現在でもサウジアラビアやイランのように同性愛者を死刑に処する国や地域も存在する。その一方、前近代イスラームにおいて同性間性行為が許容された地域があり、同性間性行為を謡った詩なども多く詠まれている。現代では同性愛差別に反対しているムスリムも存在する[10]。同性愛者やトランスジェンダーのムスリムの団体「アル=ファーティハ財団」がある。
仏教においては、『正法念処経』の十六小地獄 (衆合地獄)で不倫をした者が落ちる地獄、女性の口を使ってみだらな行為をした者が落ちる地獄などと並んで、多苦悩処という男色者が落ちる地獄があると設定されている。迦才の『浄土論』、源信著『往生要集』でもこの多苦悩処について言及されている。
ヒンドゥー教においては、アイヤッパンやアルダーナリシュヴァラのように性の垣根を越えたような神格が登場するものの、地上世界における同性愛には否定的で法典類では罰金が定められている。ただし『マヌ法典』などではカーストからの追放といった厳罰を定めている[11]。
今日の日本で、一般に向けて強制的に行使すれば、人権侵害やテロ行為等の犯罪となるような宗教上の禁止事項に実質的な意味はまったくないが、禁止や罪となる理由が「聖典に書かれているから」といったものである以上、これにより聖典の信頼性が問われることはやむを得ないところがある。現時点では、聖典の作成者、及び作成経緯などを含め、その成立については、各宗派の信者からの推定のみに留まっており、諸説に実証があるというわけではない。すなわち、「神」が判断したのではなく、「神」の判断と思い込んだ考え方の異なる複数の人間の判断である可能性が聖典には常に横たわっている。「神」と呼ばれる存在の解釈ひとつをとっても、あらゆる宗派や教義によって多少、もしくは大きく異なっており、一貫しているわけではない(参考:宗教戦争)。
歴史的には、中世から近世初期にかけての日本の武士や、古代ギリシア・古代ローマのように、男性間の同性愛行為が制度化されていたり、公然と行われた文化も存在する。
古代ギリシアでは、制度化されていた少年愛を同性愛として含めると、同性愛は単なる恋愛・性愛のバリエーションの1つだったともいえる。異性愛との区別自体が無く、同性と肉体関係を持っても同性愛者という概念自体が存在しなかったという。当時のギリシアにおける自由民成人男性の性対象は女性、少年、奴隷、外国人のうちどれを選んでもよく、むしろ生涯で片方の性にしか性欲が湧かないことは通常ではないとされていたという。但し、制度少年愛における同性愛的関係は、概ね成人男性と思春期前後の少年のあいだで結ばれるもので、これらが集団の結束を強固にする目的があったり、何らかの意味で現代的な同性愛とは異なるものだと指摘する見方もある。 周辺時代に登場する主な史説に、アレクサンドロス3世(大王)のヘファイスティオンとの同性愛関係やユリウス・カエサルのスエトニウスによるニコメデス4世との関係などがある。
ニューギニアではサンビアなどメラネシアの幾つかの社会で通過儀礼の一環として男性同士のフェラチオや肛交が定められているという[12]。但し、これは同性どうしの行為という意味では一般的であるが、これが社会的な義務観念であることから、「性愛」ないし「愛情」をともなう同性愛の行為であるとは必ずしもいえない。
世界においては同性愛自体が合法である国と違法である国が存在する。同性愛が合法である地域の中には同性結婚を認めている地域(スペインやオランダ、カナダ、アメリカ合衆国、英国など)や、婚姻とは別の形でパートナーシップ制度や内縁関係を認めている国(ドイツ、豪州など) がある。一方で違法でなくても同性カップルに関する認知制度が無く、同性カップル自体は社会制度上認められていない[注 3]地域 (日本や中華人民共和国など)も多く存在する。但し日本では養子縁組を結べば対等なカップルではなく親子関係になるものの、婚姻者とほぼ同等の権利が認められる。南アフリカ共和国は、1996年に制定した新憲法で人種差別の禁止と同時に性的指向にも言及し、同性愛と異性愛について一切の差別を行わないことを宣言している[13]。
サウジアラビアなどイスラム教国家では同性愛は違法である場合が多い(イスラム教徒が多数を占める国であってもトルコなどは社会的認知制度は無いものの合法)。違法である国においてはリベリアのように軽犯罪に分類される国はほとんど無く、多くの国で重罪とみなされ、場合によっては終身刑が適用されうる国(パキスタンなど)、さらには死刑が適用されうる国(イラン、サウジアラビアなど)もある。
2008年12月に、国連総会において「性的指向と性自認に基づく差別の撤廃と人権保護の促進を求める」旨の声明が出された。日本はこれに賛同している。なお賛同した66ヶ国中アジア圏で賛同した国は日本のみで、先進諸国のなかでもアメリカは賛同しなかった[注 4]。ただしアメリカは後にオバマ政権に移行したこともあり賛同する方針に転換している[14]。
加えて、以前は重罪であった国の中でも合法化へと進んでいる国も存在する。インドは以前は重罪 (終身刑が適用されうる) であった。これは英国植民地時代に作られた法律であったが2008年には国連が非違法化すべきであると提案し[15]、2009年7月にインド高裁が同性愛は違法ではないという判決を出した[16]。詳しくはインドにおける同性愛(英語版)を参照。
日本では、1872(明治5)年に発令された「鶏姦律条例」および1873(明治6)年に発令された「改定律例」では男性同士の肛門性交(鶏姦)が犯罪とされた(後者の第266条では懲役刑)。しかし、1880(明治13)年に制定(施行は1882年1月1日)された旧刑法にはこの規定はなくなった[17]。それ以来日本の法において同性愛は違法とされておらず、現在法務省は性的指向による差別をなくす呼びかけを行っている。一方で、同性結婚などに関する規定は存在しない。
2013年現在、ロシアにおいては、同性結婚は認められておらず、同性愛そのものが、異性愛よりも下等であるとされている。2013年6月30日、ウラジーミル・プーチン大統領は、同性愛の宣伝行為に対して罰則を与える法案に署名、法律は成立した。この法律では、同性愛と異性愛の関係が「社会的に同等」であるという「歪んだ理解」を持たせる情報を、未成年者に広めた者に対し、最大5000 ルーブル(約1万5000円)の罰金を科すとしている。外国人にも適用され、罰金だけでなく、身柄拘束、国外退去も可能としている[18]。
古来から、通過儀礼として社会的に同性愛が認められている場合を除き、自身が同性愛者であると公に明かすことをためらう人が少なくない。また同性愛者の数も相対的には少ない。ゆえに、同性愛者同士のコミュニケーションは時・場所が異性愛者同士のそれと比べると、ウェブサイトの同性愛者専用の掲示板やSNS、同性愛者を客層とするバーなど狭い範囲に限られている。
但し、異性愛社会の中では時・場所が限られているからといって、特にゲイ男性同士の場合、出会いが少ないことは意味しない。『話を聞かない男と地図を読めない女』の著者であるアラン・ピーズは、「生涯で数千人の男性と性行為をするゲイも珍しくない」と書いている。また美輪明宏も30代だった時に雑誌の対談で「2000人の男性と付き合ってきた」(「面白半分」1974年5月臨時増刊号)と述べ[19]、元ゲイ雑誌編集者のブルボンヌも「男性経験は1千人切りした」といっている[20]。しかし、異性愛者の中にも異性とのSEXの経験人数が多い人はおり、例えばケンドー・コバヤシは「100人斬りはしている」「風俗を入れると2000人」と言っており[21]、宍戸錠は女性との経験人数は1331人だと発言しており[22]、チャーリー・シーンは「これまで5000人の女性とSEXした」と発言している[23]。その為、一般的に異性愛者と比較して同性愛者の経験人数が多いとも言えない。
日本では、1980年代半ばまでは同性愛者同士のコミュニケーションはゲイ雑誌の出会い投稿欄やバー、発展場などに限られていたが、1980年代後半に伝言ダイヤルやダイヤルQ2が普及したことで様変わりした。90年代半ば以降はインターネットの急激な普及と出会い系サイトの登場で、同性愛者同士の出会いは更に容易になった。(参照:日本における同性愛#ゲイのコミュニケーション)
近年では、自己に誇りを持とうとするための運動として、プライド・パレードのようなイベントや、インターネット上でのコミュニケーション、同性愛者への差別意識(参考:ホモフォビア)撤廃などを訴える運動が行われている。インターネットが発達することによって、かつて少数派として孤独になりがちだった同性愛者は、世界中の同性愛者と瞬時に連絡を取り合える環境になった。
アイルランドの作家で、同性愛者であるコルム・トビーンは「インターネットができる前は大いなる孤独があった。今は連帯がある」と語り、インターネットを始めとするテクノロジーの発達が、同性愛者の生活を変えたと指摘している[24]。
同性愛者に対する異性愛者の受容といった観点においての心理学的なアプローチでは、男性同性愛者と女性同性愛者に対して、女性異性愛者は双方の受容傾向に差は見られなかったが、男性異性愛者については男性同性愛者に対してのみ受容の傾向が有意に低いという実験結果が複数の実験で出ている[25]。これについては、男性と女性の「性の対象」としての視線に慣れているかいないか、言い換えれば、女性は水着のグラビアなどを筆頭に性的な対象としての視線に晒されることが多くある程度耐性がついているが、男性にはそれがついておらず自身が性の対象になる可能性のある男性同性愛者に対して拒絶感があるからではないかという推察もある[25]。ちなみに、カミングアウトされた経験がある(つまり友人といった他人から自身は同性愛者であると告げられたことがある)人は、全体的に受容傾向が強いとする実験結果が出ている[25]。
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ポルノ雑誌やポルノ媒体などにおける男性同性愛や、レズものにおける女性同性愛などに対しては、性的観点を重視し過ぎている、娯楽的観点に偏重しているとして不快に感じる人もいる。また男性同性愛者の性を商品化している[26]、男性同性愛者を異性愛社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込めている[26]、などの批判もある。佐藤雅樹は「異性愛女性が自分より弱い立場の存在(ゲイ)にステレオタイプを押し付けることが『差別』なのだ」といっている[26]。
同性愛になる原因として、以下で触れる脳の機能説や環境ホルモン説のほか、妊娠中の母親のストレス説、或いは育て方が影響するとする環境説などがある。
同性愛など人間の性的な傾向は、自律神経をつかさどる脳の機能に規定されている可能性が有力であり、さかんに研究がなされている。特に有名なものとしてはスウェーデンの研究がある[27]。
環境ホルモン説は週刊誌やいわゆる実用書、また陰謀論的テクスト等によく登場する説であり、医学界・心理学界等の大勢の評価を得ている説ではないが、概ね19世紀以後に開発・使用された人工的な化学物質が人間および動物の同性愛化に影響を与えているという説である(現時点においては、少なくともいわゆる環境ホルモンの人体への影響は極小のものであると考えられており、この点に関して、本説は疑似科学に近い説であるという見解が有力である。環境ホルモンの項目参照)。
本説がもしも事実であれば、一般販売されている農薬汚染・肥料汚染された食品、化粧品や石鹸、ペンキ等の工業品などを通じて、同性愛傾向を備える可能性が高くなるということになるが、これには遺伝子の持つ免疫力の強さに応じて個人差が出るという。つまり、この裏づけには人の遺伝子の免疫力への影響度そのものの検証データが必要となってくる。しかし、現在までのところこうしたことに関する信頼性の高い確実なデータが提示されているわけではない。また現状として現代社会においても、それらの製品によって、何ら影響を受けた形跡のない異性愛者がほとんどであることからも、この説の信憑性は現段階でかなり低いものとなっている。
人間以外の生物においても同性愛と解釈できる行動は決して珍しいものではなく、オス同士で互いに精子をかけ合うクジラをはじめ、猿や昆虫の間で見られた等多数の例が報告されている。2006年にノルウェーのオスロ自然史博物館では、世界で初めて「生物の同性愛」をテーマとした展示会が開催された。同性愛的行動が確認された動物は1500種以上であり、そのうち500種の同性愛が立証されている。
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国試過去問 | 「107D018」 |
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