出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/06/22 02:59:38」(JST)
(国旗) | (国章) |
公用語 | スウェーデン語(2009年から) | ||||||||||||||||||||
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首都 | ストックホルム | ||||||||||||||||||||
最大の都市 | ストックホルム | ||||||||||||||||||||
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カルマル同盟より独立 | 1523年6月6日 | ||||||||||||||||||||
通貨 | スウェーデン・クローナ (SEK) | ||||||||||||||||||||
時間帯 | UTC +1(DST:+2) | ||||||||||||||||||||
ISO 3166-1 | SE / SWE | ||||||||||||||||||||
ccTLD | .se | ||||||||||||||||||||
国際電話番号 | 46 |
スウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語: Konungariket Sverige[ヘルプ/ファイル])、通称スウェーデンは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。西にノルウェー、北東にフィンランド、南西にカテガット海峡を挟んでデンマーク、東から南にはバルト海が存在する。首都はストックホルム。スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)といい、スヴェーア族の国を意味する。
現王家はベルナドッテ家。スウェーデン・アカデミーによるノーベル賞は世界的権威がある。歴代国王は王位につく際に、自分の統治をモットーとして表明する習慣になっている。現国王カール16世グスタフのモットーは「För Sverige i tiden(スウェーデンのために、時代と共に)」である(右の表中では国の標語としている)。
正式名称はKonungariket Sverige(コーヌンガリーケト・スヴェリエ)。通称Sverige。形容詞はsvensk(スヴェンスク)。
英語の公式名称はKingdom of Sweden (キングドム・オブ・スウィーデン)、通称Sweden。形容詞はswedish(スウィディッシュ)。スウェーデン人を表す場合は名詞のSwede(スウィード)が使用される場合もある。
日本語の表記はスウェーデン王国。通称スウェーデン。他にスエーデン、スェーデンという表記もされる。漢字による当て字は「瑞典」。スイスの当て字は「瑞西」で、いずれも「瑞」と略されるが、これらの漢字名は一般に余り用いられないため混乱を生むことは少ない。なお、特にスイスと区別する場合はスウェーデンを「典」[2]、スイスを「瑞」と略する[3]。
古代はスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)として主に東方で活動した。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀頃にはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結んで同君連合を形成する。
1523年、カルマル同盟から離脱し王政となる(ヴァーサ朝)。16世紀の宗教改革ではプロテスタントを受容し、バルト海地域へ進出する。17世紀にグスタフ2世アドルフ(獅子王)の時代にバルト帝国を建国する。新大陸にも植民地を築き、王国は最盛期を迎える。1654年にプファルツ朝に王朝替えするもバルト帝国を維持。しかし18世紀初頭にカール12世はバルト海の覇権を争い、ピョートル1世の時代のロシア帝国と大北方戦争で戦って敗れ、沿岸の領土を失い一時没落する。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ朝のグスタフ3世が中興させるも、ナポレオン戦争の経過によって、フィンランドを失った。
1809年の革命で立憲君主制が成立、1814年にキール条約でノルウェーを併合。1818年よりフランス人ベルナドット元帥(カール14世ヨハン)が国王に即位しベルナドッテ朝が始まる。ウィーン体制ではノルウェーと同君連合(1814年 - 1905年)を結ぶが、1905年に分離。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した汎スカンディナヴィア主義が頓挫し、北欧は小国化に向かう。
1932年に社会民主労働党政権となり、以降のスウェーデンは福祉国家路線が支配的イデオロギーとなった。武装中立政策を取り、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両大戦にも参加していないが、両大戦とも義勇軍を組織していた事は事実である。第二次大戦の中立違反の政策は、戦中も戦後も、国内外から批判を浴びている。ただし、当時は連合国も枢軸国も国際法を守っておらず、一方的に批判されることではなく、デンマーク、ノルウェー、フィンランド人の反ナチス、レジスタンスを匿い、ユダヤ人を保護したことは、人道にもっとも重きを置いた決定と言える。また、大日本帝国政府の終戦の事前交渉も行なっている。
東西冷戦中は、ノルディックバランスを構築し、アメリカ寄りの政策と中立主義政策を行き来したが、冷戦終結後は、中立主義を放棄し(軍事的非同盟と定義しなおし)、1995年にオーストリア、フィンランドとともに欧州連合 (EU) に加盟した。北欧諸国の中ではデンマークが1973年にEUに加盟している。
政体は立憲君主制。国家元首である国王は、国家の象徴であり、儀礼的職務のみを行う。
スウェーデンの立法機関たる議会はリクスダーゲン (Riksdagen) と呼ばれる。1971年に両院制から一院制に変わった。2006年総選挙時の定数は349議席で、議員の任期は4年。議員の選出方法は比例代表制による。
行政府の長は首相である。議会の総選挙後に、国会議長が副議長及び各党の代表者を招集し、新首相を推挙し、議会の過半数の反対でないことで承認される(反対票を投じないまでも、賛成できない議員は、投票を棄権する)。その後、国王の臨席する任命式において国会議長が新首相を任命し、新首相は同時に各大臣を任命し組閣を行う。
このように、1974年改正後のスウェーデン憲法では、通常の立憲君主国の君主が有する首相任命権を始めとする全ての官吏任命権を形式的にも失っている。国王の権能は情報閣議による大臣からの情報収集(いわゆる内奏)や外国使節の接受などもっぱら儀礼的な機能に限られている。そのため、もはや立憲君主制ではなく、象徴君主制という新たな統治形態であるとする学説もある。
2014年9月の選挙で議会に議席を獲得した政党は以下の8党。
その他特筆すべき政党 - 地方議会でのみ議席を保有
ジョーク政党
長年にわたる社会民主労働党政権の下で構築された社会保障制度が整い、税金制度や高齢者福祉など、社会政策が各国の注目を浴びている。
1971年から1984年において実質経済成長率、国民一人当たり GDP成長率が社会民主労働党政権の下においてのみ上昇、失業率、消費者物価上昇率は低下している。 1982年から1986年の公的部門の貯蓄の対GDP比は、米国、英国、フランス、日本、西ドイツに比較して高い[4]。
スウェーデンは、「社会科学の実験国家」だとも言われている。時代状況の変化に対応し、実に簡単に制度(法律)が変更される。そのため、スウェーデンの研究は絶えずこの変化を追いかけ、変更された意図を正確に捉え、その目的と意義を探る必要がある。低所得者層、高齢者、障害者、失業者等、社会的弱者もあるレベル以上の生活をすることが保障される。
スウェーデン軍は陸軍、海軍、空軍の三軍と郷土防衛隊からなり、国防省の管轄下にある。東西冷戦期にはノルディックバランスに則った中立政策を保ち、兵器体系も専守防衛のための独特のものとなった。独自開発兵器も多い。現在もNATOには加盟せず、ロシアとも緊密な軍事協力関係を維持している。
徴兵制度(19歳~47歳の男子が対象。女子は対象外である)が実施されていた時代があり、兵役拒否を希望する男子に対して介護や医療などの代替役務を課すことにより、「良心的兵役拒否」が認められていた。2010年7月1日に徴兵制度は正式に廃止された。
日本の県に相当するスウェーデンの地方自治体には2種類あり、その一つは国会と政府の出先機関であるレーン(スウェーデン語: län)で、もう一方は県民の代表たるランスティング(スウェーデン語: landsting)である。
レーンの総数は21で、ランスティングのそれは20であり、両者の境界線はほぼ一致する。ゴットランドは島という性格上、レーンの境、市の境、ランスティングの境が偶然一致してしまった特異な例である。レーンは、国会の決定に従い、政府の指示のもとで地域的に必要とされる行政を行うのがその主な役割。その最高議決機関である執行委員会は中央政府によって指名される執行委員長(日本の都道府県知事に相当)と、ランスティングを通じて住民により選挙で選ばれた委員で構成される。これに対してランスティングの主な役割は、県民の精神的・身体的健康の増進と公衆衛生の維持、県内にある学校等教育関連機関の指導・監督及び支援、県内で行われる文化的活動の支援にある。ランスティングの最高議決機関は県民から選挙で選ばれた議員によって構成される県(ランスティング)議会(スウェーデン語: landstingsfullmäktige)である。ランスティングの役割は地域によって細かい部分には差があり、レーンとの役割分担の度合いもそれぞれの地方によって細部は異なる。県庁所在地はレジデンススタード(スウェーデン語: residensstad)と呼ばれ、県の行政機関が集中している。
各県は日本の市に相当する基礎自治体である複数のコミューン(スウェーデン語: kommun)[5] に分割される。2007年現在、コミューンの総数は全国で290である。最高議決機関は市(コミューン)議会(スウェーデン語: kommunfullmäktige)であり、その議員は当該コミューンの市民によって、4年毎に9月下旬に行われるリクスダーゲンや県議会(ランスティング)の総選挙と同時に選挙で選ばれる。スウェーデン国籍非取得者であっても、同一コミューン内に3年以上滞在していれば、滞在先のコミューンとそのコミューンが所属している県のランスティングについては選挙権がある。
市内の人口密集地はテートオート (tätort) と一般に呼ばれるが、市役所やコミューン議会が置かれている市の中心地は特にセントラルオート(スウェーデン語: centralort)と呼称される。嘗てはスウェーデンにも「町」や「村」といった行政区分もあったが、現在は存在しない。日本の政令指定都市に置かれている「区」と同様の組織は一部のコミューンに設けられる事もあるが、さほど一般的でない上に、規模もごく小さい。「区」に近い概念としてスタッツデール(スウェーデン語: stadsdel)という表現があり、市内にあるそれぞれ人口密集地内の各地域を指す「地区」といった意味合いで使われる。
スウェーデンには以前、「教会市(スウェーデン語: kyrkokommun)」や「教区(スウェーデン語: församling)」という教会が課税権を持つ行政区分があったが、町や村と同様に行政区分としては教会市も教区も現在は存在しない。但し、教区という区分は人口統計や歴史学の研究等、ごく限られた範囲では利用される事もある。
地方行政区分とは別に歴史的、言語的に繋がりのあるランドスカープ(スウェーデン語: landskap)と呼ばれる25の地方がある。詳細はスウェーデンの地方を参照
順位 | 都市名 | 人口[6] | 面積 (km2) |
人口密度 |
---|---|---|---|---|
1 | ストックホルム | 782,855 | 188 | 4,164.12 |
2 | イェーテボリ | 490,961 | 451 | 1,088.61 |
3 | マルメ | 278,319 | 156 | 1,784.10 |
4 | ウプサラ | 185,494 | 2,185 | 84.89 |
5 | リンシェーピング | 138,805 | 1,436 | 96.66 |
6 | ヴェステロース | 133,274 | 962 | 138.54 |
7 | オレブロ | 129,482 | 1,380 | 93.83 |
8 | ノーショーピング | 125,463 | 1,503.61 | 82.95 |
9 | ヘルシングボリ | 124,301 | 347 | 358.22 |
10 | ヨンショーピング | 122,524 | 1,489 | 82.29 |
11 | ウメオ | 110 587 | 2,331 | 47.44 |
12 | ルンド | 103,693 | 430 | 241.15 |
13 | ボロース | 100,570 | 915 | 109.91 |
14 | スンツバル | 94,549 | 3,209 | 29.46 |
15 | イェヴレ | 92,456 | 1,615 | 57.25 |
スウェーデンの面積は日本よりやや広く、日本全土に北海道をもう一つ足した程度である。面積の割りに人口が少なく人口は日本の約1/12、人口密度は約1/19程度。世界の人口密度ランクでは235カ国中187位で低密度である。スカンディナヴィア半島の中央、東側に位置する。半島西部はスカンディナヴィア山脈が南北に連なっているが標高は2,000m程度しかないなだらかな山脈である。この山脈の最北部にあるケブネカイセ山の北峰で海抜2104メートルがスウェーデンの最高点である。 ボスニア湾やバルト海に沿って平野部はあるが、それほど広大ではない。南部のスコーネ県を除き厳しい冬である。また夏も全般的に冷涼としている。湖沼も多く、中南部に最大のヴェーネルン湖と2番目に大きなヴェッテルン湖が位置する。肥沃な地はスコーネ県しかなく、中部から北部は農業には適さず酪農が主である。
17世紀にヨーロッパで最初の紙幣が発行され、世界最古の中央銀行であるリクスバンク(スウェーデン国立銀行、ノーベル経済学賞を発行している)が設置されたことで知られている。
スウェーデンの経済の最大の特徴は公務員が多いことである。公的部門の人数は実に33%を超え全体の3分の1にも達する(日本は9.5%)。労働参加率は高く特に女性の労働参加率が高い(スウェーデン76%、日本48%)。そしてその女性の社会進出の場になっているのが公務員の福祉部門である。つまりスウェーデンにとって福祉国家と男女平等はそれ自体が国家と経済を支える重要な柱となっているのである。
国土の8割が冷帯に属し、コムギの栽培が可能な地域は北緯60度以南に過ぎない。農地は国土の6.5%であるが、農業従事者は国民の1.5%に過ぎない。しかしながら、高い生産性によって、穀類の自給率は121%(2002年)に達している。果実類と野菜類、油脂類を除く各項目の自給率はいずれも80%を上回る。穀類の生産量ではコムギ(241万トン、以下、2004年)、オオムギ(169万トン)のほか、燕麦(93万トン、世界シェア10位)が際立つ。
国土の65.9%は森林(針葉樹林)に覆われている。このため、針葉樹に限定すれば世界第5位の生産量(610万立方m、世界シェア5%)を占める。
1972年、酸性雨の被害を世界に知らしめるため国連人間環境会議を招致し、ストックホルムで開催した。1980年代では、国内の85,000の湖沼のうち、18,000で魚がほとんど死滅、激減した[7]。
通信機器メーカーのエリクソンが有名。
SAAB(サーブ)は一般には自動車メーカーとして知られるが、元来は航空機メーカーで、ビゲン、ドラケン、グリペンといった戦闘機やサーブ 340などのターボプロップ旅客機を開発した実績を持つ。2006年現在、民間機部門からは撤退し、自動車部門はオペルと統合予定のGM100%子会社である(詳細は該当項目参照のこと)。国内のもうひとつの自動車メーカー、ボルボ (VOLVO) の乗用車部門は中国の浙江吉利控股集団の傘下。
ボフォースは、第二次世界大戦以前から存在し世界的なシェアを持つ重火器の老舗メーカーである。対空砲、艦砲、対潜ロケット等の製造に長けている。Sタンクもしくはバルカンタンクの名前で知られている戦車、Strv.103はこの企業が主体となって開発された。
北部の都市キルナは鉄鉱石の産地として有名であり、これを背景とした鉄鋼業が盛んである。生産される鋼材はスウェーデン鋼と呼ばれ、国際的にも日本の安来鋼と並んで硬く上質の鋼材として評価が高い。
他にノーベル財団のノーベル賞で知られるアルフレッド・ノーベルが設立した火薬メーカーのノーベル社、ヨーロッパ第2位の家電メーカーエレクトロラックス社、プロ用カメラ・レンズ製造のハッセルブラッド社などが挙げられる。
スウェーデンの道路は所有区分によって一般道 (allmän väg) とその他の道路 (övriga vägar) に分けられる。一般道は国が所有し、スウェーデン産業省の外局である道路庁 (Vägverket) が管理している。一般道はヨーロッパ道路 (Europavägar) 、国道 (Riksvägar) 、県道 (Länsvägar) 、その他の一般道 (Övriga allmänna vägar) に分類される。ヨーロッパ道路は例外的に国連欧州経済委員会 (UNECE) が事務的な管理を担当している(スウェーデン国内の部分についてはスウェーデン政府が所有し、整備を担当)。その他の道路は各市の所有であったり、道路の設置されている土地の所有者に帰属している場合もある。その他の道路には市道 (kommunal väg) か私道 (enkild väg) 分類される。一般道はスウェーデンの道路法 (Väglag, SFS 1971:948) によって定義、建設・整備の責任等が定められている。その他の道路は土地及び建物法 (Plan- och bygglag, SFS 1987:10) にその規則が定められている。
2007年8月1日からストックホルム中心部では、出入りする国内登録車両に対して、時間帯に応じた進入税 (trängselskatt) が課税されるようになった。この税金の目的は中心部の交通量を減らし、そのことによって公共交通機関たるバスの定時性を保持すると同時に、排ガスによる住民の健康を保護するなど中心部の環境保全にある。
スウェーデンの鉄道は、政府が株式を100%所有するエスイー (SJ, Statens Järnväg) が全国の旅客輸送を担当している他、トーグコンパニーエット (Tågkompaniet) 、コネックス・スヴェリエ(Connex Sverige, Veolia Transport Sverigeに社名変更中)等の政府とは資本関係のない会社が一部地域の旅客鉄道輸送を担っている。線路はスウェーデン産業省の外局である鉄道線路庁 (Banverket, バーンベルケット) が所有・管理している。空港連絡鉄道としてはアーランダ空港とストックホルム中央駅をアーランダエクスプレス (Arlanda Express) が20分で結んでいる。貨物輸送はやはり政府が株式を100%所有するグリーン・カーゴ (GreenCargo) を中心に、ノルウェーの運送会社が筆頭株主のヘクター・レール (Hector Rail) 等によって運営されている。
地下鉄はストックホルムにのみあり、ストックホルムス・ロカールトラフィーク (SL, Stockholms Lokaltrafik) が運営している。ストックホルムス・ロカールトラフィークは郊外へのコミュータートレインも運行している。どちらもエスイー等、他の鉄道事業者とは乗り入れていない。
路面電車はストックホルム、ヨーテボリ、マルメ、ノーショーピングの各都市で運行されており、特にヨーテボリとノーショーピングの二都市では複数路線が市内の広い地域をカバーしている。
スウェーデンの各都市で運行されている公共交通機関としてのバスは地方自治体であるランスティングやレーン (län) がその出資母体となる株式会社として運営されている場合が多い。地方自治体とは資本関係のないバス会社も多数あるが、そのほとんどは観光目的の観光バスや都市間を結ぶ高速バスを運営している。
各都市で運行されているバスは市内の2拠点間を市中心部にあるバスターミナルを経由して(起・終点としてでなく)走っている。各都市には主要路線のバスが必ず経由するようなメインのバスターミナルが最低一つはあるが、そのようなターミナルが必ずしも日本のように駅前にあるわけではない。(もちろんバスターミナルが駅に隣接している場合もあり、離れていてもせいぜい500~600メートル程)ストックホルムやヨーテボリのような大都市ではそのようなバスターミナルが複数設けられている。
スカンジナビア三国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)のフラッグ・キャリアたるスカンジナビア航空を筆頭に複数の航空会社が国内・国外への旅客便を運航している。スカンジナビア航空は他の航空会社に先駆け、アンカレッジ経由で西欧・極東間の便を就航させた事でも知られている(いわゆる「北回りヨーロッパ線」)。貨物便としてはスカンジナビア航空の他に、アメリカ系のUPS、ドイツ系のDHLが航空貨物便として乗り入れている。(UPSとDHLはスウェーデン国内の陸上輸送へも進出している。)
スカンジナビア航空以外でスウェーデン国内を拠点としている航空会社としては、マルメ・アヴィテーション (Malmö Avitation) 、スカイウェイズ (Skyways) 、ゴットランズフリーグ (Gotlandsflyg) 等の航空会社がある。多くは国内・国外への両方ともに運行しているものの、ほとんどはヨーロッパの各都市への便に限られている。
民族構成(スウェーデン) | ||||
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スウェーデン人 |
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85% | ||
フィンランド人 |
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5% | ||
その他 |
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10% |
移民はスウェーデンの歴史における人口増加と文化変容の大きな源である。移民は、経済・社会そして政治的側面において、人種・経済的扶助・非移民の職・集落体系・社会的流動性への影響・犯罪・投票行動など、さまざまな議論を巻き起こしている。[8]
スウェーデンには移民の人種的背景に関するはっきりとした統計はない。これは、スウェーデン政府は人種に基づいた統計を一切行わないからである。しかしながら、移民の国籍については記録されている。1998年の調査では、外国にルーツを持つ者(外国生まれの者、また移民の子供)は1,746,921人であった。これはスウェーデンの人口のおよそ20%にあたる。そのうち1,216,659人(約70%)が、北欧またはその他ヨーロッパの国出身であり、530,262人(約30%)がそれ以外の国出身である。
2011年の統計によると、スウェーデンの総人口の約27%にあたる2,000,000人が、全面的、または部分的に外国にルーツを持つ。[9][10][11]そのうち外国生まれの者は1,427,296人である。430,253人が父母共に外国生まれの両親を持ち、666,723人は、片方が外国生まれ、もう片方がスウェーデン生まれの親を持つ。
2010年のEurostatの調査によると、スウェーデンには133万人の外国生まれの住民がいるとされ、これは全人口の14.3%にあたる。そのうち 859,000人(全人口の9.2%)は非EU加盟国生まれで、477,000 (全人口の5.1%)がEU加盟国生まれである。[12][13]
2009年には年間の移民の数は過去最高に達し、102,280人を記録した。[14]移民のほとんどは、スヴェアランドやイェータランドの都市圏に集中している。[13]1970年代初頭より、スウェーデンへの移民の殆どは中東や南米からの移民や、その家族の呼び寄せが占めている。[15] 2012年には、44,000人の難民を受け入れた。[16]また、シリア争乱の状況悪化に伴い、2013年9月には、シリアからスウェーデンへの亡命希望者全員を受け入れ、永住権を付与すると発表した。[17]
移民の主な出身国[18]
スウェーデンでは次世代先進国のモデルとして「高福祉高負担」の社会モデルが注目されていたが、その影には移民政策による歪みが拡大している。
移民排斥を唱える右翼政党のスウェーデン民主党が、反移民の空気の広がりを追い風にして2010年9月のスウェーデン総選挙で初めて国政に進出し20議席を獲得した。党首のジミー・オーケソンは「わが国の移民政策は失敗だった」と述べ、スウェーデン社会にとけ込まない移民に対する不満が右派政党躍進の背後にあったとみられている[19]。
2013年5月中旬、警察による男性射殺事件に端を発した抗議暴動は瞬く間に拡大し、ストックホルム市内とその周辺では車や学校への放火が相次いだ。警察署や学校が襲撃され、22日には一晩で90件の火事が発生した[20]。これに関連しラインフェルト首相は、移民の社会統合の失敗がストックホルムにある諸問題の一因であることを認めており、拡大し続ける移民問題のひずみにどう対処するのか、スウェーデンの今後の社会動向が注目されている[21]。
2009年7月からスウェーデン語 (svenska) が正式な公用語に制定された。そのほか、フィンランド語、メアンキエリ、ロマ語、サーミ語、イディッシュ語を話す者も少数いる。スウェーデン語は隣国のノルウェー語、デンマーク語と類縁関係(ゲルマン諸語)にあり、スウェーデン語話者とノルウェー語話者は相互に意思疎通ができる会話程度は可能であると言われる。
また、アメリカ英語については1940年後半から義務教育化されており、テレビ番組に米国製番組の字幕版が多いといった文化面の影響も含め、アメリカ英語での会話が可能である。[22]
福音ルーテル教会がスウェーデン国教会である。実際に、その人口の8割が福音ルーテル教会に所属している。
2004年のスペイン列車爆破事件や2005年のロンドン同時爆破事件以降、様々な治安対策が積極的に講じられているが、犯罪数は増加傾向にあり、2011年の統計では犯罪数約148万件と発表された。犯罪発生率でみれば日本の約13倍に及ぶ事となる。2010年には2010年ストックホルム爆破事件が起こった[23]。
スウェーデンにおける犯罪の過半数が置き引きやスリなどの窃盗であり、主に旅行者を狙ったものが多い。ストックホルム警察によると各国からの旅行者の中でも日本人の被害が多いとの事である。さらに、以前は少ないとされた暴力犯罪や性犯罪も2011年頃には増加傾向にある[24]。
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スウェーデンの民族音楽は、フォルクムジーク(folkmusik)と称され、フォルクダンス(folkdans、民族舞踊、正確には民間伝承舞踊と訳されるのが好ましい)と深いつながりがある。フォルクダンスの形態で有名なのはポルスカ(polska)で、また、スウェーデン独自の楽器にニッケルハルパ(nyckelharpa)がある。 (スヴェンスカ・)フォルクダンスリンゲン は、スウェーデン最大の民間伝承(伝統)音楽及び舞踊に関する組織であり、関連する情報の提供源として挙げておく。
バロック音楽の時代では、イギリスのヘンデルやペープシュに学んだユーハン・ヘルミク・ルーマン(1694年-1758年)は、ヘンデルばりの合奏協奏曲や、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに近い響きの 「ヴァイオリンのためのエッセイ」 を書いて、「スウェーデン音楽の父」 または 「スウェーデンのヘンデル」 と呼ばれた。古典派の時代にはドイツ生まれのヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756年-1792年)が活躍し、短調の情熱的な曲を多く書いて 「スウェーデンのモーツァルト」 と呼ばれている。
ロマン派音楽の時代に入ると、フランス・アドルフ・ベルワルド(1796年-1868年)、ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(1867年-1942年)、ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871年-1927年)、ヒューゴ・アルヴェーン(1872年-1960年)などの作曲家が挙げられる。
デンマークのカール・ニールセン、ノルウェーのエドヴァルド・グリーグ、フィンランドのジャン・シベリウスなどと比べてクラシック音楽全体の知名度は劣るが、近年では北欧全体におけるそれぞれの自国の文化を保護・支援する制度が充実しているため、これらの作曲家のレパートリーも多く取り上げられるようになって来ている。
また合唱のレヴェルは世界最高水準を誇り、エリック・エリクソンが長く指揮者を務め、世界的な評価を誇るスウェーデン国立放送合唱団やエリック・エリクソン室内合唱団などがある。
昔日は世界第3位の音楽輸出大国と言われたこともあった。1960年代にはスプートニクスがエレキインスト界を席巻した。1970年代後半にABBAが世界中を席巻した。1980年代にはヨーロッパやロクセットなどのバンドが世界的レヴェルの人気を博した。1990年代中期に現れたエイス・オブ・ベイスは1994年に、ザ・サイン(The Sign)を全米シングルチャートの年間第1位にするという偉業を成し遂げている。スウェーデンのヨーロッパ、イングヴェイ・マルムスティーンなどを中心に1980年代頃から開拓されたヘヴィメタル系のロックは、北欧メタルと称される。1990年代以降は特にエクストリームメタルにおいて、アット・ザ・ゲイツ、イン・フレイムス、アーチ・エネミー、オーペスなどの数々のメロディックデスメタルバンドを生み、世界的な影響を与えている。
また、1990年代はカーディガンズなど有名バンドを発信し、スウェーデンのポピュラー音楽は日本でも親しまれていた。日本国内のポピュラー音楽にスウェーデンのスタッフが関わることも多く、BONNIE PINK、原田知世、パフィー、ジャニーズ事務所所属のNEWSなどの楽曲に関わっている。
このように、一時はヨーロッパ外の国々にもその名を知らしめもしたが、1990年代も半ばを過ぎてアメリカのポピュラー音楽がアフリカン・アメリカンやラテンアメリカ系ないしその血を引く者達を主力とするR&B/Hip-Hopの独擅場となってゆくにつれて、一時は衰退の一途を辿る傾向にあったが、ロックでは、iPodの宣伝にも起用されたシーザーズや、日本の音楽フェスティバル「サマーソニック」に何度も出演しているマンドゥ・ディアオが人気である他、近年ではEDMの隆盛に伴い、スウェディッシュ・ハウス・マフィアやアヴィーチーなどのDJや、その流れを継いだアイコナ・ポップやトーヴ・ローなどの女性アーティストも全世界レヴェルで活躍中である。
スウェーデンでは毎年12月13日に聖ルチア祭が行われ、「一番大切な冬の行事」と言われている。イタリア・シチリア生まれの女性聖者である聖ルチアは貧しい人々に財産の全てを提供した純粋な人と言われている。貧民の生活に光を与えた彼女は、光の聖人として、また農耕の守護神として親しまれている。
16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日だった。冬至は一番日が短い日であるが故、日が長くなり始める日。日が長くなることを祝う古来からの民間信仰に、キリスト教の光の聖人がいつの間にか一体となって現在に至る。
長く暗く寒い三重苦の北欧の冬に一筋の光を投げ込むのが聖ルシア。この日の朝、女の子がいる家庭では白いドレスに蝋燭の冠を被った娘が父親にサフランパンとジンジャークッキーを持って行き、枕元でサンタ・ルチアの曲を歌う。父親はルシアのような光に包まれた娘に起こされる。
近年では職場や学校、教会などで聖ルシア祭が行われ、蝋燭の冠を被ったルシア姫を先頭に同じく白いドレスを着た女の子と星の使いに扮した男の子が行列を作ってサンタ・ルチアなどの歌を歌う。頭に載せたり手に持った蝋燭の淡い光が日の光を切望する北欧の人たちの気持ちを代弁しているようでもある。行列の後はサフランパンやジンジャークッキー、コーヒーやグレッグと呼ばれるホットワインが振る舞われる。
なお、イタリア語読みでルチアだったものが、スウェーデン語読みでルシアに変化している。
1990年代より、移民の増加により「ブロンドの白人でなければルシアになれないのか」という議論が巻き起こり、2000年に初めて非白人のルシアが誕生した。また近年では、移民の中にはキリスト教関連の行事に子供を参加させたくないという親がいることから、扮装などを取りやめた地域も存在する[25]。
スウェーデン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が11件、自然遺産が1件、複合遺産が1件存在する。
日曜日と重なっても振り替え休日にはならないが、祝日の前日が休みになっていたり、労働法により半日休暇を許可されていることが多い。キリスト昇天祭もメーデーと重なる5月1日になる場合があるが(2008年など)、この場合でも振り替え休日は発生しない。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | Nyårsdagen | |
1月6日 | 公現祭(東方の三博士の来訪記念日) | Trettondedag jul | |
復活祭2日前 | 聖金曜日 | Långfredagen | 金曜日 |
復活祭翌日 | イースターマンデー | Annandag påsk | 月曜日 |
5月1日 | メーデー | Första maj | |
復活祭39日後 | 主の昇天(キリスト昇天祭) | Kristi himmelsfärds dag | 木曜日 |
6月6日 | 建国記念日 | Svenska flaggans dag | 2005年より法定休日 |
夏至祭前日 | 夏至祭前日 | Midsommarafton | 金曜日 |
6月20日から6月26日の間の土曜日 | 夏至祭 | Midsommardagen | 元々は6月24日 |
復活祭50日後 | 聖霊降臨後の月曜日 | Annandag pingst | 2004年まで法定休日 |
11月1日 | 万聖節 | Allhelgonadagen | |
12月24日 | クリスマスイヴ | Julafton | |
12月25日 | クリスマス | Juldagen | |
12月26日 | ボクシング・デー | Annandag jul | |
12月31日 | 大晦日 | Nyårsafton |
手厚い国庫負担によって国民の半分が何らかのスポーツに関与している。
特にサッカーが盛んで、FIFAワールドカップでは地元開催の1958年大会で準優勝、1950年ブラジル大会、1994年アメリカ大会では3位に入っている。ブロリン、ラーション、リュングベリ、イブラヒモビッチなど欧州のビッグクラブで活躍する選手も輩出している。
ウィンタースポーツも盛んに行われており、特にアイスホッケーはサッカーを凌ぐ人気スポーツである。NHLデトロイト・レッドウィングスに所属するヘンリク・ゼッターバーグは国民的スター。彼が原動力となり2006年はトリノオリンピックとアイスホッケー世界選手権の両方で金メダルを獲得した。
陸上競技では2004年アテネオリンピックで男子走高跳、男子三段跳、女子七種競技で金メダルを獲得するなど跳躍競技を中心に強い。また当初は陸上競技として捉えられていたものの、スウェーデン軍の斥候訓練が由来とされるオリエンテーリングも非常に盛んであり、他の北欧諸国と同じく強豪国として君臨している。他にボート競技、卓球、繋駕速歩競走など。テニスは国技とされ、日本で言う国技館のようなテニス会場がある。
婚姻の際、以前は父姓に統一するのを原則とし、例外的に別姓とする慣習法があったが、1982年に夫婦同姓・複合姓・夫婦別姓が選択できることが明文化された婚姻法が施行されている。また、2009年からは、同性同士の結婚(同性婚)も認められた。その他、サムボ法がある。
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テンプレート:単位
セルシウス度(セルシウスど、記号:℃/°C)は、温度(セルシウス温度)の物理単位である。欧米では考案者の名前からセルシウス度と呼ばれており、日本などではセルシウスを中国語で書いた摂爾修から摂氏温度(せっしおんど、せしおんど)ともいう。
現在の定義は、「ケルビン(K)で表した熱力学温度の値から273.15を減じたもの」である。元々の定義は水の凝固点を0度、沸点を100度とするものであった(詳しくは#歴史を参照)。
例えばセルシウス度による温度は、日本語では「15℃」または「摂氏15度」という。「C」または「摂氏」を省略しない書き方が正式であるが、日常生活においては単に「15度」と表現することも多く、同様に「度」という表現を用いるファーレンハイト度(華氏温度)や角度と混同される恐れがある。英語では"fifteen degrees Celsius" と読み、"15 deg C"と略記する。日本語の場合にも科学の学術の発音では上記誤解を避けるため「ドシー」と呼ぶこともある。
セルシウス度はスウェーデン人のアンデルス・セルシウスが1742年に考案したものに基づいている。当初は1気圧下における水の凝固点を100℃、沸点を0℃として、その間を100等分し、低温領域、高温領域に伸ばしていた。しかしその後、定義は凝固点を0℃、沸点を100℃とする現在の方式に改められた。これは、カール・フォン・リンネか、セルシウスの用いていた殆どの温度計の製作者であるDaniel Ekstromの換言によるものかもしれないといわれている。
水の沸点と融点の間に100の目盛があることから、この体系のもともとの名称はcentigrade(「百分度」の意)であったテンプレート:要出典。しかし1948年の第9回国際度量衡総会にて、名称が正式にセルシウスへと変更になった。これには、セルシウス自身の認知のためと、SI接頭辞であるセンチ (centi) との衝突からくる混乱(centigradeがgradeという単位の100分の1と勘違いされる)を避けるという目的があった。
その後の物理的な計測方法の進歩と熱力学温度の採用により、現在の定義は「ケルビンで表した熱力学温度の値から273.15を減じたもの」となっている。つまり、水の三重点を0.01℃とし、水の三重点と絶対零度の温度差の273.16分の1を1℃としている。「273.16分の1」という数字は、セルシウス度における1度の温度差をそのままケルビンの1度の温度差として使用するためのものである。すなわち、セルシウス度とケルビンの目盛の幅(1度の温度差)は等しい。なお、この定義により、水の沸点はちょうど100℃から99.974℃に変更された。
セルシウス度は日常の様々なところで用いられているが、英国やアイルランドの放送メディアの中にはセンチグレードと呼ぶところも多い。アメリカのメディアだけは依然単独でファーレンハイト度を用いている。
セルシウス度からファーレンハイト度への換算 <math>F=1.8C+32</math>
ファーレンハイト度からセルシウス度への換算 <math>\textstyle C=\frac{5}{9}(F-32)</math>
-40℃と-40℉が等しいことを利用した、別の換算方法もある。 <math>\textstyle C=\frac{(F+40)}{1.8}-40</math>
テンプレート:温度の単位の比較
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称
テンプレート:CharCode |
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