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ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||
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ジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca
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保全状況評価[a 1][a 2] | |||||||||||||||||||||||||||
ENDANGERED (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Ailuropoda melanoleuca (David, 1869) | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
Ursus melanoleucus David, 1869 |
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Bamboo bear Giant panda |
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ジャイアントパンダ(Ailuropoda melanoleuca)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。中国大陸で進化し、アバ・チベット族チャン族自治州域内が主たる生息地である。現在では中華人民共和国のごく限られた地域(四川省・陝西省など)にわずかな頭数が残存する[1]、竹食などの草食傾向が比較的高い雑食性の大型哺乳類。ネコ目(食肉目)- イヌ亜目- クマ下目 (en) 中のクマ科- ジャイアントパンダ亜科に分類される、ジャイアントパンダ属の、唯一現生する1種。四川と秦嶺の2亜種が知られる(後記「#分類」を参照)。白と黒にはっきりと分かれた体毛が際立った特徴である。
属名 Ailuropoda は、古代ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「猫」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語。 種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。
今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり[2]、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。
「panda」という呼び名の由来については、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する[3][4]「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」(cf. レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり[5][6]、論拠に疑問がある[7]。
中国語で言う「熊猫」(繁体字:熊貓、簡体字:熊猫)も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない[8]。
標準名は「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; ターシュンマオ)。 亜種レベルでは、模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(四川大熊貓 / 四川大熊猫、Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫」(秦嶺大熊貓 / 秦岭大熊猫、Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。
中国語ではパンダは「熊猫」(熊貓 / 熊猫、xióngmāo; シュンマオ)と呼ぶが、台湾では「猫熊」(貓熊 / 猫熊、māoxióng; マオシュン)が一般的である。ジャイアントパンダはそれに大をつけた大熊猫である。クマの仲間であるジャイアントパンダが猫と呼ばれるのは奇異に感じられるが、奥地に棲むジャイアント・パンダの存在は、近代まで地元民以外には知られていなかった(地元民は白熊と呼んでいたらしい[9])。その外部には正体が正確に伝わっていなかった(1934年が初版の辞書『辞海』には「熊猫」の語が収録されているが、60年間に発見され何属何科に属するかいまなおわからない動物(怪獣)とされている[9])。結局、正体が知られるようになるより先に、パンダの訳が熊猫で定着してしまったようである。中華民国では本種の呼称は猫熊で、中国共産党の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある[9]。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、前述の通り中国共産党の影響が大きくない1934年版の辞海においても既に熊猫の語で収録されている[9]。
文献中に見られる最古の記述を探せば、爾雅注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が獏(貘)として記述されており、金属を食べる動物と考えられていた[9]。これは竹を食べる→矢の原料になる竹を食べる→矢を食べる→時代が進んで金属矢を食べる…と変化していったと考える説もある[9]。白居易が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、唐以前にはそれ以外の特徴が無くなったと推定されている[9]。加えて唐時代に本種と同じ白黒模様をしたマレーバクが混在したと推定されている[9]。説文解字注から、清時代でも貘は金属を食べる生物とされている。
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日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、古くは「白黒熊(シロクロクマ、シロクログマ)」「色分熊(イロワケクマ、イロワケグマ)」
とも呼ばれていた。これら異称としての和名は今ではほとんど用いられないが、消えたわけでもない。全ての生物名に漢字表記を当てることを旨としていた近代の博物学および生物学では、これらの名のいずれかが標準和名であった。
1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った[10][11][12][13][14]。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。
クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される[15][16]。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。
パンダの系統についてはパンダの項目を参照
2亜種に分かれる。 表記内容は左から順に、学名、和名(現状未確認)、英語名、特記事項。
2006年、四川省のジャイアントパンダと秦嶺(陝西省)のジャイアントパンダはそれぞれ独立した亜種であることが確認された[18]。差異が生じた原因としては、四川地方と陝西地方の長い歴史に関わっているという説がある。2地方を結ぶ路は交易路としておよそ3000年以上も前から存在し、野生のジャイアントパンダが交流できない状態を形成していたというのである。 過去には茶色い毛並みのジャイアントパンダが陝西省に存在していた[19]。
体長は約120-150センチメートルで、立ち上がると170cm程度になる。オスの体重は約100-150キログラム、メスは約80- 120kgである。生まれた子供の体重は通常100- 200グラム程度と大人の約1000分の1しかない。眼の周り、耳、四肢、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である[20][21]。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている[22][23]」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた[24]」等と考えられている。尾の長さは約13- 20cmであるが、尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない[20]。ジャイアントパンダのぬいぐるみ・人形・キャラクターグッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である[20][21]。
生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている[25]。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める[21][25]。生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う[25]。ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い[21][25]。毛皮は、硬くて脂ぎっている[21]。
通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している[15]。第一中手骨(親指)側にある撓側種子骨と第五中手骨(小指)側にある副手根骨が巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている[21][25]。ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、遠藤秀紀ら (1999) [26]によって示された。パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」[27]と紹介されている。
眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである[25][28]。視力はあまりよくないと考えられていたが、研究によって2000年代、灰色と様々な色合いを区別できることが確認された[29]。
消化器官や歯の構造はクマやアザラシ等、他の肉食動物と大変似ている。犬歯は大きく、奥歯も大きく平らな臼歯で人間のおよそ7倍の大きさである[21][25]。腸や盲腸は草食性としては短い構造がデメリットとなり、セルロースを多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている[21][25]。
現在は竹林に棲み、竹食のほか、小型哺乳類・魚・昆虫等の小動物、果物を食べることもあり[21][28][30]、他のクマ類と同様に肉食を含む雑食性の特徴も微少であるが残っている。昔は動物園でも肉を与えていたケースもある[30]。氷期の到来による気候変動がもたらす食糧不足から偏食を余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている[30]。しかしながら現在は、中国の飼育環境では、竹以外にも肉や野菜などを中心とした餌が与えられ、竹食中心とは言いがたい。
群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。他のクマ科動物と異なり、冬眠はしない。繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり、マーキング(territorial marking)が行われることもある[21][22]。メスの受胎が可能な期間は数日ほど。妊娠期間は3か月から6か月で、通常1頭または2頭の子供を出産する。繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある[21]。近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している[16]。
外見や動作の特徴は人間にとって「愛らしさ」と映り、そのような面が注目を集めるが、クマ科動物として気性の荒い一面も併せ持っている。動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が過去には何件か発生している[28]。
2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈、甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。中国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州にある臥龍自然保護区(en. 約2,000平方キロメートル)である。また、国家一級重点保護野生動物にも指定されている。
臥龍自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年の四川大地震によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となった臥龍のセンターは放棄され、近隣の耿達郷にセンターを再建する計画がある。臥龍自然保護区の野生パンダの生息環境も破壊が激しく、多くの野生パンダが死滅するという予測がある。そのため、野生パンダを広州のサファリパークに移送する案も出ているが実現に至っていない。
中華人民共和国では、ジャイアントパンダの密猟は重罪とされている。過去には死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され、現在は20年の懲役刑が最高刑となっている[16]。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている[16][31]。
経済発展が続く中華人民共和国では生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある[24]。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる[16][30]。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている[16]。
2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40%増えている。
カナ名 | 漢字名 (英語名) |
性 別 |
出生日 ※推定 |
来日日/ 日本で生誕 |
死亡日/ 現住地 |
日本出国日 | 居住地 (滞在地) |
父母 |
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カンカン | 康康(Kang Kang) | オス | 1970年 11月※ |
1972年10月28日 | 1980年 6月30日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | |
ランラン | 蘭蘭(Lan Lan) | メス | 1968年 11月※ |
1972年10月28日 | 1979年 9月4日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | |
フェイ フェイ |
飛飛(Fei Fei) | オス | 1967年 ※ |
1982年11月9日 | 1994年 12月14日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | |
ホアン ホアン |
歓歓(Huan Huan) | メス | 1972年 ※ |
1980年1月29日 | 1997年 9月21日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | |
チュチュ | 初初(Chu Chu) | オス | 1985年 6月27日 |
日本 | 1985年 6月29日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 |
トントン | 童童(Tong Tong) | メス | 1986年 6月1日 |
日本 | 2000年 7月8日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 |
ユウユウ | 悠悠(You You) | オス | 1988年 6月23日 |
日本 | 2004年 3月4日 |
1992年11月13日 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 |
リンリン | 陵陵(Ling Ling) | オス | 1985年 9月5日 |
1992年11月5日 2001年4月25日 |
2008年 4月30日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | |
シュアン シュアン |
双双(Shuan Shuan) | メス | 1987年 6月15日 |
2003年12月3日 | チャプルテペック動物園 | 2005年9月26日 | 東京都恩賜上野動物園 | |
シャン シャン |
珊珊(Shan Shan) | オス | 1955年 | 1980年3月23日 | 1985年 6月 |
1980年6月2日 | 福岡市動物園 | |
パオリン | 宝玲 (Bao Ling) |
メス | 1963年 | 1980年3月23日 | 1988年 12月 |
1980年6月2日 | 福岡市動物園 | |
ウェイ ウェイ |
偉偉(Wei Wei) | オス | 1973年 | 1981年1月6日 | 1992年 3月 |
1981年 | 上海雑技団 (日本巡回) |
|
サイサイ | 寨寨(Zhai Zhai) | オス | 1975年 | 1981年3月10日 | 1999年 2月 |
1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 | |
ロンロン | 蓉蓉(Rong Rong) | メス | 1964年 | 1981年3月10日 | 1993年 | 1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 | |
トントン | 東東(Dong Dong) | オス | 不明 | 1989年9月15日 | 成都動物園 | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 | |
ビンビン | 冰冰(Bing Bing) | メス | 1986年 8月6日 |
1989年9月15日 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 | |
コウコウ (初代) |
興興(Xing Xing) | メス | 1996年 8月12日 |
2000年7月16日 | 碧峰峡基地 | 2002年12月5日 | 神戸市立王子動物園 | |
タンタン | 旦旦(Tan Tan) | メス | 1995年 9月16日 |
2000年7月16日 | 神戸市立王子動物園 | 神戸市立王子動物園 | ||
コウコウ (2代目) |
興興(Xing Xing) | オス | 1995年 9月14日 |
2002年12月9日 | 2010年 9月9日 |
日本で死亡 | 神戸市立王子動物園 | |
※名前なし | ※名前なし | 不明 | 2008年 8月26日 |
日本 | 2008年 8月29日 |
日本で死亡 | 神戸市立王子動物園 | 興興/旦旦 |
シンシン | 辰辰(Shen Shen) 申申? |
オス | 不明 | 1988年3月25日 (1988年7月9日) |
成都動物園 | (1988年7月5日) (1988年9月18日) |
池田動物園 函館EXPO'88 |
|
ケイケイ | 慶慶(Qing Qing) | メス | 1984年 9月9日 |
1988年3月25日 (1988年7月9日) |
成都大熊猫繁育研究基地 | (1988年7月5日) (1988年9月18日) |
池田動物園 函館EXPO'88 |
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エイメイ | 永明(Yong Ming) | オス | 1992年 9月14日 |
1994年9月6日 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | ||
ヨウヒン | 蓉浜(Rong Bin) | メス | 1992年 9月4日 |
1994年9月6日 | 1997年 7月17日 |
日本で死亡 | アドベンチャーワールド | |
メイメイ | 梅梅(Mei Mei) | メス | 1994年 8月31日 |
2000年7月7日 | 2008年 10月15日 |
日本で死亡 | アドベンチャーワールド | |
ラウヒン | 良浜(Liang Bin) | メス | 2000年 9月6日 |
日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 母: 梅梅 | |
ユウヒン | 雄浜(Xiong Bin) | オス | 2001年 12月17日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2004年6月21日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
リュウヒン | 隆浜(Long Bin) | オス | 2003年 9月8日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2007年10月27日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
シュウヒン | 秋浜(Qiu Bin) | オス | 2003年 9月8日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2007年10月27日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
コウヒン | 幸浜(Xing Bin) | オス | 2005年 8月23日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2010年3月15日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
※名前なし | ※名前なし | オス | 2005年 8月24日 |
日本 | 2005年 8月25日 |
日本で死亡 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
アイヒン | 愛浜(Ai Bin) | メス | 2006年 12月23日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2012年12月14日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
メイヒン | 明浜(Ming Bin) | オス | 2006年 12月23日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2012年12月14日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
メイヒン | 梅浜(Mei Bin) | メス | 2008年 9月13日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2013年2月26日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
エイヒン | 永浜(Yong Bin) | オス | 2008年 9月13日 |
日本 | 成都大熊猫繁育研究基地 | 2013年2月26日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
カイヒン | 海浜(Hai Bin) | オス | 2010年 8月11日 |
日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | |
ヨウヒン | 陽浜(Yang Bin) | メス | 2010年 8月11日 |
日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | |
リーリー | 力力(Li Li) | オス | 2005年 8月16日 |
2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | ||
シンシン | 真真(Zhen Zhen) | メス | 2005年 7月5日 |
2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | ||
※名前なし | ※名前なし | オス | 2012年 7月5日 |
日本 | 2012年 7月11日 |
日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 |
ユウヒン | 優浜 | メス | 2012年 8月10日 |
日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
中華人民共和国の中国共産党は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆる「パンダ外交」を展開してきた。これが転じて、アメリカなどでは親中派が「パンダ・ハガー(panda hugger、パンダを抱く人)」と呼ばれることがある。
日本においては[39]、1970年代にジャイアントパンダの大ファンである黒柳徹子が紹介し、その後日中国交正常化により上野動物園に中国から2頭贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。
また、2005年に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている中華民国(台湾)の比較的親中的な野党である中国国民党および親民党代表団が中華人民共和国を訪問した際に、中国共産党側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。これに対して民主進歩党出身の陳水扁政権は、ワシントン条約に基づき、中華人民共和国政府が輸出許可書を発行することを求めた。これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。しかし、中華人民共和国政府は「国内移動」として、これを拒否した。そのため、中華民国政府はパンダの輸入を許可していない。しかし2008年の馬英九政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。
現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で学術研究目的以外での取引は難しいため[40]、外交としてパンダが贈られることはなくすべて「中国籍」でレンタルとなっている[40][41][42][43]。過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、しかし、片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となり、課金対象になってしまう[42][43]。また、そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている[42][44]。その資金は本種の研究費や生息地保護資金に充てられている[16][40][43]。このような事情から、資金難から本種を返還した国もあり[42]、本種はもはや外交ではなく、ビジネスであるとも言われている[40][41][42]。
日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。
また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本のパトカー[49]や、民間車両ではトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE80系)の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。 また、イロワケイルカを体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、ナマズ目のコリドラスの一種にも、その体色からCorydoras panda(Nijssen & Isbrücker, 1971) という学名がつけられたものがいる。
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