出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2021/06/18 22:22:30」(JST)
合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ、英:total fertility rate、TFR)とは、人口統計上の指標で、一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均を示す。この指標によって、異なる時代、異なる集団間の出生による人口の自然増減を比較・評価することができる[1]。
女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと規定し、それぞれの出生率を出し、足し合わせることで、人口構成の偏りを排除し、一人の女性が一生に産む子供の数の平均を求める[2]。
ある年において、を「調査対象において、年齢
x {\displaystyle x}
の女性が一年間に産んだ子供の数」、
g ( x ) {\displaystyle g(x)}
を「調査対象における年齢
x {\displaystyle x}
の女性の数」とすると、その年の合計特殊出生率は
∑ x = 15 49 f ( x ) g ( x ) {\displaystyle \sum _{x=15}^{49}{\frac {f(x)}{g(x)}}}
で表される。
一般に合計特殊出生率とは期間合計特殊出生率を指す。
コーホート(同年代に生まれた人々)の出生率を積み上げて求める。
特定のコーホートの出生力を示すもので、最終的な数字はコーホートが50歳になるまで確定しない。
人口の男女比が1対1と仮定し、すべての女性が出産可能年齢範囲の上限である49歳を超えるまで生きるとすると、合計特殊出生率が2であれば人口は横ばいを示し、これを上回れば自然増、下回れば自然減となるはずである。 しかし、実際には生まれてくる子供の男女比は男性が若干高いこと、また出産可能年齢範囲の下限である15歳以下で死亡する女性がいることなどから、医療技術や栄養状態が相対的に良好な現代先進国においても自然増と自然減との境目は2のぴったりではなく、2を上回る計算になる。もちろん、戦争や貧困など様々な原因で乳児死亡率が高い地域(アフリカや南アジアの国など)や、文化的に女児よりも男児を出産することを好む傾向がある地域(中華人民共和国など)では、人口維持にはより高い合計特殊出生率が必要となる。
期間合計特殊出生率は、言い換えると「ある年における全年齢の女性の出生状況を一人の女性が行うと仮定して算出する数値」であるが、調査対象のライフスタイルが世代ごとに異なることなどから、「一人の女性が一生に産む子供の数」を正確に示すものではない。具体的には、早婚化などにより出産年齢が早まると、早い年齢で出産する女性と、旧来のスタイルで出産する女性とが同じ年に存在することになるので、見かけ上の期間合計特殊出生率は高い値を示す。逆に、晩婚化が進行中ならば、見かけ上の期間合計特殊出生率は低い値を示す。
厚生労働省が発表する「人口動態統計特殊報告」によると、終戦直後の出産解禁現象により生じた第1次ベビーブームの頃には期間合計特殊出生率は4.5以上の高い値を示したが、その後出生率が減少し人口減少が起こるとされる水準(人口置換水準)を下回った。1966年(昭和41年)は丙午で前後の年よりも極端に少ない1.58であった。その後、死亡率の減少による人口置換水準の低下により1967年(昭和42年)から1973年(昭和48年)まで、人口置換水準を上回っていたが、それ以降下回るようになった[3]。
団塊の世代が出産適齢期から完全に抜けた1989年(昭和64年・平成元年)には1966年(昭和41年)の丙午の数値1.58をも下回る1.57であることが明らかになり、社会的関心が高まったため1.57ショックと呼ばれ、少子化問題が深刻化した[3]。その後も徐々に数値は減少していき、2005年(平成17年)には1.26にまで減少した。失われた10年や就職難のあおりを受け、結婚や出産適齢期である層が経済的に不安定だったことや、子育てに対する負担感が増大していることなどが挙げられている[4]。
しかし、景気が徐々に回復したこと(第14循環)や30代後半である団塊ジュニアの最後の駆け込み出産などの理由により[5]、2006年(平成18年)以降はやや上昇方向へ転じ[6]2015年(平成27年)の合計特殊出生率は1994年(平成6年)以来の最高値となる1.45であった[7]。
2007年(平成19年)以降は、合計特殊出生率の上昇にもかかわらず、出生数は減少傾向にあり、2016年(平成28年)からは100万人を下回り2018年の出生数は91.8万人であった[8][9]。これは、出産が可能な女性の総人口が減少していることによるものである。[10]。
団塊ジュニア世代の駆け込み出産も終わった2019年(令和元年)には、出生数が86万5234人で初の90万人割れとなった。また、合計特殊出生率も4年連続で低下して1.36となった。2020年版の少子化社会対策白書では、現状を「86万ショック」と呼ぶべき状況であると危機感が表現された[11]。
年 | 出生数(人) | 合計特殊出生率 |
---|---|---|
1947(昭和22) | 2,678,792 | 4.54 |
1948(昭和23) | 2,681,624 | 4.40 |
1949(昭和24) | 2,696,638 | 4.32 |
1950(昭和25) | 2,337,507 | 3.65 |
1951(昭和26) | 2,137,689 | 3.26 |
1952(昭和27) | 2,005,162 | 2.98 |
1953(昭和28) | 1,868,040 | 2.69 |
1954(昭和29) | 1,769,580 | 2.48 |
1955(昭和30) | 1,730,692 | 2.37 |
1956(昭和31) | 1,665,278 | 2.22 |
1957(昭和32) | 1,566,713 | 2.04 |
1958(昭和33) | 1,653,469 | 2.11 |
1959(昭和34) | 1,626,088 | 2.04 |
1960(昭和35) | 1,606,041 | 2.00 |
1961(昭和36) | 1,589,372 | 1.96 |
1962(昭和37) | 1,618,616 | 1.98 |
1963(昭和38) | 1,659,521 | 2.00 |
1964(昭和39) | 1,716,761 | 2.05 |
1965(昭和40) | 1,823,697 | 2.14 |
1966(昭和41) | 1,360,974 | 1.58 |
1967(昭和42) | 1,935,647 | 2.23 |
1968(昭和43) | 1,871,839 | 2.13 |
1969(昭和44) | 1,889,815 | 2.13 |
1970(昭和45) | 1,934,239 | 2.13 |
1971(昭和46) | 2,000,973 | 2.16 |
1972(昭和47) | 2,038,682 | 2.14 |
1973(昭和48) | 2,091,983 | 2.14 |
1974(昭和49) | 2,029,989 | 2.05 |
1975(昭和50) | 1,901,440 | 1.91 |
1976(昭和51) | 1,832,617 | 1.82 |
1977(昭和52) | 1,755,100 | 1.80 |
1978(昭和53) | 1,708,643 | 1.79 |
1979(昭和54) | 1,642,580 | 1.77 |
1980(昭和55) | 1,576,889 | 1.75 |
1981(昭和56) | 1,529,455 | 1.74 |
1982(昭和57) | 1,515,392 | 1.77 |
1983(昭和58) | 1,508,687 | 1.80 |
1984(昭和59) | 1,489,780 | 1.81 |
1985(昭和60) | 1,431,577 | 1.76 |
1986(昭和61) | 1,382,946 | 1.72 |
1987(昭和62) | 1,346,658 | 1.69 |
1988(昭和63) | 1,314,006 | 1.66 |
1989(平成01) | 1,246,802 | 1.57 |
1990(平成02) | 1,221,585 | 1.54 |
1991(平成03) | 1,223,245 | 1.53 |
1992(平成04) | 1,208,989 | 1.50 |
1993(平成05) | 1,188,282 | 1.46 |
1994(平成06) | 1,238,328 | 1.50 |
1995(平成07) | 1,187,064 | 1.42 |
1996(平成08) | 1,206,555 | 1.43 |
1997(平成09) | 1,191,665 | 1.39 |
1998(平成10) | 1,203,147 | 1.38 |
1999(平成11) | 1,177,669 | 1.34 |
2000(平成12) | 1,190,547 | 1.36 |
2001(平成13) | 1,170,662 | 1.33 |
2002(平成14) | 1,153,855 | 1.32 |
2003(平成15) | 1,123,610 | 1.29 |
2004(平成16) | 1,110,721 | 1.29 |
2005(平成17) | 1,062,530 | 1.26 |
2006(平成18) | 1,092,674 | 1.32 |
2007(平成19) | 1,089,818 | 1.34 |
2008(平成20) | 1,091,156 | 1.37 |
2009(平成21) | 1,070,035 | 1.37 |
2010(平成22) | 1,071,304 | 1.39 |
2011(平成23) | 1,050,806 | 1.39 |
2012(平成24) | 1,037,231 | 1.41 |
2013(平成25) | 1,029,816 | 1.43 |
2014(平成26) | 1,003,539 | 1.42 |
2015(平成27) | 1,005,677 | 1.45 |
2016(平成28) | 976,978 | 1.44 |
2017(平成29) | 946,060 | 1.43[13] |
2018(平成30) | 918,397 | 1.42 |
2019(令和01) | 865,239 | 1.36 |
2020(令和02) | 840,832 | 1.34 |
※赤字は最低値。2020年は推計値。
以下のグラフは、1947年(昭和22年)以降の合計特殊出生率と出生数の推移を表したものである。
合計特殊出生率と出生数の推移
都道府県別の合計特殊出生率の比較では、一貫して沖縄県が全国最高、東京都が全国最低を続けている。2018年の最高値は沖縄県の1.89、次いで島根県の1.74である。逆に最低値は東京都で1.20、次いで北海道の1.27となっている。
全国的には2つの傾向がある。おおむね都市部で低く地方で高い傾向がある。もう一つは沖縄や九州を始めとする西日本で高く、北海道や東北地方を始めとする東日本で低い傾向がある[14]。例えば、都市部とは言えない北海道や秋田県(1.33)も全国的に見て非常に低い水準に達している。
都市部で低いことは以前から指摘されていたが、西高東低は古来からの傾向ではなく、2005年頃に現れ徐々に拡大している[15]。このような傾向の明確な理由は判明していない。従来都市と地方の合計特殊出生率の差を説明するのに使われていた各種指標も、各地方間の差を説明できていない[16]。例えば、親との同居率も、合計特殊出生率の低い東北地方は全国で最も高い一方、出生率の高い九州沖縄地方は全国平均よりむしろ低い。
なお、戦前の統計によると、現在とは逆に東高西低の傾向が顕著であった。1925年の統計では、合計特殊出生率の上位5道県は全て北海道及び北東北地方に占められ、九州四国中国地方は全国的に見ても低い水準にあった。特に沖縄県に至っては大阪府と並んで全国最低水準だった。
2005年以降、三大都市圏では中京圏の高さが飛び抜けている。愛知県は北海道、東北、関東地方の全ての都道県より高く、愛知県以東21都道県の中で愛知県(1.54)より高いのは長野県(1.57)だけというほどの高さに達している。
フランスの合計特殊出生率は「婚姻多様化政策などフランス政府の出産支援政策」のために2.1を超えて回復したと言われているが、実際には移民同士の夫婦や海外領土出身者の出生率が高いことに理由がある。統計において、移民を含む両者がフランス国籍の白人夫婦の合計特殊出生率は1.6で日本よりも0.2ほど高い程度である。
1995年-2000年にかけてフランス国籍夫婦の子、移民夫婦の子の両方が増加していた。しかし、2000年以降はフランス国籍夫婦の子の数は横ばいで、フランス国籍と移民による子が増加し、比率も2000年には8.6%だったのが、2010年には13.3%まで伸びて国内の出生の一割を超えた。フランスにおける出生数の増加は「フランス国籍と移民の間の子」「移民夫婦の子」の増加によるものである。フランス国籍と移民の間の子の内訳で、移民出身国はヨーロッパが15%、フランス語圏のアフリカが65%、トルコを中心にアジアからが15%程度である。フランス国籍と移民の間の子のうち、片親が仏以外の白人が多い欧州連合(EU)圏内の国籍なのは15%に過ぎず、フランス国籍の妻とEU外の夫の子供が44%、フランス国籍の夫とEU外の妻が41%となっている。更にこの数字は、出産時にフランス国籍の場合と移民である場合を分類する。フランス語圏のアフリカやトルコなどイスラム圏からフランス国籍取得後に同郷の男性や女性を呼びよせが含まれておらず、白人フランス人夫婦の出生率は減少に歯止めがかかっていない。「フランス国籍と移民の間の子」が自由恋愛によりも国籍取得前や先祖の地縁・血縁による結婚に由来する可能性が高いことが、実質国境がなく行き来が楽なEU圏内の夫婦の子供が15%しかいないことから示唆されている。
EU圏外の相手との結婚が多いという事実は、イギリス国内と同様に国籍取得したイスラム教徒は親が決めた配偶者候補を呼び寄せて結婚していることが多い。特に女性の結婚は親が決めることが多く、ムスリム男性であってもイギリス国内では白人との結婚はイスラム・コミュニティーからの追放を意味するため、国籍問わずイスラム教徒と結婚して沢山出産するためにイスラム・コミュニティーが拡大して昔からの現地人と軋轢が生じている。これはイギリスでEU離脱を支持する者が増える理由になった。
スウェーデンやドイツでも移民など非白人夫婦の出生した子供で占める割合が増加して、白人は減少の一途を辿っている。イギリスの政治学者エリック・カウフマンはイスラム教徒でも世俗主義・無神論の思想に近づくほど出生率が落ちていることを統計から示し、逆に原理主義者の人口によるヨーロッパでの増加とその後の圧倒は止められないと指摘している。日本がバブルの時期でも出生率が上昇せず減少していたように、フランスやイギリスでも同様に所得が増加しても産児数は増加しないことが判明している。
出生率減少の背景には、かつては職場の紹介やお見合いで誰もが結婚していた皆婚時代から都市部で既婚者が低かった江戸時代のように都市化で婚姻率自体が低下していることがある。これは景気の良かったバブル時代でも「結婚しているのが普通」との価値観が減退して婚姻率と共に出生率が下がっていたように、お見合い文化や知人からの異性紹介など復活させて婚姻率自体を高めたり、移民受け入れよりも「三人以上出産後でもきちんと育児している家庭」への税制優遇すべきとの主張の根拠になっている。カウフマンは移民希望者への世俗義務化、受け入れ国の言語習得しない者・母国民族主義者や宗教原理主義者・受け入れ国のルールを守らない者などは国外追放など厳格な制度にしないと軋轢が増すだけとしている。
内海夏子によるとイギリスやドイツ、スウェーデンなど北欧・欧州各国でもイスラム教を中心に原理主義による名誉殺人や移民が持ち込む犯罪が発生しており、その多くの犠牲者は女性である。スェーデンは出生率維持のために移民政策を、採用している。移民の文化的慣習を抑制や禁ずるような政策を実行しようとすれば、「人種差別だ」という批判の声があがるため、対策ができないでいる。逆にイラクからの移民である人権活動家サラ・モハメッドやクルド系ジャーナリストのディルシャ・テミルバグスタンなどは「名誉を口実にした暴力は移民文化に根ざすもの。解決の糸口をつかむには、その文化的背景に目を向けなければならない」として受け入れ国の文化やルールを守らない非世俗移民移民を受け入れる移民政策の問題を指摘している。
極低出生率("lowest-low fertility")という語は、合計特殊出生率(TFR)が1.3以下の場合に用いられる[17]。この現象は、東欧、南欧、東アジアの国々に多く見られる[18]。2001年時点で、ヨーロッパの人口の半分以上が極低出生率国に居住していたが、欧州ではそれ以来合計特殊出生率は微増している[19]。
歴史上、世界最低の合計特殊出生率を記録したのは中国黒竜江省ジャムス市の0.41。中国国外では、旧東ドイツ(1994年)の0.77や大韓民国ソウル特別市(2020年)の0.64がある。
合計特殊出生率が 1.37 であった2008年の統計では、総再生産率が 0.67 であり、純再生産率が 0.66 であった[20]。
ウィキメディア・コモンズには、合計特殊出生率に関連するメディアがあります。 |
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リンク元 | 「合計特殊出生率」「総再生産率」「crude reproduction rate」 |
関連記事 | 「再生産率」「再生」「生産」「率」 |
合計特殊出生率 | |
昭和60年 | 1.76 |
平成7年 | 1.42 |
平成17年 | 1.26 |
平成18年 | 1.32 |
平成19年 | 1.34 |
平成20年 | 1.37 |
平成21年 | 1.37 |
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