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林冠(りんかん)とは森林において、太陽光線を直接に受ける高木の枝葉が茂る部分を指す。
形態的にはどのようなものであるにせよ、森林がある場合には、必ずその上層部に同化組織の集中する層があるので、これを林冠という。個々の樹木については樹冠とも言う。ただし、樹冠生態系と言う表現も最近使われる。
植物は太陽光線を受けて光合成をすることで生活している。光合成を行う部分、一般には葉であるが、それが広がって光を受ければ、当然その下側では光が少なくなる。したがって、植物は高く伸びて、上に葉を広げる。森林では高木層の木が一番上に伸び、広く葉を広げる。森林内には、高木層の下になる高さの木もあるが、それらはあまり枝葉を広げない。森林全体で見れば、一番上の面に枝と葉が集中した層があることになる。これを林冠というのである。
林冠部は、我々からは手が届かず、見えにくい部分であるが、森林の構造上、最も光合成、物質生産が盛んに行われている層でもある。
日本の広葉樹林で、林の中に入って上を見れば、ほぼ全面が木の葉に覆われているのがわかる。よく発達した森林の場合、林の木の高さはある程度揃っている。
広葉樹は、単独で育った場合には、ほぼ真っすぐに上に向いた幹のあちこちから横に枝を出し、その先に小枝を広げて多数の葉をつける。種類によっても異なるが、それは横から見れば、幹の中程から上を覆う、丸や楕円形の囲いのような形になる。しかし、森林の中にあれば、隣接する高木と接して、上の面しか光が当たらないので、幹の上の方に枝葉が集中する。単独で横から見れば、幹の上の方に傘をかぶったような形である。常緑樹林(照葉樹林)では特に上の面に枝葉が集中するので、外から見ると、森は多数の傘型の盛り上がりが並んだように見える。
どのような森林でも、上記のような林冠があるかと言えば、そうではない。サバンナのような疎林であれば、はっきりした層は見られないし、熱帯多雨林では、逆に林冠を突き抜けてそのうえに出る超高木層が見られる。はっきりした狭い層が見られるのは、森林が発達可能ではあるが、やや厳しいところである。つまり、冬のある日本においては、この層より上に抜き出て生活するのが植物にとって困難だということである。海岸林では、さらに樹高が揃い、林冠は非常に滑らかな外見をなす。
樹木の活動は、林冠部で最も盛んである。光を受けて光合成を行い、新芽を出し、花を咲かせ、果実を着けるのは、高木の場合、多くはこの層で行われる。つる植物は木をよじ登り、樹冠に出て初めて花をつけるものが多い。下からたどり着くのは難しいが、鳥や昆虫のように森林を上から眺めることができるものからは目立つ場所である。
高木層の下には、やや低い樹木が層を作り、これを亜高木層と言う。亜高木層を構成する樹種には、高木層には顔を見せないものもあるが、多くの場合、高木層の構成樹種であり、上の層が空けば、それを埋めるべく待機しているものである。しかし、樹木の寿命は非常に長いものであるから、この待機は長期にわたる場合が多く、耐え切れずに枯死するものが多い。
動物にとって、林冠層は食料が多い層である。生産量の集中する層であり、新芽や花、果実など、よく食物として利用される部分もここに集中する。
問題は、それらが地表からはるかに高いところにあることである。日本の樹木でも普通は20mかそれ以上に達するし、熱帯多雨林では50mを越えるものが普通である。水中では水の密度が生物体のそれとさほど変わらないから、水平にでも垂直にでも、水中を移動するのにさほどのエネルギーの消費を必要としない。しかし地上では空気の比重がはるかに小さいから、特殊な能力なしにはそのような移動ができない。高い樹上には、普通は幹を伝ってはい上がる必要がある。昆虫のように小型の動物にとっては樹皮が十分に凹凸に満ちた基盤であるから、地表を移動する能力があれば、そこそこには木登りができる。うっかり落ちても、空気の抵抗で大事には至るまい。しかし、脊椎動物程度の体格となれば、木登りにも困難が伴うし、落ちれば命にかかわる。
もう一つの問題が、それらが互いに連続した基盤の上にはないことである。樹木は、一部の例外を除けば根元から太い幹が伸び、途中で次第に枝分かれしつつ幹が細くなり、広く枝を広げ、隣の木とは枝で接する。林冠は細い枝が互いに触れ合うか触れ合わないかで接した姿をしている。そこを水平に移動するには、どこかで枝から枝、葉から葉へ飛び移る必要がある。これは昆虫程度の体格であっては難しいし、脊椎動物では細い枝先まで出ることが困難であり、飛び移るべき距離はより大きくなる。かといって、下に降りれば幹が太くなるにつれて互いの距離も広まる。地上に降りて移動し、新たに幹を上るのは簡単な方法ではあるが、大変なエネルギーの消費を伴う。動物が樹上生活を行うには、この問題を解決する必要があり、それは以下のような形で行われている。
なお、日本の山村の子供にも、かつては木登りの文化があり、子供たちは集まって裏山に入り、登りやすいシイノキに登っては枝から実をつまんで食べていた。下手なうちは、登りやすい木に登ってそこで食べるだけだが、次第に上手になると、そこから枝を伝わり、さらには跳躍してより高い木に登り、そこでより沢山の実を手にいれた。
林冠は生産量も多く、餌に満ちており、昆虫や鳥にとっては生活のしやすい場である。
温帯林においてはこの層で生産されたものはその一部は昆虫に食われ、それらを鳥が食い、その鳥が猛禽にねらわれるというような食物連鎖が成立している。
ただし、老廃物の多くは地表に落ち、また、植物の生産物のうちの枯死分も地表に落ちる。そこではこれらの分解を行う生物(分解者)を含んで土壌が形成され、多くの動物がここにも生活している。
熱帯多雨林においては、林冠部には樹木の同化組織だけでなく、その表面に多量の着生植物がつき、植物の構成がはるかに複雑になっている。また、地表に届く前に分解される部分も多く、生物相が温帯林よりも樹上に片寄っている。
林冠が一つの生態系であるとの考え方は、比較的新しいものである。二十世紀後半までは、林冠については研究がほとんど行われなかった。この理由は、大きくは二つあると思われる。一つは方法の難しさ、もう一つはむしろ林床のほうが重視されたためである。
第一の理由の一つは、何よりも我々が樹上動物ではないことである。サルとしては大きすぎ、重すぎる体格は、樹上での活動をいたく困難にしている。それよりは森の下を歩いていた方が楽であり、そこで見られる生物も十分に多様である。
そうして地上を見れば、大型動物はたいてい地上性である。果実も落ちてきた物を食べるし、地上をかきまぜて土中からえさを漁る。さらに地表には多くの落ち葉や枯れ枝などの植物遺体が積もり、土壌が形成される。そこには多量の土壌動物が生息し、腐性食物連鎖がある。つまり地上の生態系は生産層である林冠の下に、分解層である土壌があって、ここが中々に豊かなのである。そこで森林の生態系を考える時には土壌を無視できない。土壌中の生物を探すのは難しいが、土壌動物採集のために装置が考案され、土壌微生物も分離法が開発された。
その一方で、林冠については研究が進まなかった。全くないわけではなく、たとえば1970年代の生産性生態学のはやったころには、その場の生物をすべて採集する試みがあった。たとえば一本の樹木全体に布をかけ、農薬を散布し、落ちてくる動物をすべて採集する、などの方法である。その結果、それまでに知られていなかった動物が採集されたり、樹上にいるとは思われなかった動物が見つかったりした例があったものの、大きな流れとはならなかった。
そこに、困難さの理由のひとつめのもう一つの側面がある。樹上に到達する方法が難しい事と同時に、その場での生物採集や観察がまた難しいのである。水中や土壌では、その基質そのものを、ひとまず均一なものと見なし、その一部を切り取り、漉し取ることで生物相の採集研究が行われ、定量調査がなされた。それはたとえばプランクトンネットであり、ベルレーゼ装置であったわけである。しかし、樹上では基盤そのものが不連続であり、その一部を切り取る訳には行かない。しかもそこに生活する動物が我々より運動性能に優れているのでは、採集もままならないのである。それでも温帯ではそこに生活する動物もさほど多くなく、地上に多くの生物がいる。それを研究するだけで十分な仕事がある。しかし、熱帯多雨林では地上に生物の影が薄く、土壌の層も薄い。どうしても木の上を見ないではすまされない。
1990年代後半から、主に熱帯雨林や温帯雨林の林冠部を中心とした生態系の研究が進み、天敵を避けるサルやナナフシなどの多様な草食動物の生息環境として注目を浴びている。
人工林では、林冠が過密となり林床に太陽光線が届かなくなると、下層植生が衰退して土壌の流出が起きやすくなることから、間伐や枝打ちなどの林業が行われる。
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