出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/04/27 06:29:56」(JST)
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屠殺(とさつ)ないし屠畜(とちく)とは、家畜等の動物を殺すことである。「屠」は「ほふる」の意であるが、近年の日本では、「屠」の文字が常用漢字ではないことから、と殺やと畜と表記されることも多い。一般的には食肉や皮革等を得るためだが、口蹄疫などの伝染病に感染した家畜を殺処分する場合にもこの語が使用される。
なお、この「屠殺」という言葉は、差別用語と見なされる場合がある。しかし「屠畜」以外に日本語に特に該当する言い換え語が無く、食肉加工業の中に曖昧化されて含まれる傾向が見られる。
類義語には〆る(しめる:一般的に鶏や魚に用いる表現)やおとす、または潰す(つぶす:一般的に鶏や牛や豚に用いる表現)がある。
屠殺は、人間が家畜を飼うようになって以降、肉を食べたりその皮革を利用するために行われてきた。それ以前には、野生動物を捕獲する際に致命傷を与えるなどして殺害していたが、これは「捕殺(ほさつ)」とも呼ばれ、動物を捕らえるために殺す・その肉体を確保するために殺す行為(→捕食)であることから、屠殺とは区別される。
屠殺は、社会の発展と都市構造の発生・発展に伴い、次第に分業化と一元化されるようになってきた。古くは各家庭もしくは酪農家で家畜の生命を絶つ行為が一般的に成されていた物が、肉屋などの専門業種による屠殺へと変化し、更にはと畜場や食肉工場といった専門施設における集中処理へと変化し、世間一般の目には触れないようになっていった。
方法は各国の歴史文化などにより異なる。古くはイスラムなどで行われるナイフで頚動脈を切る、斧で首を切りつける方法であった。また特殊な例ではモンゴルなどで行われる心臓付近にナイフで傷をつけ、手を差し込んで心臓の血管をちぎるというものがある。以前は日本でも人手でとがったハンマーで頭部を強打する方法や棒を射出する銃で狙撃する方法がとられていたが、動物の苦痛を減らすため電気ショック法や二酸化炭素などに変わった。
これらは主に、動物の生命を絶ち食肉に加工する上で発生する血液や食品廃材といった副生成物(産業廃棄物)の処理や、あるいは食糧生産や環境に対する衛生面での配慮、加えて「殺害する」という面での倫理的な不快感といった事情にも絡んでの分業化・一元化であるが、特に宗教などの食のタブーといった理由から、特定の処置が食料生産に求められる地域では、一種の宗教的な施設であるという側面も持つ(→カシュルートやシェヒーターなど)。
1867年(慶応3年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川嘉兵衛が、江戸荏原郡白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろうという。明治以降、屠場を設立する者の数は増え、日露戦争の時には全国で約1,500を算えた。しかしその設備の不完全、また衛生上、保安上改善を要する点が多く、1906年(明治39年)に屠場法が制定された。
日本国内における牛馬の屠殺は、その歴史的な経緯から不浄な行いというイメージも付きまとい、そこには食用家畜を単なる消費という、他の肉食文化では日常の延長に存在した行為として位置づけられず、専ら被差別階級の人々が行ってきたことという解釈がなされることが多い。
しかし、その日本でも更に歴史を紐解けば、いわゆる生贄なども含め儀礼における祝いをあらわす「祝(歴史的仮名遣:ほふり 現代仮名遣い:ほうり)」という語句と、「屠る(ほふる)」ないし「屠り(ほふり)」という語句は語源が同じ[要出典]であり、もともとは犠牲を供して穢れ祓い清める役割の人物が行っていた。つまり神職及びそれに近い役割の人々が行っていたと思われる。その後の食肉に必ず伴う屠畜についても、彦根藩が1690年(元禄3年)に「薬喰い」(冬場に保温・保健の目的で獣肉を食すること)として牛肉を販売、更には藩主自ら毎年のように将軍家への献上品として「牛肉味噌漬」を贈っていたなどの歴史もあり、時代背景や地域条件による差別、被差別で一概に語られるべきものではない。
日本では仏教の伝来にも伴い平安中期から獣肉などに携わることを穢れ(信仰上の禁忌・タブー)とする見方が広がり、1922年(大正11年)の水平社宣言に至るまで印象が一人歩きしている。
屠殺では、その行為によって動物が苦しまないようにとの配慮が成されている場合も多い。近年では動物虐待に対する忌避感もあるが、そもそも過度に暴れさせるような屠殺は、動物に不要且つ過剰な苦痛を与えるだけでなく、従事者にとって危険であり作業効率も悪い。このため多くの社会では、より速やかに且つ苦しませずに動物を絶命させる方法が研究されてきた。
現代では先進国を中心に、炭酸ガスによる酸素欠乏、あるいは頭部への打撃や感電による、(建前の上では)脳震盪を起こし麻痺させた後に首の動脈を切断することによる失血死、あるいは麻痺させた後に脳組織を物理的に損傷させることで生命活動を停止させる方法が取られている。しかし宗教的な理由(ハラールを参照)にも絡み古くからの伝統的な屠殺方法を取っている事の多いイスラム圏などでは、後肢に綱を掛け頭部を下にして吊るしたら、間を入れずに動脈を切断し、ある程度は空中で暴れさせて、急速に失血死させる方法を取っている。
無論、家畜の頭部を銃で撃つなど強い衝撃を与えたり、強い電気ショックを加えたりすれば、家畜は当然一溜りもなく即死してしまうのだが、このことを公に認めてしまうと「頸動脈を切断して失血死させる」という原則に反してしまい場合によっては処罰の対象となりうるため、食肉業界の関係者はあえて「気絶」といったぼかした表現を用いている事情もある。なお、心臓は自律神経系に支配されているため、即死した場合でも遅れて停止するため、実態としてはこの時間差を利用して血抜きを行うことになり、いわゆる「グレーゾーン」であると言える。現場の実情としては、家畜の苦痛を軽減し作業員の安全を確保する意味で「一発で仕留める」こと、すなわち即死させることが「暗黙の了解」となっている。ただし、斃死した家畜の食肉利用を厳しく禁止している国や地域もあり、家畜の苦痛や作業員の安全確保はあまり顧みられず、意識のあるまま頸動脈を切断して失血死させるという旧来のやり方が踏襲されることも少なくない。
なお失血死または血抜きという方法は、肉に血液が残る量が最小限に抑えられ、肉の劣化や腐敗を遅らせる効果もあっての事で、特にこれは冷蔵庫が普及する以前は、鮮度の低下で廃棄される肉を最小限に抑えるための技術でもあった。この技術が発達した背景には食中毒の予防と同時に、犠牲となる生命に敬意を払い、無駄を最小限とするための倫理的な思想も見出される。
肉食という行為は、動物の生命を奪う事で自らの生命を永らえさせるものである。このため犠牲となる動物に感謝を捧げる思想も見られ、その感謝の意味で苦しませる事への忌避も見られる。その延長で動物の苦痛に対しても言及している文化もあり、例えばユダヤ教では「一回の切断で致命傷を与える(何度も切り付けない)」ために、屠殺に使う刃物(ナイフ)は「良く研磨されているもの」と定めている。これは「よく切れる刃物で切り傷を負った場合は、一時的な麻痺により負傷直後は余り痛みを感じない(後に治る過程での痛みはある)が、切れ味の悪い刃物で怪我をすると、切った直後から酷く痛む」という人間自身の経験によるものであると考えられる。
多くの文明社会では、畜肉に対する感謝を表す人間の活動が大なり小なり見られ、感謝祭や慰霊などといった宗教行事にも関連している。また近年では動物福祉という観念も発生、産業動物の存在やそれを消費することまでは否定しないが、それら動物を扱うにしてもより快適な、あるいは苦しませない扱いをすべきだという主張や活動も見られる[要出典]。
屠殺は旧来、家畜を飼っている各家庭では日常的かつ普遍的に行われていたが、これが次第に世間一般から隔離されるにつれて穢れのように扱われ、差別を被った事例もある。日本でも明治時代よりの社会変化で食肉産業が発達したが、その当時の被差別部落などの絡みもあり、家畜の屠殺や解体に従事する者が差別を被るといった社会問題が発生し、現在においても散見される。
近年では食肉はスーパーマーケットやコンビニエンスストア、ファーストフードやレストランといった所で調理前の精肉や加工された食肉製品、あるいは調理済みのものが普遍的に見られる。
食用・加工用の家畜ではなく、競走馬など他の目的で飼育されていた動物が、結果的に屠殺される場合もある。
競走馬が成績低迷や高齢などを理由に競走生活を引退した後は、繁殖馬、乗馬クラブや学校の馬術部等での乗用、動物園などの観光用、研究用などに転用、あるいは功労馬として余生を送る馬も存在するが、その割合は少数であり、大半の競走馬は屠殺されているのが実情である(参考→乗馬#乗馬への転身という意味)。功労馬でなくても牧場で余生を送る様に計らう馬主も存在し、余生を送ることが出来るか否かの判断は、経済的合理判断と共に多分に馬主のパーソナリティや牧場所有の有無などに負うところが多い。
屠殺後の用途として、馬肉に回される場合もある。日本では馬肉は「桜肉」と呼ばれ、古くから栄養豊富な食肉として、また「ニューコンミート」(→コンビーフ)のような代用食として親しまれている。ただし、江戸時代には生きた牛馬の屠殺は幕府の禁制の対象であり、自然死や事故死のものが「薬」にされた。食肉も禁制であったため、「薬」と称された。他の用途としては家畜用飼料やウマの項を参照のこと。
屠殺以外の殺処分においては、たとえ重度の負傷をした場合でも食用・加工用を前提としない薬物による安楽死処分が一般的である。殺処分の方法を選ぶ必要はあるものの、屠殺により馬資源を活用する方が本来は合理的ではあるのだが、競馬場内で重傷を負った馬を屠殺場へ移動させるというのは感情的な反発も強い。また1973年10月に動物愛護法が制定され苦痛を伴う殺処分が法律により禁止された。そのため日本では同年6月のハマノパレードの一件以降、負傷馬への安楽死が導入されている。
ウマの屠殺に否定的なアメリカ合衆国では、エクセラーやファーディナンドといった有名な競走馬が、それぞれ輸出先のスウェーデンと日本で屠殺され、市場に流通するなどした。同事件は米国内で問題視され、米下院で馬の屠殺禁止法案が可決されている。その他にも中央競馬の八大競走で優勝したにも関わらず、日本中央競馬会の施設に送られず、行方不明になった馬も存在した。また、重賞レースを勝っているにもかかわらず功労馬繋養展示事業の対象馬になる事無く処分される馬も多い。
先に挙げた米国の例のほかにも、特に競馬の盛んなイギリスのような国家では馬の繁用が難しくなったときには人道的な安楽死が求められ、屠殺に強い拒否感・嫌悪感を示す。食のタブーなど社会的な事情にも絡んだこの問題だが、日本ではペットとしてみなされ、まず屠殺されることなど無い犬や猫(ただし保健所では捨て犬、捨て猫、野良が大量に処分されている)が、中国、韓国などそれらを食べる文化を持つ地域では日常的に屠殺され、食肉市場に流通している状態と対比させると理解しやすい(→犬食文化)。こういった食文化の違いに端を発する動物の屠殺にまつわる文化摩擦は世界各地に多々存在する。
2005年総会家畜福祉ガイドライン(「陸路輸送」「海路輸送」「屠殺」「防疫目的の殺処分」における動物福祉)決定 [1]
1906年、28時間法を制定し、家畜を屠殺場などへ長距離移動させる場合、飼料・水の給与及び休息のため家畜を輸送車両などから降ろすことなく、継続して28時間以上車両等に積んだままの状態にしておくことを禁止した。
1958年、人道的な屠畜に関する法律で家畜(牛・馬・羊・豚など。家禽は含まれない)が苦痛を感じない方法で屠殺が行われることを義務付けた。
1978年、「人道的な屠殺に関する法律」を満たさない外国の屠殺場で生産された食肉の輸入を禁止[2]。
2009年、現行の「屠殺時における家畜の保護に関するEU指令」を拡充・強化した、「屠殺時のアニマルウェルフェア(動物福祉)向上に係る規則」制定(2013年より施行)。
1995年、動物の屠殺(殺処分)方法に関する指針を制定。できる限り動物に苦痛を与えない方法で意識の喪失状態にしたのちに、心 又は肺機能を停止させる方法、もしくは社会的に容認されている通常の方法によること[4]と定めた。
部落問題の視点から、被差別部落民に対する差別用語であると批判されることがある。
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