出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/12/06 09:35:19」(JST)
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花(はな、華とも書く。花卉-かき=漢字制限のため、「花き」と書かれることが多い)とは植物が成長してつけるもので、多くは綺麗な花びらに飾られる。花が枯れると果実ができて、種子ができる。多くのものが観賞用に用いられる。生物学的には種子植物の生殖器官である。なお、植物の花を生花(せいか)、紙や布・金属などで作られた花を造花(ぞうか)という。
花は雌蕊や雄蕊を含む(ないものもある)、一個の有限の茎頂に胞子葉(花葉)と不稔の付属物などから構成された、種子植物の生殖器官である。
しかし、その厳密な定義については複数の考え方が存在する。
花は、胞子葉が枝先に固まった構造から生じたと見られるが、この意味を広く考えれば、普通の被子植物の花以外に、裸子植物における松ぼっくりなどの元になる構造や、さらにはスギナの胞子葉であるツクシのようなものまでが花と言えてしまう。2は、松ぼっくりまでは花だというもので、3は、ツクシも花だという立場と言える。
1はアメリカの研究者に多く、2はヨーロッパの研究者に多い。19世紀は3の考え方が主流だったが、現在では一番合理的とされる2が主流になりつつある。
花全体の構造は、1本の枝に、先端の方から大胞子葉、小胞子葉、不実の葉が並んだ構造が、ごく短くつまったものと見なせる。
典型的な花は、枝から伸びた柄の先につき、中心に雌蕊をもち、その周囲を雄蕊が囲む。その周囲には、花びらや萼などが配置する。雄蕊では花粉が作られ、雌蕊には胚珠が入っている。この両者の働きで種子が作られる。
裸子植物においては、雌雄異花が普通で、軸を中心に胞子葉由来の鱗片状の構造が並んだ形を取るのが普通である。
被子植物では、花びらや萼といった装飾的な構造が多数加わることが多い。したがって、その構造は中心に大胞子葉由来の雌蕊、その外側に小胞子葉由来の雄蕊、そしてその外側に葉由来の花弁、そしていちばん外側にやはり葉由来の萼が取り巻くという形になる。花弁、萼はまとめて花被と呼ばれる。ただし、すべての花がこのような構造を持っているわけではなく、花びらや萼などがない花も多い。特に、風媒花などでは、花びらがかけていたり、退化しているものが多い。イネ科の場合このような花を小穂という。
また、1つの花に雄蕊と雌蕊を備える花が多いが、どちらかだけを持つ、雌雄異花のものもある。雄蕊と雌蕊が両方備わっていても、片方が機能していない例、どちらかが先に熟し、同時には熟さないようになっている例も多い。
花の配列状態を花序という。花序は花によって異なるが、ある一定の方式にしたがって並ぶ。
苞は、花や花序の基部につく葉のことをいう。包葉ともいう。通常は、小型であるが花弁状になるものもある。
花粉により受粉をさせ、生殖を行う。受粉には花の構造により、自家受粉と他家受粉にわけられる。通常、他家受精であることが望ましいので、種類によっては自家受精を妨げるようなしくみが見られる。例えば、雄蕊と雌蕊のどちらか先に成熟するようになっているのもそのひとつである。どちらが先かで雄性先熟、雌性先熟とよばれる。
種子植物がシダ植物から進化するに伴い、雄蕊は小胞子のうをつける胞子葉、雌蕊は大胞子のうをつける胞子葉が変化してできたと考えられる。また、花びら、萼も葉が起源のものと思われる。
被子植物の花が、どのようにして進化したかについては、大きく2説がある。
クロンキスト体系によれば、双子葉植物綱ではキク目を最も進化したものとし、単子葉植物綱ではラン目が最も進化しているとする。
花は人目を引く魅力がある。一般的な概念での花は、それ以外の部分が緑などの地味な中にあって、それとは対照的に鮮やかな色合いの花弁などを並べてよく目立つようになっている。これは、そもそも花の存在が、他者の目を引くことを目的としているからである。ただし、本来はヒトの目ではなく、昆虫や鳥などの目を引くためのものである。これは、植物が固着性の生活様式を持つため、繁殖時の生殖細胞、具体的には花粉の輸送に他者の力を借りなければならない。被子植物の多くがその対象を昆虫や鳥などの小動物とし、彼らを誘うために発達した構造が美しい花びらで飾られた花なのである[1]。
したがって、無生物によって花粉を運搬する植物の花は目立たなくてもいい。裸子植物は風媒なので、花弁などを持たない。被子植物でもイグサ科やイネ科などは虫媒花から進化して二次的に風媒となったもので、イグサ科では花弁はあるがきわめて地味になっており、イネ科では花弁は完全に退化し、開花時にも全く目立たない。
花を発色させる色素は、開花時に細胞内部で酵素を用いた化学反応が起こり生成される。元来花の色は送粉者をひきつけるためにつけるもので、蕾の時には必要が無い。主な色素はフラボノイド・カロテノイド・ベタレイン・クロロフィルのグループであり、総数は数千にもなる。さらに水素イオン指数(pH)や存在するイオンの影響で色が変化する事もあり、多様な色で知られるアジサイの場合はアルミニウムイオン濃度で左右される[2]。
色素が無い花びらは白く見える。材質は本来透明だが、中に気泡があるために白く見える。花びらが色素を持たないメカニズムには、作られた色素が別の酵素で破壊される場合と、色素を作る酵素の機能が阻害された場合がある。前者の例は白いキクで、花にはカロテノイドを分解する酵素が存在し、作られた色素が壊される。後者にはアサガオがあり、フラボノイドの一種アントシアニンを作る酵素のDNA内にトランスポゾンがあり色素生成を阻害する。このトランスポゾンが開花中にDNA上の別な場所に移動すると酵素は色素を作れるようになる。これによって一つの花の中に色素がある細胞と無い細胞が混在し、アサガオの模様が作られる。トランスポゾンの動き方は一定ではなく、それぞれの頻度やタイミングによって花の模様が異なってくる。トランスポゾンを含むアサガオは江戸時代に偶然発見され、品種改良を経て広まった[2]。
人工的に花の色を変える試みには、品種改良や遺伝子組み換え技術またはDNAを変質させる突然変異の利用などがある。品種改良では、色素を作る酵素が無かったり色素を破壊する酵素が存在するため、例えば青いバラや黄色いアサガオなどは作れない。他の花から色素をつくる酵素のDNAを組み入れる試みでは、青いバラが生産された例もあるが、pHなど他の条件が異なるため元の花と同じ発色は難しい[2]。
黄色い部分が副花冠(スイセン属の一種)
花冠の基部より後ろ(写真で左)に飛び出たものが距(ツタバウンラン)
黄色い部分全体が花穂で、個々の黄色い部分が無花被花。白いものは総苞(ドクダミ)
単花被花。一見すると花弁であるが裏を見ると萼とわかる(シュウメイギク)
シュウメイギクの花の裏側
合弁花(アサガオ)
離弁花(バラ属の一種)
よく見ると花被片3枚、内花被片3枚の同花被花(チューリップの一種)。
手前のツボミのようなものが閉鎖花(ホトケノザ)
花は魅力的な姿をしているため、それを鑑賞することは世界中で古くからおこなわれてきた。世界各地、古今東西の遺跡や壁画、紋章などにおいても、花の絵柄は普遍的に見かけられるもののひとつである。
また、花を摘み集めて装飾とする風習も広く見られる。茎から切り取った花を切り花というが、これを花を方向をそろえて束ねたものを花束(ブーケ)、組み合わせて輪にした花輪などもさまざまなものが見られ、子供の遊びから冠婚葬祭の飾りに至るまで、各地の風俗や風習の中でそれぞれ独特の役割を担っている場合もある。発掘された時、ツタンカーメンのミイラに花束が供えられていたのは有名な話である。日本の華道、いわゆる生け花もこの方向で高度に発達したものである。なお、切り花を使う理由に、見かけの美しさ以外に、その香りを重視する場合もある。
花の種類によってそれぞれに意味を持たせることもよくおこなわれ、日本では葬式にキクの花というような定番がある。また、花言葉というのもこのようなもののひとつである。
花を育てて楽しむことも古くからおこなわれた。庭園を飾るために花を育てる例は広く見られる。花を中心とする庭を花園、花畑などという。観賞用の植物の栽培を園芸と言うが、特に草の花を目的とする栽培を花卉園芸という。長い歴史の中で、多くの観賞用の花が選別栽培され、後には人工交配などによる品種改良も行われた。現在では、切り花を生産することが産業として成立している。なお、花卉園芸で実際に扱う対象は花に限らず、いわゆる枝もの、実ものも含む。
なお、品種改良がおこなわれる場合、それを支える市場の要求が高い場合がある。ヨーロッパにおいても、日本においても、花の栽培の歴史の中では何度か特定の花のブームがあり、新品種が考えられないような高値で取引されたことがある。ヨーロッパではチューリップが17世紀にオランダで大ブームを起こし、ひどいときは球根一個が豪邸より高かったと伝えられる。この事例についてはチューリップ・バブルを参照。
食用花としては、キク、ナノハナなどが用いられてきたが、一方、欧米のエディブル・フラワーとしてナスタチウム、コーンフラワー、バラ、パンジー、キンセンカ、スイートピー、キンギョソウなどが挙げられる。伝統的な日本料理においては、盛りつけの技法としてアジサイの花などをあしらうことがある。
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多くの人間にとって花は美や生命力の象徴である。特にそのような価値観の下、漢字文化圏では「華」と書くことも多い。また、日本語には「華やか」「社交界の花」「華がある」など「花」および「華」を使った表現も多い。また、花のように華やかに咲く火薬の爆発に「花火」という字を当てるのは漢字文化圏に共通である(ただし、中国語では「烟火」が主)。「雪の花」も形状が花に似ていることに由来する名である。 美しい結晶を薔薇の花に譬えた "desert rose (砂漠の薔薇)" のように、花に譬えた語は他言語にも多い。
日本人特有の価値観では少し違った意味合いを付けられることもあり、もののあはれなどといった無常観や四季の変化のもとでその儚さが愛でられてきた。それは戦死を意味する「散華」など死にも近似するが、生命力と矛盾するわけでもない。短い命であるからこそ、束の間の栄華・華やかさが美しく感じられるということである。これは平家(伊勢平氏)の栄華とその後の没落を描いた古典文学『平家物語』などにも見てとることができる。「少しずつ咲いていって全体では長い間を咲き続ける、梅の花」から「いっせいに咲いてすぐに散ってゆく、桜の花」へと「日本人が最も好む花」および「花の代名詞」が移ろったことは、民族特有の美意識の確立を物語る事象の一つにも位置付けられる。
日本では、奈良時代から平安時代初期までは中国文化の影響を強く受けて梅の花が、平安時代初期以降は桜の花が最も盛んに愛でられる花であり、日本で花見と言えば一般的にはこれらの花を観賞することを意味する。
「様々な花の色」あるいは「色とりどりに咲く花の様子」を日本語では千紫万紅(千紫萬紅、せんしばんこう)と言う。例えば、梅雨の時期を色どりどりに咲き乱れる紫陽花の花模様は、千紫万紅という言葉がよく似合う(──という認識を多くの日本人が共有している)。その一方で、乾燥しきって草木も生えない荒野が季節の訪れで突如として芽吹き咲き乱れる草花で埋め尽くされることで有名なナマクワランド(英語版)(在・南アフリカ共和国。"Flowering Desert" とも呼ばれる)の感動的風景などにこの語を当てても、東洋的でないことを理由とした「似つかわしくない」との批判は当を得ない。
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スギ花粉を原料とし、50%グリセリン食塩溶液※で抽出して得たアレルゲンを含む液。
※50%グリセリン食塩溶液:グリセリン50%(W/W)、塩化ナトリウム5%(W/W)
を使用すること。
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====標準化スギ花粉エキスと従来の治療用スギ花粉エキスとの比較5)
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