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ウシ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホルスタイン
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分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Bos taurus | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Cattle |
ウシ(牛 英名:cattle)は、哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科の動物。野生のオーロックス(絶滅)をもとにして、新石器時代に西アジアで家畜化されたと考えられる。
「ウシ」は、狭義では特に(種レベルで)家畜種のウシ(学名:Bos taurus 「ボース・タウルス」)を指す。一方、やや広義では、ウシ属 Bos (バンテンなどの野生牛を含む)の総称となる。さらに広義では、ウシ亜科 Bovinae の総称となる。すなわち、アフリカスイギュウ属、アジアスイギュウ属、ウシ属、バイソン属などを指す。ウシと比較的近縁の動物としては、同じウシ亜目(反芻亜目)にキリン類やシカ類、また、同じウシ科の仲間としてはヤギ、ヒツジ、レイヨウなどがある。
以下ではこのうち、家畜ウシについて解説する。
2008年の国際連合食糧農業機関の統計によると、世界全体では13億5000万頭のウシが飼育されていると見積もられている[1]。
ウシは、伝統的には牛肉食文化が存在しなかった地域においては単一語(例えば、漢字文化圏においては「牛」、ないし十二支の配分である「丑」(うし))で総称されてきた。これに対し、古くから牛肉食や酪農を目的とする家畜としての飼育文化や放牧が長くおこなわれてきた西洋地域(例えば、おもに英語文化圏など商業的牛肉畜産業が盛んな地域)においては、ウシの諸条件によって多種多様な呼称をもつ傾向がある。
近来では、西洋的食文化のグローバル化により、宗教的な理由によって牛肉食が禁忌とされている地域を除いては牛肉食文化が世界的に拡散普及しており、特に商業畜産的要因から、現代の畜産・肥育・流通現場においては世界各地で下記のような細分化された呼称が用いられる傾向がある。
畜産業界ないし肥育業界、ないし牛肉産品を流通・販売する業界などにおいては、さらに多様に表現されている。
ウシは4つの胃をもち、一度飲み込んだ食べ物を胃から口中に戻して再び噛む「反芻(はんすう)」をする反芻動物の1つである。実際には第4胃のみが本来の胃で胃液が分泌される。第1胃から第3胃までは食道が変化したものであるが、草の繊維を分解する細菌類、原虫類が常在し、繊維の消化を助ける。動物性タンパク質として細菌類、原虫類も消化される。ウシの歯は、雄牛の場合は上顎に12本、下顎に20本で、上顎の切歯(前歯)は無い。そのため、草を食べる時には長い舌で巻き取って口に運ぶ。鼻には、個体ごとに異なる鼻紋があり、個体の識別に利用される。
家畜であるウシは、食用では肉牛として牛肉や牛脂を、乳牛として牛乳を採るために飼養され、また馬と同様に役牛として農耕(耕牛)や運搬(牛車)などのための動力としても利用されてきた。牛皮は「牛革」としてかばんや各種ケース、ジャンパー・ベルト・靴など衣類・装身具等の材料にされ、牛糞 は肥料や地方によっては重要な燃料及び建築材料として利用されている(後述)。
家畜としての牛は、肉牛と乳牛に分けられる。
乳牛(ホルスタインなどの乳用種)を参照
(乳用種から生まれた雄・和牛・交雑種などの肉用種)
繁殖農家で生まれた子牛は、250-300kgになる10か月齢から12か月齢まで育成され、「素牛」(6か月齢〜12か月齢の牛)市場に出荷され(2-4か月齢で出荷されるスモール牛市場もある)、肥育農家に競り落とされる。競り落とされた素牛は肥育農家まで運ばれるが、長距離になると輸送の疲れで10kg以上やせてしまうこともある[3]。
その後、「肥育牛」として肥育される。飼育方法は、繋ぎ飼い方式・放牧方式など多くの選択肢があるが、数頭ずつをまとめて牛舎に入れて(追い込み式牛舎)飼う、群飼方式が一般的である(日本の農家の約80%)。また、牛を放牧又は運動場などに放して運動させることは、運動不足による関節炎の予防や蹄の正常な状態を保つために必要であるが、日本の農家では約6%しか行われていない。そのため、1年に1-2回程度の削蹄を実施している農家が多い[4]。
肥育前期(7か月程度)は牛の内臓(特に胃)と骨格の成長に気をつけ、良質の粗飼料を給餌される。肥育中期から後期(8-20か月程度)にかけては高カロリーの濃厚飼料を給餌され、筋肉の中に脂肪をつけられる。(筋肉の中の脂肪は「さし」とよばれ、さしにより霜降り肉ができる) 肉用牛は、生後2年半から3年、体重が700kg前後で出荷され、屠殺される。
繁殖用として優れた資質・血統をもつ雌牛が選ばれる。繁殖用として飼育される雌牛は生後14か月から16か月で初めての人工授精(1950年に家畜改良増殖法が制定され、人工授精普及の基盤が確立し、今日では日本の牛の繁殖は99%が凍結精液を用いた人工授精によってなされている)[5]が行われ、約9か月で分娩する。経済効率を上げるため、1年1産を目標に、分娩後約80日程度で次の人工授精が行われる。8産以上となると、生まれた子牛の市場価格が低くなり、また繁殖用雌牛の経産牛の肉としての価格も低くなる場合があるため[6]標準的には6-8産で廃用となり、屠殺される。 また、受胎率が悪い、生まれた子牛の発育が悪いなどの繁殖用雌牛は経済効率が低いため、早目に廃用される。
舌を口の外へ長く出したり左右に動かしたり、丸めたり、さらには柵や空の飼槽などを舐める動作を持続的に行うこと。舌遊び行動中は心拍数が低下することが認められている。粗飼料の不足、繋留、単飼(1頭のみで飼育する)などの行動抑制、また生まれてすぐに母牛から離されることが舌遊びの原因となっている。「子牛は自然哺乳の場合1時間に6000回母牛の乳頭を吸うといわれている。その半分は単なるおしゃぶりにすぎないが、子牛の精神の安定に大きな意味をもつ。子牛は母牛の乳頭に吸い付きたいという強い欲求を持っているが、それが満たされないため、子牛は乳頭に似たものに向かっていく。成牛になっても満たされなかった欲求が葛藤行動として「舌遊び」にあらわれる」[7] 。実態調査では、種付け用黒毛和牛の雄牛の100%、同ホルスタイン種の雄牛の6%、食肉用に肥育されている去勢黒毛和牛の雄牛の76%、黒毛和牛の雌牛の89%、ホルスタイン種の17%で舌遊び行動が認められた[8]。
霜降り肉を作るためには、筋肉繊維の中へ脂肪を交雑させる、という通常ではない状態を作り出さなければならない。そのため、肥育中期から高カロリーの濃厚飼料が与えられる一方で、脂肪細胞の増殖を抑える働きのあるビタミンAの給与制限が行われる。ビタミンAが欠乏すると、牛に様々な病気を引き起こす。 肥育農家がこのビタミンAコントロールに失敗し、ビタミンA欠乏が慢性的に続くと、光の情報を視神経に伝えるロドプシンという物質が機能しなくなり、重度になると、瞳孔が開いていき、失明に至る。 [9]
2010年現在、世界でもっともウシの飼育頭数が多いのはインドであり、約2億1000万頭が飼育されている。これに次ぐのはブラジルで、2億950万頭であり、両国の飼育頭数にはほとんど差がない。かつてはヒンドゥー教の影響もあってインドが圧倒的に頭数が多く、長らく世界一の座を占めていたが、アマゾンにおける牧場開発などによってブラジルが急速に飼育頭数を増加させ、2003年にはインドに代わって世界1位となった。2008年にはふたたびインドが飼育頭数第1位となったものの、両国の頭数はほぼ拮抗している。3位はアメリカ合衆国で9380万頭であり、ここ10年はほぼ横ばいとなっている。4位の中国は8370万頭で、これもほぼ横ばいとなっている。5位はアルゼンチンで、4390万頭である。ここもこの10年の飼育頭数はほぼ横ばいとなっている[10]。
肉は牛肉として、また乳は牛乳として、それぞれ食用となる。食用は牛の最も重要な用途であり、肉・乳ともに人類の重要な食料供給源の一つとなってきた。牛乳も牛肉も、そのまま食用とされるだけでなく、乳製品や各種食品などに加工されることも多い。
胆石は牛黄(ごおう)という生薬で、漢方薬の薬材[11]。解熱、鎮痙、強心などの効能がある。救心、六神丸などの、動悸・息切れ・気付けを効能とする医薬品の主成分となっている。日本薬局方に収録されている生薬である。
牛の胆石は千頭に一頭の割合でしか発見されないため[12]、大規模で食肉加工する設備を有する国が牛黄の主産国となっている。オーストラリア、アメリカ、ブラジル、インドなどの国がそうである。ただし、BSEの問題で北米産の牛黄は事実上、使用禁止となっていることと、中国需要の高まりで、牛黄の国際価格は上げ基調である。
現在では、牛を殺さずに胆汁を取り出して体外で結石を合成したり、外科的手法で牛の胆嚢内に結石の原因菌を注入して確実に結石を生成させる、「人工牛黄」または「培養牛黄」が安価な生薬として普及しつつある。
糞は肥料にされる。与えられた飼料により肥料成分は異なってくるが、総じて肥料成分は低い。肥料としての効果よりも、堆肥のような土壌改良の効果の方が期待できる。また、堆肥化して利用することも多い。園芸店などで普通に市販されている。
乾燥地域では牛糞がよく乾燥するため、燃料に使われる。森林資源に乏しいモンゴル高原では、牛糞は貴重な燃料になる。またエネルギー資源の多様化の流れから、牛糞から得られるメタンガスによるバイオマス発電への利用などが模索されており、スウェーデンなどでは実用化が進んでいる。
また、インドなどの発展途上国では牛糞を円形にして壁に貼り付け、一週間ほど乾燥させて牛糞ケーキを作製し、燃料として用いている(匂いもなく、火力も強い)[13]。
アフリカなどでは住居内の室温の上昇を避けるために、牛糞を住居の壁や屋根に塗ることがある。
水彩画では胆汁をぼかし・にじみ用の界面活性剤として用いる。
ウシが家畜化されたのは新石器時代の紀元前6000年から紀元前5000年ごろの西アジアとみられている。当時この地方に生息していたオーロックスが原種であるが、オーロックスは17世紀には絶滅した。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったため、ヤギやヒツジと比べて家畜化はずっと遅れ、オオムギやコムギといった穀物の栽培開始以降に家畜化されたと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって牧畜の中心的存在となった。やがて成立したエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいてプラウ(犂)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝わっていった。
ウシはやがて世界の各地へと広がっていった。ヨーロッパではウシは珍重され、最も重要な家畜とされていた。8世紀後半ごろには車輪付きのプラウが開発され、またくびきの形に改良がくわえられることで牽引力としての牛はさらに重要となった[14]。牛肉はヨーロッパ全域で食用とされ、中世の食用肉のおよそ3分の2は牛肉で占められていた[15]。ヨーロッパ北部では食用油脂の中心はバターであり、また牛乳も盛んに飲用された[16]。ヨーロッパ南部では食用油脂の中心はオリーブオイルであり、牛乳もさほど飲用は盛んでなかったが、牛肉は北部と比べ盛んに食用とされた[17]。
アフリカにおいてはツェツェバエの害などによって伝播が阻害されたものの、紀元前1500年ごろにはギニアのフータ・ジャロン山地でツェツェバエに耐性のある種が選抜され[18]、西アフリカからヴィクトリア湖畔にかけては紀元前500年頃までにはウシの飼育が広がっていた[19]。インドにおいてはバラモン教時代はウシは食用となっていたが、ヒンドゥー教への転換が進む中でウシが神聖視されるようになり、ウシの肉を食用とすることを禁じるようになった。しかし、乳製品や農耕用としての需要からウシは飼育され続け、世界有数の飼育国であり続けることとなった。
新大陸にはオーロックスが存在せず、1494年にクリストファー・コロンブスによって持ち込まれたのが始まりである。しかし新大陸の気候風土にウシは適合し、各地で飼育されるようになった[20]。とくにアルゼンチンのパンパにおいては、持ち込まれた牛の群れが野生化し、19世紀後半には1,500万頭から2,000万頭にも達した。このウシの群れに依存する人々はガウチョと呼ばれ、アルゼンチンやウルグアイの歴史上重要な役割を果たしたが、19世紀後半にパンパ全域が牧場化し野生のウシの群れが消滅すると姿を消した。北アメリカ大陸においてもウシは急速に広がり、19世紀後半には大陸横断鉄道の開通によってウシを鉄道駅にまで移送し市場であるアメリカ東部へと送り出す姿が見られるようになった。この移送を行う牧童はカウボーイと呼ばれ、ウシの大規模陸送がすたれたのちもその独自の文化はアメリカ文化の象徴となっている。
1880年代には冷凍船が開発され、遠距離からも牛肉の輸送ができるようになった。これはアルゼンチンやウルグアイにおいて牧場の大規模化や効率化をもたらし、牛肉輸出は両国の基幹産業となった[21]。また、鉄道の発達によって牛乳を農家から大都市の市場へと迅速に大量に供給することが可能になったうえ、ルイ・パスツールによって低温殺菌法(パスチャライゼーション)が開発され、さらに冷蔵技術も進歩したことで、チーズやバターなどの乳製品に加工することなくそのまま牛乳を飲む習慣が一般化した[22]。こうした技術の発展によって、ウシの利用はますます増加し、頭数も増加していった。
日本列島では東京都港区の伊皿子貝塚から弥生時代の牛骨が出土したとされるが、後代の混入の可能性も指摘される[23]。日本のウシは、中国大陸から持ち込まれたと考えられている。古墳時代前期にも確実な牛骨の出土はなく、牛を形象した埴輪が存在しているため、この頃には飼育が始まっていたと考えられている[24]。古墳後期(5世紀)には奈良県御所市の南郷遺跡から牛骨が出土しており、最古の資料とされる[25]。
当初から日本では役畜としての使用が主であったが、牛肉も食されていたほか、牛角・牛皮や骨髄の利用も行われていたと考えられている。また、広島県の草戸千軒町遺跡出土の頭骨のない牛の出土事例などから頭骨を用いた祭祀用途も想定されており、馬が特定の権力者と結びつき丁重に埋葬される事例が見られるのに対し、牛の埋葬事例は見られないことが指摘されている。
日本列島では西日本で牛、東日本で馬が多く飼育されている。東国でも古代には多くの牛が飼育されており、『延喜式』では東国すべての国で蘇が貢納されている。東国では中世に牛の出土事例が減少し、武士団の勃興に伴い馬が主体の家畜構成になったと考えられている。
675年には、律令体制を確立する上で、米に基く税収を安定的に確保するために、天武天皇は、稲作農耕に役立つ動物である牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を、稲作の期間である4月から9月まで禁じた。禁止令発出後もウシの肉はしばしば食されていたものの、禁止令は以後も鎌倉時代初期に至るまで繰り返して発出され[26]、やがて肉食は農耕に害をもたらす行為とみなされ、肉食そのものが穢れであるとの考え方が広がり、牛肉食はすたれていった。8世紀から10世紀ごろにかけては酪や、蘇、醍醐といった乳製品が製造されていたが、朝廷の衰微とともに製造も途絶え、以後日本では明治時代に至るまで乳製品の製造・使用は行われなかった。
牛肉食は公的には禁忌となったものの、実際には細々と食べ続けられていたと考えられている。戦国時代にはポルトガルの宣教師たちによって牛肉食の習慣が一部に持ち込まれ、キリシタン大名の高山右近らが牛肉を振舞ったとの記録もある[27]ものの、禁忌であるとの思想を覆すまでにはいたらず、キリスト教が排斥されるに伴い牛肉食は再びすたれた。江戸時代には生類憐みの令によってさらに肉食の禁忌は強まったが、大都市にあったももんじ屋と呼ばれる獣肉店ではウシも販売され、また彦根藩は幕府への献上品として牛肉を献上しているなど、まったく途絶えてしまったというわけではなかった[28]。しかし、日本においてウシの主要な用途はあくまでも役牛としての利用であり続けた。
日本においてウシが公然と食されるようになるのは明治時代である。文明開化によって欧米の文化が流入する中、欧米の重要な食文化である牛肉食もまた流れ込み、銀座において牛鍋屋が人気を博すなど、次第に牛肉食も市民権を得ていった。また、乳製品の利用・製造も復活した。
牛が紋章に描かれることは一般的である。
ウィキメディア・コモンズには、ウシに関連するメディアおよびカテゴリがあります。 |
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