アスパラギン酸カリウム
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この項目では、イルハン国の第2代ハーン (abaqa)について記述しています。バショウ科バショウ属の多年生植物 (Abacá)については「マニラアサ」をご覧ください。 |
馬上のアバカ、その息子アルグンおよび彼に抱き上げられている孫の幼児ガザン。
アバカ(Abaqa/阿八哈、1234年-1282年)は、イルハン朝の第2代ハン(1265年 - 1282年)。ペルシア語では آباقا خانĀbāqā khān と表記される。父は初代ハーンのフレグ・ハン、母はフレグの第5位の妃でスルドゥス部族出身のイェスンジン・ハトゥン。
目次
- 1 生涯
- 1.1 即位以前
- 1.2 ジョチ・ウルス及びバラクとの戦い
- 1.3 クビライ・カアンからの承認
- 1.4 マムル−ク朝のバイバルス・カラーウーンとの戦い
- 1.5 晩年
- 2 宗室
- 2.1 父母
- 2.2 后妃
- 2.2.1 正妃(ハトゥン)
- 2.2.2 側室(クマ)
- 2.3 男子
- 2.4 女子
- 3 脚注
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
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生涯[編集]
即位以前[編集]
1253年に父フレグが西方遠征軍司令に任じられると、アバカは弟ヨシムトらとともにこの西方遠征に従軍した。1263年暮れにジョチ・ウルスのベルケとの不和から戦争になり、ノガイがカフカス方面から侵攻してきたが、フレグ西征軍はからくもこれを撃退。アバカは一旦この後詰めとしてアゼルバイジャン地方に派遣され再度侵攻して来たノガイの諸軍を撃退した。その前後にフレグは西征軍が実効支配していた諸地方を諸子に統括するよう命じ、アバカはアムダリヤ川河畔に至るにイラク、ホラーサーン、マーザーンダラーンの諸国を委ねられた。
ジョチ・ウルス及びバラクとの戦い[編集]
1265年2月に父フレグが没した時、彼はこのためホラーサーン地方にいたが、ただちにヨシムトが管轄していたタブリーズに上り、フレグの葬儀を済ませると、同年4月にクリルタイを開催し、6月15日に西征軍の王族・諸将に推戴されるかたちでフレグの王位と西征軍全軍を継承し即位した。イラン全土の諸地域をヨシムトやトブシンなどの兄弟たちに委ね、アフガニスタンやファールス、ケルマーンなどの諸地域は引き続きクルト朝やアルトゥク朝などのアタベク政権、カラヒタイ朝などの諸勢力の安堵を約束し、財務官庁をワズィールのシャムスッディーン・ジュワイニーに、さらにバグダードの経営についてはワズィールの弟で、イラク地方へ派遣されたスンジャク・ノヤンの補佐官となった歴史家アターマリク・ジュワイニーに任せるなどして、諸地方の統治の整備をまず取掛かった。
翌7月初旬にはノガイの再三に渡る侵攻に対しヨシムトの派遣を行い、これを撃退に成功。今度はベルケ自身が親征するところとなりクラ川渡河のためにグルジアのティフリス近郊まで大軍を率いて迫ったが、この地でベルケが急死し、ジョチ・ウルス軍は撤退。北方の脅威は一端は納まった。
しかし1269年、東方のチャガタイ・ウルスの当主位をムバーラク・シャーから奪ったバラクが、カイドゥとモンケ・テムルと協定を結び、そのままアムダリヤ川を渡って親征し、ヘラート近郊まで攻め入った。アバカは自ら諸軍を率いて、1270年7月21日にヘラート南部のカラ・スゥ平原の戦いでこれを迎撃・撃破し、大勝をおさめた。この戦いに前後してカイドゥと協定を結んで休戦している。
クビライ・カアンからの承認[編集]
このカラ・スゥ平原の戦いが終わりアーザルバーイジャーン地方へ帰還した同年11月6日に、マラーゲ南部のチャガトゥ地域での宿営中にクビライからフレグの位を継ぎイラン地域の支配権を委ねてハンとなるようにとの旨を伝える使者が訪れ、勅令(ヤルリグ)と王冠などがもたらされた。こうして同年11月26日、モンゴル皇帝クビライの承認の許に改めてイルハン朝のハンとして同地で第二の即位を行った。同じ時期にジョチ・ウルスのモンケ・テムルからもバラクとの勝利を祝してハヤブサや鷹などの贈物を携えた使者を接見しており、ジョチ・ウルスとの友好を一先ず回復させることが出来た。こうしてクビライおよびモンケ・テムルとの友好を保ちつつも、カイドゥとも和平を結び東北国境の安定にも一応の成功をおさめた。
しかし、この年の暮から翌年にかけて弟君ヨシムト、トブシン・オグルに加え、生母イェスンジン・ハトゥンが没している。母のオルドはこの後自らの第4位の妃で、ケルマーンのカラヒタイ朝の第3代君主スルターン・クトブッディーン・ムハンマドの娘パーディシャー・ハトゥンに委ねている。
1273年の夏に、アバカはチャガタイ家やオゴデイ家から侵攻を危惧してブハラの住民をホラーサーン地方へ移住させるよう命じたが、ブハラに駐留していた部隊がこれを違えて掠奪と殺戮を行う事件が起きた。アバカはこれを指揮した部隊長を処罰したが、カイドゥ陣営へ逃亡したマスウード・ベクのマドラサなども軒並み掠奪に晒されるなどブハラの市街地とその周辺は破壊が凄まじく、復興に至るまでこの地域は7年ものあいだ無人状態に陥ったと伝えられる。1273年7月6日にはイラン・ホラーサーン総督として辣腕を振るったアルグン・アカが、翌1274年6月24日には大学者ナスィールッディーン・トゥースィーが歿した。
マムル−ク朝のバイバルス・カラーウーンとの戦い[編集]
1275年頃からはエジプトのマムルーク朝のバイバルスらにシリア境域を何度か侵攻を受けはじめるようになった。1277年にバイバルスが死去して継承争いが始まるといったんは収束したが、内紛が鎮まってカラーウーンが登場すると、彼による侵攻を受けるようになる。1281年にはカラーウーンとシリア領有をめぐって戦ったが敗れた。
晩年[編集]
1282年4月1日、モースル近郊で没し、フレグの墓所であるウルーミーエ湖東岸のシャーフーの大禁地に埋葬された。死因はアルコール中毒だといわれる。もともと酒豪だったが、前年の敗戦でさらに酒の量が増したのではないかといわれている。
父と婚約の予定であった東ローマ帝国皇帝ミカエル8世パレオロゴスの皇女・マリアと結婚した。また、自身もネストリウス派のキリスト教徒で、キリスト教に対して親しみがあったため、ビザンツ帝国と結んでマムルーク朝などのイスラム教勢力と対立した。また、イングランド国王エドワード1世とも交渉を持った。
宗室[編集]
『集史』「アバカ・ハン紀」によると、アバカの息子はアルグンとゲイハトゥの2人で、娘は7人がいたと伝えている。
父母[編集]
- 父 フレグ・ハン
- 母 イェスンジン・ハトゥン[1]
后妃[編集]
正妃(ハトゥン)[編集]
- オルジェイ・ハトゥン[2]
- ドルジ・ハトゥン[3] 大ハトゥン。
- ノクダン・ハトゥン[4] ゲイハトゥの母
- イルトゥズミシュ・ハトゥン[5]
- パードシャー・ハトゥン[6]
- ブルガン・ハトゥン[7]
- ミリタイ・ハトゥン[8]
- デスピナ・ハトゥン[9]
- トクタイ・ハトゥン[10]
側室(クマ)[編集]
- カイミシュ・エゲチ[11] アルグンの母。
- キョクテイ[12]
- ブルガチン・エゲチ
- ボウルジン・エゲチ[13]
- シーリーン・エゲチ[14]
- アルタイ・エゲチ
- トデイ・ハトゥン[15]
※その他多数の氏名不明の側室がいた。
男子[編集]
- 長男 アルグン 母カイミシュ・エゲチ
- 次男 ゲイハトゥ 母ノクダン・ハトゥン
女子[編集]
- 長女 ユル=クトルグ [16]
- 次女 タガイ(トガイ)[17]
- 三女 マリカ[18] 母ブルガン・ハトゥン
- 四女 トガンチェク[19]
- 五女 イル=クトルグ[20]
- 六女 オルジェイタイ[21]
- 七女 ノチン[22] 母ミリタイ・ハトゥン。
脚注[編集]
- ^ ييسونجين خاتون Yīīsūnjīn Khātūn:スルドス部族出身。1266-67年の冬にモンゴル本土にあったフレグの後衛のオルド(アウルク)が妃や王族たちとともにイランに入った時、フレグの正妃クトイ・ハトゥンとともにモンゴル本国からイランに移住したという。『集史』アバカ・ハン紀によると、ヒジュラ暦670年ジュマーダー第2月(1272年月1上旬-2月上旬)に死去し、彼女のオルドはパードシャー・ハトゥンに委ねられたという。
- ^ اولجاى خاتون Ūljāy Khātūn:フレグ妃。引き続きアバカが娶りオルドを引継ぐ。オイラト部族首長家のトレルチ・キュレゲンとチンギス・カンの第二皇女チチェゲンとの娘。
- ^ دورجى خاتون Dūrjī Khātūn:
- ^ نوقدان خاتون Nūqān Khātūn:スルドス部族出身。クトイ・ハトゥンとともにモンゴル本国からイランに移住したという。 トトカリウト・タタル部族のジョチの娘。チンギス・ハンの第三皇后イェスルン、第五皇后イェスイ姉妹らの姪にあたる。アバカの姉妹ボルガン・アカとジャマイの降嫁を受けたジュルマ・キュレゲンの姉妹。ドルジ・ハトゥンの没後にその後任としてオルドを引継ぐ。
- ^ ايلتوزميش خاتون Īltūzmīsh Khātūn:コンギラト部族のノクダン・ハトゥンの没後にその後任としてオルドを受継ぐ。
- ^ پادشاه خاتون Īltūzmīsh Khātūn:ケルマーンのカラヒタイ朝の君主クトゥブッディーン・ムハンマドの娘。アバカの生母イェスンジン・ハトゥンのオルドの後任となる。
- ^ بلغان خاتون Bulghān Khātūn:大ブルガン・ハトゥンとも。アバカに最も寵愛されたという。バヤウト部族の有力部将ノカイ・ヤルグチの姪。
- ^ مرتی خاتون Mirtay Khātūn:コンギラト部族出身。チンギスの娘の息子とされるコンギラト部族のムーサー・キュレゲン(タガ・テムルないしトガン・テムルと称する)とフレグ妃クトイ・ハトゥンの姉妹。
- ^ دسپنه خاتون Dispina Khātūn:トレビゾンド王の娘と呼ばれる。
- ^ توقتی خاتون Tūqtay Khātūn:フレグの側室。フレグの大ハトゥンであったドクズ・ハトゥンの地位を継がせる
- ^ قايميش ايكاچی Qāymīsh Īkāchī
- ^ كوكتی Kūktay:王女トガンチュクの母。
- ^ بولچين ايكاچی Buwulchīn Īkāchī:アバカの五女イル=クトルグ、六女オルジェイタイの生母。
- ^ شيرين ايكاچی Qāymīsh Īkāchī:後にプーラード・チンサンのハトゥンとなる。
- ^ تودای خاتون Tūdāy Khātūn:コンギラト部族の某の娘。アバカに嫁ぎ王女ユル・クトルグ、ノカイの母となる。後にテグデル・アフマド・ハンとアルグン・ハンの妃となった。
- ^ يولقتلغ Yūl-Qutlugh:母トダイ・ハトゥン。ノカイ(不詳)と同母姉妹。アルグン幕下の有力部将でバイドゥ・ハン選出にも列席することになるイルチダイ・クシュチに降嫁。
- ^ تغای Taghāy/Tughāy:アバカ、アルグン、ゲイハトゥに代々仕えたチャガン・タタル部族のドラダイ・イデチに降嫁。
- ^ ملكه Malik:母ブルガンの伯父ノカイ・ヤルグチの息子、すなわち母方の従兄弟にあたるトガン・ブカに降嫁。
- ^ طغانچاق Ṭughānchūq:母キョクテイ。アルグンの筆頭部将で、オイラト部族出身のイラン総督アルグン・アカの息子アミール・ノウルーズに降嫁。
- ^ ايلقتلغ Īl-Qutlugh:母ボウルジン・エゲチ。フウシン部族のアラブタイ・キュレゲンに降嫁。
- ^ اولجيتای Ūljaytāy:母ボウルジン・エゲチ。イル=クトルグと同母妹。
- ^ نوچين Nūchīn:降嫁情報など詳しい来歴は不明。
参考文献[編集]
- C.M.ドーソン著『モンゴル帝国史 5』(佐口透 訳注)東洋文庫298、平凡社、1976年。
- 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究序説 イル汗国の中核部族』東京大学出版会、1995年。
- 先代:
- フレグ
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- イルハン朝
- 1265年 - 1282年
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- 次代:
- テグデル
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外部リンク[編集]
- 『集史』アバカ・ハン紀 日本語訳 矢島洋一ほか9名による日本語訳
UpToDate Contents
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Japanese Journal
- グローバル金融におけるビジネスと詐欺の境界 : 合成CDO「アバカス」および「デッド・プレジデンツ」の訴追・捜査事例
- 沖縄戦後女性史の証言と発掘--フィリピンに生きる沖縄ウーマンの移民背景
Related Links
- デジタル大辞泉 アバカの用語解説 - 「マニラ麻」に同じ。 ... この辞書の凡例を見る 監修:松村明 編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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Japan Pharmaceutical Reference
薬効分類名
販売名
ザイアジェン錠300mg
組成
- 本剤は、1錠中にアバカビル硫酸塩351mg(アバカビルとして300mg)を含有する。
- 添加物として結晶セルロース、デンプングリコール酸ナトリウム、ステアリン酸マグネシウム、軽質無水ケイ酸、ヒプロメロース、酸化チタン、トリアセチン、黄色三二酸化鉄、ポリソルベート80を含有する。
禁忌
- 本剤の成分に対し過敏症の既往歴のある患者[本剤の投与に際しては、本剤の服用経験を必ず確認し、本剤による過敏症の既往歴がある場合は、決して本剤を投与しないこと。](「警告」、「重要な基本的注意」及び「副作用」の項参照)
- 重度の肝障害患者[血中濃度が上昇することにより、副作用が発現するおそれがある(「薬物動態」の項参照)。]
効能または効果
HIV感染症
- 無症候性HIV感染症に関する治療開始については、CD4リンパ球数及び血漿中HIV RNA量が指標とされている。よって、本剤の使用にあたっては、患者のCD4リンパ球数及び血漿中HIV RNA量を確認するとともに、最新のガイドライン1)〜3)を確認すること。
- ヒト免疫不全ウイルス(HIV)は感染初期から多種多様な変異株を生じ、薬剤耐性を発現しやすいことが知られているので、本剤は他の抗HIV薬と併用すること。
- 通常、成人には他の抗HIV薬と併用して、アバカビルとして1日量600mgを1日1回又は2回に分けて経口投与する。なお、年齢、体重、症状により適宜減量する。
- 本剤と他の抗HIV薬との併用療法において、本剤による過敏症の徴候又は症状を発現した場合は、本剤を投与中止すること。
- 本剤と他の抗HIV薬との併用療法において、因果関係が特定されない重篤な副作用が発現し、治療の継続が困難であると判断された場合には、本剤若しくは併用している他の抗HIV薬の一部を減量又は休薬するのではなく、原則として本剤及び併用している他の抗HIV薬の投与をすべて一旦中止すること。
慎重投与
- 肝障害患者[血中濃度が上昇することにより、副作用が発現するおそれがある(「禁忌」、「重要な基本的注意」及び「薬物動態」の項参照)。]
- 高齢者(「高齢者への投与」の項参照)
- 妊婦又は妊娠している可能性のある婦人(「妊婦、産婦、授乳婦等への投与」の項参照)
重大な副作用
過敏症
- 海外の臨床試験において、本剤投与患者の約5%に過敏症の発現を認めており、まれに致死的となることが報告されている。
- 過敏症は、通常、本剤による治療開始6週以内(中央値11日)に発現するが、その後も継続して観察を十分に行うこと。
- 過敏症の特徴は多臓器及び全身に症状を認めることである。過敏症を発現するほとんどの患者に発熱又は皮疹が認められる。過敏症の徴候又は症状は以下のとおりである。
皮膚
- 皮疹※(通常、斑状丘疹性皮疹又は蕁麻疹)、多形紅斑
消化器
呼吸器
- 呼吸困難※、咳※、咽頭痛、急性呼吸促迫症候群、呼吸不全
精神神経系
血液
肝臓
- 肝機能検査値異常※(AST(GOT)、ALT(GPT)等の上昇)、肝不全
筋骨格
- 筋痛※、筋変性(横紋筋融解、筋萎縮等)、関節痛、CK(CPK)上昇
泌尿器
眼
その他
- 発熱※、嗜眠※、けん怠感※、疲労感※、浮腫、リンパ節腫脹、血圧低下、粘膜障害、アナフィラキシー
- ※過敏症発現患者のうち10%以上にみられた症状
- 過敏症に関連する症状は、本剤の投与継続により悪化し、生命を脅かす可能性がある。通常、本剤の投与中止により回復する。
- 本剤による過敏症発現後の再投与により、症状の再発が数時間以内に認められる。これは初回よりさらに重篤であり、重篤な血圧低下が発現する可能性及び死に至る可能性がある。したがって、過敏症が発現した場合は、本剤の投与を中止し、決して再投与しないこと。
- 本剤による過敏症の発現及びその重篤度を予測する危険因子は特定されていない。
- 膵炎(1.09%)があらわれることがあるので、定期的に検査を行うなど観察を十分に行い、異常が認められた場合には、投与を中止するなど適切な処置を行うこと。
- 皮膚粘膜眼症候群(Stevens-Johnson症候群)、中毒性表皮壊死融解症(Toxic Epidermal Necrolysis:TEN)(いずれも頻度不明注1),2))があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと。
- 乳酸アシドーシス(0.16%)及び脂肪沈着による重度の肝腫大(脂肪肝)(0.16%)
薬効薬理
作用機序16)〜18)
- アバカビルは細胞内で細胞性酵素によって活性代謝物のカルボビル三リン酸に変換される。カルボビル三リン酸は天然基質dGTPと競合し、ウイルスDNAに取り込まれることによって、HIV-1逆転写酵素(RT)の活性を阻害する。取り込まれたヌクレオシド誘導体には3'-OH基が存在しないため、DNA鎖の伸長に不可欠な5'-3'ホスホジエステル結合の形成が阻害され、ウイルスのDNA複製が停止する。
抗ウイルス作用9),17),19)
- アバカビルのHIV-1に対するIC50値はHIV-1 IIIBに対して3.7〜5.8μM、臨床分離株に対して0.26±0.18μM(n=8)、HIV-1 BaLに対して0.07〜1.0μMであった。また、HIV-2に対するIC50値はHIV-2(Zy)に対して4.1μM、HIV-2 LAV-2に対して7.5μMであった。in vitroでアンプレナビル、ネビラピン及びジドブジンとの併用によって相乗作用が認められ、ジダノシン、ラミブジン、サニルブジン及びザルシタビンとの併用によって相加作用が認められた。また、ヒト末梢血単核球から活性化リンパ球を除いた場合に、より強い抗HIV作用を示したことから、アバカビルは静止細胞でより強く抗ウイルス作用を示すものと考えられる。
薬剤耐性9),18)
- アバカビルに対して低感受性のHIV-1分離株がin vitro及びアバカビル投与患者から分離されており、いずれも逆転写酵素にM184V、K65R、L74V及びY115Fの変異が確認された。これらの変異を2種以上含むことにより、アバカビル感受性は1/10に低下した。臨床分離株ではM184V及びL74Vの変異が頻回に観察された。
交差耐性18)
- アバカビルによる耐性逆転写酵素変異を2種以上組み込んだHIV-1株のうち数種は、in vitroでラミブジン、ジダノシン及びザルシタビンに対して交差耐性を示し、一方、ジドブジン及びサニルブジンには感受性を示した。
アバカビルとHIVプロテアーゼ阻害薬とは標的酵素が異なることから、両者間に交差耐性が発生する可能性は低く、非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬も逆転写酵素の結合部位が異なることから、交差耐性が発生する可能性は低いものと考えられる。
有効成分に関する理化学的知見
一般名
- アバカビル硫酸塩(Abacavir Sulfate)
化学名
- (−)-{(1S,4R)-4-[2-アミノ-6-(シクロプロピルアミノ)プリン-9-イル]シクロペンタ-2-エニル}メタノール1/2硫酸塩
分子式
分子量
性状
- 白色〜微黄白色の粉末である。トリフルオロ酢酸に溶けやすく、水にやや溶けやすく、メタノール及びエタノール(95)に溶けにくい。0.1mol/L塩酸試液及び希水酸化ナトリウム試液に溶ける。
融点
分配係数(log P)
- 1.20(pH 7.1〜7.3,1-オクタノール/水)
★リンクテーブル★
[★]
- 英
- abacavir
- 化
- 硫酸アバカビル abacavir sulfate, ABC
- 商
- エプジコム配合、ザイアジェン、Ziagen
[★]
- 英
- abacavir succinate
- 関
- アバカビル