出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/02/22 23:28:15」(JST)
正覚(しょうがく、巴: sammā-sambodhi, サンマー・サンボーディ、梵: samyak-sambodhi, サンミャク・サンボーディ、「正しい-覚り/悟り」)とは、仏教における悟りの境地のこと。正等正覚(しょうとうしょうがく)、正等覚(しょうとうがく)、等正覚(とうしょうがく)、あるいは漢字音訳で、三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)、または単に菩提(ぼだい)とも言う[1][2]。覚悟(かくご)、悟り(さとり)とも。
また、主に大乗仏教で用いられる、その至高性・完全性をより強調した、かしこまった表現としては、無上正覚(むじょう-しょうがく、梵: anuttara-samyak-sambodhi, アヌッタラ・サンミャク・サンボーディ)[3]、無上正等正覚(むじょう-しょうとうしょうがく)、無上正等覚(むじょう-しょうとうがく)、無上等正覚(むじょう-とうしょうがく)、無上菩提(むじょう-ぼだい)、あるいは漢字音訳で、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら-さんみゃくさんぼだい)といった表現もある[1]。
文字通り、生死の迷い等、あらゆる煩悩を取り払い(漏尽)、苦を滅し(苦滅)、一切を平等に正しく観ずることができた境地を指す[1]。他の宗教でも見られる通俗的な表現を用いれば、これは「他我の区別が消失した、至福の境地」ということになるが、一時的な生理的変調ではなく、戒律と瞑想・自己分析を通じて、理知的かつ習慣的・持続的なものとしてこれを達成していこうとするところに、仏教の特徴がある。
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年8月) |
初期仏教においては、此縁性・十二因縁・四諦・八正道などを踏まえつつ、戒律・禅定・観行(戒・定・慧の「三学」)を修め、己の煩悩を特定・除去して行き、己の煩悩が尽き、欲望・生存・無知の苦しみから解放され、解脱が成され、二度と生死の迷いの道に入ることは無い「再生の遮断」が成されたと、知るに至った段階(漏尽通・阿羅漢果)の境地を指す[4]。
この段階に達すると、煩悩・苦の汚れに邪魔されることなく、一切をありのままに正しく観ずることができるようになるので、この境地を「正覚」(正等正覚)と呼ぶ[1]。
初期の仏教教団(僧伽)においては、釈迦の指導によって、五比丘を始めとする数多くの修行者がこの境地に至り[5]、釈迦が入滅後の第一回結集においては、500人の阿羅漢(五百羅漢)が集結するに至った。
部派仏教の時代になると、有力部派であった説一切有部を中心に、縁起のメカニズム自体の分析・理論化への関心が高まり、多くのアビダルマ(論書)が書かれ、様々な説・理論が形成されることになった。
これは般若経製作集団や、龍樹・中観派等によって批判されることになるが、他方で唯識派などの理論・分析の材料ともなった。
大乗仏教においては、般若経・龍樹・中観派等によって、認識対象・認識内容の「空性」「無自性」が強調され、世俗諦(分別智)ではなく、真諦(無分別智)としての正覚を目指す本来の仏教、釈迦への回帰が主張される一方、各種の大乗仏教経典によって具現化・広大化された諸仏や、複雑化・詳細化された縁起観・自然観などを通じた観想によって、正覚に至ろうとする各種の行法も発達した。
なお、初期仏教の頃から、瞑想の導入として、自身や他者の身体の不浄さや死後の腐乱(九相図)を観想したり(不浄観)、慈・悲・喜・捨の四梵住(四無量心)を想起したり、世界の構成要素(十遍)を観想したり、仏・三宝等を観想したり(十念・十随念)といったような、その時々で瞑想に入るのに妨げとなっている囚われごとに応じて、様々な観想を行う行法が存在していた(上座部仏教で言うところの「四十業処」)ので、大乗仏教の様々な行法も、その変化・発展形態だと言うことができる。
|
全文を閲覧するには購読必要です。 To read the full text you will need to subscribe.
リンク元 | 「準備」 |
.