精神科(せいしんか、Department of Psychiatry)とは、医療機関における診療科目の一つである。精神障害・精神疾患・依存症を主な診療対象とする。
目次
- 1 各種診療形態
- 2 呼称
- 3 日本における歴史
- 3.1 癲狂院
- 3.2 精神衛生法施行
- 3.3 最近の精神科
- 3.4 年表
- 4 通院と障害者自立支援法
- 5 入院
- 6 社会復帰について
- 7 日本国外の精神科病院
- 7.1 イギリス
- 7.2 フランス
- 7.3 イタリア
- 7.4 アメリカ
- 7.5 ソ連
- 7.6 中華人民共和国
- 8 脚注
- 9 文献
- 10 関連項目
- 11 外部リンク
各種診療形態
精神科医が外来のみの診療を行う診療所(クリニック)、入院施設を有する精神科病院、旧総合病院の一部門としての精神科の3種類の診療形態があり、それぞれ機能分化している。
- 診療所は街中にあることが多く、通院に便利、気軽に受診しやすいなどの特徴がある。
- 精神科病院は入院施設も備えており様々な症状の患者に対応できる、作業療法、デイケアなど様々な治療方法を備えているため集中的な治療ができるなどの特徴がある。2006年10月の精神保健福祉法改正前は、法律上「精神病院」と呼ばれていた。
- 旧総合病院の精神科は利便性や専門性においては前二者の中間的な存在であるが、身体的合併症を持った精神疾患患者の治療が可能、他科(内科・外科など)に入院中の患者の精神的ケアを行う、いわゆるリエゾン精神医学が可能などの特徴がある[1]。
成人を対象とした通常の診療以外に専門的な分野として小児精神医学、児童思春期精神医学、産業精神医学、老年期精神医学、リエゾン精神医学、司法精神医学などの分野がある。
触法精神障害者向けとしては心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)に基づき
- 鑑定入院医療機関
- 指定入院医療機関
- 指定通院医療機関
がある。
呼称
日本で現在の精神科病院は、精神障害及び精神障害者への偏見や差別から、診察に訪れにくいイメージが強かったため、近年では医療機関名の呼称を「心療クリニック」「メンタルクリニック」などにしたり、診療科目として「神経科」「心療内科」「メンタルヘルス科」と標榜したりして、外来患者が訪れやすくする工夫がされるようになった(一部の私立大学医学部附属病院とその関連病院では、病院内の診療科目名に「メンタルクリニック」を用いている例もある)[2]。公の上では、精神科医で自由民主党所属元参議院議員、西島英利が「精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律(以下、精神病院の用語整理法)」を第164回国会、参議院厚生労働委員会に提案したのをきっかけに審議され、この法律が成立して、精神病院を精神科病院と呼ぶことになっている[3]。
日本における歴史
癲狂院
“ |
精神医療は牧畜業だ[4] |
” |
—日本医師会会長 武見太郎
|
明治政府が本格的に衛生行政に着手したのは1873年(明治6年)で、この年に文部省に医務局が設置され、翌1874年(明治7年)、医制を発布し、癲狂院(てんきょういん)の設立を規定した[5]。1875年(明治8年)には京都府左京区の臨済宗南禅寺派の寺院、南禅寺境内に日本初の公立精神科病院「京都府療病院付属癲狂院[* 1]」(現・川越病院)が設立されている(精神障害者#日本での歴史を参照)。
終戦前の、人権的、医学的に不当な癲狂院の実態については、近代庶民生活誌 20 病気・衛生に詳しい。[7]「東京府巣鴨病院ー五区患者手記」「読売新聞連載 人類最大暗黒界 瘋癲病院」「東京都巣鴨病院にたいする東京府内訓」「戦前の精神科病院の死亡率」などが記述されている。なお、戦前の民間療法、私宅管理なども書かれている。悲惨な収容小屋や荷車に括りつけられ輸送される患者などの写真もある。東京都松沢病院(巣鴨病院 設立当初名称は東京府癲狂院)の昭和20年の年間在籍患者の死亡率は40.9%に達した。
精神衛生法施行
精神病院の増設は私宅監置からの解放の意味があり、1950年(昭和25年)にアメリカ合衆国カリフォルニア州にならった精神衛生法が施行され、都道府県に精神病院の設置が義務づけられたがその履行は難しかった。国は通知にて規制を緩和し、1960年(昭和35年)に政府全額出資よって設立された医療金融公庫を活用して私立精神病院の大増設を行った[8]
最近の精神科
非定型抗精神病薬(リスペリドンなど)の登場によりハロペリドール中心の薬物療法が転換、精神分裂病が統合失調症へ変更などの環境変化が起きたころから不適切な診断や処方が出始めたとの意見がある[9]。マスコミによって誤診が相次いでいることを報道されたこともあった[10]。2007年には治療薬(メチルフェニデート)の不適切処方が表面化、医師や薬局の登録制による流通規制が加わることになり、患者が登録制の差し止めを求める仮処分を申し立てを行う事態も起きている[11]。発達障害(児童精神医学)への新たな対応も求められている。
精神科を利用している患者は約320万人(2006年調査)であり、その数は年々増加する傾向にある[12]。国立精神・神経医療研究センター長の松本俊彦は「今の診療報酬体系では精神科医が1人の患者に時間をかけて話を聞きにくい。短い診察時間だと患者は医師を信頼せず、薬をもらうだけの関係になりやすい為、過量服薬につながる可能性が高まる。じっくり患者の話に耳を傾けることで患者とのつながりを作れる体制を整える必要がある」と語る[13]。
全国自死遺族連絡会が自殺者遺族1016人に調査した処、約7割が精神科通院中に自殺していた。同会の代表は「精神科の早期受診を呼びかけて受診率を高めるだけではだめで、投薬治療に偏っている今の治療内容を見直してほしい」と厚生労働省に求める文書を提出した。[14]
一方で、薬物療法が中心となるのは、その有効性が評価されているためでもある。日本国内の自殺の原因・動機で最も多いものは男女ともうつ病である[15]。しかし、うつ病のうち、中等症・重症うつ病や精神病性うつ病では、薬物療法が最もエビデンスのある治療法として推奨されている[* 2]。軽症うつ病では支持的精神療法および心理教育が必須とされているが、それ以外では、中等症・重症うつ病でEBPT[* 3]の併用が「必要に応じて選択される推奨治療」とされているのみである(軽症うつ病でも、医師が必要に応じて薬物療法を推奨治療として選択することが出来る)[16]。また、しばしばうつ病と誤診される双極性障害(躁うつ病)においても、大うつ病エピソードの治療は主に薬物療法である[* 4][17]。
また高齢化に伴いアルツハイマー病などの認知症の患者も増えており、外来・入院あわせての患者数は約38万人で、1996年から2008年の12年間での認知症患者数は3.5倍増加している。しかし介護領域からの推計によると、200万人以上もの認知症患者が存在すると見られ、2030年には350万人に増えると予想される。 今後精神科をはじめとした医療機関の負担もさらに増すと見られている[18][12]。
医療法においてのいわゆる「精神科特例(医師の数は他科の1/3でよい等)」を廃止し、医師や看護師等の人員体制を整えていくことは急務であるとされる[19]。
年表
- 1950年(昭和25年) 精神衛生法施行。私宅監置(患者を自宅に軟禁すること)が禁止された。
- 1950年代 精神病院建設ブーム。詳細は宇都宮病院事件を参照のこと
- 1960年(昭和35年) 医療金融公庫設立。私立病院の新設や改築に起債並の甘い条件で融資する[20]。
- 1964年(昭和39年) ライシャワー駐日大使刺傷事件後、精神障害者の隔離政策が進行。精神病院の病床数が増加した。
- 1965年(昭和40年) 精神衛生法が改正。通院医療費公費負担制度が創設される。翌年からスタート。[21]
- 1968年(昭和43年) WHOのクラーク勧告にて、日本の閉鎖的、収容的な精神医療のあり方が非難された[22]。
- 1974年(昭和49年) デイケアが診療報酬で点数化された。
- 1984年(昭和59年) 宇都宮病院事件では、閉鎖的環境の病棟で看護スタッフが患者をリンチ死。他にも類似の事件が続発し、日本の精神医療が国内外から非難された。
- 1987年(昭和62年) 精神衛生法が改正され精神保健法を制定。入院患者の人権保護、社会復帰施設について指針が定められた。
- 1989年(平成元年) の「保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則」の改正までは、男性看護師(旧称・看護士)は、女性看護師(旧称・看護婦)と異なり、精神科病棟での勤務を前提とした教育体制が取られていた。改正後は男女とも同一の教育カリキュラムとなっている。
- 1995年(平成7年) 精神保健法が改正され精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)へと変更された。
- 1996年(平成8年) 心療内科(心身医学)が標榜科として認可。心療内科医が掲げるものを精神科医も掲げてしまい、誤解を招くことになった[23]。
- 2005年(平成17年) 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)施行。
- 2006年(平成18年) 障害者自立支援法施行。
- 2006年(平成18年) 精神病院の用語整理法成立。障害者自立支援法、精神保健福祉法、覚せい剤取締法などで使われる法律用語は精神科病院となる。
通院と障害者自立支援法
自立支援医療の受給者証と自己負担上限額管理表の例(神奈川県川崎市)
2006年4月、障害者自立支援法が施行。患者の世帯収入に応じた応益負担による自立支援医療が実施される。通院治療においてこの制度を使うと健康保険を使用した時、医療費全体の原則10%負担となる。なお、患者の世帯収入が少ない場合は負担額の上限が設けられ、月額上限2,500円から20,000円の間となる。また、市区町村によっては、この負担額の上限とは別に独自に補助を行っている自治体もある。この制度を利用する場合、病院の医師やケースワーカーに相談し主治医に診断書を作成してもらい、住民票のある市区町村に診断書と申請書類を提出することが必要である。
障害者自立支援法施行以前は、精神保健福祉法第32条の規定に通院医療費公費負担制度があった。これは、通院による精神病等の治療が非常に長期にわたることから公費で通院費を補助する制度であった。健康保険を使用した時、医療費全体の30%負担であるが、この制度を使うと全体の5%負担で済んだ。また地方自治体によっては残りの5%も公費負担し、実質無料で[24]、医療費のみに着目した負担であった[25]。障害者自立支援法施行のため、2006年3月をもってこの制度は廃止された。
入院
入院施設のある病院の場合、開放病棟と閉鎖病棟の2種類がある。可能な限り開放処遇とすべきであるが、症状が重く自殺等の自傷行為や他者を傷つける行為(自傷他害という)の危険が切迫している場合などで精神保健指定医の診察の結果、閉鎖処遇が必要と判断した場合、患者の保護および治療のため、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)に従った手続きを行い閉鎖処遇をとることがある。なお、閉鎖病棟では患者のプライバシーや人権は軽視される場合もある。
入院施設は急性期治療病棟と療養型病床群に分けられる。急性期治療病棟は、精神疾患において急性期と慢性期では求められる医療の質・量が全く異なることから、急性期において重点的なチーム治療を行い早期の退院、社会復帰を行うことを可能にするため、1998年4月の診療報酬改定の際に創設された制度である。療養型病床群に比べて看護スタッフの割合を多くとること、入院期間が平均3ヵ月以内であることなどが義務付けられ、そのかわり診療報酬が高く設定されているシステムである。
入院中は、医師、看護師、臨床心理士、作業療法士、薬剤師、精神保健福祉士、栄養士、管理栄養士などによるチーム医療が行われ、カンファレンスを行いスタッフ間での意見の交換が頻回に行われるべきである。また薬物療法などにあたっては根拠に基づいた医療が行われるべきである。
入院形態
精神科での診療は医療法の他、精神保健福祉法、医療観察法にのっとって行われなければならない。 旧・総合病院も含む精神保健福祉法に基づく精神科病床への入院には、任意入院、医療保護入院、措置入院、応急入院がある。このうち任意入院は自らの意志に基づいた入院で、可能な限り任意入院を行うべきであると同法第22条の3に定められている。しかし精神疾患に罹患した患者の場合、自らが病気に罹患していることや治療が必要であることを理解しない場合も多い。その際、精神保健指定医が診察した上で、医療及び保護が必要であると認めた場合は、保護者の同意を得て医療保護入院(本人の意志によらない入院)を行うことができる。措置入院は、自傷他害(自らや他者を傷つけること)のおそれがある場合、主に警察官から保健所への通報により保健所が手配した精神保健指定医2名の鑑定を経て行われる。入院形態には他に応急入院、緊急措置入院がある。なお、「患者の移送に黄色い救急車(もしくは緑の救急車)が使われる」という話は嘘(都市伝説)である。
なお触法精神障害者向けには医療観察法に定められている鑑定入院、指定入院医療機関での入院がある。
2002年6月現在、全国の精神科病床入院患者のうち任意入院212,015人 (64.2%)、医療保護入院112,661人 (34.1%)、措置入院2,767人 (0.8%)、その他2,607人 (0.8%) となっている(厚生統計協会「国民衛生の動向」より)。なお精神科病床入院患者のうち7万人が、いわゆる「社会的入院」と考えられている。
問題点
- 日本における精神障害者に対しての精神科医療の問題点としては入院患者が減少しない、世界でも稀に見る程多くの精神科入院ベッド数(約35万床)、平均在院日数がきわめて長いこと(社会的入院をしている患者が約25万人)があり、中には精神科病院で30年間にも渡って長期入院生活を続けている患者も居る事が挙げられる[26]。原因として偏見が存在しているので社会に戻す環境整備がなかなか行われない、民間病院が多く簡単に病床を減らせない(入院患者の確保は病院の死活問題と言われている)事情がある[27]。
- 先進諸国と比べても、日本の精神科の病床数は人口に対して世界で最も多く、入院期間も最も長い。先進諸外国が精神科病院を減らし、患者が地域で安心して暮らせるような制度を推進しているのに対し、日本の精神科医療はまだ入院という方法に頼っている。このような日本の現状に対して1968年には世界保健機構(WHO)から、1985年には国連から、法制度を改善するように勧告を受けた。しかし未だ多くの精神科病院の体系は変わらず、多くの患者が入院生活を送っている[28]。
- 特に精神科病院における「社会的入院」の問題は深刻であり、東京都立松沢病院の院長である齋藤正彦は、2012年(平成24年)7月1日に着任した際の挨拶で「今回30年ぶりに、同じ病棟(松沢病院の精神科病棟)に入って、旧知の患者さんから声をかけられて愕然としました。30年間、退院することなく、松沢病院で過ごしていた患者さんが何人もいたのです。」と驚き、自身が精神科医としてのキャリアを積み上げている間にも、30年間も病院に長期入院している精神障害者の患者が、今なお存在している事を憂いてる[26]。
社会復帰について
病院によっては社会生活に順応するための小規模作業所を併設したり、デイケアなどのサービスを行うものもある。また生活訓練施設(援護寮より名称変更)や福祉ホーム、第3者によるグループホームなどの設置も徐々に増えており、亜急性期の患者では社会復帰が比較的スムーズに行われている。
しかし慢性長期入院群では、高齢化、長期入院による生活能力の低下、家族機能の低下などから社会復帰が困難な例が多い。
現在は地域移行特別対策事業が厚生労働省によって開始され、2012年までの数値目標が掲げられている。地域移行支援アシスタント(退院促進支援員より名称変更)による地域でのネットワーク作り、地域移行推進員などの活躍が期待されている。
しかし開始間もないことや、名称変更と業務追加がされた後も目立って人員増加されていないこともあって、目覚しい効果は確認されていない。
日本国外の精神科病院
イギリス
- 1377年に王立ベスレム病院(ベドラム、Bedlam)が精神病も扱い始める。1959年に精神保健法が成立し、拘留ではなく自由意志での入院が促進に変わることで必要がないのに入院している患者(社会的入院)の減少を促した。1961年には当時の保健大臣イーノック・パウエル(Enoch Powell)が精神病院の終了とコミュニテイケア政策を予言する[29]。
- 近年薬だけに頼らない精神医療を推進し、自殺予防に大きな効果をあげた。重症度に応じたケアの仕組みを導入し、中心に認知行動療法を据えた。軽症者は国が開設するインターネットサイトで同療法を受けられる。薬物療法は症状が重い場合のみ認知行動療法と併用し用いている。処方薬についても、国の研究機関で医療機関向けのガイドラインを作り、単剤少量での治療を順守させた。そのほか地域ケアの充実も図った。こうした取り組みにより、ブレア政権下の97 - 07年の10年間で、人口10万人あたりの自殺者数は9.2人から7.8人と15.2%減少した[30]。
フランス
- 1656年にフランスのルイ14世の指導により精神障害者、犯罪者、浮浪者を収容する総合施療院、ビセートル病院(男性)、サルペトリエール病院(女性)が建設され[31]、後の1793年にフィリップ・ピネル(Philippe Pinel)、ジャン=バチスト・ピュッサンがビセートル病院の閉鎖病棟の患者を鎖から解放した(ル・クルムラン=ビセートルも参照)。
- 精神科医の総数はおよそ13200人で、国民10万人に対し199人である。この数はスイスに次いで多く、フランス国内の全専門医の13%にあたるとされる。なお精神科看護師は58000人で不足している。
- フランスでの精神科患者数(2002年調査)はおよそ30 - 50万人と言われる。そのうちの20 - 25万人が統合失調症であるとされる。1970年代よりセクトゥール制といわれる地域医療が発達している。この制度はフランス特有の公的精神医療・福祉サービス体制であり、公立病院(81%)への入院、外来、地域医療、福祉のすべて一貫して県の組織で行われ、私立以外はすべて無料である。入院内・外の継続治療、病気の予防や発症の早期発見などが一つの機関で行え、CMP(医学心理センター)、Hopital de jour(昼間病院、デイケア)、Apartment thérapeutique(治療アパート)、CATTP(時間限定治療センター)など備わっているのが特徴。このセクトゥール制に属する病院はフランス全土に950存在し、公的精神病床数は61500床あり、約6600人の精神科医が配置されている[32]。
イタリア
- 歴史
- 1774年、レオポルド大公が精神障害者の人道的ケアを謳った精神衛生法を施行する。1785年には、近代的精神医療をめざした聖ボニファチェ病院が開設され、院長のヴィンチェンツォ・キアルージが精神障害者に対する開放的処遇を発表。病歴記載方法、高度の衛生管理、レクリエーション施設、作業療法、拘束の制限など、人権思想に関する当時としては極めて先進的な手法を提示した。1904年、法36号(自傷他害・公序良俗を汚す恐れのある患者の強制入院等)が規定される。1968年、イタリア精神病院医師会の働きかけにより法431号が制定され、自由入院が可能となり、1:4の人員配置、社会福祉士や心理士の配置、総合病院内への精神科病床の設置、外来設置や精神衛生センターの設置なども進められた。
- 1978年、通称「バザリア法」が成立[33]。世界初の精神病院廃絶法である。予防・医療・リハビリは原則として地域精神保健サービス機関で行う。やむを得ない場合に対処するために一般総合病院にも15床を限度に設置するが、そのベッドも地域精神保健サービス機関の管理下に置く。治療は患者の自由意志のもとで行われるが、やむを得ない場合には定まった条件を満たした場合のみ強制治療はある[34]。これによりイタリア各地における精神医療サービスは、それまでの入院中心様式から地域・外来治療中心へと展開した[35]。
- 現在
- イタリアの精神医療は、精神病院の閉鎖と、その後の地域中心型精神医療サービスへの移行に成功している好例である。
- 各州にある地域医療事業体(ASL)には精神保健部門の設立が義務付けられ、医師などによる医療チームが配置され、成人の精神保健全般のニーズに応える。各ASLの精神保健部門には、地域精神保健センター、総合病院内の精神科入院病棟、デイホスピタルやデイセンターのような生活・居住訓練施設、援護寮などの居住施設を設置運営しており、長期の包括的介入や地域ケアも担当する。地域精神保健センターは、月曜から土曜まで開いており、地域住民はいつでも直接予約の上受診できる。その他患者のニーズに応じて訪問活動も行われる。総合病院内の精神科入院病棟は、公立の総合病院に付設されており、退院後は地域の精神保健サービスにつながるように紹介される。基本的には自由入院であるが強制入院も含まれる。ここで働く精神科医はASL所属であり、コンサルテーション・リエゾンなども行う。デイホスピタルでは重症患者へ中長期的の治療が行われる外来部門であり、精神保健センターと連携している。デイセンターでは生活訓練や社会技能訓練を行っている。援護寮などの居住施設では、心理社会的リハビリテーションに力をいれており、ニーズに合わせ様々なプログラムが存在する。このデイセンターは社会的孤立を避ける為、都市部への設置が定められている。
- なおこれらの諸施設の設置は法で定められているものだが、イタリア国内での地域差が大きい。
- 薬物依存と児童思春期の部門は独立して存在しており、精神科の範疇ではない。
- イタリア国内に精神科医は5094名、看護師15482名、心理士1785名が存在する(1998年調べ)[35]。
アメリカ
- 1817年に最初の「道徳療法」を行う精神病院が開設される。1963年に「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」(Special Message to the Congress on Mental Illness and Mental Retardation、ケネディ教書)により精神医療における脱入院化が掲げられるが、地域に出た精神障害者を取り巻く環境は不足していた。退院患者の増大に対して、地域社会におけるケアの拠点である地域保健センター(Community Mental Health Center、CMHC)の整備が不足していた。
- 時代を経て、50年代 - 60年代になると、高い治療費を払って精神科にかかり、精神分析を受けることはステータスとなった。この時期にアメリカ精神医学会が精神疾患に関するガイドライン「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」初版(DSM-I)を出す(1952年、なおこのガイドラインについては批判がある)。さらに70年代 - 80年代になると、境界例の患者が急増する。この頃から民間の保険会社が治療費を支払うことが多くなったが、半年から一年単位の長い入院が必要になるなど治療に時間がかかり、高額の保険料支払いなどが負担となり、保険会社の倒産などの事例がみられるようになった。こうした事情をうけ、90年代頃には保険会社によるマネージメントケア(管理医療)はきわめて厳しいものとなった[36]。
- 患者が入院した場合を例にとる。まず保険会社のケースマネージャーが医療機関に電話をし、入院理由、治療目標、治療方法などを医師に尋ね、何日かの入院を許可する。マネージャーは数日後にまた電話をし、現在の病状、治療目標などを尋ね、医師と薬剤や退院日の示談をする。薬のチェックにも厳しい為、日本のように患者に多様の薬剤を投与しているケースは少なく、必然的に最小量で最大の効果を出せる薬剤の選択が求められる。入院はこのような短期入院がほとんどであり、民間の保険会社の介入は、アメリカの入院治療の質の低下の一因となったといわれている。また、自殺念慮のある患者を早期に退院させ、自殺しまった例などで、保険会社が訴えられ被保険者側が勝訴するなどの事例もあった。そうしてこのような厳しいマネージケアに対する反省が高まった結果、少しずつ緩和されていった[36]。
- 90年代から増えた多重人格障害などの患者に対しても、外来での面接回数の制限があり、おおよそ2、3か月の治療で終了する。その為、精神科医には高い能率性が求められ、治療能率が悪い医師は淘汰される。なお精神科医の指定も保険会社が行うことが大半である[36]。
- アメリカの私立精神科病院は医師を雇わない。自らのオフィスを有している精神科医が、自分の受け持った患者を入院させ、病院の看護師、作業療法士、ケースワーカー、臨床心理士などのスタッフと協力して治療に当たり、週に一度ごとケースカンファレンスや、家族療法、患者も参加するデイリーミーティングを行うなど、きめ細かい医療を提供している[36]。
- 独立、個人志向の強いアメリカでは、地域で生活している精神障害者に対する偏見はない。雇用も助成がある為、問題なく進む場合が多い[36]。
ソ連
1971年、ソ連の反体制者が政治目的で特殊精神病院に送られていることが世界精神医学会(World Psychiatric Association)第五回世界大会において正式に告発される[37]。その思想が向精神薬や精神療法によって矯正されるまで閉じ込めていた [38]。
中華人民共和国
中華人民共和国では今だに旧ソ連同様に政治目的で精神病院を利用しており、例えば新宗教である法輪功のメンバーが強制入院させられている[38]。
脚注
- ^ 癲狂の「癲」は「抑うつ、無感情、言語錯乱、わけもなくよく笑う、目がすわりじっとしたまま」など、「狂」は「興奮、怒り罵る、騒ぎまくる」などの症状を言を指していた[6]
- ^ しかし、自殺の可能性や生命危機の差し迫った(最)重症エピソードには、修正型電気けいれん療法(ECT)を考慮するとされている。また、精神病性うつ病でも、薬物療法と並んでECTが有効とされている。
- ^ Evidence-based Physical Therapy
- ^ ただし、有効性に関するエビデンスには乏しいものの、精神療法の併用も、重視すべきことであり、決して蔑ろにしてはならないとしている。また、維持療法では、心理社会的治療がいずれも薬物療法との併用を条件に推奨されている。なお、躁病エピソード、大うつ病エピソードともに、電気けいれん療法が「その他の推奨されうる治療」に含まれている。
文献
- ^ 医療法上では1996年に廃止されている。総合病院の項を参照
- ^ 順天堂大学医学部附属順天堂医院メンタルクリニック公式サイト
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- ^ 「改訂 新・セミナー介護福祉10 精神保健」 加藤雄司 編 ミネルヴァ書房 ISBN 978-4623042883 116頁
- ^ 精神障害者をどう裁くか 岩波明 光文社 2009年 ISBN 9784334035013 60頁
- ^ 近代庶民生活誌 20 病気・衛生 南 博ら編集 三一書房 1995
- ^ 大熊一夫 『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本』 岩波書店、2009年、18-19頁。ISBN 9784000236850。
- ^ 「精神科セカンドオピニオン」 誤診・誤処方を受けた患者とその家族たち、笠陽一郎 シーニュ ISBN 978-4990301415 240頁
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- ^ 第5回 新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム
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- ^ 精神病院を捨てたイタリア捨てない日本 大熊一夫 岩波書店 2009年 ISBN 9784000236850 p18
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- ^ 社団法人 日本精神保健福祉士協会
- ^ John B. Jenkins「Overview of the Development of Alternatives to Community Care-200 Years Experience(コミュニティケアをめぐるイギリス精神保健の200年)」、『リハビリテーション研究』第79巻第1号、日本障害者リハビリテーション協会、1994年3月、 11-15頁、 NAID 50005587903。
- ^ 「薬だけに頼らぬ英国 自殺予防、チーム医療で成果」『毎日新聞』2010年7月20日
- ^ 精神障害者をどう裁くか 岩波明 光文社 ISBN 9784334035013 p67
- ^ 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 『フランス Plan Psychiatrie et Santé mental 2005-2008』
- ^ イタリアの“夢のような挑戦”―地域精神保健サービスの国際セミナー JanJan 2008年10月19日 2010年10月10日閲覧
- ^ 精神病院を捨てたイタリア捨てない日本 大熊一夫 岩波書店 2009年 ISBN 9784000236850 p106 - 108
- ^ a b 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 精神保健計画研究部「改革ビジョン研究HP 『イタリア』
- ^ a b c d e 中久喜 雅文 『アメリカの精神医療情報』 2001年5月
- ^ 日本共産党に強制収容所―僕が体験した共産主義という狂気の支配 安東幹 日新報道 2004年 ISBN 9784817405760 p102 - 103
- ^ a b トンデモ陰謀大全最新版 アル・ハイデル、ジョン・ダーク 編 北田浩・訳 2006年 ISBN 9784880861913 p140
関連項目
- 精神科医 - 精神保健指定医
- 精神保健福祉士
- 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律
- 社会的入院
- 向精神薬 - 多剤大量処方
- 抗精神病薬
- 精神疾患
- 神経学
- 心理学
- 心療内科
- 精神医学
- 感性制御技術
- リエゾン精神医学
- 脳科学
- 根拠に基づいた医療
- サテライトクリニック
- 日本精神科病院協会
- 精神障害者保健福祉手帳
- 閉鎖病棟
外部リンク
- 社団法人日本精神科病院協会
- 『東京精神病院事情』ありのまま 東京精神医療人権センター
- 大阪精神医療人権センター
- NPO法人精神医療サポートセンター
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