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生態学(せいたいがく、英: ecology)は、生物と環境の間の相互作用を扱う学問分野である。
生物は環境に影響を与え、環境は生物に影響を与える。生態学研究の主要な関心は、生物個体の分布や数にそしてこれらがいかに環境に影響されるかにある。ここでの「環境」とは、気候や地質など非生物的な環境と生物的環境を含んでいる。
なお、生物群の名前を付けて「○○の生態」という場合、その生物に関する生態学的特徴を意味する場合もあるが、単に「生きた姿」の意味で使われる場合もある。
非常に頻繁になされる定義、とくに人類生態学で用いられる定義では、以下の三角関係についての研究が生態学とされている。
ecology(生態学、エコロジー)という語は、誰がその語を用いているかによって意味するところが異なる。多くの科学者にとって、ecologyは基本的な生物科学に属しており、生物個体やそれ以上の生物の集団、およびその環境を研究対象とする。
たとえば、いわゆる生物濃縮の現象は、生態学の理論によってのみ説明が可能な現象である。
科学者でない多くの人にとって「エコロジー」は科学の一分野ではなく、何よりもまず人間およびその活動から自然と環境を保護することであるが、これは人間対自然という二項対立の見地によるものである。
必ずしも一般的ではないが、生態学を科学としての生物学以上のものとする見方もある。その考えによると、生態学とは、自分たち以外の生物と調和して存在し、また我々を取り巻く他の生物群を単なる物として利用すべきではなく、むしろより大きな一貫したシステムに属するそれぞれの要員ととらえ、ひとつの組織であると考える、ある種の世界観である。
古代ギリシャのアリストテレスの動物に関する研究やテオプラストスの植物、植物群落についての研究にはじまり、ローマの大プリニウスの自然史などをへて、ロバート・ボイルの呼吸についての研究、ルネ・レオミュールの昆虫の生活史や社会生活に関する研究、さらにリンネの分類学や地理学的研究、ビュフォンの自然史と環境と生物の関係についての研究を生態学の前史にアリー(1949)[1]は位置づけた。
英語の"ecology"は、1866年にドイツのダーウィン主義生物学者エルンスト・ヘッケルにより作られた。ギリシア語のoikos(=家)とlogos(=科学)とを組み合わせたものである。
18世紀から19世紀初頭にかけて、フランスやドイツといった大きな海事力をもつ国々は、他国との海洋商業確立、新しい自然資源の発見と目録作成を目的に、多くの遠征に出帆した。18世紀初頭に知られていた植物種はおよそ2,000種であったが、19世紀初頭になるとその数は4,000種に増え、現在では400,000種に達している。
これらの遠征には多くの科学者が参加し、中には植物学者も含まれていた。ドイツの探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトもその一人であり、生物-環境間の関係に初めて着目したという点から、しばしば生態学の真の父と考えられている。彼は観察された植物種と気候、緯度・経度を用いて記述された植生区分との間に関連があることを明らかにした。このような領域は、現在では植物地理学として知られている。1805年に出版された『Idea for a Plant Geography』はフンボルトの代表著作の一つとされる。
他の重要な植物学者としては、Aimé BonplandやEugenius Warmingなどがいる。
1850年ごろ、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」出版に伴う革新が起こった。また、ダーウィンは生物個体間や種間、環境との関係を重視して、その仕組みに基づいて進化論を主張したが、その内容は生態学的と言って良いものである。
生態学は、反復のある機械的なモデルを、生物学的・有機的な、そしてそれゆえに進化的なモデルへと受け渡した。
同じ時代にダーウィンの競合者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、初めて動物種の"地理"について提案をした。当時の何人かの科学者は、種は互いに独立したものではないということを認識し、生物を植物、動物、後には生物群集に分類した。この生物群集(biocenose)という語は、1877年にカール・メビウスによって作られたものである。
19世紀までに、ラヴォアジエとテオドール・ド・ソシュールによる、とりわけ窒素循環に関する化学上の新発見によって、生態学は花開いた。
地球の大気圏・水圏・岩石圏の中で生物が発展しているという事実から、1875年オーストリアの地理学者エドアルト・ジュースは「生命が生息する地球表面の場所」という概念を表す用語として「生物圏」を提案した。
1926年、フランスに亡命したロシアの地質学者ウラジミール・ベルナドスキーは、著書『生物圏』の中で「生態学を生物圏の科学」と再定義した[2]。同書では生物地球化学的循環の基本原理が述べられており、生物圏を生物・非生物の作用を含めた循環系として記述した。
史上初めて報告された生態学的な損傷は、18世紀における植民地の増加による森林破壊である。産業革命に伴い、19世紀に入ってからは、人間の活動が環境に与える影響について差し迫った関心が寄せられた。生態学者という用語は、19世紀の終わりから使われはじめた。
19世紀を越え、生物地理学の基礎となるべく、植物地理学と動物地理学が結びついた。種の生息地・生育地を扱う生物地理学は、しばしば生態学と混同される。生物地理学は、ある種が特定の生息地・生育地になぜ存在するか、その理由を説明する試みである。
1935年、イギリスの生態学者アーサー・タンズリーは、生物群集と生息空間(biotope)との間に成り立つ相互作用の系を生態系(ecosystem)と名付けた(実際はロイ・クラファン)。こうして生態学は、"生態系の科学"になったのである。
第二次世界大戦後、地球上での人間の役割と立場に関する人間生態学の一分野では、核エネルギーや工業化、人口の社会的意義、工業国による天然資源の濫用、第三世界の国々で起こっている指数関数的な人口増加などの新しい課題に取り組んでいる。
ジェイムズ・ラブロックが彼の著作『The Earth is Alive』の中で提唱した「ガイア」(Gaïa)という世界観は、地球をひとつの巨大な生物に喩えている。議論になるところではあるが、ガイア仮説は一般人の生態学への興味を増加させた。"母なる大地"であるガイアが「人間と人間の活動のせいで病気になりつつある」ととらえる者もいた。科学的視点では、この仮説は生物圏と多様性を世界規模の観点からとらえる新しい生態学とつじつまがあっている。
人類生態学はシカゴにおける植生遷移変化の研究を通して1920年代に始まり、1970年代にひとつの研究分野として確立した。人類生態学では「地球上に広く生息する人間も主要な生態学的な要因(ecological factor)である」という認識に注目した。生息地の開発(特に都市計画)、集約的な漁業、あるいは農業・工業活動を通じて人類は大きく環境に手を加えるからである。
人類生態学は、人類学者、建築家、生物学者、人口統計学者、生態学者、人間工学研究者、民族学者、都市計画研究者、医師といった研究者が参画する分野として始まった。
人類生態学は生態学の支流であり、人間、その組織的な活動、人間をとりまく環境についての研究を行う。これをhuman ecologyやecological anthropology等と言う。
学問的研究と環境保護運動の過程における相互関係や、新宗教的なエゾテリック派によって思想/宗教/世界観に環境保全的な価値観が存在し、自然と人間との関係が深く影響されていると仮定する環境保全主義的イデオロギー(environmentalism)が近年の一般的な議論で目立ち始めている。この派閥は特に欧米の文化人類学者によって批判されてきたが、その理由として、仏教徒が元々自然保護派であり、キリスト教は単に世界征服を目指したモノテイズムである等と言った単純な理論立てが「環境」から「価値」へ議論テーマをそらしてしまう様であり、民族主義的な対立を引き起こす可能性が含まれているからである。仮にenvironmentalismの提言する宗教基盤の価値観が人間と自然の関係を左右するとしたら、日本特有である自然界を対象とする「神道」は環境保全に効果があるはずであるが、現実は違う。環境保全主義的イデオロギーの「パラダイム」(environmentalist paradigm)と呼ばれている派閥には多数の流れがあり、中には環境保全的アジアニズムといったナショナリストや欧米人であり、欧米社会環境で社会化した人が「反欧米的価値観」を主張するといった複雑な面もあり、environmentalism研究と言う新たな分野が注目されている(Berkes 2001, Ingold 1993, Kalland 2003, 2005, Pedersen 1995)。生態学における知見は上記の「内心面的」なものに限らず、個人や集団の諸外部への関係へも発展した。その中で、例えば政策や都市経営に適用しようとする政治生態学(political ecology)が1920年代から研究されたが、この場合の「政治」は社会と経済も含まれている意味合いがある。なお、Roy Rappaport(1984)をはじめとする人間と生態系の関わりに見られる細かな関数的な相互影響のシステム論(サイバネティックス)と解釈する学派も存在する。後者は自然科学と文化研究の結合として発展していったが、メカニックな生態系解釈は批判の対象にもなっている。
生態学は、生物にかかわる研究をするので、大方は生物学に属するものと考えられる。生物学では、その扱う対象に様々な階層がある。(核酸を含む)分子を扱う分子生物学、細胞を対象にする細胞生物学、(組織や個体そのものの意味での)生物体を対象とする生物学、個体群を対象とする研究、群集の研究、生態系や生物圏に体する研究などである。最後の3つ(あるいは4つ)がほぼ生態学の範囲にあたる。
生態学では、生物とそれをとりまく環境間の相互の関係に焦点を当て、生物について俯瞰的に説明を行おうとする。そのため、地質学・生化学・地理学・土壌学・物理学・気象学などの他の学問分野とも深い関連をもち、綜合的な(=非還元主義的な)科学であるとされる。
以下に、生態学における諸分野を、スケールの小さなものから列挙する。
現代の生態学者にとっては、
といった幾つかのレベルで研究がなされ得る。
個体レベルで生態学的な視点と言えば、古くは生理生態学的なアプローチ、と言うことになろう。たとえばある種の海岸生物の分布域を、個体の耐塩性と関連づける、といったものである。近年では、行動生態学の進歩によって、行動や生活史の上での特徴までもが個体を単位に考える必要が示されている。
個体群レベルでは、対象は個々の生物の種、あるいはその一部である。ただしその個体を取り上げ、研究室内でその機能と構造を調べるのではなく、その生物が生存している場に於いて、さまざまな特性について考える。当然ながら対象とする地域は狭く、その生物の活動圏がひとつのまとまりである。
生物圏レベルの視点に立った場合、地球は水圏・岩石圏・大気圏といった構成要素から成っている。ときに第四の要素として扱われる生物圏は、惑星上で生命が発展できる部分である。
生物の大多数は-100~+100mの間に位置する区間に生息しているが、生物圏は深さ11,000m、海抜15,000mまでの非常に薄い表層である。
生物は、はじめ太陽光の届く浅い水辺で発達し、やがて多細胞生物が現われ、集合し、底生生物となった。また、紫外線から生物を守るオゾン層が生まれたことで、陸上で生活する生物が発展を遂げた。地上の生物の多様性は、大陸が分離・衝突することによって増大したと考えられている。
生物圏と生物多様性は、地球の特徴として不可分なものである。生物圏は、生物が存在する領域として定義されるが、生物多様性はその多様さを指す概念である。例えるなら、生物圏が容れ物であるならば、多様性はその内容物の状態を表している。多様性は、生態系レベル、個体群レベル(遺伝的多様性)、種間レベル(種多様性)といった異なる枠組みでとらえることができる。
生物圏は、炭素・窒素・酸素といった、多くの生物にとって必要な元素を非常に多量に含む。リン・硫黄・カルシウムなどのその他の元素も、生物には不可欠である。生態系・生物圏レベルでは、これらの要素は無機・有機の状態間で変化しながら、常に循環している。
生態系が機能するための主要なエネルギー源は、太陽光である。植物は光合成により、光を化学エネルギーに変換する。この過程で糖が生成され、生態系を動かす第二のエネルギー源となる。糖のうちいくつかは、エネルギー源として他の生物に利用され、その他の糖もアミノ酸などの高分子を形成する材料となる。植物は糖から蜜を作り送粉者を誘うことで、繁殖を可能にしている。
細胞呼吸は、哺乳類などの生物が糖を二酸化炭素や水に変換し、エネルギーを得る過程である。他の生物の呼吸活動に対する植物の光合成活動の割合は、大気中の成分構成(特に酸素)を決定する。気流は大気を攪拌することで、生物活動が濃密な地域と希薄な地域との間での大気バランスを保つ役割を持つ。
水もまた水圏・岩石圏・大気圏・生物圏の間でやり取りされる存在である。海洋は水を蓄えた巨大なタンクであり、熱的・気候的安定性を請け負うとともに、海流によって化学物質の輸送も担っている。
生物圏がどのように働いているか、また人間の活動によって生じる機能不全をより深く理解することを目的とし、アメリカのアリゾナ州にバイオスフィア2と呼ばれる密閉型人工生態系が建設され、様々な研究活動が行われている。
生態学の第一の原理は、各々の生物は、それを取り巻く環境を作りあげる他のあらゆる要素との間に、進行的・継続的な関係をもつということである。「生態系」とは、「生物・環境間の相互作用の存在するあらゆる状況」として定義することができる。
生態系は、生物(生物群集)と、その生物が存在するための媒体(生育地・生息地)という、2つの構成要素から成る。生態系内では、種は食物連鎖において互いに関係し、依存し合っている。また、生物同士や環境との間で、エネルギーと物質をやりとりする。
生態系という概念は、さまざまなスケールの単位 --- 1つの池、1つの草地、あるいは1個の木片といった --- に適用できる。
微小な生態系の単位としてmicroecosystemという言葉が使われる。例として、1個の石とその下に存在するすべての生物との関係を考えることができる。同様に、mesoecosystemは森林、macroecosystemは全ての生態地域というように使い分けられる。
生態系はしばしば以下のような、関連する生息空間に基づいて分類される。
生息空間は、地質、地理、気候といった非生物的な環境要因によって、その範囲が規定される。非生物的な環境要因としては、以下のものが挙げられる。
ただし、このような非生物的要因に、生物が全く関与できないかと言えば、そうではない。一般の見方としては、気候的要因などは緯度や標高などによって決定されるものと思われるが、そのようなものであっても、生物の存在によってある程度の変化は生じる。例えば、過度の伐採によって砂漠化している地域があるとする。一度砂漠化すると回復は難しいが、それではなぜ以前には樹木があったのかという疑問が生じる。これは、樹木が過度の攪乱(かくらん)を受けなければ、砂漠にならなかった、つまり砂漠の気候になるのを植物が止めていたことを意味する。一般的に、植物がよく生育していた環境を、過度の攪乱によって裸地化した場合、気温の変動幅が大きくなり、乾燥化する傾向がある。このように、非生物要因によって生物群集が影響を受けることを作用、逆に生物群集が非生物要因に影響を与えることを反作用という。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所で発生したメルトダウン事故では、放射線への大量被曝の影響を受け、多くの人々と動物が癌によって死亡し、多数の奇形が発生したと報告されている。現場周辺の土地は、事故により生じた多量の放射性物質のため、現在では放棄されている。
2012年6月6日、地球の生態系は気候変動、人口増加、環境破壊の要因により、今後数世代で崩壊し、その転換点が今世紀中に訪れるという報告が『ネイチャー』に発表された。しかし、持続不可能な成長パターン、資源の消耗などを止めることで回避することは可能としている[3]。
政治的生態学(英:political ecology)とは、政治的・経済的・社会的要因がどのように環境に影響を与えているかを研究する領域である。近年の環境悪化の結果として、エコロジー運動の機運が高まっているが、政治・イデオロギーと科学としての生態学の基本的な違いを理解することは重要である。
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