出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/02/16 23:21:06」(JST)
この項目では、埼玉県戸田市のコミュニティバスについて記述しています。愛知県常滑市のコミュニティバスについては「とことこバス」をご覧ください。 |
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『toco』(とこ)とは、埼玉県戸田市内を循環して運行されるコミュニティバス路線の愛称名。正式名称は「戸田市コミュニティバス」で、管轄課は「防犯くらし交通課」である。
キャッチフレーズは、『笑顔をのせてトコトコいくよ。』。
公営バス事業者が存在しない戸田市にとっては、長年国際興業により市内一帯においてバス路線を構えていた。ところが、1985年に国鉄(現:JR東日本)埼京線の運行開始に伴うバス路線の再編・統廃合などが実施されたことによってバス離れが進み、特に昼間に対しては運行されない時間帯が生じる地域が存在するなど、利用者に対しては不便を強いられることになった。このため、その昼間の交通不便な地域の解消を目的に、市がコミュニティバスの企画を提案し、2000年10月頃に実証実験を行った。その実験結果を反映し、翌2001年10月に最初の路線となる『東循環』の運行を開始した。
その後、市民や利用者などから運行路線の拡大などが寄せられたことから、2003年11月には『西循環』と『美笹循環』を、2006年10月には『南西循環』を、それぞれ運行を開始し、これによって市内のほぼ全体をカバーするコミュニティバスに育ててきた。
そして2011年1月16日には、誕生当初からの路線だった東循環を分割・2系統化を実施し、喜沢循環と川岸循環の2路線の運行を開始した。
愛称及びキャラクターなどは市民からの一般公募によって選ばれ、tocoの意味は『“to”da “co”mmunity bus』から取ったものであり、このうちの「“co”」には『comfortable(快適な)』・『convenient(便利な)』の意味合いも持っている。なお、地元住民では「トコバス」の呼称で親しまれている。
車両は全て戸田市が保有し、運行は以下の事業者に委託している。
全路線とも、小学生以上:運賃100円均一となっている(未就学児は無料)。その他、「コミュニティバス『toco』専用一日乗車券」(200円)、「コミュニティバス『toco』専用回数券」(11枚綴り1,000円)が発行されている(車内にて乗務員から購入できる)。国際興業バスの自社回数乗車券、バス共通カード(サービス終了)、ICカード:PASMO・Suicaは利用できない。
また、「コミュニティバス『toco』」同士による乗り継ぎが無料で利用できる(乗り継ぎの際、乗務員から乗り継ぎ券を受け取ることとなる。ただし、乗り継ぎ指定停留所は喜沢、川岸、南西、西循環同士では「戸田公園駅西口」、南西、西、美笹循環では「下笹目」となっている)。さらに、一般路線バスから「コミュニティバス『toco』」への乗り継ぎが無料で利用できる(乗り継ぎの際、降車時に乗務員から乗り継ぎ券を受け取ることとなる。「路線バス→コミュニティバス『toco』」への乗り継ぎ指定停留所は「戸田公園駅西口」・「下笹目」・「北戸田駅」となっている)。
運賃支払いは全て前払い方式だが、マイクロ車(予備運用時はワゴン車)が使われる美笹循環を除き、中型車両が使われる喜沢・川岸・西・南西の4路線では前乗り後降りである。
なお停留所には運行経路順に番号が付記されているほか、看板にも路線ごとに色分けされている。
かつて運行された、東循環のバス停
喜沢循環のバス停
川岸循環のバス停
西循環のバス停
美笹循環のバス停
南西循環のバス停(前側)
他地域のコミュニティバスでは年末年始期間中にて全便運休が多い中、戸田市コミュニティバス『toco』ではこれまで365日年中無休で運行してきたが、委託先の運行事業者側から年末年始における運転士の確保が困難であることを理由としての検討を求める要望があったため、他の運行方法がないことや公共施設等の休業が多いことに対しての影響が限定的であるとの判断[9]により、2010年度より年末年始期間(12月29日 - 翌年1月3日の間)にて運休期間が設けられた。[6]
ここでは主要停留所のみ掲載する。なお全停留所については外部リンクの節を参照のこと。
また、toco相互間及び路線バス→tocoへの乗継指定停留所には太字を、路線バス→tocoへの乗継指定停留所には斜字を、■には相互乗継可能な路線名の色を示す。
(相互乗継可能な路線名の記号=■印:喜沢循環、■印:川岸循環、■印:西循環、■印:美笹循環、■印:南西循環)
なお各節内において、国際興業担当路線には系統番号を割り当てられているが、これは「こくさいばす どっとこむ」サイト内にある時刻表検索ページに基づいており、実際の方向幕には表示されていない。
2011年1月15日まで運行されてきた東循環の2系統化に伴う再編によって開設された路線[7][8][9]で、戸田公園駅から中町公園、喜沢方面を循環する路線である。戸田公園駅西口で7:40から18:10までの間の30分おきに運行されている。路線カラーはかつての東循環から受け継がれたオレンジとなっている。喜沢循環を走り終えた車両は戸田公園駅西口にて『川岸循環』へ直通する。
2011年1月15日まで運行されてきた東循環の2系統化に伴う再編によって開設された路線[7][8][9]で、戸田公園駅から戸田市役所、川岸方面を循環する路線である。戸田公園駅西口で7:25から18:25までの間の30分おきに運行されている。路線カラーは新たに設定したレッドとなっている。川岸循環を走り終えた車両は戸田公園駅西口にて『喜沢循環』へ直通する。
下笹目からスポーツセンター、戸田駅、氷川町地区を循環する路線である。下笹目始発7:30から18:30までの間の1時間おきに運行されている。路線および車体カラーはライトブルーとなっている。
年度 | 運行日数 | 年間乗車人員 | 備考 |
---|---|---|---|
2003(平成15)年度 | 61(※) | 23,529 | 運行開始 ※:11月(運行開始)~12月の間の乗車人員 |
2004(平成16)年度 | 366 | 81,748 | |
2005(平成17)年度 | 365 | 93,277 | |
2006(平成18)年度 | 365 | 87,302 | |
2007(平成19)年度 | 365 | 82,367 | |
2008(平成20)年度 | 61(※) | 14,013 | ※:4月~5月の間の乗車人員 |
下笹目からさいたま市南区に隣接する美女木地域、北戸田駅を循環する路線である。下笹目始発7:30から18:30までの間の1時間おきに運行している。路線カラーはピンクだが、車体カラーに関してはホワイトである。
2009年3月9日からは従来のワゴン車両に代わってマイクロバス車両が投入され、車内が広くなったほか、補助ステップや2台分の車椅子用スペース、それに降車ブザーも搭載し、利用しやすくなったことから、今後の利用客の増加が期待される。
ただしマイクロ車両が点検などで運用できない場合は9人乗りのワゴン車両が使われるが、万一の満席が生じた場合には乗務員が無線で通常のタクシー車両を呼び出して対応する。タクシー車両到着後、乗務員にて同ルート内の指定停留所名を告げること(なお、その場合の運賃は100円のままである)。ただし、専用車両が空席時にてタクシー車両の呼び出しをする場合や、タクシー車両による運行時にて同ルート内の指定停留所以外での降車の場合は通常のタクシー料金となるので注意が必要である。
年度 | 運行日数 | 年間乗車人員 | 備考 |
---|---|---|---|
2003(平成15)年度 | 61(※) | 7,119 | 運行開始 ※:11月(運行開始)~12月の間の乗車人員 |
2004(平成16)年度 | 366 | 21,805 | |
2005(平成17)年度 | 365 | 23,637 | |
2006(平成18)年度 | 365 | 21,989 | |
2007(平成19)年度 | 365 | 20,516 | |
2008(平成20)年度 | 61(※) | 3,199 | ※:4月~5月の間の乗車人員 |
下笹目から早瀬地区、新曽南地区、戸田公園駅を循環する路線である。循環とはなっているものの、下笹目から戸田公園駅方面と戸田公園駅方面から下笹目方面において一部区間で経路が異なるのみである。下笹目始発8:00から18:00までの間の1時間おきに運行されている(ただし、下笹目16時台始発は運行されない)。路線・車体カラーはライトグリーンとなっている。
年度 | 運行日数 | 年間乗車人員 | 備考 |
---|---|---|---|
2006(平成18)年度 | 92(※) | 27,899 | 運行開始 ※:10月(運行開始)~12月の間の乗車人員 |
2007(平成19)年度 | 365 | 67,805 | |
2008(平成20)年度 | 61(※) | 11,439 | ※:4月~5月の間の乗車人員 |
戸田公園駅から戸田市役所、上戸田、喜沢方面を循環する路線である。戸田公園駅西口で7:30から18:20までの間の20分または25分おきに運行されていた。路線及び車体カラーはオレンジとなっている。2011年1月16日の東循環の再編による2系統化に伴い、同年1月15日をもって運行を終了した。[7][8][12]
年度 | 運行日数 | 年間乗車人員 | 備考 |
---|---|---|---|
2001(平成13)年度 | 85(※) | 50,191 | 運行開始 ※:10月(運行開始)~12月の間の乗車人員 |
2002(平成14)年度 | 365 | 133,845 | |
2003(平成15)年度 | 365 | 148,158 | |
2004(平成16)年度 | 366 | 171,270 | |
2005(平成17)年度 | 365 | 173,212 | |
2006(平成18)年度 | 365 | 147,706 | |
2007(平成19)年度 | 365 | 139,993 | |
2008(平成20)年度 | 61(※) | 25,286 | ※:4月~5月の間の乗車人員 |
東循環線は当初現在では、クセニッツ社製の小型ノンステップバスが使われた[13]が、現在では、喜沢/川岸兼用・西循環・南西循環は三菱ふそうトラック・バス社製エアロミディMEノンステップ車(CNGエンジン車両)が、また東循環の分割・2系統化で必要となった喜沢/川岸兼用車増車分には日野自動車社製ポンチョロング(ディーゼル)[9]が、それぞれ用いられている(これらの4路線の専用車両のうち、1台が車両点検に入った場合には、同路線の専用方向幕が収録されたいすゞ・エルガミオ7M車両<国際興業色>が代車として使われる場合がある)。なお、美笹循環線はトヨタ自動車社製コースターが終日用いられているが、同車の車両点検時には日産自動車社製キャラバンが予備として運用される。各路線の車両には、かわいい女の子のキャラクター(公式には名前が付いていないが、通称「トコちゃん」と呼ばれている。)に各運行路線の沿線に合ったテーマ毎のイラストを中心に描かれている。
喜沢/川岸循環兼用車両『アリス』(★:画像は東循環運行当時のもの)
(国際興業戸田営業所所属・社番:737・三菱ふそうPA-ME17DF改)
※:東循環分割再編以前は同循環の専用車両だった。
喜沢/川岸循環兼用車両『サクラソウ』(★:画像は東循環運行当時のもの)
(国際興業戸田営業所所属・社番:738・三菱ふそうPA-ME17DF改)
※:東循環分割再編以前は同循環の専用車両だった。
喜沢/川岸循環兼用車両『元気な街』
(国際興業戸田営業所所属・社番:718・日野BDG-HX6JLAE)
西循環専用車両『川辺の街』
(国際興業戸田営業所所属・社番:734・三菱ふそうKK-ME17DF改)
美笹循環専用車両『花の公園』
(埼京タクシー所属・トヨタBDG-XZB40-VTPENT)
美笹循環専用車両『花の公園』:予備車
(埼京タクシー所属・日産キャラバン)
※:マイクロ車投入以前までは主に下笹目発13:30~18:30台の便にて運用されたが、投入後以降は点検時のみに使用される予備車両となった。
南西循環専用車両『水辺の桜並木』
(国際興業戸田営業所所属・社番:739・三菱ふそうPA-ME17DF改)
東・西・南西の各循環の専用車両が1台でも点検に入った場合に運用される国際興業塗装による代車(国際興業戸田営業所所属・社番:1508・いすゞKK-LR233E1)
美笹循環専用車両『緑の公園』
(埼京タクシー所属・日産キャラバン)
※:主に下笹目発7:30~12:30台の便にて運用された。
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Toco is the most northeasterly village on the island of Trinidad in the County of Saint David at the point where the Caribbean Sea and the Atlantic Ocean meet. Tobago lies only some 35 kilometers to the northeast which renders Toco the closest point in Trinidad to the sister island. The name Toco was ascribed to the area by its early Amerindian inhabitants. The meaning of the name is uncertain, yet its historical significance and value to the country is well noted.
Punta Galera (now Galera Point) is one of the sights of Toco. Galera is a slight corruption of the word "galea", the name originally given to the southeastern point, Galeota Point, by Christopher Columbus. The name was accidentally given to this point as well. The name stuck and it remains a popular tourist destination. The Galera Point Lighthouse in Toco was built in 1897 and today is surrounded by a park and picnic area.
Not much activity took place in Toco after the Spanish colonized Trinidad in 1531 until 1631, when Sir Henry Colt and English forces entered the territory without the knowledge of the Spanish. In 1637, the British were expelled by the Dutch, who had formed an alliance with the Amerindians in the area and were, not too long after, expelled by the Spanish.
One hundred years later, Capuchin priests from Spain came to convert the Amerindians to Roman Catholicism. The mission village in Toco was named Mission Village and existed even after the British came. There was another mission near Cumana and was adjoined to the mission in Toco by way of the Anglais Road.
The French also had a big part to play in the history of Toco. They flocked to the region a few years after 1783, when the Cedula of Population came into effect encouraging French islanders immigration into Trinidad. In an attempt to seal off the northeast and the eastern areas, the six parcels of land (the Toco area) were sold. Some of these settlers included the D'Godet's, the Monique's, the Ponne's, the Traille's, the Narcise's and the Rotan's.
Unlike many other areas in Trinidad and Tobago, the land in Toco was not suitable for extensive sugarcane cultivation. Thus, by 1797, there was only one sugar mill in the entire district. However, the land was quite suitable for cotton production. In 1797, there were as many as 59 cotton mills and the population during that period consisted of 159 African slaves, 62 "free" blacks, 28 French settlers and 155 Amerindians who supposedly lived on the missions. Amerindians (Caribs) also lived in other areas of Toco and Cumana during that period.
There were no roads connecting Toco with the rest of the island. So, in 1818, Toco benefited from the round island steamer service started by Governor Ralph Woodford to accommodate the trade in cocoa and other goods.
In 1830, the Catholic Church made Toco a parish and dedicated the newly built Our Lady of the Assumption Church at Mission Village to it. The Capuchins had established the first church in the area.
In 1849, Lord Harris was responsible for creating ward boundaries. Toco was also one of the earliest villages to receive schools under the ward system as early as 1862. Despite the supposed functionality of the ward system, residents of the area had refused to pay ward rates for developmental purposes and so by 1852, approximately 64 Toco estates were put up for sale. This and other factors could have contributed to the sparse population of the area.
However, by 1881, the population of Toco grew due to the popularity of the cocoa and coffee industry and the influx of workers from Tobago. In fact, at one point in time, Toco was mainly populated by people from the island of Tobago.
By 1930, the first road into Toco linking it with Sangre Grande was built ending the dependence on the round island ferry service and the influx of people from Tobago into the area.
Today, Toco remains sparsely populated, although the numbers have grown since the olden days. In 1980, census reports indicate that the population was about 1311.The villagers of Toco are often very friendly. With its serene atmosphere and picturesque beaches, Toco remains one of the most popular surfing and vacationing spots in Trinidad and Tobago though it is not celebrated as much as other parts of Trinidad such as Maracas and Las Cuevas. In Toco, there are several coconut estates some of which still remain. The Baldeosingh family owns one of the largest in the area. Toco is considered to be a fishing village. Locals can get an education at Toco Secondary formerly Toco Composite, Toco Roman Catholic School and Toco Anglican School.
Coordinates: 10°50′N 60°57′W / 10.833°N 60.950°W / 10.833; -60.950
拡張検索 | 「acute poststreptococcal glomerulonephritis」「post-streptococcal glomerulonephritis」「poststreptococcal acute glomerulonephritis」「poststreptococcal glomerulonephritis」 |
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