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この項目では、野戦時に造られる壕について説明しています。城の周囲に予め造られた壕については「堀」をご覧ください。 |
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塹壕(ざんごう、英: trench)は、戦争で歩兵が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴または溝である。野戦においては南北戦争から使用され始め、現代でも使用されている。日本陸軍では散兵壕(さんぺいごう)と呼んだ。個人用の小さなものはタコツボとも呼ばれる。戦闘陣地の一つ。
世界初の塹壕戦は627年に中東で行われたハンダクの戦いと言われている。この時の塹壕は騎兵を防ぐ障害物としての壕で敵騎兵の攻撃を防ぐことに成功している。世界初の塹壕を掘ったのはペルシャ人のサルマーン・アル=ファーリスィー(en)で、アラブ諸国の軍隊では世界初の工兵とされている。なお、塹壕を掘るための金属製シャベルを発明したのもサルマーンで、世界初の塹壕戦からシャベルは武器としても使用されていた。サルマーンが使用していたシャベルは現在でもエジプトにあるサルマーンのモスク(サルマーンの墓でもある)に聖遺物として安置されている。現在でもアラビア語では塹壕や防御陣地の掘のことをハンダクと呼ぶ。
塹壕は、攻城戦においては火器の普及以降、攻城側が防御側からの射撃を避けるために利用されてきた。大砲の発達と築城術の向上で巨大な要塞が生まれ、それに対抗する攻城術も生まれた。17世紀後半の代表的な攻城術は次のようなものである。
塹壕は要塞からの縦射を避けるためにジグザグに掘る事が多かった。ある程度要塞に近づいたら第2、第3の平行壕を掘り、再び斜壕を掘って要塞へとにじり寄る。
中世に発明された銃は普及を続け、近世には銃剣の発明により歩兵の武器は小銃に統一されたが、やはり刀剣や銃剣を利用しての白兵戦が盛んに行われていた。この当時の銃はまだライフリングがないマスケット銃であり、命中精度が低く[1]、また、前装填銃のため装填に時間がかかるため、歩兵同士での撃ち合いでは決着が付けにくかった。近代においても、隊列を組んだ戦列歩兵が「敵の白目が見える」ような至近距離まで伏せることもなくそのまま行進し、一斉射撃を交した後に着剣小銃で突撃、決着は白兵戦で付けられた。
このため塹壕は限定的にしか使われず、もっぱら攻城戦において防衛側から一方的に浴びせられる砲撃や銃撃から攻め手側を守るとき以外では使われなかった。
戦争の近代化は、戦場において兵士が銃火から身を隠す必要性を増大させた。すでに19世紀の南北戦争やクリミア戦争では、有効射程を大幅に増した銃砲の脅威が兵士に塹壕や掩蔽壕に隠れる必要を迫った[2]。連続射撃では視界を奪うほどの白煙を生む黒色火薬[3]が、視界を妨げず、残渣が少なく銃腔内を汚しにくい上に威力も増した無煙火薬に取って代わられた[4]。さらには後装銃の普及[5]と武器・弾薬の生産力補給力の増強、さらには火力の密度が増したこと[6]、命中精度の高いライフル銃の普及により遠距離から狙撃されるようになった[7]。20世紀にさしかかる頃には手動式連発銃の普及と弾薬供給力のさらなる増強で火力の密度がより増した。
第一次世界大戦において機関銃の大規模運用により正面突撃を完全に破砕しうる火線が完成したこと[8]、発達した鉄道網による迅速な増援・補給が行われた[9]ことによって、従来の戦術で塹壕地帯を突破することは困難になった。しかも敵軍に塹壕を迂回されるのを阻止するために拡張を続けた両軍の塹壕は海岸線に達し、北はバルト海から南は地中海まで連なった塹壕地帯は欧州を完全に分断し、塹壕地帯を迂回して進軍することは不可能になった。防御優位の戦況は前線の膠着をもたらし、お互いに塹壕を築いて長期間にわたり睨み合う総力戦となった。この過程で戦争の中心は従来の野戦から、敵の塹壕を制圧する事を目指す塹壕戦へと変わっていた。第一次大戦当時の西部戦線では、壮大な機動戦を企図した初期のシュリーフェン・プランが失敗し、塹壕戦へと移行した。幾度もの攻防で数千-数十万の犠牲を積み上げるも双方塹壕地帯を突破しきれず、終戦までの約4年間、塹壕戦が続いた。
塹壕戦が始まると、塹壕を掘る作業が歩兵の最も重要な仕事の一つとなった。第二次世界大戦の頃には「歩兵の仕事は8割が塹壕掘り」と言われるまでになった。
塹壕に篭る歩兵にとっての脅威は、塹壕内で砲弾や手榴弾が爆発した場合に飛散する破片や石である。これらの被害を最小限に食い止めるために、塹壕をジグザグに掘ったり、投げ込まれた手榴弾を処理するための穴や溝が塹壕内に設けられた。なお、手榴弾の威力は爆散する破片による負傷が主であり、数十センチ-1メートル程度の穴に落とし込めば、周囲の人間が負傷することは無いとされている。
第一次世界大戦では、両軍とも敵に背後に回りこまれないよう両翼に向けて塹壕を掘り進めて行くうちに、スイス国境からイギリス海峡まで塹壕が到達した。塹壕の壁面は、砲撃による振動で崩れないようドイツ軍は鉄とコンクリートで補強したが、連合国側は木などで補強されたため泥だらけのままだった。また、地下水に対応するため、底部には排水用の溝が掘られ、通路面に木製の橋のような通路が設けられた。この違いには、両軍の配置転換方針の違いや他の理由としてドイツは日露戦争を研究して塹壕強化の重要性を理解していたという説もある。
それでも、降雨などの増水時には、兵士たちは汚物まみれのぬかるんだ泥に足を突っ込んだまま、いつ攻めて来るか判らない相手を待ち続けなければならなかった。あるイギリス兵の手記では、この様子が克明に記されている。
泥、泥、泥・・・。僕は毎日泥の塹壕の中にいます・・・。塹壕は思っていたのとは全く違うところです。最悪の敵は雨です。何日も、何週間も、濡れた粘土の上に蹲り、敵の砲弾の中で暮らすのはどんなものか想像もつかないでしょう。厚いブーツを履いていますが、冷たい泥で足は氷の塊のようです。何本かの指は動かなくなりました・・・。[10]
このような特殊な環境によって、伝染病は元より、塹壕口内炎や塹壕足(重篤な水虫や凍傷によって循環器系障害を起こし、酷い場合は足を切断した)などの病気も発生した。特に寒冷地においてはその被害は甚大なものとなり、戦後復興に大きな影を落とした。
日本陸軍の塹壕には、立射用の他に、膝射用、伏射用などがあった。形式上は自然地を堀拡するもの、自然地上に土嚢などで掩体を設けるもの、断崖その他の自然地を利用するものなどがある。一般的に利用される堀拡式立射用塹壕について述べれば、胸墻、壕および背墻から成る。壕は自然土を掘り下げ、胸墻および背墻は壕を堀拡した除土で構築する。作業には小円匙あるいは円匙を使用し、土質が堅固な場合あるいは樹木の株、岩石地などでは小十字鍬、十字鍬または鶴嘴を使用する。火線のための射撃設備は、照準高、臂座、内斜面、頂斜面および踏垜の形状を能率的に経始する必要がある。照準高は立射のためには1m30cm、膝射のためには80cm、伏射のためには25cmとする。臂座は照準の時に臂をもたせて銃身を安定させ、その上に弾薬を置くもので、内頂の下方25cmに設け、幅は30cmとする。内斜面すなわち散兵の胸腹部が接する斜面は、射撃を容易にし、射手の掩護を良好にするためになるべく急峻にするが、地形が前方に降下する時はむしろ緩やかにするのがよい。頂斜面の傾度は前地を自由に射撃し得るように適宜に決める。踏垜は積土であるため敵に発見されやすいのでなるべく低くし、表面は偽装で掩し、内頂から頂斜面の起部までは少なくとも1mとする。背墻は塹壕の後方における弾丸の爆発の危害から射手を掩護するもので、敵に発見されないように胸墻より低くし、厚さは砲弾の弾子および破片に対しては40cm、小銃弾に対しては1mとする。塹壕には、壕外への進出に便利ならしめるために足掛り、梯子または階段を設け、あるいは壕上の通過を容易にするために短橋が架された。
大規模な塹壕戦が展開された日露戦争では塹壕に潜む敵兵を殺傷する手段として小型爆弾を塹壕に投げ込む戦法がとられ、即席手榴弾が使用された。さらに遠距離の塹壕へ爆弾を投げ込むために日露双方で迫撃砲が作られた。迫撃砲を英語でトレンチ・モーター(塹壕臼砲)と呼ぶようになったのは塹壕戦で使用されたことに由来する。
第一次世界大戦では、防御側の塹壕をいかに突破するかという戦術に両軍とも頭を悩ませた。
現代戦でも、歩兵は拠点の制圧や防衛に欠かせない兵科として運用されている。拠点を精密に攻撃する兵器の登場により、格好の標的とされやすい要塞やトーチカは、歩兵の防御戦闘では既に意味の無いものとなっている。逆にそうした兵器は、広範囲に分散して塹壕に潜む歩兵部隊に大きな損害を与え難いとされる。
核兵器ですら防護服に身を包んで広範囲の塹壕に散らばる歩兵を一掃するには至らない。分散した歩兵大隊を倒すのに、戦術核兵器を幾つも使用することは、費用対効果の面で非常に無駄が多い。また、核兵器を実戦で運用すれば、国際社会から非難を浴び、戦争行為そのものの意味が失われる。
その一方で、戦術核兵器並みの威力で核汚染の無い・また、戦術核と比較しても安価な燃料気化爆弾の登場は、次第にこれら塹壕の存在意義を脅かしつつある。この爆弾は、広範囲に大幅な気圧の変化を伴う衝撃波を発生させ、塹壕内の兵士を圧死させてしまう。また、近距離では莫大な熱量を瞬間的に発生させ、これによる被害も大きいとされる。
なお1990年代の湾岸戦争において、他に援護されたドーザーブレードを装着した戦車により、イラク軍の塹壕を埋め立てる作戦が行われた。この作戦は塹壕戦における新しい脅威と言える訳だが、逃げ遅れたイラク軍兵士の一部が生き埋めとなったという報告があることから、人道上において忌み嫌われる「戦争行為を逸脱した残虐な殺害」に当たるのではないか、と米国内で議論となっている。
陸上自衛隊では塹壕や掩体壕を構築するため掩体掘削機を配備している。
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