出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/10/09 14:35:11」(JST)
名古屋環状2号線(なごやかんじょう2ごうせん)は、愛知県名古屋市の外周部を通り、名古屋市を中心に放射状に伸びる幹線道路と主要地点で連結する、延長約66.2km(専用部66.2km・一般部58.6km)の環状道路である[1]。名古屋圏環状道路(東海環状自動車道とともに2つの環状道路)と位置づけられている。
環状2号・名古屋2環・名古屋二環、名2環・名二環とも表記される。
名古屋環状2号線は、名古屋都市圏の環状道路の一つとして計画され、当初より自動車専用道路部分である専用部と、一般国道部分である一般部を併設する構造として設計されている[2]。国土交通省および中日本高速道路がこの道路の事業を行なうのにあわせ、一般部と平面交差する鉄道については関連自治体が立体交差事業を行うこととなっている。
専用部である名古屋第二環状自動車道(名二環)は全線に渡って一般部の国道302号に併設され、インターチェンジの出入口も国道302号と接続している。名二環と重複しない区間については伊勢湾岸自動車道の一部区間が重複している。専用道路については原則高架であるが、東側部分(松河戸IC - 名古屋南JCT)については起伏の変化が激しい地形であるため、掘割およびトンネル構造を組み合わせている。当初計画案では専用部が6車線(片側3車線)の全線高架構造で検討されたが、一部沿線住民の環境面における建設反対運動および道路周辺部に中高層住宅街が密集すること[注釈 1]をはじめとした排ガス、騒音等周辺環境への配慮や、将来の自動車交通量が原計画より鈍化することが予想されたことから、専用部を4車線に縮小のうえ捻出されたスペースを環境施設帯としたうえで、丘陵地帯の東部区間については高架と掘割の構造に改めた[3]。
一般部(国道302号)は原則として片側2車線の本線車道、植樹帯や遮音壁、サービス道路(ない区間もある)および歩道が整備される計画となっている。併設する専用部が未開通の供用区間についても、その建設が前提の構造になっている。
現在、自動車専用道路は名古屋西JCTから飛島ICまでの54.3kmが開通しており、一般道路は2011年3月28日に春日井市地蔵川付近の開通により、陸上部の全線55.6kmが開通した。
専用部
一般部(陸上部分)
西北部は、名古屋西JCTから国道22号(清洲JCT)、北部は、国道22号(清洲JCT)から国道19号(勝川IC)、東北部は、国道19号(勝川IC)から上社JCTにあたる[5]。
前述のように、専用部は高速自動車国道 近畿自動車道名古屋亀山線に指定されており、名古屋第二環状自動車道として供用済である。
また、地上部の一般部の国道302号が指定、供用されている。この内、交通渋滞の特に激しかった北部区間の国道19号から国道22号に至る区間が1980年4月に環状2号として最初に供用開始された[6]。現在、一般部については、暫定供用区間(片側1車線)が存在する。
鉄道の立体交差化の完了していない箇所については平面交差(踏切)による暫定供用となっている[5]。この場合、供用済の専用部は鉄道の高架化に対応した構造となっている。残る一般部との平面交差箇所は、名鉄瀬戸線・名鉄名古屋本線・名鉄津島線の3路線であるが、名鉄瀬戸線については仮線用地取得中[7]、JR東海中央本線については鉄道高架化工事が終了しており勝川-松河戸の事業中区間が2011年3月28日に接続された。
東北部の専用部は、1974年以降計画が変更され、丘陵地帯については騒音、排気ガスなどの環境面からの配慮および丘陵地帯ゆえ排水等技術的に問題なしと判断されたことで一部掘割を採用することが決定され、当区間の大半が同構造で建設、供用された[3]。
なお、専用部はその名称を2011年3月20日の高針JCTから名古屋南JCT間の開通時に併せ、東名阪自動車道から名古屋第二環状自動車道に変更されている[8]。
暫定片側1車線区間。右側は未供用部分(あま市甚目寺茶之木田)
JR中央線との立体交差部
(春日井市勝川町)
東北部掘割区間の入口。付近は丘陵地帯(名古屋市守山区松坂町)
東部は、上社JCTから国道153号(植田IC)、東南部は、国道153号(植田IC)から国道23号(名古屋南JCT)にあたる[5]。東部区間の専用部、上社JCT - 高針JCT間は2003年3月29日に名古屋高速2号東山線の延伸と歩調を合わせて開通している[9]。また、東部の高針JCT - 植田ICと東南部の専用部は、名古屋第二環状自動車道(名二環)として2011年3月20日に開業した[10]。当該区間は起伏の激しい土地に建設されているため、掘割と高架の組み合わせを多用している[11]。
この区間は南北交通軸が弱い区間であり、伊勢湾岸自動車道、セントレアなど、南部から名古屋都市圏へは名古屋高速3号大高線の1本を経由する必要があるが開通後は専用部を経由することができるようになり、一般部は渋滞や住宅地へ進入する通過車両を減らす役割を担う。
なお、地域高規格道路である名古屋瀬戸道路・名古屋豊田道路の植田IC付近での接続計画がある(調査中)が、植田ICでは当面国道153号(豊田西バイパス)と接続することになっている[12]。
東南部の国道302号(名古屋市天白区)真下に専用部を併設
東南部の専用部は高架と掘割の組合わせを多用する(有松IC)
東南部の高架部分。背後の住宅街を望むと丘陵地帯に建設されていることがよく判る(鳴海IC付近)
南部Iは、国道23号(名古屋南JCT)から国道247号(東海IC)、海上部は、国道247号(東海IC)から飛島ICにあたる[5]。1993年12月に一 般道路(暫定4車線)、1985年3月の名港西大橋を皮切りに1998年3月までに自動車専用道路が開通している[14]。本区間の開通以前は、豊田方面と四日市方面とを結ぶには、それぞれ別料金となる名古屋高速道路を経由するか名古屋2環を迂回し東名阪道へ向かうしかなかった。開通により新たなルートが形成され、名古屋IC付近の渋滞回避が図れるようになったが、他方、以前から渋滞の多い東名と東名阪に対しては、接続する豊田JCT、四日市JCT付近での渋滞を悪化させている。
南部Iは、専用部を上、一般部を下にした高架構造となっている。一方、海上部は、視界を遮るほどの遮音壁はほとんど設置されていない。道路両側は名古屋港が広がっている。他の区間と異なりきわめて開放的な眺望を得られる区間である。
海上部は、「並行する一般国道自動車専用道路」[13]として有料道路、一般国道302号線・伊勢湾岸道路となっており、その他の区間は、伊勢湾岸自動車道の一部となっている。当区間は本来であれば一般国道の規制が適用されるが、その前後の区間が高速道路で接続されているため、別に規制をかけることで高速道路と同条件で走行できるようになっている[15]。本来60km/hを上限とする一般国道の最高速度に対し、車種ごとに100km/hと80km/hおよび最低速度を50km/hとするよう規制を設け、さらに改正道交法によって高速道路では左車線を走行することが義務付けられているトレーラーに対する規制標識も併せて設置されている[15]。なお、一般国道としての利用ながら、この区間の通過には通行料金が発生し、東海IC - 飛島IC間利用の場合は870円[16]と他有料区間と比べて1km換算の料金としては高めに設定されている。これは斜張橋の工費が膨らみ、工費償還のための割高設定とされているためである[15]。
東海ICには、全線開通した名古屋高速4号東海線と接続する東海JCTが併設されている。このことにより、名古屋都心部方面へは、名古屋高速3号大高線、名古屋高速4号東海線の2路線が連絡し、名古屋高速3号大高線の渋滞緩和が行われた。
南部Iの一般部は全区間に渡って直上に専用部(伊勢湾岸自動車道)を配置(大府市神戸)
南部I末端部分の東海IC
(東海市新宝)
一般国道でありながら高速道路と同条件で走行できるように規制をかける。その標識は補助標識も合わせ13にも及ぶ[15]。
南部IIは、飛島ICから国道23号、西南部は、国道23号から名古屋西JCTに至る区間である[5]。 1991年3月までに一般道路が暫定2-4車線で開通しており、2車線区間の4車線化の工事も開始している。
専用部は、高速自動車国道 近畿自動車道伊勢線として指定されている。2009年4月27日の第4回国土開発幹線自動車道建設会議で整備計画を策定された。同区間は開通済みの一般道路に挟まれる形で施工されるため、用地買収は既に完了している。この区間が開通すると、名古屋環状2号線の専用部が全通し、名古屋高速都心環状線に次ぐ、名古屋市およびその周辺における2つ目の環状道路が完成することとなる。
名二環延長工事たけなわの西南部
(海部郡飛島村)
国道302号の起終点は西南部(名古屋市中川区かの里の国道1号線との交点)に位置する[2]。外周66.2kmはここを起点とする。
南部II末端部(飛島IC付近)。国道302号は左折すると飛島ICを経て東海ICまで伊勢湾岸自動車道との併用区間(有料)に入る。
専用部
一般部
名古屋環状2号線は、1957年9月に環状の形態を持つ都市計画街路として計画されたのが起源である[17][18]。名古屋市がその構想を公表したのは1962年で、この時は名古屋高速道路との抱き合わせで提示された[19]。その内容は、津島付近と東名高速名古屋ICとの東西連絡、名神高速小牧ICと知多縦貫道路を結ぶ南北路線および、名古屋市中心部と岐阜、一宮を結ぶ高速道路網と、これらを相互連絡する複数の環状線を設けるとの計画であった[19]。なお、当時の名古屋市の道路混雑は東京や大阪と違い、さほどひっ迫した状況ではなかったが、急速に市街地化が進行していることや、自動車交通量の増加が著しい中で、将来予想される都市交通の機能麻痺に陥る前に先手を打って交通体系の整備に力を注ぐこととされた[20]。特に都心部へ用のない通過交通の排除と、都市部周辺の工業地帯同士の連絡、都心へ流入する主要道路からの交通を迂回のうえ分散流入させる、など都心部へ余計な交通を入れないことを目的として環状道路の必要性が強調され、1969年までに名古屋環状2号線の都市計画がなされた[21]。なお、環状道路造成に必要な用地の一部は、計画段階において同時に進められていた土地区画整理事業に相乗りして取得した[22]。
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