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この項目では、海藻・食品の昆布について記述しています。その他のコンブについては「コンブ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
コンブ科 | |||||||||||||||||||||
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分類 | |||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||
Laminariaceae Bory, 1827 | |||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||
コンブ科 |
100 g (3.5 oz)あたりの栄養価 | |
エネルギー | 577 kJ (138 kcal) |
炭水化物 | 56.5 g |
- 食物繊維 | 31.4 g |
脂肪 | 2.0 g |
- 飽和脂肪酸 | 0 g |
- 一価不飽和脂肪酸 | 0 g |
- 多価不飽和脂肪酸 | 0 g |
タンパク質 | 8.0 g |
水分 | 13.2 g |
ビタミンA相当量 | 71 μg (8%) |
- βカロテン | 850 μg (8%) |
ビタミンB1 | 0.80 mg (62%) |
ビタミンB2 | 0.35 mg (23%) |
ビタミンB3 | 2.0 mg (13%) |
パントテン酸(ビタミンB5) | 0.24 mg (5%) |
葉酸(ビタミンB9) | 170 μg (43%) |
ビタミンB12 | 0 μg (0%) |
ビタミンC | 15 mg (18%) |
ビタミンD | (0) μg (0%) |
ビタミンE | 1 mg (7%) |
ビタミンK | 110 μg (105%) |
カルシウム | 760 mg (76%) |
鉄分 | 2.4 mg (19%) |
マグネシウム | 540 mg (146%) |
リン | 240 mg (34%) |
カリウム | 5300 mg (113%) |
塩分 | 2700 mg (117%) |
亜鉛 | 1.0 mg (11%) |
%はアメリカにおける成人向けの 栄養摂取目標 (RDI) の割合。 |
コンブ(昆布)は、不等毛植物門褐藻綱コンブ目コンブ科 Laminariaceae に属する数種の海藻の(一般的)名称である。生物学が生まれる以前の名称であるため、厳密な定義はできないが、葉の長細い食用のものがコンブと呼ばれる傾向がある。コンブ科に属する海藻でも、アラメ、クロメ、カジメ、オオウキモなどは、通常コンブとは呼ばれない。
生物学ではカタカナ書きの「コンブ」が使われるが、和名として単なる「コンブ」という種は存在せず、マコンブやリシリコンブ、ミツイシコンブなどのように、コンブ科植物の種の標準和名に用いる。他方、食品など日常的には昆布やこんぶ(こぶ)の表記も使われる。
目次
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コンブ科には多くの属があり、マコンブなどが属するコンブ属 Saccharina やネコアシコンブなどが属するネコアシコンブ属 Arthrothamnus などがある。さらに、同じコンブ目に属する近縁なものとしては、ワカメなどが属するチガイソ科や、コンブの原始的な形といわれるツルモ科などがある。
コンブは、日本では北海道沿岸を中心に三陸海岸などにも分布する。一般的にコンブ科植物は寒流の親潮海域を代表する海藻であるが、アラメやカジメのように暖かい海に生育するものもある。食用海藻であるだけでなく、大きな藻場を形成し、多様な生態系を保つ働きもある。
コンブは胞子によって増殖する。コンブの胞子(大きさは5µm程度)は2本の鞭毛を持ち、海中を泳ぐことができるので特に「遊走子(ゆうそうし)」と呼ばれる。遊走子はコンブの表面から放出され、海中の岩などに着生する。着生した遊走子は発芽して「配偶体」という微小な植物体になる。1個の遊走子から1個体の配偶体ができ、雄と雌の配偶体がある。雌雄の配偶体それぞれに卵と精子が作られる。この卵と精子が受精し、受精卵が生長すると巨視的な「胞子体」、つまりコンブとなる。
日本のコンブ生産量は約12万トン(2005年度 生重量)。生産量全体に占める養殖物の割合は約35パーセント(2005年度)。天然物の生産量の95パーセント以上を北海道が占める。また、中国でも80万トン前後が養殖されている。
北海道の函館市沿岸ではマコンブの養殖が盛んに行われている。マコンブは2年生のため、その養殖には2年の時間と手間が必要であり、2年栽培のものに近い質を目指した1年の促成栽培もある。また、産業上重要種であるミツイシコンブ、リシリコンブ、オニコンブに関しても、その養殖法は確立されている。その他の種に関しては天然の現存量が多い、もしくは前述の種より利用価値が低いことから、養殖法が確立されていない。
コンブの収穫は、小舟から昆布の根元に竿を差し入れねじり取る。海岸で押し寄せてきたコンブを拾ったり、鈎でたぐり寄せる方法もある。次に、小石を敷き詰めた干場に運び並べて干す。1〜2回裏返しにし、まんべんなく乾燥させる。乾燥しすぎると折れやすくなるため加減が必要である。乾燥時間は半日程度だが、この間に雨に当たると商品価値はなくなるので、天気予報で雨が確実な日は出漁を見合わせることもある。天日ではなく乾燥機で干す方法もあり、品質は落ちるが、濃霧や日照不足などの理由で乾燥機の使用頻度が多い地域もある。コンブ干しは短期決戦のため、干し方専門のアルバイトが募集されるほか、コンブ漁場の近くに番屋を張り寝泊まりする地域もある[2]。
コンブの主な産地は北海道で、特に真昆布、羅臼昆布、利尻昆布、日高昆布(三石昆布)、長昆布が知られ、先頭のものほど高級品として知られる。
古くから日本各地で食べられており、たとえば昆布締めは、富山県の郷土料理となっている。昆布巻き鰊は山形県、松前漬けは北海道の郷土料理である、
昆布は、主に乾燥させて出汁をとるために日本料理では幅広く使われる。ロシアでは「海のキャベツ(морская капуста)」と呼ばれるが、食べ物としてはそれほどよく知られていない。細長く刻んで刻み昆布(そうめん昆布)にも加工され昆布の佃煮が作られる。また、表面を薄く削っておぼろ昆布やとろろ昆布にもする。近年では酢こんぶやおしゃぶり昆布としてお茶請け・おやつにもなっている。北海道では、湯通しした若い昆布を刺身昆布として食べる習慣がある。市販の「早煮昆布」は棹前昆布、日高昆布、真昆布の若く薄いものをボイルして干したものである。
統計局の家計調査によると、青森市、盛岡市、富山市が昆布消費量の多い都市(2003〜2005年平均:1世帯あたり)で、全国平均の1.4〜1.8倍を消費している。沖縄県那覇市は7位(全国平均の1.1倍)である。沖縄県はかつて日本産昆布を中国に輸出するための中継地点であったことから、昆布を利用する食文化が生まれ昆布消費量が多かったが、近年は若者の伝統食離れで消費が減少している。昆布つくだ煮の消費量が多い市は福井市、大津市、富山市で、これに京都、奈良など近畿地方の都市が続く。近畿地方では古くから北前船によって昆布が多く流通し、独特の昆布消費文化と加工技術が存在するため、つくだ煮消費量が多い。
昆布は特に豊富な食物繊維や鉄分、カルシウムなどが含まれており健康食品として人気が高い。池田菊苗が1908年古来から使われる昆布の旨み成分がグルタミン酸であることを発見し、これがうま味調味料の味の素となった。他にも、昆布には人にとって必須元素であるヨウ素を多量に含有している。
コンブの表面に付着している白い粉は味の源となっているグルタミン酸とマンニトールで、調理前に水洗いをすると流されてしまう。
調理の際、だし汁に色が付くことがあるが、緑色はクロロフィルの色素で、茶褐色はカロテンの色である。青紫色への変色は、水道水に含まれる塩素イオンによりコンブのヨウ素が溶け出し、ボウルや鍋に付着したデンプンとが適度な温度でヨウ素デンプン反応を起こしたものであり、この色は加熱することにより消える。
和語では古くは、食用の海草一般(特にワカメを指して)を「め」と呼んでいた。漢字では、古くは「軍布」(万葉集、藤原京木簡)、「海布」(古事記)、「海藻」(平城京木簡、風土記、正倉院文書)、「和布」(色葉字類抄)などと当てられていた。『本草和名』(9世紀初頭)には「昆布、一名綸布。和名比呂女、一名衣比須女」とあるように、とりわけ昆布を指しては「ひろめ」とか「えびすめ」と呼んでいた。「ひろめ」は幅の広いことに(すなわち広布)、「えびすめ」は蝦夷の地から来たことに(すなわち夷布)由来すると考えられる。「コンブ」に近い名称はやや時代を下り、『色葉字類抄』(1177-81年)に「コンフ」、『伊呂波字類抄』に「コフ」という訓が確認できる。
「コンブ」の語源には諸説あるが、特に次の二説が有力である。
一つは、漢名「昆布」の音読みであるとする説である(和訓栞他)。この漢名自体は、日本ではすでに正倉院文書や『続日本紀』(797年)に確認でき、さらに古くは中国の本草書『呉普本草』(3世紀前半)にまで遡ることができる。李時珍の『本草綱目』(1596年)には次のようにある。
考えてみると、『呉普本草』には「綸布、またの名を昆布」とある。ならば、『爾雅』で言われている「綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。これは東海にある」というものは昆布のことである。「綸」の発音は「関 (gūan)」で、「青糸の綬(ひも)」を意味するが、訛って「昆 (kūn)」となった。
— 李時珍『本草綱目』 草之八[5]
ただし、中国でいう「昆布」は、文献によってさまざまに記述されており、実際にはどの海藻を指していたのか同定が難しい。たとえば陳藏器は「昆布は南海で産出し、その葉は手のようで、大きさは薄(ススキ)や葦ほど、赤紫色をしている。その葉の細いものが海藻である」[5]と記しており、アラメ、カジメ、ワカメ、クロメといったものを想起させる。昆布は、少なくとも当時は、東海(東シナ海)でも南海(南シナ海)でも採れるものではなかった。また、李時珍も掌禹錫(11世紀)に倣い、「昆布」と「海帯」(後者は、現代中国語で昆布を指す)を別種のものとして記述している[5]。
もう一つは、アイヌ語で昆布を指す kompu の音訳とする説である(大言海他)。このアイヌ語は、先の中国語「綸布 (gūanbù)」または「昆布 (kūnbù)」と酷似しており、一方が他方の借用語である可能性がある。
『爾雅』(紀元前3世紀~2世紀ころ)には、「綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。組(という発音で呼ばれているもの)は組に似ている。これは東海にある」[6]と書かれており、『呉普本草』(3世紀前半~中葉)には綸布の別名が昆布であるとする。また、陶弘景(456-536年)は、「昆布」が食べられることを記している[5]。ただし、前述のように、この「昆布」が日本で言う昆布と同じものなのかは定かでない。
日本では、古くから昆布が食べられてきた。縄文時代の遺跡からは、ワカメなどの海藻の植物遺存体が見つかっており[7]、コンブもまた、この時代から食されていたかもしれない。文字資料で残っているものとしては、前述の「軍布(め)」は、音から推測して、コンブであった可能性がある。続日本紀(797年)の霊亀元年(715年)十月丁丑条には、蝦夷(大和朝廷に属さない東北人一般とする説と、アイヌ人説がある)の須賀古麻比留が「先祖代々、朝廷に献上している昆布はこの地で取れるもので、毎年欠かしたことがない」と言った、とある。平安時代の延喜式(927年)にも、陸奥から貢納されていたことが記されている。また、三管領の一家に数えられた細川氏は、元海賊であった水軍の舟で京都に持ち込んだとされる[要出典]。安土桃山時代には城建築の際に石を滑らせるための材料として使用していた。安土城や大阪城でもこの工法が使われている。
戦国時代には、陣中食として昆布が使用されていた[8]。江戸中期には、敦賀が昆布の唯一中継地となり、弘化に入ってから江戸や大坂や各地に広がっていく。特に大坂においては問屋が発展した。蝦夷地(北海道)の開発が盛んになると、北前船などの航路の整備、出荷量の増加などにより全国に広まっていく事になる。とりわけ琉球王朝時代に昆布を中国への朝貢品の主要産物としていて、朝貢には適さない半端モノや下等級品をやむなく工夫して自家消費したことから、のちに伝統料理化する沖縄料理にはよく用いられる。
乾燥させた昆布を湿気の多い大阪で倉庫に寝かせておくと、熟成することで昆布の渋みが無くなり甘みがでてくる。大阪に昆布が広まったのは商用船が日本海航路を通って下関経由で大阪に運ばれるようになってからである。安土桃山時代に農・乾物の一大集積地であった大阪は多湿な気候が乾物や昆布の旨味を熟成させ、江戸時代にはこれらは大阪の味ともされた。
大阪の農産物と交換に蝦夷から運ばれた乾物は、昆布のほか、帆立貝、棒だら、身欠きにしんなどがある。主に商用船は太平洋側を避けて日本海航路で運ばれるようになったことから、大阪より敦賀や小浜で昆布の消費が多くなっている。
また刃物の街である堺の職人により、乾燥昆布を甘酢に浸し表面を削った「おぼろ昆布」が生まれた。昆布表面の黒い部分は甘酢がよく染みていることから、酸味が多い黒い「おぼろ昆布」(黒おぼろ)になる。中でも表面を薄く削ってゆくと、内側の白い部分が出てくる。ここは酢に浸っておらず、昆布本来の甘みがある。この昆布は「太白おぼろ」と呼ばれる。最後に残った昆布の芯の部分はばってら寿司や押しすしに使われるばってら昆布(白板昆布)になる。薄く削るには職人による高等技術が必要とされる。
上記の堺でも「おぼろ昆布」が発達し、また北前船の集積地でもある敦賀でも「おぼろ昆布」技術が発達した。おぼろを削ったヘタの部分は爪昆布と呼ばれ、お菓子として食べられることがある。また、爪昆布は煮込むとコンブ特有の粘りが強く出ることから、煮物などの調理の際に煮汁とともに入れ、その粘りを利用して表面に浮いた灰汁取りを容易にするといった使い方もなされる。その他昆布の加工品といえば、塩昆布(日高昆布)が連想されるが、戦国時代の出陣の際、勝ち栗や喜ぶなどの縁起を担いだ出陣式に醤油で炊かれた塩昆布は細目昆布を醤油で煮込んだものと思われる。
醤油で炊かれた塩昆布を火鉢の網の上に並べて乾燥させては醤油につけ、網の上で3回乾燥させたものを「汐吹き昆布」といった。粉が表面に吹いているように見えるが、これは昆布のうまみ成分が結晶化したものである。現在では、イノシン酸や昆布のグルタミン成分などの調味料をまぶす場合もある。
ダシの材料として「鰹節」が多く使われていた江戸においても昆布が消費された。江戸時代に江戸佃島では、昆布などの海藻などを醤油などで煮しめた料理が多く作られ「佃煮」と呼ばれるようになり、郷土料理となっている。
近年、発酵食品のひとつに発酵塩昆布が考案された。もともと、昆布には硫酸基をもつ物質が含まれており、菌の繁殖を妨げていたのであるが、この硫酸基に影響を受けずに昆布を発酵させる菌が海底生物から見つかったことで、発酵塩昆布の開発に拍車がかかった。昆布を発酵させる技術は、宝酒造、協和発酵キリン、こうはら本店がそれぞれ独創的な技術を持つ。
詳細は「ラミナリア」を参照
乾燥した昆布は水分を吸収すると膨張するという性質をもつ。この性質を利用して、医療用拡張器の原材料として昆布が利用される。子宮頸管等の拡張に用いられるラミナリアがそれである。原材料は主にオニコンブ(別名:羅臼昆布、学名:Saccharina diabolica)の茎根である。
ウィキメディア・コモンズには、コンブに関連するカテゴリがあります。 |
ウィキスピーシーズにコンブに関する情報があります。 |
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