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(国旗) | (国章) |
公用語 | タイ語 | ||||||||||||||||||||
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首都 | バンコク | ||||||||||||||||||||
最大の都市 | バンコク | ||||||||||||||||||||
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建国 - 日付 |
スコータイ王朝成立 1238年(伝承) |
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通貨 | バーツ (THB) | ||||||||||||||||||||
時間帯 | UTC (+7)(DST:なし) | ||||||||||||||||||||
ISO 3166-1 | TH / THA | ||||||||||||||||||||
ccTLD | .th | ||||||||||||||||||||
国際電話番号 | 66 |
タイ王国(タイおうこく、タイ語: ราชอาณาจักรไทย Ratcha Anachak Thai [râːt.tɕʰā ʔāːnāːtɕàk tʰāj])、通称タイ(タイ語: ประเทศไทย Prathet Thai [pràtʰêːt tʰaj] ( 聞く)))は、東南アジアに位置する立憲君主制国家。東にカンボジア、北にラオス、西にミャンマーとアンダマン海があり、南はタイランド湾とマレーシアである。国土はインドシナ半島の中央部とマレー半島の北部を占めている。首都はバンコク。
タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった[2]。当時、タイには、モン族、クメール人が先住していた[3]。
小タイ族による最初の国家とされるスコータイ王朝(1238年 - 1350年)は、インタラーティット王がモン族やアンコール王朝の支配を退け成立した[4]。タイ語のアルファベットであるタイ文字が完成したのは、3代目ラームカムヘーン大王の時代であると言われている[5]。
その後、アユタヤー王朝(1350年 - 1767年)、トンブリー王朝(1767年 - 1782年)を経て、現在の王朝であるチャクリー王朝(1782年 - )へと変遷した[6]。現王朝の初代王ラーマ1世(チュラーローク将軍)は、1782年に首都をトンブリーからバンコクに移したため、「バンコク王朝」とも呼ばれ、また、バンコクの非常に長い正式名称にも含まれているタイの守護仏の名から、ラッタナーコーシン王朝とも呼ばれる[7][8]。
ラーマ4世(モンクット)は、自由貿易の推進[9]、仏教の改革[10]などを行った。映画『王様と私』にも登場する。1855年、イギリスと通商条約を結んでからは、コメの輸出が急増し、全国土に稲作地帯ができあがった。それまでは多様な生産であったが、商品としてのコメ、錫、チーク、ゴムなどが輸出されるようになり、モノカルチャー経済に移っていった[11]。当時周辺地域の大半は欧米の植民地・保護領であったが、タイは国土の一部を割譲したに留まっている。英仏両勢力圏の緩衝地帯として独立を維持、植民地化を免れた。
ラーマ5世[12](チュラーロンコーン)は、1873年国政改革に着手し、1892年4月1日12省からなる近代的統治組織を創設した。国王が立法、行政、司法の三権を掌握する絶対王政システムを確立し、教育制度や官僚機関の整備、奴隷解放(1874年)など、タイの近代化をすすめるチャクリー改革を行った[9]。
ラーマ6世[13](ワチラーウット)が王位を継承すると絶対王制への批判が生じはじめ[14]、1912年3月初め、立憲制・共和政を望む青年将校らによるクーデター計画が発覚した[15]。 ラーマ7世(弟のプラーチャーティポック)が即位したあと、1932年にはプリーディー・パノムヨンやプレーク・ピブーンソンクラームら官吏によって結成された人民党によるクーデターが勃発し、絶対君主制から立憲君主制へと移行した(民主革命、立憲革命と呼ばれる)[16]。
1940年11月23日に南部仏印に侵攻し、タイ・フランス領インドシナ紛争を引き起こし、1941年5月8日に日本の仲介によって東京条約をヴィシー政権と締結して領土を拡大した。太平洋戦争が勃発すると、日本軍はタイへ進駐し(タイ王国進駐)、タイは表面上日本と日泰攻守同盟を結び枢軸国として戦った[17]。タイは東南アジア戦線では日本に積極的に協力しており、現地軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当している。一方で駐米大使セーニー・プラーモート、摂政プリーディー・パノムヨンらが「自由タイ運動」などの連合国と協力する勢力も存在し、連合国と連絡を取っていた[18]。こうした二重外交により、1945年、タイは1940年以降に獲得した領地を返還することでイギリスとアメリカとの間で講和することが出来、降伏や占領を免れた[19]。こうした経緯もあって国際連合にも1946年12月16日という早い段階で加盟しており、いわゆる敵国条項の対象ともされていない。大戦終結後、1946年6月9日に 国王ラーマ8世は王宮内で他殺体となって発見されたが、真相は究明されず、弟で現国王のラーマ9世が即位した。
第二次世界大戦後の東西冷戦期は、ベトナムやカンボジア、ラオスのような近隣諸国の共産主義化に脅かされた[20]ものの、「共産主義の防波堤」としてアメリカの大々的な支援を受けたことも影響し、共産主義化は免れた[21]。
また、国民の高い教育水準や豊かな国土を背景に徐々に工業国への道を模索し、1967年には東南アジア諸国連合(ASEAN)に結成時から加盟。1989年にアジア太平洋経済協力(APEC)に結成時から参加した。
なお、この頃より日本や欧米諸国の大企業の進出を背景にした本格的な工業化へのシフトを進めるとともに、それらを背景にした高度経済成長が始まり、バンコクなどの大都市を中心にインフラストラクチャーの整備も急速に進むこととなる。1992年には5月流血革命(พฤษภาทมิฬ)が発生したものの、プミポン国王の仲裁により収まった[22]。
1997年に始まったアジア通貨危機により、タイ経済は一時的に停滞したものの、その後急激な回復を見せ、日本企業や中国企業の進出も増え、現在では再び高い経済成長率を維持しており[23]、東南アジアにおける代表的な工業国としての立場を保ち続けている[24]。しかし、2006年頃からタクシン派と反タクシン派との政治的対立が激化するようになり、2014年現在も政情不安が続いている。
2006年に軍事クーデターが発生し、1997年タイ王国憲法による民政が停止され、タクシン・チナワット政権が崩壊した。クーデターは国王の介入により収拾され、直ちに陸軍大将のソンティ・ブーンヤラッガリンを首班とする軍事政権が発足した。同年、暫定憲法が公布され、スラユット・チュラーノンが首相に着任した。
2007年8月には、2007年タイ王国憲法が公布され、民政復帰が開始された。2007年12月23日に下院選挙が実施され、2008年1月に選挙の結果を受け、クーデターで政権を追われたタクシン元首相派の文民であるサマック・スントラウェート元バンコク都知事が首相に就任した。しかし、同年9月に反タクシン元首相派寄りとされる憲法裁判所は、サマック首相の民放テレビ出演を違憲として、サマック首相を失職させるという司法クーデターを起こした。10月にはタクシン元首相の義弟であるソムチャーイ・ウォンサワットが首相に就任したが、再び憲法裁判所は、前年からの選挙違反を表向きの理由にして、与党の国民の力党に解党命令を出し、ソムチャイ首相も失職させた。これにより、同年12月、野党の民主党が総選挙を経ずに政権を獲得し、アピシット・ウェーチャチーワが首相となる。
これ以降、2009年から2010年ごろには、タクシン元首相派(通称赤シャツ隊)を中心とする市民による総選挙を求める大規模なデモが起きたが、アピシット政権はデモを徹底的に弾圧し、数百人の犠牲者が出た(暗黒の土曜日)。
2011年に実施された総選挙では、タクシン元首相派のタイ貢献党が大勝し、インラック・シナワトラが首相に就任した。だが、2013年下旬からは約5年ぶりに反タクシン派の武装デモ隊による反政府デモが発生した。そして、2014年5月、憲法裁判所はインラック政権の政府高官人事を違憲として、インラック首相を失職させる司法クーデターを起こした。
2014年5月22日、国軍は軍事クーデターを決行し、インラック前首相やニワットタムロン・ブンソンパイサン首相代行など、政府高官を相次いで拘束した。憲法と議会を廃止して実権を掌握すると、陸軍大将のプラユット・チャンオチャを首班とする軍事政権の樹立を宣言した。
かつて、タイでは政変や軍事クーデターが多く、国軍と民主化運動の衝突などが多発していたが、1992年以降は安定し、東南アジアの「民主主義の優等生」と称された。
しかし、2006年の軍事クーデター以降、軍部や特権階級が政治に介入するようになると、国民の間でタクシン派の反独裁民主戦線(UDD;赤シャツ)と反タクシン派の民主市民連合(PAD;黄シャツ)が鋭く対立するようになり、双方が何度も反政府運動を行って時の政権を混乱に追い込むなど、タイの政治は極めて不安定な情勢にある。UDDとPADは反政府デモを繰り返したが、2011年の総選挙でタクシン派のタイ貢献党(新党プアタイ)政権が誕生し、同党のインラック・シナワトラが首相になると、これを機に両者の活動は一時沈静化した。しかし、2012年以降は、不敬罪の廃止や恩赦法(国民和解法)案が上程され、有罪判決を受けて国外亡命中のタクシン・チナワット元首相の処遇を巡って、予断を許さない状況が続いている。
また、バンコク首都圏のデモ活動に対する非常事態宣言の頻発発令や、タイ南部のゴムプランテーションのゴム買い取り価格への不満、深南部のイスラム教反政府武装集団に対する抗争及びマレーシアに続く南本線鉄道線路の破壊、カンボジアの世界遺産であるプレアヴィヒア寺院(タイ語名:プラヴィハーン)周辺の国境線問題において、カンボジアとの両軍同士の睨み合いによるタイとカンボジアの国境紛争など、治安の悪化が続いている状況のため、日本の外務省は、バンコクには注意喚起情報を、前述当該地域(ナラティワート県・ヤラー県・パッタニー県・ソンクラー県(以上 タイ南部)・シーサケート県(北東部))において、「渡航の是非を検討して下さい」という旨の、危険情報を出し続けている。また、在タイ日本国大使館は、反独裁民主戦線・民主市民連合の一員と誤解され、トラブルに巻き込まれるのを防ぐため、双方のイメージカラーである「赤色・黄色の衣服を身に着けない様」注意喚起を行っている。
2014年の軍事クーデター前夜に、タイ王国軍はタイ全土に戒厳令を発令し、5月22日のクーデター後、タイ王国憲法を停止して基本的人権を制限。そして軍事独裁政権は、国民抵抗運動を封じる手段として、報道の自由を全面制限し、タイ国内放送局の全権軍掌握、BBCワールドニュース・NHKワールドTV、NHKワールド・プレミアム、CNN等、海外衛星放送ニュースチャンネルやケーブルテレビサービスを寸断する報道管制を敷き、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの検閲を強化している。さらに、無期限の夜間外出禁止令を発動し(パタヤ、プーケットなど一部の観光地は現在解除)、許可なく外出すれば、拘束や射殺もありうるとした。
1946年6月9日朝、ラーマ8世はボーロマピマーン宮殿の自身の寝室で、額から後頭部にかけて銃弾が貫通する形で死亡。傍らには自動拳銃(M1911A1)が落ちていた。第一発見者のチット侍従の証言を要約すれば、「午前9時20分頃、チット、ブット両侍従がラーマ8世の寝室の前に控えていたところ、中から銃声が聞こえた。チット侍従が中に入ってみるとラーマ8世がベッドの上で頭から血を流していた」とのことである。立憲君主制のもと平時は国王は象徴的な存在である。しかし、政治的な危機にあたってはしばしば国王の直接的、または間接的な介入が見られる。近年においても1992年に発生した5月流血革命の際にプーミポン国王が仲裁に入った他、2006年と2014年の政治危機でもタクシン派の首相の進退問題に直接介入するなど、国王の政治や国軍への影響力は極めて大きい。
伝統的に王家に対して崇敬を払うよう国民は教えられている。王や王妃の誕生日は祝日となり国中が誕生日を祝うお祭り状態となり国王が生まれた「曜日の色」を着用する人が多い[25](現国王の場合は黄色)。また、国王や王妃の誕生日の前後には、肖像画が国中に飾られる。日常生活においても、国民の各家庭やオフィスビル、商店や屋台に至るまで、国王の写真、カレンダーや肖像画が飾られている。映画館では本編上映の前に『国王賛歌』と共に国王の映像が流され、その間観客は起立し敬意を表すのが慣わしとなっている。特に現国王であるラーマ9世(プーミポン・アドゥンラヤデート)は、その人柄と高い見識から国民の人気が非常に高い[26]。
現代でも不敬罪が存在する数少ない君主国であり、最近も国王を侮辱する画像・動画が掲載されたことを理由にYouTubeへの閲覧アクセスが長期にわたり遮断されたり[27][28]。2014年アジア競技大会では韓国人による侮辱行為が問題となった[29][30]。
日本の皇室とタイの王室はおよそ600年前から親密な関係を持っており[31]、この皇室と王室の親密な関係が両国の緊密な関係の基礎になっている[32]。また、秋篠宮文仁親王のほか、両国の皇室、王室メンバーの公的または私的訪問が頻繁に行われている。
政治体制は立憲君主制であり、国王が国家元首であるが、その権限はタイ王国憲法によりさまざまな制限が加えられている。一方で不敬罪が存在し、“不敬”と看做された行為は処罰対象になる。
国政の最高責任者は首相である。
タイ王国の国会は上下二院制の議会制民主主義をとっており、ラッタサパー(รัฐสภา) と呼ばれる。国会は500議席からなるサパー・プーテーンラーサドーン(สภาผู้แทนราษฎร) と呼ばれる人民代表院(下院とも、民選)と、150議席からなるウッティサパー(วุฒิสภา)と呼ばれる元老院(上院とも、2007年から77人が民選(1県1人)、残りは任命制)から構成される。人民代表院の任期は4年で、元老院は6年・一期のみである。首相は人民代表院から選出され、元老院には法律の発案権はない。
司法権はサーンディーカー(ศาลฎีกา)と呼ばれるタイ最高裁判所が持つ。なお、最高裁判所の裁判官はすべて国王による任命制である。
深南部三県では一部のマレー系住民が以前から離反の動きを見せていたが、近年に入ってさらに状況が悪化し、パタニ解放戦線などの組織がパタニ王国の復興を大義名分にして、反政府活動を行う動きが出ている。南部のマレー半島へはかつてアユタヤ朝が併合を目指して侵攻したものの、明と結んだマラッカ王国によりこの企図を放棄したものである。
タイ東部・北部ではかつて少数民族による共産ゲリラの反政府活動が活発であったが1980年代に入りこれらの活動はほぼ沈静化している。
差別は残っているものの同性愛や女装などの異性装および性転換などに寛容であり、ニューハーフが多いことでも有名である。性転換手術も合法であり、海外から性転換手術を希望する患者を多く受け入れている。
しかし、仏教国のタイでも少数民族への差別は少なくない。タイ東北部のイーサーン人やラオ族は、タイ中央部の人から差別や偏見をされており、特に標準語を話せないタイ東北部の人は差別の対象となってる。
また、タイは歴史的に植民地にされたことが一度もなく、現在でも周りのインドシナ半島の国より豊かなため、タイ人はラオス人やカンボジア人に対して愛国心を露わにすることがある。しかしこのような性格と行為は現代の若者に多く見られ、年配の人にこういったことはあまり見られない。
冷戦期にはアメリカ合衆国との同盟を基調とした西側戦略であったが、伝統的に柔軟な全方位外交を展開・維持しており、ASEAN諸国との連携、日本やアメリカ、中華人民共和国、マレーシアといった近隣主要国との協調を外交の基本方針としている。
タクシン首相時代は、東南アジアの近隣国との関係強化、主要各国との自由貿易協定(FTA)締結を進める経済中心外交を行い、「アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)」を提唱するなど、地域の核となる立場を目指し、2008年7月から2009年12月までASEANの議長国を務めた。
2009年4月9日から12日まで東南アジア諸国連合関連の一連の首脳会議(ASEAN+3)が予定されていたが、11日、タクシン派団体である反独裁民主戦線(赤シャツ集団)などの反政府デモ隊の会場乱入により中止に追い込まれた。一時は地域一帯に非常事態宣言が発令された。
2010年8月、カンボジアとの国境にあるプレアヴィヒア寺院(タイ語:プラヴィハーン)遺跡付近の領有を巡って対立が再び激しくなる。その発端となったのは、反タクシン派団体である民主主義市民連合(PAD)がバンコクで2010年8月7日に開いた集会でアピシット首相が「外交と軍事両方の手段を使う」と発言したことによると同国メディアは報じている。アピシット首相は世界遺産条約からの脱退を発表していた。
以降、寺院遺跡付近で国境紛争が続いたが、2011年にタクシン派のタイ貢献党が与党となるとカンボジアとの和解が進んだ。また、世界遺産条約からの脱退は撤回された。
国境紛争が収束に向かっている現在でも日本の外務省はタイ・カンボジア国境付近の危険情報を出し続けている。
タイ王国軍の正規兵力は30万6600人(陸軍19万人、海軍7万600人、空軍4万6000人)で、男性は徴兵制による2年間の兵役の義務を有する。陸海空のいずれに配属(もしくは徴兵免除)されるかはくじ引き(黒票:免除、赤票:兵役)で決まるが、徴兵を逃れるための賄賂はまだ頻繁に行われている。この中で、もっとも厳しいのが海軍であり、中には海軍のくじを引き当てただけで卒倒してしまう者もいる[33]。また、海軍は慢性的に人員が不足しており、相当数が服役囚をもって充当されているが、それでも艦艇の乗組員の定数は70%程度しか満たされていないという。
他に予備役20万人が存在する。なお、年間の軍事予算は2003年に19億アメリカドルを計上した。
2003年10月から1年間、イラクの復興支援のために工兵や医療部隊を中心に派遣した。また、2008年10月に国境問題を抱えるカンボジアとの間で小規模な衝突が2回起きた。(プレアヴィヒア寺院#カンボジアとタイの国境問題)
第二次世界大戦後、2006年までに発覚した未遂を含めて16回ものクーデターを計画、実行するほど、軍上層部の政治志向は強い。なお、2006年9月に起きたタイ王国陸軍のソンティ・ブンヤラガリン大将率いる陸軍と警察による無血クーデター以降、2007年に民政復帰するまで、陸軍が中心となった「民主改革評議会」が指名した元陸軍司令官で枢密顧問官を務めたこともあるスラユット・チュラーノン首相率いる、事実上の軍事政権によって国家運営が行われた。
そしてもちろんのこと、2014年の軍事クーデターにも関与している。
2013年のタイのGDPは約3871億ドルであり[1]、東南アジアではインドネシアに次ぐ経済規模である。また、日本の九州よりやや小さい経済規模でもある[34]。同年の一人当たりのGDPは5,674ドルであり、隣国のカンボジア、ラオス、ミャンマーより遥かに高い反面、マレーシアより大幅に低い水準である[1]。世界銀行によって発展途上国に分類されている[35]。タイ統計局によると、2009年の世帯当たりの平均所得は月2万903バーツ。一人当たりの平均所得は月6319バーツ[36]。
経済の安定や外国企業の積極的な進出を背景にした1980年代以降の高度経済成長はすさまじく、1985年から1995年にかけての10年間、タイは年間平均9%の経済成長率を記録した。しかし、アジア通貨危機(1997年)によって経済は停滞した。この際にタイは1ドル/25バーツに固定していた固定相場制を廃止。1998年1月には1ドル/56バーツにまで値下がり、経済規模は10.2%も悪化した。
この危機は、特にタイの財閥の同族支配廃止や、外国資本の参入につながった。しかし、タイは外国への輸出を積極的に行ったことから1999年、経済成長率は再び4%台を記録、2003年には6%台を記録し、タイは好景気に逆転した。この好景気を背景に中流階級の台頭が起こっている。クーデターによるあおりも受けたため2008年は2.5%とやや伸び悩み、2009年はリーマンショックもあり-2.3%とマイナス成長も2010年は7.8%と再び高成長。このように年ごとに経済成長にばらつきがあり、80年代後半から90年代前半に見られたのようなすさまじい経済成長からはやや落ち着いている。
タイ統計局の家計調査によると、1世帯当たりの平均所得は月2万903バーツ。バンコク首都圏の平均世帯所得は月3万7732バーツであり、地域別で最下位のタイ東北部の平均世帯所得は月1万5358バーツ。全国平均の1人当りの平均所得は月6319バーツである[38]。
教育に力を入れた結果、1980年代以降は、教育程度の高さと賃金の安さ、そして中流階級の増大による国内市場の拡大に着目した日本や欧米諸国の企業の工場の進出が目立っており、併せて関税特典があるASEAN諸国内への輸出拠点として活用している。
日本はタイにとって最大の貿易額と投資額、援助額を持ち、日産自動車やホンダ、トヨタ、いすゞ、日野自動車などの自動車関連企業の多くが進出している他、空調メーカーであるダイキンといった家電メーカーなども多く進出し、国内市場への供給を行っている他、関税特典があるASEAN諸国内への輸出拠点として活用している。
なお、2008年現在1300社近い日本企業が進出しており、また、2007年11月に日タイ経済連携協定(通称:JTEPA)が発効したことから、貿易のみならず、投資や政府調達など幅広い分野における経済関係の一層の強化が期待されている。
また、タイ資本の大手企業として、航空会社のタイ国際航空やバンコク・エアウェイズ、シンハ・ビールで有名なブンロート・ブリュワリーや、ビア・チャーンで有名なタイ・ブリュワリーなどがある。また、2001年より、地方の産業振興や伝統文化の継承、貧困層の収入源確保を目的に、日本の大分県の例をモデルとした「一村一品運動(One Tambon One Product/OTOP)」を展開しており、大きな成功を収めている。
タイは豊富な観光資源を持つことや、交通の要所に位置することから、近隣諸国のみならずヨーロッパやアメリカ、オーストラリアからも多くの観光客を集めており、観光業は、大きな外貨獲得手段の一つである。
賄賂やバックマージン、リベートなどの商習慣が2000年代に入っても根強く残る。2012年に国内の大学が行った公共工事の受注に関するアンケート調査の例では、85%の回答者から賄賂が必要であったとの回答が見られた[39]。
タイは大きく4つの地域に分けられ、その地域ごとにいろいろな顔を見せる。
北部は山岳地が広がり比較的涼しい気候である。タイ国内最高峰であるドーイ・インタノン(2,576m)もこの地域にある。
東北部はほぼ全域にコーラート台地が広がり、雨量が少なく農作物が育ちにくい環境にあって、貧困地域の代表格にもなっている。
中央部にはチャオプラヤー川が形成したチャオプラヤー・デルタと呼ばれる豊かな平地が広がり、世界有数の稲作地帯を作り出している。
南部はマレー半島の一部でもあり、ゴムノキの畑などが広がるほか、近年までスズの採掘が盛んであった。また、雨期が中央部よりも長いことでも有名である。タイ政府は南部においてマレー半島大運河計画(クラ地峡運河開発計画)を提起しているが、まだ検討中である。
タイの気候はケッペンの気候区分では熱帯性に分類されモンスーンの影響が大きい。5月中旬から10月ころにかけては空気が湿り、なま暖かく、スコールなどを特徴とする雨季に見舞われる。北部および中部では、8月から10月にかけて降雨量が多く、しばしば洪水が引き起こされる。その後、11月から3月中旬までは雨が少なく、比較的涼しい寒季となり、12月頃に寒さのピークを迎える。バンコクでも年によっては最低気温が20度を下回ることがある。4月には暑季と呼ばれる非常に暑い気候となり、夏を迎える[40]。ただし半島部東海岸は年間を通じて降水量が多く、気温も高い[41]。
76県とバンコク首都府に分かれている[42]。
ウタイターニー県 - ウッタラディット県 - カムペーンペット県 - スコータイ県 - ターク県 - チエンマイ県 - チエンラーイ県 - ナーン県 - ナコーンサワン県 - パヤオ県 - ピッサヌローク県 - ピチット県 - プレー県 - ペッチャブーン県 - メーホンソーン県 - ラムパーン県 - ラムプーン県
アーントーン県 - アユタヤ県 - カーンチャナブリー県 - サケーオ県 - サムットサーコーン県 - サムットソンクラーム県 - サムットプラーカーン県 - サラブリー県 - シンブリー県 - スパンブリー県 - チャイナート県 - チャチューンサオ県 - チャンタブリー県 - チョンブリー県 - トラート県 - ナコーンナーヨック県 - ナコーンパトム県 - ノンタブリー県 - パトゥムターニー県 - バンコク(県ではない) - プラーチーンブリー県 - プラチュワップキーリーカン県 - ペッチャブリー県 - ラーチャブリー県 - ラヨーン県 - ロッブリー県
アムナートチャルーン県 - ウドーンターニー県 - ウボンラーチャターニー県 - カーラシン県 - コーンケーン県 - サコンナコーン県 - シーサケート県 - スリン県 - チャイヤプーム県 - ブリーラム県 - ナコーンパノム県 - ナコーンラーチャシーマー県 - ノーンカーイ県 - ノーンブワラムプー県 - ブンカーン県 - マハーサーラカーム県 - ムックダーハーン県 - ヤソートーン県 - ルーイ県 - ローイエット県
クラビー県 - サトゥーン県 - スラートターニー県 - ソンクラー県 - チュムポーン県 - トラン県 - ナコーンシータンマラート県 - ナラーティワート県 - パッターニー県 - パッタルン県 - パンガー県 - プーケット県 - ヤラー県 - ラノーン県
参考:チャンワット
以下の都市は人口5万人以上を有し、3,000人/km²の人口密度を持つ市街地(いわゆるテーサバーンナコーン)を有する郡(アムプー)を記載する。
また、以下は経済的な発展のため特殊な法律によって自治が許されている地域である。
左側通行である。そのため、日本からの輸入車が数多く走っている。
国内諸都市を結ぶ交通機関としては、鉄道よりも公共輸送公社によるバスの方が発達している。長距離区間では、夜行バスの運行も多い。都市交通もバンコクを除くほとんどの都市では小型トラックを改造して作ったバス(ソンテウ)が一般的である。
東南アジアにおけるタクシーの典型的かつ古典的なイメージは、三輪式の自転車である。タイ語ではサムロー(三輪の意)というが、バンコクの都市部においては、交通の発達により円滑な交通の妨げになるとして乗り入れが禁止されてしまった。しかし地方においては、いまだ現役で活躍しているのを見ることができる。
ほかに三輪のものとしては、エンジンのついたサムロー(トゥクトゥクとも)があり、これもバンコクの名物といってよい存在であったが、交通の発達により実用的な観点からは主役の座を降りたと言ってよい。ただし、タクシーに積みきれないような大きさのものでもトゥクトゥクなら積めたり、小回りが効き渋滞や細い道をすり抜けたりできるため重宝される場合もある。現在では、主に観光客向けの乗り物として利用されている。地方では、三輪エンジンつきのものが現在でも主たるタクシーとして利用されているが、その形状はバンコクでみられるものとは異なり、オートバイの前部に荷台をつけた、より形状の簡易なものが多い。
バンコクなどの都市部におけるタクシーの主役は、エアコンディショナー付きのメータータクシーとなっており、さまざまな会社のタクシーが色とりどりのカラーリングを施したタクシーを走らせている。車種はトヨタ・カローラ アルティスや日産・サニーなどの日本車が中心である。なお、バンコク市内のタクシーは、安全性と排気ガス規制の観点から一定年数が経つと新車へ代替しなければならないこともあり、比較的きれいな車が多い。初乗り料金は35バーツで一般にトゥクトゥクより割安である。なお、バンコクにおいて乗車拒否、メーターの使用拒否は違法であるが、未だ旅行者が乗車する場合や、時間帯などによってはメーターを使わず、高めの料金を提示する運転手もいる。習慣的に乗車前に行き先を伝え、メーター使用を確認したうえで乗車したほうが良い。
タイ国有鉄道による鉄道網が国内の主要都市の間を結んでいる。また隣国のマレーシアやその先のシンガポールとの間はマレー鉄道で繋がっている。さらにラオス、カンボジア国境へも鉄道路線があり、メコン川流域圏開発構想に伴い両国への延伸計画もある。
日本で使用されなくなった客車が輸出され使用されている。ブルートレインは現地でも「JRクラス」と呼ばれ、割増料金が必要であるにも関わらず、高い快適性から人気がある。
バンコク市内では、深刻な交通渋滞を解消するため、1999年12月5日にバンコク・スカイトレイン(BTS)と呼ばれる高架鉄道、2004年にバンコク・メトロ(MRT)と呼ばれる地下鉄が相次いで開通した。また、スワンナプーム国際空港に向かうエアポート・レール・リンクが2010年8月23日に開業し、2014年度に部分開通するレッドラインなど都市交通がとても便利になってきている。
かつてバンコクは運河や水路が多く水運が発達しており、「東洋のヴェニス」と謳われたこともあったが、いまではその多くが埋め立てられて道路となってしまった。しかし、現在でもチャオプラヤー川や一部の運河では乗り合い船が数多く運行されており、慢性的な道路の交通渋滞を避けることのできる交通機関として、一定の需要がある。
またタイ北部の国境を流れるメコン川では、2001年6月にタイ、ラオス、ミャンマー、中華人民共和国との間で瀾滄江−メコン川商船通航協定が結ばれ、流域各国間の通商路として利用されつつある。
首都のバンコクやチェンマイ、プーケットなどの国内の主要都市の間は、半官半民のタイ国際航空や格安航空会社のタイ・エアアジアやオリエント・タイ航空、バンコク・エアウェイズなどの航空会社で結ばれている他、これらの航空会社が諸外国の主要都市との間を結んでいる。
特にスワンナプーム国際空港はアジアのハブ空港の一つとして、世界中の航空会社が乗り入れる他、ヨーロッパとオーストラリアとの間を結ぶ「カンガルー・ルート」の中継地の1つとして利用されている。スワンナプーム国際空港の開港以前に使われていたドンムアン空港は、一時期国内線専用空港となっていたが、格安航空会社向けに再び国際空港としての機能を再開させた。また、クアラルンプールやシンガポールなどの東南アジアの主要都市からもバンコクへの乗り入れ便は多く、一部 チェンマイ、ハートヤイ、プーケットなどへの便もある。
日本とタイ間は、札幌、東京/成田、東京/羽田、大阪、名古屋、福岡とバンコクを結ぶ定期便が就航している。日本航空と全日空、タイ国際航空といった両国の主要航空会社やデルタ航空が1日1便から数便の直行便を運行している他、香港や台北経由で行くこともできる。
日本の住友商事や電源開発などの建設により火力発電所が稼働している[43]。またタイ国家原子力技術研究所・タイ原子力平和利用事務局によって原子力発電所の建設が研究・検討されている[44][45]。2010年11月22日にタイ発電公社(EGAT)が日本原子力発電と原子力発電技術協力協定を締結。
タイでは2000年以降携帯電話加入者が急増し、国際電気通信連合 (ITU) によると2005年の時点で携帯電話加入者数の割合は、タイの人口100人に対して42.98人となっている[50]。主な携帯電話事業者として、Advanced Info Service (AIS) やTotal Access Communication (DTAC) があり、この2社の携帯電話市場におけるシェアは80%を超えている[51]。また、2002年に事業参入したTrue(当初 True Move)も着実に加入者を獲得しており、事業者間のシェア獲得競争は激しくなっている。GSM方式が主流となっており、プリペイドサービス利用者数も増加傾向にある。
その一方で固定電話の事情はあまりよくない。首都バンコクではともかく、地方では一般加入電話の設置に1-2か月ほど待たされることが多い。また回線も確保が困難である上、雑音混入や混線が頻繁に起こる。このことはタイでの携帯電話普及が進む背景となっている。
また日本の通信ベンチャーであるa2network社が、日本語表記の携帯電話で、日本語メールやSMSに対応したベリーモバイルというブランド名で携帯電話MVNOとして展開しており、同国長期滞在者を中心にサービスを行っている。
インターネットについては、かつてはタイ通信公社(CAT)がインターネット接続事業者の株式の提供を受けてISP免許を交付する形で、事実上市場を独占・支配していたが、1997年の世界貿易機関 (WTO) 基本電気通信交渉における合意に基づいて、2005年にタイのインターネット市場が正式に自由化された。現在では多くの事業者が市場に参入している。
バンコクにはインターネットカフェが多数あり、その多くでは日本語に対応している。また都市部のホテルや空港では無線LANが充実している。そのうえ、近年ではブロードバンド整備が進められており、都市部ではADSLサービスが普及しつつあるが、回線が混雑することが多く速度は遅い。また地方でのインターネット接続環境の整備は遅れており、都市部、特に首都バンコクとの格差は大きい。
情報技術・通信省(MICT)は不敬罪、反逆罪に抵触する可能性のあるものや、ポルノサイトなどを遮断することがあり、タイではインターネット上の表現の自由が事実上規制・制限されているといえる。なお、ほとんどがポルノサイトである[52]が、タイのインターネットにおける表現の自由を訴える民間機関FACTは、2006年の軍事クーデター以降、MICTの遮断したサイト数が急激に増えていることを指摘している[53]。2010年8月にはウィキリークスへのアクセス制限を開始した。公式には非常事態令を根拠としているが詳細は不明[54]。
タイ族75%、華人14%、その他マレー系、インド系、モン族、カレン族などがいる。
タイで話されている主な言語として、タイ語、北タイ語、南タイ語、イーサーン語、閩南語(潮州語)、クメール語(スリン・クメール語(英語版))、ジャウィ語がある。
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1962年以降は名字法や名称に関連したすべての法律を廃止して仏暦2505年個人名法が成立した。名の付けるときは国王の名前と類似したものや下賜されたことのないラーチャティンナナーム、意味のない単語、10音節以上を持つ語などを用いる以外、自由に名前を付けることが許されている。姓に関しては、以前は結婚により夫の姓を名乗ることが義務付けられていたが、2004年にタイの憲法裁判所から「夫の姓を名乗るとする条項は違憲である」違憲判決がなされた。その後2005年に個人名法の12条が改正され、結婚した組の姓について「男性の姓を名乗る」、「女性の姓を名乗る」、「新たに名字を作成する」、「それぞれ自らの姓を名乗る(夫婦別姓)」の方法が認められている。
仏教(南方上座部仏教)95%、イスラム教4%、キリスト教、他にヒンドゥー教、シーク教、道教など。
王室を始め、タイ国内のほとんどは仏教徒で占められている。そのほとんどは上座部仏教であり、それにヒンドゥー教や、精霊信仰を加味した独特の仏教になっている。紀年法は西暦も併用されているが、現在もタイ仏暦(仏滅紀元、タイ暦)が主に使用されている。上座部仏教徒の男子は一生に一度は出家するものとされている。
南部やバンコク、チェンマイ、チェンラーイなどの地域ではムスリムも見ることができる。特に深南部三県のマレー系住民のほぼすべてがイスラム教徒である。
中部のチャンタブリー県やバンコクなどには、コーチシナのカトリック禁制によって19世紀初頭やベトナム戦争時に逃れてきたベトナム人グループを中心にキリスト教徒も多い。
古くからのタイの大きな経済問題として違法産業などが上げられる(参考:タイの違法産業、タイの出稼ぎ産業)。この違法産業の原因は国民全体の貧富の差が激しいためと見られたこともあり、これに対して1960年代頃よりタイ政府は「貧困の撲滅」に力を入れ始めた。
これを受け、特に教育の分野において1970年代初め頃から急激に改善が進められ、識字率は1995年の時点で95%を超え、アジアの中でも特に識字率が高い日本やシンガポールなどと並び世界的に高度な水準を誇っている。
タイの教育制度は6年間の初等学校、3年間の前期中等学校、3年間の後期中等学校となっている。なお、義務教育は前期中等学校までの9年間である。
経済の急成長を背景に近年では高等教育への進学率が高まっており、2003年には大学進学率が35.8%(教育省教育委員会の統計)になるなど、東南アジア諸国においても高い率を誇る。なお、通信教育による高等教育も盛んである。
平和な国と言われることもあるが、タイ国家警察の「タイ国犯罪統計2010年」によると、殺人事件(未遂含む)の発生件数が8,932件、強盗(傷害を伴う窃盗含む)の発生件数が758件、強姦事件の発生件数が4,255件となっており、性犯罪は米国と同等規模、アイスランドやイギリスよりは少ない[55]。2007年~2010年の世界平和度指数では、調査対象の149ヵ国の中で124位と低い評価を受けており、平和度が低い国とされる[56]。観光客の犯罪被害状況は多種多様であり、集団スリ、抱きつきスリ、置き引き、長距離バスでの盗難、睡眠薬強盗などがある[55]。
タイ保健省によると、タイ国内で報告があったエイズ患者は1984年9月から2011年11月で累計37万6690人であり、死者は9万8721人[57]。HIV感染者は推定100万人以上に上るとみられている[57]。これは同性愛者が避妊具をつけないことなどが問題などとも言われることがある。
礼儀作法の多くは国法で規定されており、観光客(外国人)であっても容赦されないので注意が必要である。
挨拶をするときには、ワイと呼ばれる合掌をする。タイでは今も階級が細かく分かれており(タイの階級も参照)、階級以外にも相手との関係などによって異なった種類のワイの作法が求められる。また、ヒンドゥー色の強い様々な風習や礼儀作法が存在する。またタイ語の言葉の語尾には、男性なら『カップ(クラップ)』、女性なら『カァ』を付けるのが(自分の為にも)望ましい。
服装や身なりによって、タイ人の方が相手の接し方が変わるので、注意を要する。また、タイは熱帯地域に属するが、寺院に入る際、肌の露出が高い服は拝観を拒否されるので、注意を要する。タイ人の僧侶に対する尊崇の念は、非常に高い。また、女性が僧侶の身体に触るのは禁忌なので、女性は絶対に僧侶の身体に触れてはならない[58]。
警察官は国民から尊敬されているので、警察官と言い争うと、周囲の人々から悪印象を持たれる恐れがある。
毎日、午前8時と午後6時の2回、バンコク中心部のフワランポーン駅やBTS等公共機関などでは、国旗掲揚・降納と同時に国歌がスピーカーから流される。国歌が流れる間は、その場にて脱帽し直立不動の体勢をとらねばならない。そうしなかった場合、不敬罪に問われ警察官に逮捕される場合がある。また、チャクリー王朝(タイ王室)に対する国民の尊崇の念は非常に高い。王室批判等をすると、同じく不敬罪に問われる(タイの国歌・タイの王室歌も参照)。
また、映画作品の上映の前には『王室賛歌』が上映される。この時も、脱帽の上直立不動の姿勢を取らないと、不敬罪に問われ、警官に逮捕される場合がある。
トムヤムクンやパッタイなどのタイ料理は、先進国を中心に世界的にポピュラーなものとなっている。そのスパイシーかつバラエティに富む味と健康的な素材は日本や欧米諸国を始めとする多くの国で高い人気を得て、特に北米、ヨーロッパにおいては1960年代、1970年代頃から1990年代にかけて急速にタイ料理店の出店が進んだことが研究者により報告されている[59]。また、タクシン前首相により、「Kitchen of the World」プロジェクトが開始され、タイ料理店の国際展開を推進されている[60]。
日本ではブームになった1990年代以降、人気外国料理の定番となっており、都市部を中心にタイ料理レストランが多く存在する他、「ゲウチャイ」や「ジャイタイ」、「コカレストラン」などのチェーン店の展開や、多くのスーパーマーケットでタイ料理の素材が販売されている。
タイ国内には都市部を中心に非常に沢山の屋台があり、どこにでもみられる一人分5バーツ程度の菓子類や麺類などの軽食から、また場所によってはツバメの巣やフカヒレスープなどの高級料理まで、様々な味を楽しむことができる。タイへのリピーター観光客の中にはこの屋台での食事を楽しみにしている人が多いが、路上で営業するという事情から必ずしも衛生的と言い切れない面もあり、慣れない人は食あたりを起こす場合もあるとされる。
デパートには必ずと言っていいほどフードコート(食券式のセルフサービス食堂)が併設されている。高級ブランドのブティックばかりが入居する非常にしゃれたデパートにもフードコートはある。屋台よりは若干割高だがそれでも30バーツ程度から食事をすることができ、衛生的にも屋台よりは安心できる印象を与える店も多い。
熱帯気候に属するタイは果物の種類も豊富であり、また美味である。特にタイで最も暑い時期とされる4月は、ドリアン、マンゴーなどが市場に出揃う。この季節をタイ人は「ドリアンの季節」や「マンゴーの季節」とさえ呼んでいる。
タイでは、日本料理がブームとなり、国内に600店以上の日本料理店があるという。市場規模は50億バーツ強[61]。
ブームの背景には、「日本の食材=身体に良い」という日本料理への良いイメージが関係しているという[62]。食材としてはワサビが人気。これについては、辛いものが好きなタイ人にとってワサビは日本料理を自分たち好みの味にしてくれるから、という指摘がある[62]。
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タイ文学に於いては上座部仏教の「業」の思想が長らく主題とされ、また、釈迦の前世譚であるパーリ語経典『ジャータカ』が中世以来人気を集めてきた[63]
タタ・ヤンやパーミーなどの歌手は日本でもCDをリリースしオリコンの上位にランクされるなどヒットしている。
近年はタイで制作された映画が日本へ輸出されることが多く、2000年以降2006年までに日本で公開されたタイ映画は25作品を数える[64]。「アタック・ナンバーハーフ」や「マッハ!!!!!!!!」などのタイ映画が全国で公開され若者を中心にヒットした。特撮映画では円谷プロダクションの合作、「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」や「ジャンボーグA&ジャイアント」などが有名。「ハヌマーンと5人の仮面ライダー」も有名な作品である。
タイ王国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が2件存在する。
祝祭日は以下の通りである。土曜日または日曜日と祝祭日が重なった場合、翌日以降で最初の平日は振替休日となる。
なお、タイの紀年法について西暦も併用されているが、ラーマ6世によって1912年に導入された仏滅紀元(仏暦)が主に使用されている。導入された当初は太陰暦であったが、仏滅紀元2483年(1940年)にその年が9月でうち切られ、グレゴリオ暦(太陽暦)との誤差が修正されたため、現在は西暦との間で日にちのずれがない[65]。
日付 | 日本語表記 | タイ語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元旦 | วันขึ้นปีใหม่ | |
旧暦3月の満月 | 万仏節 | วันมาฆบูชา | 2014年では2月14日、偶然にも西洋ではおなじみのあの日と重なっている。 |
4月6日 | チャクリー王朝記念日 | วันจักรี | |
4月13-15日 | タイ正月 | วันสงกรานต์ | 元々はバラモン陰暦の元旦をはさむ3日間だが、現在では日付固定されている。 各地で水掛け祭りが行われる→ソンクラーンを参照。 |
5月5日 | 国王戴冠記念日 | วันฉัตรมงคล | 1946年6月9日に18歳で仮即位。 1950年のこの日に21歳で正式に戴冠。 |
旧暦6月頃 | 種耕節 | วันพืชมงคล | 年によって月日が異なる。2014年では5月9日である。 |
旧暦6月の満月 | 仏誕節 | วันวิสาขบูชา | 2014年では5月13日である。 |
旧暦8月の満月 | 三宝節 | วันอาสาฬหบูชา | 2014年では7月11日である。 |
三宝節の翌日 | 安居入り | วันเข้าพรรษา | 2014年では7月12日である。 |
8月12日 | シリキット王妃誕生日 | วันเฉลิมพระชนมพรรษา สมเด็จพระนางเจ้าฯ พระบรมราชินีนาถ |
母の日でもある。 |
旧暦11月の満月 | 安居明け | วันออกพรรษา | 2012年では10月30日であるが、今年度は休日にならない。 |
10月23日 | チュラーロンコーン大王記念日 | วันปิยมหาราช | |
12月5日 | プーミポン国王誕生日 | วันเฉลิมพระชนมพรรษา พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัวฯ |
父の日でもある。 |
12月10日 | 憲法記念日 | วันรัฐธรรมนูญ | |
12月31日 | 大晦日 | วันสิ้นปี |
国技のムエタイはスポーツとしての勝敗だけではなくに賭けとしての関心も高い。総合格闘技の興行はムエタイのイメージを損ない、1999年ボクシング法に触れるものとして、2012年3月27日以降は開催を禁止されている(同法施行に則って世界プロムエタイ連盟創立された)[66]。一方、プロレス興行についてはWWEなど国外の団体が興行を打っていたが、2012年には日本出身のさくらえみが中心たる我闘雲舞、オーストラリア出身のTNTが中心たるTWFとともに国内を拠点とする二つの団体が相次いで旗揚げされた。
タイ王国においてボクシングもまた人気の高いスポーツのひとつ。世界最大の団体であるWBCの直系ABCOの本部が首都バンコクに置かれている。
他にセパタクローやサッカー(タイ・プレミアリーグ)も盛んである。また、夕方の公園などではエアロビクスやバドミントンなどに興じる市民をみる事ができる。
また、モーターリゼーションが進みつつある近年は、パタヤなどに本格的なサーキットが建設され、自動車やオートバイレースなどのモータースポーツが盛んになってきている。古くはアジア人初のF1ドライバーであり、世界的に著名なレーシングドライバーであるプリンス・ビラの出身国でもある。
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Kingdom of Thailand ราชอาณาจักรไทย
Ratcha Anachak Thai |
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Motto: (unofficial) ชาติ ศาสนา พระมหากษัตริย์ (Thai) |
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Anthem: Phleng Chat Thai Thai National Anthem (instrumental)
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Location of Thailand (dark green) in ASEAN (light green) and Asia
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Capital and largest city |
Bangkok 13°45′N 100°29′E / 13.750°N 100.483°E / 13.750; 100.483 |
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Official languages | Thai[1] | |||||
Official script | Thai alphabet | |||||
Ethnic groups (2009[5]) |
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Religion | Buddhism | |||||
Demonym | Thai | |||||
Government | Constitutional monarchy administered by military junta | |||||
- | Monarch | Bhumibol Adulyadej | ||||
- | Prime Minister | Prayut Chan-o-cha | ||||
Legislature | National Assembly (unelected) | |||||
Formation | ||||||
- | Sukhothai Kingdom | 1238–1448 | ||||
- | Ayutthaya Kingdom | 1351–1767 | ||||
- | Thonburi Kingdom | 1768–1782 | ||||
- | Rattanakosin Kingdom | 6 April 1782 | ||||
- | Constitutional monarchy | 24 June 1932 | ||||
- | Current Constitution | 22 July 2014 | ||||
Area | ||||||
- | Total | 513,120 km2 (51st) 198,115 sq mi |
||||
- | Water (%) | 0.4 (2,230 km2) | ||||
Population | ||||||
- | 2013 estimate | 66,720,153[6] (20th) | ||||
- | 2010 census | 64,785,909[7] | ||||
- | Density | 132.1/km2 (88th) 342/sq mi |
||||
GDP (PPP) | 2013 estimate | |||||
- | Total | $964.500 billion[8] | ||||
- | Per capita | US$14,136[8] | ||||
GDP (nominal) | 2013 estimate | |||||
- | Total | US$387.253 billion[8] | ||||
- | Per capita | US$5,675[8] | ||||
Gini (2010) | 42.5[9] medium |
|||||
HDI (2013) | 0.722[10] high · 89th |
|||||
Currency | Baht (฿) (THB) | |||||
Time zone | ICT (UTC+7) | |||||
Drives on the | left | |||||
Calling code | +66 | |||||
ISO 3166 code | TH | |||||
Internet TLD |
|
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Thailand (/ˈtaɪlænd/ TY-land or /ˈtaɪlənd/ TY-lənd;[11] Thai: ประเทศไทย, RTGS: Prathet Thai), officially the Kingdom of Thailand (Thai: ราชอาณาจักรไทย, RTGS: Ratcha Anachak Thai; IPA: [râːt.tɕʰā ʔāːnāːtɕàk tʰāj] ( listen)), formerly known as Siam (Thai: สยาม; RTGS: Sayam), is a country at the centre of the Indochina peninsula in Southeast Asia. It is bordered to the north by Burma and Laos, to the east by Laos and Cambodia, to the south by the Gulf of Thailand and Malaysia, and to the west by the Andaman Sea and the southern extremity of Burma. Its maritime boundaries include Vietnam in the Gulf of Thailand to the southeast, and Indonesia and India on the Andaman Sea to the southwest.
Thailand is a monarchy headed by King Bhumibol Adulyadej, Rama IX and governed by a military junta that took power in May 2014.[12] The king is the ninth of the House of Chakri, and has reigned since 1946 as the world's longest-serving current head of state and the country's longest-reigning monarch.[13] The King of Thailand's titles include Head of State, Head of the Armed Forces, Adherent of Buddhism, and Upholder of religions.[14] Although a constitutional system was established in 1932, the monarchy and military have continued to intervene periodically in politics.
With a total area of approximately 513,000 km2 (198,000 sq mi), Thailand is the world's 51st-largest country. It is the 20th-most-populous country in the world, with around 66 million people. The capital and largest city is Bangkok, which is Thailand's political, commercial, industrial, and cultural hub. About 75–95% of the population is ethnically Tai, which includes four major regional groups: Central Thai, Northeastern Thai (Khon [Lao] Isan),[2] Northern Thai (Khon Mueang); and Southern Thai. Thai Chinese, those of significant Chinese heritage, are 14% of the population,[5] while Thais with partial Chinese ancestry comprise up to 40% of the population.[15] Thai Malays represent 3% of the population, with the remainder consisting of Mons, Khmers and various "hill tribes". The country's official language is Thai and the primary religion is Buddhism, which is practised by around 95% of the population.
Thailand experienced rapid economic growth between 1985 and 1996, becoming a newly industrialized country and a major exporter. Manufacturing, agriculture, and tourism are leading sectors of the economy.[16][17] Among the ten ASEAN countries, Thailand ranks second in quality of life[18] and the country's HDI had been rated as 'high'. Its large population and growing economic influence have made it a middle power in the region and around the world.[19]
The country has always been called Mueang Thai by its citizens; but by others, by the exonym Siam (Thai: สยาม RTGS: Sayam, pronounced [sàjǎːm]). Also spelled Siem, Syâm or Syâma, it has been identified with the Sanskrit Śyāma (श्याम, meaning "dark" or "brown"). The names Shan and A-hom seem to be variants of the same word, and Śyâma is possibly not its origin but a learned and artificial distortion.[20]
The signature of King Mongkut (r. 1851 – 1868) reads SPPM (Somdet Phra Poramenthra Maha) Mongkut King of Siam, giving it official status until 23 June 1939 when it was changed to Thailand.[21] Thailand was renamed Siam from 1945 to 11 May 1949, after which it again reverted to Thailand.
The word Thai (ไทย) is not, as commonly believed,[citation needed] derived from the word Thai (ไท) meaning "independence" in the Thai language; it is, however, the name of an ethnic group from the central plains (the Thai people).[citation needed] A famous Thai scholar argued that Thai (ไท) simply means "people" or "human being" since his investigation shows that in some rural areas the word "Thai" was used instead of the usual Thai word "khon" (คน) for people.[22]
The Thai use the phrase "land of the freedom" to express pride in the fact that Thailand is the only country in Southeast Asia never colonized by a European power.
While the Thai people will often refer to their country using the polite form Prathet Thai (Thai: ประเทศไทย), they most commonly use the more colloquial word Mueang Thai (Thai: เมืองไทย) or simply Thai (Thai: ไทย); the word mueang (Thai: เมือง) meaning nation but most commonly used to refer to a city or town. Ratcha Anachak Thai (Thai: ราชอาณาจักรไทย) means "Kingdom of Thailand" or "Kingdom of Thai".
Etymologically, its components are: -Ratcha- (from Sanskrit raja, meaning "king, royal, realm") ; -ana- (from Pāli āṇā, "authority, command, power", itself from Sanskrit ājñā, same meaning) -chak (from Sanskrit cakra or cakraṃ meaning "wheel", a symbol of power and rule). The Thai National Anthem (Thai: เพลงชาติ), written by Luang Saranupraphan during the extremely "patriotic" 1930s, refers to the Thai nation as: prathet thai (Thai: ประเทศไทย). The first line of the national anthem is: prathet thai ruam lueat nuea chat chuea thai (Thai: ประเทศไทยรวมเลือดเนื้อชาติเชื้อไทย), translating to: "Thailand is the unity of Thai blood and body."
There is evidence of human habitation in Thailand that has been dated at 40,000 years before the present, with stone artifacts dated to this period at Tham Lod Rockshelter in Mae Hong Son. Similar to other regions in Southeast Asia, Thailand was heavily influenced by the culture and religions of India, starting with the Kingdom of Funan around the 1st century CE to the Khmer Empire.[23]
Indian influence on Siamese culture was partly the result of direct contact with Indian settlers, but mainly it was brought about indirectly via the Indianized kingdoms of Dvaravati, Srivijaya and Cambodia.[24] E:A Voretzsch believes that Buddhism must have been flowing into Siam from India in the time of the Indian Emperor Ashoka of the Maurya Empire and far on into the first millennium after Christ.[24] Later Thailand was influenced by the south Indian Pallava dynasty and north Indian Gupta Empire.[24]
After the fall of the Khmer Empire in the 13th century, various states thrived there, such as the various Tai, Mon, Khmer and Malay kingdoms, as seen through the numerous archaeological sites and artifacts that are scattered throughout the Siamese landscape. Prior to the 12th century however, the first Thai or Siamese state is traditionally considered to be the Buddhist kingdom of Sukhothai, which was founded in 1238.
Following the decline and fall of the Khmer empire in the 13th–15th century, the Buddhist Tai kingdoms of Sukhothai, Lanna and Lan Xang (now Laos) were on the ascension. However, a century later, the power of Sukhothai was overshadowed by the new kingdom of Ayutthaya, established in the mid-14th century in the lower Chao Phraya River or Menam area.
Ayutthaya's expansion centred along the Menam while in the northern valley the Lanna Kingdom and other small Tai city-states ruled the area. In 1431, the Khmer abandoned Angkor after the Ayutthaya forces invaded the city.[25] Thailand retained a tradition of trade with its neighbouring states, from China to India, Persia and Arab lands. Ayutthaya became one of the most vibrant trading centres in Asia. European traders arrived in the 16th century, beginning with the Portuguese, followed by the French, Dutch and English.
After the fall of Ayutthaya in 1767 to the Burmese, King Taksin the Great moved the capital of Thailand to Thonburi for approximately 15 years. The current Rattanakosin era of Thai history began in 1782, following the establishment of Bangkok as capital of the Chakri dynasty under King Rama I the Great. According to the Encyclopædia Britannica, "A quarter to a third of the population of some areas of Thailand and Burma were slaves in the 17th through the 19th centuries."[26][27]
Despite European pressure, Thailand is the only Southeast Asian nation that has never been colonized.[28] This has been ascribed to the long succession of able rulers in the past four centuries who exploited the rivalry and tension between French Indochina and the British Empire. As a result, the country remained a buffer state between parts of Southeast Asia that were colonized by the two colonizing powers, Great Britain and France. Western influence nevertheless led to many reforms in the 19th century and major concessions, most notably the loss of a large territory on the east side of the Mekong to the French and the step-by-step absorption by Britain of the Malay Peninsula.
The losses initially included Penang and eventually culminated in the loss of four predominantly ethnic-Malay southern provinces, which later became Malaysia's four northern states, under the Anglo-Siamese Treaty of 1909.
In 1932, a bloodless revolution carried out by the Khana Ratsadon group of military and civilian officials resulted in a transition of power, when King Prajadhipok was forced to grant the people of Siam their first constitution, thereby ending centuries of absolute monarchy.
In 1939, the name of the kingdom, 'Siam', was changed to 'Thailand'.
During World War II, the Empire of Japan demanded the right to move troops across Thailand to the Malayan frontier. Japan invaded the country on December 8, 1941 (Dec 7 US time), in coordination with attacks throughout Asia, and engaged the Thai Army for six to eight hours before Plaek Pibulsonggram ordered an armistice. Shortly thereafter Japan was granted free passage, and on 21 December 1941, Thailand and Japan signed a military alliance with a secret protocol wherein Tokyo agreed to help Thailand regain territories lost to the British and French. Subsequently, Thailand declared war on the United States and the United Kingdom on 25 January 1942 and undertook to 'assist' Japan in its war against the Allies, while at the same time maintaining an active anti-Japanese resistance movement known as the Seri Thai. Approximately 200,000 Asian labourers (mainly romusha) and 60,000 Allied POWs worked on the Thailand–Burma Death Railway.[29]
After the war, Thailand emerged as an ally of the United States. As with many of the developing nations during the Cold War, Thailand then went through decades of political instability characterised by a number of coups d'état, as one military regime replaced another, but eventually progressed towards a stable, prosperous democracy in the 1980s.[citation needed]
An example of pottery discovered near Ban Chiang in Udon Thani province, the earliest dating to 2100 BCE.
Phimai, Prasat Phimai is the largest temple in the country from the Khmer Empire.
The immense 19 metre high gilded statue of a seated Buddha in Wat Phanan Choeng, the latter from 1324, pre-dates the founding of the city.
15 metre high Buddha image in Sukhothai, Phra Achana , built in 13th Century
Painting of Ayutthaya, ordered by the Dutch East India Company, 1665.
Kosa Pan presents King Narai's letter to Louis XIV at Versailles, 1 September 1686.
The politics of Thailand is currently conducted within the framework of a constitutional monarchy, whereby the Prime Minister is the head of government and a hereditary monarch is head of state. The judiciary is independent of the executive and the legislative branches.
Since the political reform of the absolute monarchy in 1932, Thailand has had 19 constitutions and charters.[30][31] Throughout this time, the form of government has ranged from military dictatorship to electoral democracy, but all governments have acknowledged a hereditary monarch as the head of state.[32][33]
Prior to 1932, the Kingdom of Siam did not possess a legislature, as all legislative powers were vested within the person of the monarch. This had been the case since the foundation of the Sukhothai Kingdom in the 12th century: as the king was seen as a "Dharmaraja" or "King who rules in accordance with Dharma" (the Buddhist law of righteousness). However on 24 June 1932 a group of civilians and military officers, calling themselves the Khana Ratsadon (or People's Party) carried out a bloodless revolution, in which the 150 years of absolute rule of the House of Chakri was ended. In its stead the group advocated a constitutional form of monarchy with an elected legislature.
The "Draft Constitution" of 1932 signed by King Prajadhipok, created Thailand's first legislature, a People's Assembly with 70 appointed members. The assembly met for the first time on 28 June 1932, in the Ananda Samakhom Throne Hall. The Khana Ratsadon decided that the people were not yet ready for an elected assembly; however they later changed their minds. By the time the "permanent" constitution came into force in December of that year, elections were scheduled for 15 November 1933. The new constitution also changed the composition of the assembly to 78 directly elected and 78 appointed (by the Khana Ratsadon) together compromising 156 members.
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The history of Thailand from 1932 to 1973 was dominated by military dictatorships which were in power for much of the period. The main personalities of the period were the dictator Luang Phibunsongkhram (better known as Phibun), who allied the country with Japan during the Second World War, and the civilian politician Pridi Phanomyong, who founded Thammasat University and was briefly the prime minister after the war. The Japanese invasion of Thailand occurred on December 8, 1941.
A succession of military dictators followed Pridi's ousting — Phibun again, Sarit Dhanarajata and Thanom Kittikachorn — under whom traditional, authoritarian rule was combined with increasing modernisation and westernisation under the influence of the U.S. The end of the period was marked by Thanom's resignation, following a massacre of pro-democracy protesters led by Thammasat students. Thanom misread the situation as a coup d'état, and fled, leaving the country leaderless. HM appointed Thammasat University chancellor Sanya Dharmasakti PM by royal command. For events subsequent to the abdication of the king, including the name change of 1939, up to the coup d'état of 1957, see Plaek Pibulsonggram.
Thailand helped the USA and South Vietnam in the Vietnam war between 1965–1971. Thai forces also saw heavy action in the covert war in Laos that occurred between 1964 to 1972.
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The 1997 Constitution was the first constitution to be drafted by popularly elected Constitutional Drafting Assembly, and was popularly called the "People's Constitution".[34] The 1997 Constitution created a bicameral legislature consisting of a 500-seat House of Representatives (สภาผู้แทนราษฎร, sapha phu thaen ratsadon) and a 200-seat Senate (วุฒิสภา, wutthisapha). For the first time in Thai history, both houses were directly elected.
Many human rights are explicitly acknowledged, and measures were established to increase the stability of elected governments. The House was elected by the first past the post system, where only one candidate with a simple majority could be elected in one constituency. The Senate was elected based on the province system, where one province can return more than one senator depending on its population size.
The two houses of the National Assembly have two different terms. In accordance with the constitution the Senate is elected to a six-year term, while the House is elected to a four-year term. Overall the term of the National Assembly is based on that of the House. The National Assembly each year will sit in two sessions an "ordinary session" and a "legislative session". The first session of the National Assembly must take place within thirty days after the general election of the House of Representatives. The first session must be opened by the king in person by reading a Speech from the Throne; this ceremony is held in the Ananta Samakhom Throne Hall. He may also appoint the crown prince or a representative to carry out this duty. It is also the duty of the king to prorogue sessions through a Royal Decree when the House term expires. The king also has the prerogative to call extraordinary sessions and prolong sessions upon advice of the House of Representatives.
The National Assembly may host a "Joint-sitting" of both Houses under several circumstances. These include: The appointment of a regent, any alteration to the 1924 Palace Law of Succession, the opening of the first session, the announcement of policies by the Cabinet of Thailand, the approval of the declaration of war, the hearing of explanations and approval of a treaty and the amendment of the Constitution.
Members of the House of Representatives served four-year terms, while senators served six-year terms. The 1997 People's Constitution also promoted human rights more than any other constitutions. The court system (ศาล, san) included a constitutional court with jurisdiction over the constitutionality of parliamentary acts, royal decrees, and political matters.
The January 2001 general election, the first election under the 1997 Constitution, was called the most open, corruption-free election in Thai history.[35] Thai Rak Thai Party, led by Thaksin Shinawatra won the election. The Thaksin government was the first in Thai history to complete a four-year term. The 2005 election had the highest voter turnout in Thai history,[36][37] and Thai Rak Thai Party won an absolute majority. However, despite efforts to clean up the system, vote buying and electoral violence remained problems of electoral quality in 2005.[38]
The PollWatch Foundation, Thailand's most prominent election watchdog, declared that vote buying in this election, specifically in the North and the Northeast, was more serious than in the 2001 election. The organization also accused the government of violating the election law by abusing state power in presenting new projects in a bid to seek votes.
Without meeting much resistance, a military junta overthrew the interim government of Thaksin Shinawatra on 19 September 2006. The junta abrogated the constitution, dissolved Parliament and the Constitutional Court, detained and later removed several members of the government, declared martial law, and appointed one of the king's Privy Counselors, General Surayud Chulanont, as the Prime Minister. The junta later wrote a highly abbreviated interim constitution and appointed a panel to draft a new permanent constitution. The junta also appointed a 250-member legislature, called by some critics a "chamber of generals" while others claimed that it lacks representatives from the poor majority.[39][40]
In this interim constitution draft, the head of the junta was allowed to remove the prime minister at any time. The legislature was not allowed to hold a vote of confidence against the cabinet and the public was not allowed to file comments on bills.[41] This interim constitution was later surpassed by the permanent constitution on 24 August 2007. Martial law was partially revoked in January 2007. The ban on political activities was lifted in July 2007,[42] following the 30 May dissolution of the Thai Rak Thai party. The new constitution was approved by referendum on 19 August, which led to a return to a democratic general election on 23 December 2007.
The People's Power Party (Thailand), led by Samak Sundaravej formed a government with five smaller parties. Following several court rulings against him in a variety of scandals, and surviving a vote of no confidence, and protesters blockading government buildings and airports, in September 2008, Sundaravej was found guilty of conflict of interest by the Constitutional Court of Thailand (due to being a host in a TV cooking program),[43] and thus, ended his term in office.
He was replaced by PPP member Somchai Wongsawat. As of October 2008, Wongsawat was unable to gain access to his offices, which were occupied by protesters from the People's Alliance for Democracy. On 2 December 2008, Thailand's Constitutional Court in a highly controversial ruling found the Peoples Power Party[44] guilty of electoral fraud, which led to the dissolution of the party according to the law. It was later alleged in media reports that at least one member of the judiciary had a telephone conversation with officials working for the Office of the Privy Council and one other. The phone call was taped and has since circulated on the Internet. In it, the callers discuss finding a way to ensure the ruling PPP party would be disbanded. Accusations of judicial interference were levelled in the media but the recorded call was dismissed as a hoax. However, in June 2010, supporters of the eventually disbanded PPP were charged with tapping a judge's phone.
Immediately following what many media described as a "judicial coup", a senior member of the Armed Forces met with factions of the governing coalition to get their members to join the opposition and the Democrat Party was able to form a government, a first for the party since 2001. The leader of the Democrat party, and former leader of the opposition, Abhisit Vejjajiva was appointed and sworn-in as the 27th Prime Minister, together with the new cabinet on 17 December 2008.
In April 2009, protests by the National United Front of Democracy Against Dictatorship (UDD, or "Red Shirts") forced the cancellation of the Fourth East Asia Summit after protesters stormed the Royal Cliff hotel venue in Pattaya, smashing the glass doors of the venue to gain entry, and a blockade prevented the Chinese premier at the time, Wen Jiabao, from attending. The summit was eventually held in Thailand in October 2009.[45][46]
About a year later, a set of new "Red Shirts" protests resulted in 87 deaths (mostly civilian and some military) and 1,378 injured.[47] When the army tried to disperse the protesters on 10 April 2010, the army was met with automatic gunfire, grenades, and fire bombs from the opposition faction in the army, known as the "watermelon". This resulted in the army returning fire with rubber bullets and some live ammunition. During the time of the "red shirt" protests against the government, there have been numerous grenade and bomb attacks against government offices and the homes of government officials. Gas grenades were fired at "yellow-shirt" protesters, that were protesting against the "red-shirts" and in favor of the government, by unknown gunmen killing one pro-government protester, the government stated that the Red Shirts were firing the weapons at civilians.[48][49][50][51] Red-shirts continued to hold a position in the business district of Bangkok and it was shut down for several weeks.[52]
On 3 July 2011, the oppositional Pheu Thai Party, led by Yingluck Shinawatra (the youngest sister of Thaksin Shinawatra), won the general election by a landslide (265 seats in the House of Representatives, out of 500). She had never previously been involved in politics, Pheu Thai campaigning for her with the slogan 'Thaksin thinks, Pheu Thai acts'. Yingluck is the nation's first female prime minister and her role was officially endorsed in a ceremony presided over by King Bhumibol Adulyadej. The Pheu Thai Party is a continuation of Thaksin's Thai Rak Thai party.[53]
Protests recommenced in late 2013, as a broad alliance of protestors, led by former opposition deputy leader Suthep Thaugsuban, demanded an end to the so-called Thaksin regime, and the Bangkok Post says Suthep wants dictatorship by himself.[54] A blanket amnesty for people involved in the 2010 protests, altered at the last minute to include all political crimes – including all convictions against Thaksin – triggered a mass show of discontent, with numbers variously estimated between 98,500 (the police) and 400,000 (an aerial photo survey done by the Bangkok Post), taking to the streets. The Senate was urged to reject the bill to quell the reaction, but the measure failed. A newly named group, the People's Democratic Reform Committee (PDRC) along with allied groups, escalated the pressure, with the opposition Democrat party resigning en masse to create a parliamentary vacuum. Protesters demands variously evolved as the movement's numbers grew, extending a number of deadlines and demands that became increasingly unreasonable or unrealistic, yet attracting a groundswell of support. They called for the establishment of an unelected “people’s council”—in place of Yingluck's government—that will cleanse Thai politics and eradicate the Thaksin regime.[55]
In response to the intensive protests, Yinluck dissolved parliament on 9 December 2013 and proposed a new election for 2 February 2014, a date that was later approved by the election commission.[56] The PDRC insisted that the prime minister stand down within 24 hours, regardless of her actions, with 160,000 protesters in attendance at Government House on 9 December. Yingluck insisted that she would continue her duties until the scheduled election in February 2014, urging the protesters to accept her proposal: "Now that the government has dissolved parliament, I ask that you stop protesting and that all sides work towards elections. I have backed down to the point where I don't know how to back down any further."[57]
In response to the Electoral Commission (EC)'s registration process for party-list candidates—for the scheduled election in February 2014—anti-government protesters marched to the Thai-Japanese sports stadium, the venue of the registration process, on 22 December 2013. Suthep and the PDRC led the protest, estimating that 3.5 million people participated in the march; however, security forces claimed that approximately 270,000 protesters joined the rally. Yingluck and the Pheu Thai Party reiterated their election plan and anticipate presenting a list of 125 party-list candidates to the EC.[58]
On 7 May 2014, the Constitutional Court ruled that Yingluck would have to step down as the Prime Minister as she was deemed to have abused her power in transferring a high-level government official.[59] On 21 August 2014 she was replaced by army chief General Prayut Chan-o-cha.[60]
On 20 May 2014 the Thai army declared martial law, however denied that this was a coup attempt and began to deploy troops in the capital.[61] On 22 May, the Army announced that it was a coup and that it was taking control of the country and suspending the country's constitution.[62][63] Also on the same day, the military announced they were imposing a curfew between the hours of 10 pm and 5 am local Thai time requiring no resident or tourist go outside without approval of military authorities.[64][65][66][67][68] On 21 August 2014 the National Assembly of Thailand, which had recently been stacked with handpicked military officers, elected the army chief, General Prayut Chan-o-cha, as prime minister.
Thailand is divided into 76 provinces (จังหวัด, changwat), which are gathered into 5 groups of provinces by location. There are also 2 special governed districts: the capital Bangkok (Krung Thep Maha Nakhon) and Pattaya, of which Bangkok is at provincial level and thus often counted as a province.
Each province is divided into districts and the districts are further divided into sub-districts (tambons). As of 2006 there are 877 districts (อำเภอ, amphoe) and the 50 districts of Bangkok (เขต, khet). Some parts of the provinces bordering Bangkok are also referred to as Greater Bangkok (ปริมณฑล, pari monthon). These provinces include Nonthaburi, Pathum Thani, Samut Prakan, Nakhon Pathom and Samut Sakhon. The name of each province's capital city (เมือง, mueang) is the same as that of the province. For example, the capital of Chiang Mai province (Changwat Chiang Mai) is Mueang Chiang Mai or Chiang Mai.
Thailand controlled the Malay Peninsula as far as Malacca in the 1400s and held much of the peninsula, including Temasek (Singapore) some of the Andaman Islands and a colony on Java, but eventually failed when the British used force to guarantee their suzerainty over the sultanate.
Mostly the northern states of the Malay Sultanate presented annual gifts to the Thai king in the form of a golden flower—a gesture of tribute and an acknowledgement of vassalage. The British intervened in the Malay State and with the Anglo-Siamese Treaty tried to build a railway from the south to Bangkok. Thailand relinquished sovereignty over what are now the northern Malay provinces of Kedah, Perlis, Kelantan and Terengganu to the British. Satun and Pattani provinces were given to Thailand.
The Malay peninsula provinces were infiltrated by the Japanese during World War II, and by the Malayan Communist Party (CPM) from 1942 to 2008, when they decided to sue for peace with the Malaysian and Thai governments after the CPM lost its support from Vietnam and China subsequent to the Cultural Revolution. Recent insurgent uprisings may be a continuation of separatist fighting which started after World War II with Sukarno's support for the PULO, and the intensification. Most victims since the uprisings have been Buddhist and Muslim bystanders.
The foreign relations of Thailand are handled by the Minister of Foreign Affairs of Thailand.
Thailand participates fully in international and regional organizations. It is a major non-NATO ally and Priority Watch List Special 301 Report of the United States. The country remains an active member of ASEAN (Association of South East Asian Nations). Thailand has developed increasingly close ties with other ASEAN members: Indonesia, Malaysia, the Philippines, Singapore, Brunei, Laos, Cambodia, Burma, and Vietnam, whose foreign and economic ministers hold annual meetings. Regional cooperation is progressing in economic, trade, banking, political, and cultural matters. In 2003, Thailand served as APEC host. Dr. Supachai Panitchpakdi, the former Deputy Prime Minister of Thailand, currently serves as Secretary-General of the United Nations Conference on Trade and Development (UNCTAD). In 2005 Thailand attended the inaugural East Asia Summit.
In recent years, Thailand has taken an increasingly active role on the international stage. When East Timor gained independence from Indonesia, Thailand, for the first time in its history, contributed troops to the international peacekeeping effort. Its troops remain there today as part of a UN peacekeeping force. As part of its effort to increase international ties, Thailand has reached out to such regional organizations as the Organization of American States (OAS) and the Organization for Security and Cooperation in Europe (OSCE). Thailand has contributed troops to reconstruction efforts in Afghanistan and Iraq.
Thaksin initiated negotiations for several free trade agreements with China, Australia, Bahrain, India, and the US. The latter especially was criticized, with claims that high-cost Thai industries could be wiped out.[69]
Thaksin also announced that Thailand would forsake foreign aid, and work with donor countries to assist in the development of neighbors in the Greater Mekong Sub-region.[70] Thaksin was ambitious to position Thailand as a regional leader, initiating various development projects in poorer neighbouring countries like Laos. More controversially, he established close, friendly ties with the Burmese dictatorship.[71]
Thailand joined the US-led invasion of Iraq, sending a 423-strong humanitarian contingent. It withdrew its troops on 10 September 2004. Two Thai soldiers died in Iraq in an insurgent attack.
Abhisit appointed Peoples Alliance for Democracy leader Kasit Piromya as Foreign Minister. In April 2009, "large-scale fighting" erupted between Thai and Cambodian troops on territory immediately adjacent to the 900-year-old ruins of Cambodia's Preah Vihear Hindu temple near the border. The Cambodian government claimed its army had killed at least four Thais and captured 10 more, although the Thai government denied that any Thai soldiers were killed or injured. Two Cambodian soldiers were killed and three Thai soldiers were killed. Both armies blamed the other for firing first and denied entering the other's territory.[72][73]
The Royal Thai Armed Forces (Thai: กองทัพไทย, Kong Thap Thai) constitute the military of the Kingdom of Thailand. They consist of the Royal Thai Army (กองทัพบกไทย), the Royal Thai Navy (กองทัพเรือไทย), and the Royal Thai Air Force (กองทัพอากาศไทย). It also incorporates various paramilitary forces.
Currently, the Royal Thai Armed Forces has a combined manpower of 305,860 active duty personnel. The Head of the Thai Armed Forces (จอมทัพไทย, Chom Thap Thai) is King Bhumibol Adulyadej (Rama IX),[74] although this position is only nominal. The Armed Forces is managed by the Ministry of Defence of Thailand, which is headed by the Minister of Defence (a member of the Cabinet of Thailand) and commanded by the Royal Thai Armed Forces Headquarters, which in turn is headed by the Chief of Defence Forces of Thailand.[75] In 2011, Thailand's known military expenditure totalled approximately US$5.1 billion.[76]
According to the constitution, serving in the Armed Forces is a duty of all Thai citizens.[77] However, only males over the age of 21, who have not gone through reserve training of the Army Reserve Force Students, are given the option of whether they want to volunteer for the armed forces, or choose the random draft. The candidates are subjected to varying lengths of training, from six months to two years of full-time service, depending on their education, whether they have partially completed the reserve training course, and whether they volunteered prior to the drafting date (usually 1 April every year).
Candidates with a recognized bachelor's degree will be subjected to one year of full-time service if they chose the random draft, or six months if they volunteer at their respective district office (สัสดี, satsadi). Likewise, the training length is also reduced for those who have partially completed the three-year reserve training course (ร.ด., ro do). A person who completed one year out of three will only have to serve full-time for one year. Those who completed two years of reserve training will only have to do six months of full-time training, while those who complete three years or more of reserve training will be exempted entirely.
The Royal Thai Armed Forces Day is celebrated on 18 January, commemorating the victory of King Naresuan the Great in battle against the Crown Prince of Burma in 1593.[citation needed]
Totalling 513,120 square kilometres (198,120 sq mi),[1] Thailand is the world's 51st-largest country by total area. It is slightly smaller than Yemen and slightly larger than Spain.
Thailand is home to several distinct geographic regions, partly corresponding to the provincial groups. The north of the country is the mountainous area of the Thai highlands, with the highest point being Doi Inthanon in the Thanon Thong Chai Range at 2,565 metres (8,415 ft) above sea level. The northeast, Isan, consists of the Khorat Plateau, bordered to the east by the Mekong River. The centre of the country is dominated by the predominantly flat Chao Phraya river valley, which runs into the Gulf of Thailand.
Southern Thailand consists of the narrow Kra Isthmus that widens into the Malay Peninsula. Politically, there are six geographical regions which differ from the others in population, basic resources, natural features, and level of social and economic development. The diversity of the regions is the most pronounced attribute of Thailand's physical setting.
The Chao Phraya and the Mekong River are the sustainable resource of rural Thailand. Industrial scale production of crops use both rivers and their tributaries. The Gulf of Thailand covers 320,000 square kilometres (124,000 sq mi) and is fed by the Chao Phraya, Mae Klong, Bang Pakong and Tapi Rivers. It contributes to the tourism sector owing to its clear shallow waters along the coasts in the Southern Region and the Kra Isthmus. The Gulf of Thailand is also an industrial centre of Thailand with the kingdom's main port in Sattahip along with being the entry gates for Bangkok's Inland Seaport.
The Andaman Sea is regarded as Thailand's most precious natural resource as it hosts the most popular and luxurious resorts in Asia. Phuket, Krabi, Ranong, Phang Nga and Trang and their lush islands all lay along the coasts of the Andaman Sea and despite the 2004 Tsunami, they continue to be and ever more so, the playground of the rich and elite of Asia and the world.
Plans have resurfaced of a logistical connection of the two bodies of water which would be coined the Thai Canal, analogous to the Suez and the Panama Canal. Such an idea has been greeted with positive accounts by Thai politicians as it would cut fees charged by the Ports of Singapore, improve ties with China and India, lower shipping times and increase ship safety owing to pirate fears in the Strait of Melaka and, support the Thai government's policy of being the logistical hub for Southeast Asia.
The ports would improve economic conditions in the south of Thailand, which relies heavily on tourism income, and it would also change the structure of the Thai economy moving it closer to a services centre of Asia. The canal would be a major engineering project and has expected costs of 20–30 billion dollars.
The local climate is tropical and characterized by monsoons. There is a rainy, warm, and cloudy southwest monsoon from mid-May to September, as well as a dry, cool northeast monsoon from November to mid-March. The southern isthmus is always hot and humid. This article incorporates public domain material from websites or documents of the CIA World Factbook.
In 2014 the literacy rate is 93.5%,[78] and education is provided by a well-organized school system of kindergartens, primary, lower secondary and upper secondary schools, numerous vocational colleges, and universities. The private sector of education is well developed and significantly contributes to the overall provision of education which the government would not be able to meet through the public establishments. Education is compulsory up to and including age group 14, and the government provides free education through to age group 17.[citation needed]
Teaching relies heavily on rote learning rather than on student-centred methodology. The establishment of reliable and coherent curricula for its primary and secondary schools is subject to such rapid changes that schools and their teachers are not always sure what they are supposed to be teaching, and authors and publishers of textbooks are unable to write and print new editions quickly enough to keep up with the volatile situation. The issue concerning university entrance has therefore also been in constant upheaval for a number of years. Nevertheless, education has seen its greatest progress in the years since 2001. Most of the present generation of students are computer literate. Thailand was ranked 54th out of 56 countries globally for English proficiency, the second-lowest in Asia.[79]
Students in ethnic minority areas score consistently lower in standardized national and international tests.[80] [81] [82] This is likely due to unequal allocation of educational resources, weak teacher training, socio-economic factors (poverty) and lower ability in the Thai language, the language of the tests.[80] [83] [84]
Extensive nationwide IQ tests were carried out in December 2010 to January 2011 on 72,780 Thai students. The average IQ was found to be at 98.59, which is higher than previous studies have found. The IQ levels are not consistent throughout the country though, with the lowest average of 88.07 found in the southern region of Narathiwat and the highest average of 108.91 reported in Nonthaburi province. The Thai Ministry of Public Health blames the discrepancies on iodine deficiency and steps are being taken to require that iodine be added to table salt, a practice common in many Western countries.[85]
In 2013, the Ministry of ICT announced that 27,231 schools would receive classroom-level access to high-speed internet.[86]
The National Science and Technology Development Agency is an agency of the government of Thailand which supports research in science and technology and their application in the Thai economy.[citation needed]
The Synchrotron Light Research Institute (SLRI) is a Thai synchrotron light source for physics, chemistry, material science and life sciences. It is located on the Suranaree University of Technology (SUT), in Nakhon Ratchasima, about 300 km north east of Bangkok. The Institute, financed by the Ministry of Science and Technology (MOST), houses the only large scale synchrotron in Southeast Asia. It was originally built as the SORTEC synchrotron in Japan and later moved to Thailand and modified for 1.2 GeV operation. It provides users with regularly scheduled light.[citation needed]
In Bangkok, there are 23,000 free public Wi-Fi Internet hotspots.[87] The Internet in Thailand also consists of 10Gbit/s high speed fiber-optic lines that can be leased and ISPs such as KIRZ that provide residential Internet services.[citation needed]
The Internet is censored by the Thai government, making some sites unreachable. Organisations responsible are the Royal Thai Police, the Communications Authority of Thailand, and the Ministry of Information and Communication Technology (MICT).[citation needed]
There are no nuclear power plants in Thailand, although the development of one may occur in 2026. Presently, 80% of the country's total energy comes from fossil fuels.[88]
Thailand generally uses the metric system, but traditional units of measurement for land area are used, and imperial units of measurement are occasionally used for building materials, such as wood and plumbing sizes. Years are numbered as B.E. (Buddhist Era) in educational settings, the civil service, government, and on contracts and newspaper datelines; however, in banking, and increasingly in industry and commerce, standard Western year (Christian or Common Era) counting is the standard practice.[89]
Thailand is an emerging economy and is considered a newly industrialized country. After experiencing the world's highest growth rate from 1985 to 1996 — averaging 12.4% annually — increased pressure on Thailand's currency, the baht, in 1997, the year in which the economy contracted by 1.9%, led to a crisis that uncovered financial sector weaknesses and forced the Chavalit Yongchaiyudh administration to float the currency. However, Prime Minister Chavalit Yongchaiyudh was forced to resign after his cabinet came under fire for its slow response to the crisis. The baht was pegged at 25 to the US dollar from 1978 to 1997; however, the baht reached its lowest point of 56 to the US dollar in January 1998 and the economy contracted by 10.8% that year, triggering the Asian financial crisis.
Thailand's economy started to recover in 1999, expanding 4.2% and 4.4% in 2000, thanks largely to strong exports. Growth (2.2%) was dampened by the softening of the global economy in 2001, but picked up in the subsequent years owing to strong growth in Asia, a relatively weak baht encouraging exports and increasing domestic spending as a result of several mega projects and incentives of Prime Minister Thaksin Shinawatra, known as Thaksinomics. Growth in 2002, 2003 and 2004 was 5–7% annually. Growth in 2005, 2006 and 2007 hovered around 4–5%. Due both to the weakening of the US dollar and an increasingly strong Thai currency, by March 2008, the dollar was hovering around the 33 baht mark. While Thaksinomics has received criticism, official economic data reveals that between 2001 and 2011, Isaan's GDP per capita more than doubled to US$1,475, while, over the same period, GDP in the Bangkok area increased from US$7,900 to nearly US$13,000.[90]
Thailand exports an increasing value of over $105 billion worth of goods and services annually.[1] Major exports include Thai rice, textiles and footwear, fishery products, rubber, jewellery, cars, computers and electrical appliances. Rice is the most important crop in the country and Thailand had long been the world's no.1 exporter of rice, until recently falling behind both India and Vietnam.[91] Thailand has the highest percentage of arable land, 27.25%, of any nation in the Greater Mekong Subregion.[92] About 55% of the arable land area is used for rice production.[93]
Substantial industries include electric appliances, components, computer parts and cars, while tourism in Thailand makes up about 6% of the economy. Prostitution in Thailand and sex tourism also form a de facto part of the economy. Cultural milieu combined with poverty and the lure of money have caused prostitution and sex tourism in particular to flourish in Thailand. One estimate published in 2003 placed the trade at US$4.3 billion per year or about 3% of the Thai economy.[94] According to research by Chulalongkorn University on the Thai illegal economy, prostitution in Thailand in the period between 1993 and 1995, made up around 2.7% of the GDP.[95] It is believed that at least 10% of tourist dollars are spent on the sex trade.[96]
The economy of Thailand is an emerging economy which is heavily export-dependent, with exports accounting for more than two-thirds of gross domestic product (GDP) The exchange rate was THB30.90 = US$1 as of 26 April 2012.[97]
Thailand has a GDP worth US$602 billion (on a purchasing power parity (PPP) basis). This classifies Thailand as the 2nd largest economy in Southeast Asia, after Indonesia. Despite this, Thailand ranks midway in the wealth spread in Southeast Asia as it is the 4th richest nation according to GDP per capita, after Singapore, Brunei, and Malaysia.
It functions as an anchor economy for the neighboring developing economies of Laos, Burma, and Cambodia. Thailand's recovery from the 1997–1998 Asian financial crisis depended mainly on exports, among various other factors. Thailand ranks high among the world's automotive export industries along with manufacturing of electronic goods.
Between 1997 and 2010, 4,306 mergers & acquisitions with a total known value of US$81 billion with the involvement of Thai firms were announced.[98] The year 2010 was a new record in terms of value with US$12 billion of transactions. The largest transaction with involvement of Thai companies has been: PTT Chemical PCL merged with PTT Aromatics and Refining PCL valued at US$3.8 billion in 2011.[99]
Forty-nine per cent of Thailand's labor force is employed in agriculture, however this is less than the 70% employed in 1980.[100] Agriculture has been experiencing a transition from labour-intensive and transitional methods into a more industrialised and competitive sector.[100] Between 1962 and 1983, the agricultural sector grew by 4.1% per year on average and continued to grow at 2.2% between 1983 and 2007.[100] However, the relative contribution of agriculture to GDP has declined while exports of goods and services have increased. As of December 2011, the unemployment rate in Thailand stood at 0.4%.
With the instability surrounding the major 2010 protests, the GDP growth of Thailand settled at around 4–5%, from highs of 5–7% under the previous civilian administration. Political uncertainty was identified as the primary cause of a decline in investor and consumer confidence. The IMF predicted that the Thai economy would rebound strongly from the low 0.1% GDP growth in 2011, to 5.5% in 2012 and then 7.5% in 2013, due to the accommodative monetary policy of the Bank of Thailand, as well as a package of fiscal stimulus measures introduced by the incumbent Yingluck Shinawatra government.[101]
Following the Thai military coup on 22 May 2014, the AFP global news agency published an article that claimed that the nation was on the "verge of recession". The article focused on the departure of nearly 180,000 Cambodians from Thailand due to fears of an immigration "clampdown", but concludes with information on the Thai economy's contraction of 2.1% quarter-on-quarter, from January to the end of March 2014.[102]
Ethnic Thais make up the majority of Thailand's population, 95.9% in 2010. This number includes Thai Chinese, a historically and economically important minority. The remaining 4.1% of the population are Burmese (2.0%), others 1.3%, and unspecified 0.9%.[1]
Thailand is home to a large expatriate community of around 200,000 foreigners, mostly from Europe and North America.[103] Increasing numbers of migrants from neighboring Burma, Laos, and Cambodia, as well as from Nepal and India, have pushed the total number of non-national residents to around 3.5 million as of 2009, up from an estimated 2 million in 2008, and about 1.3 million in the year 2000.[104] The growing number of both legal and undocumented migrants has raised awareness regarding the treatment of minorities.
Thailand's population is largely rural, concentrated in the rice-growing areas of the central, northeastern, and northern regions. Its urban population is only around 45.7% as of 2010, concentrated mostly in and around the Bangkok Metropolitan Area.
The country's successful government-sponsored family planning program has resulted in a dramatic decline in population growth from 3.1% in 1960 to around 0.4% today. In 1970, an average of 5.7 persons lived in a Thai household. At the time of the 2010 census, the figure was down to 3.2 persons.
Largest Municipalities of Thailand
See template |
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Rank | Name | Province | Pop. | Rank | Name | Province | Pop. | ||
Bangkok |
1 | Bangkok | Krung Thep Maha Nakhon | 5,658,953 (2005)[105] |
11 | Pattaya | Chonburi | 104,318 (2007)[106] |
Pak Kret |
2 | Nonthaburi | Nonthaburi | 260,555 (2011)[107] |
12 | Nakhon Sawan | Nakhon Sawan | 90,412 | ||
3 | Pak Kret | Nonthaburi | 168,763 (2008)[108] |
13 | Ubon Ratchathani | Ubon Ratchathani | 84,509 | ||
4 | Hat Yai | Songkhla | 157,682 (2008)[109] |
14 | Nakhon Pathom | Nakhon Pathom | 83,007 | ||
5 | Nakhon Ratchasima | Nakhon Ratchasima | 135,357 (2013)[110] |
15 | Phitsanulok | Phitsanulok | 79,535 | ||
6 | Chiang Mai | Chiang Mai | 141,361 (2011)[111] |
16 | Phuket | Phuket | 74,218 | ||
7 | Udon Thani | Udon Thani | 141,953 (2010)[112] |
17 | Songkhla | Songkhla | 73,170 | ||
8 | Surat Thani | Surat Thani | 127,496 (2008)[113] |
18 | Chiang Rai | Chiang Rai | 67,176 | ||
9 | Khon Kaen | Khon Kaen | 113,754 | 19 | Laem Chabang | Chonburi | 64,607 | ||
10 | Nakhon Si Thammarat | Nakhon Si Thammarat | 109,353 | 20 | Yala | Yala | 62,896 |
Population, Thailand | ||
---|---|---|
Year | Pop. | ±% |
1910 | 8,131,247 | — |
1919 | 9,207,355 | +13.2% |
1929 | 11,506,207 | +25.0% |
1937 | 14,464,105 | +25.7% |
1947 | 17,442,689 | +20.6% |
1960 | 26,257,916 | +50.5% |
1970 | 34,397,371 | +31.0% |
1980 | 44,824,540 | +30.3% |
1990 | 54,548,530 | +21.7% |
2000 | 60,916,441 | +11.7% |
2010 | 65,926,261 | +8.2% |
Source: [1] National Statistical Office of Thailand |
The official language of Thailand is Thai, a Tai–Kadai language closely related to Lao, Shan in Burma, and numerous smaller languages spoken in an arc from Hainan and Yunnan south to the Chinese border. It is the principal language of education and government and spoken throughout the country. The standard is based on the dialect of the central Thai people, and it is written in the Thai alphabet, an abugida script that evolved from the Khmer script. Several other dialects exist, and coincide with the regional designations. Southern Thai is spoken in the southern provinces, and Northern Thai is spoken in the provinces that were formerly part of the independent kingdom of Lannathai.
Thailand is also host to several other minority languages, the largest of which is the Lao dialect of Isan spoken in the northeastern provinces. Although sometimes considered a Thai dialect, it is a Lao dialect, and the region in where it is traditionally spoken was historically part of the Lao kingdom of Lan Xang. In the far south, Yawi, a dialect of Malay, is the primary language of the Malay Muslims. Varieties of Chinese are also spoken by the large Chinese population, with Teochew being best represented.
Numerous tribal languages are also spoken, including those belonging to the Mon–Khmer family, such as Mon, Khmer, Viet, Mlabri and Orang Asli; Austronesian family, such as Cham and Moken; Sino-Tibetan family such as Lawa, Akhan, and Karen; and other Tai languages such as Nyaw, Phu Thai, and Saek. Hmong is a member of the Hmong–Mien languages, which is now regarded as a language family of its own.
English is a mandatory school subject, but the number of fluent speakers remains very low, especially outside cities.
Thailand's prevalent religion is Theravada Buddhism, which is an integral part of Thai identity and culture. Active participation in Buddhism is among the highest in the world. According to the last census (2000), 94.6% of the country's population self-identified as Buddhists of the Theravada tradition. Muslims are the second largest religious group in Thailand, comprising 4.6% of the population.[1][114]
Islam is concentrated mostly in the country's southernmost provinces: Pattani, Yala, Satun, Narathiwat and part of Songkhla Chumphon, which are predominantly Malay, most of whom are Sunni Muslims. Christians represent 0.7% of the population, with the remaining population consisting of Sikhs and Hindus, who live mostly in the country's cities. There is also a small but historically significant Jewish community in Thailand dating back to the 17th century.
Thai culture has been shaped by many influences, including Indian, Lao, Burmese, Cambodian, and Chinese.
Its traditions incorporate a great deal of influence from India, China, Cambodia, and the rest of Southeast Asia. Thailand's national religion, Theravada Buddhism, is central to modern Thai identity. Thai Buddhism has evolved over time to include many regional beliefs originating from Hinduism, animism, as well as ancestor worship. The official calendar in Thailand is based on the Eastern version of the Buddhist Era (BE), which is 543 years ahead of the Gregorian (Western) calendar. Thus the year 2014 is 2557 BE in Thailand.
Several different ethnic groups, many of which are marginalized, populate Thailand. Some of these groups spill over into Burma,Laos, Cambodia, and Malaysia and have mediated change between their traditional local culture, national Thai, and global cultural influences. Overseas Chinese also form a significant part of Thai society, particularly in and around Bangkok. Their successful integration into Thai society has allowed for this group to hold positions of economic and political power. Thai Chinese businesses prosper as part of the larger bamboo network, a network of overseas Chinese businesses operating in the markets of Southeast Asia that share common family and cultural ties.[115]
The traditional Thai greeting, the wai, is generally offered first by the younger of the two people meeting, with their hands pressed together, fingertips pointing upwards as the head is bowed to touch face to fingertips, usually coinciding with the spoken words "sawatdi khrap" for male speakers, and "sawatdi kha" for females. The elder may then respond in the same way. Social status and position, such as in government, will also have an influence on who performs the wai first. For example, although one may be considerably older than a provincial governor, when meeting it is usually the visitor who pays respect first. When children leave to go to school, they are taught to wai their parents to indicate their respect. The wai is a sign of respect and reverence for another, similar to the namaste greeting of India and Nepal.
As with other Asian cultures, respect towards ancestors is an essential part of Thai spiritual practice. Thais have a strong sense of hospitality and generosity, but also a strong sense of social hierarchy. Seniority is paramount in Thai culture. Elders have by tradition ruled in family decisions or ceremonies. Older siblings have duties to younger ones.
Taboos in Thailand include touching someone's head or pointing with the feet, as the head is considered the most sacred and the foot the lowest part of the body.
Thai cuisine blends five fundamental tastes: sweet, spicy, sour, bitter, and salty. Some common ingredients used in Thai cuisine include garlic, chillies, lime juice, lemon grass, and fish sauce. The staple food in Thailand is rice, particularly jasmine variety rice (also known as "hom mali" rice) which is included at almost every meal. Thailand was long the world's largest exporter of rice, and Thais domestically consume over 100 kg of milled rice per person per year.[93] Over 5,000 varieties of rice from Thailand are preserved in the rice gene bank of the International Rice Research Institute (IRRI), based in the Philippines. The king of Thailand is the official patron of IRRI.[116]
Thai society has been influenced in recent years by its widely available multi-language press and media. There are some English and numerous Thai and Chinese newspapers in circulation. Most Thai popular magazines use English headlines as a chic glamour factor. Many large businesses in Bangkok operate in English as well as other languages.
Thailand is the largest newspaper market in Southeast Asia with an estimated circulation of over 13 million copies daily in 2003. Even upcountry, out of Bangkok, the media flourish. For example, according to Thailand's Public Relations Department Media Directory 2003–2004, the nineteen provinces of Isan, Thailand's northeastern region, hosted 116 newspapers along with radio, TV, and cable.
Muay Thai (Thai: มวยไทย, RTGS: Muai Thai, [muɛj tʰɑj], lit. "Thai boxing") is a native form of kickboxing and Thailand's signature sport. It incorporates kicks, punches, knees and elbow strikes in a ring with gloves similar to those used in Western boxing and this has led to Thailand gaining medals at the Olympic Games in boxing.
Football has possibly overtaken muay Thai as the most widely followed sport in contemporary Thai society. It is not uncommon to see Thais cheering their favourite English Premier League teams on television and walking around in replica kit. Another widely enjoyed pastime, and once a competitive sport, is kite flying.
Takraw (Thai: ตะกร้อ) is a sport native to Thailand, in which the players hit a rattan ball and are only allowed to use their feet, knees, chest, and head to touch the ball. Sepak takraw is a form of this sport which is similar to volleyball. The players must volley a ball over a net and force it to hit the ground on the opponent's side. It is also a popular sport in other countries in Southeast Asia. A rather similar game but played only with the feet is Buka ball.
Rugby is also a growing sport in Thailand with the Thailand national rugby union team rising to be ranked 61st in the world.[117] Thailand became the first country in the world to host an international 80 kg welterweight rugby tournament in 2005.[118] The national domestic Thailand Rugby Union (TRU) competition includes several universities and services teams such as Chulalongkorn University, Mahasarakham University, Kasetsart University, Prince of Songkla University, Thammasat University, Rangsit University, the Thai Police, the Thai Army, the Thai Navy and the Royal Thai Air Force. Local sports clubs which also compete in the TRU include the British Club of Bangkok, the Southerners Sports Club (Bangkok) and the Royal Bangkok Sports Club.
Thailand has been called the Golf Capital of Asia[119] as it is a popular destination for golf. The country attracts a large number of golfers from Japan, Korea, Singapore, South Africa, and Western countries who come to play golf in Thailand every year.[120] The growing popularity of golf, especially among the middle classes and expats, is evident as there are more than 200 world-class golf courses nationwide,[121] and some of them are chosen to host PGA and LPGA tournaments, such as Amata Spring Country Club, Alpine Golf & Sports Club, Thai Country Club, and Black Mountain Golf Club.
Basketball is a growing sport in Thailand, especially on the professional sports club level. The Chang Thailand Slammers won the 2011 ASEAN Basketball League Championship.[122] The Thailand national basketball team had its most successful year at the 1966 Asian Games where it won the silver medal.[123]
Other sports in Thailand are slowly growing as the country develops its sporting infrastructure. The success in sports like weightlifting and taekwondo at the last two summer Olympic Games has demonstrated that boxing is no longer the only medal option for Thailand.
Thammasat Stadium is a multi-purpose stadium in Bangkok. It is currently used mostly for football matches. The stadium holds 25,000. It is on Thammasat University's Rangsit campus. It was built for the 1998 Asian Games by construction firm Christiani and Nielsen, the same company that constructed the Democracy Monument in Bangkok.
Rajamangala National Stadium is the biggest sporting arena in Thailand. It currently has a capacity of 65,000. It is in Bang Kapi, Bangkok. The stadium was built in 1998 for the 1998 Asian Games and is the home stadium of the Thailand national football team.
The well-known Lumpini Boxing Stadium will host its final Muay Thai boxing matches on 7 February 2014 after the venue first opened in December 1956. Managed by the Royal Thai Army, the stadium was officially selected for the purpose of muay Thai bouts following a competition that was staged on on 15 March 1956. From 11 February 2014, the stadium will relocate to Ram Intra Road, due to the new venue's capacity to accommodate audiences of up to 3,500. Foreigners typically pay between 1,000–2,000 baht to view a match, with prices depending on the location of the seating.[124]
Organization | Survey | Ranking |
---|---|---|
Heritage Foundation | Indices of Economic Freedom | 60 of 179 |
A.T. Kearney/Foreign Policy Magazine | Global Services Location Index 2011[dead link] | 7 of 50 |
Reporters Without Borders | Worldwide Press Freedom Index, 2014 | 130 of 180 |
Transparency International | Corruption Perceptions Index | 80 of 179 |
United Nations Development Programme | Human Development Index | 89 of 187 |
World Economic Forum | Global Competitiveness Report (2008) | 34 of 134[125] |
World Gold Council | Gold reserve (2010) | 24 of 111 |
HSBC International | Expat Explorer Survey (2012) | 2 of 30[126] |
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