出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/09/12 04:07:03」(JST)
「アフリカ」のその他の用法については「アフリカ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
面積 | 30,221,532 km² |
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人口 | 1,000,010,000[1] (2005, 2位) |
人口密度 | 30.51/km² |
住民の呼称 | アフリカ人 |
国数 | 56[注 1] (国一覧) |
保護領 |
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標準時 | UTC-1 ~ UTC+4 |
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ポータル アフリカ |
アフリカ(阿弗利加、英: Africa)[3]は、広義にはアフリカ大陸およびその周辺のマダガスカル島などの島嶼・海域を含む地域の総称で、六大州の一つ[3]。
地理的には地中海を挟んでヨーロッパの南に位置する。 赤道を挟んで南北双方に広い面積を持つ唯一の大陸でもあり、それに伴って多様な気候領域がある[4]。面積は3,020万平方キロメートルで、地球表面の6%、陸地全体の20.4%を占めるが[5]、人口は約10億人で、世界人口比では14.72%を占めるに過ぎない。2011年3月現在、島嶼を含めて54の独立国がある。経済成長率は2010年に約5.0%、2011年予測は5.5%である[6]。
アフリカ、特に東アフリカは人類の発祥の地と言われ、エチオピアからは20万年前のホモ・サピエンスの化石が発見されている[7]。サハラ砂漠以南のアフリカは、かつてヨーロッパ諸国から「暗黒の大陸」と未開の地のように呼ばれたが、ヨーロッパに知られていなかった(あるいはその存在を認めようとしなかった)だけで、実際には古代から文明があった。
アフリカの地理的区分ではサハラ砂漠が大きな境界となり、この北側を「ホワイトアフリカ」、南側を「ブラックアフリカ」[8]あるいは「サブサハラ」と呼び分ける場合もある。また、北アフリカ、中部アフリカ、東アフリカ、南部アフリカ、西アフリカに分ける区分もある。
当初は、サハラ砂漠以北の地域をさす言葉であった。正確な語源ははっきりとはわからないが、有力説としては、現在のチュニジアに当るカルタゴ近郊の北部アフリカに居住していたセム系部族を指す「Afri」(アフリ)と推測される。この言葉はフェニキア語の「afar」(「dust」の意)に結びつけられがちだが、1981年にはベルベル語の「洞窟に住む人々」を指す「ifri」が転じたものという仮説が提示された[9]。これら「afar」[9]「ifri」「Afri」は現在のアルジェリアおよびリビアに住むベルベル人のことである[10]。ほかに、カルタゴ人が使っていたファラカ(faraqa:植民地の意)の変形または転訛という説や先住民の一部族アフェル(Afer、複数形Ifei)に由来するという説もある[11]。他にも様々な仮説が提唱されており、歴史家レオ・アフリカヌス(1488年 - 1554年)は、ギリシア語の「phrike (φρίκη)」(「寒い」または「怖い」の意)に否定を意味する接頭辞 a-(α-)が上接し、寒さや恐れが無いところを意味する「aphrike (Αφρική)」となったと主張した。またジェラルド・マッセイen:Gerald Masseyは1881年に、エジプト語の「af-rui-ka」が語源だとの仮説を発表した。それによると、「af-rui-ka」は「カーの始まりに回帰する」を意味する。この「カー」は「すべての人々」と、カーの始まりという用法で「子宮・生誕地」両方の語源である。エジプト人にとってアフリカとはまさに「誕生したところ」を意味する[12]。
起源が上述のいずれの説であるにしろ、ローマ時代、カルタゴがアフリカ属州になると、ラテン語で「アフリカ人の土地」を表す「Africa terra」[13](「-ca」は形容詞化接尾辞女性形)から「Africa」という語形が生じた。これが現在の『アフリカ』という言葉の直接の始まりである。その後、サハラ砂漠以南についての人類の知見が広がるに従い、サハラ砂漠の南北を含めて一つの大陸の名となった。
アイルランド語の女性名 Aifric は Africa と英語化されるが、地名とは関係が無い。
中生代初期、アフリカは他の大陸と同じく超大陸パンゲアを形成した[14]。その状況下で、獣脚類や竜脚形亜目また原始的な鳥盤類が、三畳紀終わり頃まで繁殖していた。これらの化石はアフリカのいたるところで発見され、特に南部で顕著に見られる[14]。三畳紀とジュラ紀を分ける地球規模の絶滅を示す発掘は、アフリカではあまり行われていない[14]。
初期ジュラ紀の地層は三畳紀後期と重なって分布し、南部で多く露頭する。しかし化石層は南部では少なく、北に行くほどその数は優勢になってゆく[14]。ジュラ紀には、アフリカでは竜脚下目や鳥脚目などの恐竜が広い範囲で隆盛を極めた[14]。中期の研究はあまり進んでいない[14]。後期も発掘は遅れている[14]が、数少ない例外に当るタンザニアのテンダグル層(en)では、北アメリカ西部で見つかったモリソン層(en)の古生物学的様相(en)と非常に近似したところが見られた[14]。
1億6千-1億5千年前の中生代中頃、ゴンドワナ大陸には後のインド亜大陸とマダガスカルが繋がっていた。そのため、マダガスカルからはアベリサウルス(en)やティタノサウルス上科(en)の化石が発見される[14]。 その後、白亜紀初期にインドとマダガスカルは分離を始め、後期にはこの2つの陸塊も分離して現在に至る[14]。中生代、マダガスカルとアフリカ大陸の相対的な位置には変化が無かった。その一方でパンゲア大陸そのものの変化は進行し、白亜紀後期の始まり頃には南アメリカがアフリカから分離し、南大西洋が形成された[14]。この出来事は海流の変動を呼び、地球規模の気候形成に影響を与えた[14]。
この白亜紀には、アロサウルス類(en)や最大の肉食恐竜として知られているものを含むスピノサウルス類(en)などが繁栄していた[14]。ティタノサウルス属(en)は当時の生態系の重要な草食動物であった[14]。アフリカでは、発掘された白亜紀の遺物は多いがジュラ紀のそれは少なく、今後の調査が待たれる[14]。
ほとんどの古人類学者は、人類はアフリカで生まれたという説を採っている[15][16]。アフリカは大陸移動や地殻変動から、大規模な気候変動を繰り返していた。人類の発生は約4000万年前に遡る東部での隆起帯が形成され、乾燥化が進展したことが要因にあると考えられる。「イーストサイドストーリー」では、豊かなコンゴ盆地の森林から一部のサルが乾燥したサバンナへ分かれ、進化が始まったという[17]。
南アフリカのヨハネスブルグ北部などが人類が初めて住んだ場所と考えられる[15]。20世紀中頃には、人類学者たちは既に700万年以上古い人類の化石や生存の証拠類を発見していた。化石は、いく種もの類人猿に近い人類のものが発見され、放射年代測定から紀元前390-300万年頃に生きたと考えられるアウストラロピテクス・アファレンシス[18]や紀元前230-140万年頃のパラントロプス・ボイセイ(en)[19]、紀元前190-60万年頃のホモ・エルガステル[5]が人類へ進化したと推察される。先史時代、他の大陸と同様にアフリカに住む人類は、国家を持たず、現代のコイコイ人やサン人のように狩猟採集社会の集団をつくって生活していた[20][21][22]。
アフリカはおおまかに、氷河期に乾燥して砂漠が拡大し、間氷期には森林が拡大するという循環を繰り返していた。20000年前頃には拡大をしていたサハラ砂漠は、12000年前頃には縮小に転じ、森林地帯の広がりとともにチャド湖など湖水の面積も大きくなった。この北部アフリカの「緑のサハラ」地域で人類は、狩猟や漁撈また牛の牧畜[23]なども行っていた。
しかし5000年前頃から乾燥化が急速に始まり[24]、砂漠の拡大と生存可能域の縮小に伴って人類は熱帯性気候の西[24]や南、ナイル川流域などに移住した[17]。
アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカがコプト教のエチオピアとイスラム教のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特なアニミズムの伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。
最古の史料が残っているのはファラオによる支配が始まったナイル川流域の古代エジプト王国であり、紀元前3300年頃の文字記録が発見されている[25]。これは世界最古の文明の一つで[26][27]、紀元前2900年頃、メネス王が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれたピラミッドによって世界的に知られている。紀元前1000年頃には製鉄技術が北アフリカにも伝播し、急速に広がってブラックアフリカ北部まで鉄器が使われるようになった[28]。
一方、チュニジアでも紀元前800年頃にフェニキアの植民都市としてカルタゴが築かれ、経済大国となった。紀元前146年にカルタゴは共和制ローマに滅ぼされ、ローマ支配下のアフリカ属州となった。5世紀、ローマ帝国が弱体化し、ゲルマン民族の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、429年、カルタゴの故地にヴァンダル王国を建設したが、地中海世界の再統一に燃える東ローマ帝国によって534年に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くはなく636年、パレスチナのヤルムク河畔で、日ののぼる勢いのイスラム帝国(正統カリフ)に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカはウマイヤ朝時代にイスラム勢力の支配下に入った。アッバース朝時代に勢力争いで、ハールーン=アッラシードに敗れたイドリースは、マグリブ(現モロッコ)の地へ逃げて、フェズにイドリース朝を開いた。9世紀以降、アッバース朝カリフは、800年にチュニジアのアグラブ朝、868年にエジプト総督代理のイブン=トゥルーンが築き、フマーラワイフが貢納を条件にエジプト総督を世襲して事実上エジプト独自のイスラム王朝となったトゥルーン朝、トゥルーン朝滅亡後、やはりエジプト総督のイブン=トゥグジュにイフシードの称号を与えるとともに大幅な自治を認め、イフシード朝の建国(935年)を許すなど分裂傾向を強めた。
西アフリカでは、紀元前900年にさかのぼるといわれる土偶と製鉄技術をもったノク文化がナイジェリアの北部で生まれ、土偶の様式は、アフリカ中部から南部の彫刻に大きな影響をあたえた。ナイジェリアでは、9-10世紀のやイボ文化(英語版)やイボ=ウクゥ遺跡(英語版)(イボ=ウクゥ(英語版))、10-13世紀のヨルバ文化(英語版)(イフェ)、14-18世紀のベニン王国が繁栄し、優れた青銅製品で知られている。また西アフリカでは、紀元前500年頃に金属加工技術が到達したが、さらなる拡大は紀元後になった。エジプトやヌビア、エチオピアなど紀元前500年頃に製作された北部アフリカの青銅器が西アフリカで発掘されている。これは当時からサハラ交易が行われていた事を示す[24]。この交易を背景に繁栄したのがセネガル川上流とニジェール川上流に4世紀にさかのぼるといわれるガーナ王国であり、11世紀後半まで岩塩と金の中継貿易で興隆を誇った。その後、交易路の東漸に伴って、マリ帝国がニジェール川上流のニアニ(フランス語版)を首都とし湾曲部のトンブクトゥを版図に含んで13-15世紀前半まで繁栄、ソンガイ帝国が15世紀後半から16世紀にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、マリ帝国を屈服させてその版図の大部分を奪い、ほぼ西スーダンを統一する広大な版図を誇った。
一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの隊商による交易に利害のあった北アフリカ西部、マグリブにもベルベル人によって11世紀中葉-12世紀中葉にムラービト朝、12世紀中葉-13世紀頃にムワッヒド朝、13-15世紀にマリーン朝という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、ガーナ王国を滅ぼしたことで知られる。ソンガイ帝国は、1590年に、16世紀中葉にモロッコで興った強力なサアド朝(サーディ朝)に攻め滅ぼされた。イフリーキヤと呼ばれたチュニジアも、909年にアグラブ朝を倒して、ファーティマ朝が興ると、926年には西隣のイドリース朝を滅ぼした。969年に、エジプトに東遷して、イフシード朝を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都カイロに遷都(973年)して、カリフを称した。西カリフ国と呼ばれたイベリア半島の後ウマイヤ朝に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対十字軍戦争で活躍したサラディンによるアイユーブ朝、アイユーブ朝のもとで実力をつけたバフリーヤなどのマムルークの力によって建国されたマムルーク朝が続く。一方、イフリーキヤでは、13世紀前半にムワッヒド朝から独立したハフス朝があり、これらの強力な王朝のもとで優れたイスラム建築が多数建設され、町並みが世界遺産に登録されているものも数多い。しかし、1517年にマムルーク朝、1574年にハフス朝がオスマン帝国によって併合される。
モロッコ、アルジェリア、チュニジアなどの北アフリカの北西部に位置するアラブ諸国はマグリブと呼ばれ、マシュリク(日の昇るところ、東方)に対して西方、すなわち、時と場合によってはリビアやモーリタニアも含められる。ただし、モーリタニアの南部は、歴史的に西スーダンのガーナ王国の中心部で、マリ帝国の版図に属していたことから、通常は西アフリカに区分される。
東アフリカの北部にあたるエチオピアでは、4世紀にコプト教を国教としたアクスム王国が、ギリシャ、ローマ帝国、そして東ローマ帝国との交流をもち、紅海貿易で繁栄した。11世紀頃にザグウェ朝が興り、世界遺産になっているラリベラの岩窟教会群が造られた。沿岸部では、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、モガディシオ、キルワ、マリンディなどの港湾都市が繁栄した。交易路は、モザンビーク南部の港町ソファラからジンバブエのザンベジ川流域、リンポポ川流域にまで及び14-15世紀にショナ人によるモノモタパ王国が金や象牙の輸出で繁栄した。モノモタパ王国の首都と目されるグレート・ジンバブエ遺跡からは、中国(宋、元、明代)の青花などの陶磁器、インドの綿製品、インドネシアの数珠玉、ペルシャの壺などの出土がみられ、当時の交易が盛んであったことを物語っている。モノモタパ王国が衰退すると、ロズウィ王国(英語版)(1660年 - 1866年)が19世紀半ばまでジンバブエの地を支配した。
長い間アフリカは、奴隷制度に蝕まれてきた[29][30]。7世紀から20世紀に至るまでアラブ世界への奴隷貿易は継続して行われ、1800万人がサハラ交易やインド洋貿易で取引された。大航海時代を迎えたヨーロッパのアフリカ進出は金が目的だったが、既にアラブ諸国への交易路が形成されていることを知ると、対象を奴隷の確保に変えた[31]。15世紀から19世紀までの500年にはアメリカ州向けの奴隷貿易(en)が行われ、700-1200万人が新世界の奴隷として輸出された[29][32][33]。
1820年代、西アフリカは大西洋航路の奴隷貿易が衰退し、地域の経済活動に変革を迫られた。ヨーロッパや新世界における奴隷制度廃止運動の沸きあがりに応じたジリ貧や、海岸部でのイギリス海軍駐留数の増加は、アフリカ諸国に新しい経済体制の選択をさせた。1808年から1860年の間に、イギリスの西アフリカ小艦隊(en)は約1600隻の奴隷船を拿捕し、15万人のアフリカ人を解放した[34]。
また、奴隷貿易非合法化に抵抗する指導者層に対しても行動を起こし、例えば1851年「ラゴスの略奪王 (the usurping King of Lagos)」攻略などが挙げられる。反奴隷貿易の協定はアフリカ50カ国以上の国々で締結された[35]。この動きに、国力があったアシャンティ王国、ダホメ王国、オヨ王国(en)は順応する動きを取り、アシャンティやダホメはパーム油やカカオ、ランバー材(en)や金など、現在の主力でもある商品輸出という「合法的な通商」へ転換した。しかしオヨ王国は適応できず、内戦の末に崩壊した[36]。
19世紀後半には、アメリカ開放奴隷が建国したリベリアと第一次エチオピア戦争で独立を維持したエチオピアを除いて、ヨーロッパ諸国によるアフリカ分割が行われ[31]、西アフリカの小王国が滅ぼされた。このとき国境線が民族や宗教に関係なく勝手に引かれたため、後の民族紛争の原因ともなった[37]。 緯線や経線を基準に引かれていることが多い。
ヨーロッパ列強の帝国主義は第二次世界大戦以降も続いたが、次第に弱まってアフリカ諸国の独立への機運が高まった。1951年にはリビアがイタリアから、1956年にはチュニジアとモロッコがフランスから独立を果たした[38]。翌年にはガーナが続き[39]、サブサハラ初の脱植民地を成した。
1960年のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生したが[31]、独裁政治の発生や内戦などの問題を抱えつつ今日に至っている。なお、政治的統合をして、新植民地主義への対抗や民主主義の促進、アフリカ地域の国際的地位向上などを目指し1963年5月に発足したアフリカ統一機構(OAU)が、2002年7月9日には発展解消してアフリカ連合が成立した[31]。これは、個々の国を超えた枠でのアフリカ政治の中心的役割を担い、今日でも紛争、貧困、エイズなど山積みする問題の解決や国際的地位の向上を目指している[31]。
北は地中海、西は大西洋、東はインド洋および紅海に面する[40]。南端のアガラス岬で大西洋とインド洋が接する。南北約8,000km[41]、東西約7,400km[42]。海岸線は総延長26,000kmである[42]。かつてはスエズ地峡によりユーラシア大陸とつながっていたが、現在ではスエズ運河が開通して分断され[43]、この運河がアフリカとアジアの境界と受け取られる場合もある[44]。
大陸北側に世界最大の砂漠であるサハラ砂漠をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部にはパンゲア大陸がゴンドワナ・ローラシア大陸に分裂したときの名残である2,000kmの隆起地帯(ドーミング)と、それを東西に切り裂く世界最大長のアフリカ大地溝帯(東アフリカ地溝帯)が南北に走る[45]。この南端にはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)があり、これは他の五大陸最高峰が非火山であるのに対し唯一火山活動で形成されたものである[45]。大地溝帯には複数の火山や東アフリカ大湖沼群[46]があり、西側で接するエチオピア高原などの高地部分にもニアムラギラ山(en)やニーラゴンゴ山などの活火山や[45]ヴィクトリア湖などの古代湖が残る[46]。しかしアフリカ大陸全体で、標高500m以上の領域は半分程度に過ぎない。理由はこれも大陸移動が関係しており、アフリカはパンゲア大陸の中心部として移動した距離が短く、山脈が形成されにくかったことが挙げられる[40]。
重要な河川はナイル川・ニジェール川・コンゴ(ザイール)川・オレンジ川・ザンベジ川などがある。
気候は多様である。ほぼ赤道直下に位置する大陸中央部は西部のギニア湾沿岸から大陸中部のコンゴ盆地にかかる熱帯雨林で高温多湿な地域が広がり、これを挟んでセレンゲティ高原などのサバンナ地域が広がる。さらに高緯度に向かうと砂漠気候域に入り、北にはサハラ砂漠、南にはカラハリ砂漠が広がる。大陸北端と南端は地中海性気候域となる[47]。
アフリカの多くの国々は情勢が非常に不安定であり、ヨーロッパなどに比べると遙かに治安が悪い地区が多い。政治的に安定している国はごくわずかである。イギリスの雑誌『エコノミスト』は、2008年にアフリカ各国の政治情勢を民主主義達成度から分析し公表した。これによると、対象50カ国(ソマリア、セーシェル、サントメ・プリンシペ及び西サハラ、ソマリランドは含まれない)のうち、完全な民主主義を実現している国はモーリシャスただ1国で、15カ国は独裁と民主政の混合状態、28カ国は完全な独裁体制と分析されている[48]。
このような体制が出来上がった背景には、植民地支配の影響がある。現在のアフリカ各国の国境線は地形や民族構成などを反映しない単純な直線が多い。これはヨーロッパ列強間の力関係から引かれたもので、異なる民族や部族が混在または分離される結果を生んだ。そのため独立後にも国民はまとまりを欠き、強権的な政府体制としてアフリカ型社会主義もしくは開発独裁体制が選択された。しかし前者は構造的に経済発展には向かず、後者は汚職や主導権争いが絶えなかった。さらには非アフリカ人を排除したために人材不足にも陥り[49]、結果的に、かつては「AA」もしくは南北問題と呼ばれて同じように発展途上に苦しんだアジア各国が急速な経済発展を実現しつつあるのに対し、アフリカは「例外的に成長しない」経済体制と評され、取り残されたまま現在に至る[50]。
そのために内戦や紛争も多く、代表的なものでは1991年からのソマリア内戦、1997年からのコンゴ内戦、2003年からのダルフール紛争などが尾を引いている[48]。国民の大多数がイスラム教徒であり、比較的に安定した政治を行っていた北アフリカ[51]も、2010年に発生した各国の動乱以来、政権が大きく揺らいでいる。
終わりが見えない内戦や紛争、および貧困から、アフリカでは多くの難民が発生している。国際連合難民高等弁務官事務所推計による2009年末のアフリカ難民は約230万人、さらに国内の避難民は約650万人にのぼる[48]。また、農村疲弊による人口の都市部集中に伴ったスラム化も進展し、モザンビークやタンザニアなどでは人口の90%に相当するまで膨れ上がり、治安悪化などの問題が生じている[48]。
アフリカの名目GDP順位 (2010年)
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順位 |
国
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単位:100万ドル | |
1 | 南アフリカ | 354,414 | |
2 | エジプト | 216,830 | |
3 | ナイジェリア | 206,664 | |
4 | アルジェリア | 158,969 | |
5 | モロッコ | 91,702 | |
6 | アンゴラ | 85,808 | |
7 | リビア | 77,912 | |
8 | スーダン | 65,930 | |
9 | チュニジア | 43,863 | |
10 | ケニア | 32,417 | |
出典:IMF[52] |
IMFによると、2009年のアフリカ52ヶ国の合計のGDPは1兆1848億ドル(約100兆円)であり、全世界の約2%のシェアとなっている。アフリカの1国平均のGDPは227億ドル(約2兆円)であり、鳥取県(平成18-19年度[54])とほぼ同じ経済規模である[52]。アフリカ最大の経済大国は南アフリカである。アフリカ唯一のG20参加国であり、2010年には史上初めてアフリカ大陸でサッカーのワールドカップを開催している。またアフリカ第2の経済大国はエジプトであり、北部アフリカにおいて影響力の強い国の一つになっている。
豊富な天然資源を持ちながら、アフリカは世界で最も貧しい発展途上の状態にある。これは、エイズやマラリアなど深刻な感染症の蔓延、高い腐敗認識指数で指摘される政治によって引き起こされる人権の抑圧や経済政策の失策、また国民の低水準なリテラシーや不得手な外交、さらにゲリラから大量殺戮まで含まれる部族間や軍隊による戦闘など、さまざまな要因の結果である[55]。国際連合の2003年度人間開発報告書によると、開発の度合いを示す尺度において調査対象の最低ランク25か国(151位から175位まで)を全てアフリカの国々が占めた[56]。
貧困、文盲、栄養失調、不充分な給水体制や衛生管理、病気の蔓延などの悪影響をアフリカに住む多くの人々が受けている。2008年、世界銀行は国際的な貧困率の定義を1日当たり所得1USドル未満から1.25USドル未満に引き上げた[57]。サブサハラ諸国では、人口の80.5%が1日当たり2.5USドル未満(PPP)で暮らしており、インドの85.7%に匹敵する[58]。
この統計は、サブサハラが1日1.25USドルという貧困の基準を脱することが世界中で非常に難しい地域であることを示す。1981年のデータではこの地域に住む50%(2億人に相当)の人々が貧困層に相当していたが、1996年には58%まで上昇し、2005年には率は50%となったが人口の絶対数は3.8億人に増加している。貧困層平均所得は1日0.7USドルに過ぎず、2003年の数値は1973年よりも悪化している[59]。
この原因を、外国企業と外国政府主導による経済自由化政策の失敗に求めることもあるが、このような外的要因よりも国内政治の失策が大きいという指摘もある[60][61]。
1995年から10年間にアフリカは経済成長を続け、2005年の平均成長率は5%に達した。さらに、埋蔵石油を持ち輸出に振り分けるため掘削に着手したアンゴラ・スーダン・赤道ギニアなど数カ国はさらなる成長が見込まれる。さらにアフリカには世界中のコバルト90%、白金90%と金の50%、クロム98%、タンタライト(en)70%[62]、マンガン64%、ウラン33%[63]が存在すると考えられている。コンゴ民主共和国には、携帯電話の製造に欠かせないコルタンが世界の70%に相当する量に上り、ダイヤモンドも世界の30%以上が同国に存在する[64]。ギニアは世界最大のボーキサイト供給国である[65]。このようにアフリカの経済成長はほとんどが資源提供を背景としたもので、工業や農業の発展ではなく、雇用創出や貧困からの脱却に寄与していない。実際に、2008年にリーマンショックを原因として起こった食糧危機では、1億人が飢餓状態に陥った[66]。
近年では、中華人民共和国がアフリカ諸国と強い結びつきを構築し、2007年における中国企業の投資は10億USドルに達した[67]。
鉱業を除けばアフリカの主要産業は農業であり、他国と産業構造が著しく異なる南アフリカを除くとその就業人口比は66.1%、輸出比は15.4%(2000年)である。しかしこれらはカカオなど特定地域の特定産物を除けば農業生産性が高いアメリカ合衆国等農業先進国との競争には弱く、大半の農産物はアフリカ内部で消費される。しかしながら、1961年から2000年にかけて人口が3倍になったのに対し、穀物は1.35倍程度しか伸長していない。土地の生産性もアジアや南アメリカが大きく伸ばしているのに対し4割以下まで落ち込んでいる。このような状況に陥った要因は、アフリカでは人口増加に対応する農業生産を高める手段をもっぱら耕地面積の拡大に依存した点がある。しかしこれは痩せた土地の利用や少ない水資源の制約等がからみ、充分な効果をあげることができなかったことを物語る[49]。2010年にハーバード大学は、政治さえ安定していればアフリカは食糧自給が可能との研究結果を発表した[68]。低い農業生産性は、従事者の貧困を招く原因のひとつであり、農業改革を行う技術や人材の育成が望まれる[49]。
アフリカの農地は、その65%が土壌浸食の被害を受けている[69]。また、国際連合環境計画 (UNEP) によると、アフリカの森林破壊は世界平均の2倍の速度で進行している[70]。報告の中には、西アフリカの約9割が既に破壊されたというものもある[71]。これはマダガスカルでも同様で、人類が進出してからの2000年で90%以上の原生林が失われた[72]。干ばつや灌漑などによる環境への影響もあり、チャド湖は40年前と比較して面積が1/10まで減少した[48]。
現在、アフリカの人口は爆発的に増え、特にこの40年は顕著である。国によっては人口の半数以上が25歳以下という所もある[73]。総人口は、1950年に2億2100万人だったが、2009年には10億人まで膨れ上がった.[74][75]。世界の人口は増え続ける傾向にあるが、アフリカ地域の増加分がかなりの量を占めている。この人口増加は経済成長を伴っていないため、環境破壊や貧困層の増大などさまざまな問題をもたらしている。大陸全体がリカードの罠に陥っているとの指摘もある。
イスラム教とともにアラブ人が入ってくるまでは、ベルベル人の居住する地域であった。現在も多数派となったアラブ人に混じってベルベル人が残っている。
アフリカは言語の種類が多い。系統分類では4語族に大別されるが、部族毎に異なる特徴を持つために多くの言語数に分岐し、世界の言語数のうち30%程度を占めるとも言われる。また、同じ人々が使う言語にも、部族語と地域共通語、さらに公用語と状況に応じて使い分けられる垂直型の多層言語が存在し、総言語数を多くしている[76]。
ほとんどの国では植民地支配の影響をそのまま受け、欧米の言語を公用語としており、政府機関の作業言語や教授言語となっている一方、エリート層と旧宗主国、欧米先進国との密接な関係から、アフリカ固有の言語の国家ぐるみでも普及、促進には力が入れられていないため、エリート層と庶民の教育格差という問題の発生の最大の要因となっている。特にサブサハラ諸国においては、一部の国でアフリカ固有の言語も公用語に加えられているものの、実際にはタンザニア(スワヒリ語)やエチオピア(アムハラ語)、ソマリア(ソマリ語)の例外を除き、ほとんどが形骸化している。
アフリカには、過去からの土着宗教と、イスラム教スンナ派、キリスト教のローマ・カトリック、プロテスタントの各派が分布している。伝統的な土着宗教は、祖霊信仰や自然崇拝に加え、サブサハラでは創造神の概念も存在する[77]。また、呪術信仰も根強く、これを担うシャーマニズムも健在である[78]。
世界宗教のアフリカ伝播は、ローマ帝国の領土拡大に伴うローマ・カトリックが最初に当たり、これは4-5世紀に北アフリカで最盛期を迎える。しかしこれは同帝国の衰退とアラブ人の進出によって衰退した。19世紀のアフリカ分割に伴うヨーロッパ列強の植民地化によって再びローマ・カトリックは広まったが、この地域は中央アフリカに場所を変えていた[77]。イスラム教スンナ派は北アフリカを中心に人口の30-40%を占める。その伝播経路は、ナイル川に沿ったアラブ人の進出、サハラ交易による伝播、海上貿易による東海岸沿岸への伝播の3つがある[77]。プロテスタントもまたアフリカ分割とともに広まったが、その地域は南部が主流となった。南アフリカにはいち早くアフリカ人によって教会が建設された。その特色は聖書中心主義があり、またペンテコステ派と土着宗教が融合した精霊教会という形態も存在する[77]。
アフリカの教育は世界の中でも未発達で、特にサハラ以南の多くの国々で就学率が低い。学校は基礎設備に欠き、アフリカの大学は生徒の増加と、教職員がより高い給料を求めて西側諸国に移住する為の不足が問題となっている。ユネスコ2000年の調査「Regional overview on sub-Saharan Africa」では、児童就学率は58%に止まった[79]。
アフリカでは出生登録が充分に行われず、親が子供に教育を受けさせようとする意識が低い。これらに貧困が加わり、教育現場からの脱落のみならず、児童労働や人身売買、育児放棄や犯罪、子供が戦場へ狩り出されるなど様々な問題が生じている[49]。
アフリカは栄養・医療・衛生面でさまざまな問題を抱えている。2008年度世界の栄養不足率が高い10位(同率があり12カ国)はハイチを除いてアフリカ諸国に占められ、、1位のコンゴ民主共和国は76%の国民が相当する[2- 1]。このような環境は乳幼児にも悪影響を及ぼし、サブサハラ全体で5歳未満の死亡率は15-20%で推移している。これも、下痢やはしかなど医療環境が整っていれば助かるものだが、世界保健機関 (WHO)が定める最低医療体制である人口10万人あたりの医師20人・看護師100人・その他医療従事者228人という基準を満たすサブサハラの国は南アフリカのみである(2007年度)[82]。
また、後天性免疫不全症候群(エイズ)の蔓延も大きな問題となっており[82]、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現している。特にサブサハラではひどく、15歳以上の感染率はスワジランドでは26.1%、ボツワナでは23.9%にのぼる(2008年[2- 2])。感染者数最大は医療体制が比較的充実している南アフリカの570万人である。世界中のエイズ感染者のうち2/3がサブサハラに集中している[82]。この蔓延には女性の社会的地位が低いことも一因であり、レイプの多発や一夫多妻制などが影響していると考えられ、実際に感染率は女性の方が軒並み高い[82]。これらの要因から中南部諸国における平均寿命は著しく低下し、10カ国以上で50歳を下回っている[82]。
エジプトからモロッコまでの北アフリカ諸国は、アラブ文化と関わりを持つ人々がいる。
アフリカの食文化は、狩猟民族的特長が強い。すなわち、肉やイモ類などをそれぞれ単一で料理し、複数の食材を混ぜて調理することは少ない[83]。また、米を除く穀類のほとんどを挽いて粉食する点も特徴である。この代表が、イネ科穀物の粉を用いる西アフリカの「トー」や東アフリカの「ウガリ」が代表的である[83]。
酒では西部から中央部で作られるヤシ酒、熱帯地方のバナナ酒などの特色がある。トウモロコシ類からビール、もろみやバナナ酒から蒸留酒も造られる。ワイン醸造も行われ、現代では南アフリカが盛んな地域に当る[83]。
特にサブサハラのアフリカ音楽は儀礼と結びつきが強く、ダンスに伴って演奏される。体鳴楽器や膜鳴楽器は独自のものが多様に存在し、前者ではラメラフォーンやコラ、後者では様々なドラムが知られる。中には伝達手段に用いられるトーキングドラムなどもある[84]。
また、リンガラ音楽こと旧ザイール(現コンゴ民主共和国)のスークースや、フェラ・クティやマヌ・ディバンゴらによるファンキーなアフロビート、ガーナのハイライフ、アルジェリアのライ、アンゴラのクドゥーロ、タンザニアのボンゴフレーバー、モザンビークのマラベンタなどのアフリカのポピュラー音楽もよく知られている。
アフリカ美術のうち、古代文明を築いたエジプトは独自の美術体系を発達させた。神聖文字と組み合わせた形式の連続性は、やはり独自の形式であるピラミッドや寺院および墳墓などのエジプト建築と組み合わされ、壁画や彫刻類、そしてツタンカーメンに代表される棺などで複雑かつ華麗な体系を持った。この芸術の系統は、紀元前30年にローマによる征服を受けて途絶えた[85]。
サフサハラの芸術は民俗学と美術史の両面から論じられるが、その分析は未だ途上にある。大きな特徴は多様な造形分野であるが、これは美術品として単独で成り立つものではなく、生活および宗教と深く関連している。木材を好んで用い、仮面など身体装飾や彫刻など、また宗教や祭祀用道具および日用品なども彩色されたものなど種類も多い。その一方で建築分野ではあまり見るべきものがない[86]
括弧内は首都、その後ろの言語名は公用語を示す。
肌が黒い人類、いわゆるネグロイドの存在が他の文明に初めて記録されたのは、7世紀に北部アフリカを支配下に置いたアラブ人が、ナイル川を遡ってサハラ砂漠以南に到達したことに始まる。以後、アフリカの地名にはこの肌の色を語源として名づけられた所もあり、現在の国名に受け継がれているものもある。スーダンは、かつてのイギリス領やフランス領を含めるとアフリカ大陸の1/3を占める広大な土地を意味したが、これはアラビア語が意味する「黒い人」が語源である。このフランス領スーダンから独立したモーリタニアはムーア人の国という意味だが、このムーアも古代ギリシア語のmauros(肌が黒い人々)を語源とする。ギニアも現在の領土よりも広い地域を指す言葉だったが、これもベルベル人の言葉で「黒い人の土地」を意味した。エチオピアもギリシア語の「aitos(日焼けした)」+「ops(顔)」+「ia(地名接尾語)」の合成語であり、やはり古代ギリシア人にとってサハラ砂漠より南の土地を包括的に示す言葉だった。ソマリアはアムハラ語で「ゾムマ(家畜を持つ人)」という説の他に、ヌビア地方の言葉で「黒い人の国」という意味だという説もある[87]。
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表・話・編・歴
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五大州 | アジア (亜州) |
ヨーロッパ (欧州) |
アフリカ (阿州) |
アメリカ(米州) | オセアニア (大洋州) |
- | |
六大州 | 北アメリカ (北米) |
南アメリカ (南米) |
||||||
七大州 | 南極 |
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Area | 30,221,532 km2 (11,668,599 sq mi), 2nd |
---|---|
Population | 1.1 billion[1] (2013, 2nd) |
Pop. density | 36.4/km2 (94/sq mi) |
Demonym | African |
Countries | 54 (and 2 disputed) (list of countries) |
Dependencies |
External (3)
Internal (4)
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Languages | 1250-3000 native languages |
Time zones | UTC-1 to UTC+4 |
Largest cities | List of metropolitan areas in Africa List of cities in Africa |
Africa is the world's second-largest and second-most-populous continent. At about 30.2 million km2 (11.7 million sq mi) including adjacent islands, it covers six percent of Earth's total surface area and 20.4 percent of its total land area.[2] With 1.1 billion people as of 2013, it accounts for about 15% of the world's human population.[1] The continent is surrounded by the Mediterranean Sea to the north, both the Suez Canal and the Red Sea along the Sinai Peninsula to the northeast, the Indian Ocean to the southeast, and the Atlantic Ocean to the west. The continent includes Madagascar and various archipelagos. It has 54 fully recognized sovereign states (or countries), nine territories and two de facto independent states with limited or no recognition.[3]
Africa's population is the youngest among all the continents; 50% of Africans are 19 years old or younger.[4] Algeria is Africa's largest country by area, and Nigeria by population. Africa, particularly central Eastern Africa, is widely accepted as the place of origin of humans and the Hominidae clade (great apes), as evidenced by the discovery of the earliest hominids and their ancestors, as well as later ones that have been dated to around seven million years ago, including Sahelanthropus tchadensis, Australopithecus africanus, A. afarensis, Homo erectus, H. habilis and H. ergaster – with the earliest Homo sapiens (modern human) found in Ethiopia being dated to circa 200,000 years ago.[5] Africa straddles the equator and encompasses numerous climate areas; it is the only continent to stretch from the northern temperate to southern temperate zones.[6]
Africa hosts a large diversity of ethnicities, cultures and languages. In the late 19th century European countries colonized most of Africa. Most modern states in Africa originate from a process of decolonization in the 20th century.
Afri was a Latin name used to refer to the Carthaginians, who dwelt in North Africa in modern-day Tunisia. This name seems to have originally referred to a native Libyan tribe; however, see Terence#Biography for discussion. The name is usually connected with Phoenician afar, "dust", but a 1981 hypothesis[7] has asserted that it stems from the Berber ifri (plural ifran) "cave", in reference to cave dwellers.[8] The same word[8] may be found in the name of the Banu Ifran from Algeria and Tripolitania, a Berber tribe originally from Yafran (also known as Ifrane) in northwestern Libya.[9]
Under Roman rule, Carthage became the capital of the province of Africa Proconsularis, which also included the coastal part of modern Libya.[10] The Latin suffix "-ica" can sometimes be used to denote a land (e.g., in Celtica from Celtae, as used by Julius Caesar). The later Muslim kingdom of Ifriqiya, modern-day Tunisia, also preserved a form of the name.
According to the ancient Romans, Africa lay to the west of Egypt, while "Asia" was used to refer to Anatolia and lands to the east. A definite line was drawn between the two continents by the geographer Ptolemy (85–165 AD), indicating Alexandria along the Prime Meridian and making the isthmus of Suez and the Red Sea the boundary between Asia and Africa. As Europeans came to understand the real extent of the continent, the idea of "Africa" expanded with their knowledge.
Other etymological hypotheses have been postulated for the ancient name "Africa":
Africa is considered by most paleoanthropologists to be the oldest inhabited territory on Earth, with the human species originating from the continent.[13][14] During the middle of the 20th century, anthropologists discovered many fossils and evidence of human occupation perhaps as early as 7 million years ago. Fossil remains of several species of early apelike humans thought to have evolved into modern man, such as Australopithecus afarensis (radiometrically dated to approximately 3.9–3.0 million years BC),[15] Paranthropus boisei (c. 2.3–1.4 million years BC)[16] and Homo ergaster (c. 1.9 million–600,000 years BC) have been discovered.[2]
After the evolution of Homo sapiens sapiens approximately 150,000 to 100,000 years ago in Africa, the continent was mainly populated by groups of hunter-gatherers.[17][18][19] These first modern humans left Africa and populated the rest of the globe during the Out of Africa II migration dated to approximately 50,000 years ago, exiting the continent either across Bab-el-Mandeb over the Red Sea,[20][21] the Strait of Gibraltar in Morocco,[22] or the Isthmus of Suez in Egypt.[23]
Other migrations of these modern humans within the African continent have been dated to that time, with evidence of early human settlement found in Southern Africa, Southeast Africa, North Africa, and the Sahara.[24]
The size of the Sahara has historically been extremely variable, with its area rapidly fluctuating and at times disappearing depending on global climactic conditions.[25] At the end of the Ice ages, estimated to have been around 10,500 BC, the Sahara had again become a green fertile valley, and its African populations returned from the interior and coastal highlands in Sub-Saharan Africa, with rock art paintings depicting a fertile Sahara and large populations discovered in Tassili n'Ajjer dating back perhaps 10 millennia.[26] However, the warming and drying climate meant that by 5000 BC, the Sahara region was becoming increasingly dry and hostile. Around 3500 B.C., due to a tilt in the earth's orbit, the Sahara experienced a period of rapid desertification.[27] The population trekked out of the Sahara region towards the Nile Valley below the Second Cataract where they made permanent or semi-permanent settlements. A major climatic recession occurred, lessening the heavy and persistent rains in Central and Eastern Africa. Since this time, dry conditions have prevailed in Eastern Africa and, increasingly during the last 200 years, in Ethiopia.
The domestication of cattle in Africa preceded agriculture and seems to have existed alongside hunter-gatherer cultures. It is speculated that by 6000 BC, cattle were already domesticated in North Africa.[28] In the Sahara-Nile complex, people domesticated many animals, including the donkey and a small screw-horned goat which was common from Algeria to Nubia. In the year 4000 BC, the climate of the Sahara started to become drier at an exceedingly fast pace.[29] This climate change caused lakes and rivers to shrink significantly and caused increasing desertification. This, in turn, decreased the amount of land conducive to settlements and helped to cause migrations of farming communities to the more tropical climate of West Africa.[29]
By the first millennium BC, ironworking had been introduced in Northern Africa and quickly spread across the Sahara into the northern parts of sub-Saharan Africa,[30] and by 500 BC, metalworking began to become commonplace in West Africa. Ironworking was fully established by roughly 500 BC in many areas of East and West Africa, although other regions didn't begin ironworking until the early centuries AD. Copper objects from Egypt, North Africa, Nubia, and Ethiopia dating from around 500 BC have been excavated in West Africa, suggesting that Trans-Saharan trade networks had been established by this date.[29]
At about 3300 BC, the historical record opens in Northern Africa with the rise of literacy in the Pharaonic civilization of Ancient Egypt.[31] One of the world's earliest and longest-lasting civilizations, the Egyptian state continued, with varying levels of influence over other areas, until 343 BC.[32][33] Egyptian influence reached deep into modern-day Libya and Nubia, and, according to Martin Bernal, as far north as Crete.[34]
An independent center of civilization with trading links to Phoenicia was established by Phoenicians from Tyre on the north-west African coast at Carthage.[35][36][37]
European exploration of Africa began with Ancient Greeks and Romans. In 332 BC, Alexander the Great was welcomed as a liberator in Persian-occupied Egypt. He founded Alexandria in Egypt, which would become the prosperous capital of the Ptolemaic dynasty after his death.[38]
Following the conquest of North Africa's Mediterranean coastline by the Roman Empire, the area was integrated economically and culturally into the Roman system. Roman settlement occurred in modern Tunisia and elsewhere along the coast. The first Roman emperor native to North Africa was Septimius Severus, born in Leptis Magna in present-day Libya—his mother was Italian Roman and his father was Punic.[39]
Christianity spread across these areas at an early date, from Judaea via Egypt and beyond the borders of the Roman world into Nubia;[40] by AD 340 at the latest, it had become the state religion of the Aksumite Empire. Syro-Greek missionaries, who arrived by way of the Red Sea, were responsible for this theological development.[41]
In the early 7th century, the newly formed Arabian Islamic Caliphate expanded into Egypt, and then into North Africa. In a short while, the local Berber elite had been integrated into Muslim Arab tribes. When the Umayyad capital Damascus fell in the 8th century, the Islamic center of the Mediterranean shifted from Syria to Qayrawan in North Africa. Islamic North Africa had become diverse, and a hub for mystics, scholars, jurists, and philosophers. During the above-mentioned period, Islam spread to sub-Saharan Africa, mainly through trade routes and migration.[42]
Pre-colonial Africa possessed perhaps as many as 10,000 different states and polities[44] characterized by many different sorts of political organization and rule. These included small family groups of hunter-gatherers such as the San people of southern Africa; larger, more structured groups such as the family clan groupings of the Bantu-speaking peoples of central, southern, and eastern Africa; heavily structured clan groups in the Horn of Africa; the large Sahelian kingdoms; and autonomous city-states and kingdoms such as those of the Akan; Edo, Yoruba, and Igbo people in West Africa; and the Swahili coastal trading towns of Southeast Africa.
By the ninth century, a string of dynastic states, including the earliest Hausa states, stretched across the sub-Saharan savannah from the western regions to central Sudan. The most powerful of these states were Ghana, Gao, and the Kanem-Bornu Empire. Ghana declined in the eleventh century, but was succeeded by the Mali Empire which consolidated much of western Sudan in the thirteenth century. Kanem accepted Islam in the eleventh century.
In the forested regions of the West African coast, independent kingdoms grew up with little influence from the Muslim north. The Kingdom of Nri was established around the ninth century and was one of the first. It is also one of the oldest kingdoms in present-day Nigeria and was ruled by the Eze Nri. The Nri kingdom is famous for its elaborate bronzes, found at the town of Igbo-Ukwu. The bronzes have been dated from as far back as the ninth century.[45]
The Kingdom of Ife, historically the first of these Yoruba city-states or kingdoms, established government under a priestly oba ('king' or 'ruler' in the Yoruba language), called the Ooni of Ife. Ife was noted as a major religious and cultural center in West Africa, and for its unique naturalistic tradition of bronze sculpture. The Ife model of government was adapted at the Oyo Empire, where its obas or kings, called the Alaafins of Oyo, once controlled a large number of other Yoruba and non-Yoruba city-states and kingdoms; the Fon Kingdom of Dahomey was one of the non-Yoruba domains under Oyo control.
The Almoravids were a Berber dynasty from the Sahara that spread over a wide area of northwestern Africa and the Iberian peninsula during the eleventh century.[46] The Banu Hilal and Banu Ma'qil were a collection of Arab Bedouin tribes from the Arabian Peninsula who migrated westwards via Egypt between the eleventh and thirteenth centuries. Their migration resulted in the fusion of the Arabs and Berbers, where the locals were Arabized,[47] and Arab culture absorbed elements of the local culture, under the unifying framework of Islam.[48]
Following the breakup of Mali, a local leader named Sonni Ali (1464–1492) founded the Songhai Empire in the region of middle Niger and the western Sudan and took control of the trans-Saharan trade. Sonni Ali seized Timbuktu in 1468 and Jenne in 1473, building his regime on trade revenues and the cooperation of Muslim merchants. His successor Askia Mohammad I (1493–1528) made Islam the official religion, built mosques, and brought to Gao Muslim scholars, including al-Maghili (d.1504), the founder of an important tradition of Sudanic African Muslim scholarship.[49] By the eleventh century, some Hausa states – such as Kano, jigawa, Katsina, and Gobir – had developed into walled towns engaging in trade, servicing caravans, and the manufacture of goods. Until the fifteenth century, these small states were on the periphery of the major Sudanic empires of the era, paying tribute to Songhai to the west and Kanem-Borno to the east.
Slavery had long been practiced in Africa.[50][51] Between the 7th and 20th centuries, Arab slave trade (also known as slavery in the East) took 18 million slaves from Africa via trans-Saharan and Indian Ocean routes. Between the 15th and the 19th centuries (500 years), the Atlantic slave trade took an estimated 7–12 million slaves to the New World.[52][53][54] More than 1 million Europeans were captured by Barbary pirates and sold as slaves in North Africa between the 16th and 19th centuries.[55]
In West Africa, the decline of the Atlantic slave trade in the 1820s caused dramatic economic shifts in local polities. The gradual decline of slave-trading, prompted by a lack of demand for slaves in the New World, increasing anti-slavery legislation in Europe and America, and the British Royal Navy's increasing presence off the West African coast, obliged African states to adopt new economies. Between 1808 and 1860, the British West Africa Squadron seized approximately 1,600 slave ships and freed 150,000 Africans who were aboard.[56]
Action was also taken against African leaders who refused to agree to British treaties to outlaw the trade, for example against "the usurping King of Lagos", deposed in 1851. Anti-slavery treaties were signed with over 50 African rulers.[57] The largest powers of West Africa (the Asante Confederacy, the Kingdom of Dahomey, and the Oyo Empire) adopted different ways of adapting to the shift. Asante and Dahomey concentrated on the development of "legitimate commerce" in the form of palm oil, cocoa, timber and gold, forming the bedrock of West Africa's modern export trade. The Oyo Empire, unable to adapt, collapsed into civil wars.[58]
In the late 19th century, the European imperial powers engaged in a major territorial scramble and occupied most of the continent, creating many colonial territories, and leaving only two fully independent states: Ethiopia (known to Europeans as "Abyssinia"), and Liberia. Egypt and Sudan were never formally incorporated into any European colonial empire; however, after the British occupation of 1882, Egypt was effectively under British administration until 1922.
The Berlin Conference held in 1884–85 was an important event in the political future of African ethnic groups. It was convened by King Leopold II of Belgium, and attended by the European powers that laid claim to African territories. It sought to bring an end to the Scramble for Africa by European powers by agreeing on political division and spheres of influence. They set up the political divisions of the continent, by spheres of interest, that exist in Africa today.
Imperial rule by Europeans would continue until after the conclusion of World War II, when almost all remaining colonial territories gradually obtained formal independence. Independence movements in Africa gained momentum following World War II, which left the major European powers weakened. In 1951, Libya, a former Italian colony, gained independence. In 1956, Tunisia and Morocco won their independence from France.[59] Ghana followed suit the next year (March 1957),[60] becoming the first of the sub-Saharan colonies to be freed. Most of the rest of the continent became independent over the next decade.
Portugal's overseas presence in Sub-Saharan Africa (most notably in Angola, Cape Verde, Mozambique, Guinea-Bissau and São Tomé and Príncipe) lasted from the 16th century to 1975, after the Estado Novo regime was overthrown in a military coup in Lisbon. Rhodesia unilaterally declared independence from the United Kingdom in 1965, under the white minority government of Ian Smith, but was not internationally recognized as an independent state (as Zimbabwe) until 1980, when black nationalists gained power after a bitter guerrilla war. Although South Africa was one of the first African countries to gain independence, the state remained under the control of the country's white minority through a system of racial segregation known as apartheid until 1994.
Today, Africa contains 54 sovereign countries, most of which have borders that were drawn during the era of European colonialism. Since colonialism, African states have frequently been hampered by instability, corruption, violence, and authoritarianism. The vast majority of African states are republics that operate under some form of the presidential system of rule. However, few of them have been able to sustain democratic governments on a permanent basis, and many have instead cycled through a series of coups, producing military dictatorships.
Great instability was mainly the result of marginalization of ethnic groups, and graft under these leaders. For political gain, many leaders fanned ethnic conflicts, some of which had been exacerbated, or even created, by colonial rule. In many countries, the military was perceived as being the only group that could effectively maintain order, and it ruled many nations in Africa during the 1970s and early 1980s. During the period from the early 1960s to the late 1980s, Africa had more than 70 coups and 13 presidential assassinations. Border and territorial disputes were also common, with the European-imposed borders of many nations being widely contested through armed conflicts.
Cold War conflicts between the United States and the Soviet Union, as well as the policies of the International Monetary Fund,[citation needed] also played a role in instability. When a country became independent for the first time, it was often expected to align with one of the two superpowers. Many countries in Northern Africa received Soviet military aid, while others in Central and Southern Africa were supported by the United States, France or both. The 1970s saw an escalation of Cold War intrigues, as newly independent Angola and Mozambique aligned themselves with the Soviet Union, and the West and South Africa sought to contain Soviet influence by supporting friendly regimes or insurgency movements. In Rhodesia, Soviet and Chinese-backed leftist guerrillas of the Zimbabwe Patriotic Front waged a brutal guerrilla war against the country's white government. There was a major famine in Ethiopia, when hundreds of thousands of people starved. Some claimed that Marxist economic policies made the situation worse.[61][62][63] The most devastating military conflict in modern independent Africa has been the Second Congo War; this conflict and its aftermath has killed an estimated 5.5 million people.[64] Since 2003 there has been an ongoing conflict in Darfur which has become a humanitarian disaster. Another notable tragic event is the 1994 Rwandan Genocide in which an estimated 800,000 people were murdered. AIDS in post-colonial Africa has also been a prevalent issue.
In the 21st century, however, the number of armed conflicts in Africa has steadily declined. For instance, the civil war in Angola came to an end in 2002 after nearly 30 years. This has coincided with many countries abandoning communist style command economies and opening up for market reforms. The improved stability and economic reforms have led to a great increase in foreign investment into many African nations, mainly from China,[65] which has spurred quick economic growth in many countries, seemingly ending decades of stagnation and decline. Several African economies are among the world's fastest growing as of 2011. A significant part of this growth can also be attributed to the facilitated diffusion of information technologies and specifically the mobile telephone.[66]
Africa is the largest of the three great southward projections from the largest landmass of the Earth. Separated from Europe by the Mediterranean Sea, it is joined to Asia at its northeast extremity by the Isthmus of Suez (transected by the Suez Canal), 163 km (101 mi) wide.[67] (Geopolitically, Egypt's Sinai Peninsula east of the Suez Canal is often considered part of Africa, as well.)[68]
From the most northerly point, Ras ben Sakka in Tunisia (37°21' N), to the most southerly point, Cape Agulhas in South Africa (34°51'15" S), is a distance of approximately 8,000 km (5,000 mi);[69] from Cape Verde, 17°33'22" W, the westernmost point, to Ras Hafun in Somalia, 51°27'52" E, the most easterly projection, is a distance of approximately 7,400 km (4,600 mi).[70] The coastline is 26,000 km (16,000 mi) long, and the absence of deep indentations of the shore is illustrated by the fact that Europe, which covers only 10,400,000 km2 (4,000,000 sq mi) – about a third of the surface of Africa – has a coastline of 32,000 km (20,000 mi).[70]
Africa's largest country is Algeria, and its smallest country is the Seychelles, an archipelago off the east coast.[71] The smallest nation on the continental mainland is the Gambia.
Geologically, Africa includes the Arabian Peninsula; the Zagros Mountains of Iran and the Anatolian Plateau of Turkey mark where the African Plate collided with Eurasia. The Afrotropic ecozone and the Saharo-Arabian desert to its north unite the region biogeographically, and the Afro-Asiatic language family unites the north linguistically.
The climate of Africa ranges from tropical to subarctic on its highest peaks. Its northern half is primarily desert, or arid, while its central and southern areas contain both savanna plains and very dense jungle (rainforest) regions. In between, there is a convergence, where vegetation patterns such as sahel and steppe dominate. Africa is the hottest continent on earth and 60% of the entire land surface consists of drylands and deserts.[72] The record for the highest-ever recorded temperature, in Libya in 1922 (58 °C (136 °F)), was discredited in 2013.[73][74]
Africa boasts perhaps the world's largest combination of density and "range of freedom" of wild animal populations and diversity, with wild populations of large carnivores (such as lions, hyenas, and cheetahs) and herbivores (such as buffalo, elephants, camels, and giraffes) ranging freely on primarily open non-private plains. It is also home to a variety of "jungle" animals including snakes and primates and aquatic life such as crocodiles and amphibians. In addition, Africa has the largest number of megafauna species, as it was least affected by the extinction of the Pleistocene megafauna.
Deforestation is affecting Africa at twice the world rate, according to the United Nations Environment Programme (UNEP).[75] According to the University of Pennsylvania African Studies Center, 31% of Africa's pasture lands and 19% of its forests and woodlands are classified as degraded, and Africa is losing over four million hectares of forest every year, which is twice the average deforestation rate compared to the rest of the world.[72] Some sources claim that approximately 90% of the original, virgin forests in West Africa have been destroyed.[76] Over 90% of Madagascar's original forests have been destroyed since the arrival of humans 2000 years ago.[77] About 65% of Africa's agricultural land suffers from soil degradation.[78]
Africa has over 3,000 protected areas, with 198 marine protected areas, 50 biosphere reserves, and 80 wetlands reserves. Significant habitat destruction, increases in human population and poaching are reducing Africa's biological diversity. Human encroachment, civil unrest and the introduction of non-native species threatens biodiversity in Africa. This has been exacerbated by administrative problems, inadequate personnel and funding problems.[72]
There are clear signs of increased networking among African organizations and states. For example, in the civil war in the Democratic Republic of the Congo (former Zaire), rather than rich, non-African countries intervening, neighboring African countries became involved (see also Second Congo War). Since the conflict began in 1998, the estimated death toll has reached 5 million.
The African Union (AU) is a 54-member federation consisting of all of Africa's states except Morocco. The union was formed, with Addis Ababa, Ethiopia, as its headquarters, on 26 June 2001. The union was officially established on 9 July 2002[79] as a successor to the Organisation of African Unity (OAU). In July 2004, the African Union's Pan-African Parliament (PAP) was relocated to Midrand, in South Africa, but the African Commission on Human and Peoples' Rights remained in Addis Ababa. There is a policy in effect to decentralize the African Federation's institutions so that they are shared by all the states.
The African Union, not to be confused with the AU Commission, is formed by the Constitutive Act of the African Union, which aims to transform the African Economic Community, a federated commonwealth, into a state under established international conventions. The African Union has a parliamentary government, known as the African Union Government, consisting of legislative, judicial and executive organs. It is led by the African Union President and Head of State, who is also the President of the Pan-African Parliament. A person becomes AU President by being elected to the PAP, and subsequently gaining majority support in the PAP. The powers and authority of the President of the African Parliament derive from the Constitutive Act and the Protocol of the Pan-African Parliament, as well as the inheritance of presidential authority stipulated by African treaties and by international treaties, including those subordinating the Secretary General of the OAU Secretariat (AU Commission) to the PAP. The government of the AU consists of all-union (federal), regional, state, and municipal authorities, as well as hundreds of institutions, that together manage the day-to-day affairs of the institution.
Political associations such as the African Union offer hope for greater co-operation and peace between the continent's many countries. Extensive human rights abuses still occur in several parts of Africa, often under the oversight of the state. Most of such violations occur for political reasons, often as a side effect of civil war. Countries where major human rights violations have been reported in recent times include the Democratic Republic of the Congo, Sierra Leone, Liberia, Sudan, Zimbabwe, and Côte d'Ivoire.
Rank | Country | GDP (PPP, 2015) millions of USD |
---|---|---|
1 | Nigeria | 1,108,720 |
2 | Egypt | 989,886 |
3 | South Africa | 725,004 |
4 | Algeria | 571,210 |
5 | Morocco | 265,723 |
6 | Angola | 185,172 |
7 | Sudan | 165,836 |
8 | Ethiopia | 158,345 |
9 | Kenya | 142,742 |
10 | Tanzania | 137,505 |
Rank | Country | GDP (nominal, 2015) millions of USD |
---|---|---|
1 | Nigeria | 515,431 |
2 | Egypt | 324,267 |
3 | South Africa | 323,809 |
4 | Algeria | 187,166 |
5 | Angola | 106,149 |
6 | Morocco | 102,044 |
7 | Sudan | 76,204 |
8 | Kenya | 65,899 |
9 | Spain (Africa) | 59,523 |
10 | Ethiopia | 57,557 |
Although it has abundant natural resources, Africa remains the world's poorest and most underdeveloped continent, the result of a variety of causes that may include corrupt governments that have often committed serious human rights violations, failed central planning, high levels of illiteracy, lack of access to foreign capital, and frequent tribal and military conflict (ranging from guerrilla warfare to genocide).[80] According to the United Nations' Human Development Report in 2003, the bottom 25 ranked nations (151st to 175th) were all African.[81]
Poverty, illiteracy, malnutrition and inadequate water supply and sanitation, as well as poor health, affect a large proportion of the people who reside in the African continent. In August 2008, the World Bank[82] announced revised global poverty estimates based on a new international poverty line of $1.25 per day (versus the previous measure of $1.00). 80.5% of the Sub-Saharan Africa population was living on less than $2.50 (PPP) a day in 2005, compared with 85.7% for India.[83]
Sub-Saharan Africa is the least successful region of the world in reducing poverty ($1.25 per day); some 50% of the population living in poverty in 1981 (200 million people), a figure that rose to 58% in 1996 before dropping to 50% in 2005 (380 million people). The average poor person in sub-Saharan Africa is estimated to live on only 70 cents per day, and was poorer in 2003 than he or she was in 1973[84] indicating increasing poverty in some areas. Some of it is attributed to unsuccessful economic liberalization programs spearheaded by foreign companies and governments, but other studies and reports have cited bad domestic government policies more than external factors.[85][86][87]
From 1995 to 2005, Africa's rate of economic growth increased, averaging 5% in 2005. Some countries experienced still higher growth rates, notably Angola, Sudan and Equatorial Guinea, all three of which had recently begun extracting their petroleum reserves or had expanded their oil extraction capacity. The continent is believed to hold 90% of the world's cobalt, 90% of its platinum, 50% of its gold, 98% of its chromium, 70% of its tantalite,[88] 64% of its manganese and one-third of its uranium.[89] The Democratic Republic of the Congo (DRC) has 70% of the world's coltan, a mineral used in the production of tantalum capacitors for electronic devices such as cell phones. The DRC also has more than 30% of the world's diamond reserves.[90] Guinea is the world's largest exporter of bauxite.[91] As the growth in Africa has been driven mainly by services and not manufacturing or agriculture, it has been growth without jobs and without reduction in poverty levels. In fact, the food security crisis of 2008 which took place on the heels of the global financial crisis has pushed back 100 million people into food insecurity.[92]
In recent years, the People's Republic of China has built increasingly stronger ties with African nations. In 2007, Chinese companies invested a total of US$1 billion in Africa.[65]
A Harvard University study led by professor Calestous Juma showed that Africa could feed itself by making the transition from importer to self-sufficiency. "African agriculture is at the crossroads," says Dr. Juma. Juma also states, "We have come to the end of a century of policies that favored Africa's export of raw materials and importation of food. Africa is starting to focus on agricultural innovation as its new engine for regional trade and prosperity."[93]
During the President of the United States Barack Obama's visit to Africa in July 2013, he announced a US$7 billion plan to further develop infrastructure and work more intensively with African heads of state. A new program named Trade Africa, designed to boost trade within the continent as well as between Africa and the U.S., was also unveiled by Obama.[94]
Africa's population has rapidly increased over the last 40 years, and consequently, it is relatively young. In some African states, half or more of the population is under 25 years of age.[95] The total number of people in Africa increased from 229 million in 1950 to 630 million in 1990.[96] As of 2014, the population of Africa is estimated at 1.2 billion.[97] Africa's total population surpassing other continents is fairly recent; African population surpassed Europe in the 1990s, while the Americas was overtaken sometime around the year 2000; Africa's rapid population growth is expected to overtake the only two nations currently larger than its population, at roughly the same time - India and China's 1.4 billion people each will swap ranking around the year 2022.[98]
Speakers of Bantu languages (part of the Niger–Congo family) are the majority in southern, central and southeast Africa. The Bantu-speaking peoples from The Sahel progressively expanded over most of Sub-Saharan Africa.[99] But there are also several Nilotic groups in South Sudan and East Africa, the mixed Swahili people on the Swahili Coast, and a few remaining indigenous Khoisan ("San" or "Bushmen") and Pygmy peoples in southern and central Africa, respectively. Bantu-speaking Africans also predominate in Gabon and Equatorial Guinea, and are found in parts of southern Cameroon. In the Kalahari Desert of Southern Africa, the distinct people known as the Bushmen (also "San", closely related to, but distinct from "Hottentots") have long been present. The San are physically distinct from other Africans and are the indigenous people of southern Africa. Pygmies are the pre-Bantu indigenous peoples of central Africa.[100]
The peoples of West Africa primarily speak Niger–Congo languages, belonging mostly, though not exclusively, to its non-Bantu branches, though some Nilo-Saharan and Afro-Asiatic speaking groups are also found. The Niger–Congo-speaking Yoruba, Igbo, Fulani, Akan and Wolof ethnic groups are the largest and most influential. In the central Sahara, Mandinka or Mande groups are most significant. Chadic-speaking groups, including the Hausa, are found in more northerly parts of the region nearest to the Sahara, and Nilo-Saharan communities, such as the Songhai, Kanuri and Zarma, are found in the eastern parts of West Africa bordering Central Africa.
The peoples of North Africa consist of three main indigenous groups: Berbers in the northwest, Egyptians in the northeast, and Nilo-Saharan-speaking peoples in the east. The Arabs who arrived in the 7th century introduced the Arabic language and Islam to North Africa. The Semitic Phoenicians (who founded Carthage) and Hyksos, the Indo-Iranian Alans, the Indo- European Greeks, Romans, and Vandals settled in North Africa as well. Significant Berber communities remain within Morocco and Algeria in the 21st century, while, to a lesser extent, Berber speakers are also present in some regions of Tunisia and Libya.[101] The Berber-speaking Tuareg and other often-nomadic peoples are the principal inhabitants of the Saharan interior of North Africa. In Mauritania, there is a small but near-extinct Berber community in the north and Niger–Congo-speaking peoples in the south, though in both regions Arabic and Arab culture predominates. In Sudan, although Arabic and Arab culture predominate, it is mostly inhabited by groups that originally spoke Nilo-Saharan, such as the Nubians, Fur, Masalit and Zaghawa, who, over the centuries, have variously intermixed with migrants from the Arabian peninsula. Small communities of Afro-Asiatic-speaking Beja nomads can also be found in Egypt and Sudan.[citation needed]
In the Horn of Africa, some Ethiopian and Eritrean groups (like the Amhara and Tigrayans, collectively known as Habesha) speak languages from the Semitic branch of the Afro-Asiatic language family, while the Oromo and Somali speak languages from the Cushitic branch of Afro-Asiatic.
Prior to the decolonization movements of the post-World War II era, Europeans were represented in every part of Africa.[102] Decolonization during the 1960s and 1970s often resulted in the mass emigration of white settlers – especially from Algeria and Morocco (1.6 million pieds-noirs in North Africa),[103] Kenya, Congo,[104] Rhodesia, Mozambique and Angola.[105] Between 1975 and 1977, over a million colonials returned to Portugal alone.[106] Nevertheless, white Africans remain an important minority in many African states, particularly Zimbabwe, Namibia, Réunion, and the Republic of South Africa.[107] The country with the largest white African population is South Africa.[108] Dutch and British diasporas represent the largest communities of European ancestry on the continent today.[109]
European colonization also brought sizable groups of Asians, particularly people from the Indian subcontinent, to British colonies. Large Indian communities are found in South Africa, and smaller ones are present in Kenya, Tanzania, and some other southern and southeast African countries. The large Indian community in Uganda was expelled by the dictator Idi Amin in 1972, though many have since returned. The islands in the Indian Ocean are also populated primarily by people of Asian origin, often mixed with Africans and Europeans. The Malagasy people of Madagascar are an Austronesian people, but those along the coast are generally mixed with Bantu, Arab, Indian and European origins. Malay and Indian ancestries are also important components in the group of people known in South Africa as Cape Coloureds (people with origins in two or more races and continents). During the 20th century, small but economically important communities of Lebanese and Chinese[65] have also developed in the larger coastal cities of West and East Africa, respectively.[110]
By most estimates, well over a thousand languages (UNESCO has estimated around two thousand) are spoken in Africa.[111] Most are of African origin, though some are of European or Asian origin. Africa is the most multilingual continent in the world, and it is not rare for individuals to fluently speak not only multiple African languages, but one or more European ones as well. There are four major language families indigenous to Africa.
Following the end of colonialism, nearly all African countries adopted official languages that originated outside the continent, although several countries also granted legal recognition to indigenous languages (such as Swahili, Yoruba, Igbo and Hausa). In numerous countries, English and French (see African French) are used for communication in the public sphere such as government, commerce, education and the media. Arabic, Portuguese, Afrikaans and Spanish are examples of languages that trace their origin to outside of Africa, and that are used by millions of Africans today, both in the public and private spheres. Italian is spoken by some in former Italian colonies in Africa. German is spoken in Namibia, as it was a former German protectorate.
Some[which?] aspects of traditional African cultures have become less practiced in recent years as a result of years of neglect and suppression by colonial and post-colonial regimes. There is now a resurgence in the attempts to rediscover and revalue African traditional cultures, under such movements as the African Renaissance, led by Thabo Mbeki, Afrocentrism, led by a group of scholars, including Molefi Asante, as well as the increasing recognition of traditional spiritualism through decriminalization of Vodou and other forms of spirituality.
African art and architecture reflect the diversity of African cultures. The oldest existing examples of art from Africa are 82,000-year-old beads made from Nassarius shells that were found in the Aterian levels at Grotte des Pigeons, Taforalt, Morocco.[citation needed] The Great Pyramid of Giza in Egypt was the world's tallest structure for 4,000 years, until the completion of Lincoln Cathedral around the year 1300. The stone ruins of Great Zimbabwe are also noteworthy for their architecture, and the complexity of monolithic churches at Lalibela, Ethiopia, of which the Church of Saint George is representative.[citation needed]
Egypt has long been a cultural focus of the Arab world, while remembrance of the rhythms of sub-Saharan Africa, in particular West Africa, was transmitted through the Atlantic slave trade to modern samba, blues, jazz, reggae, hip hop, and rock. The 1950s through the 1970s saw a conglomeration of these various styles with the popularization of Afrobeat and Highlife music. Modern music of the continent includes the highly complex choral singing of southern Africa and the dance rhythms of the musical genre of soukous, dominated by the music of the Democratic Republic of Congo. Indigenous musical and dance traditions of Africa are maintained by oral traditions, and they are distinct from the music and dance styles of North Africa and Southern Africa. Arab influences are visible in North African music and dance and, in Southern Africa, Western influences are apparent due to colonization.
Fifty-three African countries have football (soccer) teams in the Confederation of African Football. Egypt has won the African Cup seven times, and a record-making three times in a row.[112] Cameroon, Nigeria, Senegal, Ghana, and Algeria have advanced to the knockout stage of recent FIFA World Cups. South Africa hosted the 2010 World Cup tournament, becoming the first African country to do so.
Cricket is popular in some African nations. South Africa and Zimbabwe have Test status, while Kenya is the leading non-test team and previously had One-Day International cricket (ODI) status (from 10 October 1997, until 30 January 2014). The three countries jointly hosted the 2003 Cricket World Cup. Namibia is the other African country to have played in a World Cup. Morocco in northern Africa has also hosted the 2002 Morocco Cup, but the national team has never qualified for a major tournament. Rugby is a popular sport in South Africa, Namibia, and Zimbabwe.
Africans profess a wide variety of religious beliefs, and statistics on religious affiliation are difficult to come by since they are often a sensitive a topic for governments with mixed religious populations.[113][114] According to the World Book Encyclopedia, Islam is the largest religion in Africa, followed by Christianity. According to Encyclopedia Britannica, 45% of the population are Christians, 40% are Muslims, and 10% follow traditional religions. A small number of Africans are Hindu, Buddhist, Confucianist, Baha'i, or have beliefs from the Judaic tradition. There is also a minority of Africans who are irreligious.
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The countries in this table are categorized according to the scheme for geographic subregions used by the United Nations, and data included are per sources in cross-referenced articles. Where they differ, provisos are clearly indicated.
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Name of region[116] and territory, with flag |
Area (km²) |
Population[117] | Year | Density (per km²) |
Capital |
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Northern Africa | |||||
Algeria | 2,381,740 | 34,178,188 | 2009 | 14 | Algiers |
Canary Islands (Spain)[118] | 7,492 | 2,118,519 | 2010 | 226 | Las Palmas de Gran Canaria, Santa Cruz de Tenerife |
Ceuta (Spain)[119] | 20 | 71,505 | 2001 | 3,575 | — |
Egypt[120] | 1,001,450 | 82,868,000 | 2012 | 83 | Cairo |
Libya | 1,759,540 | 6,310,434 | 2009 | 4 | Tripoli |
Madeira (Portugal)[121] | 797 | 245,000 | 2001 | 307 | Funchal |
Melilla (Spain)[122] | 12 | 66,411 | 2001 | 5,534 | — |
Morocco | 446,550 | 34,859,364 | 2009 | 78 | Rabat |
Sudan | 1,861,484 | 30,894,000 | 2008 | 17 | Khartoum |
Tunisia | 163,610 | 10,486,339 | 2009 | 64 | Tunis |
Western Sahara[123] | 266,000 | 405,210 | 2009 | 2 | El Aaiún |
Horn of Africa or Northeast Africa | |||||
Djibouti | 23,000 | 623,891 | 2012 | 22 | Djibouti |
Eritrea | 121,320 | 5,647,168 | 2009 | 47 | Asmara |
Ethiopia | 1,127,127 | 84,320,987 | 2012 | 75 | Addis Ababa |
Somalia | 637,657 | 9,832,017 | 2009 | 15 | Mogadishu |
Eastern Africa | |||||
Burundi | 27,830 | 8,988,091 | 2009 | 323 | Bujumbura |
British Indian Ocean Territory - Chagos Archipelago (United Kingdom) |
56.13 | 3,000 | 2012 | 53.4 | Diego Garcia |
Comoros | 2,170 | 752,438 | 2009 | 347 | Moroni |
Kenya | 582,650 | 39,002,772 | 2009 | 66 | Nairobi |
Madagascar | 587,040 | 20,653,556 | 2009 | 35 | Antananarivo |
Malawi | 118,480 | 14,268,711 | 2009 | 120 | Lilongwe |
Mauritius | 2,040 | 1,284,264 | 2009 | 630 | Port Louis |
Mayotte (France) | 374 | 223,765 | 2009 | 490 | Mamoudzou |
Mozambique | 801,590 | 21,669,278 | 2009 | 27 | Maputo |
Réunion (France) | 2,512 | 743,981 | 2002 | 296 | Saint-Denis |
Rwanda | 26,338 | 10,473,282 | 2009 | 398 | Kigali |
Seychelles | 455 | 87,476 | 2009 | 192 | Victoria |
South Sudan | 619,745 | 8,260,490 | 2008 | 13 | Juba |
Tanzania | 945,087 | 44,929,002 | 2009 | 43 | Dodoma |
Uganda | 236,040 | 32,369,558 | 2009 | 137 | Kampala |
Zambia | 752,614 | 11,862,740 | 2009 | 16 | Lusaka |
Zimbabwe | 390,580 | 11,392,629 | 2009 | 29 | Harare |
Central Africa | |||||
Angola | 1,246,700 | 12,799,293 | 2009 | 10 | Luanda |
Cameroon | 475,440 | 18,879,301 | 2009 | 40 | Yaoundé |
Central African Republic | 622,984 | 4,511,488 | 2009 | 7 | Bangui |
Chad | 1,284,000 | 10,329,208 | 2009 | 8 | N'Djamena |
Republic of the Congo | 342,000 | 4,012,809 | 2009 | 12 | Brazzaville |
Democratic Republic of the Congo | 2,345,410 | 69,575,000 | 2012 | 30 | Kinshasa |
Equatorial Guinea | 28,051 | 633,441 | 2009 | 23 | Malabo |
Gabon | 267,667 | 1,514,993 | 2009 | 6 | Libreville |
São Tomé and Príncipe | 1,001 | 212,679 | 2009 | 212 | São Tomé |
Southern Africa | |||||
Botswana | 600,370 | 1,990,876 | 2009 | 3 | Gaborone |
Lesotho | 30,355 | 2,130,819 | 2009 | 70 | Maseru |
Namibia | 825,418 | 2,108,665 | 2009 | 3 | Windhoek |
South Africa | 1,219,912 | 51,770,560 | 2011 | 42 | Bloemfontein, Cape Town, Pretoria[124] |
Swaziland | 17,363 | 1,123,913 | 2009 | 65 | Mbabane |
Western Africa | |||||
Benin | 112,620 | 8,791,832 | 2009 | 78 | Porto-Novo |
Burkina Faso | 274,200 | 15,746,232 | 2009 | 57 | Ouagadougou |
Cape Verde | 4,033 | 429,474 | 2009 | 107 | Praia |
Gambia | 11,300 | 1,782,893 | 2009 | 158 | Banjul |
Ghana | 239,460 | 23,832,495 | 2009 | 100 | Accra |
Guinea | 245,857 | 10,057,975 | 2009 | 41 | Conakry |
Guinea-Bissau | 36,120 | 1,533,964 | 2009 | 43 | Bissau |
Ivory Coast | 322,460 | 20,617,068 | 2009 | 64 | Abidjan,[125] Yamoussoukro |
Liberia | 111,370 | 3,441,790 | 2009 | 31 | Monrovia |
Mali | 1,240,000 | 12,666,987 | 2009 | 10 | Bamako |
Mauritania | 1,030,700 | 3,129,486 | 2009 | 3 | Nouakchott |
Niger | 1,267,000 | 15,306,252 | 2009 | 12 | Niamey |
Nigeria | 923,768 | 166,629,000 | 2012 | 180 | Abuja |
Saint Helena, Ascension and Tristan da Cunha (United Kingdom) | 420 | 7,728 | 2012 | 13 | Jamestown |
Senegal | 196,190 | 13,711,597 | 2009 | 70 | Dakar |
Sierra Leone | 71,740 | 6,440,053 | 2009 | 90 | Freetown |
Togo | 56,785 | 6,019,877 | 2009 | 106 | Lomé |
Africa Total | 30,368,609 | 1,001,320,281 | 2009 | 33 |
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