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- 「阿部一族」は、森鴎外の短編小説。1913年1月に『中央公論』誌上に発表した。1912年に発表した鴎外にとって初の歴史小説となった『興津弥五右衛門の遺書』とともに乃木希典陸軍大将の殉死に刺激されて書かれた小説で、殉死を巡る諸問題を分析し、封建主義社会の倫理の現実性をたずねた作品。栖本又七郎などからの聞き書きを元にしたとされる『阿部茶事談』に取材している。
参考
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E4%B8%80%E6%97%8F
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『阿部一族』(あべいちぞく)は、森鷗外の短編小説。江戸時代初期に肥後藩で起きた、家中の重職であった阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材に創作され、大正2年(1913年)1月に『中央公論』誌上に発表された。
栖本又七郎(作中では「柄本又七郎」)などの証言を元にした『阿部茶事談』を下敷きにしている。前年に発表された鴎外初の歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』とともに乃木希典陸軍大将の殉死に刺激されて書かれた小説とも言われる。「阿部茶事談」本文は藤本千鶴子校訂で『近世・近代のことばと文学 真下三郎先生退官記念論文集』(第一学習社, 1972年)に掲載されている。
目次
- 1 あらすじ
- 2 史実との相違
- 3 演劇
- 4 映像作品
- 5 テレビドラマ
- 6 漫画
- 7 脚注
- 8 外部リンク
あらすじ
寛永18年(1641年)、肥後藩主細川忠利の病状が悪化し、側近たちは次々と殉死を願い出た。老臣の阿部弥一右衛門もまた殉死の許可を乞うが、昔から謹厳な彼をけむたがっていた忠利は「生きて新藩主を助けよ」と遺言し、許可は出ないまま忠利は死去する。そのため旧臣たちが次々と殉死してゆく中で弥一右衛門は以前どおり勤務していたが、彼が命を惜しんでいるかのような家中の評判を耳にし、一族を集め、彼らの面前で切腹を遂げる。しかし遺命に背いたことが問題となり、阿部家は藩から殉死者の遺族として扱われず、家格を落とす処分をされた。鬱憤をつのらせた嫡子・権兵衛は、忠利の一周忌法要の席上で髻を切り、非礼を咎められて捕縛され、盗賊同様に縛り首とされた。藩から一族に加えられた度重なる恥辱に、次男の弥五兵衛はじめ一族は覚悟を決して屋敷に立てこもり、藩のさし向けた討手と死闘を展開して全滅する。
史実との相違
史実では、細川忠利の子・光尚が藩主となった翌年の1643年、阿部権兵衛が、先代・忠利の法事で髻を切り投獄された。阿部一族は屋敷に立てこもり、討ち手と闘ってことごとく討ち取られ、その後に権兵衛が縛り首にされた。
阿部弥一右衛門が殉死したのは史実通りだが、他の殉死者と同日の4月26日に殉死したと記録されている。命を惜しんでいるかのように見られたというのは『阿部茶事談』および本作の脚色といわれる。また、殉死者はすべて新藩主・細川光尚によって殉死しないよう命令を受けていた。つまり、本来殉死の許可は新藩主が出すものであった。権兵衛が代官職を罷免され、知行を兄弟に分割されたのも史実だが[1]、殉死との直接の関係はない。
『新熊本市史』によると、忠利に殉死した19人の家臣は、多くが忠利に召し出された新参の家臣であった。熊本藩は、財政難から「人へらし」や、家臣の収入の1/10を差し出させる「差出」などのリストラに着手していた[2]。こうした状況で、忠利の死後、「旧来の家臣による憎悪や嫉妬」は真っ先に新参の家臣に向けられ、弥一右衛門らを殉死に追い込んだ。さらに、権兵衛は髻を切った際に目安(訴状)を提出しており、これが新藩主・光尚への強い批判と目され、誅伐されたと推測している[3]。
藤本千鶴子は、鴎外がかつて上官の石本新六との確執から、3度に渡って辞職を願い出たことなどを指摘し(ただし実際には辞職せず)、そのことが阿部一族を題材に取り上げるきっかけになったのではないかと推測している[4]。
松本清張は『両像・森鴎外』(文春文庫)で、『阿部一族』は「阿部茶事談」を現代語にしただけであり鴎外の思想・感想はまったくないが、国文学者はしいてそれを求めようとしていると述べている。
演劇
1964年5月、前進座によって上演される。脚本は津上忠によるもので、『テアトロ』1964年6月号に掲載され、のちに『津上忠歴史劇集』(未来社、1970年)に収録された。
映像作品
- 映画『阿部一族』
- 公開:1938年3月1日
- 製作:東宝・劇団前進座
- 監督:熊谷久虎
- 出演:四代目河原崎長十郎、三代目中村翫右衛門、橘小三郎、山岸しづ江、堤真佐子、ほか
テレビドラマ
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- 『阿部一族』
- 放送:1959年1月2日、「サンヨーテレビ劇場」枠内
- 制作著作:ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)
- 出演:八代目松本幸四郎、六代目市川染五郎、木暮実千代、二代目中村芝鶴、織本順吉、南原宏治、垂水悟郎、園井啓介、ほか
- 『阿部一族』
- 放送:1961年12月21日
- 制作著作:日本テレビ
- 出演:二代目市川小太夫、河野秋武、北村和夫、天知茂、舟橋元、ほか
- 『阿部一族』
- 放送:1995年11月24日、「金曜エンタテイメント」枠内
- 製作:フジテレビ・松竹
- 監督:深作欣二
- 出演:山崎努、佐藤浩市、蟹江敬三、藤真利子、渡辺美佐子、真田広之、杉本哲太、仲谷昇、石橋蓮司、麻生祐未、六平直政、浜田晃、織本順吉、青山裕一ほか
- 語り:二代目中村吉右衛門
漫画
- 『阿部一族』 佐藤宏之作画、リイド社、2008年3月。ISBN 978-4-8458-3716-8。
脚注
- ^ ただし吉村豊雄によると、いったん末弟の左平太と分割したが、すぐ元に戻し、再度分割された形跡は確認できないという。 『新熊本市史 通史編3 近世1』 p617
- ^ 『新熊本市史 通史編3 近世1』 pp.227-228
- ^ 『新熊本市史 通史編3 近世1』 pp.616-617
- ^ 藤本千鶴子「鷗外「阿部一族」の発想 ――作品と実体験――」、『近代文学試論』第14号、広島大学近代文学研究会、1975年10月、 pp. 10-18。
外部リンク
- 『阿部一族』:新字新仮名 - 青空文庫
- 『意地』 - 国立国会図書館
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- 阿部一族の反乱〈熊本藩〉--時代変革の余波が生んだ阿部一族の反乱劇の内幕 (特集 徳川三〇〇藩御家騒動録) -- (特集ワイド 藩政人事・政策をめぐる騒動記)
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- 検索結果 73件中 1-24件 "阿部一族"
- 「阿部一族 」 文字遣い種別: 新字新仮名 備考: 作家データ 分類: 著者 作家名: 森 鴎外 作家名読み: もり おうがい ローマ字表記: Mori, Ogai 生年: 1862-02-17 没年: 1922-07-09 人物について: 本名林太郎。石見国鹿足郡 ...
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