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砂糖(さとう)は、甘みを持つ調味料(甘味料)である。主な成分は糖(おもにスクロース、ショ糖ともいう。)である。スクロースは、グルコース(ブドウ糖)とフルクトース(果糖)が結合した糖であり、二糖類の一種である[1][要高次出典]。
喫煙や飲酒などのように依存性の危険があることから昨今注意喚起が行われている。
サトウキビの茎を細かく砕いて汁を搾り、その汁の不純物を沈殿させて、上澄み液を取り出し、煮詰めて結晶を作る。伝統的な製法では、カキ灰に含まれるカルシウム等のミネラル分が電解質となり、コロイドを凝集させる為、カキ殻を焼いて粉砕したカキ灰を沈殿助剤として加える例もある。煮詰めてできた結晶と結晶にならなかった溶液(糖蜜)の混合物を遠心分離機にかけて粗糖を作る。粗糖の表面を糖蜜で洗った後、さらに遠心分離機にかけて、結晶と糖蜜を分ける。その結晶を温水に溶かし、不純物を取り除き、糖液にする。それを煮詰めて結晶を生じさせ、真空状態のもとで糖液を濃縮する。結晶を成長させた後、再び遠心分離機にかけて、現れた結晶が砂糖となる。
光合成において飽和点が高いため、他の植物よりも多く糖質を生産できる。
テンサイの根を千切りにし、温水に浸して糖分を溶け出させて、その糖液を煮詰め、濾過して不純物を取り除く。真空状態のもとで糖液を濃縮し、結晶を成長させた後、遠心分離機にかけて現れた結晶が砂糖である。
サトウカエデの幹に穴を穿ち、そこから樹液を採集する。その樹液を煮詰めて濃縮したものがメープルシロップである。これを更に濃縮を進めて固体状になったものがメープルシュガーである。
なお、糖分がやや低いものの、日本などに自生するイタヤカエデからもメープルシュガーを作ることは可能であり、終戦直後の砂糖不足の時代に東北や北海道で製造が試みられたことがあるが、商業化ベースには乗らずに終わった[2]。
東南アジアからインド東部にかけて栽培されている。樹液からパームシュガー(椰子砂糖)が作られる。
モロコシ属のうち、糖分を多く含むものの総称で、アメリカを中心に栽培されている。煮詰めてソルガムシュガー(ロゾク糖)をつくることもできるが、グルコースやフラクトースを多く含むため結晶化させにくく、結晶糖の収量としてはサトウキビやテンサイに劣るため、シロップの原料として使用されることが多い。近年ではバイオエタノールの原料としても多く利用されている[3]。
砂糖の生産は、まずサトウキビを利用して始まった。サトウキビの原産地は、南太平洋の島々で、そこから東南アジアを経て、インドに伝わったとされる。紀元前2000年ごろにインドで砂糖が使われており、サトウキビから砂糖を作ったのは、インドが最古である。インドの砂糖やサトウキビは、アラビア人によってペルシャ・エジプト・中国などへと伝えられた。
ヨーロッパには、11世紀に十字軍が持ち帰り、地中海周辺でサトウキビが栽培されるようになった。まず14世紀にはシチリアで、ついで15世紀初頭にはバレンシア地方へと広がり、この地方が砂糖の生産地となったものの、15世紀に入ると大西洋の探検が少しずつ始まり、スペインがカナリア諸島で、ポルトガルがマデイラ諸島とアゾレス諸島でそれぞれサトウキビ栽培を開始し、大きな利益を上げた。この島々からの砂糖は1460年代にはすでにヨーロッパへと伝わり、安価で大量の砂糖を前にシチリアやバレンシアでの砂糖生産は衰退した[4]。
新大陸の発見によって、まず最初に砂糖の大生産地となったのはブラジルの北東部(ノルデステ)だった。1530年代にサトウキビ栽培が始まり、1630年にレシフェを中心とする地方がオランダ領となると、さらに生産が促進された。しかし1654年にブラジル北東部が再びポルトガル領となると、サトウキビ生産者たちは技術を持ったままカリブ海のイギリスやフランス領に移民し、1650年代からはカリブ海域において大規模な砂糖プランテーションが相次いで開発され、この地方が砂糖生産の中心地となった[5]。砂糖プランテーションには多くの労働力が必要だったが、この労働力は奴隷によってまかなわれ、アフリカから多くの黒人奴隷がカリブ海域へと運ばれた。ここで奴隷船は砂糖を買い付け、ヨーロッパへ運んで工業製品を購入し、アフリカで奴隷と交換した。この三角貿易は大きな利益を上げ、この貿易を握っていたイギリスはこれによって産業革命の原資を蓄えたとされる。またこれらの西インド諸島の農園主たちは本国議会に議席を確保するようになり、18世紀には西インド諸島派として保護貿易と奴隷制を主張する一大勢力をなしていた。1764年にイギリス本国議会において可決された砂糖法は、英領以外から輸入される砂糖に課税するもので、税収増と西インドの砂糖業保護を狙ったものだったが、アメリカの13植民地の反対を受けて撤回を余儀なくされた。しかし砂糖法は始まりにすぎず、1765年の印紙法や1770年のタウンゼント諸法などによってアメリカ植民地の支配が強化されると植民地の不満は爆発し、アメリカ独立戦争へとつながっていくことになった。18世紀後半にはフランス領サン・ドマングが世界一の砂糖生産地となったが、1804年のハイチ革命によりハイチが独立すると支配者層が追放されて農園は黒人に分配され、砂糖生産は一気に衰退した。
一方、1747年にドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフがテンサイから砂糖と同じ成分をとりだすことに成功した。1806年から1813年の大陸封鎖による影響で、イギリスからヨーロッパ大陸へ砂糖が供給されなくなった。そのためにナポレオンが砂糖の自給自足を目的としてテンサイに注目し、フランスやドイツを始めヨーロッパ各地に甜菜糖業の大規模生産が広まり製糖業が発達した。ナポレオン戦争後砂糖の供給が元に戻ってもテンサイの増産は続き、砂糖生産の柱のひとつとなっていった。
その一方で、サトウキビからの砂糖生産も増加の一途をたどった。19世紀にはいると、イギリスはインド洋のモーリシャスや南太平洋のフィジーにもサトウキビを導入し、プランテーションを建設した。すでに奴隷制はイギリスでは廃止されていたため、ここでの主な労働力は同じイギリス領のインドから呼ばれたインド人であった[6]。そのため、現在でもこの両国においてはインド系住民が多い。西半球においてはそれまでの西インド諸島からキューバへと生産の中心が移り、1860年にはキューバでの砂糖生産は世界の4分の1を占めるまでになっていた[7]。
こうして砂糖は増産され続けたために、19世紀末には価格が低落し、高級嗜好品だった砂糖は一般市民、そして労働者層にも手に入るものとなった。この時期の砂糖消費の増加は非アルコール飲料の消費増加と軌を一にしている[8]が、これは砂糖入り飲料(イギリスでは砂糖入り紅茶、ヨーロッパ大陸では砂糖入りコーヒー)とパンの組み合わせが庶民の安く手軽な朝食として取り入れられ、一般的なものとなっていったことによる[9]。
日本には奈良時代に鑑真によって伝えられたとされている。中国においては唐の太宗の時代に西方から精糖技術が伝来されたこと(それ以前の中国では、砂糖はシロップ状の糖蜜の形で使用されていた)により、持ち運びが簡便になったためとも言われている。当初は輸入でしかもたらされない貴重品であり医薬品として扱われていた。やがて戦国時代に南蛮貿易が開始されると宣教師たちによってさまざまな砂糖菓子がもちこまれ、さらにアジアから砂糖の輸入がさかんになり、徐々に砂糖の消費量は増大していく。このころ、琉球王国では1623年に儀間真常が砂糖生産の奨励を始め、やがて琉球の特産品となっていった。
江戸時代にはいると、海外からの主要な輸入品のひとつに砂糖が上げられるようになり、オランダや中国の貿易船がバラスト代わりの底荷として大量の砂糖を出島に持ち込んだ。このころ日本からは大量の金・銀が産出されており、その経済力をバックに砂糖は高値で輸入され、大量の砂糖供給は砂糖を使った和菓子の発達をもたらした。しかし17世紀後半には金銀は枯渇し、金銀流出の原因のひとつとなっていた砂糖輸入を減らすために江戸時代の将軍徳川吉宗が琉球からサトウキビをとりよせて江戸城内で栽培させ、サトウキビの栽培を奨励して砂糖の国産化をもくろんだ。また、殖産興業を目指す各藩も価格の高い砂糖に着目し、自領内で栽培を奨励した。とくに高松藩主松平頼恭がサトウキビ栽培を奨励し、天保期には国産白砂糖のシェア6割を占めるまでになった。また、高松藩はこのころ和三盆の開発に成功し、高級砂糖として現在でも製造されている。こうした動きによって19世紀にはいると砂糖のかなりは日本国内でまかなえるようになった。天保元年から3年(1830年から1832年)には、大坂での取引量は輸入糖430万斤と国産糖2320万斤、あわせて2750万斤(1万6500トン)となり、さらに幕末の慶応元年(1865年)にはその2倍となっていた[10]。一方、このころ大阪の儒者である中井履軒は著書「老婆心」の中で砂糖の害を述べ、砂糖亡国論を唱えた[11]。また幕府も文政元年(1818年)にサトウキビの作付け制限を布告したが、実効は上がらず砂糖生産は増え続けた。江戸時代、国内の砂糖の流通は砂糖問屋が行っていたが、幕府崩壊とともに独占体制が崩れ、自由な流通が行われることとなった。
明治時代中期、日清戦争の結果として台湾が日本領となると、台湾総督府は糖業を中心とした開発を行い、これにともなって日本には大量の砂糖が供給されることとなった。これによって沖縄を除く日本本土ではサトウキビの生産が衰退したが、台湾での増産によって生産量は増大を続け、昭和に入ると砂糖の自給をほぼ達成した。いっぽう、北海道においては明治初期にテンサイの生産が試みられたが一度失敗し、昭和期に入ってやっと商業ベースに乗るようになった。この砂糖生産の拡大と生活水準の向上によって砂糖の消費量も増大し、1939年には一人当たり砂糖消費量が16.28kgと戦前の最高値に達し、、2010年の消費量(16.4kg)とほぼ変わらないところまで消費が伸びていた[12]。しかしその後、第二次世界大戦の戦況の悪化にともない砂糖の消費量は激減し、1945年の敗戦によって砂糖生産の中心地であった台湾を失ったことで砂糖の生産流通は一時大打撃を受け、1946年の一人あたり消費量は0.20kgまで落ち込んだ。その後1952年に砂糖の配給が終了して生産が復活し、日本の経済復興とともに再び潤沢に砂糖が供給されるようになった。
順位 | 国 | 生産量 (百万トン) |
---|---|---|
01 | ブラジル | 24,8 |
02 | インド | 22,1 |
03 | 中国 | 11,1 |
04 | アメリカ合衆国 | 8,0 |
05 | タイ | 7,3 |
06 | オーストラリア | 5,4 |
07 | メキシコ | 4,9 |
08 | フランス | 4,4 |
09 | ドイツ | 4,2 |
10 | パキスタン | 4,0 |
11 | キューバ | 3,8 |
12 | 南アフリカ共和国 | 2,6 |
13 | コロンビア | 2,6 |
14 | フィリピン | 2,1 |
15 | インドネシア | 2,1 |
16 | ポーランド | 2,0 |
砂糖の生産量は増加しており、1980年代には年1億トン前後であったものが2000年代には年1.4–1.5億トン程度になっている[14]。全生産量のうち約30%が貿易で取引される。生産量の内訳は、サトウキビによるものが約70%、テンサイによるものが約30%である[15]。サトウキビからの砂糖の主要生産国は、ブラジル・インド・中国などであるが、ブラジルは中国の約3倍の生産量、インドは中国の約2倍の生産量である[16]。テンサイからの砂糖の主要生産国は、EU各国(ドイツ・フランス他)、アメリカ合衆国、ロシアである。
一方、輸出国は主要生産国とは異なっている。これは、主要生産国のかなりが生産量は多いものの国内需要を満たすことができないことによる。世界最大の輸出国はブラジルであり、2008年には2025万トン、世界の総輸出量の59.6%を占め、圧倒的なシェアを持っている。次いでタイが510万トン(15.0%)、オーストラリアが389万トン(11.5%)、グアテマラが159万トン(4.7%)、南アフリカが80万トン(2.4%)と続く[17]。
砂糖の日本国内消費・生産は、1995–2004年度の10年間平均値(1995年10月–2005年9月)では、国内総需要は年230万トン(国産36%:輸入64%)、国産量は年83万トン(テンサイ約80%:サトウキビ約20%)である[18]。年毎の動向を見ると、総消費量は、1985年にはひとりあたり21.9kgだったものが、2010年には16.4kgと大きく減少してきたが、ここ数年は下げ止まっている状態である。
南北に長い日本列島はサトウキビの栽培に適した亜熱帯とテンサイ(ビート)栽培に適した冷帯の両方が存在する。国産量は微増傾向にあるが、それは主にテンサイ糖の増加によるもので、サトウキビ糖は微減傾向にある。 サトウキビの主たる生産地は沖縄県や鹿児島県で、戦前は台湾で砂糖が大量に生産されていた。テンサイの生産地は主に北海道である。
日本の輸入はタイが約4割、オーストラリアが約4割、南アフリカが約1割をそれぞれ占め、この3カ国で9割以上の輸入をまかなっている。
砂糖は、製造法によって含蜜糖と分蜜糖とに大きく分けられる。含蜜糖は糖蜜を分離せずにそのまま結晶化したもので、黒砂糖・白下糖・カソナード(赤砂糖)・和三盆・ソルガム糖、メープルシュガーなどがこれに当たる。糖蜜を分離していないため原料本来の風味が残るのが特徴である。ほとんどの精糖原料から作ることができるが、テンサイから砂糖を作る場合は高度な精製が必要なため、含蜜糖の製造は一般的ではない(不可能というわけではない)。
これに対し分蜜糖は、文字通り糖蜜を分離し糖分のみを精製したものである。一般的に使用される砂糖はこちらがほとんどである。まず原料からある程度の精製を行い、粗糖を作成する。粗糖は精製糖の原料であり、不純物も多くそのままでは食用に適さない。このため、生産地の近くでまず一次精製を行って粗糖を作成した後、消費地の近くで二次精製を行って、商品として流通する精製糖が作られることが多い。しかし、生産地で粗糖を経由せず直接製造する耕地白糖や、粗糖工場に精製工場を併設して産地で精製した最終製品まで製造する耕地精糖といった種類も存在する。
精製糖は、大きくザラメ糖・車糖・加工糖・液糖の4つに分類される。ザラメ糖はハードシュガーとも呼ばれ、結晶が大きく乾いてさらさらした砂糖であり、白双糖・中双糖・グラニュー糖などがこれに属する。なお、一般的には白双糖と中双糖を指してザラメという。白双糖を白ザラメ、中双糖を黄ザラメともいう。一方、車糖はソフトシュガーとも呼ばれ、結晶が小さくしっとりとした手触りのある砂糖で、上白糖・三温糖などがこれに属する。液糖はその名の通り、液体の砂糖である。また、ザラメ糖を原料として、角砂糖・氷砂糖・粉砂糖・顆粒糖などの加工糖が製造される。
日本においては最も一般的な砂糖は上白糖であり、日本での消費の半分以上を占める[19]が、上白糖は日本独自のものであり、製造消費されるのも日本が主で、ヨーロッパやアメリカではほとんど使われない[20]。世界的に最も一般的な砂糖といえばグラニュー糖を指す。
ショ糖を酵素的に分解してできる果糖とブドウ糖の混合物(転化糖)は、砂糖より甘みの強い甘味料として使われる。水分保持効果があり、寿司飯に加えるとデンプンの老化を抑えて冷えてもおいしさが長続きする。
砂糖が脳が疲れたときによいといわれるのは、生物体内で砂糖が分解されて生じるブドウ糖が、脳活動のエネルギー源としてたちどころに供給されるためである。2007年、脳のエネルギー源は砂糖しかないと一部の人が誤解を招く、「砂糖を科学する会」によるCM[21]が流され、問題となった。
砂糖は単に食品に甘味をつけるためだけではなく、食品にさまざまな効果を与えるためにも利用される[22]。
日本料理においては料理のさしすせそのひとつに数えられるなど、中心的な調味料のひとつとなっている。これは、魚や野菜の煮物などを中心に醤油と砂糖の組み合わせを基本とする料理が多いことによる。一方、西洋料理や中華料理では料理そのものに砂糖を使用することは多くない。このため、家庭における砂糖の消費量は食の洋風化のバロメーターとなっている[23]。ひとりあたり砂糖消費量は経済成長にともなって1970年までは増加し続けていたが、その後食の洋風化が進むにつれて減少し、1985年にはひとりあたり21.9kgだったものが、2010年には16.4kgまで減少している[24]。
砂糖は多くの病気・疾患の原因になる食品として問題視がされている。「砂糖は毒」として米国の小児科医師たちが、社会への悪影響を挙げ、砂糖の害はたばこや酒と共通しているとして、同じように税を課すべきである との指摘を英科学誌ネイチャーに発表した。またこの事に対し砂糖や飲料の業界団体が一斉に反論する事態となった[25]。 砂糖を有害物質として規制すべきと一部の専門家たちが指摘し、それは砂糖は高カロリーで肥満をもたらすだけでなく、タバコやアルコールなどと同じで含有する成分が内分泌系に悪影響を与え、心臓病や心臓発作、2型糖尿病などを連鎖的に引き起こすリスクを高めると指摘されている。また砂糖に関しては砂糖依存症が科学的に示されており、ほかの食品とは違った過剰摂取が起こる。
WHO/FAOは、レポート『慢性疾患を予防する食事・栄養素』(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases WHO/FAO 2002年)において慢性疾患と高カロリー食の関連を指摘し、将来、食事中の総熱量(総カロリー)に占める糖類の熱量を10%以下にすることを推奨している [26][27]。なお、日本人の食事摂取基準(2005年版)推定エネルギー必要量の10%を糖類をすべて砂糖に換算した場合、成人で約50—70g程度の量(3gスティックシュガーで17—23本分)に相当する。
一方、アメリカの消費者団体CSPI(Center for Science in the Public Interest)は、「消費者は、糖分を多く含む食品の摂取を控えなければならない。企業は、食品や飲料に加える糖分を減らす努力をしなければならない」[28]と主張し、FDA(米国)へソフトドリンクの容器に健康に関する注意書きを表示し、加工食品と飲料によりよい栄養表示を義務付けるよう請求している。アメリカでは肥満対策のため、公立学校で砂糖を多く含んだ飲料を販売しないように合意されている[29]。アメリカでは、マクドナルドやペプシコなど11の大企業が、12歳以下の子供に砂糖を多く含む食品など栄養価に乏しい食品の広告をやめることで合意している[30]。イギリスでは2007年4月1日に砂糖を多く含む子供向け食品のコマーシャルが規制された[31]。
う蝕(虫歯)と砂糖との関係はよく知られているが[32]他にも砂糖と疾病との関係が指摘されている。
ただし、砂糖の原料となりうるテンサイのベータブルガロシド(betavulgaroside)類には小腸でのグルコースの吸収抑制等による血糖値上昇抑制活性が認められた[41](詳細はサポニンを参照のこと)。
砂糖は高純度の糖のかたまりであり、工業的に利用しやすいことから、さまざまな工業製品の原料として利用されている。オリゴ糖やパラチノース、食品添加物(乳化剤)のショ糖脂肪酸エステルは砂糖を原料として製造されており[42]、着色料としてのカラメルも砂糖を原料とする。また、ポリウレタンやポリエステル、プラスチックの原料としても利用されている[43]。
近年では石油に代わる燃料としてバイオエタノールが注目され、エタノール製造に不可欠な糖分を多く含むサトウキビやテンサイがバイオエタノール用に多く使用されるようになっているが、糖分を多く含む部分は当然ながら可食部であり、可食部分を醸造原料に使う限りエタノールは食料と競合するため、近年の原料価格の高騰を招く主因となっている。
搾りかすなどの副生成物の年間排出量は、世界中で約1億トン以上で、製糖工場自身の燃料として利用されるだけでなく、石灰分を多く含むため、製鉄、化学工業、大気汚染防止のための排煙脱硫材、上下水の浄化、河川海域の水質底質の改善、農業用の土壌改良材[44] など様々な利用がされている。また搾りかすの一部は、堆肥として農地に還元[45]されるほか、キクラゲの菌床栽培の培地原料としても利用される。
日本で販売されている砂糖のほとんどには、賞味期限が記載されていない。理由は食品衛生法やJAS法で、賞味期限の表示を免除されているためという[46][47]。一部のメーカーでは、代表的な長期保存の可能な食品である缶詰の賞味期限に倣う形で、製造後3年に設定していたことがあった[48]。他の調味料の賞味期限の内部的な目安が3年程度とされる[49]ことから、事実上の賞味期限(メーカーが品質を保証できる期間)は3年から5年程度と考えられる。
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