出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/09/29 23:11:32」(JST)
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斬首刑(ざんしゅけい)とは、罪人の首(頭部)を刃物等により胴体から切断する刑罰(死刑の一種)である。対象者は即死する。ただし、確認しようがないが「斬首されたのちもしばらくは意識がある」「素早く斬首されるとほとんど痛みを感じずに即死する」などという説もある。古代から近代にかけて世界各国で行われていたが、2014年現在、正式に刑罰としての死刑の方法として採用されているのは、一部のイスラム諸国だけである。
斬首は刑罰として、あるいは生贄として人間を殺害する手段として、古代以来世界各地で普遍的に行われた。いつから斬首刑があったかは定かでないが、既に人類が鋭利な刃物を武器にした青銅器時代にはあったことが確認されている。たとえば中国の青銅器時代に相当する商(殷)・周代では、鉞(エツ)というまさかり状の青銅製利器が斬首に用いられ、王が正義を執行する具として王権の象徴とされた。甲骨文字にも鉞で斬首している様を象ったものがあり、商代の祭祀に伴う生贄として斬首された人骨も多数発掘されている。また秦の始皇帝が10万人を斬首したとする記述も史書に残されている。さまざまな方法が世界各国であり、江戸時代の日本の死罪・獄門では当番同心が日本刀の打刀を用いており、中世ヨーロッパでは死刑執行人は両刃の処刑人の剣を用い、イギリスでは斧が用いられた。
斬首は火刑よりも苦痛が軽いとされており、死刑でも比較的軽い(生命が奪われることには変わらないが)刑罰とされていた。これはローマ帝国の時代であるが、イエス・キリストやキリスト教徒は磔刑ないし動物刑が執行されたが、ローマ市民である使徒パウロには斬首が行われたとされることからもわかる。そのため中世のイギリスでは、斬首されるのは貴族階級だけであった。
しかしながら、実際には死刑執行人の腕前によっては1度で斬首することに失敗し、首が落ちるまで何度も斬りつけるなど、残酷な結果に終わる危険性が高かった。一例として、17世紀にイギリスのチャールズ2世の子で、父の死後にジェームズ2世に対する反逆罪で斬首刑に処せられたモンマス公は、悪名高い死刑執行人ジャック・ケッチによって斬首されるはずであったが、何度も切断に失敗し、最終的には斧ではなくナイフで切断するという不首尾に終わった。そのためフランス革命の際、ジョゼフ・ギヨタンによって「失敗のない人道的な死刑方法」としてギロチンの使用が提言されると、革命政府国民議会は1792年4月25日に採用を議決し、以後の処刑を全てこの機械によって行い、恐怖政治の象徴となった。さらにギロチンはドイツ国に輸出され、ナチス・ドイツ時代に盛んに使用されている。一方フランスでも死刑制度が廃止される1981年9月まで一貫してギロチンが用いられていた。
ちなみに、ギロチンはフランスの死刑に機械的な装置を使用することを議会に提案した提案者であるギヨタンの名にちなむ。
現在では、斬首刑があるのは死刑存置国でもイスラム諸国の一部に限られている。またサウジアラビアでは、公開で斬首刑が執行されている(公開処刑)。
近年では、中東の過激派組織を中心に、処刑と称して人質の斬首が行われることがある。またその様子を撮影してインターネット上に公開する場合もある。そのような組織の場合は、見せしめの意味を込めている点が強く、宗教的な意味を含む場合もある。これらは斬首刑となるような罪のない人々が対象になることが多いため、大きな波紋を呼ぶこともしばしばある。
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