出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/05/09 18:04:58」(JST)
社会的少数者(しゃかいてきしょうすうしゃ)または社会的少数集団(しゃかいてきしょうすうしゅうだん)、社会的少数派(しゃかいてきしょうすうは)とは、その社会の権力関係において、その属性が少数派に位置する者の立場やその集団を指す。 欧米の「マイノリティグループ」(英語: minority group)の考え方を輸入したものであるが、日本語では単に「マイノリティ」と呼ばれることも多い。
多くの場合、そのグループの一員であることによって社会的な偏見や差別の対象になったり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から不利益を被ることを前提とした呼称であり、「社会的弱者」にも近い概念であるといえる。 対義語はマジョリティであり、これは多数派、あるいは強い立場を意味し、まとめて世論を形成しやすい群というふうにも言える。
留意点として、数としては少数でなくても、差別や構造により社会的に弱い立場におかれている場合には「マイノリティ」と呼ばれることがある。たとえば女性がマイノリティであるという主張は一般的である。逆に、数としては少数であってもその集団が比較的強い立場にある場合には「マイノリティ」と呼ばないことが多い。これの例としてはたとえばラテンアメリカ諸国における白人層を挙げることができる。
社会的少数派などの語が軽い意味で趣味が多数に属さない者・時流に沿わない者を指す場合もある[要出典]。
目次
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詳細は「少数民族」を参照
フランスなど同化主義の理念が徹底している国や、近年の米国など、文化多元主義を前提とした社会では、少数民族であることが、必ずしも不利に働くとは限らない。しかし、これらの国でも全く外国人への差別がないわけではない。人口の約99%を日本人が占める日本では、外国人もしくは外国にルーツを持つことが、本人にとって極めて不利な状況を招くことがある。
差別是正の意図などにより、特定の少数民族が、政治的・社会的な特権を持っている場合もある。例えば中国の少数民族には、一人っ子政策の対象外とされ、公務員への優先採用などの優遇措置が与えられている。
アパルトヘイト体制下の南アフリカ共和国では、少数派である白人が、多数派である黒人を支配していたという事情があるが、この場合白人は数としては少数ではあっても、社会的少数者には当たらない。
詳細は「性的少数者」を参照
人口の90%以上を占める異性愛者は、男は女を、女は男を好きで当たり前と考えている。家族制度は異性愛を前提として構成されているし、性的少数派であることが発覚した場合には、偏見・差別の域にとどまらず、憎悪の対象になる可能性もある。強制的異性愛という言葉もある。また異性愛者以上に人口の多数を占める人々は性自認と身体的性別が一致しており、そうでない人々がいることを理解できず、或いは受容できない場合が多い。性別による役割や服装を当然視し、社会的規範或いは当然の正義とまで考える者も多い。その為こうした人々は深刻な人権蹂躙を被ってもその救済が困難な状況に置かれる。(ジョグジャカルタ原則の項目を参照)
特に、日本語の社会的弱者という考え方との違いとして挙げられるのは、多民族国家における少数派の文化的団結が強調される点である。アメリカ黒人の、公民権運動の一環として生まれた言葉であり、移民を多く受け入れた欧米でこの認識が急速に広まった。よって、単なる個人の経済的あるいは社会的地位の向上だけではなく、多民族・多人種・多宗教国家における、それぞれの集団の尊厳と地位の平等化が強く意識される。
例として、アメリカではこれまで年末の挨拶として、当り前のように「メリークリスマス」が使われてきたが、近年はこれが政治家だけでなく一般人も含めてポリティカル・コレクトネスの支持者の間では「ハッピーホリデー」に言い換えられている。クリスマスはキリスト教の宗教行事であるため、これを無頓着に使うことはキリスト教、つまり多数派の価値観の押し付けとされる。
フランスやタイでは、少数派のアイデンティティを守るというよりも、みなを同じに扱うという考え方を採っている。つまり、黒人であっても少数民族であっても「その国民であること」を問題とする。即ち、アメリカのように国家における主流派を権威を認めた上で少数派を尊重するというよりも、同じ国民である以上は出身地や宗教といった点が異なっても「同じ国民ならば同じ扱いを受けるべきだ」とする考え方である。こういった考え方を採用する例は、一定の宗教や民族が圧倒的な大多数ではない国に多い。例えば、フランスではカトリックとプロテスタントが同じ程度存在していたり、太古から「フランス人」が存在していたわけではないという事情が一つあるのと、抱え込んだ植民地を統率する目的で、(「宗教的」に対する)「世俗性」と「フランス語の使用」を絶対条件にしており、この2点については絶対に譲らない。宗教色を抑制した結果、無神論者も相当数存在する一方で、伝統的なキリスト教文化を完全に消去するような動きには抵抗感が強く、例えば、回教徒の女学生が頭部を隠すことを法律で禁止したり、トルコのEU加盟に執拗に反対したりするといった強い行動に出る。多文化主義の観点からはフランスの一元主義に対する批判が存在する。タイの場合は、王室への忠誠心があれば、個人間の差異が特に重要視されないという特殊な事情がある。
フランス南部の少数派(主にアラブ系や黒人)は、犯罪者等の汚名を着せられる事が多いが、現実にはフランスの白人と定義される人達の方が犯罪が多いと言う現実がある。ただアメリカのメキシコ系移民やキューバ系移民やアフリカンアメリカン等の犯罪はマジョリティ(アメリカの白人)よりも犯罪が多い等の問題を抱えており白人達の不満に繋がっている。
なお国際人権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の第27条に於いては国内の少数派とりわけ「宗教的、人種的、言語的少数民族」の権利の保護を掲げている。
日本は単一民族国家と見なす事もあり、特に人種的にはほぼ完全に同一といってよい状態ともされるが、実際の日本国内では多民族の割合(帰化した人や統計に登録していない人も含め)は低くなく、海外のメディアでは「日本人の平均的な期待よりも外国人の割合は多い」としている[1]。(日本の民族問題、少数民族なども参照の事)
日本人の社会的弱者集団の代表である部落民に対する政策は、同一民族内の差別であったために、対応策が同化であったことなどの理由により、欧米のような異文化の地位的平等を求める公民権運動としては評価されなかった。近年の部落問題の対策として、戸籍の登録の場所を自由化して部落の出身であることを隠すことが出来るようにする、あるいは在日の様な通名の使用を法律的にも認めるなどを行っている。このような自らの出生を隠すような行為はマイノリティ論の観点に基づく社会的弱者の救済と対極にある。(部落問題なども参照の事)
日本の定義が、欧米の定義と一致するものでない。また、社会の変化に応じて変動することもある。反発心を持っている事もある。
よって、日本における社会的弱者に対する議論において、文化という要素はこれまで殆ど見られなかった。一方、欧米でのマイノリティ問題において(文化的)同化(Assimilation)と、社会的な統合(Integration)の問題は非常に活発に議論されている。
フランスなどでは、移民のフランス文化に対する同化を国家政策として奨励しているが、移民社会、特に一部の二世の間では不評である。一方で近年、メキシコ出身のアメリカ人がアメリカの国歌を、スペイン語に改訳して歌ったときは保守派から大きな反発が起こった。また日本語の社会的弱者と違い、単なる貧困に苦しむものがマイノリティとされることはない。この結果としてマイノリティ論に基づく社会政策の典型であるアファーマティブアクションなどには白人の貧困階級が含まれないなどの軋轢を生んでいる。
一方日本では、いまだに厳密な意味で欧米のマイノリティに対応する集団はごく少数であるので、単なる差別問題と捉える場合が多い。エイズや元ハンセン病患者やホームレスの問題など、欧米では特にマイノリティと認識されないものが、被差別集団・社会的弱者ということで同義で議論されている。逆に、例えば聾者が欧米の聾者文化論を引用して、「聾は障害でなく文化である」などの主張をすると全く何のことか理解されないことが多い。(障害のある人の権利に関する条約の項目を参照)
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