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シリーズからの派生 |
保守主義 (コンサバティズム) |
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学派
文化保守主義
財政保守主義(英語版) |
概念
伝統
規範 |
人物
エドマンド・バーク
ジョゼフ・ド・メーストル |
組織
国際民主同盟
国際青年民主主義者(英語版) |
宗教
低教会派(英語版)
キリスト教右派 |
国別項目
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関連項目
農地改革論(英語版)
貴族制 |
政治ポータル |
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保守(ほしゅ)、あるいは保守主義(ほしゅしゅぎ、ラテン語: Conservatismus、英: Conservatism)とは、古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対する社会的、政治的立場[1][2]。そのような立場を取る者のことも保守(英: Conservative)あるいは保守派とよぶ。[1]対義語は革新もしくは進歩主義。
保守とは本来「伝統=現状」を維持すること、およびそうした政治的立場を指すが、「伝統」の意味するところが非常に多様化した今日では、保守の内容も一様に定義できないものとなっている。
保守主義は伝統を尊重し、原則や手続きを順守し、保守することを重要視する政治思想である。ただし、伝統とは何かに関しては様々な見解がありえ、復古的改革主義を保守と称する場合も多いが、逆に社会民主主義的な現状維持志向を保守と呼ぶことはほとんどない。現在の通俗的用法では、現状に対する改革志向か維持志向かを問題とせず、単に民族主義的な政治姿勢を指して保守と呼ぶ場合が多い。
伝統や文化を重んじる伝統保守と、古典的自由主義ないし新自由主義を標榜する経済保守、国益や国家への奉仕を尊重する国家保守主義は、それぞれが目指す目標が異なる。保守主義を標榜する者の思想には、これら3つの要素がある程度の割合で混在しているのが普通であるが、保守主義のどの側面を重視するかで対立が生じることもある。
フランス革命当時の保守主義は「今あるアンシャン・レジームとレッテル貼りされた諸制度は、遠い過去からの取捨選択に耐えてきたものであり、これを維持存続させることが国民の利益になる」(とする主義)と定義されていた。しかし、「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉や「保守するための改革」というエドマンド・バークの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定しない。
保守主義は政治および社会の哲学の一つであり、この哲学は伝統的制度の維持を奨励し、社会の変化については最小で漸進的なものだけを支持する。保守主義者たちの中には、現在のものを維持しようとし安定性と連続性を強調する者たちがいる一方で、近代主義に反対し過去のものへ戻ろうとする者たちもいる。
フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンがフランス革命をうけて1819年に王政復古の機関紙を、Le Conservateurと名付けたのが、政治的脈絡でのこの用語の使用の最初だとされる[3]。
保守主義の源流はアイルランド人のイギリス下院議員でフランス革命を批判したエドマンド・バークに由来するとみなされている[4]。しかし、バークは「保守する」という言葉は用いたものの、「保守主義」という用語は使っていない。
政治的保守主義は英米の政治思想であるが、その影響を受け、フランス、オランダ、スペイン、ドイツ、イスラエル、ロシア、日本、韓国、インドなどにも保守思想家が存在する。保守政党としてはアメリカの共和党、日本の自由民主党、イギリスの保守党、オーストラリア自由党、台湾の中国国民党、カナダ保守党、パキスタン・イスラム連盟、インド人民党が挙げられる。
保守主義の支持は各産業に従事する者などにも見られる。都市部でも自営業者や一部の法人が支持することがある。その他にも大企業経営者・資本家、中小企業経営者も既得権益を持つものとして保守主義を支持する傾向が見られることがある。
保守主義と一言で言っても、保守の意味が多様化した現代はその定義は様々である。また保守の意味合いは各国によって異なり一概にまとめられるものではない。
エドマンド・バークのような政治思想的な保守主義以外にもイギリスにはアイザック・ウォルトン、トーマス・カーライルのような生き方を重視する保守主義もある[5]。イギリス保守党の元チェアマンのヘイルシャム(Hailsham)は「保守主義は態度ないしは定常的な精神の作用(constant force)以上のものをさす哲学ではなく、自由社会が発展する過程で時代に左右されない働きをするものであり、人間本性それ自体が心の底から恒常的に要請するものである。」[6]という。イギリス保守党の理論家ヒュー・セシル(en:Hugh Cecil)によると、コンサーヴァティズムには政治的保守主義・近代保守主義以外に自然的保守性がある[7]。自然的保守性とは、新しいもの・未知なるものへの恐怖と、現状を積極・消極両面で維持することを欲する感情のことである。これは慣れたものに愛着を持つという人間の性質であり、思想的な主義主張ではない。
マイケル・オークショットによれば、保守的であるとは『見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことのないものよりも試みられたものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを、あり余るものよりも足りるだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである。得るところが一層多いかも知れない愛情の誘惑よりも、以前からの関係や信義に基づく関係が好まれる。獲得し拡張することは、保持し育成して楽しみを得ることほど重要ではない。革新性や有望さによる興奮よりも、喪失による悲嘆の方が強烈である。保守的であるとは、自己のめぐりあわせに対して淡々としていること、自己の身に相応しく生きていくことであり、自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完璧さを、追求しようとはしないことである。或る人々にとってはこうしたこと自体が選択の結果であるが、また或る人々にとっては、それは好き嫌いの中に多かれ少なかれ現れるその人の性向であって、それ自体が選択されたり特別に培われたりしたものではない。』とする[8]。
サミュエル・P・ハンティントンによると、保守主義には次の三つの定義がある[9]。
ハンティントンは、このうち1と2の定義は不適切であると考え、「保守主義の性格は静態的なものであり、同様の社会状況が生じた場合に見られる反復的なものであり、そして進歩的なものではない」としている。
アンソニー・クイントンは、伝統主義、社会を一体的なもので自然に成長するものとみなす有機体主義、政治的懐疑主義の3つが保守主義の原理とする[10]。
カール・マンハイムによると、保守主義はそれ自体として存在するものではなく、何かの変革(たとえば革命)が起こったあとでそれに対する反応として形成される。
保守主義者たちは、基本的には人間の思考に期待しすぎず、「人は過ちを犯すし完全ではない」という前提に立つ[11]。そして謙虚な振るまいをする。さらに、彼らは「先祖たちが試行錯誤しながら獲得してきた知恵、すなわち伝統が慣習の中に凝縮されている」と考え、伝統を尊重する。また彼らは、「伝統は祖先からの相続財産であるから、現在生きている国民は相続した伝統を大切に維持し子孫に相続させる義務がある」と考える。その結果、彼らは過去・現在などの歴史的結びつきを重視する。このように保守主義は懐古趣味とは異なる志向の要素も含んでいる。また、彼らは「将来を着実に進むためには、歴史から学ばなければならない」と考える。これは、歴史とは先人たちが試行錯誤してきた失敗の積み重ねの宝庫だからだとされる。西ヨーロッパの貴族出身の保守派は、自らを過去から続く精神の継承者と自負していることが見られ、共産主義などの革命思想に対して、祖先から相続した郷土を踏みにじるものとして反発する。
保守主義者達は理性を懐疑する。彼らがフランス革命で理性主義を掲げたジャコバン派が議会を暴走させ、道徳を退廃させ、そして自由を軽視させる過ちを犯したと看做している事が、そのように懐疑される理由の一つである。フランス革命では国家が宗教や規範の主宰者のように振る舞われ、そのことをイギリス保守主義は嫌った[11]。同様の事態はロシア革命、文化大革命など多くの革命や政変にも見られる。こうして保守主義者たちは伝統保守や漸進的変革をとなえ、左翼革命を否定的に見る(反共主義)。
ジョン・グレイはフランス革命、社会主義革命、毛沢東体制はユートピアを想定し、善悪二元論的な千年王国主義にもとづいているとし、従来の保守主義はこうしたユートピア思想に批判的であったが、近年の米国新保守主義がユートピアを追求するようになったことを批判した[12]。
政治思想としての保守主義は、政治的保守主義ないしは近代保守主義と呼ばれ、コモン・ローの法思想を中心として発展してきた。17世紀に、イギリスのエドワード・コークは中世ゲルマン法を継承したコモン・ローの体系を理論化した。18世紀には、エドマンド・バークがコモン・ローの伝統を踏まえて著書『フランス革命についての省察』を公表し、保守主義を大成した。この著書は、フランス革命における恐怖政治に対する批判の書でもある。バークが英国下院で革命の脅威を説いた1790年5月6日が近代保守主義生誕の日とされる。このような経緯からバークは近代保守思想の祖と呼ばれている。バークは歴史的に継承され社会の一般的な考えとまでなった意見や信念をancient opinions(古来の意見)、prejudice(偏見、固定観念)と呼び、イギリスの場合は国教会が第一のprejudiceであるとし、イギリス国家の本質とした[13]。また国家は「一時的な便宜の観念に従って取り上げたり抛り出したりできるものではない」とし、国家とは憲法の基礎であり、教会とも不可分とした[13]。バークはルソーの社会契約説やフランス革命のように人為に対して全幅の信頼を寄せることはできず、人為に依拠した正統化理論は採用できないと考えた[13]。
政治と宗教の関係、政教分離問題についての保守主義の見解として、バークの優れた解釈者でもあった保守党の政治家ヒュー・セシルは、新約聖書では「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」とあり、これは宗教的事項と世俗的事項の分離であって「国家の権威が及ぶ領域においては、それに服従しなければならない。ただし、その領域は純粋に宗教的な事項に及ぶことはない」とのべた[14]。セシルは、規範は宗教化した政治(国家)によって教化されてはならず、規範は、人間がそれぞれ信仰を通して内面において理解するべきものであると論じ、国教会は国家の一機関ではなく、人々の内面性涵養の場であるとした[14]。
かつてトーリー主義と呼ばれていたイギリスの保守主義は、王政復古時代(1660年–1688年)に生まれた。神授王権によって統治を行う君主をともなう階級社会をイギリス保守主義は支持した。しかし立憲政府を確立した名誉革命 (1688年)は、トーリー主義の再公式化をもたらした。再公式化後のトーリー主義においては統治権は国王、上院、下院の三つの身分に与えられたと現在ではみなされている。[15]
保守派の歴史家たちによると、リチャード・フッカーは保守主義の創始者であり、ハリファックス侯爵は彼のプラグマティズムが賞賛されるべきであり、デイヴィッド・ヒュームは政治における合理主義を保守的に信用しなかったことが賞賛されるべきであり、エドマンド・バークは初期の指導的な理論家とみなされる。しかし、フッカーは保守主義が出現する前の人、ハリファックスはどの政党にも属していなかった、ヒュームは政治に関与しなかった、バークはホイッグ党員だった、との反論もある。
19世紀には、保守主義者たちはバークがカトリック解放を擁護したことから彼を拒絶し、代わりにブリングブローク(Bolingbroke)からインスピレーションを受けた。フランス革命に対するトーリー党の反応について書いたジョン・リーヴズ(John Reeves)は顧みられなかった。[16]保守主義者たちはバークがアメリカ独立革命を支持したことに反対しもした。例えば、トーリー党員のサミュエル・ジョンソンは著書『暴政なき課税』(Taxation No Tyranny)の中でそれを非難した。
保守主義はイングランドの王政復古の過程で王政主義から発展した。王政主義者たちは絶対君主制を支持し、国王は神授王権によって統治しているのだと論じた。主権は人びと、議会の権威、信教の自由に由来するという考えに彼らは反対した。ロバート・フィルマー(Robert Filmer)の著書『パトリアーチャないしは国王の自然権』(Patriarcha or the Natural Power of Kings)――本書はイングランド内戦以前に書かれた――は彼らの見解を述べたものとして受け入れられるようになった。1688年の名誉革命を受けて、トーリー党員たちとして知られていた保守主義者たちは国王、上院、下院の三身分が主権を共有するということを受け入れた。[17]しかし、トーリー主義はホイッグ党が優勢だった長い期間の間にすみへ追いやられるようになった。[18]1830年代に保守党と改名したこの政党は、不安に思いながらも協力し合った家父長的な貴族たちと自由市場における資本家たち両方の本拠地となったのちに、主要な政治勢力として復帰した。[19]。
1979年から1990年までのマーガレット・サッチャー政権は新保守主義、新自由主義化を実行し、ニューライトともよばれた[20]。
アメリカでは、コモン・ローの法思想が、ウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』を通じて、そのままアメリカの保守主義としてアレクサンダー・ハミルトンら「建国の父」たち(ファウンディング・ファーザーズ)によって継承された。そして、この法思想はアメリカの憲法思想となった。しかし、アメリカの保守主義は、イギリスや日本のように王室(日本では皇室)などの保持を条件とせず、1930年代の大不況によって自由主義の原則がゆらいだ際に保守主義が登場したとされ、さらに1944年にイギリスで、1945年にアメリカで刊行されたフリードリヒ・ハイエクの『隷従への道』によってアメリカの保守主義は結集し、この本はアメリカの保守主義運動を最初に定義づけた著作とみなされている[21]。ただしハイエクは自らを保守主義でなく新自由主義と主張した[22]。ハイエクの自由主義では社会秩序を他人の自由を侵害しない限りで個人の自由な行為に委ねるもので、貧困や失業問題などを合理的に国家が管理することは否定される[23]。
バークを重視するラッセル・カークは1953年にThe conservative mind, from Burke to Santayanaを発表し、保守主義の定義として、1)人間の良心と社会は神の意思によって創られたことを信じる、2)伝統の多様性と神秘性に思いを寄せること、3)文明社会には秩序と階級が必要で、平等とは道徳的な平等であり、政治介入による社会的平等は否定される、4)私有財産の肯定と自由は不可分であること、5)時効概念(バーク)を信頼し、空理空論を弄ぶ哲学屋や極端な合理主義を採用する計算屋への不信、6)革新は人間を絶望へと誘い、真の変化はプロビデンスによる、とした[24]。
アメリカにおいては家族を基本的な価値として尊重し、政府は家族や私有財産を脅かす存在として警戒の対象になる反連邦主義の伝統がある。ロナルド・レーガンが所得税を減税しジョージ・H・W・ブッシュが遺産税の廃止を推進したのは、こうしたアメリカの保守思想に基づいてのことである。それゆえ、アメリカの保守は国家主義的な日本・フランス・ドイツ・イタリアなどの保守とは対極的な面がある(リバタリアニズムも参照)。ただし、日本やイギリスの保守派は軍事・外交・教育・治安維持では国家の役割を強調するものの、経済政策や社会政策においては小さな政府を唱える傾向も強く、特に家族の価値を唱え、育児や介護の社会化には慎重、もしくは積極的に反対する。この面では欧州大陸諸国よりもリバタリアニズム的で、アメリカの保守との共通点が見られる。
文芸評論家のライオネル・トリリングはアメリカには保守主義はなく、保守の衝動(conservative impulse)でしかないといい、またダニエル・ベル編集の『保守と反動 現代アメリカの右翼』でもアメリカにはエドムンド・バークのような真の保守主義は存在せず、ニューライト(新右翼)にすぎないとした[25]。
米国のシーモア・M・リプセットは米国のリベラルと保守は「しばしば平等や自由といった問題に関しては反対の立場を取るわけではない。そうではなく、両サイドは自由と平等のどちらかの核となる価値へ訴える。たとえばリベラルは平等主義の卓越性や無制限の個人主義から生じる社会的不公平を強調するのに対して、保守は個人の自由という価値や流動性および努力による達成の社会的必要性という価値をリベラルな特効薬に含まれる集団主義によって『危険にさらされる』価値として大切にする、といった具合である。」という[26]
日本では1955年、保守合同により55年体制が成立して以降、政治的イデオロギーとしてアメリカ式近代自由主義(Modern liberalism in the United States)を標榜しながらも実際の政策では護送船団方式の傾向が強い自由民主党(自民党)が代表的な保守政党である。自民党は1955年10月の左右社会党の統一(社会党再統一)に危機感を持った自由党と日本民主党の2つの保守政党が同年11月に合同して誕生した政党である。
1963年、筑摩書房から林健太郎編集『現代日本思想大系』35巻が「新保守主義」として編纂された。その解説で林は、保守主義は反動でも悪でもなく、自由主義や社会主義と対抗しながら一貫して存在を保ってきたものであり、19世紀に保守主義が自由主義と対立したのとは異なって、労働組合を基盤とした社会主義に対抗するものとした[27][28]。これらの立場は近年の「たちあがれ日本」をはじめとした保守左派や緑の保守主義に近い。
その後、1980年代の米国のロナルド・レーガン、英国のマーガレット・サッチャー、西ドイツのヘルムート・コールとともに、中曽根康弘政権は新保守主義と呼ばれた。さらに、小泉内閣以後の自民党では、中曽根内閣の流れを踏襲した新自由主義経済の親米保守・新保守主義が主体となったが、一方で修正も図られた。実際に、米国の保守主義であっても、個人主義(国民主権)的自由民主主義を基調とする背景もある[要出典]。
近年のほかの保守政党としては、扇千景らが結党した保守党(後に保守新党と改称、その後自民党に合流)、橋下徹らの日本維新の会やその後継政党である維新の党・おおさか維新の会(ただし既得権者攻撃・急進改革色もあり一概に保守政党と言い切れない面もある)、平沼赳夫が代表を務めたたちあがれ日本(2012年11月、日本維新の会に合流)、日本維新の会から石原慎太郎や平沼赳夫らが分離して結成された次世代の党、小泉内閣の行った郵政民営化に反対した自民党議員の一部が自民党を離党して結成した国民新党(2013年3月に解党)などがある。民主党は自民党旧経世会の議員が多数参加しているが、旧社会党の流れを汲む議員も多く、党としては保守でも革新でもない「民主中道」を標ぼうする。2010年4月に自民党出身の平沼赳夫、与謝野馨を代表として結党した「たちあがれ日本」は、日本における外国人参政権や選択的夫婦別姓制度導入について“国民生活の根幹をおかしくする政策”として反対し、“日本の良き伝統文化を守る安心社会の構築”を党是として、自主憲法創設を掲げていた。
丸山眞男によれば、「日本の保守主義とはその時々の現実に順応する保守主義で、フランスの王党派のような保守的原理を頑強に固守しない」[29]とされる。これについて中村宏は「日本人の多くに伝統的に共有されてきた、状況ないし事態の流れに順応し、権威主義的でそのときどきの権力に従う処世観「従う政治文化」」が日本の政治風土の特徴であり、価値観を持たない「仕方がない」と「状況と立場」の文化があると説明する[30]。
宗教的保守主義という言葉がとくに頻繁に使用されるのはアメリカ合衆国である。宗教右派(キリスト教右派)の台頭にともなって、キリスト教原理主義などプロテスタントの神学の内の聖書主義的な意味での保守主義、つまり聖書の記述を文章のまま受け入れようとする潮流が保守主義と呼ばれる。この意味での保守主義者たちは、聖書に基づいて、「人々はキリストの十字架による身代わりの贖罪によって救われる」という教理を強調するため、彼らは福音派(エヴァンジェリカル)、あるいは伝道派と自称しており、またそのように呼ばれることもある。アメリカ南部バプティスト派などがこの保守主義の最大勢力である。伝統的なプロテスタント諸派においても南部バプティスト派以外では福音派の立場をとる派は少ない。
自由主義神学の立場は、一つに、道はちがえども全ての宗教は人々を救いに至らしめるものであるという考え方に近く、二つに、思想的哲学的潮流に影響されやすく、そして三つに、神学的に聖書を尊重しない傾向がある。この立場は福音派には受け入れがたい。同派は、そのような立場を潔しとしないキリスト教徒の集まりである。一方、反福音派(反エバンジェリカルズ)である伝統的プロテスタント諸派は、福音派を聖書の文言にのみ拘泥しその趣旨を歪曲していると批判している。
ただし、神学的に保守主義であるからといって、政治的にも保守派でありタカ派であるとは限らない。核兵器使用賛成・反共・国粋主義に偏りがちなファンダメンタリストから一線を画し、核兵器使用と戦争に反対の立場をとっている保守派のキリスト教徒も多い。彼らは、キリストが十字架の死をもって伝えたかったことは何かということと、聖書の伝えたかった使信とは何かということにかんする追求に基づいて、「キリストの十字架のメッセージは、神と人との和解あるいは人と人との和解であり、平和主義である」との考えを持っていることから、そのような立場をとっている。また彼らは中絶には反対する。
カトリックの保守派はプロテスタントの保守派とは神学的に相容れないが、中絶に反対するのは同じである。
自由主義神学と福音主義の対比は、西方教会、そのうち主にプロテスタントに当てはまる分類であり、宗教改革や自由主義神学の興隆の歴史を有さない東方教会(正教会・東方諸教会)においてはこのような分類に当てはまる潮流が歴史上存在しておらず、神学的見解・奉神礼形式・社会問題に対する態度における「保守的」「革新的」の語も、西方教会とは異なった意味で用いられる。
神学、および教会と社会の関係を考察する領域において、西欧・西方教会における論理の枠組みの段階から根本的に疑問の対象とし、ここから距離を取ろうとする聖職者、神学者、哲学者が正教会には多く生み出されている。
神学的に保守的であるからといって政治的に保守的・タカ派的であるとは限らないのは西方教会でも同様であるが、アメリカのファンダメンタリストなどのように神学的見解と政治的姿勢が結び付いているような例は、東方教会では殆ど皆無である。
イラン革命後のイランのようなイスラム法社会では、保守主義とはウラマーなどの宗教的指導者による政治を支持する立場のことを指す。
社会主義国においては、計画経済などの社会主義の原則を重視し市場経済的要素の導入に反対する立場が保守派と呼ばれる。中華人民共和国の陳雲やソビエト連邦のエゴール・リガチョフなどが代表的存在。
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