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カワラバト | ||||||||||||||||||||||||
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カワラバト
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保全状況評価[1] | ||||||||||||||||||||||||
LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Columba livia Gmelin, 1789[2] | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
カワラバト(河原鳩)、ドバト(土鳩) | ||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||
Rock Dove / Rock Pigeon |
カワラバト(河原鳩、学名:Columba livia)は、ハト目ハト科カワラバト属に属する鳥類の一種である。本来ヨーロッパ、中央アジア、北アフリカなどの乾燥地帯に生息する鳥だったが、人に馴れやすいため家禽化され、食用や伝令用として利用されたほか、愛玩用の品種も多数作られた。日本にいつ渡来したかは定かではないが、一説には飛鳥時代、残存する記録では平安時代に「いへばと(鴿)」の語が見られ、「やまばと(鳩)」とは区別されていた。従って、今から1000年以上前に、すでに身近に存在していたものと考えられる。室町時代から「たうばと(塔鳩)」、これに加え、安土桃山時代には「だうばと(堂鳩)」と呼ばれ始めている。「ドバト(土鳩)」いう語が登場するのは、江戸時代である。カワラバトは学術的には日本の在来種(元来から生息していたネイティブな野鳥)ではない。このため、日本語のカワラバト・家鳩・塔鳩・堂鳩・ドバトという言葉の間の線引きは曖昧であり[3]、歴史的に様々な呼び方がされて来たものの、学術的には同じ種である。よって、本項では原則として「カワラバト」と記す。
カワラバトは日本ではかつて狩猟対象だったが、伝書鳩を撃ってしまう危険性がある等の理由から、本種はその対象から外された経緯がある(飼鳥を射殺すると動物愛護法に触れる)。なお、日本でカワラバトの次によく見かけるキジバトは現在でも狩猟対象である。
北海道を含む日本全土で普通に見ることができる。特に都市部を中心に非常に多く見られる鳥で、その数は増え続けている。[要出典]日本以外ではユーラシア大陸、ヨーロッパを中心に留鳥として世界的に広く分布する。長らく人間と関わってきた本種は、人間にとても密接した鳥で、工業地面積が増えると出現率は上がり、森林面積が増えると低下することがわかっている。[要出典]
全長は30 - 35 cm。首は短く胸が俗に言う鳩胸のごとく盛り上がっている。「クックー」「ゴロッポ、ゴロッポ」「ウーウー」等鳴く。主翼10枚副翼10枚尾翼12枚が基本。換羽期[4]は六~十月で、主翼と尾翼は全て、副翼は毎年一枚が翼端へ向かって、一枚ずつ順番に抜け替わる。このため、年齢は副翼を見ると推定できる。羽色は栗・栗ゴマ・灰・灰ゴマ・黒・黒ゴマ・白・白黒・モザイク・グリズル・バイオレット・ブラチナ・赤・緑・黄色・橙…他実に多彩である。右の絵のような栗二引きと呼ばれる色彩パターンがカワラバトの祖先の一般的な羽装であると考えられている[5]。一方、キジバトは羽のウロコ模様が特徴的であり、本種との識別は容易である。
基本的に草食性であるが、昆虫なども食べることがある。[独自研究?] 種子・穀物・果実・漿果(しょうか)等植物性のものが主食である。
通常2個の固着性の[独自研究?]卵を産む。孵化までは16 - 20日で、育雛期間は30 - 40日程度。他の鳩類と同じく親鳥は蛋白質に富んだピジョンミルクと呼ばれるミルク状の乳を口移しに雛に与える。親鳥は育雛をしている最中に次の産卵をすることもあり、時に育雛と抱卵を同時期に行う。このため年間5、6回の繁殖が可能である。この繁殖能力の高さと、天敵である猛禽類の減少が個体数増加の原因となっていたが、近年ではワシントン条約による絶滅危惧種として厚く保護された猛禽類が、カラスほどではないにせよ都市部でも目撃されており、カワラバトを含め野鳥を捕食することが報告されている。この淘汰圧力が都心の鳩の黒化現象の原因ではないかと述べる関係者もいる。因果関係が完全に証明された訳ではないが、猛禽類は黒いカラスを襲わないため、カワラバトも黒い個体が多く生き残った結果だという。野生種のカワラバトは本来、岸壁の割れ目などの高い場所に営巣していた鳥なのでその習性から市街地においてはマンション等の人工建造物が営巣場所となることもあり、糞害が問題になっている。
カワラバトは日本では増加をたどる鳥である。いくつかの理由がある。
歴史的建造物の汚損などが深刻な問題になることがある。尿(糞の白い部分)は、金属の腐食を促進させる作用がある。またカビの一種であるクリプトコッカス・ネオホルマンスが堆積した糞の中で繁殖し、HIV感染者や臓器移植手術のため免疫抑制剤の投与によって免疫力の落ちた人間が吸い込むとクリプトコッカス症にかかる症例が報告されている[9]。そのほかダニなどがいることがあり、人間も被害を受けることがある。さらに、港湾や田畑の食害、工業生産施設における糞が問題になることがある。また、公園、駅、商業施設などで糞による苦情が寄せられることがある。こうした場所では注意書きを掲示したり、後述するような防止策がとられるが、被害を完全に食い止めるには至っていない。
一番効果的な方法は物理的にカワラバトを遮断することである。
なおカワラバトは餌が豊富だと個体数が増加するため、餌やりを制限することによりカワラバトの個体数を抑制しようという動きが各地で見られ、いくつかの自治体では条例による餌やりの規制を目指す動きもある。広島市では餌やりの自粛を呼びかけることにより、個体数を最盛期の5分の1にまで減少させることに成功している。
その一方で農薬入りの餌を与えられたと疑われる50羽近いカワラバトの大量死事件が2006年4月に東京都世田谷区の芦花公園で発生し、鳥獣保護法違反の疑いで警視庁成城署が犯人を捜査中と報じられている。
なお糞害に対する研究を行った金沢大学の廣瀬幸雄教授が2003年にこの研究結果に対しイグ・ノーベル賞を受賞した。砒素を含む金属合金には、カワラバトが群れないという。
カワラバトは体内時計や太陽コンパス・目の瞬膜の偏光作用などを使って、方向判定と位置測定を行っていると考えられている。 この他に地磁気を鋭敏に感知できる生体磁石の能力も持っているといわれており、研究対象になっている。 カワラバトから長年にわたり品種改良された伝書鳩を使って行われる鳩レースの成績は分速や帰還率であるが、天候ばかりでなく、太陽風や黒点活動、磁気嵐の影響を受けることがある。また、携帯電話の普及等による 電磁波の影響との因果関係も囁かれている。
訓練されたカワラバトは、初めて見る絵の上手い下手を判別したり、クラシック音楽と現代音楽を聞き分けることでも知られている。 このため認知科学の実験に応用されることがある。
鳥類には嗅覚が殆どない、又は、あっても重要性は低いと1950年代頃までずっと考えられてきた。しかし、近年、さまざまな科学的実験によって、通説は覆りつつある。中でもカワラバトの場合、地磁気と視覚と嗅覚が複合的に神経連動されている点がクローズアップされている。カワラバトは、上記の磁気データにあわせ視覚的データ、そして、嗅覚のデータを脳で統合し、あたかもひとつの感覚として感じとり、飛行した地形図として記憶している可能性が高いことが明らかになりつつある。
人間は経験や科学技術によって、天体観測・時計・羅針盤・地図といった手段を獲得した後、大航海時代を経て飛行機を発明し、有視界飛行から計器飛行や自動操縦を発達させた。そのはるか以前より、カワラバトは上記の手段を生体の能力として備えており、ピンポイントで長距離飛行が可能だった。
カワラバトは上述のような特殊能力を持つため、通信手段として先史時代から家禽化されてきたと考えられる。史実や伝承では、紀元前3000年頃のエジプトでも伝書鳩を利用していた記録が残っている。紀元前3000年~紀元前2300年頃起きたとされるノアの箱舟の大洪水の際にも、状況を確認するためにノアは鳩を放っている。そして、鳩がオリーブの葉をくわえて帰ったきたことによって、洪水が引きはじめ陸地が回復しつつあることを知る。以降、鳩とオリーブの組み合わせは「平和」や「祝福」を象徴するようになる。
また、その特殊能力から軍用としても盛んに用いられてきた。イギリス軍は第一次世界大戦で約10万羽、第二次世界大戦に至っては50万羽以上もの軍用鳩を用いた。傍受される恐れのない通信手段として獅子奮迅の活躍で戦闘で大火傷を負いながらも友軍に辿り着き、勲章を授けられたものさえ存在した。フランスなどではいまだ僅かながら配備されている。[要出典]
日本では主に愛玩動物として飼育されていたと考えられるが[独自研究?]、カワラバトが渡来したのは今から1500年程前(飛鳥時代)であったと考えられる。カワラバトは古来より八百万神のお使い神と神社で尊ばれ、殺生はご法度、同じく仏閣でも古から魚・鳥等を野に放すことである放生会やエサやりが生類を哀れむ功徳とされ、その対象として長年保護され親しまれてきた。「鳩に三枝の礼あり(仔鳩が親の恩を感じ三つ下の枝に止まる故事より、礼儀を重んじることの重要性)」「鳩に豆鉄砲=鳩が豆鉄砲を食ったよう(突然の出来事に呆気にとられる様子)」「鳩を憎み豆を作らぬ(些細なことに拘って肝心なことが疎かになる愚かしさや弊害)」等、昔からの諺でもご存知のとおりお馴染みである。
江戸時代、1783年(天明3年)に大阪の相場師・相模屋又市が投機目的のため米相場の情報伝達にカワラバトを利用したとされ、処罰されたという記録が残っている。また、ほぼ同時期の本[10]にカワラバトの帰巣性について「鴿は主人の家を能覚へ居者ゆへ遠方に行くといへとも放つときは必其家に還る」(いえばとは主人の家をよく覚えているもので、遠方に連れて行っても放されると必ずその家に帰還する)の記述が見られる。
幕末に神奈川に滞在したアメリカの宣教師マーガレット・バラは著書「古き日本の瞥見」の中で、1862年の手紙に神奈川の寺にはカワラバトが多く住んでおり、寺の外だけでなく寺の中にまで住んでいることを記載している。さらにカワラバトに与えるための餌を紙袋に入れて売る売店があることも記載している。このことから、江戸時代には既に庶民がハトに餌をやる慣習があったことがわかる。
明治時代以降、カワラバトから長年にわたって品種改良された伝書鳩が欧米より輸入され[11]、新聞社などで利用された。また軍部でも日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦から本格的に伝書鳩の研究を開始し、第二次世界大戦では多くの伝書鳩が使われた。
戦後の復興期には、伝書鳩を使った鳩レースを行うための協会が設立された。
高度成長時代には伝書鳩の飼育が若年層を中心としてブームとなった。
1964年に開催された前東京オリンピックの開会式では、セレモニーの一部として伝書鳩達の空に舞い上がる姿が華々しくカラーテレビ中継された。この放鳩行事への参加は、協会の会員は誰でも可能だったこともあり、日頃から手塩にかけ育て上げたご自慢の愛鳩を会員に託す少年少女や若者も多かった。だが、前日に台風が急接近したため前途が危ぶまれた。明けて10月10日当日「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます!」とアナウンサー[12]に言わしめるほどの快晴に転じた。会員達の託した8000余羽の愛鳩たちは、国立競技場から竜巻のように一斉に舞い上がった。上空で何周か美しい八文字旋回を描いた後[13]、各々の鳩舎を目指して、元気に飼い主の元へと散って行った。この模様は、前年開通した衛星中継により世界中に配信された。大成功だ![独自研究?]カワラバトが前東京オリンピックの開会式に世界平和のシンボルとして花を添えた瞬間である。1969年にピークを迎える飼鳩ブームの火付け役となった出来事と伝えられている。
しかし、1970年代も後半になるとブームは収束し、伝書鳩の飼育数は減少に転じた。以降、漸減傾向が続いている。
カワラバトはその他にも、海難犠牲者を発見させる訓練などが行われている。
雛
色変わり
交尾
水浴び
羽繕い
飛翔中(横)
飛翔中(下面)
飛翔中(上面)
[ヘルプ] |
ウィキスピーシーズにカワラバトに関する情報があります。 |
ウィキメディア・コモンズには、カワラバトに関連するメディアおよびカテゴリがあります。 |
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リンク元 | 「Columba livia」「ハト」「ハト目」「ハト科」 |
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