出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/10/29 10:21:11」(JST)
チトラル チェトラル |
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چترال | |
チトラルのアタリク市場 | |
チトラル
位置図 |
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座標: 北緯35度53分 東経71度48分 / 北緯35.883度 東経71.800度 / 35.883; 71.800 | |
国 | パキスタン |
州 | 北西辺境州 |
自治体結成 | 1969年 |
面積 | |
- 計 | 14,850km2 (5,733.6mi2) |
標高 | 1,100m (3,609ft) |
人口 (2006年) | |
- 計 | 20,000人 |
等時帯 | パキスタン標準時(PST) (UTC+5) |
市外局番 | 0943 |
チトラル(ウルドゥー語: چترال、英: Chitral、地元のホワール語で「野原」の意)は、パキスタン、北西辺境州の都市。チェトラル(Chetrar)とも表記される。チトラル地区の中心地で、クナール川(英語版)(チトラル川)の西岸、ヒンドゥークシュ山脈の最高峰であるティリチミールの麓に位置する。人口は2万人(地区全体では30万人)。標高3800m。
チトラルへの最も容易なアクセスルートはアフガニスタンのジャラーラーバードからクナール渓谷(英語版)を通るルートである。このルートは一年中利用でき、カーブルへも直接アクセスできる。しかし、アフガニスタン=パキスタン国境(デュアランド・ライン)では通行が制限されている。この他には峠越えのルートがいくつかある。南には標高3200mのロワリ峠(英語版)があり、そこからペシャーワルまでは365kmある。北には標高3798mのブロゴル峠(英語版)がそびえ、夏季はアフガニスタンのワハーン回廊への主要ルートとなるが、冬季は閉ざされる。東には標高3719mのシャンドゥール峠(英語版)があり、そこからギルギットまで405kmほどの道のり。西には標高4300mのドラー峠(英語版)がある。希少種のハヤブサやユキヒョウの生息地でもある。一年の半分は雪の影響で孤立するが、その問題もロワリ・トンネル(英語版)の開通に伴い軽減される。全長8.6kmのこのトンネルは2009年から2010年の冬に仮開通し、2012年に全面開通する見通し。このトンネルにより、チトラルへの移動時間が短縮されるだけでなく、峠が雪に閉ざされる冬の間もアクセスが容易になる。
イスラム教が広まるまでは仏教が信仰されていた。現在でも仏教関連の遺物が発見されている[1]。さらに、アフガニスタン東端のクナール渓谷のチャガン・サレーにはヒンドゥー教の寺院遺跡が存在する[2]。チトラル以北のデュアランド・ライン最北部ではインド、中国、ロシア帝国の勢力が交わっていた。そのアフガニスタン側(当時カーフィリスターン(英語版)と呼ばれていた)に暮らす人々の大多数はイスラム教徒ではなかった。
1895年に指導者が謀殺され、権力継承を見守るためギルギットからイギリス軍が遣わされた(チトラル遠征(英語版))[3]。
1900年にアブドゥッラフマーン・ハーンによってイスラムに改宗を迫られ、その地方の名もヌーリスターンに改称された[4]。
ホウ族(英語版)(チトラル人)が多数を占める。現在、主にカラシュ渓谷(英語版)(Kaĺaśa Desh)に暮らすカラシュ族はチトラルから16kmほど行ったアユンの西の人里離れた3つの渓谷に暮らしている。
この地域ではダルド語群に属すホワール語(チトラリー語)と13の地方語が主に話されている。カラシュ族はカラシュ語(英語版)を話す。街ではウルドゥ語も通じ、パシュトー語もある程度話されている。
元々この地には多神教(Kalash religion)を信仰するカラシュ族が住んでいたが、後にホウ族に侵略された。イスラム文化が浸透しており、女の社会進出は進んでいない。女は街なかの通りを歩くのを忌むため、買い物も男や子どもが行く。
クリケットが人気のパキスタンにあってここではポロが人気で、サッカーもよくプレイされている[要出典]。年中スポーツの祭やトーナメントが開かれるが、なかでもシャンドゥール・ポロ・トーナメントは世界で最も高所で開かれるポロ大会である。トーナメントは1週間ほど続き、その間およそ1万5000人がシャンドゥールを訪れる[要出典]。
サッカー国内代表のムハンマド・ラソールなど、国を代表するスポーツ選手を何人か輩出している。多くのサッカークラブがある。
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リンク元 | 「クエン酸ナトリウム」 |
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