出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/02/26 14:53:05」(JST)
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セミクジラ | |||||||||||||||||||||||||||
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保全状況評価 | |||||||||||||||||||||||||||
ENDANGERED (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Eubalaena japonica (Lacépède, 1818) |
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
セミクジラ | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Pacific Northern Right Whale | |||||||||||||||||||||||||||
セミクジラの分布図
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セミクジラ(背美鯨、勢美鯨[1]、学名:Eubalaena japonica)はヒゲクジラ亜目 セミクジラ科 セミクジラ属に属するクジラの1種。温帯から亜寒帯の沿岸に生息する。日本哺乳類学会では絶滅危惧種に登録されている[2]。近縁種に、同じセミクジラ属のタイセイヨウセミクジラとミナミセミクジラ (学名:Eubalaena australis)、ホッキョククジラ属のホッキョククジラがいる。
目次
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体長13mから18m、体重約60から80t。頭部が大きく全長の4分の1ほどを占める。口は大きく湾曲し、最大2mを超す長大なクジラヒゲが生えている。腹部には、多くのヒゲクジラ類に存在する畝(腹を前後に走る皮膚の高まった線。シロナガスクジラ・ナガスクジラなどでは多く、ザトウクジラでは少ない)は見られない。背びれも無く、和名のセミクジラは背中の曲線の美しさに由来する「背美鯨」の意であり[3]、このクジラが長時間にわたって背部を海面上に出して遊泳し続ける性質があった事による。 世界で最も精巣が大きい動物で、片側約500kg、合わせて約1トンもある。
本種(ジャポニカ)は、3種存在するセミクジラの中でも最大の種類とされ、ロシアで 19.8m に達する個体が記録されている[4]。
分類上は他の2種と近縁だが、遺伝子分類学の研究では、タイセイヨウセミクジラよりミナミセミクジラとより近縁である事が分かっている。3種の形態上での差異はほとんど無いが、頭部隆起物(ケロシティ)の位置や量、付着生物の種類、体長および体色、頭骨の形状に差が見られる[要出典]。
北太平洋のセミクジラの学術的研究は歴史が浅く、厳密な回遊経路と越冬海域は全く判明していない。近年の日本では伊豆半島から小笠原諸島に至る海域や熊野灘、土佐湾周辺、奄美大島などではセミクジラが冬から初夏にかけて稀に確認されている。日本海側で過去50年内の確認は非常に少なく、ストランディングと捕獲記録も数件である。過去の記録からすると北西太平洋での南限は中国南部や台湾であり、東部北太平洋ではオレゴン州やカリフォルニア半島、ハワイ諸島などで近年の記録がある。
採餌場については、東部北太平洋では南東部ベーリング海(ブリストル湾)に集中が見られ、アラスカ湾のコディアック島周辺でも確認されている事から、これらの海域が東部のセミクジラの重要な生息域とされる。 西部北太平洋での集中域は沖合に集中しており、ベーリング海からカムチャッカ半島、千島列島やサハリン島などのオホーツク海周辺が西部個体群の採餌分布域であると推測されている。
科学的証拠が存在する唯一の南北の回遊例は、南東部ベーリング海からハワイ諸島にかけてである。
過去の捕鯨記録および現在の状況においても、本種が繁殖や出産、子育てを行った海域は一切判明していない。 北大西洋と南半球の種類は、冬~春期にかけて低緯度の温暖で波の静かな沿岸海域に集まる事が知られており、湾や半島、海岸沿い等の地形を好んで利用する。 また、自分が育った湾や海域に戻ってくるという習性も確認されている。
しかし本種に限っては、その生息数の少なさに起因している事もあるが、近年の沿岸での確認例が非常に稀な事、過去の捕鯨記録や化石上の発見でも冬~春期の発見が非常に少ない事、沿岸での発見・捕獲自体が少ない事、それに反して沖合での発見が非常に多い事などから、本種は他の2種よりも沖合性が強かった可能性が示唆されている[5]。なお、キタタイセイヨウセミクジラでも陸より63㎞もの沖合での出産が確認されたケースも存在する[6]。
大規模な商業捕鯨の時代[いつ?]には1万5000頭以上が捕獲され、商業捕鯨が行われる以前[いつ?]は数万頭が北太平洋に棲息した[7]。
日本の研究機関は、2000年時点の西部北太平洋域の生息頭は1,000頭弱程度と推定し[3]、また東京海洋大学は実数はこの頭数よりは多いと考えている[3]。しかしこの数値に関しては、他の科学者達によって総生息数を推定するために用いられた方法論に異議が唱えられており、実際の生息数はその半分に満たない可能性があるとの主張がある。[8]
本種は最も絶滅に瀕した大型鯨類の一つであり、生存している個体数は非常に少ないとされ、特に早くから乱獲された東太平洋(北米)側では目撃情報がある度に、それについて科学論文が書かれてきた程である[8][9]。
現在の生存数については諸説あり、100~200頭程度との推定もある[10]が、正確な測定がされたことはない。日本がオホーツク海における目視調査200頭以上400~500頭未満が一般的な推定生息数として[要出典][誰?]見積もられている。
また、2000年の東京海洋大学によると、東部海域には推定可能なデータが存在しない[3]とされているが、2013年現在、少なくともアラスカ州ブリストル湾沖に回遊する個体群は遺伝子型研究の結果から28頭が、写真による個体識別の結果から31頭が確認されており[11]、その他、コディアック島周辺など、東太平洋の他の海域に生息する個体群をも含めても、東太平洋全体で50頭に満たないと推測されている[12]。
本種は、現存する全ての大型鯨類の中でも最も絶滅危惧であるとされ、特に東太平洋では30頭前後、50頭以下しか生存していないのではと言われている。[13]
「捕鯨文化」、「鯨墓」、「鯨塚」、「えびす」、「クジラ」、「鯨肉」、「鯨油」、「鯨ひげ」、および「鯨骨」も参照
本種ジャポニカは19世紀までは日本の沿岸でもよくみられ、また「背美」と表されるように背中の曲線が美しかったことから、古くから絵画の題材に取り上げられている[14]。弥生時代には日本では鯨を利用し、中世のころより鯨漁があった。漁には網を用いた。日本では仏教の教えにより鯨の命を取ること(殺生)を忌み嫌うため、漁師たちは鯨が絶命する際に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、また、その命を奪ったことを秘したり、各地で鯨の供養を行い、その供養塔が建立されている[15][14]。江戸時代までの日本では、鯨漁は数人乗りの手漕ぎの船で船団を形成し、沿岸でのみ操業していた[15]。鯨漁は命がけの作業であり、漁夫の命の危険性を、「網を十分に被ざる鯨はいと狂廻りて、尾鰭に浪を打激、若船に触れば船微塵に砕く」(『勇魚取絵詞』)と表現し[16]、死者が幾人も出ている。鯨漁も港でのその解体も何十人もの人手が必要な作業であった[14]。
セミクジラをはじめとするセミクジラ科のクジラは肥えた体形で動きが遅く、沿岸部に接近する事が多い上に好奇心も強く、脂肪分が多く死んでも沈まないなどの理由から捕獲が容易であり、他方、鯨油や鯨肉の採取効率に優れ、工芸材料として便利な長い鯨ひげを有しているなど利用価値が高かったことから、古くから世界各地で捕鯨の対象とされてきた。
長大で柔軟性のあるクジラヒゲには特徴的な用途が見られる。日本では文楽人形の仕掛けなどに用いられ、西洋ではコルセットや傘などの素材に使用された[要出典]。日本では、ジャポニカ種に限らずクジラの肉を「赤身」といって多くが食用に回され、残りの部位は工芸品や鯨油として利用された[17]。一方、西洋では鯨油が主な利用目的で、遠く日本近海まで進出してきた列強諸国の捕鯨船は、船内で鯨油を絞る工夫をし「海の油工場」でもあった[18]。アメリカでの統計では、セミクジラ種の油はマッコウクジラ種を超えて一番消費された[19]。セミクジラ種は他種よりも一頭あたりの油の割合が高かったためによる[19]。
1878年暮れ、太地(和歌山県)で鯨を捕って生計を立てていた漁師たちが、その時に紀州を襲った猛烈な嵐により、100名以上が遭難し死亡した記録が残っている[18]。背景は、西洋列強がクジラを捕りすぎたために沿岸の漁業しかできない太地ではクジラが取れなくなり漁師が困窮し、たまたま発見したセミクジラを荒れた海の中でさえ、捕りに行ったためである[18]。
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「捕鯨」、「捕鯨船」、「日本の捕鯨」、「ノルウェーの捕鯨」、および「捕鯨問題」も参照
英名の Right Whale の Right は「(漁に)都合がよい」という意味の「よい」である[20]。日本の近海では、中世から19世紀前半までの日本人は手漕ぎの和船により沿岸で捕獲していたが、19世紀になると欧米諸国の大型捕鯨船が、北大西洋のタイセイヨウセミクジラと同様に北太平洋でもクジラを取りつくしたため、20世紀初頭にはすでに絶滅寸前の状態だった[21]。北太平洋では1960年代まで細々と捕獲されたが、今は完全に停止された。
日本の沿岸では古くから古式捕鯨の対象として重要視され、和歌山県の太地では親子連れのクジラを捕らないという慣習があり、水産資源の確保を行っていた[18]。しかし、日本の開国前の19世紀から、米国捕鯨団等の西洋型捕鯨が日本近海へ進出し本種の大量捕獲を行ったため、日本の漁獲高が著しく減少し[3][22]、壱岐などの一部地域では沿岸にクジラが来なくなり鯨漁師がいなくなった。一方、外国捕鯨の介入以前の沿岸捕鯨の段階で、沿岸の個体群には減少が見られた可能性も指摘されている。[5]
19世紀までに欧米列強の鯨漁師が本種を取りすぎたため、本種の捕獲停止は1930年代に独自に決議されたが、日本を含む数か国は会議に欠席しており、実効性は無かった。本種が希少種となったのは、1960年代前後に行われた、当時のソビエト連邦による、大規模で無差別的な違法捕鯨である。この捕鯨により、世界中の海洋での大型種は激減と生息数回復の停滞を招き、シロナガスクジラ等の一部個体群を消滅、または回復不能にまで追い込むほどであった。ソ連が違法捕鯨で捕獲したジャポニカ(本種)は、判明している限りでも700頭弱に上った。 ソ連では鯨油を軍事目的に利用していたため軍事機密であり、当時の連邦の科学者達は監視され、一切の捕獲記録を強制的に破棄され、国際捕鯨委員会には実際の捕獲数よりも遥かに少ない数を報告していたとされる。これらの情報は、連邦崩壊後の2012年に、当時の連邦の科学者達が資料を公開した事で判明した。日本も調査捕鯨および商業捕鯨を継続しており、調査捕鯨用に認められた捕獲枠十数頭を含む、数十頭を捕獲した。[23]
日本ではセミクジラは漁業法の下で、商業捕鯨による捕獲が禁止されている[24]。日本では、座礁・漂着、混獲については水産庁の許可があればクジラが利用可だが[24]、日本の水産庁は日本の食文化よりも日本国内外の世論を鑑み[24]、生体は放流し、死骸は埋設することを指導している[24]。
近年、ホッキョククジラと本種のハイブリッドが発見されたことで、新たなる脅威が危惧されている[25]。温暖化で北極の氷が溶け、かつては流氷などにより遮断されていた他種との分布が重なり始め、交配が発生することである。 危惧されているのは、ホッキョククジラやタイセイヨウセミクジラとの交配である。両種とも絶滅危惧ではあるが、太平洋のセミクジラよりは個体数が多いので、交配が度重なりハイブリッドの個体数が増えると、最終的にはセミクジラを圧迫し、「種」としての絶滅を助長してしまいかねない。タイセイヨウセミクジラとは、互いに違う大洋に生息するが、北極の氷が溶けると互いの大洋への行き来が可能となる。
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