出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/06/07 15:08:23」(JST)
エスカレーター(英: Escalator)は、主として人が建物の各階を移動する目的で設置・利用される階段状の輸送機器である。
"Escalator"という語は元々、アメリカ合衆国の企業オーチス・エレベーター社(Otis Elevator Company)の登録商標で、商品名である。しかし、当時この自動式階段を表す適当な語句が他に無く、一般に「エスカレーター」と呼ばれたため、普通名称化した経緯がある。オーチス・エレベーター社では既に商標権を放棄している。(後述の#商標権の喪失参照)
“escalator”という名称の由来については、様々な歴史家や著作家がそれぞれ独自の見解を表明しており、それらに基づいた誤解がインターネット上に蔓延している[1]。
アメリカの発明家チャールズ・シーバーガー (Charles Seeberger) は、パリ万博への出展にあわせて1900年に "escalator" を商標とした。シーバーガー自身の説明によると、1895年に法律家に発明に名前を付けることを助言され、この名前を考案したとされている。オーチス・エレベータ・カンパニーが保管していたシーバーガーの手稿によれば、彼はラテン語辞書を使って語幹に scala という語(後述)を採用し、接頭辞として e を、接尾辞として tor を加え escalator としたことがわかる[2]。シーバーガー本人の大まかな解釈は「-から上に移動するための手段」であり、「カ」の部分にアクセントをつけて発音することを本人が強く望んでいた[3](ラテン語の scala は ca の a が長母音で、そこがアクセントとなるため)。
したがってエスカレーターという名称はフランス語やギリシア語に由来しない[要出典]し、エレベーターから派生した語でもない。ラテン語で読めばエスカラトル、「上に上げるもの、送るもの」の意味となる。なお、その語源となったラテン語の女性名詞 scala は、同じくラテン語の動詞 scando(よじ登る、乗る)からの派生語であり、物事の起きた回数を示す「度目」、あるいは物事の進む段階としての「階梯」を意味し、直接的には「階段」という意味ではなく、複数形 scalae で用いられるときに「階段」あるいは「はしご」の意味をもつ[4][5]。
動詞の "escalate" は1922年に登場した新語で「エスカレーターを使って上に登る」または「エスカレーターで移動する」という意味だった。そこから「徐々に増大または発展する、特に局地戦から核戦争に発展すること」を意味するようになった。後者の意味が最初に印刷物に記載されたのは1959年のマンチェスター・ガーディアン紙だが、その意味でこの語がよく使われるようになったのは1960年代後半から1970年代前半のことである[6]。
また、 "escalate" はエスカレーターとともに日本にも導入され、「エスカレートする」は日本語のカタカナ言葉として一般化した。
1950年の Haughton Elevator Co. とシーバーガーの間の商標問題をきっかけとして、オーチスは "escalator" という語を独占的に使えなくなり、商標の保持に関心のある会社や個人にとっては貴重な警告となった[7]。この裁定において、「'escalator' という語が特定の製品ではなくエスカレーター全般を指す名詞として一般に認識されてきた期間」が問題とされ、オーチス社自身が同社の特許文書や広告でその語を普通名詞のように使っていたことが指摘された[8]。その結果、"escalator" という語の商標権が放棄されることになった。
外観は階段に酷似し、自動で昇降する階段状の踏み面(ステップ)とステップと連動して動くベルト状の手すりを特徴とする。
機構の露出部分の多さから建物のインテリアに大きな影響を与えるので、意匠に工夫を凝らしたものが多い。らせん状のスパイラルエスカレーター(三菱電機製のみ、写真参照)や、途中で水平部分をもつエスカレーターも登場している。また、乗り降りを容易にするため、乗降口に水平部分を持たせた(踊場のある)エスカレーターも出回っている。最近では操作を行うことで複数のステップが水平部分を構築し、車椅子を乗せられるものもある。
規格としては、横幅(欄干有効幅)120センチメートルであるが、変速装置を取り付けることで、毎分20メートルから40メートルまで調節できる。
横幅はステップ幅、欄干有効幅、全体幅があり、800型、1200型等の規格は欄干有効幅で決まる。
ステップ幅 | 欄干有効幅 | 全体幅 | 備考 |
---|---|---|---|
604ミリメートル | 800ミリメートル | 1,150ミリメートル | 標準800型、全メーカーで生産 |
802ミリメートル | 910ミリメートル | 1,150ミリメートル | 数字は日立製作所製、日立、フジテックで生産 |
1,004ミリメートル | 1,200ミリメートル | 1,330ミリメートル | 数字は日立製、三菱、日立、東芝で生産 |
1,004ミリメートル | 1,200ミリメートル | 1,550ミリメートル | 標準1200型、全メーカーで生産 |
1,095ミリメートル | 1,300ミリメートル | 1,550ミリメートル | 日立で生産 |
機構的にエレベーターに比べ省エネルギーである。近年ではさらに進んで赤外線センサによって人の接近を検知し、利用時のみ稼働するものも増えている。特に郊外の鉄道駅に多い。完全に停止させてしまうと、上りと下りの判別が付きにくくなってしまうため利用者がいない間は低速で運転し、利用者が来ると通常速度に切り替えるものも存在する。
木製のエスカレーターも存在し、欧米の古い建築物で見ることができる。しかし、老朽化や火災の原因となることもあり、減少傾向にある。特に1987年、ロンドンのキングス・クロス・セント・パンクラス駅の火災(キングス・クロス火災)は大災害となったことで知られている。
エスカレーターはステップとステップの間に隙間があり、まれに乗っている人の衣類などを挟むことがあるため、衝撃を感知すると緊急停止する安全装置が設置されている。しかし、後述のような設計上の想定外の利用が後をたたないため、この装置が誤作動を起こすことが増えている。そこでJR東日本では2009年から2015年度までに、エスカレーターを駆け下ることなどで生じる瞬間的な振動で緊急停止しないようにエスカレーターを改良し、安全装置がむやみに作動しないようにして誤作動を8割減らすようにするという[9]。
エスカレーター事故は機械の故障で起きることもあるが、多くの場合は乗客が安全に注意していれば事故には発展しない。[10]。以下によくある事故の形態を挙げる。
東京消防庁の調査ではエスカレーター事故の95%以上を占める。[11]乗降口でうまく移動できずにつまずいたり、体勢を変える際にバランスを崩すなどの原因が多い。多くは重大事故に至らないが、後列の利用者を巻き込んで転倒した場合は、大きな怪我をさせることもあり、2014年11月28日に茅ヶ崎市で、他の者の転倒に巻き込まれて1人が死亡する事故が起きている。
また、混雑時に機械の急停止や逆回転が起こった場合は将棋倒しなどの群集事故を引き起こすこともある。
中国では過積載による逆回転で、2010年12月14日に国貿駅 (深セン市)で25人が負傷、2011年7月5日動物園駅 (北京市)で1人が死亡し30人が負傷する事故が起きている。
エスカレーターに乗っている際に、手すりに寄りかかったり座ったりした場合バランスを崩して転落することがある。下層階の転落は負傷の原因となるが、ショッピングセンターなどの大型施設では吹き抜け部分にエスカレーターを設置することが一般的となっているため、高層階からの墜落により死亡事故に至るケースも絶えない。
2008年9月13日、ノルウェーのリュングダールで11歳の少年がエスカレーターから転落して死亡した[12]。2009年4月20日、スウェーデンのファールンで十代の少年がエスカレーターから転落して頭部に重傷を負い、間もなく死亡した[13]。2009年6月26日、スウェーデンのヘルシンボリで成人男性がエスカレーターから転落して死亡した[14]。以上3件はいずれも手摺に乗ったことが転落の原因である。
日本においても、2004年6月28日に西宮市で4階から転落、2010年1月30日には横浜市で4階から転落により死亡事故が発生している。
エスカレーターは天井や梁などの構造物の横を通過するため、手すりの外に身を乗り出していた場合、手すりと構造物の間に身体が挟まれ、負傷の原因となることがある。生命に係る重大事故となりやすいため、防止のための法的規制も講じられており、日本の建築基準法令においては[15]、エスカレーターと天井と交差する部分に保護板を設置することが義務付けられている。
2002年6月15日、メリーランド州コロンビアのJ.C.ペニーで、同従業員(24歳)がエスカレーターで1階から2階に上がろうとした際、天井とエスカレーターの間に首を挟まれ死亡した[16]。
日本においても2007年10月16日に平塚市で、天井と手すりに頭を挟まれた児童が重傷を負っている[17]。
また珍しい例としては、2011年12月21日に川崎市でエスカレーター脇に捨てられたゴミと手すりの間に手が挟まり、手指が切断される事故が起きている。[18]。2013年4月24日には秋葉原駅において、手すり下部のレールが利用者の荷物の接触で変型し、手すりとレールの間に指を挟まれる事故が起きた[19]。
動作しているエスカレーターのいずれかの部分に衣服などが挟まった場合、そのまま身体が巻き込まれる場合がある。昇降口の通路との接続部分や踏板側面の隙間に巻き込まれる場合が多いが、時にはステップの櫛板に引っかかってしまう場合もある。防止のための法的規制も講じられており、日本の建築基準法令においては建築基準法施行令において、巻き込みが起こった場合の自動停止装置の設置が義務づけられている。インドでは女性の着るサリーの裾が巻き込まれる危険があるため「サリーガード」と呼ばれる器具が設置されている[20]。
2004年12月31日、台北市の市政府駅では女性の頭髪がエスカレーターに巻き込まれ、頭に20針の大怪我を負った[21]。2005年2月21日、エルサルバドル人の寿司職人 Francisco Portillo は、ボストン地下鉄のエスカレーターにシャツが巻き込まれ、首が締め付けられて死亡した。申し立てによると彼はそのとき酔っ払っていた[22]。
日本においては2005年から2010年ごろに流行したクロックスがエスカレーターに巻き込まれる事例が急増し負傷者が続出したことがあった。
1982年2月17日、モスクワ地下鉄のエスカレーターが崩壊し、8名が死亡、30名以上が負傷した。後に不正に設定されたサービスブレーキが原因として非難された[23]。
1987年、キングス・クロス・セント・パンクラス駅で、古いエスカレーターの機械部分から発火し、切符売り場のホールで爆発が起きて31名が死亡した(キングス・クロス火災)。この火災は、エスカレーターの保守点検を正しく厳密に行う必要性と、ほうっておくと機械にはホコリが溜まる性質があることを改めて明らかにした[24]。駅が公共機関(ロンドン地下鉄)のものであること、かなりの死傷者が出たことから、この事故には多数の非難と抗議が集中し、被害者およびその家族から全ての木製エスカレーターの撤去を要求する声があがった。公式の調査報告によれば、火災はくすぶりながらしばらくの間気づかれずに徐々に進行し、トレンチ効果と呼ばれる現象によって切符売り場ホールで爆発することになったと結論付けられた。火災の根本原因はタバコの火の不始末だった[25]。エスカレーターの機械室には約8800キログラムものデトリタスがあり、これが導火線の役割を果たし、ベニヤ板、紙やプラスチック製の広告、塗料の溶剤、ホールの合板などに引火し、さらにメラミン粒子が空気中に拡散したために爆発へと発展した[26]。この火災の結果、ロンドン地下鉄ではグリーンフォード駅のものを除いて全ての木製エスカレーターを撤去した。また、各駅の地下部分は完全禁煙とされ、その後全駅が完全禁煙となった。
エスカレーターは防火上は竪穴区画であり、スプリンクラーや防火シャッターを設置したり、防火壁で囲むなどする対策が施される。過熱の危険を防ぐため、電動機や機械部分が設置されたスペースには換気機構が必要となる。
日本においては、このような重大事故は起こらないと思われていたが、2011年3月11日仙台市、同年4月7日郡山市の商業施設で地震によりエスカレーターが下層階に崩落し、人的被害こそなかったものの業界を震撼させた[要出典]。
2008年(平成20年)8月3日、東京国際展示場西展示棟で行われたワンダーフェスティバルで、上りエスカレーターが逆回転し、約50人が転倒、10人が負傷する事故が起きた。その後、集客力の大きいイベントではエスカレーターの利用を制限する動きが見られるようになった。事故当初は混雑により1枚の踏板に3~4名が載る過積載の状態であったことが主因として疑われていたが、事故調査の結果、モーターを固定するボルトの緩みやブレーキの制動力不足など、設備の施工不良に起因する事故であることが公表されている[27][28]。
2014年10月には、夕方のラッシュアワーで混雑する南海難波駅の3Fの改札外とショッピングモールのある1Fとをつなぐエスカレーターから出火する事故が起きている[29]。
1930年代にも、エスカレーターが原因で子供が負傷したとして百貨店が訴えられる事件が発生している[30]。このような訴訟は多くが却下されている。また近年ではエスカレーターの安全に関する規制が強化されてきたため、訴訟そのものも減っている。
乗客の安全を強化するため、最近のエスカレーターにはいくつかの安全強化策が施されている。次に挙げたのは ASME A17.1 で規格化されている安全対策である。
エスカレーターの特許を最初に出願したのはマサチューセッツ州ソーガスのネイサン・エイムズで、1859年のことである。ただし、その設計に基づいて実動するエスカレーターが製作されたことはない。"revolving stairs"(回転階段)と名付けたその発明は思索的なもので、特許明細にはどういう材料で製造するかも書かれておらず、用途も明確でなかった(木材や布張りでも製作可能であること、住居内で足腰が不自由な人の補助として使えるかもしれないということは記してある)。その機構の動力源としては、人力や水力を示唆していた[31]。
1889年、レモン・ソウダー (Leamon Souder) がエスカレーター式の "stairway" と名付けた機器の特許を取得した。一連の段とリンクで構成された機器だが、実物が製作されることはなかった[32]。ソウダーは全部で4種類の形状のエスカレーターについて特許を取得しており、うち2件は螺旋階段状のエスカレーターについてのものだった(米国特許番号 723,325 と 792,623)。
1892年、ジェシー・W・リノが "Endless Conveyor or Elevator"(無限コンベヤまたはエレベーター)と題した特許を取得した[33]。その数ヵ月後、ジョージ・A・ホイーラーがさらにエスカレーターらしいアイデアの特許を取得したが、これは製作されなかった[34]。ホイーラーの特許を買い取ったのがチャールズ・シーバーガーである。シーバーガーはホイーラーの設計からいくつかの特徴を取り入れ、オーチス・エレベータ・カンパニーで1899年に試作品を製作した。
リノは世界初の実動するエスカレーターを製作し(彼自身はこれを "inclined elevator"すなわち「傾斜エレベーター」と呼んでいた)、1896年にニューヨークのコニーアイランドにあった Old Iron Pier に設置した[35]。この機器は傾斜したベルトの表面に鋳鉄製の羽根板またはクリート (cleat) が並んでいて、それを牽引に使うという簡単な構造であり、25度の傾斜だった。数カ月後、同型の試作品が数カ月の試用期間を経てブルックリン橋のマンハッタン側に設置された(リノはオーチス・エレベータ・カンパニーに入社し、彼の特許を全て同社に売却後退職)。リノの設計形式のエスカレーターはBig Dig プロジェクト(1991~2006)により撤去されるまでボストン地下鉄で使われていた。スミソニアン博物館はリノの設計形式の1914年製のエスカレーターをアメリカの歴史的遺物として再組み立てを検討したが、「ノスタルジア以上に運送と組み立てのコストが膨大になる」という理由で実施されなかった。[36]。
1895年5月ごろ、チャールズ・シーバーガーは1892年にホイーラーが特許を取得したものとよく似たエスカレーターの設計を開始した。この機器は平らな動く階段であり、ある重要な細部が今日のエスカレーターと異なっているだけだった。それは、各段の表面が滑らかで現在のエスカレーターのように櫛状の凹凸がなく、先端部分で乗客の足を安全に送り出す機構がなかった点である。そのため、乗客は横にひょいと跳んで降りる必要があった。それを容易にするため、エスカレーターの先端は手摺が途切れても(小型の動く歩道のように)水平にしばらく続き、それから三角に中央が突き出た "divider" と呼ばれる部分に飲み込まれる形になっていた。シーバーガーは1899年にオーチス・エレベータ・カンパニーと手を組み、フランスのパリ万国博覧会(1900年)に出展し、1等賞を勝ち取った。パリ万博にはリノの傾斜エレベーターも出展された。他に James M. Dodge と Link Belt Machinery Co. や、フランスの Hallé と Piat という2社もエスカレーターを出展した。
Piat社は1898年11月16日、段のないエスカレーターをハロッズのナイツブリッジ店に設置したが、同社は百貨店側に特許権を引き渡してしまった。Bill Lancaster の The Department Store: a Social History によれば、「(初めてエスカレーターを)体験した客はそれによってへたり込み、店員が配った気付け薬とコニャックでやっと元気を取り戻した」という[37]。このハロッズのエスカレーターは「224個の部品から成る」連続な皮革製ベルトであり、「強く連結されていて、上へと動いていく」もので、イングランド初の「動く階段」だった[38]。
ヨーロッパでは他にHocquardt社が1906年に Fahrtreppe(ドイツ語でエスカレーターの意)の特許権を得ている。Hallé社はパリ万博後もエスカレーターの販売を続けていたが、最終的に大企業に押しのけられる形となった。
20世紀前半、いくつかの企業がエスカレーター製品を開発製造したが、販売に際しては商標権を持つオーチス以外はエスカレーターという名称を使えなかった。ニューヨークを拠点とするPeelle社は Motorstair、ウェスティングハウスは Electric Stairway、トレドを拠点とする Haughton Elevator 社は Moving Stairs と称した。
コネ社とシンドラー社がエスカレーター市場に参入したのはオーチスから遅れること数十年だったが、徐々にシェアを伸ばしていった。現在では、この2社と三菱電機がオーチスの主なライバルとなっている。
シンドラー社はエスカレーター市場では世界第1位、エレベーター市場でも世界第2位となっているが、同社がエスカレーター市場に参入したのは1936年のことである[39]。1979年、シンドラーは Haughton Elevator を買収することでアメリカ合衆国に進出した。その9年後にはウェスティングハウスの北米のエスカレーター/エレベーター部門も傘下に収めた。
コネ社は本来はエレベーターを得意とし、1970年代に国際的買収を繰り返して成長した。スウェーデンのエレベーター業者 Asea-Graham を初めとして、フランスやドイツやオーストリアの小さめの企業を買収し、その後ウェスティングハウスのヨーロッパのエレベーター部門を傘下に収めた。エスカレーター市場には Montgomery Elevator Company を買収し、オーレンシュタイン・ウント・コッペルのエスカレーター部門を取得してから本格的に参入した。
エスカレーターの設置目的は大別して、
などがある。ただし階段に比べて非常に高価であり、保守点検等コストも掛かる事から、設置場所は主に百貨店、地下街などの商業施設、駅、空港、フェリーターミナルなどの交通機関の乗り場、病院やホテルなどの大型施設に限られる。
イギリス[41][42]やアメリカ[43]、台湾、香港[44] などの混雑の激しい駅などでは、急ぐ人のために左側を空けることがマナーとなっている。オーストラリアやニュージーランドでは逆に左側に立って右側を空けることがマナーとなっている [45]。 しかしながら、カナダトロントなどいくつかの交通機関では安全性の問題からエスカレーターでの歩行を推奨していない[46]。
日本でも駅などでは急ぐ人のために片側を空けることがマナーとなっているが、[47]、後述のとおり、現在では危険であるとしてエスカレーターの歩行自体を控えるようにメーカーや施設側などが呼びかけている。
関東地方を始めとする多くの地方では左側に立って右側を空ける。大阪や神戸を始めとする近畿地方では右側に立って左側を空ける傾向がある。ただし、京都の一部(主に京都市営地下鉄)では、元来は左側空けであったものを、近畿地方以外からの観光客などのエスカレーター利用状況に対応するため、右側を空けるように変更した事例もある[48]。仙台市では、県外客の利用が多いJR仙台駅や仙台空港などでは先頭の人が立った側に合わせる傾向があり、空ける側は左右半々あるいは左右決まっていないものの、地元住民の利用が多い百貨店や仙台市地下鉄では左側を空ける傾向がある[49]。なお、左右のどちらかを空けるという習慣そのものがない地方も多い[要出典]。
近畿地方における左側空けの起こりには諸説ある。
日本では、1914年(大正3年)に開催された大正博覧会において、初めて設置された。
日本の百貨店へのエスカレータ普及期にあっては、エスカレーターの脇にエスカレーターガールという女性が立って乗り込みの案内をしていたことがあった[51]。
日本でもっとも長いエスカレーターは、香川県丸亀市にあるニューレオマワールドのエスカレーター「マジックストロー」が高低差42m・全長96mで日本一となっている。なお、和歌山県那智勝浦町のホテル浦島の3基乗継ぎのエスカレーター「スペースウオーカー」は、高低差約80m(地上1階から32階まで)、全長154m。広島県広島市南区段原にある車椅子も乗車可能な比治山スカイウォーク(ひじやまスカイウォーク)は、動く歩道:77mまでいれると総延長:207.4m、高低差:37.5m。
もっとも短いエスカレーターは、川崎駅前の地下街アゼリアと川崎岡田屋モアーズ地下2階を結ぶ下りエスカレーター(アゼリアはモアーズの地下1階と地下2階の間に接する)で、ステップ4段分しかない。1990年度版ギネスブックに掲載されている[52]。
日本初の屋外エスカレーターとして1959年に開業した湘南江ノ島の江ノ島エスカーは、国内では珍しく有料である。会津若松市にある飯盛山のエスカレーターも同じく有料である。
エスカヒル鳴門
ホテル浦島の「スペースウォーカー」(一段目)
川崎モアーズにある世界一短いエスカレーター
踊場のあるエスカレーター(神戸モザイク)
ランドマークプラザにある曲線型エスカレーター(写真下)
直線型エスカレーターと階段が併設されているスーパー
途中から動く歩道となるエスカレーター(京阪出町柳駅)
カートの侵入を防ぐポールが設置された、関西国際空港のエスカレーター
日本国内におけるエスカレーターの安全基準は、ステップ上に立ち止まって利用することを前提とされている。歩行者と立って乗っている者とが接触した場合にはバランスを崩した人が転倒する危険性があるとされ、腕の骨折などの要因によって片側の手すりにしかつかまる事のできない人に対する配慮不足の問題も指摘されている[53]。
2004年(平成16年)7月より、日本の地下鉄では初めて名古屋市営地下鉄が駅構内放送などで歩行禁止の呼びかけを開始し[54]、順次「エスカレーターでの歩行はおやめ下さい」のステッカーやポスター[55]も貼られている。その後、横浜市営地下鉄や福岡市営地下鉄、札幌市営地下鉄、大阪市営地下鉄でもエスカレーターでの歩行禁止を呼びかける掲示が出されるようになった[56]。
2010年(平成22年)3月29日から5月9日からの間、関東・中部・関西の25の鉄道事業者および(社)日本エレベータ協会でエスカレーターの安全利用を呼びかける、「みんなで手すりにつかまろう」キャンペーンが実施された[57]。主要新聞にも新聞広告が掲載され、駅にポスターやステッカーが貼られた。
また 2012年(平成22年)には、7月23月から 8月31日の間「昨今駅においては、お客さまがエスカレーターをご利用になる際に、ご自身でバランスを崩して転倒されたり、駆け上がったり駆け下りたりした際に他のお客さまと衝突し転倒させるなどの事象が発生しています。お客さまのお怪我を防止するために、ご利用の際には手すりにつかまるなど、安全なエスカレーターの利用について鉄道事業者が共同で呼びかけを実施します。」[58]として、関東・中部・関西の鉄道事業者25社局で、同様のキャンペーンが行われた。
中高一貫教育や中高(小中高大学、更に幼稚園までが加わる事も)一貫校など、無試験で内部進学が可能なことを、エスカレーターの動作に例えて俗に「エスカレーター式」あるいは「エレベーター式」と呼ぶ。
第二次ロンドン海軍軍縮条約において、1937年4月1日までに調印しないワシントン海軍軍縮条約批准国があった場合に諸々の制限を緩和する条項が盛り込まれ、通称エスカレーター条項と呼ばれた。これも上記と同じくエスカレーターの動作になぞらえた通称である。
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