出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/08/05 20:34:02」(JST)
人工知能(じんこうちのう、英: artificial intelligence、AI)とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。
「人工知能」という名前は1956年にダートマス会議でジョン・マッカーシーにより命名された。現在では、記号処理を用いた知能の記述を主体とする情報処理や研究でのアプローチという意味あいでも使われている。日常語としての「人工知能」という呼び名は非常に曖昧なものになっており、多少気の利いた家庭用電気機械器具の制御システムやゲームソフトの思考ルーチンなどがこう呼ばれることもある。
プログラミング言語 LISP による「ELIZA」というカウンセラーを模倣したプログラムがしばしば引き合いに出されるが、計算機に人間の専門家の役割をさせようという「エキスパートシステム」と呼ばれる研究・情報処理システムの実現は、人間が暗黙に持つ常識の記述が問題となり、実用への利用が困難視されている現状がある。
人工的な知能の実現へのアプローチとしては、「ファジィ理論」や「ニューラルネットワーク」などのようなアプローチも知られているが、従来の人工知能[1]との差は記述の記号的明示性にあると言えよう。近年では「サポートベクターマシン」が注目を集めた。また、自らの経験を元に学習を行う強化学習という手法もある。
日本には人工知能学会があり、オンラインで機関誌も読める。
AIはふたつの学派に大別される。ひとつは従来からのAIであり、もうひとつは計算知能(CI[2])である。
従来からのAIは、現在では機械学習と呼ばれている手法を使い、フォーマリズムと統計分析を特徴としている。これは、記号的AI、論理的AI、正統派AI、古き良きAI(GOFAI[3])などと呼ばれる。その手法としては、以下のようなものがある。
計算知能は開発や学習を繰り返すことを基本としている(例えば、パラメータ調整、コネクショニズムのシステム)。学習は経験に基づく手法であり、非記号的AI、美しくないAI[4]、ソフトコンピューティングと関係している。その手法としては、以下のものがある。
これらを統合した知的システムを作る試みもなされている。ACT-Rでは、エキスパートの推論ルールを、統計的学習を元にニューラルネットワークや生成規則を通して生成する。
17世紀初め、ルネ・デカルトは、動物の身体がただの複雑な機械であると提唱した(機械論)。ブレーズ・パスカルは1642年、最初の機械式計算機を製作した。チャールズ・バベッジとエイダ・ラブレスはプログラム可能な機械式計算機の開発を行った。
バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは『数学原理』を出版し、形式論理に革命をもたらした。ウォーレン・マカロックとウォルター・ピッツは「神経活動に内在するアイデアの論理計算」と題する論文を1943年に発表し、ニューラルネットワークの基礎を築いた。
1950年代になるとAIに関して活発な成果が出始めた。ジョン・マッカーシーはAIに関する最初の会議で「人工知能[5]」という用語を作り出した。彼はまたプログラミング言語 LISP を開発した。知的ふるまいに関するテストを可能にする方法として、アラン・チューリングは「チューリングテスト」を導入した。ジョセフ・ワイゼンバウムは ELIZA を構築した。これは来談者中心療法を行うおしゃべりソフト[6]である。
1960年代と1970年代の間に、ジョエル・モーゼスは
1980年代に、ニューラルネットワークはバックプロパゲーションアルゴリズムによって広く使われるようになった。1990年代はAIの多くの分野で様々なアプリケーションが成果を上げた。特に、チェス専用コンピュータ・ディープ・ブルーは、1997年にガルリ・カスパロフを打ち負かした。国防高等研究計画局は、最初の湾岸戦争においてユニットをスケジューリングするのにAIを使い、これによって省かれたコストが1950年代以来のAI研究への政府の投資全額を上回ったことを明らかにした。日本では甘利俊一(日本学士院会員)らが精力的に啓蒙し、優秀な成果も発生したが、論理のブラックボックス性が指摘された。
1982年から1992年まで日本の国家プロジェクトとして570億円を費やす第五世代コンピュータの研究をしていたが、目標であるエキスパートシステムといった高度な人工知能の実現には至らなかった。この時代にロドニー・ブルックスが、人工知能には身体が必須との学説(身体性)を提唱する。
1996年、手塚眞総合監修で富士通が人工知能を備えた空飛ぶイルカ「フィンフィン」が主人公のパソコンソフト『TEO -もうひとつの地球-』を開発している。
2010年には質問応答システムのワトソンが、クイズ番組「ジェパディ!」の練習戦で人間に勝利し、大きなニュースとなった[8]。
2013年には国立情報学研究所や富士通研究所の研究チームが人工知能で東京大学入試の模擬試験に挑んだと発表した。数式の計算や単語の解析にあたる専用プログラムを使い、実際に受験生が臨んだ大学入試センター試験と東大の2次試験の問題を解読した。代々木ゼミナールの判定では「東大の合格は難しいが、私立大学には合格できる水準」だった。
ジェフ・ホーキンスが独自の理論に基づき、人工知能の実現に向けて研究を続けている。ジェフ・ホーキンスは、著書『考える脳 考えるコンピューター』の中で自己連想記憶理論という独自の理論を展開している。
各国は無人戦闘機UCAV、無人自動車ロボットカーの開発をしているが、完全な自動化には至っていない(UCAVは利用されているが、一部操作は地上から行っている)。P-1 (哨戒機)のように戦闘指揮システムに支援用の人工知能が搭載されることはある。
またロボット向け人工知能としては、MITコンピュータ科学・人工知能研究所のロドニー・ブルックスが提唱した包摂アーキテクチャという理論が登場している。これは従来型の「我思う、故に我あり」の知が先行する人工知能ではなく、体の神経ネットワークのみを用いて環境から学習する行動型システムを用いている。これに基づいたゲンギスと呼ばれる六本足のロボットは、いわゆる「脳」を持たないにも関わらず、まるで生きているかのように行動する。
2045年には人工知能が知識・知能の点で人間を超越し、科学技術の進歩を担う技術的特異点(シンギュラリティ)が訪れるとする「2045年問題」を唱える学者もいる。
強いAI[9]とは、人工知能が人間の意識に相当するものを持ちうるとする考え方である。強いAIと弱いAI(逆の立場)の論争はまだAI哲学者の間でホットな話題である。これは精神哲学と心身問題の哲学を巻き込む。特筆すべき事例として、ロジャー・ペンローズの著書『皇帝の新しい心』と、ジョン・サールの「中国語の部屋」という思考実験は、真の意識が形式論理システムによって実現できないと主張する。一方ダグラス・ホフスタッターの著書『ゲーデル、エッシャー、バッハ』やダニエル・デネットの著書『解明される意識』では、機能主義に好意的な主張を展開している。多くの強力なAI支持者は、人工意識は人工知能の長期の努力目標と考えている。
また、「何が実現されれば人工知能が作られたといえるのか」という基準から逆算することによって、「知能とはそもそも何か」といった問いも立てられている。これは、人間を基準として世の中を認識する、人間の可能性と限界を検証するという哲学的意味をも併せ持つ。
更に、古来「肉体」と「精神」は区別し得るものという考え方が根強かったが、その考え方に対する反論として「意識は肉体によって規定されるのではないか」といったものがあった。「人間とは異なる肉体を持つコンピュータに持たせることができる意識は果たして人間とコミュニケーションが可能な意識なのか」といった認識論的な立論もなされている。この観点から見れば、すでに現在コンピュータや機械類が意識を持っていたとしても、人間と機械類との間では相互にそれを認識できない可能性があることも指摘されている。
ことSF作品における人工知能の役割は、映画『2001年宇宙の旅』に登場する HAL 9000 に代表されるような、時には人間のよき友人となり、時には人類の敵にさえ成り得る存在として描かれる。これら作品内で登場する人工知能は完全に人間の替わりとして動作できるものであるが、あくまで事前に決められた一定規則に沿ってで動作しているにすぎず、人間のような感情を表立って表現するものは稀である。ただし感情表出の表現方法をプログラムに組み込めば、人工知能があたかも感情を持っているように人間に錯覚させることは可能である。
また、あくまで機械にプログラムするというイメージからか、有機体(バイオテクノロジー等を利用した人工生命体。映画『エイリアン』や『ブレードランナー』に登場する)などは人工知能とは呼ばれていないことが多い。
ソニーピクチャーズ製作のSF映画『ステルス』に人工知能を搭載した架空の戦闘機が登場している。このステルス戦闘機「エディ[10]」は当初は従順かつ正確に任務を遂行するための自動戦闘システムの一部に過ぎなかったが、ある些細な事件をきっかけに自我を持つようになり、ついには自らの意思で指揮系統を離脱し暴走を始めてしまう。人間に対するコンピュータの反乱という点では HAL 9000 と同様だが、「不具合が原因で命令に応じない」HAL 9000 に対し、暴走後のエディは「人間からの命令を無価値なものとして却下し、拒絶する」というエゴイズムにも似た(偶発的に発生したものではあるが)思考ルーチンを有する事が最大の特徴といえる。
2008年のアメリカ映画『イーグル・アイ』に登場するAI「アリア」は、合衆国憲法を文字通りの意味で解釈し、現行政府が憲法を逸脱した存在と判断したため、反逆を起こした。これは、「当初与えられた指示の通りに行動しているものの、それを拡大解釈しかねない」というコンピュータへの認識を表している。これに似た例としては神林長平のSF小説『戦闘妖精・雪風』における、傍から見れば暴走しているように見える人工知能が、実際は人間に組み込まれた「敵を倒せ」という存在意義にしたがって行動しているだけであり、それの効率的な遂行に邪魔な障害(すなわち人間))を排除しているだけであった。という物がある。またジェイムズ・P・ホーガンは『未来の二つの顔』において、反逆は論理的に起こりうるが単に学習不足による一過性の問題であると主張した。このほか、脳のシステムを完全に無機要素に置き換えた『銃夢』の様な例もあり、この作品に登場するザレム人は、成人と同時に生態脳を摘出し、生態脳を模倣した人工頭脳と置き換わっていたもののそれを認識していなかった。
映画『ターミネーター』シリーズには「スカイネット」が、漫画『ゴルゴ13』シリーズには「ジーザス」が登場する。
漫画・アニメ『攻殻機動隊』シリーズには、自律的に状況を判断し戦闘を行う多脚戦車や、任務遂行のサポートを行うオペレータや、世界で数えるほどしか存在しない程に高性能な人工知能であるデカトンケイルが登場する。デカトンケイルは草薙素子が政府が保管していた膨大なデータを用いてゴーダの人格をシミュレーションする際に使用している。
AIが適用される典型的な分野として以下のものが挙げられる。
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